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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
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最悪なる晩餐①異郷の森

2015.2/4 「後書き」の文章を削除いたしました。

 で、現在である。


 玲奈や消防隊員の手を振り切って、紅蓮の炎に飛びこんだはずの俺が、なぜか見知らぬ森でひとり惚けている。


 轟々と燃えさかる火の海をかきわけて、それでも俺は調理場にまで辿りつき、三徳包丁をその手に取った。

 その瞬間、ものすごい音をたてて建物が崩壊し――俺は、炎と黒煙に炙られながら、三徳包丁ごとぺしゃんこにされてしまったはずなのだ。


 それなのに、俺の身体には火傷はおろか、焦げ跡のひとつも見当たらない。

 そして手には、俺と一緒に燃え尽きたはずの三徳包丁。


「やっぱり、これは……死後の世界ってことなのかなあ」


 ためしに頬をつねってみたら、当然のごとく、痛かった。

 それはそうだろう。ここがあの世であれ何であれ、少なくとも夢や幻の類いでないことは明確なのである。


 むっとするような草いきれ。

 湿度をふくんだ、なまぬるい風。

 頬をつたう汗の感触。

 朴の白鞘のなめらかな手触り。


 これが夢や幻であるはずがない。


「それじゃあやっぱり、俺は死んじまったのかあ!」


 誰にともなくわめき散らしながら、俺はもう一度、大の字に寝転んだ。

 死んでしまったのは、しかたがない。あんな火の海に飛びこんで助かる道理はないのだから。


 しかし――看過できないこともある。

 あんな馬鹿な真似をしてしまったのは、親父の絶望する姿を見たくなかったからだ。

 なのに、三徳包丁を守りきれなかったあげく、俺まで死んでしまったら、駄目だろう。


 10年前に、病気で女房を失って。

 店を失って。

 息子を失って。

 あげくに、『榊屋』の三徳包丁まで失ってしまったら――この先、親父は何をよすがに生きていけばいいのだ?


 俺は木鞘に包まれた三徳包丁を両手で握りしめながら、固く目をつぶり、奥歯を噛みしめた。

 そうでもしないと、ぶざまに泣き崩れてしまいそうだった。


(玲奈のやつも、泣きわめいてるだろうな……)


 幼馴染の子どもっぽい顔が、脳裏に浮かぶ。

 土曜の夜の稼ぎ時なんかは、気持ちばかりのバイト代だけで毎週手伝いに来てくれた。

 俺の料理の試食なんかにも、文句を言わずにつきあってくれた。

 学校の勉強なんかでも、さんざん世話をかけさせてしまった。

 そんな玲奈とも、親父とも、もう二度と会うことはなく――そして、『つるみ屋』は燃えてしまった。


(……俺の人生って、何だったんだ?)


 そんな風に考えたとき。

 かたわらの茂みが、ガサリと鳴った。

 それに続いて、ブルルルル……という、聞き間違えようもない、獣のうなり声。


 俺はその場に横たわったまま、そろそろとそちらに目線を向ける。


 茂みの向こうの、薄闇に。

 赤い眼光が双つ、燃えていた。


(何だよ……鬼か悪魔の登場か?)


 南国の楽園みたいな情景であるのに、ここは天国ではなく地獄だったのだろうか。

 そう思わざるを得ないぐらい、そいつの双眸は敵意に燃えさかっていた。


(勘弁してくれよ。そこまで現世で悪行をはたらいた覚えはねえぞ?)


 なるべくそいつを刺激しないように、俺はゆっくり身を起こす。

 そんなに背の大きいやつではないようだ。眼光の位置は、人間の子どもより低い。

 しかし、薄闇の向こうから伝わってくる圧迫感は尋常でなく、風に乗って野生の動物のにおいも強く漂ってきた。


 俺は片膝立ちになり、いつでも走りだせるように体勢を整える。

 すると――そいつが、のそりと姿を現した。


(うわ……)


 イノシシだ。

 あるいは、イノシシによく似た、何かだ。

 そいつは90キロ級の巨体を有した、イノシシそっくりの四足獣だった。


 針金みたいに固そうな毛皮はほとんど真っ黒に近いぐらいの黒褐色で、頭頂部から背中にかけて、モヒカンみたいなたてがみを生やしている。

 四肢は短く、腿だけがやたらと太い。

 潰れた鼻面に、2本の鋭い牙。

 顔の横側についた小さな目。

 ずんぐりとした、丸っこい巨体。


 見れば見るほど、イノシシにそっくりだ。

 だけどやっぱり、イノシシではありえない。


 何故ならば。

 そいつの額には、まるで下顎から生えた牙と対になるような格好で、2本の白い角が隆々と生えのびていたからである。


「……うわあっ!」


 そいつが後ろ足で地面を蹴る姿を尻目に、俺は脱兎のごとく駆け出した。


 俺の知っているイノシシならば、時速40km以上で走る個体も存在するらしいが、こいつはどうなのだろう?

 俺の知っているイノシシならば、雑食とはいえ生き餌を喰らう習性はないはずなのだが、こいつはどうなのだろう?


 そんなようなことを頭の片隅で考えつつ、俺は必死に逃げまどった。

 生きていた間もさんざん走り回されたのに、死んだ後にまで走り回されるのか。


 すでに死んでいるなら何も怖れることはないのかもしれないが、あの鋭い爪や牙で突かれるのは、自分で頬をひねるよりは痛いだろう。

 だから俺は、必死に逃げまどった。


 後ろを振り返るゆとりなどあらばこそ、茂みを飛びこえ、枝葉をかきわけ、大樹の間をすりぬけて、とにかく走る。


 走って走って、走りまくって――そうして最後に、すっ転んだ。


「おわあっ!」


 下生えの草に隠されていた蔓草か何かに足を取られて、頭から地面にダイブしてしまったのだ。


 三徳包丁を握りしめたままだった俺は、なんとか左腕一本で受け身を取ろうとした。

 できれば倒れこんだりはせず、手をついて、すぐに立ち上がり、この勢いのまま、走りぬける!

 瞬間的にそう計算して、俺はせまりくる地面に左手をついた。


 すると。

 地面は、ぼこりと底が抜けてしまい。

 俺は、奈落の底へと墜落することになった。

 世界が、ぐるぐると回転する。

 頭やら背中やらをあちこちぶつけながら、やがて俺は奈落の底に到着した。


「いってえ……何なんだよ、これは!」


 何なんだもへったくれもない。どう考えても、人為的な落とし穴だ。

 しかもけっこうな力作である。

 穴の底にへたりこんだまま頭上を見上げやってみると、地表まで3メートルぐらいはありそうだった。

 広さのほうは、ぎりぎり両腕を伸ばせるぐらいだ。


「悪ふざけが過ぎるぜ、まったく……」


 幸いその内部は柔らかい黒土で形成されていたので、あちこちにぶつけた頭や背中に異常は見られない。三徳包丁にも異常はない。ただし、料理人の誇りたる白装束は土まみれだ。


「あの世だか何だか知らないけど、これじゃあこっちの身がもたない……」と、立ち上がりかけたところで、右の足首に鈍痛が跳ねあがる。

 頭や背中に怪我はなかったが、どこかで足首をひねってしまったらしい。


 土の壁に手をついて、そろそろと立ち上がる。

 体重をかけると――ズキリと痛む。


「おいおい、冗談じゃねえぞ」


 土を払った三徳包丁を上衣の胸もとに差しこみつつ、俺はあらためて頭上を見やる。


 丸く切り取られた森の影。

 木漏れ日がキラキラと瞬いているが、何だかさっきよりも明度が減退してしまっている。

 夜の訪れが、近いのだろう。


「おーい! 誰かいないかあ!?」


 声はむなしく響くばかり。救世主もイノシシモドキも姿を現さない。

 この足では、さわっただけでボロボロと崩れてくる土の壁を這い登ることも不可能だ。


 俺はがっくりと肩を落とし、ついでにそのまま腰も降ろした。


「こんなところで、夜明かしかよ……」


 わけもわからぬまま密林の奥地に放り出されて、正体不明の動物に追い回されて、最終的には落とし穴の底へ。足首捻挫のおまけつき。


 まったくもって、最悪だ。

 最悪すぎて、笑えてくる。


「いや、笑えねえよ!」


 笑えないから、怒ってみた。


「くそっ! 神だか悪魔だか知らねえけど、俺が何をしたってんだよ!? 俺の人生は、そんなに間違ってたってのか!? そりゃあ他人に自慢できるような死に様ではなかったかもしれないけど、こんな陰湿な罰ゲームを食らわされる覚えはねえぞ! 文句があるなら、もっと景気のいい地獄にでも突き落としてみやがれ!」


「……ずいぶんやかましい男だな」


 金属バットで後頭部を殴打されるぐらい、驚いた。


 なんと、ほんのついさっきまで確かに無人であった丸い空に、ひょっこりと黒い人影が出現していたのである。


「……そんなところで何を騒いでいるのだ、お前は?」


 男みたいな口調だが、まだ若い女の子の声である。

 ちょいとハスキーで、ぶっきらぼうだが耳には心地好い声だ。

 木漏れ日が逆光になっているため、どんな姿をしているかまでは見て取れない。


 それではこの世界にもちゃんと人間は存在するのだなと胸をなでおろしつつ、とにもかくにも返事を返した。


「見ての通り、落とし穴なんぞにはまっちまったんだよ。どこの誰だか知らないけど、まったくひどい悪ふざけだよなあ」


 しばらくの沈黙の後、いっそう非好意的な響きをおびた女の子の声が降ってくる。


「……これは、私が仕掛けた罠だ」


「え?」


「ギバを捕らえるための罠であったのに、人間なんかでは腹もふくれない。いったい私がどれだけの苦労をしてこの罠を仕掛けたと思っているのだ、お前は?」


「ええ? いやあ、まあ……どうもすみませんでした? あれえ? これって俺が謝る立場なのかなあ?」


「…………」


「うん。でもまあ、これだけの力作を台無しにしちまったのは悪かった。謝るよ。謝るから、ここを出るのに手を貸してくれないか?」


「……これぐらいの高さなら、自力で登ることも可能だろう」


 すっとその人影が引っ込みそうになったので、俺は慌てて言葉を重ねる。


「いや! 実は落ちた拍子に足首をひねっちまったんだよ! そんな大した怪我ではないと思うけど、自力で脱出するのは無理そうなんだ。悪いけど、力を貸してくれ」


「……知るか。勝手に野垂れ死ね」


 黒い人影が、フレームアウトする。


「ちょっと! それは薄情すぎるだろ! おーい、助けてくれってば!」


 返事は、なし。

 まさか、本当に見捨てる気か?


「おーい! 頼むよ! このままじゃ本当に飢え死にしちまうよ! 人の心があるなら戻ってこーい!」


「……やかましい男だな」


 姿は見えぬまま、娘さんの声だけが響く。

 そして、俺の目の前にひょろりと奇妙な物体が垂れ下がってきた。

 密林のあちこちにはびこっていた、蔓草だ。

 五本ぐらいの蔓草がたばになっていて、試しに引っ張ってみると、十分な手応えが指先に返ってきた。


「……とっとと上がってこい」


 何だ、最初から助けてくれるつもりだったのか。

 まったく人の悪い娘さんだ。これが世に言うツンデレとかいうやつなのだろうか?

 何にせよ、人の情けが身にしみる。こんなわけのわからない状況下においては、その有り難さもひとしおだ。上に登ったら誠心誠意お礼を述べさせていただこう、とか考えながら、俺は壁面に足をかけた。


 ひねった足首はまだズキズキと痛んでいたが、我慢がきかないほどではない。ボロボロと瓦解する黒土にも難渋しながら、俺は必死に壁面を這い上がる。


(だけど……ますますわけのわからない状況になってきたなあ)


 地獄なら地獄で、窮地を救ってくれる救世主が登場するなんてのもおかしな話だ。俺の五感に伝わってくるのも生前と変わらぬリアリティをともなったそれであるし、自分が死んでしまったという実感がまったく得られない。


(ま、なるようにしか、ならないか)と、最後の力を振り絞って、地表にもがき出る。

 落とし穴を、無事脱出だ。


「あいててて……どうもありがとうな。助かったよ」


 草むらにへたりこんだまま、救世主たる娘さんに頭を下げる。

 仁王立ちで俺のことを待ちかまえていた娘さんは、無言のまま、その手に持っていたものを俺の鼻先に突きつけてきた。


 それは、銀色に光る蛮刀の切っ先だった。

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マジでおっとさんその後どうなってしまったんだ?
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