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異世界料理道  作者: EDA
第十一章 石の館
202/1675

⑬帰還(下)

2015.6/9 更新分 2/2 2016.6/7 誤字を修正

・最終話は2話に分割しました。読み飛ばしのないようご注意ください。

・明日から書き溜め期間に入ります。なるべく早い再開を目指しますので、少々お待ちください。

「えっ! それじゃあ毎日あの人数の森辺の民が町に下りて、俺のことを捜してくれていたのか!?」


 ルウの集落の空き家にて、俺はアイ=ファにそう問い返した。

 森辺の装束に着替えたアイ=ファは、金褐色の髪をほどきながら「うむ」と、うなずく。


 ルウの本家にて、この5日間の詳細を報告したのちのことである。

 アイ=ファはとてもファの家に帰りたがっていたのだが、今日ばかりは貴族どもの襲撃に備えてルウの集落に留まるべしとドンダ=ルウに厳命されてしまったのだ。


 ルウの本家では、家を離れているダルム=ルウを除くすべての人々が勢ぞろいしており、ジバ婆さんまでもが、このような夜更けに起きてきてくれた。幼いために捜索の仕事に参加できなかったリミ=ルウなどは、ぽろぽろと涙を流しつつにこにこと笑いながら、ずっと俺のかたわらから離れようとしなかった。


 そして分家の人たちも、入れ代わり立ち代わりで本家を訪れては、名残惜しそうに帰っていき――さらにはルティムの集落からダン=ルティムまでもが押しかけてきてしまい、その後はさながら祝宴のような騒ぎになってしまったのだった。


「申し訳ありません。父ダンも本当にアスタの身を案じておりましたので――そうであるにも拘わらず、私が宿場町に下りる役を譲らなかったため、相当に鬱憤がたまってしまっていたのでしょう」


 後になって、ガズラン=ルティムがこっそりそんな裏事情を打ち明けてくれた。

 ダン=ルティムは、ジザ=ルウとともに森辺に居残って、眷族らをまとめあげる役割を果たしていたのだそうだ。


「何せ眷族の半数以上が毎日町に下りていたのですから、残される側にも大変な苦労があったのです」


 ルウの眷族の男衆は、休息の期間にある。が、そのすべてが町に下りるのはあまりに無用心であるという判断から、捜索隊には男女30名ずつのメンバーが選出されたのだそうだ。

 残された男衆は敵襲に気を払いつつ、女衆とともに日常の仕事を果たしていたのだという。


 またそこには、厳めしい男衆ばかりでは捜索の仕事も難儀である、という判断もあったらしい。

 俺の行方を捜し、悪漢どもの正体を調べあげる。その仕事を果たすには、町の人々や衛兵とも言葉を交わさなくてはならない。町の人々をできるだけ怯えさせず、なおかつ自分らの身をも守るために、男衆と女衆とがペアを組んで捜索にあたっていた、とのことである。


 当然というか何というか、その作戦を立案したのが、他ならぬガズラン=ルティムなのであった。

 そうして彼は族長ドンダ=ルウを旗印に、自らも先陣に立って宿場町を駆けずり回ってくれていたのだ。


「本当に、感謝してもし尽くせないな……」


 万感の思いを込めてそのようにつぶやくと、「何を言っているのだ」とアイ=ファがそっけなく言い捨てた。


「同胞が窮地に陥れば、力を惜しまぬのが当然であろう。まさかお前は他の同胞が同じような目にあったとき、力を惜しむつもりなのか、アスタよ」


「まさか。そんなわけないだろう?」


「だったら、そのように気に病むことはない。ただその胸の内で感謝しておけばよいのだ」


 ほどいた髪をかきあげながら、アイ=ファの面はとても静かだった。


 それにしても、60名もの森辺の民が朝から晩まで宿場町に下りていたなんて、なかなか想像し難い情景である。

 本当に、衛兵や町の人々との軋轢は大丈夫であったのだろうか。


「大事ない。もとより我々の目的は、町の治安を乱すにあらず、お前と悪漢どもの行方を捜すことのみにあったのだからな。最初の内は衛兵どもが森辺に帰れと騒いでいたが、ならばお前たちだけで本当にアスタの行方を突き止めることができるのか、とドンダ=ルウが一喝したら、そのような声もおさまった」


「うーん、なるほど……」


「それに、ルウの眷族は休息の期間にあったからな。そのあたりのことは、ガズラン=ルティムが説明をしていた。他の氏族にもアスタの身を案じる人間は多かったが、そちらは砂を噛むような思いで狩人としての仕事をやりとげていたのだ。そんな者たちの思いも背負って、自分たちは町まで下りてきているのだから、どうあっても認めていただきたい、と」


 そんな風に言ってから、アイ=ファは小さく息をついた。


「その中で、私だけが狩人としての仕事を二の次にしてしまったがな。幸いなことに、それを責めようとする者はひとりとしていなかった」


「うん、それは本当に――」


「やかましい。お前に謝られる筋合いではない。……その他の、衛兵ならぬ宿場町の民についても、2日も経てばずいぶん落ち着いたようだった。レイナ=ルウたちが変わらぬ姿で商売を続けていたことも、よい風に作用したのであろう」


「あ、最後の1日はレイナ=ルウたちだけで屋台の商売をこなしてくれたのか?」


「違う。お前がさらわれた日から、今日までずっとだ。ミャームーの料理はお前ほど巧みには作れなかったので、ぎば・ばーがーのみを売っていたそうだがな」


 俺の屋台の契約は、3日前に終了している。

 何とレイナ=ルウたちは、その翌日からミラノ=マスと新たな契約を結び、独自に『ギバ・バーガー』の販売を継続していたのだという。


 さらに驚くべきことには、ネイルやナウディスとも交渉して、宿屋の料理まで卸していた、とのことであった。

 ただし、そちらも俺の作っていた料理の再現はかなわなかったので、レイナ=ルウの得意とするタウ油仕立てのギバ・スープを作製したのだそうだ。


「アスタは必ず戻ってくる。だから、アスタの繋いだ宿場町との縁を、何とかして自分たちで繋ぎとめるのだ、と――レイナ=ルウは、そのように言っていたらしい。商売の後は、もちろん捜索の仕事を手伝ってくれてもいた」


「そうだったのか……」


「……それは私には果たせぬ仕事だ。幼げな容貌でありながら、レイナ=ルウにはそのような力が秘められていたのだな」


 立てた片膝に頬杖をつき、アイ=ファが物思わしげな口調でそう言った。


「ともあれ、私たちは城下町を除くジェノスの全土を捜索しつくした。城壁の内に踏み入るのは許さないと城下町の連中が言い張るのなら、宿場町にも農村にもトゥラン地区にも悪漢どもが潜伏している様子はない、という事実をつきつける他なかろう、というガズラン=ルティムの意見が取り入れられたのだ」


「それもすごい話だよな。60人っていうのは大した人数だけど、でも、ジェノスだって広いだろう?」


「うむ。しかし、悪漢どもは面相が割れていたし、特徴的な風貌でもあったからな。衛兵たちも、見る限りでは手抜かりなく仕事を果たしていたようなので、昨日の夜までには捜索を終えることができた。これでもう悪漢どもの行き先は城下町か、あるいはジェノスの外の町にしかない、という確証を得ることがかなったのだ」


 そう言って、アイ=ファは感情を隠したいかのように目を伏せた。

 きっと、無意識にだろう。握った拳が、当時の無念を思い出したかのように小さく震えている。


「ガズラン=ルティムの言う通り、どれほどサイクレウスがあやしくとも、その証しがない限りはこのように迂遠な道を辿る他なかった。これは森辺の民にジェノスの法を踏みにじらせようという企みなのではないか、という意見もあったしな。あるいは、あのジーダという者のように、サイクレウスや森辺の民に恨みを持つ何者かが、両者の仲を引き裂くためにこのような罠を仕組んだのではないか、という意見もあった」


 それが、蓋を開けてみればサイクレウスの娘リフレイアの仕業だったわけである。

 誰にとっても、あの幼き暴君の行動は想像の外であったわけだ。

 あまりに短絡的で無計画な企みであったゆえに、そんな愚かな真似をする人間がいるとは想像できなかった、ということなのかもしれない。


「……ともあれ、今日からは手勢の半数がジェノスの外に、残りの半数が城下町に向かう手はずになっていた。今日こそは、番兵どもが城門を通すまでは一歩も引かぬ、という意気込みでな」


 そこに、ジーダが現れたのだという。

 朝、森辺と宿場町を繋ぐ道で待ち受けていたジーダは、俺からの伝言を正しくドンダ=ルウらに伝えてくれたらしい。

 それで、居所がはっきりしたのだから問答無用で城下町に突入すべし、という意見と、あくまで法を重んじるべし、という意見で真っ二つに分かれ、その詮議をしている内に、ザッシュマが定時連絡におもむいてくれたのだそうだ。


「で、あのポルアースという貴族の登場か。あの人はいったい何者なんだろう?」


「うむ……ザッシュマなる男は、『最後の手段』などと述べていたな。カミュア=ヨシュに、どうしてもメルフリードでは力になれぬ事態に陥ったら、あの貴族を頼るべしという指示が出ていたらしい」


「え? それじゃああの御仁は、メルフリードとは別口の協力者なのか?」


「うむ。ザッシュマなる男も、あまり気が進まぬ様子ではあった。しかし、こうして無事にアスタを連れ帰ることができたのだから、それは正しき道であったのだろう」


 そんな風に述べてから、アイ=ファは少し考えこむような顔をした。


「それとたしか、あまり聞きなれぬ言葉でポルアースという貴族のことを評していたのだが、何であったかな……」


「何だろう? それはずいぶん大事なことっぽいぞ」


「ああ、思い出した」


 アイ=ファがアイ=ファらしからぬ仕草で、ぽんと手を打つ。


「ザッシュマはこのように言っていたのだ。『あの御仁は、がめつい』と。……がめついとは、己の利に走りやすいという意味であったか?」


「うん、それも普通は、金を稼ぐことに貪欲だ、という意味で使われるかな」


 しかし、あの無邪気そうな青年には似つかわしくない言葉であるように思えてしまう。

 それに、貴族が森辺の民に金品などを要求してくるだろうか?

 俺たちが準備できるていどの金額で、サイクレウスに喧嘩を売れるはずもない。いったい、かの御仁の目的は奈辺にあるのだろう。


「銅貨か。銅貨は大事でも、人の生命にはかえられん。それが大事な同胞の生命とあっては、なおさらな」


 そう言って、アイ=ファは俺のほうににじり寄ってきた。


「私が伝えるべき言葉はこれぐらいのものであろう。納得はいったか?」


「うん。まだまだ気になることはたくさんあるけど、それはまた明日にでも聞かせてもらうよ」


 俺の目の前で停止して、アイ=ファは「明日か」と首を傾げる。


「お前は明日からどうするつもりなのだ、アスタよ?」


「うーん、サイクレウスは明日の中天に申し開きの場を作る、とか言ってたよな? その結果を聞く前にあれこれ動くことはできないだろうけど、とりあえず、宿屋のご主人たちには改めておわびの言葉を届けたいかなあ」


「うむ。そのあたりのことは、まず族長らに話を通す他あるまい。……では、明日に備えてもう休むべきであろう。普段であれば、とっくに眠っている頃合いだ」


 確かに、日没の晩餐の後にひと悶着あって、そこから森辺に帰ってきて、ルウの本家でこまかい報告をして、そのまま祝宴のような騒ぎに突入して――もう日が沈んでから4、5時間は経過しているはずである。

 ここまでの夜ふかしをしたのは、森辺で暮らしてから初めてのことであったかもしれない。


「それじゃあ、寝ようか。……なあ、アイ=ファ――」


「何だ? わびの言葉なら、もう十分だぞ」


 アイ=ファは唇をとがらせながら、俺の左腕をぎゅうっと抱きすくめてきた。


「お前の身を守るのはシン=ルウたちの仕事であった。仕事を仕損じたのは、お前ではなくシン=ルウやルド=ルウたちだ」


「ああ、だけど、俺は無事に帰ってくるって約束をしてたし――」


「だから、こうして無事に帰ってきたではないか」


 そう言って、アイ=ファはますます強い力で俺の腕を圧迫してくる。


「もういいのだ。あまり私に心情を語らせるな。……気を抜くと、またぶざまな姿を見せてしまいそうになる」


 そうしてアイ=ファは俺の腕を抱いたまま壁にもたれて、なおかつ俺の肩に頭をのせてきた。


「では、眠るぞ」


「こ、こんな体勢でか?」


「今宵ばかりは、お前から身を離して眠る気にはなれん。私を心配させた罰だとでも思っておけ」


「いや、だけど……」と、俺が惑乱しつつ答えようとしたとき、アイ=ファの目がくわっと見開かれた。


「……しかしその前に、果たしておかねばならぬ仕事ができたようだな」


 アイ=ファは刀をひっつかみ、ゆらりと立ち上がった。

 その目に、激しい怒りと敵意の炎がくるめいている。


「ど、どうしたんだ? まさか――」


「客人の気配だ。決して油断するなよ、アスタ」


 アイ=ファは大股で玄関へと進み、丸まって眠っているギルルのかたわらをすりぬけて、荒っぽくかんぬきを抜き取った。

 先日のジーダが来訪した際とは比較にならぬほどの、性急な立ち居振る舞いである。


「よくもぬけぬけと私たちの前に姿を現せたものだな、痴れ者よ」


 闇の向こうへと、鋭く呼びかける。

 俺は慌ててアイ=ファに追いすがり、その肩ごしに来訪者の姿を見た。


 フードつきのマントを着込み、ひっそりと立ちつくす長身の人影――数日ぶりに見る、サンジュラの姿を。


「おひさしぶりです、アスタ」


 フードを外すと、東の血を濃く受け継ぐその容貌には珍しい栗色の長い髪と、鳶色の瞳もあらわになった。


「さぞかし、お怒りのことでしょう。衛兵の詰め所、向かう前に、一言だけご挨拶、来ました」


「衛兵の詰め所だと? 己の罪を悔いて、審判に付すというのか?」


 アイ=ファの声にはちょっと珍しいぐらいの怒気がみなぎっていた。

 それと相対するサンジュラの面には、普段通りの柔らかい微笑が浮かんでいる。


「罪……申し訳ないですが、私、法よりも大事なもの、あります。それに従ったまでなのです」


「ほざくな、痴れ者め。……お前は、アスタの信頼と友愛を裏切った」


 低い声で言いながら、アイ=ファが刀の柄を握りなおす。


「お前のような男を容易く信じてしまうアスタにも非はあるのであろう。しかし、それを裏切ったお前の罪が軽くなるわけでもない」


「恨む、かまいません。だけど私、最善の道を選んだつもりでした。ムスル、どのような手を使ってでも、アスタ、さらおうとしたでしょう。私、力を貸さなければ、もっとひどいこと、なっていたかもしれません」


「サンジュラ、あなたはサイクレウスの――もしくは、リフレイアの従者だったんですか?」


 アイ=ファが玄関口をふさぐ格好で立ちはだかっていたので、俺はその肩ごしに呼びかけるしかなかった。

 サンジュラは同じ微笑みをたたえたまま、小さくうなずく。


「そうです。私、サイクレウス、従者です。……ですが、大事なもの、リフレイアです」


「そうですか……それじゃあやっぱり俺に近づいたのも、サイクレウスの命令だったんですね」


「はい。私、10日ほど前にバナームから呼ばれました。しかし、右腕を怪我したため、アスタを見張る役、与えられたのです」


 言いながら、サンジュラは包帯に包まれた右腕をかざす。


「右腕、怪我をしていなければ、もっと乱暴な仕事、与えられていたでしょう。……だから、右腕、刀で刺しておいたのです」


「何だそれは? お前はいったい何を思って生きているのだ?」


 アイ=ファが怒った声で問い、サンジュラは笑顔でそれに答える。


「私、思うのはリフレイアのことのみです。リフレイア、望みをかなえるため、アスタにつらい思い、させてしまいました。そのことは、おわびいたします」


「どうしてですか? どうしてあなたみたいな人が、サイクレウスなんかの手下に――」


「私、サイクレウス、逆らえないのです」


 そう言って、サンジュラはふっと憂いの光を目もとに漂わせた。


「サイクレウス、この世で1番憎い、思ったこともありました。しかし、どうすることもできません。だから、私、サイクレウスを憎むのをやめて、リフレイアを愛すること、決めたのです」


 さっぱり意味がわからなかった。

 サンジュラは小さく首を振り、革のフードをかぶりなおす。


「私、ムスルとともに、審問されます。しかし、生命までは奪われないでしょう。……ですが、大きな恥をサイクレウスに与えたので、私、用無しと思われるはずです。その後、リフレイアのためにのみ、生きます」


「何なんですか? あなたの行動は全然理解できません! サイクレウスが憎いなら、とっとと縁切りしてしまえばいいじゃないですか! ジェノスを遠く離れれば、サイクレウスの手も及ばないでしょう?」


 フードの下で、やはりサンジュラは微笑んでいるようだった。

 俺の好きだった、優しそうな笑い方で。


「どうせ誰も信じないでしょうし、サイクレウスも認めないでしょうから、打ち明けます。アスタ、ひどいことをしてしまったおわびです」


 そのとき、サンジュラの周囲にふわりといくつかの人影が出現した。

 そちらには目も向けぬまま、サンジュラは静かに言う。


「私、サイクレウス、息子なのです。リフレイア、母の異なる妹なのです。……だから、縁を切ること、できないのです」


「な……」


「詰め所、向かいます。どうか、森辺の民の刃、リフレイアには向けないでください。私、森辺の民、争うつもりありません。私、あなたがたの清廉な魂、好ましいと思っています」


「……手前みたいな男に好まれたって迷惑なだけだぜ、こっちはよ」


 サンジュラの背後に立った人影が、怒りに震える声でそう言った。

 それは、ルド=ルウだった。


 さらにシン=ルウと、もうふたりの少年が夜陰に浮かびあがる。

 それはいずれも、5日前に俺を護衛してくれていたメンバーであった。


「詰め所に向かうなんて言わないでよ、ひと暴れさせてくれねーのか? 今回ばかりは、俺も腹の虫ががおさまりそうにねーんだよ」


「……私、争うつもりはありません」


 サンジュラは腰から刀を革鞘ごと引き抜くと、それをシン=ルウの足もとに放り捨てた。

 ルド=ルウ以上に双眸を怒りに燃やしながら、シン=ルウがその刀を拾いあげる。

 ルド=ルウは舌打ちしてから、地面を蹴りとばした。


「両腕を縄でくくれ。親父に面通しをしてから、詰め所に連れていく。……アスタ、アイ=ファ、悪いけどまた荷車を貸してもらうぜ?」


 そうしてサンジュラはルド=ルウらに引っ立てられて、俺たちの視界からいなくなった。

 アイ=ファは小さく息をつき、ぴしゃりと扉を叩きしめる。


「何なのだ、あの男は。やはりあのような男は、信用が置けぬ」


「ああ、だけど……」


「言うな。お前をさらった張本人である以上、あの男は敵だ」


 怒りの炎はおさまったが、まだ激しい感情を浮かべたままのアイ=ファの目が俺を見る。


「余計な情けをかけるなよ、アスタ。私たちとあの男の道は、少なくとも今はまだまったく重なっていない」


「今はまだ――か」


 それならば、アイ=ファもアイ=ファなりに思うところがあった、ということなのだろうか。

 アイ=ファは盛大に唇をとがらせて、また俺の左腕を抱きすくめてきた。


「悩むのは明日だ! 今日はもう眠る!」


「うわあっ!」


 アイ=ファがむやみに引っ張るので、そのまま床に倒れこんでしまった。

 が、アイ=ファは俺の腕を離そうとしない。

 金褐色の甘い香りのする髪が、荒々しく俺の胸にのせられる。


 アイ=ファのぬくもりと、アイ=ファの重みである。

 身体の下からは、ギバの毛皮のごわごわとした感触が伝わってくる。

 瞳に映るのは、燭台のかぼそい炎と、梁が剥き出しになった木造りの天井だ。


 俺は森辺に帰ってきたのだ、と――何回めかの強い感慨が、じんわりと身体に満ちてくる。


「私は愛すべき父を失ったが、今はこうしてアスタとともにあることができている」


 やがて、アイ=ファが激情を消した声でつぶやいた。


「だからあやつも、たとえ憎むべき父を持ってしまったとしても、愛すべき妹を見出すことができたのなら、そこまで不幸ではないはずだ」


 囁くような声で言い、アイ=ファはまぶたを閉ざしたようだった。

 そして最後に、聞こえるか聞こえないかぐらいにひそめられたその声が、俺の心臓にしみいってくる。


「人間には、寄り添う相手が必要なのだ。……それさえあれば、どのような苦境でも強く生きていくことはできよう」


 俺は「そうだな」と小声で返した。

 それから、どうしても衝動を抑えきれなくて、アイ=ファの頭に右手をぽんと置く。

 アイ=ファは心地好さそうに鼻をならすと、俺の胸もとに頬をこすりつけてきた。


 そうして俺たちの長い長い5日間は、ようやく終わりを告げたのだった。

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