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異世界料理道  作者: EDA
第十一章 石の館
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⑧試練の日々

2015.6/5 更新分 1/1 ・2018.7/14 誤字を修正

 午後である。

 晩餐における食材の指定は「キミュスの肉と卵」であった。


 卵なら、カロンの乳よりは選択肢も広がる。

 俺はいくつかの料理からオムレツと親子丼に候補をしぼり、最終的には前者を選ぶことにした。


 この厨房の品揃えであれば親子丼の具の作製も難しくはないが、米がなければ丼物としては成立しない。普通に具だけを主菜として皿に盛りつければ何の問題もないとしても、やはり俺としてはあえてそこに踏み切る気持ちにはなれなかったのであった。


 そんなわけで、キミュスのオムレツだ。

 これも、肉とアリアと乳脂があれば、簡単に作製することができる。挽き肉たっぷりの肉オムレツである。


 逆に、これでは簡単すぎる気がした。

 よって、ソースのほうで趣向を凝らすことにした。

 タラパソースとホワイトソースの2種で味わっていただこうと思いついたのだ。


 ホワイトソースは、昨日と同じ手順でいける。

 なので、タラパソースの作製に時間と労力を注ぐことにした。


 タラパソースといっても、ケチャップの味に寄せては、ホワイトソースと調和しない。

 よって、デミグラスソースやブラウンソースに寄せるのが今回の試みであった。


 まずはフワノの粉を乳脂で炒めて、ルーを作製する。

 ホワイトソースと異なり、フワノが茶色くなるまでしっかりと火を通す。

 それをいったん冷ましている間に、ルーを伸ばす出汁の作製だ。


 タラパはできるだけこまかく刻み、アリアは金おろしですりおろす。

 それらを果実酒と一緒に煮込みながら、塩と砂糖とピコの葉とブイヨンもどきで味を作る。


 少し迷ったが、水分の補充にはカロンの乳を使ってみた。

 ここの食糧庫に備えられていたタラパは宿場町で購入するものよりもうんと甘みが強かったが、それでももっと酸味を抑える必要にかられたのだ。


 かなりまろやかに仕上がったタラパ主体の出汁で、さきほどのルーを伸ばしていく。

 外見もかなりブラウンソースに近い赤褐色になってきた。


 味見してみると、酸味もほどよく、なかなかの出来栄えである。

 やはり、ブイヨンもどきの恩恵はあらたかだ。こいつを投入するだけで、味の深みとコクが全然違ってくる。


(あんまりこいつに頼りすぎたら、宿場町での仕事に支障が出そうだよな)


 肉と骨がらと野菜を煮詰めて作製される、ブイヨンもどき。

 これはかなり魅力的な調味料であったが、森辺や宿場町で再現するにはかなり困難であるはずだった。

 まず材料費が半端ではないだろうし、それに煮込む時間と薪を集める労力を考えると、とうてい商売では扱えないと思う。


(だけど、ギバの骨がらだったらいくらでも手に入るんだ。女衆の手が余っている家に手伝ってもらえれば、これに近いものを作りあげることはできるかもしれない)


 これも心のメモ帳に書き留めておくことにする。


 カロンの乳を宿場町でも買いつけることは可能であるか。

 それを自分たちで乳脂や乾酪に加工することは可能であるか。

 キミュスとトトスの卵の値段は如何ほどであり、商売で使えるほどの量は生産されているのか。また、生産されているとして、今のところ宿屋の厨房でそれを見かけないのは何故なのか。

 そして、レテンの油、ママリアの酢、ジャガル産の砂糖、蜜などの流通経路はどのようになっており、値段は如何ほどであるのか。


 わずか24時間ていどで、すでにそれだけの要項がピックアップされてしまっていた。


(貴族たちだけに美味い料理を独占させておく理由はない。何とかしてこの災いを少しでも福に変えてやる)


 そんなことを考えながら、俺はいよいよオムレツの作製に取りかかった。

 こちらは、いたってシンプルである。

 キミュスの胸肉をこまかく挽いて、アリアとネェノンとプラのみじん切りとともに炒める。味付けは、やはり塩とピコの葉とブイヨンもどきと果実酒だ。


 そいつが完成したら、フライパンのごとき柄付きの平鍋に、溶いた卵を流し込む。卵には少量のカロン乳を混ぜておき、焼くのに使う油は、乳脂だ。

 キミュスの卵は生食も可能であるとのことであったので、ふわふわとろとろの半熟に仕上げることにした。


 フライパンに広げた卵がゆるめの段階で具材を手前に投入し、奥側の生地を折りながら裏返して包み込んでいく。

《つるみ屋》ではオムライスも扱っていたので、このあたりの作業はお手のものである。


 完成品を皿に移したら、左右にそれぞれタラパソースとホワイトソースを――というところで、毒見のことを思い出した。

 ソースをかけた後に毒見をされたら、見栄えが無茶苦茶になってしまう。

 これはフワノ・ケーキと同じように、ソースも別の器で提供するほうが賢明であるようだった。


「出来上がりました。毒見をお願いします」


 ロイの手によって、3つのオムレツの右端がそれぞれ切り取られて、2種のソースがかけられる。

 それを口に運んだシフォン=チェルは、また「ああ……」と切なげに吐息を漏らした。


「もはや言葉もありません……アスタ様の作る料理はどれも不思議で……どれも美味ですね……」


 姫君やディアルらの食する姿を見ることのできない俺にとっては、シフォン=チェルの評価がすべてであった。


 しかし、また思う。フワノ・ケーキでもこのオムレツでも、常にどこかしらが毒見のために切り取られた料理を食することになるリフレイアの心境とは、いったいどのようなものであるのだろうか、と。

 なおかつ、客人や父親がいない日などは、それをひとりで食することになるわけである。


 たったひとりのために作られた、毒見の必要な高級料理。

 どんなに上等な食材が使われていても、どんなに高名な料理人が作ったものでも、それは本当に美味なる料理といえるものなのだろうか。


(……確かにまあ、貴族っていっても良いことばかりではないんだろうな)


 ともあれ、本日の晩餐も小姓たちの手によって粛々と運ばれていった。


 その際に、もう1度リフレイアに面会させてはもらえないかと見張りの兵士に頼みこんだのだが、日没の後に届けられた返答は「否」であった。


「今日の料理も悪くはなかった。さらに懸命に励めば約束通りに褒美を取らせて、5日が経つ前に家にも帰してやろう、とのことだ」


「だけど、俺にも自分の生活というものがあるんですよ! 何だったら、数日間は宿場町での仕事を休んでこちらに通えるよう手配しますから、森辺の民と和解した上で、俺に料理を作らせていただけませんか?」


 そのように訴えても、やはり「否」としか返ってこなかった。


 さらに、ズタズタに引き裂いたカーテンは俺が厨にこもっている間に小姓たちの手によって片付けられ、ついでに窓にかかっていた分もすべて撤去されてしまったため、その日以降はディアルと連絡を取る手段も絶たれてしまったのだった。


(けっきょく、料理を作り続けるしか手はないのか……)


 自分はどこで道を踏み外してしまったのだろう、という思いを胸に、俺はその日も孤独な夜を迎えることになった。


              ◇


 明けて、白の月の7日。


 日中の軽食では、「ミンミの実を使うべし」という指示をいただいた。

 これは完全に未知なる食材であった。


 テニスボールぐらいの大きさの実に、1センチぐらいの長さの肌色の毛がもっさりと生えた、何とも奇怪な形状の果実である。

 聞くと、ジャガルでも相当な南方から取り寄せられている、非常に希少な食材であるらしい。


 いったいどのような食材であるのかと、おそるおそるその不気味な表皮を剥いてみると、中からは瑞々しいピンク色の果肉が現れた。

 ふわりと漂う香りからしてもう甘く、食してみると、かなり桃に近い味わいである。


 酸味などは一切なく、ひたすらまろやかに甘い。

 水分が多いのも桃と一緒で、かじると蜜のように濃厚な果汁が滴った。


(美味しい果実はそのまま食べるのが1番だと思うんだけどなあ)


 内心でぼやきつつ、少量のサンプルで色々と試させていただいた。

 潰して砂糖を加えるだけでも十分に優秀なソースとして機能していたが、最終的にはやはり食感を考慮し、潰したものを煮詰めて、砂糖と蜜を加え、そしてアルコールを飛ばした果実酒もほんのちょっぴりだけ加えて、それで完成とすることにした。


 ただし本日は、昨晩の内に仕込んでおいたカロン乳も存在する。

 一晩放置したカロン乳は、鍋の中で見事に水分と脂肪分とに分離していた。


 鍋の表面に、色合いまでもが凝縮されたかのような乳白色のどろりとした脂肪分が浮いている。

 しかも、イメージしていたよりも大量に浮いているようだ。


 牛乳ならば、生乳でも脂肪分はせいぜい4パーセントぐらいであったはずである。それならば、2キロの乳からでも多くて80グラムていどの脂肪分しか採取できない計算になるが、余裕でその倍ぐらいはありそうだった。


(水牛なんかの乳はちょうど牛乳の倍ぐらいの脂肪分が含まれてるんだっけ。そういえばカロンの乾酪はモッツァレラチーズみたいな味わいだし、カロンの乳は水牛の乳に似てるってことなのかな)


 ともあれ、多く採取できるのに越したことはない。

 俺は可能な限り脂肪分だけを丁寧にすくいあげて、別の器に取り分けた。


 さて、机上の知識を頼りに脂肪分を抽出させたものの――我ながら、これがクリーム? と首をひねりたくなるような代物だ。

 ひたすらに白い、とろとろの液体である。


 俺はまず、そいつを小ぶりな土瓶に移し替えて、シャカシャカと上下に振り続けてみた。

 さすがにこの厨房にも、ホイッパーに類する調理器具は見当たらなかったのである。

 しかし、ホイップクリームというのは要するに空気を混ぜ合わせることであのふんわりとした質感を得られているのだろうから、それならこんなやり方でも効果が見込めるのではないかと踏んだのだ。


 こいつはまったく別の機会に仕入れた知識であるが、紅茶を美味しく入れるにはペットボトルのミネラルウォーターよりも空気の混入した水道水のほうが適している、と聞いたことがある。

 それでもミネラルウォーターを使いたい場合は、ペットボトルを激しく振って空気を混ぜ合わせるという手段が取られるらしい。


 そのあたりの知識も応用した、まあかなり行き当たりばったりのやり口だった。


(えーと、電動のハンドミキサーを使わない場合は7、8分もホイップしなくちゃならないとか玲奈のやつは言ってたよな、たしか)


 それならこのやり方では何分ぐらいが適当なのだろう。

 あまり攪拌しすぎると、それこそさらに脂肪分が分離されて乳脂ができあがってしまうことにもなるが、反面、そんな簡単に乳脂が作製できたりはしないのだろうな、とも思う。


 ということで、徹底的に攪拌することにした。

 昨日と同じようにきつい目つきで俺の作業を見守っていたロイも、さすがに呆れた顔になってしまっている。


 体感としては、間に休憩をはさみつつも、およそ10分。

 これ以上は筋肉痛を招いてしまうだろうなという頃合いで、俺は攪拌した中身を、金属製のボウルみたいな器にぶちまけてみた。


 もともとねっとりとしていたクリームが、でろでろと滴り落ちてくる。

 菜箸代わりの木の串でつついてみると、もったりと重たい感触であるものの、角が立つほどではない。半液状というのが相応しい状態だ。


 今度はそこに砂糖も加えつつ、水を張った同じ形のボウルの上に浮かべ、菜箸で攪拌してみることにした。


 たしかクリームは人肌の体温ぐらいでも融解してしまうため、冷やしておかないとすぐに元の液状に戻ってしまうのだ。

 常温の水でも、まあ気休めぐらいにはなるだろう。

 3、4分も攪拌すると、かろうじて角が立つぐらいの質感にはなった。


 昨日よりは砂糖をひかえめに作ったフワノ・ケーキで、味見をしてみる。

 まずはミンミのソースである。

 言ってみれば、これはホットケーキに桃のソースというちょっと風変わりな組み合わせであるわけだが、スイーツにこだわりのない俺としては十分に美味であると感じられた。


 即席ホイップクリームのほうは、単品だといささか物足りない。

 が、ふわりとした優しい食感は、やはりこの地では新鮮に思えるし、風味のゆたかなカロン乳が原料であるので、パナムの蜜とともに味わえばそこまでの不満はなかった。


 ということで、今日もパナムの蜜と乳脂を添えて、好きな組み合わせで味わっていただくことにした。

 毒見をしたシフォン=チェルの表情から察するに、昨日の軽食に劣る出来栄えではなかったようだ。


(砂糖やカロン乳が入手できない限り、森辺や宿場町でまともな菓子作りなんてできないもんな。リミ=ルウやターラにも食べさせてあげたいもんだけど)


 そんなことを思いながら、完成した軽食が運び出されていくのを見送って、ずっと放置されていた鍋の前に立つ。


 脂肪分を抜き取られたカロン乳の残り分である。


「さて、こいつはどうしたもんかなあ」


 俺の独り言を聞きつけて、自分の仕事に取りかかろうとしていたロイが振り返った。


「おい、処分するんなら兵士にもう1度誰かを呼ばせろ。カロンの乳は腐るとひどい臭いになるから、ちゃんと捨てる場所が決まってるんだ」


「いえ。こいつは明日や明後日ぐらいまではこのままでも腐らずに持つんですよね? だったら、何かの料理に使えないかなと思って」


「……脂を抜いた乳の搾りかすなんざを何の料理に使おうってんだよ?」


「脂を抜いても、乳にはまだまだたくさんの栄養が残されているはずですよ? 捨ててしまうのは、あまりにもったいないです」


 脂肪分を除去した乳、つまりこれは脱脂乳というものに分類されるはずだ。それを粉末状に加工したのが、いわゆる脱脂粉乳である。

 日本ではあまりイメージのよろしくない脱脂粉乳であるが、現在でもそれはスキムミルクとして、おもに菓子用の材料として販売されている。


 しかし、この世界に生乳を固形化する技術が存在するとも思えない。

 ブイヨンもどきの手順を真似ると、きっと保存のために岩塩をぶちこまなくてはならなくなるので、それもまた微妙である。


(何せ相手は生乳だもんなあ。もしかしたら、保存性の悪さから、宿場町では取り扱っていないっていう面もあるのかな)


 これは、いずれ宿場町でもカロン乳を仕入れることができる、という期待を込めた上での苦悩であった。

 冷却機器の存在しないこのジェノスでは、生乳も2、3日しか持たないらしい。それならやっぱり使い道としては乳脂および乾酪の原材料というのがメインになる。


 が、ただいま実践してみた通り、およそ2リットルのカロン乳から、せいぜい200グラム足らずの脂肪分しか抽出できなかったのだ。

 当初の見込みよりは多量であったとはいえ、9割以上が脱脂乳として残されることになるのである。

 そこにはまだ高い栄養価が含まれていると予測できるのだから、それを貴族のように惜しげもなく廃棄してしまうわけにはいかなかった。


(カロンを売りに出しているダバッグの町では、何か使い道が確立されているのかな)


 これはカロン乳の流通を探るのと同時に調査しなくてはならない項目かもしれない。

 ともあれ、今は目の前でひっそりと出番を待っている脱脂乳の取り扱いであった。


(よし、まずは普通にスープの材料として使ってみよう。あとは――玲奈がスキムミルクを使ってカスタードクリームを作ってたはずだよな。明日に備えて、それもチャレンジしてみるか)


 まさかこのような形で幼馴染の存在を頼る日が来ようとは思ってもみなかった。

 じくじくとした胸の痛みを感じつつ、2度とは会えぬであろう幼馴染に感謝の言葉を捧げさせてもらおうと思う。


            ◇


 その夜は、キミュスの肉と乾酪を所望された。

 3日連続でキミュス肉を所望するということは、きっとリフレイアにとっての好物なのだろう。


(キミュスの肉と、乾酪……チキンとチーズを使った料理、か……)


 せっかくオーブンがあるのだから、ピザの類似品でもこしらえてみようかな、とも思った。

 だが、あのような設備は森辺にも宿場町にも存在しないのだから、ここでその取り扱いを学んでも今後には活かせそうにない。


 そんなわけで、ちょっとマニアックな路線でピカタのようなものをこしらえることにした。

 ピカタとは、小麦粉と卵をまぶして肉を焼く、イタリア料理のひとつである。


 もっとも俺は、正式なイタリア料理としてのピカタは食したことがないので、親父が作っていた類似品の類似品だ。売り物ではなく夜食やまかないとして、このオリジナルピカタはときたま作られていたのである。


 家では鶏のささみを使っていたので、キミュスの胸肉を使うことにする。

 今回はあえて皮を剥ぎ、1センチていどの厚さで鮭の切り身みたいに細長く切り分けたのち、木の棒で軽く叩いておく。1名に2枚ずつを使用するので、3名分でそれを6枚だ。


 それらにピコの葉で下味をつけたら、なるべくこまかく刻んだ乾酪をどっさりとはさみこむ。

 乾酪の種類に指定はなかったので、濃厚な味をもち、どちらかといえば質感がしっかりしていて刻みやすいギャマの乾酪を使用することにした。


 それが終わったら、溶き卵の作製だ。

 こちらでは金おろしを使い、粉チーズに近いぐらいにこまかくしたカロンの乾酪を、溶いた卵に混ぜておく。

 親父から習ったピカタとは、そういうレシピであったのだが、本場のピカタではどうなのだろう。そもそもあちらでは仔牛の肉を使うのが本当である、とか聞いたような記憶がある。

 

 ともあれ、さきほどの肉に小麦粉代わりのフワノの粉をまぶし、乾酪入りの溶き卵をからめて、平鍋で焼きあげる。

 乳脂ではくどいので、ここはレテンの油でよかろう。レテンの油は、オリーブオイルを思わせる植物由来の油であった。


 これで本体は完成である。


 かけるソースは、普段から《ギバ・バーガー》で使用しているオーソドックスなタラパソースをチョイスした。

 家でも俺は、タマネギのみじん切りをたっぷり使ったトマトソースでピカタを食していたのだ。

 アリアのみじん切りをたっぷりと使い、ほのかにミャームーの香るこのタラパソースは、キミュスのピカタとも相性はばっちりだと思われる。


 主張の少ないキミュスの肉も、この料理には相応しかった。

 焼かれた卵とフワノ粉の生み出すさくりとした食感と、乾酪のねっとりとした食感がたまらない。


 これは、油と卵さえあれば宿場町でも再現できる料理であった。

 ギャマの乾酪はシムの行商人につてがなければ手に入れることはできないが、カロンの乳から乾酪を加工する道が開ければ、その点もクリアーできる。


 ギバの肉では、主張が強すぎるだろうか?

 それはそれで力強い料理に仕上がる気もする。ポーク・ピカタならぬギバ・ピカタだ。

 それをポイタンの生地で包み込めば、屋台の軽食としてもいけるかもしれない。


 本当にまた今まで通り宿場町で商売をできる日がやってくるのか――そんな不安感をねじ伏せながら、俺は料理の完成を告げた。

 しかし、やはりその日もリフレイアからの特別な感想が届けられることはなかった。


              ◇


 さらに翌日。

 白の月の8日である。

 この日は朝から姫君の不満の声が届けられることになった。


「3日連続で同じような料理を食べさせるのは許さない」と。


 要するに、フワノ・ケーキではなく別の菓子を作製せよ、ということだ。

 だから菓子作りは専門外なんだよとぼやいても、その言葉が姫君に届けられることはない。


 しかたないので、俺はクッキー作りにチャレンジすることにした。

 クッキー作りなど、それこそ玲奈が作製していた姿を横から眺めていた記憶しかない。初めて自分で手がけるレシピの再現だ。


 まずは乳脂をかき混ぜて半液状に戻したら、砂糖とフワノの粉を練り込んでいく。フワノの粉は少量ずつ、ダマにならないよう入念に混ぜながら。

 後半はカロンの乳も少しずつ投入していき、手で成形できるぐらいの固さを目安に、こねあげていく。


 これで下地は完成だ。


 フワノの粉をふった板の上にそのもってりとした生地をひろげて、さらには太めの攪拌棒を使い、そば打ちのごとく平らに伸ばしていく。

 型抜きなどはもちろん存在しなかったので、口の小さな酒杯を使って丸く切り取ったり、あとは調理刀で四角や星型のを成形してみた。

 余った生地はまた丸めた上で改めて板の上に伸ばし、限界まで型抜きしたのち、最後の残り分は手で丸く形を作る。


 ここで昨日はスルーしたオーブンの出番である。

 底部の燃料庫で火を焚くだけの簡素な作りであるので、とにかく焦がしてしまわぬよう弱火に調節する。

 使用方法は、ロイが教えてくれた。

 燃料は、ついに登場の炭である。


 その間に、残しておいた脱脂乳でカスタードクリームを作製してみることにした。


 まずはキミュスの卵黄と砂糖を混ぜ合わせて、そこにもフワノの粉を投じていく。

 あるていど混ざってきたら、そこに脱脂乳を少量ずつ投入する。

 何やらクッキー作りとよく似た作業手順である。

 やはり西洋風の菓子作りにおいては、小麦粉と牛乳と砂糖、それに卵とバターの存在が肝要なのであろう。


 こちらはあるていど生地がゆるくなるまで脱脂乳を混ぜ込んだら、鍋で火にかける。

 それなりの水分がとんで、とろみが出てきたら、完成だ。

 そこまで再現度は高くないが、とにかくカロン乳と乳脂の風味が豊かであるので、お味のほうは申し分ない。

 専門外の俺には、これが精一杯である。


 そうこうしている間に、クッキーのほうも焼けていた。

 少し冷ましてから試食してみると、実にさくさくとした食感で、こちらはある意味ではホットケーキよりも再現度は高いかもしれなかった。


 失敗に備えて多めにこしらえておいた生地も、ついでに焼きあげてしまう。

 その間には、一昨日と同じくアロウのジャムをこしらえておくことにした。

 クッキーはそのままでも美味しくいただけるので、トッピングはカスタードクリームとアロウ・ジャムの2種で十分であろう。


 かくして、任務は無事に終了である。

 失敗せずにすべてを焼きあげることができたので、ずいぶんな量になってしまった。


「まあそう簡単に傷むものではないと思うので、余ったら晩餐後のおやつにでもしてください」


 そのように伝えたが、やはりリフレイアから返事が戻ってくることはなかった。


              ◇


 さらにその夜のご要望は、「キミュスの肉を使用すれば何でもよい」だった。

 そういえば昼の注文でも、食材の指定はなかったのだ。


 名うての副料理長とやらとの味比べは継続されているのやらいないのやら、最初の夜以降はディアルと口をきく機会もなかったので、俺には何とも判別がつけられなかった。


 それにしても、「何でもよい」というのが1番に困る。

 悩んだすえに、俺は現在研究中の料理をぶつけてみることにした。

 すなわち、『キミュスのつくね』である。


 肉はキミュスの胸肉を使い、もともと漬かっていた岩塩のみの味付けでシンプルに仕上げる。

 形は平べったい棒状だ。


 ここでまた、キキの実という新顔の登場である。

 これは宿場町で見かけつつ、まだ味を試していなかった果実であった。

 人間の拳よりもひと回り小さな赤紫色の果実で、干し柿のようにしおしおの形状をしている。これは旅用の干しアリアとともに売られている携帯用の果実であるはずだった。


 日中に味を確かめてみたところ、これはほのかな甘みと強烈な酸味、そして独特の風味を有する、ちょっと梅干にも似た食材であったのである。


 聞いてみると、この干しキキというのはもともとジャガルから伝わってきた保存方法であるらしい。

 キキの実を岩塩と果実酒に漬け込んだのち、数日かけて乾燥させる。こいつをポイタン汁にぶちこんで食する旅人も少ないはないというのだから、驚きだ。

 なおかつ、酒飲みにはその漬け汁のほうも愛飲されているとのことで、ものすごく塩味がきついので、水や果汁で割って飲むらしい。


 で、この城下町の厨においては、その果実も漬け汁もいささか変わり種の調味料として活用されているそうなのである。


 表面はカラカラに乾いているが、内側にはじっとりと水分が残されている。

 それをすり潰して梅肉のディップのように仕立てあげるだけで、つくねのお供としては十分に過ぎた。《キミュスの尻尾亭》の新しい献立には是非ともつけ加えさせていただきたいと思っている。


 しかしこの場では素朴すぎるとなじられかねないので、1名につき4本ずつ焼いたつくねのそれぞれに別の味付けをほどこすことにした。


 1本は、乳脂とタウ油で焼きあげた、俺の世界で言うところのバターしょう油味。


 1本は、そろそろお馴染みになってきたホワイトソースがけ。


 そして最後の1本で、馬鹿みたいに趣向を凝らすことにした。

 とはいえ、俺の故郷においてはそこそこスタンダードであったと思える味付けである。

 すなわち、アルコールを飛ばした果実酒とタウ油をあわせて、ピコの葉、砂糖、隠し味にパナムの蜜まで使った、甘辛いつくねの照り焼きだ。


 ただし、それでは終わらせなかった。

 そのつくねの照り焼きを、俺は自家製のタルタルソースで彩ってみせたのだった。


 タルタルソースには、マヨネーズが必須だ。

 しかし、卵と酢と塩と油さえあれば、マヨネーズなどは比較的簡単に作製することができるのである。


 まずは卵黄と塩を混ぜ合わせ、最初に酢を、お次に油を加えて、ひたすら攪拌し続ける。作業工程は、それだけだ。

 ポイントは、酢を入れるところまではやはり空気を混ぜ込む意識で攪拌することであろうか。

 ホイッパーがないのでその部分だけは多少苦労したが、もともと手馴れた作業であったのでどうということはなかった。


 ただし、原材料には若干の相違が生じてしまっている。

 レテンの油というのはオリーブオイルにそっくりであったし、ママリアの酢というのはビネガーとバルサミコの中間みたいな味をしていたのである。


 また、ママリアの酢は限りなく黒に近い暗褐色をしていたので、それが卵黄との融合で暗いオレンジ色のマヨネーズになってしまった。


 しかし、出来栄えとしては悪くなかった。

 干し葡萄のようなママリア酢の風味に多少の違和感は喚起されつつも、しっかりとマヨネーズらしい味になっている。

 ママリア酢の酸味が弱めなので、なかなか柔らかい味わいだ。


 あとは茹でた卵と生のアリアをこまかく刻んで混ぜ合わせて、塩とピコの葉で味を整えれば、タルタルソースの完成である。

 そいつをつくねの照り焼きに塗って食すと、濃厚な甘辛さがタルタルソースに引きたてられて、何ともジャンクかつ豪勢な味に仕上がった。


「……これは毒見が大変ですね……」


 4種類の味付けで3名分の料理である。

 シフォン=チェルは、こぼれそうになる微笑を懸命にこらえているような表情になっていた。


 べつだん、すべてを照り焼きのタルタルソースがけにしてしまっても良かったのだ。

 しかし、昨日からひまを見つけては色々と試してみた結果、照り焼きだけがずばぬけて美味であるとは思えなかった。


 バターしょう油やホワイトソースはもちろん、干しキキのディップを塗っただけのつくねだって、十分に美味しかったのである。

 むしろ、濃厚なる照り焼きつくねを食べた後にこそ、干しキキのディップの素朴な味わいが際立つかもしれない。


 逃げ出す手段が講じられないならば、リフレイアの頑なな心を解きほぐすぐらいの料理を作るしか、自分にできることはない。そんな風に自分を焚きつけて、俺はどの料理でも可能な限りの力を振り絞ったつもりであった。


 しかしやっぱり、その日もリフレイアからは何の音沙汰もなかったし、話をさせてほしいという俺の言葉が受け入れられることもなかった。

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