表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
20/1675

⑤絆の夜

・2019.2/3 誤字を修正

「……お前はルウの家に行くつもりなのか、アスタ」


 夜である。

「明日の朝、また来ます」と頭を下げて、リミ=ルウは帰っていった。

「返事はそのときでよい」「今晩のうちに、自分も家人を説得しておく」と言い残して。


 使った食器や調理器具などを鉄鍋の中に片付ければ、あとはもう為すべき仕事もない。普段だったら、少しばかりの時間を語らい合って、眠りにつくだけであったのだが――アイ=ファはずいぶん長い時間、表情の欠落した顔で黙りこくっていた。


 俺は、この異世界の常識というやつを身につけなければならない。

 だから、この寝る前のひとときにも、アイ=ファは森辺における約束事や禁忌について、あるいは王国や神々の逸話、まだ見ぬジェノスの宿場町についてなど、実にさまざまな話を聞かせてくれたのだが、今日は何ひとつ語ろうとしなかった。


 そうして、ようやく発したのが、冒頭の言葉である。


 壁にもたれて座りこみ、その目は窓の外の暗黒に向けられたまま、俺のほうを見ようとはしない。

 かまどの火が落ちて、燭台の火だけが頼りの暗い中で、俺はその妙に冷たく見える横顔を見つめながら、静かに答えた。


「行ってやりたい――とは思ってるよ」


 ルウ家の最長老であるジバ=ルウに、俺の作った食事を恵んでやってほしい――あまりに素っ頓狂であったリミ=ルウからの申し入れだが、聞いてみると、そんなにややこしい話ではなかった。


 齢85を数えようという老婆のジバ=ルウは、老いによってほとんどの歯を失ってしまい、固形物を食べられない身の上になってしまったのだという。

 現在では、細かく刻んだギバ肉と野菜を煮汁で流しこむだけの食生活であり、その量も日に日に少なくなってきているらしい。


(……こんな泥汁みたいな代物を口の中に流し込んでまで生き永らえても、何の意味もありゃあしないよ……)


 そんな風に言いながら、毎日涙を流しているそうなのだ。

 ほんの数年前までは元気に暮らしていたのに、すっかり心まで弱り果ててしまった。

 末娘として可愛がられていたというリミ=ルウの心痛は、如何なるものであったろうか。


 その心情を思えば、行ってやりたい、とは思う。


「だけど、お前には賛成できないんだろう、アイ=ファ?」


 俺が問うと、アイ=ファはやはり感情の感じられない声で答えた。


「……森辺の民の長として君臨しているのはスンの家だが、眷族の数ではルウの家も劣ってはいない。そして、両家には先代からの確執が存在するのだ」


「確執?」


「今から20年ほど前、ルウの本家に嫁入りが決まっていた娘を、スンの人間がかどわかした。ルウの男たちは剣をもってスンの家に乗りこんだが、スン家の先代家長は、この娘こそが嫁入りを前に他家の男と不義をはたらこうとした罪人である、罪人は掟に従い我らが処断した、と言い置いて、その亡骸を突き返したらしい」


「…………」


「おそらくは、嬲りものにされる前にと、娘は自害し果てたのだろう。しかし、その証しはなかったため、ルウの男たちは呪いの言葉を吐きつつも剣を収めるしかなかった。……スンとルウが争えば、森辺を二分する大きな争いとなり、ともに滅ぶしかないだろうからな。それでもスン家が娘を返さなければ、ルウ家も剣を取っただろうが。死した人間のために剣は取れない。そうして両家は交わりを断ち、現在もなおその確執は解かれていない、というわけだ」


「胸糞の悪い話だな。スン家ってのは、ロクデナシの集まりか?」


「さてな。まあ少なくとも家長の血筋にロクな男は生まれないようだ」


 同じ面持ち、同じ口調のまま、アイ=ファが低くつぶやく。


「それで、2年前、私とディガ=スンの間に諍いが生じた時、ルウ家の家長ドンダ=ルウは、私にルウの本家への嫁入りを申し入れてきた」


「な、何だって?」


「そうすればスン家の人間も私に手を出すことはできなくなるし、出してくれば、その時こそスンの家を滅ぼしてやる、とドンダ=ルウは笑っていた。……だから私はその話を突っぱねて、ルウの家とも交わりを絶ったのだ」


「ああ……争いの火種になりたくないってのは、そういうことか」


「ルウの家の力など借りずとも、私はディガ=スンなどに屈しはしない。私は、どちらの家とも交わりを持つべきではないのだ」


「なるほど。わかったよ。だから、お前の世話になっている俺が、ルウの家に肩入れするのは、お前の立場的に喜ばしくないってことだな」


 俺は、深々と嘆息する。

 すると、アイ=ファはそっぽを向いたまま、何かを蔑むように口もとをねじ曲げた。

 それは、あまりにアイ=ファらしからぬ笑い方だった。


「しかし、それでもお前はリミ=ルウの力になりたい、などと思うのだろう? お前はそういう男だ、アスタ」


「うん? ……そりゃまあ確かにな。あのリミ=ルウって子はいい子そうだし、その婆さまに食の喜びを思い出させてあげたいっていう気持ちはあるよ」


「そうだろう。ならば、好きにするがいいさ」


「え?」


「簡単な話だ。お前がリミ=ルウとジバ=ルウを救いたいならば、この私との縁を切ればいいのだ。そして今度は、ルウの家の世話にでもなればいい。……何も難しい話ではあるまい?」


「何だよそりゃ? そんな尻軽女みたいにひょいひょい相手を変えられるかってんだ」


 今ひとつアイ=ファの真情は読み取れぬまま、俺は肩をすくめてみせる。


「俺はそこまで思い悩んでるわけじゃないよ。申し訳ないけど、リミ=ルウからの申し入れは断らせてもらうさ」


「……何?」


「どんなに可愛らしい子どもでも、リミ=ルウなんてついさっき顔を合わせたばかりの間柄だし、婆さまに至っては顔も知らないお相手だ。……冷たい人間と思われるだろうが、お前の立場を悪くしてまで、肩入れはできない」


「……何故だ?」


 ものすごい勢いで、アイ=ファが振り返ってきた。

 その顔は、激しい驚きに凍りついてしまっている。

 こいつはますますアイ=ファらしくないぞ、と思いながらも、俺はあえて深刻ぶらずにおどけた表情を作ってみせた。


「何故って、そりゃあ出会ったばかりの人間や見ず知らずの人間よりも、お前のほうが大切な存在だからだよ。……あんまり小っ恥ずかしいことを言わせんな、馬鹿」


「…………」


「何だよ? ルウ家の人間と俺が関わるのは、まずいんだろ?」


「……かりそめとはいえファの家の家人となったお前がルウの家の人間を救えば、その恩義に報いるという名目で、ドンダ=ルウが再び嫁入りの話を持ち出してくるやもしれん。そして、またもやその話を突っぱねられれば――今度こそ、家の名に泥を塗られたとして、私に怒りを向けてくるだろう」


「まったく厄介なおやっさんだな。……ちなみにそのルウの本家ってところに魅力的な殿方はいなかったのかよ? そいつはつまり、あのリミ=ルウの兄貴ってことなんだろ?」


 やっかみ半分、好奇心半分で尋ねてみたが、「私は『ギバ狩り』として生きていくと決めたのだ」という実にそっけない言葉が返ってくるばかりだった。


「女衆として草を編み、毛皮をなめし、ただ男衆の帰りを待つ生活など、性に合わん。私は『ギバ狩り』として森に生き、森に死ぬ。父親を失った時、私はそう決めたのだ」


「ふうん。綺麗な顔をしてるのに、もったいないな」


 そんな冷やかしの言葉にも乗ってこない。

 ただ、アイ=ファの瞳は正体の知れない激情によって、ゆらゆらと鬼火のようにゆらめいていた。


「何にせよ、お前が心配する必要はないよ。俺はリミ=ルウからの申し出を断るから、今まで通りのこれまで通りだ。リミ=ルウの申し出を断ったせいでルウ家の連中に逆恨みされるってこともなさそうだしな」


 リミ=ルウは、「父さんはリミ=ルウが説得するから!」とか言っていた。

 つまり、今回の申し入れはあくまでリミ=ルウ個人の希望であり、家人に話しても、あやしげなよそ者である俺に助力を請うことは反対されるであろう、という見通しであるのだ。


「……何故だ? 私と縁を切れば、お前は好きに振る舞うことができるのだぞ? だったら、好きにすればいいではないか? 私のように孤立した人間のそばにいるよりも、ルウの家を頼ることのほうが、お前にとっても望ましい道であるはずだ」


「そんなの全然、望ましくねえよ。さんざん世話になったお前とこんな形で別れることになって、見も知らぬ連中のところに転がりこむなんて、考えただけでもウンザリすらあ。……なあ、お前、さっきからずっと様子がおかしいぞ? お前はいったい、俺にどうしてほしいんだよ?」


 アイ=ファは、答えようとしなかった。

 だから、俺は立ち上がり、アイ=ファの目の前でどかりとあぐらをかいてやることにした。

 アイ=ファはその瞳に激情の火をゆらめかせたまま、すっと面を伏せてしまう。


「アイ=ファ。俺の存在なんてお前にとってはお荷物でしかないから、とっとと家から出ていってほしい――っていう話なら、俺だってそうするしかないと思うけどな。そういう話ではないんだろ? そういう話なら、そうやってハッキリ言えばいいだけのことだもんな?」


「…………」


「わけがわかんねえから、お前の考えをハッキリ言ってくれ。お前の言葉に、俺は従う。お前が一番望む通りのかたちに、俺は振る舞ってやるよ」


 アイ=ファはゆっくりと面を上げて、真正面から俺を見た。

 その青い瞳に激情の火を宿したまま――

 アイ=ファの目が、少しだけ濡れていた。


「……私の父親であるギル=ファが死んだのは、今から2年前のことだ」


 その桜色をした唇が、静かに言葉をつむいでいく。


「それまでは、私もリミ=ルウとは親しくしていた。ルウの家とは交流などなかったが、リミ=ルウを可愛がっていたジバ=ルウとも、幼い頃から何度となく顔を合わせていた」


「……そうなのか」


 その瞳を濡らす涙に心をかき乱されつつ、俺はそんな風に答えるしかなかった。


 アイ=ファは、少し苦しげに眉をひそめる。


「ルウの家とは、交わりを持ちたくない。だけど、リミ=ルウやジバ=ルウが悲しむのは……私も悲しい」


「だったら……俺がお前との縁を切って、お前とは何の関係もない身分としてリミ=ルウたちを助けてやるのが、お前にとっては一番望ましい道なのか?」


 言った瞬間、胸ぐらをひっつかまれた。

 青い火のような目が、食い入るように俺をにらみすえてくる。

 そして。

 その瞳にたまった涙が、すうっと音もなくなめらかな頬へと滑り落ちていった。


「私には……」と、その声も少し震えてしまっている。


「……私には、どうしたらいいのかわからない」


 どうして、わからないのだ?

 俺との縁さえ切ってしまえば、リミ=ルウたちを助けることはできる。

 ルウの家と関わりを持たず、それでも陰ながらリミ=ルウたちに力を貸したいと願うなら、もはやそれしか道はないだろう。


 でも。

 アイ=ファの指先は、しっかりと俺の胸ぐらを捕まえてしまっていた。

 まるで、この手を放したら、俺がこのまま消えてしまうのではないかと危ぶんででもいるかのように。


「そうか」と、俺はアイ=ファの肩に手を置いた。

 むきだしの肩が、なめらかな肌が、その内の熱い体温と――そして、微かな震えを伝えてくる。


 俺は思わず、その肩をぐいっと引き寄せてしまった。

 アイ=ファのほっそりとした身体が、何の抵抗もなく胸もとに倒れこんでくる。


「わからないなら、しかたがないな。まあ、俺にだって、何が一番正しい道なのかはわからないけどな」


 俺の大好きなアイ=ファの香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。

 その香りに心を満たされながら、俺は静かに語りかけてやる。


「でも、自分にとって何が一番望ましい道かってことだったら、俺にははっきりわかってる。……お前が俺の行くべき道を示してくれないなら、俺は自分で自分の望む道を選んじまうぞ?」


「…………」


「俺は、リミ=ルウの力になりたい。だけど、お前のそばを離れたくもない。だから俺は、アイ=ファの家の居候として、正々堂々、アイ=ファにとっても大事な存在であるリミ=ルウと婆さんに力を貸してやる」


 そう言って、俺はアイ=ファの複雑な形に結いあげられた金褐色の髪を、ぽんぽんと軽く叩いてやった。


「スン家とルウ家の確執だとか、そんな話はどうでもいいじゃねえか? どうしてそんな馬鹿馬鹿しい身内争いのために、大事な人間を見捨てなきゃならねえんだ? 森辺の集落の行く末なんていう重大事は、責任のある親父どもにまかせときゃいいんだよ。そんなもんのためにお前が自分の気持ちを殺すのは、間違ってる」


「…………」


「リミ=ルウたちを、助けてやろうぜ。リミ=ルウの親父が何を言ってきたってかまうもんか。これでまた嫁入り嫁入りって抜かすようなら、だったらギバより美味そうな男でも連れてきやがれって言ってやれ!」


 アイ=ファは、何も答えなかった。

 ただその指先はいつまでも俺の胸ぐらを放そうとせず、その涙はいつまでも俺のTシャツを濡らし続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ