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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
209/1675

③族長会議

2015.7/5 更新分 1/1

 そうして俺たちは、森辺の集落に帰還した。

 残念なことに、《西風亭》のご主人は俺が約束をすっぽかしてしまったことに機嫌を損ねてしまったので、もう何日か冷却期間を置いてほしいという話を、昨晩の内からユーミに届けられていたのだ。

 もとより、どのような事情であれ約束を破ってしまったのはこちらのほうなのだから、弁解の余地もない。


 で、レイナ=ルウたちもそろそろ商売を切り上げる頃合いかなという刻限に、ルウの集落に帰りつくと――そこには、ギルルの他に2頭のトトスと、それに屋根のない荷車が2台、待ちかまえていた。


 ザザ家およびサウティ家のトトスと荷車である。

 族長たちは俺たちよりもさらに早く帰りついており、なおかつルウの集落に留まっていたのだ。


 俺はちょっと呼吸を整えてから、アイ=ファたちとともにルウの本家へと足を向けた。


「親父、帰ったぜ」と、ルド=ルウが戸を引き開ける。

 それに続いてルウ家に踏み入いった俺は、予想通りの光景を目にして、さらに気持ちを引き締めた。


 ドンダ=ルウと、ジザ=ルウ。ガズラン=ルティム。

 グラフ=ザザと、お供の男衆。

 ダリ=サウティと、お供の男衆。

 そして、フォウの家長と、ベイムの家長。

 総勢9名もの男衆が、そこでは車座になって難しい顔を突き合わせていたのだった。


「やあ、ファの家のアスタ。無事な姿を見ることができて何よりだ」


 まず声をあげてくれたのは、三族長のひとりにしてサウティ家の若き家長ダリ=サウティであった。

 朴訥とした四角い顔に、ジザ=ルウやガズラン=ルティムよりも大柄な体格。ファの家に対してはそれなりに友好的な姿勢を示しており、血抜きや調理の技術も積極的に習得しようと努めてくれている御仁である。


「どうも、ご無沙汰ぶりです。あの、今回はみなさんに多大な迷惑と苦労をかけてしまい――」


「口先で詫びごとを述べても状況は変わらん。己に責任があると感じているならば、とっとと席につけ」


 と、底ごもる声でグラフ=ザザにさえぎられた。

 こちらは頭部つきのギバの毛皮をかぶった、やはり三族長にしてザザ家の家長たる壮年の男衆だ。

 その野獣じみた眼光の鋭さはドンダ=ルウにも匹敵するほどで、歴戦の狩人が集結したこの場においても1番に魁夷で恐ろしげな風貌をしている。

 そんな彼とて森辺の同胞であることに変わりはないが、ファの家の商売に対しては否定的な見解を抱いている立場でもあるので、俺とアイ=ファにとっては気の抜けない御仁であるのだ。


 ともあれ、俺とアイ=ファはルウ家の人々の差し向かい、フォウの家長の隣に腰を下ろすことになった。

 護衛役のシン=ルウや4名の若者たちはそこで去っていき、ルド=ルウはドンダ=ルウの左手側に陣取る。


「サイクレウスとの会談は、まずは無事に終了しました」


 一同を代表する形で、ガズラン=ルティムが発言する。


「罪人たちにどのような罰が与えられるかは、今後の審問によるという話でありましたが。サイクレウス自身はこの事件に関わっていなかったという話は、信じてよいだろうという結論に至りました」


「そうですか。……やはりリフレイアも罪に問われることになるのでしょうか?」


「もちろんです。実際にアスタをさらったのは配下の者たちであり、また、その際に無法な手段を選んだのはあくまでもその者たちの判断によるもの、という話でありましたが――しかし、家に帰してほしいと願うアスタにそれを許さず、あの館に留め置いたのはそのリフレイアという人物であったわけですからね。最低でも禁固の刑は免れられぬであろうと、同席したメルフリードはそのように申していました」


 禁固――牢獄か何かに投獄される、ということなのだろうか。

 首謀者とはいえ、10歳ていどの幼い少女である。俺はあらかじめ考えていた以上に重苦しい気分を抱え込むことになった。


「そして、ムスルとサンジュラという罪人たちには、鞭叩きの罰が与えられるようです。サイクレウスが赦免を願ったので、ジェノスを追放されるまでには至らないかもしれない、という話でした」


「まったくふざけた話だな。赦免を願って銅貨を積んだら罪が減じられる、というその理が俺たちにはまったく理解できない」


 と、ダリ=サウティが肩をすくめながら口をはさんでくる。


「それに、責任のある人間のほうが軽い罰である、というのも釈然としない。配下の者たちが罪を犯したと知りながら、それを許していたというのならば、もはや罪の重さに差はないはずであろうにな」


「ごもっともです。……そして、その者たちも宿屋の主人をわずかに傷つけ、アスタの身をさらった後は客人として遇していたということで、それ以上の罰を求めるのは難しいだろう、とのことです」


 法を守るという一点に絶対の信念を持つと評されるメルフリードがそのように述べているなら、そういうものなのだろうと受け止めるしかない。

 しかし、城下町の住人であるムスルはまだしも、神出鬼没のサンジュラがその内にまた行動の自由を得てしまうということに、みなは懸念を覚えているようだった。


「それで、あの……サンジュラがサイクレウスの息子である、という話も言及されたのでしょうか?」


「はい。しかし、サイクレウスはそれを否定していました。サンジュラという人物は、宿場町やジェノスの外などの情勢を探るために銅貨で雇った人間であるに過ぎない、と。――そして、アスタの屋台を見張らせていたのも、宿場町でたいそうな評判を呼んでいるらしいので、好奇心を触発されたに過ぎないと述べていました」


「そうですか……」


 しばし、沈黙が落ちる。

 すると、それを待ちかまえていたようにグラフ=ザザが声をあげた。


「それで、お前たちはこれからどうするつもりなのだ、ファの家の家長にかまど番よ」


 みなと同じように片膝あぐらをかいていたアイ=ファは、強い眼光をそちらに差し向ける。


「むろん、三族長の許しが得られるならば、これまで通りに商売を続けていきたいと願っている。豊かな生活のため、というだけでなく、そうして宿場町の民たちと縁を繋いでいくことこそが、森辺の民にとっては正しき道なのではないだろうか?」


「私も、アイ=ファに賛同いたします。……今回の一件でなおさらはっきりしましたが、やはり宿場町と城下町はまったく別のものとしてとらえるべきなのでしょう」


 そんな風にアイ=ファの後押しをしてくれたのは、ガズラン=ルティムであった。


「宿場町の者たちは我々と同様、通行証というものを手に入れない限り、城下町には足を踏み入れることすらできないようです。そして、このジェノスを支配しているのは城下町の貴族たちである、と考えれば――宿場町の民たちは、貴族たちよりも森辺の民に近しい存在である、と考えることもできるのではないでしょうか?」


「町の人間が、我々と近しい存在である、だと……?」


「はい。あるいは、我々と近しい立場である、と言い換えたほうが理解を得やすいでしょうか。私には、森辺の民と宿場町の民がおたがいの存在を忌避している現在の状況が正しい姿であるとは、どうしても思えないのです。この数日間、毎日宿場町に下りて彼らと交流を重ねる内に、私はそういった思いをさらに強くすることになりました」


 いつも通りに穏やかなガズラン=ルティムであるが、その目はアイ=ファに劣らず強く輝いている。


「そして我々は、かつて族長であったザッツ=スンの罪を裁くことができなかったため、宿場町の民から憎まれることにもなりました。そうして歪んでしまった関係を、アイ=ファやアスタたちが正してくれているのだと、私はそんな風に考えています。そうであるからこそ、ファの家はこれまで通りに宿場町における商売を続けていくべきだと思うのです」


「……しかし、ルウの家が護衛役を果たせるのもあと数日限りであるということは、忘れてはならぬだろう」


 そこで口を開いたのは、ドンダ=ルウの右手側に座したジザ=ルウであった。

 グラフ=ザザと同じか、下手をしたらそれ以上にファの家の有り様には疑念を抱いているはずの、ジザ=ルウである。

 自然に、俺は息を詰めることになった。


「ルウの眷族が休息の期間に入って、今日でちょうど半月だ。森の恵みはいまだに回復していないが、そろそろ飢えたギバが姿を現す頃合いになる。最低限、白の月の15日までは護衛を外すこともできぬであろうが、それ以上の期間、男衆の手を狩り以外の仕事に割くことは決して許されないはずだ」


「それは当然の話だよな。手の空いてる連中は、明日からでも狩りの準備を始めるんだろ?」


 ルド=ルウの言葉に、ジザ=ルウはうなずく。


「族長らがファの家の行いを正しいと認めるなら、自分もその決定には従おう。しかし我々とて、狩人としての仕事を二の次にしてまで、それを手伝うことはできない。そのあたりのことは、いったいどのように考えているのだろうか?」


「それは――むろん、ジザ=ルウの言う通りだ。15日の会談の日までに、サイクレウスという男の本性を暴けぬ場合は……これまで通りに商売を続けることも難しくなってしまうのであろう」


 アイ=ファが少し苦しげにそう応じる。

 これは確かに、ジザ=ルウのほうが正論であるに違いなかった。


 テイ=スンたちの襲撃に備えていたときは、サイクレウスに「商売を休むな」と厳命されてしまったために、狩人の仕事よりも護衛の役目を重んじる他なかったのだ。

 しかし今は、自分たちの意思で商売を行っているのである。

 休息の期間が終わってしまうならば、これ以上ルウ家を頼るわけにはいかなかった。


 なおかつ、サイクレウスを失脚させるか、あるいは潔白の身であったのだと全面的に信ずることができない限り、護衛ぬきで商売を続けるわけにもいかないだろう。

 白の月の15日で決着がつかず、また問題が先送りにされることになれば、俺たちは商売を続ける手立てを失ってしまうのだ。


 どうしてそんな当たり前のことを今まで想定できていなかったのか、と俺は内心で歯噛みすることになった。

 ジザ=ルウのいつでも笑っているように見える細い目が、満足そうにアイ=ファと俺の姿を見比べている。

 すると、俺たちのかたわらから、フォウの家長が声をあげた。


「では、その場合は他の氏族が狩人の仕事を休息する際に力を貸せばよいのだな。あとひと月も経たぬ内に、フォウやランやスドラの家は休息の時期を迎えることになるであろうから、それを待ってもらう他あるまい」


 俺はびっくりしてそちらを振り返った。

 この猛者どもの中ではいささか痩せすぎに見えるフォウの家長が、力強い目つきで俺を見返してくる。


「現在は、朝と昼で6名ずつの男衆が警護の役目を果たしているのだったな? フォウとランとスドラだけでも、それぐらいの男衆を集めることはできる」


「で、ですが――失礼ながら、フォウやランではルウほど人手に余裕があるわけでもないでしょう? 狩人の仕事がなくとも、女衆の仕事を手伝ったりする必要があるのではないのですか?」


「それは、残された男衆で果たせばよい。我々は、女衆の力を貸してほしいと願うアスタの気持ちに応じることができなかったのだ。今度こそ力を貸せるならば、それにまさる喜びはない」


「……ランやスドラの家長らに確認もせぬまま、そのような安請け合いをしてしまってよいのか?」


 そんな風に言葉をはさんできたのは、ベイムの家長だった。

 こちらは対照的に、短身で横にがっしりとした壮年の男衆である。彼は、ファの家の行いに否定的である小さな氏族の代表として、一族の集まりに参加している立場なのだ。


「問題ない。ランはフォウの眷族であるし、スドラは我々以上にファの家の力になりたいと願っているのだからな。……そしていずれ時が経てば、ガズやラッツの家に休息の期間が訪れる。そうした者たちが護衛の役を引き継いでいけば、ファの家も少しばかりの休みをはさみつつ商売を続けていくこともかなうだろう」


「それじゃあアスタたちは永久に護衛の男衆を引き連れながら商売を続けていかなきゃならないのか? あんたの心意気は大したもんだけど、そいつはちょっとばっかりいただけねー話だなあ」


 と、ルド=ルウが陽気な声をあげる。

 今日は1日シリアスなたたずまいであったルド=ルウであったが、その顔にはひさびさにとても快活な笑みが浮かんでいた。


「俺としては、やっぱり次の会談までにサイクレウスとかいうくそったれな貴族をとっちめてやりてーところだな。そうしたらまたあんたはファの家に力を貸す機会を失っちまうことになるけど、アスタたちが危険じゃなくなるなら、それが1番だろ?」


「もちろんだ。危険が去るに越したことはない」


「しかし、サイクレウスが罪を犯したという証しはないのです。カミュア=ヨシュらがその証しを手に入れない限り、サイクレウスを罪人と決めつけてしまうわけにもいかないでしょうね」


 慎重に、ガズラン=ルティムがそう言った。

 どんなにファの家との縁が深まろうとも、そこは公正さを失わないガズラン=ルティムであるのだ。


「……そして、サイクレウスという貴族の本性がどうあれ、我々もスン家の者たちに対する処遇を定めねばなるまい」


 と、グラフ=ザザが重々しい声音でそう言った。


「そもそもそちらの話が片付かなければ、商売もへったくれもないのだからな。……これ以上くどくどと話し合っても埓は明かぬであろう。スン家の者たちに関しては、さきほど話した通りの内容で決定してしまってもよかろうな?」


「え? 彼らの処遇をどうするかが決まったのですか?」


 俺は思わず驚きの声をあげてしまい、グラフ=ザザににらまれることになった。

 しかし、答えてくれたのは彼ではなく、その差し向かいに座したダリ=サウティであった。


「我々の結論は、やはり変わらない。逃亡の罪を犯したディガとドッドはともかく、ミダ、ヤミル、オウラ、ツヴァイの4名にはすでに氏を奪う罰を与えているのだから、これ以上の罰は必要ないと考える」


「そうですか。それなら――」


「しかしまた、君主筋であるジェノス領主がさらなる罰を求めているというのならば、その言葉をないがしろにすることもできない。よって、会談の日にはズーロ=スンを始めとするスン本家であった人間たち7名を引き連れていき、自分たちの言葉で釈明させようという結論に至ったのだ」


「え……ミダやヤミル=レイたちを会談の場に連れていくんですか? それはあまりに危険なのではないでしょうか? もしもサイクレウスが強引にでも彼らの身柄を奪おうと考えてしまったら――」


「理もなくそのような行為に及ぶようなら、やはりサイクレウスの言葉に従うわけにはいかぬ、ということだよ、ファの家のアスタ」


 あくまでも穏やかに、ダリ=サウティはそう言った。


「しかし、我々の君主はジェノスの領主マルスタインであり、サイクレウスはその代弁者であるという立場なのだ。その人物が、スン家にはもっと重い罰が必要だと言い張るのならば、実際にスン家の者たちの言葉を聞かせ、その罪を量ってもらう他あるまい」


「だ、だけど、そんなのはサイクレウスにとって建前に過ぎず、本音ではスン家を再び族長筋に据えようと目論んでいるのかもしれないのですよ?」


「それとて、ヤミル=レイの想像に過ぎない。我々は、ジェノスの領主とサイクレウスの真意を見極めるしか道がないのだ。……むろん、その真意が森辺の民と相容れぬと判明したときは、諾々と従うつもりもないが」


 何となく、ただでさえ大きなダリ=サウティの姿がいっそう大きくなったように感じられた。

 いや、ダリ=サウティだけではない。その場にいるほとんどの者が、宿敵でも迎えたかのように狩人としての殺気を発散させ始めているようだった。


「ファの家のアスタよ。我々は、そろそろ限界であるかもしれないのだ」


「げ、限界?」


「ああ、そうだ。あのサイクレウスという貴族には、どうしても君主筋としての理や正当性を見出すことがかなわない。……以前にも同じ話をこのルウの集落でしたと思うが、その思いはやわらぐどころか、日を追うごとに増していくばかりであった。このままあの男をジェノス領主の代理人として扱うことは、とうていかなわぬのではないのかと思えてきてしまったのだよ」


 それでもダリ=サウティは穏やかな表情であり、決して激したりはしなかった。


「そして、サイクレウスの行状に関しては、メルフリードという者の口からジェノスの領主マルスタインにも伝わっているはずであろう。それでも領主が動こうとしないならば、それはすなわちサイクレウスの行動を正しいと認めている、ということになるのではないか?」


「え、ええ……正しいと認めているかどうかはともかく、すべてを任せきりにしているようには思えてしまいますね」


「ならば我々も、サイクレウスの行動をもってジェノス領主の真意をはかる他あるまい。もしもサイクレウスが理もなくズーロ=スンらの身柄を手に入れようとしたそのときは、刀を取ってでもそれに抗ってみせよう」


「――ジェノスに刀を向けてしまうのですか?」


「ジェノス領主が、それでもサイクレウスに理がありと判断するならば、そういう結果になってしまうのだろうな」


 ダリ=サウティは、ゆったりとうなずいた。


「我々は、80年の歳月をこのモルガの森辺で過ごしてきた。南の黒き森で過ごしてきた時代を知らぬ我々にとっては、この地こそが唯一の故郷だ。……しかし、君主の資格なき人間を君主として崇めながら生きていくことはできない。幸いなことに、その一点においては意見が分かれることもなかった」


「そう……ですか……」


 以前はグラフ=ザザがジェノスを捨てるもやむなしと発言し、それをダリ=サウティがたしなめるという立場であったのだ。

 それからわずか10日ていどしか経ってはいないが、その間に族長たちは2回、サイクレウスと顔を合わせている。

 特に前回の会談では真っ向からサイクレウスを糾弾し、それをのらくらとかわされてしまったので、それで決定的に不審感をあおられてしまったのかもしれない。


「むろん、我々も故郷を捨てたいと願っているわけではありませんよ、アスタ。しかし、これぐらいの覚悟がなければサイクレウスという人物の真意をはかることはできないと考えたのです」


 ガズラン=ルティムが、静かに発言する。


「ズーロ=スンらを連れていき、その言葉を聞かせた上で、サイクレウスがどのような行動を取るのか。どのような言葉を吐くのか。それに対して、ジェノスの法に忠実であるというメルフリードはどのようにふるまうのか。それらをもって、我々は進むべき道を選ぼうと思います。サイクレウスが刀を取らない限り、我々もまた刀を取ることはありません」


「でも、会談の場では、そもそもその刀を取り上げられてしまうのですよね?」


「ええ。ですから、当日には護衛の男衆を数十名、館の外に控えさせることになります。草笛の合図で館に踏み込めるように、ですね」


 そこまで具体的な話が決まっていたのか。

 知らず内、俺は生唾を飲み込んでしまう。


「それだけの男衆を引き連れていく時点で、サイクレウスも私たちの覚悟を察することができるでしょう。あちらとて、そう易々と刀は取れないはずです。私たちも、無駄に生命を散らすつもりはありませんよ」


「はい……」


「そしてこれはまだ決定していませんが、私はこの話を宿場町に広げるべきだと考えています」


「え? 宿場町に、ですか?」


「はい。スン家の処遇を巡って我々が対立してしまっているという点については、すでにアスタの口から宿屋の主人たちに打ち明けられているはずですが。さらに、ザッツ=スンらを利用してサイクレウスが数々の罪を犯してきたと、我々が疑っているという事実も、包み隠さず宿場町に広めるべきだと思うのです」


「……その考えについては、まだ納得がいっていない。そのような行為に何の意味があるというのだ?」


 グラフ=ザザが、不審感たっぷりの声でそう問うた。

 ガズラン=ルティムは、静かにそちらを振り返る。


「それにはふたつの理由があります。ひとつは、宿場町の民にはその事実を知る権利がある、と思えたから。もうひとつは、それをせぬままジェノスに刀を向けるべきではない、と思えたからです」


「そこまでは、さきほども聞いた。どうしてお前がそのように考えたのかを問うているのだ」


「はい。宿場町の民に関しては、スン家の暴虐に苦しんだ当人たちにはそれを知る権利がある、と思えたからです。特にその中には家族を失った者まで存在するというのですから、それが当然の話ではないですか?」


 ミラノ=マスやレイト少年の姿が、脳裏に蘇る。

 彼らはすでに、カミュア=ヨシュからその事実を知らされているはずだ。

 しかし、かつてザッツ=スンたちに殺められた商団の人間は、30名にも及ぶ。それらの家族の全員にも、すべてを知る権利が存在するのだろう。


「そして、もうひとつの点に関しては、たとえサイクレウスと敵対関係に陥ることになってしまったとしても、その経緯は正しくジェノスの人々に知らせるべきだと思ったのです。そうした上で、ジェノスの人々は森辺の民とサイクレウスのどちらに理があると感じるか――それで人々がサイクレウスを選ぶならば、文字通り、この地に我々の居場所はないと決することもできるのではないのでしょうか?」


「……我々は余人にどう思われようと、自分たちが正しいと思える道を進めばそれでよいのではないか?」


「そうでしょうか? 我々とて、ジェノスの領土に住まうジェノスの民なのです。私たちは生命をかけてギバを狩り、それで守られた田畑の恵みを買って飢えを満たしている。森辺の民と、町の民と、どちらが損なわれてもこの生は成立しないのです。ならば、たとえ血筋が異なろうとも、大きな意味ではジェノスに住まう全員が同胞なのではないでしょうか?」


「…………」


「しかし我々は、80年もの間、おたがいを忌避して生きてきました。どうしても相容れない存在であるならば、そうして干渉せずに生きていくしかないのでしょうが、この10年ほどでその関係を悪化させたのは、まぎれもなくザッツ=スンらの存在です。我々が宿場町の民と相容れないかどうかを確かめるには、その分の確執や誤解を解かねば始まらないのではないでしょうか?」


 俺にはガズラン=ルティムの主張が痛いほどに理解できた。

 森辺の民は、余人からの評価や誤解というものに対して、あまりに無頓着である――というのは、ものすごく早い段階から俺も懸念を抱いていた事項であるのだ。


 しかし、この場にその言葉をきちんと理解できている者が何人いたのか。

 俺の見る限り、その兆しが感じ取れるのは、たった2名しか存在しなかった。


 ダリ=サウティと、アイ=ファだ。


「まあ……少なくとも、ガズラン=ルティムの意見に強く反対する理由はない。もしもサイクレウスが潔白の身であったなら、我々は罪なき者を疑ったうつけ者と見なされるのみだろう。俺は実際にサイクレウスを疑っているので、そのような結果を恐れたりはしない。むしろ、自分が間違っていたならば、うつけ者と罵られることでもって不明の罪を贖いたいと考える」


 ダリ=サウティは、そのように言った。


「何だか難しい話だな。そんなことより、町の人間を味方につけたほうが有利に話を進められるってことなんじゃねーの? 昨日だって、そういう作戦で町の連中に事情をぶちまけたんだろ?」


 ルド=ルウの言葉に、ガズラン=ルティムは「もちろん、そういった思惑も存在します」と微笑み返した。


「そんじゃあ、俺もガズラン=ルティムに賛成だな。味方は多いにこしたことはねーよ」


「宿場町の人間が、我々の味方につくというのか? 首謀者が誰であろうと、実際に町に被害を与えていたのはスン家の者たちであるのだぞ?」


 フォウの家長がけげんそうに問うと、ルド=ルウはにやりと笑った。


「だから、そういう部分もひっくるめて、何もかもを知ってもらおうって話なんだろ? 間違っているのは俺たちなのかサイクレウスなのか、そいつを決めるのにジェノスの領主だけじゃ用が足りない。実際に痛い目を見た宿場町の連中にもそれを決める資格があるっていう話なんじゃねーの?」


「ふむ……」


「不公平がなくていいじゃねーか。それに、俺たちがザッツ=スンとかを野放しにしちまってたのも事実なんだからさ。あのジーダってやつは、森辺の民に対する恨みをなくしちまったみたいだけど、他の連中も同じように考えるとは限らねーだろ? 中には、それでも森辺の民を恨み続ける人間だっているかもしれない。それならそれで、きっちりすべてを知ってもらった上で憎まれたほうが、俺たちだって納得がいくだろ」


「……ずいぶん舌が回るじゃねえか、ルド」


 と――ここに至って、ドンダ=ルウが初めて口を開いた。

 ルド=ルウはそちらを向いて、また笑う。


「親父こそ、ずいぶん静かだったじゃねーか。てっきり居眠りでもしてるのかと思っちまったぜ」


「ほざくな。……何にせよ、俺たちは俺たちの信ずる道を選んで歩いている。それを誰にも押し隠すつもりはねえ。ガズラン=ルティムがそうしたいと考えているならば、勝手にやらせておけばいいんじゃねえのか?」


「俺はそれでかまわないと思う」


 ダリ=サウティはそう発言し、グラフ=ザザは無言を通すことで消極的な賛同を示した。

 そこにささやかな疑念を投じたのは、ベイムの家長だった。


「しかし、サイクレウスという貴族が潔白だという可能性などあるのだろうか? あのムントのような男を信用する気持ちには、これっぽっちもなれないのだが」


「ふん。それはこの場にいる全員が同じ気持ちだろうがな。万が一にも、あの男が何の罪も犯してはいないと証し立てられたときには――俺たちに民を導く資格はなしってことになるんだろうな、グラフ=ザザに、ダリ=サウティよ」


「ああ。まがりなりにも、君主筋に刀を向けるもやむなしとまで思っているのだからな。民を誤った方向に導こうとした責任を取り、族長の座から退くべきだろう。……ことと場合によっては、叛逆の大罪人としてこの首をジェノスに捧げる必要もあるだろうからな」


 ダリ=サウティは、あっさりとそう言った。

 ベイムの家長は、不審そうに目を細める。


「俺は決してそのような事態には陥らぬと信じているが――しかし、ダリ=サウティらを失ってしまったら、今度は誰を族長筋と仰げばよいのだ? まさか、またスン家にまかせるなどと言いだすつもりではないだろうな?」


「そんなことは、家長会議で定めればいい。案外、貴様やフォウの家長なんぞが選ばれたりするんじゃねえのか?」


「そ、そんな馬鹿な話は――」


「俺たちはスン家に次ぐ力を持っていたので族長に選ばれた。しかしそれが絶対に正しい話とも限らねえ。俺やダリ=サウティやグラフ=ザザが道を誤ったときは、ズーロ=スンと同じように族長筋から引きずり下ろすのが貴様たちの仕事だ」


 そう言って、ドンダ=ルウはひさびさに猛獣じみた笑みを浮かべる。


「そんな覚悟を持ち合わせていない限り、森辺の民は何度だって同じ過ちを犯すだろう。族長に族長としての資格があるか、それを見極めるのは森辺の民ひとりひとりの仕事なんだよ」


「それは確かにその通りだな。スン家の暴虐を食い止めることのできなかった俺たちは、その失敗を踏まえて歩み続けるべきだろう」


 そんな風に言ってから、ダリ=サウティは居住まいを正した。


「では、これで話をまとめてしまってもよいのかな。問題がなければ、俺は明るい内に今までの話を眷族に伝えてしまいたいのだが」


「あ、俺からもひとつお伝えしたいことがありました。今日またあのポルアースという御仁が俺を訪ねてきてくれたのです」


 そうして俺は長々と説明してみせたが、芳しい反応は見られなかった。

 ポイタンの調理法がどうのと言われたって、森辺の狩人たちにはピンとこないのだろう。

 その中で唯一、興味深そうに身を乗り出してくれたのは、やはりガズラン=ルティムであった。


「カミュア=ヨシュには、そのような策略もあったのですか。本当に底の知れない人物ですね」


「俺には今ひとつ話がわからんが、要するにサイクレウスの力の源は富にあり、その富を失えばサイクレウスも力を失う、という話なのだな?」


 ぼりぼりと頭をかきながらダリ=サウティが問うてきたので、俺は「そうです」とうなずいてみせる。


「ともあれ、そのポルアースとかいう貴族の尽力がなければアスタを救い出すことも難しかったのであろうから、好きにやらせておけばよかろう。森辺の掟に反するような話でないのなら、異論はない」


 ドンダ=ルウもグラフ=ザザも、ダリ=サウティと同意見であるようだった。


「では、今度こそ話はおしまいだな。他の氏族への通達もこれまで通りに分担して――」


 と、ダリ=サウティがそのように言いかけたとき。

 家の扉が、外から叩かれた。


「誰だ」とドンダ=ルウが問うと、「分家のシン=ルウだ」という声が返ってくる。


「町の人間が、ルウの集落を訪れてきた。至急、族長らに引き合わせたい」


「町の人間だと……?」と、室内の者たちは色めきだつ。


「それはいったいどこのどいつだ? ……いや、顔を拝んだほうが早い。ルド、扉を開けてやれ」


 ルド=ルウはうなずき、刀を手に玄関口へと走った。

 ルウ家の人間以外は、みんな刀を預けてしまっているのだ。

 下座に控えていた俺たちは自然と玄関に近い位置になっていたので、アイ=ファが用心深く膝を立てて、俺の身をかばおうとする。


 だから俺は、アイ=ファのしなやかな腰と腕の隙間から、その者たちの姿を見ることになった。


 大きな人影と、小さな人影。

 大きなほうは見知らぬ人物で、小さなほうは見知った人物だった。


「お待たせしました、森辺の皆様方。遅い帰還になってしまって申し訳ありません」


「レイト! 君だったのか!」


 俺も思わず腰を浮かせてしまう。

 亜麻色の柔らかそうな髪に、明るく輝く茶色の瞳。ほっそりとした身体に旅用のマントを纏いつけ、にこにこと笑っているその少年は、カミュア=ヨシュの弟子であるレイト少年であったのだ。


 では、そのかたわらに控えているのは、護衛役の《守護人》か何かであろうか。黒褐色の髪を後ろでひっつめた、森辺の狩人にも劣らぬ魁夷な容貌と頑健な肉体を持つ、いかにも腕っぷしの強そうな壮年の大男であった。

 レイトと同じくマント姿の旅装であるが、その合わせ目からは古びた革の胸当てと篭手、それに腰から下げた半月刀の鞘が覗いている。


「カミュア=ヨシュの従者か。……貴様が現れたということは、ようやく目的が達せられたということか?」


 ドンダ=ルウの言葉に、レイト少年は「はい」とうなずく。

 これだけの数の狩人を前にしながら笑顔を崩さないのは、さすがの心臓だ。

 隣の大男のほうは、唐獅子のようにごつい顔に警戒と不審の表情を浮かべつつ、ドンダ=ルウらの姿を見回している。


「で、主人のほうはどうしたんだ? それに、分家の連中も無事に帰ってこれたんだろうな?」


「いえ。カミュアとルウ家の人々はまだ帰還していません。護民兵団がジェノスの北方に陣を張っていて、何やら剣呑な雰囲気であったため、僕たちだけがこっそりと遠回りをして舞い戻ってきたのです」


「ふん。それじゃあ盗賊団の首領の伴侶とかいう女も、いまだにジェノスの外ということか」


 この質問には「いえ」という言葉が返された。


「もしかしたら、カミュアたちは白の月の15日にも間に合わないかもしれません。ですから、僕たちだけが戻ってきたのです。……申し訳ありませんが、大事な証人を会談の日までかくまっていただくわけにはいかないでしょうか?」


「町の人間の女を、この集落でか? そんなもん、女のほうこそが耐えられないだろうぜ」


「そうでしょうか? たぶん、大丈夫だとは思うのですが……」


 と、レイト少年は笑顔のまま、かたわらの大男を振り仰いだ。

 大男は「ふん」と荒っぱく鼻を鳴らす。


「そんなひ弱な女に赤髭ゴラムの伴侶がつとまるもんか。森辺の民だか何だか知らないけど、ガージェの豹より凶悪ってことはないだろうさ」


 ガージェの豹とは、赤髭ゴラムの息子ジーダが狩人としての仕事に励んでいたというマサラの山に生息する獣の名前だ。

 それではジーダの母親も、息子と一緒に狩人としての仕事に励んでいた、ということなのだろうか。


 それにしても――その男の声はガラガラにひび割れていて、妙に聞き取りづらかった。えらく迫力にも満ちているし、大声をあげればドンダ=ルウなみの雷鳴じみた咆哮になりそうだ。


「では、どうかお願いできないでしょうか? たぶんサイクレウスには僕たちがジェノスに戻ったことも知れていないと思いますので、用心をおこたらなければ、ご迷惑をかけることにはならないはずです」


「くどくどと言葉を重ねる前に、その女とやらを連れてこい。返事をするのは、その女の面を拝んでからだ」


「はあ……それではご紹介いたしますね」


 虫も殺さぬ笑顔で、レイト少年はかたわらの大男を指し示した。


「こちらが《赤髭党》の党首、赤髭ゴラムの伴侶であられたマサラのバルシャです。これから5日間、どうぞよろしくお願いいたします」


「どうぞよろしく……って、あたしも頭を下げるべきなのかねえ?」


 ドスのきいた銅鑼声で、その大男――ならぬ赤髭ゴラムの妻バルシャは、皮肉っぽく口もとを歪めながらそう言った。


 当然のこと、呆れたあまり言葉を失ったのは、俺ひとりではないようだった。

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