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異世界料理道  作者: EDA
第十一章 石の館
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⑤暴君

2015.6/2 更新分 1/1

 それから夜までの時間は、俺にとって苦痛でしかなかった。


 主人が晩餐を食べ終えるまではこの屋敷に留まるべしと、また元の部屋に軟禁されることになってしまったのである。


 料理は1時間少々で完成させることができた。

 ゆえに、晩餐が始まる日没まででも、まだまだ2時間ばかりも残されていた。


 さりとて、敵陣に捕らわれた身で無聊を慰めるすべもない。

 俺はふかふかの寝台に寝そべって、ひたすら悶々と時を過ごす他なかった。


「アスタ様……何かお飲み物でもお持ちしましょうか……?」


 と、衝立から半身を覗かせたシフォン=チェルが、ひかえめに呼びかけてくる。


「いえ、けっこうです」


「そうですか……ですが、晩餐までにはまだずいぶん時間も残されておりますので、何でもご遠慮なくお申しつけください……それに応えるのが、わたくしに与えられた仕事なのですから……」


 そんなことを言いながら、シフォン=チェルはしずしずと近づいてくる。


「俺が望むのはひとつだけ、一刻も早く自分の家に戻ることだけですよ」


「……それ以外のことでしたら、何でもアスタ様の望むままですのに……」


 ぎしりと、寝台がわずかにきしむ。

 見ると、シフォン=チェルが寝台の足もとに浅く腰を載せていた。

 敷布に片方の腕をつき、くびれた腰をねじって上半身だけを俺のほうに向けている。その不思議な紫色の瞳にじいっと見つめられて、俺は思わず身体をすくませてしまった。


「そ、それじゃあ退屈しのぎに何か話してくれませんか? この屋敷や貴族様のことじゃなく、世間話でもけっこうですから」


「まあ……」と、シフォン=チェルは口もとに手をあてて微笑する。


「ですが、わたくしにはこの屋敷の外のことはわからないのです……わたくしには、屋敷を出ることは許されておりませんので……」


「だけど、あなただってこの屋敷の外から無理矢理連れてこられた身なのでしょう? 西と北の関係については、俺も今ひとつ理解が及んでいないのですけれども」


 俺は起き上がり、寝台の真ん中であぐらをかく。

 あまり心のわきたつ話題でもないが、とりとめのない想念に身をゆだねているよりは、いくらかマシかもしれない。


「ついでに言うなら、この国の奴隷制度についてもよくわかっていないんです。あなたはけっこう自由に振る舞っているように見えますけど……それでもやっぱり、奴隷なのですよね?」


「はい……幼き頃にセルヴァの兵に捕らわれて、このジェノスにまで連れてこられた身です……ですが、わたくしはどの者たちよりも早く西の言葉を覚えることができましたので、こうして屋敷の内で暮らすことが許されるようになりました……」


「本当にひどい話ですね。俺にはそれがどれぐらいひどい話なのかも、きちんとはわかっていないんでしょうけども」


「いえ……それでもこのジェノスは、平和です……きっとマヒュドラから遠く離れているせいなのでしょうね……国境では、西と北の民はおたがいを怨敵と憎しみあっておりますが……この地では、それほどひどい扱いを受けることもありません……」


 それでもレードルを投げつけられていたじゃないですか、と言いそうになったが、そんなものはひどい仕打ちにも入らないということなのだろう。

 やっぱり平和な日本で生まれ育った俺には少々荷の重すぎる話題であるようだ。


「南と東の王国も、いまだに国境では戦争を続けているんですよね。でも、このジェノスでは反目しつつも不干渉で共存できているみたいです。それなら北と西の民も、東の領土などでは共存できていたりするのでしょうかね?」


「さあ……どうなのでしょう……わたくしの故郷はシムから遠く離れていたので、わかりかねます……」


 最初の最初から思っていたことであるが、このシフォン=チェルに我が身の境遇を嘆いているような気配は微塵も感じられなかった。

 それは表面に出していないだけなのか、それとも嘆くだけの気持ちも摩滅してしまったのか、俺などにはもちろんわからない。


 ただはっきりしているのは、このいけすかない屋敷の中で1番忌憚なく言葉を交わせるのはこの女性である、ということだけだ。


「……アスタ様は、不思議な方ですわね……」


 ゆったりと微笑みながら、シフォン=チェルはそう言った。


「宿場町の民でありながら、あのように素晴らしい料理を作ることができて……西の民でありながら、わたくしなどを庇い立てしてくださり……そして、そのように優しげな面立ちをしてらっしゃるのに、ずいぶんお力も強いようです……」


「いやあ、森辺の集落では俺ぐらい非力な人間なんていないぐらいなんですけどねえ」


 しかしあのロイという若者は、そんな俺よりも数段ひ弱であるようだった。森辺での生活によって、俺にも少しは力がついてきたということなのだろうか。


「本当に不思議な方です……あと数刻でお別れとなってしまうのが心残りなほどですわ……このような気分を味わうのも、故郷を離れてからは初めてのことです……」


「……俺もあなたのことは嫌いじゃありませんよ、シフォン=チェル」


 サイクレウスが失脚したら、こういった人々も自由を得ることは可能なのであろうか。

 西と北の関係性を考えれば、それほど楽観視できる話でもないが――とりあえず、この館でこのような女性と出会ったのだという話はカミュアあたりに告げさせてもらいたいと思う。


「……そろそろ暗くなってまいりましたわね……」


 シフォン=チェルが、すうっと立ち上がる。

 そうして彼女は衝立の向こうから、炎を灯した燭台を手に戻ってきた。

 いや、燭台というか、ランタンか。金属製の手提げ式で、炎はガラスの覆いに封じこまれている。


 確かに明かり取りの小窓から差し込む陽光は、ずいぶん減じてきたように感じられた。

 いよいよ晩餐の時間が近づいてきたのだ。


 俺の料理がお気に召すのか。お気に召したとして、約束通りに俺が解放される可能性はあるのか。

 もしも解放されないとしたら――そのときこそ、俺も腕ずくでの逃走を考えなくてはならなくなるかもしれない。


(アイ=ファ……さすがにもう家に戻って、ルド=ルウたちから事情を聞いているだろうな……)


 無事に帰るという約束を果たせなかった俺のことを、アイ=ファはどれほど怒っているだろう。

 そして、どれほど悲しんでいるだろう。


 胸が苦しく、頭が重い。

 体内に生じた暗雲が、黒い濁流と化して暴れ回っているかのようだ。

 事情のわからないアイ=ファのほうがもっと苦しいのだ、という思いがなければ、俺は恥も外聞もなくわめき散らしてしまっていたかもしれなかった。


 そうして後は無言のまま、薄明かりの中で拷問のように重苦しい時間を過ごし――いいかげんに限界だ、と寝台の下に足を下ろしたところで、両開きの扉が何の前置きもなく外側から開かれた。


「ファの家のアスタ。主人が、目通りを許すとのことである」


 見張り役の兵士のひとりであった。

 許すもへったくれもあるか、と俺はその取りすました顔をにらみすえる。


「こちらに参れ。……女、お前はこの部屋に残れ」


 今度こそ、このような真似をしでかした張本人と顔を合わせることができるのだ。

 とにかく冷静に、落ち着いて対処しなければならない。

 俺はシフォン=チェルに着替えの準備だけをお願いして、再び回廊へと足を踏み出した。


(サイクレウス本人なのか、それともサイクレウスの部下か何かなのか――これでようやく、何もかもがハッキリするな)


 いくつものランタンが壁に掲げられ、それでも薄暗くて不気味な回廊を歩きながら、そのように思う。


 今回の道のりは、浴堂や調理場までよりも、うんと長かった。

 本当に、迷路のごとき様相だ。どこまで行っても煉瓦の壁と絨毯の床が続くばかりで、まったく見分けがつけられない。仮に兵士たちのスキをついて逃げ出すことがかなったとしても、外に出るどころか元の部屋に戻ることさえできそうになかった。


 螺旋階段を下らされて、延々と歩かされてから、また別の階段をのぼらされる。そうして数分ばかりも歩いたのちに、ようやくその扉が目の前に現れた。


 今までに通りすぎてきた他の扉とは明らかに造りの異なる、大きな扉だ。

 縁は金属の板で補強されており、彫刻の装飾もいっそう見事である。

 時代がかっていて、仰々しい。まるで、地獄の門の入口だ。


「ファの家のアスタをお連れしました!」


 兵士のひとりが、大声で告げる。

 それぐらい声を張り上げなければ届かないぐらい、この扉は分厚いのだろう。

 中からは、男のくぐもった声で「入れ」という声が聞こえてきた。


 重そうな扉が、兵士の手によって引き開けられる。

 とたんに、まばゆいばかりの光が回廊にあふれてきた。

 ずいぶん盛大に明かりを灯しているらしい。俺はその光に目をやられてしまわないよう半分まぶたを閉ざしながら、室の中に足を踏み込む。


 そして――その人物と相対した。


「そこで止まれ」と低い男の声が告げてくる。

 扉がゆっくりと閉ざされて、ふたりの兵士が俺の左右に立ち並んだ。


(こいつが、首謀者……?)


 俺は、ごくりと生唾を飲み下す。

 サイクレウスの容貌については、ガズラン=ルティムからあるていど聞いている。


 しかしそれは、サイクレウスではなかった。

 サイクレウスであるはずがなかった。


「我が主よ……かの者がファの家のアスタにてございます」


 低い男の声が、そう言った。

 さきほどから声をあげていたのは、その主とやらのかたわらに立ちつくしたお付きの武官に過ぎなかったのだ。


 俺の左右に控えた兵士たちよりもいっそう華美な甲冑に身を包んだ、いかにも位の高そうな男であった。

 しかし、そんな装いが似合う風貌でもない。妙にずんぐりむっくりの体格をしており、愚鈍な牛のような顔つきをしている。


 だが、そちらのほうはどうでもよかった。

 問題は、ふかふかの長椅子にだらしなく寝そべって、俺の姿をねめつけているその部屋の主――俺にこのような理不尽なる運命をもたらした張本人のほうだった。


「ふうん。何だかさえない男ね。まだまるきりの子供じゃないの」


 甲高い声で、そいつはそう言った。

 それこそ子供のようにキーが高くて、舌足らずな声だった。


 いや――

 そいつはまさしく、年端もいかない小さな女の子であったのである。


「こんな子供があんな料理を作り上げただなんて、なかなか信じられる話じゃないわね。ほんとにこいつがファの家のアスタなの?」


「はい。それは間違いありません」


 ずんぐりむっくりの兵士が陰気な声でそう答えると、その女の子は「ふうん……」と無遠慮きわまりない目つきで俺の姿を上から下まで眺め回してきた。


 見るからに傲岸で、人を見下すことになれきった目つきある。

 だけどやっぱり、そいつは小さな子供に過ぎなかった。


 年齢は10歳かそこらであろう。自堕落に寝そべっているために背丈のほうはわかりにくいが、とにかく小さくて細っこい。


 しかしそのほっそりとした身体は、フリルとリボンのみで構成されているかのような、純白のドレスに包みこまれていた。

 上半身はぴったりと身体に吸いつくようなデザインで、腰から下は大輪のようにスカートのひだが重ねられている。まるでウェディングドレスみたいに豪奢で華美な衣装である。


 その肩から腕までは象牙色の肌がむきだしで、そこには銀細工と宝石の腕飾りが光っている。

 栗色の髪を胸のあたりまで伸ばしており、頭のてっぺんにきらめくのは銀色のティアラだ。


 そんな衣装に身を包みながら、少女はだらんと長椅子に身を横たえていた。

 ふわふわのスカートも半分がたはぺしゃんこになって、台無しだ。


 貴族の、お姫様なのであろう。

 そう呼ぶに相応しい面立ちをしてもいる。


 淡い鳶色をした瞳はくっきりと大きくて、弓形の眉や、小さな鼻梁、桜のつぼみみたいな唇も造作はとても整っている。手の平で簡単に包みこめそうなぐらいに小さな顔をしており、陽にやけていない象牙色の肌はしみひとつなくすべすべである。


 しかしその女の子は、その端整なるお顔にずいぶん不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 それも、アイ=ファやララ=ルウなんかとはまったく異なる、負の感情にあふれかえった面持ちだ。


 こいつは厄介そうな相手だぞ――と、俺の頭の中で警告音が鳴る。


「……何をぶしつけにじろじろと見ているのよ?」


 その少女が、苛立たしげな声でそう言った。


「ちょっと料理の腕が立つからって、何か勘違いしてるんじゃないの? 本来であれば、あんたみたいな下賤の身分の人間がわたしの前に立つことは許されないのよ?」


 言い返してやりたい言葉は、いくらでも浮かんだ。

 しかし、迂闊なことを口に出せば、それこそ鞭で叩かれるかもしれない。そう思わせるだけの嫌な響きが、その少女の声にはたっぷりと満ち満ちていた。


「……君がこの俺をこんな場所にまで連れてこさせた張本人なのかい?」


 こんな小さな暴君をどのように扱えばよいのかもわからず、俺はなるべく柔らかい語調で、しかしまずは丁寧語などは用いずに返事をしてみせた。

 口調に関して文句はなかったようで、少女はただ小馬鹿にしきった様子で下唇をつきだす。


「今さら何を言っているのやら。……ね、あんたは何者なのよ? いったいどこの国であんな料理を作る技術を得たの? 絶対に、ジェノスの出ではないわよね?」


「俺の素性を問う前に、君の素性を聞かせてくれないかな。君はいったい何者なんだ?」


「わたしは、リフレイアよ」


 それだけ言えば十分であろうとばかりに、少女――リフレイアはさらにたたみかけてくる。


「あんな味をした料理は、これまで口にしたこともなかった。何も変わった材料は使っていないと聞いていたのに、あれは何なの? いったいどこの土地の料理なの? 見たところ、どこかの国との混血みたいだけど、シム? ジャガル? まさか、マヒュドラではないわよね?」


「俺の故郷は、この大陸の外にある島国だよ。国の名前は、日本だ」


 しょうことなしにそう答えると、「渡来の民!?」と、リフレイアは目を見開く。


「そうか、渡来の民だったのね……それなら、見たこともない料理を作れるのも納得だわ! でも、どうして渡来の民がこんな大陸のど真ん中にいるの? 渡来の民なんて、マヒュドラやシムと少しばかり商売をするだけで、すぐ海の外に帰ってしまうものなのでしょう?」


「いや、それは――」


「そもそもキミュスやカロンなんて、セルヴァとジャガルにしかいないんじゃなかったっけ? それなのに、どうしてあんな料理を作れるの? あんたみたいな子供が、どうして? あんたはいったい何者なの?」


 けっきょく最初の質問に戻ってしまった。

 いったいどうしたもんかなあと、俺はしばし態勢を整えることにする。


 その間に、室内の様子も少し観察しておくことにした。

 貴族の住居と呼ぶに相応しい、豪奢な一室である。

 広さのほうはさほどでもないが、毛足の長い絨毯ばかりでなく、壁にも幾何学模様のタペストリーが張りつけられており、無骨な煉瓦の壁もほとんど隠されてしまっている。


 少女が横たわっているのはソファベッドのような形状をした長椅子で、普通に座れば成人男子が4人ほども並べそうな大きさである。

 そして俺と主人の間には、葡萄酒色のクロスが敷かれた長大なる卓が置かれており、草かごに積まれた色とりどりの花で飾られている。


 さらに部屋の四隅には、奇妙な石像が据えられていた。

 装飾品であると同時に、魔除けの効能でもあるのだろうか。獅子の頭に人間の上半身、そして馬だか鹿だかの四肢をもあわせ持つ怪異なる半獣神の石像である。


 大理石みたいに白くなめらかな光沢を放つ石材で作られており、それぞれが剣やら槍やらを携えて部屋の中央を向いている。くわっと牙を剥いた獅子の形相や、武器をかまえた肩の筋肉、振り上げられた巨大な蹄などがなかなか荒々しい鑿づかいで彫り込まれており、今にも動きだしそうな躍動感が感じられる。


 しかし、それよりも特筆すべきは、その室の照明器具であった。


 高い天井に巨大なシャンデリアみたいなものが吊り下げられて、そこから白い日中の太陽みたいな光が部屋の隅々にまで届けられていたのだ。


 直径1メートルはあろうかという、宝冠のような形をしたシャンデリアである。

 俺の故郷であれば、そこまで驚くほどの豪奢さではない。

 しかし、この世界の文明レベルを考えれば、一驚に値するであろう。


 素材はガラスなのか水晶なのか、何十本となく灯された蝋燭の炎が透明な飾りに乱反射して、陽光のような光を生み出している。

 いったい何由来の蝋燭なのだろう。ほんのりと甘くて優しい香りが部屋には満ちている。煙も、ずいぶん少ないようだ。


「――わたしの質問に答えなさいよ。いったい何をぼけっとしているの?」


 今にも癇癪を爆発させそうな声音で、少女リフレイアに急きたてられる。


「……あまり君の好奇心を満たせるような答えはひねり出せそうにないんだよ。俺は気づいたらこの地に放り出されていたという身の上なんだから」


 言葉を選びつつ、俺はそのように答えてみせた。


「だけどとにかく俺の故郷はこの大陸にはなく、その故郷では俺ぐらいの年齢でも料理を作れる人間はたくさんいた。少し物珍しく感じられはするだろうけど、それはそれだけのことなんだ」


「……ふうん」


「それで、俺のほうの疑問には答えてもらえないのかな? いったい君は何者で、どうして俺なんかをこの屋敷に招き寄せたんだい? しかも、刀で脅すなんていう無法なやり方でさ」


 少女は、ぴたりと口を閉ざしてしまった。

 そうして、不満そうに俺の顔をにらみつけてくる。


「そっちの人――」


 と、俺は視線を長椅子のかたわらに陣取った兵士のほうに向けなおす。


「そこのあなたが俺を拉致した実行犯なんだろう? 貴族の館に仕えるあなたが、どうしてそんな無法者みたいな真似をしなくちゃならなかったんだ?」


 これは半分、かまをかけたようなものだった。

 しかし、その人物の図太い体型には見覚えがあったし、そのくぐもった声にも聞き覚えがあったのだ。


 濃い褐色の髪がもしゃもしゃと渦巻いた、黄褐色の肌の西の民である。

 不健康にむくんだ顔つきで、年齢の見当がつけにくい。ただ、むやみに力は強そうだ。


 はれぼったいまぶたの下で小さな茶色の瞳を鈍く光らせながら、その男は無言で俺を見返してくる。


「ここの館が誰の持ち物なのかは見当がついている。だけど、その主人は今ジェノスのお城で大事な会議に参加しているはずだ。その人は、君たちがこんな真似をしたっていうことをわきまえているのかい? その人は、森辺の民と悶着を起こすことは望んでいないはずなんだけれども」


「…………」


「リフレイアって言ったよね。君は――トゥラン伯サイクレウスの、何なんだ?」


 少女がむくりと起き上がった。

 フリルの塊みたいなスカートのひだが、シャンデリアの光を受けてきらきらときらめく。

 そして――少女は地団駄を踏んだ。


「お父様のことなんてどうでもいいでしょ! お父様はいないんだから、今はこのわたしがこの館の主なのよ!」


「お父様……君はサイクレウスの娘さんだったのか、リフレイア」


 まあ、もっとも無難な結論である。

 北の民を奴隷として使役している以上ここはサイクレウスの館であることに間違いはないが、サイクレウスは現在ジェノス城に詰めているはずである――という矛盾点を、これで解きほぐすことができた。


 また、サイクレウスの娘であるならば、ディアルあたりから俺の店の評判を聞く機会もあったであろう。


 俺の胸中の疑念は、これであらかた晴らされることになった。

 きっとサイクレウスは、この一件に関与していないのだ。

 そうでなくては、よりにもよって自分の不在時にこのような真似を許すはずがない。


「うん、大体の事情はわかった気がするよ。……それで君は、俺をどうするつもりなんだ? 俺が料理を作るのに手を抜いたら宿場町での商売を禁ずる、とかいう話であったみたいだけど」


「…………」


「説明した通り、俺は異国生まれの料理人なんだ。自分では精一杯の料理を作ったつもりだけど、この土地の人たちの口に合うかはわからない。それでも、手を抜いたつもりはないよ」


 俺は少なからず毒気を抜かれてしまっていたので、比較的おだやかな態度でそのように述べることができた。

 ネイルを人質に取ったことだけは許しがたいが、それでもこれが甘やかされて育った貴族の娘の好奇心だか悪戯心だかに起因する企みであったのなら、丸く収める道も存在するはずだ。


「褒美なんて望まないから、俺を家に帰してくれ。それで、今まで通りに商売も続けさせてほしい。――俺が望むのは、それだけだよ。どうかかなえてもらえないものかな?」


 リフレイアは、唇を噛んで黙りこくってしまった。

 こんな小さな女の子に、俺の店をどうこうできる権限は与えられていないと思うのだが、どうなのだろう。


 だけどまあ、その点については先延ばしでもかまわない。

 こんな馬鹿げた話で俺の屋台が取り潰されてしまったら、宿場町ではまた大変な騒ぎになってしまうはずなのである。5日後にサイクレウスやメルフリードが城から戻ってくれば、改めて交渉する機会は得られるはずだ。


 だから――家に帰してもらえれば、今はそれでいい。


「……腹立たしい男ね、あんたは」


 やがてリフレイアは、綺麗な形をした眉を険悪に寄せながらそのように言った。

 ちょっと色々と性急に発言しすぎたかなと、俺は居住まいを正す。


 しかし、リフレイアは癇癪を爆発させようとはせずに、無言でそのほっそりとした指先を卓の上に伸ばした。

 そこには小さな宝石箱のようなものが載せられており、リフレイアはその中から銀色に光る小さな金属板を取り出した。


 その金属板が、弧を描いて俺の足もとに放り捨てられる。

 それは俺も家に何枚かを保有している、ぴかぴかの銀貨であった。

 1枚で白銅貨100枚分、赤銅貨1000枚分の価値を持つ、宿場町ではまず両替屋でしかお目にかかることのない貨幣である。


「……褒美を取らせる、ということかい? だけどこれは、いくら何でも大金過ぎるよ」


 ちなみに俺が銀貨1枚分の稼ぎを得るには、余裕で4日ぐらいはかかる。現在の1日の純利益は、およそ赤銅貨250枚ていどであるのだ。

 それともここは素直に受け取って、迷惑料としてネイルにでも譲り渡すべきであろうか――


 そんなことを考えていたら、リフレイアが険悪な表情のまま、言った。


「何を言っているの? それはあんたの仕事に対する代価よ」


「代価?」


 とりあえず足もとの銀貨を拾いあげながら、俺は首を傾げてみせる。

 褒美と代価で、いったいどういう違いがあるというのだろうか。


「わたしはまだあんたの仕事をそこまで認めたわけじゃない。だから、あんたはその代価に見合った仕事を果たすのよ」


「うん? いまいち言っている意味が――」


「まずは明日の、日中の軽食ね。それでわたしを満足させることができたら、銀貨をもう1枚あげるわ」


 俺の言葉をかき消すように言い捨てると、リフレイアは突然きびすを返して俺に背を向けた。


「それじゃあわたしはもう休むから。あんたも明日に備えなさい」


「ちょっと待ってくれ! 明日の軽食って何の冗談だよ? 納得がいこうといくまいと、俺を家に帰してくれるんじゃなかったのか!?」


 リフレイアは立ち止まり、横目で険のある視線をくれてきた。


「うるさいわね。館の主はわたしなのよ。この館にいる間は、わたしの言葉に従いなさい」


「そんな無法な話はないだろう! いくら貴族の娘だからって、許されることと許されないことがあるんだぞ!」


 俺は思わず足を踏み出しそうになった。

 が、左右から兵士たちにあっさりと腕をつかまれてしまう。

 しかし、それで黙りこむわけにはいかなかった。


「それじゃあ言わせてもらうけど、こんな真似は君の父親にとっても不利益になるはずなんだ! 君の父親はジェノスの代表者として森辺の民と縁を繋いでいるんだぞ? そんな人物の娘である君がこんな真似をしでかしたら、君の父親はたいそうまずい立場に立たされることになる!」


「……うるさいって言ってるのが聞こえないの?」


「君こそ俺の話をきちんと聞いてくれよ! 話を大きくしたくなかったら、今すぐ俺を解放してくれ! 今ならまだ何とか笑い話で済ませる余地も残ってる! だけどこれ以上の罪を重ねたら――」


「わたしの父様が、まずい立場に立たされるっていうの?」


 また俺の言葉をさえぎって、リフレイアはそう言った。

 その小さくて造作の整った面には、まるで小悪魔みたいな微笑がへばりついていた。


「それはそれで面白いかもね。5日後に戻ってきたとき、あの人はどんな顔をしてわたしのことを怒るのかしら。何だかそれも楽しみになってきたわ」


「おい、ちょっと――!」


「それじゃあ、期限は5日間ね。父様は10日の朝方にでも帰ってくるはずだから、その間にわたしを心の底から満足させることのできる料理を作りなさい。そうしたら銀貨をもう1枚あげるし、5日が経つ前に家に帰してやらなくもないわ」


 そこでリフレイアはいったん言葉を切り、今度は悪戯小僧のような顔つきになった。


「……ただし、あまりにつまらない料理を作ったら、父様が何と言おうと絶対に宿場町での商売なんてさせてやらないから。それが嫌なら、せいぜい励みなさい」


「待ってくれよ、おい!」


 俺の怒号は、少女の小さな背中にはねのけられることになった。

 そうして幼き暴君は、ずんぐりむっくりの従者の手によって開かれた奥の扉の向こうへと消えていき――


 俺は左右から兵士に腕をつかまれたまま、罪もなくきらきらと輝く1枚の銀貨を手に、甚大なる怒りに打ち震えることになったのだった。

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