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異世界料理道  作者: EDA
第十一章 石の館
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⑦フワノ・ケーキ

2015.6/4 更新分 1/1

 そうして俺は、石の館で朝を迎えることになった。

 白の月の6日である。


 本来であれば、今日が屋台の商売の、4期目の締めくくりとなるはずだった。

 仕事の後には《西風亭》まで出向いてユーミの父親と仕事の話をするはずであったのに、その約束も破ってしまうことになる。


 それに、明日からは2日間の休みをいただく日程であったので、《玄翁亭》と《南の大樹亭》には大量のギバ肉を卸す予定になっていた。

 それらの商売がどうなったのか、虜囚たる俺に知るすべはない。

 ルウ家の人々が、俺に代わってその仕事を引き受けてくれたのか――あるいはそれどころの騒ぎでなく、東奔西走しているのか。


 ネイルはきっと、衛兵にこの事件を伝えるだろう。

 しかし、それだけで捜査の手が城下町の内部にまで及ぶとは思えない。

 ここが有力貴族サイクレウスの館とあっては、なおさらだ。


 それに、この事件とサイクレウスを繋ぐ手がかりも、今のところ宿場町には存在しないのだろうと思う。

 俺と同じように、このような真似をするのはサイクレウスに違いない! と思ったところで、それを証し立てるすべはないのだ。

 また実際、それはサイクレウス本人でなくその娘のリフレイアが犯人であったのだから、よけいに事態は錯綜してしまうのではないかと思われた。


ディアルに一縷の望みを託したものの、それが実を結ぶ可能性はきわめて低いのだろうとも思う。俺個人に友好的な感情を抱いていたとしても、ディアルもまた都の倫理で動く富裕層の人間であることに間違いはないのだ。


 俺は悶々と、眠っているのだかいないのだかも判然としない半覚醒の状態で一晩を過ごすことになり、この館を脱出する方法やリフレイアを説きふせる言葉も思いつけぬまま、その朝を迎えてしまったのだった。


              ◇


「……それでは、厨に向かいましょう……」


 そんな俺に本日最初の仕事が与えられたのは、午前の三の刻の鐘とやらが打ち鳴らされてからのことだった。

 リフレイアのための軽食を作製する仕事である。


 全身全霊でシフォン=チェルの手伝いを固辞してから浴堂で身を清め、また真新しい調理着に着替えさせられ、厨に出向く。


 厨では、本日もロイがひとりで俺を待ち受けていた。


「……軽食には、パナムの蜜を使うべし、だとよ」


 ぶすっとした顔でロイはそう言った。

 昨日以上に不機嫌そうな顔であるし、俺の目を見ようとしない。シフォン=チェルにまつわる昨日の一件で恨みを買ってしまったのだろう。


「パナムの蜜って、あの甘い蜜ですよね。あの甘さを前面に押し出すような料理を所望している、ということなのでしょうか」


「……リフレイア様は、普通の料理以上に菓子が大好きなんだよ。日中の軽食は、いつも甘い菓子だ」


 顔をそむけたまま、ロイはそう言った。

 どうやらご主人の名が明かされたことは、この若者にも通達されていたらしい。


 それにしても今度は菓子作りかと、俺は閉口してしまう。


 あれこれ煩悶しつつも、俺は調理で手は抜くまいという意気込みでこの場に立っていた。

 信憑性は皆無に等しくとも、リフレイアは満足のいく料理を作れば銀貨を与えた上で解放する、と公言していたのだから、そのはかない希望の光を自分から吹き消してしまう気にはなれなかったのだ。


 が、菓子作りとなると、また話は別だった。

 手を抜く抜かないの話以前に、そのようなものは完全に専門外であったのである。


「うーん、俺はこの世界の……いや、このジェノスの菓子ってやつをひとつも知らないんですよね。フワノの生地を甘く仕上げて、蜜や果物などを添えるような感じでいいのでしょうかね?」


 これには、返事が返ってこなかった。

 昨日以上に気詰まりな雰囲気だ。

 しかたなく、俺は自分の記憶を頼りに食糧庫をあさることにした。


 新しい献立を開発するために、宿場町でもさまざまな食材を吟味した。その際に、野菜ではなく果物と呼ぶべきものが存在することも、いちおうはわきまえている。その過程で、俺はレモンに似た味わいのシールの実と出会ったのである。


 だが、さしあたってシールの実の出番はなかろう。

 俺が選んだのは、キイチゴのように小さくて真っ赤な果実がブドウのような房になっている、名も知れぬフルーツであった。


「これは何という果実なのですかね?」


「……アロウ」


 アロウの実か。

 こいつは、シールほどではないがかなりの酸味を有した果実である。イチゴとブルーベリーをあわせたような風味であり、なかなか上品な味わいではあるものの、糖度が低いのだ。


 また、宿場町でもそんなには取り扱われておらず、いつもチャッチやギーゴを購入させていただいているミシル婆さんの小さな店でひっそりと売られていたぐらいの記憶しかない。聞くところによると、これはもっぱら果実酒に混ぜて味の変化を楽しむために売られている果実であるようだった。


「フワノっていうのは、水で練ってから焼きあげるのですよね?」


 無言のまま、ロイはうなずき返してくる。

 姫君が軽食を口にするのは中天だという話であるから、作製時間はおよそ3時間。その間に、フワノを焼くという初めての仕事をやりとげなくてはならないのだ。


 胸に渦巻く虚無感をねじ伏せながら、俺はフワノの粉を適当な器に取り分けて、必要な食材とともに調理場へと持ち込んだ。


 薄力粉のようにさらさらとしたフワノの粉である。

 少しずつ水を加えてみると、確かに強い粘性をおびてきた。

 意外なことに、ポイタンの粉よりもいっそう粘性は強いようだ。まだいくぶん粉っぽい内に水の投入をやめると、ほとんど固体のまま好きなように形状を作れる、餅のような質感になった。


(これはこれで、やっぱり小麦粉とは違う食材なんだな)


 さしあたっては火が通りやすいように平べったく成形し、それをサンプルとして焼きあげてみた。

 ほんの数回だけ食べたことのある、ポイタンよりもさらにもちもちとした、密度の高いナンのような焼きフワノを、それで完成させることができた。


 この生地で、ネェノンをベースに何種類かの野菜とキミュスの肉を煮込んだ具を包み込めば、ターラと食したキミュスの肉饅頭の出来上がりである。


 しかしこれでは、菓子の名には値しない。

 そこで俺は、また遥かなる故郷の記憶を総動員させ、フワノの粉をカロンの乳で溶き、さらに砂糖とキミュスの卵も加えてみることにした。

 そして、焼く際にはカロンの乳脂を使用する。

 言わずもがな、ホットケーキになぞらえての調理法である。


 キミュスの卵に挑むのも、これが初めてのことだ。

 形状は鶏卵と大差なく、大きさはひと回り小さい。1度だけ食べたことのある烏骨鶏の卵と同じぐらいのサイズであった。

 おそるおそる割ってみると、レモン色の卵黄と透明の卵白が皿の上に落ちた。


 頭に翼を持ち、その皮は革製品に加工できるという、キミュスとはいったい如何なる動物なのであろうか。


 ともあれ、ありがたいことに俺の世界の鶏卵とそれほど違いはない食材であるようだった。

 太めの木の串があったので、それを菜箸の代わりにしてキミュスの卵を攪拌する。


(ホットケーキなんて、玲奈にせがまれて作ったとき以来だな)


 あれは中学に入学した年であっただろうか、バレンタインにホットケーキを焼きたいから作り方を教えてほしい、と幼馴染の玲奈に頼み込まれたのだ。


 そんなもん、パッケージの説明文の通りに作ればいいだけだろと諭したのだが「それで上手くいかないから頼んでるんじゃん!」と怒らせてしまった。

 しかし結局は、説明文の通りにするだけで綺麗に焼きあげることはできた。何のことはない。玲奈の火の扱いに問題があっただけであったのだ。


 で――無事にホットケーキを焼きあげることに成功した玲奈は、そいつをホイップクリームとチョコソースでデコレイトして、俺と親父にふるまってくれたわけである。


 その後は玲奈もめきめきと菓子作りの腕をあげていったので、俺や親父は食べる専門のポジションに落ち着くことができた。

 今にして思えば、どうしたって料理の腕は俺や親父に及ばなかったので、そんな俺たちが美味い美味いと喜んで食べるのが、あいつにはたいそう嬉しかったのかもしれない。


(……って、そんな追憶にひたってる場合じゃないんだよ)


 アイ=ファや森辺のみんなに思いを馳せているこの状況で玲奈や親父のことまで思い出していたら、いいかげんに心が潰されてしまいそうである。


 俺は無心に、キミュスの卵とカロンの乳とジャガル産の砂糖を混ぜ合わせたフワノをフライパンっぽい手持ち鍋で焼きあげた。


 ベーキングパウダーが存在しないので、ホットケーキほどは膨らまない。

 しかし、卵を入れないよりは柔らかい質感になり、色合いも黄色っぽく仕上がったので、パンケーキに近いビジュアルに仕立てあげることはできた。


 食してみると、何とも優しい味わいである。

 やっぱりふくらみが弱いために噛み応えがしっかりしすぎているきらいはあるが、砂糖や卵の味わいはひさびさであるし、焼くのに使った乳脂の風味も最高だ。乳脂に含まれている塩分も、この甘さを引き立てる役に立ちこそすれ、阻害するようなことは決してない。


 とりあえずは、材料の分量を少しずつ調整しながらいくつかのサンプルを焼いてみた。

 まあこれならよかろうと思える出来に仕上がったのは、およそ30分後だ。


 しかし相手は、美食にふける貴族の姫君である。

 これにパナムの蜜をかけるだけでは、いささか心もとない。


 そんなわけで、俺は確保しておいたアロウの実でジャムを作製することにした。

 ジャム作りなどは未体験であるが、煮詰めて砂糖を混ぜれば、それらしいものをでっちあげることは可能であろう。


 まずは果実を洗うべし、と小さな鉄鍋の中に水を移しながら、俺はひさびさにロイを振り返った。


「そういえば、軽食は何人分――」


 そこで口をつぐんでしまう。

 ロイが、驚くほど真剣な目つきで俺の手もとを覗きこんでいたのだ。

 が、俺の視線に気づくと、ハッとした様子で目をそらしてしまう。


「――軽食は何人分が必要なのでしょうかね?」


「……ひとり分だ」


 軽食は、リフレイアしかお召し上がりにならないのか。

 まあ、ディアルたちは商売のために館を離れているのだろう。


 それはそれとして――今の目つきは何なのだろうか?


(まあいいや。おたがい干渉しないほうが身のためだろ)


 洗い終えたアロウの実をもいで、別の鍋で煮立てることにする。

 甘酸っぱいフルーツの香りが、乳脂の香りをおしのけて厨を満たしていく。


 木べらでざくざく刻みながら攪拌し、お次は砂糖の投入だ。

 ジャガル産の砂糖は、きび砂糖のような黄褐色をしていて、上白糖よりはきめが粗く、そしてまろやかな味をしていた。

 何だかミネラル分もたっぷり含まれていそうだぞ、という豊かな甘みである。

 まあ、実際のところはどうだかわからない。


 その砂糖を少量ずつ混ぜ込んでいき、今度は入念に攪拌していく。

 途中で焦げつきそうになってしまったので、アロウの実を少しだけ追加した。


 もとの酸味がかなりきつかったので、甘めに仕上げるにはけっこうな量の砂糖を使用することになった。

 なおかつ、どこかに物足りなさが残ったので、火を止めた後にパナムの蜜も加えてみた。

 見た目もとろりと照り輝き、なかなかにいい塩梅である。

 即席のジャムとしては上出来であろう。


「よし。これで何とかなりそうです。……でも、どうせなら焼きたてを献上したいので、本番を焼きあげるのはもっと中天に近づいてからにしたいのですが」


「……そうかよ。だったら、部屋に引っ込んでな。その間は俺がこの厨を使わせてもらう」


「ああ、使用人のための食事を作るわけですか」


 そういうことなら、席を譲ろう。


「あ、その前に、明日の昼まで持ちそうなカロンの乳は、あとどれぐらい残っていますかね?」


「カロンの乳? そいつは毎朝新品に取り替えてるんだ。今この場にあるやつなら、2、3日は持つだろうさ」


「そうですか。それじゃあその内の何本かを明日のための下ごしらえで使わせてもらってもかまいませんか?」


 ロイはうろんげに俺を見た。


「勝手にしろよ。……だけど、そんなに大量の乳を何に使おうってんだ?」


「いや、明日も菓子作りを要求されるなら、さらなる彩りが必要かなと思いまして。乳脂の兄貴分みたいなやつを仕込んでおこうと思ったんですよ」


 お許しをいただけたので、俺は食糧庫に残っていた内の2本を持ってきて、その中身を鉄鍋にぶちまけさせていただいた。

 1本でも1リットル以上は詰まっていそうなので、それなりの分量だ。

 たぷたぷと波打つ白い乳に、蓋をかぶせてお別れを告げる。


「それじゃあこれは邪魔にならないよう、食糧庫のほうに保管させてください」


「……下ごしらえって、それだけかよ?」


「はい。放っておくと、水分と脂肪分が分離されるのでしょう? その脂肪分を材料にしたいんです」


 その浮いてきた脂肪分こそが、いわゆるクリームなのである。

 一般的に販売されている牛乳は脂肪分が分離しないよう精製されているが、生乳ならばこうして簡単にクリームを採取することができる。

 ちなみに、そうして採取したクリームを激しく攪拌して、さらに脂肪分を分離させると、バターを作製することも可能になるわけである。


 まあ、冷蔵庫の存在しないこのジェノスでどれほどクリームを活用できるかはわからないが、ホイップして砂糖でも混ぜれば、菓子の添え物ぐらいには仕立てあげられるだろう。


 そんなことを考えながら鉄鍋を運搬しようと手をかけたところで、ロイに詰め寄られた。


「……お前はいったい何者なんだ?」


 ロイの茶色い目が、おかしな具合にぎらぎらと光っていた。

 にきびの散った面長の顔にも、何やら必死な表情が浮かんでしまっている。


「お前みたいな小僧が、どうしてそんなに色々な調理法をわきまえているんだよ? お前は宿場町で料理人の真似事をしていた小僧にすぎないんだろ?」


「ええ。ですが、俺はもともとジェノスの生まれではないんです。それで故郷では、料理人であった親父の仕事を手伝っていたんですよ」


「……だけどお前は、小僧じゃないか! お前はいったい何歳なんだよ?」


「17です」


「17歳……そんな小僧が、どうしてあそこまでの料理を……」


 その言葉に、俺は少しだけ驚かされた。


「あの、もしかしたら俺の料理を食べたんですか?」


「……リフレイア様も客人も、みんな副料理長よりお前の料理のほうが美味かったなんて抜かしていたんだ。それで味を確かめずにいられるかよ」


 ロイは、俺の胸ぐらをつかんできそうな素振りを見せた。

 が、途中で手をひっこめて、作業台に軽く拳を打ちつける。


「料理長は、ご主人のお供でジェノス城に出向いてる。だけど副料理長だって、もともとは《セルヴァの矛槍亭》の厨を預かっていた一流の料理人なんだ。あの人がどれぐらいの腕前を持っているかは、俺たちが一番よくわかってる。……そんな副料理長よりお前のほうが上等な料理人だなんて、そんな馬鹿げた話があるかよ!」


「俺は異国の料理人です。おのずとこの国の人たちとは調理の作法が異なるので、それが珍しがられているだけなんじゃないですかね」


「ふん! シムやジャガルからも一流の料理人が呼びつけられることは少なくないんだ! それでも、そいつらの料理がそこまで褒めたたえられることはなかった。それなのに、どうしてお前は――」


「それじゃあ、たまたま俺の故郷の味が、この土地の人たちの好みと一致したんでしょう」


 それともそれは、やはり俺の世界のほうが文明が進んでいたために調理の技術も進化していた、ということなのだろうか。

 しかし、そのようなものは比較のしようもないので、すべては憶測である。


「俺だって、《白き衣の乙女亭》で修練を積んできた! 俺だって、まだ19歳なんだ! こんな若さでこの館に招かれた人間は、これまでにひとりだって存在しないんだぞ!」


「はあ……」


「だけどいまだに、俺は使用人のための料理を作ることしか許されていない。俺はまだまだ若輩者だからな。この館にいるどの料理人にも俺の腕は届いていないんだから、それは当然だ。それなのに、お前は――」


 そこで言葉を詰まらせて、ロイは深くうつむいてしまった。

 肩が、少しだけ震えている。


「……とっととその鍋を片付けろよ。目障りだ」


「はい」


 いささか呆気に取られつつ、俺は素直に従っておくことにした。

 それと同時に、厨の扉が外から開かれる。


「アスタ様、ロイ様、どうかなさいましたか……?」


「何でもねえよ! ひっこんでろ、奴隷女め!」


 シフォン=チェルの背後からは、兵士たちも鋭い視線を飛ばしてきている。また何か荒事かと彼らの警戒心をかきたててしまったのだろう。


「毒見の御用は、まだ必要ありませんでしょうか……? アスタ様の仕事が終わりましたのなら、またお部屋のほうにご案内いたしますが……」


「いえ、料理は中天ぎりぎりに仕上げる予定です。それまでは、この厨に居残らさせていただいてもかまいませんかね?」


 この言葉に、ロイがじろりとにらみつけてくる。


「あなたのお邪魔はしませんよ。でも、俺にも料理の勉強をさせてください。本来なら、俺は毎日家で勉強をする予定だったんですから」


「……勝手にしやがれ」


 ロイは怒った声で言い、ふたつの大きな鍋で同時に水を煮立て始めた。

 カロン乳の鍋を食糧庫に移動させ、いくつかの野菜と香草を調理場に持ち込みつつ、俺はその手際を盗み見る。


 ほんの少しだけ、このロイという青年の料理の腕前というやつに興味をひかれたのである。


 城下町の料理人なんて、俺には無縁の存在だ。

 この謀略から脱したのちは、2度とお目にかかることもないのだろうな、とも思う。


 だけどそれでも、このジェノスという町で料理人を続けていくならば、他の料理人たちの手練を見ることも何かの力になるはずだ。

 森辺の集落や宿場町で、城下町にも負けない料理を作りあげられるように、という――言わば敵状視察の心境である。


 そんなわけで、俺は各種の野菜や香草の調理法を研究しつつ、横目でロイの働く姿を観察し続けた。


 さすがに豪語するだけあって、野菜や肉を切る手際などは見事なものだ。

 チャッチとプラとネェノンをそれぞれこまかく切り分けていき、次々と煮立った鍋の中に放りこんでいく。

 いったい何名分なのだろう。軽食であるはずなのに、かなりの分量である。


 そこに岩塩と、ブイヨンもどきたる固形の調味料、さらには見覚えのない香草もちぎって投入する。香草は、クレソンのように野性味のある香りを放っていた。

 驚いたのは、そこに乳脂まで投入したことだった。

 手の平サイズの壺に詰まった乳脂を、ふたつの鍋に半分ずつぶちこんでいく。なかなか豪快な使用方法である。


 その後は、肉だった。

 これまた見覚えのない、たっぷりと脂ののった赤身の肉塊である。

 分量は、10キロほどもありそうだ。


「すみません。それはカロンの胴体の肉ですか?」


「……カロンの、背中の肉だ」


 カロンは牛肉に近い味わいであるから、部位的にはロースに該当するのだろうか。

 ロイはその肉塊を1センチぐらいの厚みで切り分けていくと、さらに5センチ四方ぐらいの大きさでカットしていった。


 それを、カロンの脂をひいた鉄鍋で焼きあげて、さっきのとは異なる香草を茎ごと混ぜ込んでいく。スパイシーな、ぴりりとした香りの香草だ。

 そうしてそいつが焼きあがると、香草だけは取り除き、脂や肉汁ごと野菜の鍋に投入する。


 これで終了かと思いきや、ぐらぐらと煮え立つ鉄鍋はそのままに、また食糧庫へと姿を消してしまう。

 次に現れたとき、ロイの手にはトトスの卵が2個ほど掲げられていた。

 ラグビーボールぐらいの大きさの、重さも1・5キロぐらいはありそうな巨大卵である。


 そいつを作業台の上に置き、壁から奇妙な調理器具を取り上げる。

 先端が丸くふくらんだ、金属の棒だ。

 長さは20センチほど、太さは3センチほど。俺には何に使うか見当がつかなかった器具である。


 その先端を、ごつっ、ごつっと卵のてっぺんに打ちつけていく。

 それなりの力は込められていそうなのに、卵の殻には亀裂が走るばかりだ。

 その亀裂があるていどの大きさになったところで、今度はこつこつと器具を当てていく。

 それで砕けた殻が作業台の上にこぼれ始めたが、呆れたことに、それでもその内側にある薄膜は破れてもいなかった。


 そうしててっぺんの殻が4分の1ほども除去できたら、ぶよぶよの薄膜に包丁で切れ目を入れる。

 新品の鉄鍋に、それでようやく卵の中身がぶちまけられることになった。


 鮮やかなオレンジ色に近い卵黄と、透明の卵白だ。

 その卵黄を木べらで適当に潰したら、攪拌もせずに煮立った鍋へと流し込んでいく。

 攪拌するのは、そうして鍋に投じてからだった。


 肉と、野菜と、トトスの卵。大量の乳脂と、クレソンのような香草。

 それらが渾然一体となった鍋をレードルでかき回し、小さな木匙で味を見る。

 調味料の追加は必要ないようだ。

 

 今度こそ終わりかな、と思ったら、今度はフワノの粉を大きな袋ごと運んできた。

 けっこう中身は残っていたから、10キロぐらいはあるだろう。よたよたとした足取りで、見ていて心配になってしまう。


 そいつを金属製のボウルでざくりとすくうと、水を加えて、こねあげていく。形はまん丸で、ピンポン球ぐらいの大きさだ。

 この作業も、非常に手早い。作業台の上に置かれた大きな板の上に、ものすごい量のフワノ球が並べられることになった。

 目算でおよそ200個ばかりもそいつをこしらえると、汁がはねないように気をつけながらぽいぽいと鍋に沈めていく。


 それでようやく終了のようであった。

 鍋に蓋をして、10分ばかりも待ったのち、最後にまた味を確認して、閉ざされた扉のほうを見る。


 そこで俺は、声をあげることにした。


「完成ですか? あの、よかったら俺にも味見をさせていただきたいのですが」


 彼もクリームシチューの味を確かめたというのなら、これぐらいは要求してもバチは当たるまい。

 ロイは一瞬だけ戸惑いの表情を見せてから、すぐに面を引き締めて、鍋の前から一歩引き退いた。


 俺は新品の木匙を取り、かまどの前に立つ。

 いい感じに鍋は煮えていた。


 しかし、大量の乳脂を投入されているために、攪拌したばかりだというのにもう油脂の膜が張ってしまっている。

 香りのほうも、乳脂と香草が混ざって、かなり独特だ。


 しかし、そいつを一口、試食させていただくと――なかなか悪くない味が口の中に広がった。


 自然に野菜から出る出汁と、ブイヨンもどきの旨み、そこに乳脂とクレソンみたいな香草の香りがからみあい、さらには焼いた肉の風味までもが溶けこんでいる。


 いただいたのはスープのみであったが、トトスの卵の破片もその中には混ざり込んでおり、黄身のぷちぷちとした食感と、白身のつるりとした食感が小気味よかった。


 何はともあれ、きわめて複雑な味わいである。

 だが、まったく嫌いな味ではなかった。

 ただ、これに似た料理を知らないので、味のたとえようがない。


 俺だったらもっとシンプルに仕上げるだろうな、という組み合わせではある。

 乳脂の使い方もダイナミック過ぎて、栄養の偏りが心配にならなくもない。

 だけど、決して出鱈目に組み合わされたものではないのだ、ということがひしひしと伝わってくる。


 きっとこの味を生み出すのに、使う野菜や香草の種類を厳選して、火の入れ方にも気を払い、味見に味見を重ねて完成させた――という苦心のほどが、俺にはしっかり感じられた気がしたのだ。


「美味しいですね。俺には思いつきそうにない食材の組み合わせです」


 そのように告げてみせると、ロイはずいぶんと複雑そうな表情をした。

 しかしけっきょく最後には舌打ちをして、「おい!」と扉の外に呼びかける。


「使用人のための料理が仕上がったぞ! 当番の連中を呼んでこい!」


 顔を覗かせたシフォン=ルェルが「了承いたしました……」と恭しく応じる。

 どうやらそちらの料理に毒見は必要とされていないらしい。


「……アスタ様のほうは、いかがですか……? もう中天までそれほどの時間は残されておりませんが……」


「そうですか。それではこちらも仕上げてしまいます」


 あらかじめ混ぜこんでおいた生地を、丸く平たい形に成形してフライパンに落とす。

 厚さは1センチ、直径は15センチほどのフワノ・ケーキを2枚だ。

 そいつが綺麗な黄褐色に焼きあがったら、白い陶磁の皿に重ねる。

 パナムの蜜と、アロウのジャムと、そしてバター代わりのカロンの乳脂はそれぞれ小さな銀色の器に添えて提供することにした。


「では、毒見をさせていただきます……」


 シフォン=チェルの言葉にうなずき、ロイはフワノ・ケーキを重ねたまま、端のほうを少しだけ調理刀で切り分けた。

 そいつを別の木皿に移すと、木匙で3種の添え物を塗っていく。

 何となくそれは、昨日よりも料理に対しての敬意が感じられる柔らかな手際であるように感じられてしまった。


 シフォン=チェルは、それを一片ずつ大事そうに頬張ると「ああ……」と満足げな吐息をもらす。


「とても美味です……パナムの蜜が、フワノの生地にしっとりと馴染んでいて……それに、卵の風味が素晴らしいですね……」


 よく考えれば、毎回こうして毒見の役目を果たしているシフォン=チェルは、主人たちと同じだけの種類の料理を口にしたことがある、ということになるのだ。

 たとえそれが一口ずつの毒見であったとしても、自然に舌は肥えてしまうのであろうから――そんなシフォン=チェルに賛辞の言葉をいただけるというのは、かなり栄誉なことであるのかもしれない。


「そういえば、アスタ様は昨晩から何も口にしておられないのですよね……中天の軽食はどうされますか……?」


「はい。フワノの味見でけっこうお腹もふくれてしまったので、あとは適当につまむだけでも十分です。もし許されるなら、この厨に留まって料理の勉強を続けさせてもらえませんかね?」


「おい、この時間のこの場所は俺に与えられているんだぜ?」


 感情のない声でロイが口をはさんでくる。

 もちろん彼だって、自分のための昼食を今から作製するのだろう。おそらくは、料理の勉強を進めながら。


「お邪魔はしないように気をつけますよ。でも、これだけ広い厨だったら、ふたりが同時に料理を作ることも難しくはないでしょう?」


 俺としては、あの為すべきこともない煉瓦造りの部屋に戻るぐらいだったら、1日中この厨にこもっていたい心境であった。

 せめて、解放されたのちにこの経験を少しでも活かせるようにと調理の腕でも磨いていなければ、とうていやりきれないのだ。


 ロイはものすごく不機嫌そうな表情をしながら、それでも「勝手にしろ」と言ってくれた。

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