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異世界料理道  作者: EDA
第十二章 運命の糸
207/1675

①宿場町へ

2015.7/3 更新分 2/2 ・2017.6/18 誤字を修正

 白の月の10日。

 アイ=ファたちの尽力によってサイクレウスの館から解放され、ルウの集落で一夜を過ごすことになった、その翌日。

 ドンダ=ルウからの許しを得ることができた俺は、アイ=ファ、ルド=ルウ、シン=ルウといったお馴染みのメンバーを含む6名の狩人たちとともに宿場町を目指していた。


 もちろん商売の再開までもが許されたわけではなく、その前準備として宿場町の様子を確認し、各関係者に挨拶回りをするためにである。


 屋台や宿屋の商売に関しては、レイナ=ルウたちが継続してくれているので、俺がそこに加わること自体は容易い。

 が、本日の中天に族長らと会見を果たすサイクレウスがどのように釈明してくるか、その結果が出るまでは迂闊に動くべきではない、というのがドンダ=ルウの判断であったのだ。


 昨日はひたすら下手に出ていたサイクレウスであるが、一夜が明けてどのように変心してしまうかは知れたものではない。

 本当にサイクレウスは事件に関与していなかったのか。

 リフレイアたちにはきちんと相応の裁きが下されるのか。


 スン家の処遇を巡って引きのばされてきた会談の日を5日後に控え、森辺の民とサイクレウスはこれまで以上に不穏な関係性に陥ってしまったのだった。


「そういえば、俺のせいでこんな騒ぎになっちまって、グラフ=ザザなんかは相当怒り狂っているんじゃないのか?」


 道中でそのように問うてみると、厳しい視線を周囲に巡らせながら、アイ=ファは「うむ」とうなずき返してきた。


「宿場町で商売などをするからこのような事態を招いてしまったのだ、と私もドンダ=ルウもさんざん責められることになった。しかしそれ以上に、グラフ=ザザはアスタが悪漢にさらわれたことに怒り狂っていたようであったな」


「え? それは俺の身を案じて――ってわけじゃないんだろうな」


「うむ。異国生まれとはいえ、森辺の同胞が家人と認めた人間ならば、それは森辺の民のひとりとして扱う他ない。その森辺の民に刀を向ける者あらば、決して許すことはできない、と――血には血を、刀には刀の報復を、ということだな」


「……なるほど……」


「ドンダ=ルウはドンダ=ルウで激昂してしまっていたし、また、犯人はサイクレウスに違いない、という考えは動かしようもなかったので、ガズラン=ルティムやダリ=サウティが証しもない内に刀を取るべきではないと取りなしていなければ、森辺の狩人が全員で城門に向かう事態になっていたやもしれん」


 森辺の民の総数は、およそ500名。その内の半数が男衆と仮定して、13歳未満の子供を差し引くと――やっぱり200名ぐらいの人数にはなるのだろうか。


 このジェノスにどれだけの兵士がいるのかはわからないが、そのような数の狩人を前にしたら、とうてい平静ではいられなかっただろう。

 下手をしたら、文字通り森辺の存亡をかけた争いになっていたかもしれないのだ。

 想像しただけで、背筋が寒くなってしまう。


「本当にな、今度ばかりは俺たちも肚をくくったよ。しかもそいつは、俺たちがアスタを守りきれなかったせいで起きる争いなんだからな」


 アイ=ファと同じように両目を光らせながら、ルド=ルウはそう言った。


「森辺の狩人が4人も雁首をそろえて、たった2人の無法者に遅れを取るなんてよ。俺たちはみんな恥辱のあまり、自分で自分の頭を叩き割りたくなっちまったぜ」


「本当に申し訳なかったよ。俺自身にも注意が足りていなかったんだ」


「そんなことねーよ。アスタを守るのは俺たちの仕事だったんだからよ。……ったく、親父には怒鳴られるし、アイ=ファには泣かれるし――」


「……ルド=ルウ」と、地の底から響くような声でアイ=ファがルド=ルウの言葉をさえぎった。


「あー、違う違う。子供みてーにわんわん泣いたわけじゃねーぞ? こう、親父みてーにおっかない目つきをしながら、ぽろっと涙をこぼしただけで――」


「ルド=ルウ!」


「わかったってばよ。とにかくな、2度と同じ失敗は犯さねー。今度こそ、死に物狂いで自分の仕事を果たしてみせるよ」


 か弱きかまど番に自分の身を守る力がないのは当たり前、というのが森辺の風潮であるようなのだ。

 しかし、ルド=ルウたちがこれほど自責の念に苛まれてしまっているというのに、俺自身は誰からも非難の声をあびずに済んでしまっている。この現状は、何とも心苦しいばかりであった。


 ともあれ、ようやく眼下に宿場町の建物の影が見えてきた。

 荷車はレイナ=ルウらに貸し出していたし、この人数ではギルルの出番もなかったので、俺たちは徒歩で道を下ってきたのである。


 時刻はすでに、中天間近。ドンダ=ルウらの会見が始まる頃合いだ。

 昨晩はルウの集落に身を寄せて、朝方には最低限の仕事をこなすためにファの家に寄ってきたので、こんな時間になってしまった。


「……こんなに連続で狩人の仕事を休ませちまって申し訳ないな、アイ=ファ?」


 こっそりそのように述べてみせると、アイ=ファは「言うな」と苦い顔で言い捨てた。


「すべては私の判断だ。お前が責任を感じるような話ではない」


「そうそう。たった2人の家人しかいねーなら、5日に1頭のギバを狩るだけでとりあえずの仕事は果たせてるってことになるんだからな。アイ=ファはこれまでにそれ以上のギバを狩りまくってきたんだろうから、ちっとばっかりギバ狩りの仕事を休んだって誰にも文句を言われる筋合いはねーよ」


 ルド=ルウの言葉に、アイ=ファは「うむ……」と暗い面持ちでうなずく。

 それでもやっぱり、ルウ家に頼めば肩代わりのきく護衛役のために狩人の仕事を二の次にしてしまうのは、アイ=ファの矜持が許さないのだろう。


 ちなみにアイ=ファはここ半月、5日どころか2日に1頭のペースでギバを狩り続けていた。ファの家の資産は俺の稼ぐ銅貨も含めて、使うあてもなく増殖していく一方であったのだ。


「そんなことより、いよいよ宿場町に足を踏み込むんだからな。この期に及んで油断するような大馬鹿はいないだろうけど、気を抜くんじゃねーぞ?」


 俺を取り囲んだ分家の若き狩人たちは、みな鋭い目つきのまま、うなずき返した。


 俺自身も、緊張と無縁ではいられない。

 昨日の帰還時はもうとっぷりと日が暮れていたので、俺を出迎えるために居残ってくれていた人々と衛兵以外には、人影らしい人影もなかった。

 俺を巡る騒ぎのせいで、森辺の民と宿場町の民の関係性に致命的な亀裂などは生じてしまわなかったのか、俺はこれから初めてそれを体感することになるのである。


 レイナ=ルウたちが無事に商売を継続しており、なおかつ売れ行きも順調という話であったので、そこまで心配する必要はなかったのかもしれないが、それでもやっぱり楽天的にかまえることはできなかった。


「さ、行こうぜ」


 ルド=ルウの号令とともに、建物の脇をすりぬけて、石の街道に足を踏み込む。

 すでに日が高いので、街道は人であふれている。

 さらに足を踏み入れていくと、まず、せかせかと道を歩いていた南の民のひとりが「おや?」という面持ちで俺たちを振り返ってきた。


「よお、ギバ売りのにいちゃんじゃねえか!」


 何とはなしに見覚えのある人物だった。

 きっと屋台で何回かは顔を合わせている相手なのだろう。


「本当に戻ってきたんだな! 噂は聞いてるぜ? 貴族の娘っ子にさらわれて、城下町に閉じこめられてたんだってな?」


「え? そんな話がもう宿場町に伝わっているんですか?」


 俺は驚いたが、アイ=ファに横目でにらまれてしまった。


「昨晩の一件は縁あるすべての者に通達したと言ったであろうが? 口止めをしていたのは日没までで、それ以降はむしろ話を広めてほしいと頼んでおいたのだ。……そうすれば、城下町に踏み入った私までもが捕らわれてしまっても、次の動きを起こすことも可能になるであろう、というガズラン=ルティムの計略だ」


 それでは、サイクレウスの娘リフレイアが、ムスルとサンジュラという従者を使って俺をかどわかした、という話は宿場町でも公然の事実となっている、ということか。


「これであのジーダという者の言葉が偽りであった場合は、証しもなくサイクレウスの名を汚す結果になってしまっていたわけだが、こちらもなりふりかまってはいられなかったのだ。……何せ、お前がさらわれてからすでに5日もの日が経っていたのだからな」


 ぼそぼそと言葉を交わす俺たちの姿をうろんげに見やっていた南の民は、肩の荷を背負いなおしつつ、きびすを返した。


「ま、何にせよ無事に済んで良かったな。また商売を始めてくれる日を楽しみにしてるぜ?」


「あ、はい、ありがとうございます!」


 男の姿が、人混みの中に消えていく。

 その後も、大通りではさんざん声をかけられることになった。

 6名もの狩人を引き連れているというのに、道を行く内の半数ぐらいの人々は、それを気にかけてもいない様子であったのだ。


 これはやっぱり、昨日まで60名もの森辺の民が宿場町に下りていたおかげで、町の人々にも狩人に対する免疫がついてきた、ということなのだろうか。

 東の民などはやはりフードで面を隠したまま小さく会釈していくばかりであったが、陽気な南の民の中にはルド=ルウやシン=ルウに「お仲間を取り戻せて良かったな」などと笑いかける者までいたので、驚きだった。


 ただしその反面、今まで以上に警戒した面持ちで俺たちから遠ざかろうとする人々が一定数存在することも確かであるようだった。

 特に西の民には、その傾向が顕著である。


 もともと森辺の民は、テイ=スンらの引き起こした騒ぎを経て、これまで以上に注目を集めてしまっていたのだ。

 森辺の民とは、本当はどのような人間たちであるのか――そんな風に厳しい詮議の目を向けられているさなかに起きた、今回の事件であったのだ。


 人によっては、同胞のためならどこまでも必死になれる義に厚い一族なのだ、と思う者もいたかもしれない。

 その逆で、やはり同胞に牙を剥く相手には一族総出で復讐を果たそうとする恐ろしい集団なのだ、と思う者もいたかもしれない。

 それはたぶん、どちらも間違った見解ではないのだと思う。


 そしてまた、サイクレウスという有力貴族と穏やかならぬ関係にある、ということまで広まってしまったとなると、それを理由に森辺の民を危険視する人々だって存在するだろう。

 今回の一件がプラスに働くのかマイナスに働くのか、まだまだ予断は許せない状況であるようだった。


(雰囲気としては、友好的な人たちはより友好的に、そうでない人たちはより非友好的にって感じなのかな)


 そんなことを考えながら、まずは屋台の様子を目にしておこうと北上していくと、いつもの定位置でドーラの親父さんが店を開いていた。


「やあ、ちゃんと顔を見せてくれたね、アスタ」


 親父さんが、にっこりと笑いかけてくる。

 もちろんターラも、その隣でにこにこと微笑んでいる。


「昨日はどうも、遅くまでありがとうございました。あの、さんざん心配をかけてしまって――」


「いいんだよ! こうして無事に帰ってきてくれたんだから」


 陽気に笑いながら、親父さんの感じやすい目にはまたうっすらと涙が浮かんでしまっていた。


「屋台に行くんだね? あっちのほうも盛況なようだよ。あの娘さんたちの腕前は、アスタにも負けてないみたいだね」


「はい。それは本当にそうだと思います」


「ちぇっ、余裕だね! このままじゃアスタの居場所がなくなっちまうよって言ってやりたかったのに」


 そう言って、親父さんは白い歯を見せた。

 そちらにもう1度お礼の言葉を述べてから、俺は街道を北に辿る。


 すでにかきいれ時がせまっていたので、屋台の周りにはなかなかの人だかりができてしまっていた。


「あ、アスタ!」


 その屋台で『ギバ・バーガー』を作製していたレイナ=ルウが、輝くような笑顔を向けてくる。

 笑顔を返そうとした俺は、その隣に思いも寄らぬ姿を発見して立ちすくむことになった。


 大きな頭に、小さな身体。褐色の髪をタマネギみたいにひっつめて、ぎょろりと大きな目を剥いた女の子――それは、かつてスン本家の末妹であったツヴァイであった。


「ああ、ファの家のアスタ。ほんとに戻ってきたんだネ。別にあんたがいなくたって、なんにも困りはしなかったのにサ」


「ツ、ツヴァイ。ひさしぶりだね。君が今日まで屋台の商売を手伝ってくれていたのかい?」


 ツヴァイは現在、母親のオウラとともにルティムの家人となっている。だからこの仕事を割り振られても、そこまでおかしなことはなかったのだが――しかし彼女は、サイクレウスから身柄の引き渡しを要請されている人間のひとりでもあるのだ。

 サイクレウスに面は割れていないとしても、かなり大胆な人選である。


「ふん! アタシの他にはまともに銅貨を勘定できる人間がいないんだから、しかたないでショ? アンタに文句を言われる筋合いはないヨ!」


 と、白目の目立つ大きな目で俺をにらみつけてくる。


「それに、『手伝ってくれていた』って言い草は何なのサ? これはルウ家の人間が町の人間と契約を交わした仕事なんだヨ? アンタなんかに稼ぎを渡すつもりはないんだから、カンチガイしないでよネ!」


「こら、ツヴァイ。文句を言う前にもっと手際をよくしてもらわないと、こっちも困るのよ? あなたは口先ほど指先は巧みに動かせないのだから」


 笑いを含んだ声で、レイナ=ルウがたしなめた。

「うるさいヨ!」と、ツヴァイはむくれる。

 ちなみにツヴァイはとても背が低いので、丸太の台座に乗って仕事に励んでいた。


「あ、アスタ、遅かったじゃん! ほら、シーラ=ルウ、アスタだよ!」


「ああ、アスタ……昨晩お別れしたばかりですが、また元気なお姿を見れて何よりです」


 隣の屋台では、ララ=ルウとシーラ=ルウが仕事に取り組んでいた。

 献立は『ギバ・バーガー』のみに絞ったという話であったので、てっきり屋台もひとつしか出していないのかと思っていたのだが、それは俺の考え違いであったらしい。


「はい。ぎばばーがーは売り切れてしまうと、どうしても新しい分をこさえるのに時間がかかってしまうでしょう? なので、どちらかの残りが少なくなってきたら、それはひとつの鍋にまとめてしまって、そちらを売っている間に新しい分を温めることにしたのです」


 レイナ=ルウが、やはり笑顔でそのように説明してくれた。

 さきほどから、彼女はずっと笑顔のままである。


「それはとても効率的だね。えーと、それで毎日100個の『ギバ・バーガー』を用意してるんだっけ?」


「はい。中天を過ぎてしばらくすると、それぐらいの数は売り切れてしまいますね。それ以上の数を準備するのは手間でしたし、わたしたちもアスタを捜す仕事があったので、そのていどの数が妥当であるように感じられたのです」


「そうか。ありがとう。……まさかレイナ=ルウたちが屋台や宿屋の仕事を続けてくれているとは思ってもいなかったよ」


「そうすることが、わたしやシーラ=ルウには正しき道だと思えたのです。自分たちだけで料理を準備できるように修練を積んでいたのも、きっと森の導きであったのでしょう」


 レイナ=ルウは、とても誇らしげに笑っていた。

 確かにこれは、レイナ=ルウたちにしか果たせなかった仕事だ。

 そうすることによって、彼女たちは自分の力を宿場町の人々にも示してみせたのである。


「それで、アスタは明日から仕事を始められるのでしょうか? やはり南の民には、ミャームーを使った料理も食べたいと願うお客が多いようなのですが」


「うーん、そいつは今日の会見の結果にもかかってくるからね。サイクレウスが昨日の発言をひっくり返したりしたら、また大変な騒ぎになってしまうんだろうし」


 そんな風に答えたとき、南の方角から新たなる森辺の民の一団が接近してきた。

 やはり6名の男衆に守られた、リィ=スドラである。

 これまでは、ひとりの狩人だけがリィ=スドラに付き添い、残りのメンバーは人心を騒がせぬよう雑木林の裏側からやってきていたのだが、その方針も取りやめになったらしい。


「アスタたちは宿屋に向かうのですね? ちょうど中天ですので、わたしたちもご一緒させてください」


 宿屋に向かうのは、レイナ=ルウとララ=ルウである、とのことだった。

 そして、リィ=スドラの引き連れてきた男衆に護衛役を引き継いだ男衆たちが、ぞろぞろと雑木林から姿を現す。


 そちらの数も、6名だ。

 俺の護衛に6名、屋台を守る護衛が6名、レイナ=ルウらと宿屋を巡る護衛が6名――総勢18名もの狩人が、護衛役に駆り出されてしまっているのだ。

 で、今までは宿場町の人々を刺激せぬよう、ルウとルティムの年若い狩人たちがその仕事を果たしていたわけだが、この人数ではそうも言っていられない。俺の護衛役にはルウの分家の若めの狩人たちが割り振られていたが、その他の12名は年齢を問わないルティムとレイの混成部隊であるという話だった。


「昨日まではもっと大勢の狩人が町に下りてたんだからよ。今さら外見がどうとか取りつくろう意味もねーだろ。……それに、正面きって喧嘩をふっかけられることもありうるってことが証明されちまったんだからな。それだったら、こっちも遠慮してられねーよ」


 ルド=ルウは、そのように言っていた。

 かくして俺たちは15名の大所帯となって《玄翁亭》を目指すことになったわけであるが――ここでは、ささやかなハプニングが生じることになった。

 道の向こうから駆けつけてきた衛兵の一団が、俺たちの前に立ちはだかってきたのだ。


「こ、これはいったい何の騒ぎなのだ? 行方知れずとなった同胞は無事に保護されたのだから、このように森辺の民が大挙して町に下りる必要はなくなったはずであろうが?」


 その先頭に立つのは、かつてドーラの親父さんの店の前でも問答したことのある、小男の衛兵長であった。

 わずか5名ていどの衛兵しか従えていないためか、その面はすっかり血の気が下がってしまっている。


「ああ、あんたか。昨日までは世話になったな。けっきょく貴族どもが犯人だったから、あんたたちの尽力も無駄になっちまったけど、あんたたちがアスタのためにきっちり仕事を果たそうとしてくれていたことには感謝しているよ」


 この中では唯一のルウ本家の人間であるルド=ルウが、代表してそのように答えた。


「そ、そのようなことを取り沙汰しているのではない! どうしてこのような大人数で宿場町を闊歩しているのかと問うているのだ! 人心を騒がせるのは、れっきとした罪であるのだぞ?」


「んー? 俺たちはただ、か弱いかまど番や女衆を護衛してるだけだよ。今はたまたま2組で連れ立ってるからこんな人数になっちまってるけど、本当なら6人ずつの護衛ってわけさ。……4人の護衛じゃ手が足りねーってことがわかっちまったんだから、こればっかりはどうしようもねーだろ?」


「し、しかしだな……」


「何だったら、この場で7人と8人に分かれようか? それだったら、こっちにも文句はねーよ」


 衛兵長は、途方に暮れた様子で口をつぐんでしまう。

 すると、これまた見覚えのある若めの衛兵が前に進み出てきた。


「森辺の民よ。我々は確かに、城下町の貴族が犯人であるというお前たちの主張を退け、城門に近づくことを禁じた。しかし――我々とて、決して犯人を庇いだてしようなどという思惑はなかったのだ」


「ああ、そいつはわかってるよ。あんたたちの尽力には感謝してるって言っただろ? そもそもあんたたち自身にだって城下町に足を踏み入れる権限はないって話なんだもんな。それじゃあ文句のつけようもねーよ」


 ルド=ルウは決して皮肉で言っているのではないのだろうが、衛兵の若者は口惜しそうに唇を噛むことになった。


「とにかく、こっちには人心を騒がせるつもりなんてねーんだ。この人数が物騒だってんなら2組に分かれるから、今日のところはそれで勘弁してくれよ」


 それで問答は終了となった。

 レイナ=ルウらを先に行かせて、10メートルほどの距離を置いてから、俺たちも再び出発する。


「……やっぱり護民兵団といえども、末端の兵士たちにはサイクレウスの悪い影響は及んでないみたいだね?」


 衛兵たちと十分に遠ざかってからそのように耳打ちすると、「そいつはどうだかな」とルド=ルウは肩をすくめた。


「今回は誰が犯人かもわからなかったから、あいつらも普通に仕事を果たそうとしてたんだろうけどよ。そうじゃなかったら、貴族にとって都合のいいように動かされちまうんじゃねーの?」


「そうなのかなあ。あの若めの衛兵なんかは、そんな理不尽な命令に従うことには堪えられなそうだけど」


「それでも、命令を下すべき一団の長が邪な心を持っていれば、下の者たちも道を踏み外すことになってしまうのだ」


 と、アイ=ファも低い声で言葉をはさんでくる。


「忘れたか? かつてのスン家の次兄と町で諍いを起こしてしまったとき、衛兵たちはスン家の言葉ばかりを重んじようとしていたではないか。そうするように命令が下されていれば、あの者たちに逆らうことは許されぬのであろう」


 それは確かにその通りなのかもしれない。

 俺は溜息をこらえつつ、もうひとつの疑念を呈してみることにした。


「そういえば、町を巡回する衛兵の数が以前より少なくなってないか? 俺がさらわれる日までは、例の野盗の騒ぎのせいでもっと大勢の衛兵たちが町を見回っていたように思うんだけど」


「ああ、その野盗を討伐するために特別な部隊が編成されたので、あまりアスタの捜索に人手を割くことはできぬのだ、と何日か前に聞かされたな。……これはまだ伝えていなかったが、お前が城下町にさらわれて以降も、森辺の民の装束を纏った野盗どもは1日置きに農園を襲っていたのだ」


「……それじゃあもしかして、いよいよジェノスの外にまで野盗の討伐隊が派遣されることになったってことなのか?」


「そこまでの詳細は聞かされておらぬが、おそらくはそういうことなのであろう」


 そのように答えるアイ=ファの表情は、やはり厳しかった。

《赤髭党》の党首ゴラムの妻、という謎の人物を追い求めて、ルウの分家の男衆たちとともにジェノスを離れたカミュア=ヨシュは、いまだに帰還していない。


 サイクレウスは、その男衆らに野盗の罪をかぶせるつもりではないのか――というのは、あくまでひとつの可能性でしかなかったが、いよいよ事態は切迫しているように感じられてならなかった。


 そんなこんなで、《玄翁亭》に到着する。

 レイナ=ルウたちは律儀に店の前で待っていてくれたので、ともに入店することになった。

 俺の護衛にはアイ=ファとシン=ルウの2名、レイナ=ルウたちの護衛には別の狩人が2名、という編成で店の中に踏み込んでいく。


「ああ、アスタ……それにルウ家の人々も、ようこそいらっしゃいました」


 受付台に控えていたネイルが、直立する。

 なんとか無表情は保っていたが、その目にはとても不安定な感情の光がくるめいていた。


「あのようなことが起きてしまったのに、再びアスタを迎え入れることができて、わたしは本当に嬉しく思っております」


「何を仰っているんですか。災いを招き寄せてしまったのは俺のほうじゃないですか」


「いえ。店に居残っていた者たちが悪漢であったと見抜けなかったのは、わたしの責任です。わたしがもっと注意していれば、あのような騒ぎも未然に防げていたはずです」


「いや、だけど――」


「アスタ。わたしはこれからもアスタと縁を繋いでいくことは可能なのでしょうか?」


 ネイルの目に、今度はとても必死そうな光が浮かび始める。


「そんなこと……俺のほうこそ愛想を尽かされていないか、それを確認させていただくために出向いてきたのですよ?」


「おお、とんでもない話です。わたしの側にアスタを拒む理由などあろうはずもありません」


 そうなのだろうか。

 自分の生命までもが危うくなってしまったというのに、そこまで俺に固執する理由こそ存在しないように思えてしまうのだが――


「もとより、わたしの店ではアスタや森辺の民に好意的な東の民のお客様が多かったので、貴族たちの暴虐に怒りこそすれ、それでこの店を忌避するような事態にはまったく至らなかったのです。わたしとて、森辺の民との縁をこのような形で失ってしまうのは本意ではありません」


 そう言って、ネイルは胸の前で指先を組み合わせた。


「それに、レイナ=ルウの作る料理も大変に好評ではありますが、やはりアスタの作る料理を求める声が絶えません。どうかこれからも変わらぬおつきあいをお願いいたします」


「本当に大丈夫なのでしょうか。今回はサイクレウスの娘が犯人でしたけど、森辺の民はサイクレウス自身ともかなり複雑な関係になってしまっているのですよ?」


「問題ありません。むしろその事実が公になってしまった以上、貴族たちも今後は迂闊な真似ができなくなるのではないでしょうか?」


 ネイルの瞳に迷いはなかった。

 俺は「ありがとうございます」と頭を下げる。


「ただ、森辺の族長たちが今日そのサイクレウスと会見する予定になっていますので、その結果が出るまでお待ちください。その後で族長たちと相談をして、俺も身の振り方を決めたいと思っています」


「わかりました。その結果を心待ちにしております」


 俺はもう1度お礼を言ってから、《玄翁亭》を辞去しようとした。

 が、もうひとつ気にかかっていた点があったのを思い出したので、それも聞いておくことにする。


「そういえば、レイナ=ルウはこちらでもタウ油を使った鍋を作っていたのですよね? タウ油はジャガルの特産品であるはずですが、東のお客様に忌避されることはなかったのでしょうか?」


「はい。東のお客様はおおらかですので、そのようなことを気にしたりはしません。もしかしたら、ジャガルの民がシムの食材を忌避する、ということはありうるのかもしれませんが」


「そうですか。それなら良かったです」


「それに、レイナ=ルウの料理にはチットの実も合うのです。あまりたくさん入れてしまうと味が壊れてしまいますが、こまかく刻んだチットの実を少しだけ入れると、東のお客様にはとても喜ばれます」


「ああ、なるほど」


 けんちん汁に近いタウ油仕立てのギバ・スープであるので、唐辛子に似たチットの実は、相性もいいかもしれない。


「それでしたら、もしも俺の商売が許されるようになったとしても、1日置きで俺とレイナ=ルウが料理を提供する、という形式でいかがでしょう?」


 そんな風に言ってから、俺は慌てて当人を振り返った。


「あ、ごめん。まずはレイナ=ルウに確認しておくべきだったよね。レイナ=ルウやルウ家にとって、宿屋に料理を卸す仕事っていうのは負担が大きいのかなあ?」


「いえ。屋台の人手さえ確保できれば、何も難しい話ではありませんが――でも、アスタが復帰されればわたしの料理などは不要になるのではないでしょうか?」


 レイナ=ルウは、きょとんとしてしまっていた。

 ララ=ルウは、けげんそうに眉をひそめている。


「いや、異国生まれの俺ではなく、生粋の森辺の民であるレイナ=ルウたちが直接宿場町の人たちと縁を繋いでいくっていうのは、とても意義のあることだと思うんだよね。……それにこれは、レイナ=ルウにとってもかまど番としての腕をあげる好機なんじゃないのかな」


「そうですね。アスタの言うことは、わたしにはとてもよくわかります」


 異文化交流に熱心なネイルが、そのように賛同の声をあげてくれた。

 レイナ=ルウはしばらく俺の言葉を噛みしめるようにうつむいてから、やがて言った。


「わかりました。ドンダ父さんにも相談してみます。あの……アスタ……」


 と、ちょっと迷ったそぶりを見せてから、レイナ=ルウが俺の手をぎゅっと握りしめてくる。


「ありがとうございます。……アスタの気持ちや考えをきちんと理解しきれているのかはわからないのですが……わたしは何だか、とても誇らしい気持ちを得ることがかないました」


 それはたぶん、どこにも誤解や曲解は生じていなかったと思う。

 はっきりとそう思えるぐらい、レイナ=ルウの笑顔は澄みわたっていた。


 かつてはどのように扱っていいかもわからないぐらい持てあましてしまっていたレイナ=ルウであるのだが、こと料理を通じて縁を深める際には、俺も心を偽ることなく接することができるようだった。


 こういう形でなら、俺たちはおたがいの存在を励みに生きていくことも可能なのではないだろうか。


 そんな気持ちを胸に、俺は《玄翁亭》を出ることができた。


「レイナ=ルウは……ここ数日で本当に変わった気がするな」


 と、次なる目的地である《南の大樹亭》に向かいながら、アイ=ファがぽつりとつぶやく。


「何か、ミゾラの花が開いていくときのような、強い生命力を感じる。それに、その強さは……どこか、アスタにも似ているように感じられる」


「ああ、おたがいかまど番なんだから、それはやっぱり似たような強さになるんじゃないのかな」


 相変わらず馬鹿にできない洞察力を持っているなあと感心しながら俺はそのように応じたのだが、アイ=ファはちょっと不満そうに唇をとがらせていた。


「お前と似たような人間が他にも存在するというのは、私にはあまり腑に落ちないのだが。……それに、レイナ=ルウはお前ほど間が抜けていないとも思う」


「間が抜けているは余計だよ。――アイ=ファだって、他の狩人たちに負けない強さを身につけたいから頑張ってきたんだろ? レイナ=ルウは、それと同じような気持ちを俺に抱いてくれているんじゃないのかな」


「……レイナ=ルウが、お前を打倒したいと願っているということか?」


 アイ=ファの双眸が、ぎらりと光る。

 俺は苦笑して、肩をすくめてみせた。


「それは別に悪い話じゃないだろう? アイ=ファだって、ダン=ルティムやドンダ=ルウよりも力のある狩人になりたいって願っているんだろうけど、それは決して悪い感情ではないはずだ」


「…………」


「それに、そういう相手がいるからこそ、追われる側だっていっそう頑張ろうっていう気持ちになれるんだよ。きっとダン=ルティムたちだって、とてつもない力を持つアイ=ファのことを尊敬しつつも、絶対に負けるもんかって奮起してると思うぞ?」


「……なるほどな」とアイ=ファが低くつぶやく。


「それならば、まあ理解できなくもないし、アスタにとってもレイナ=ルウにとっても悪い話ではないのだなと思うこともできる」


「ああ、それならよかったよ」


「ただし、かまど番としてレイナ=ルウに負けることは許さぬぞ?」


「さて、それはどうだろう。この先、知識や経験を積んでいったらレイナ=ルウやシーラ=ルウがどれほどの腕前に仕上がるのか、はっきり言って俺には見当もつかないよ」


「気弱なことを抜かすな。許さぬと言ったら許さぬのだ」


 そう言って、アイ=ファは平常に戻していた唇をまた最上級にとがらせた。


 物々しい護衛役の狩人に取り囲まれつつ、それでも昨日までと比べたら何と平和で幸福な昼下がりだろう。

 再び雑然とした大通りに足を踏み込みながら、俺はそんな思いを改めて噛みしめることができたのだった。

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