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異世界料理道  作者: EDA
第十一章 石の館
193/1702

④不本意なる調理

2015.6/1 更新分 1/1

「それでは、わたくしは失礼いたします……」


 シフォン=チェルは厨房を出ていき、その場には俺とロイだけが残された。


「やれやれ。お前も出ていってくれれば面倒がはぶけたのによ」


 ぼやくロイはひとまず置いて、俺は厨房の様子を確認させていただいた。

 こんな成り行きでさえなければ、そこはとてつもなく胸を躍らされる空間であったのである。


 この館の主人が何者であれ、貴族かそれに準じる人間であることに間違いはないはずだ。

 ゆえに、そこには森辺や宿場町とは比較にもならぬ設備が整えられていた。


 広さは、一辺が6、7メートルはあろう。6畳間がすっぽり2部屋は収まりそうなサイズである。

 壁も床も煉瓦造りで、換気も兼ねた明かり取りの窓が高い位置にいくつも空いており、風通しは悪くない。


 その壁の向かって右手側には、調理器具がずらりと下げられていた。

 肉切り刀や菜切り刀といった調理刀はもちろんのこと、色々な大きさの木べらやレードル、金属製のおろし金、水切りや粉ふるいのためのストレーナーらしき器具など、俺の故郷にも劣らない充実っぷりである。


 さらにその奥側には戸のない大きな棚が据えられており、そちらにはやはりさまざまな大きさや形状をした鍋や器が並べられている。手持ちのフライパンみたいな平鍋も見えるし、すり鉢やボウルに相等するものまでもが取りそろえられているようだ。


 その反対側には、かまどが設置されている。

 石で組まれた立派なかまどで、大小取り合わせて4つもある。

 そのかたわらの木箱に詰め込まれているのは燃料の薪と、真っ黒の木片――炭だ。

 ミケルに話を聞く前に、現物と対面する羽目になってしまった。


 そしてその横には、巨大な鉄の箱が鎮座ましましていた。

 半ば壁に埋め込まれるような格好で、正面には四角い扉がついている。

 もしやと思いながら、そいつを引き開けてみると、中には水平に2段の金網が張られていた。

 予感は的中だ。こいつはオーブンで間違いない。


 部屋の真ん中に置かれた作業台も、見事な大きさである。

 水を貯めた水瓶も、たっぷり備えられている。

 それとは別に準備されている巨大な瓶は、きっとくず入れであろう。中身は綺麗に洗われていたが、ほんの少しだけ肉の饐えたような臭いが残っている。


 いったい何という充実っぷりであろうか。

 驚嘆させられるだけでなく、森辺や宿場町との相違のすさまじさに、何とも複雑な心地を味わわされてしまった。


「……お前には主菜をひと皿作らせろと言われている」


 と、うすら笑いの想像できる口調でロイに呼びかけられたので、俺はそちらを振り返る。


「で、その料理には、キミュスの肉と、カロンの乳を使えだとよ。……食糧庫はこっちだ」


 それは俺たちが来るまでロイが潜んでいた、奥の別室だった。

 そこにもまた、めくるめく桃源郷のごとき情景が用意されていた。


 等間隔に並べられた戸のない棚に、見覚えのある野菜と見たこともない野菜が、ところせましと詰め込まれている。

 壁には干した果実や香草、最奥の棚にはぎっしりと並べられた土瓶やガラス瓶。足もとに置かれた巨大な瓶には蓋がかぶせられていたが、もちろん塩漬けの肉が埋められているのだろう。


 その瓶のすぐかたわらには、草かごに積まれた大小2種類の卵も見えた。

 おそらくは、キミュスとトトスの卵である。卵はあまり露店区域には出回っておらず、キミュス屋やトトス屋まで足を運ばなければ購入することができなかったので、これだけでも俺には十分物珍しい。


「これはすごいな……さすが貴族の館ともなると、何から何まで規模が違いますね」


「はん。言っておくけど、ここは使用人のための厨だぜ?」


「使用人?」


「使用人のための食事を作る、小さいほうの厨だよ。お前みたいな小僧には分相応だろ?」


 まことにもって、その通り。これ以上の環境を与えられたって、俺などは持て余してしまうに違いない。だからべつだん、そのように嘲りの表情を向けられても腹が立ったりはしなかった。


「さ、とっとと始めろよ。もう三の刻の鐘が鳴ってるんだから、もたもたしてると晩餐に間に合わねえぞ?」


「三の刻……俺は中天を少し過ぎたぐらいに拉致されてきたんですけど、残り時間はどれぐらいのものなんでしょう?」


「晩餐は日没の六の刻だよ」


「はあ。すると中天は0の刻ですか? 一の刻ですか?」


「……中天は中天だ。中天を過ぎて6回鐘が鳴ったら日没だろ」


 そんなことも知らないのかと、ロイは呆れた顔をしていた。


(それじゃあ中天から日没までを6分割してるってことだから、今がちょうど午後のど真ん中ってことか)


 それはつまり、宿場町での屋台の商売を終える頃合いである、ということでもあった。


 俺の身柄を奪われてしまい、みんなはどうしているだろう。

 今さらのように、そんな気持ちが胸に押し寄せてくる。


 ルド=ルウたちは、手傷などを負っていないだろうか。

 ネイルはきちんと解放されただろうか。

 レイナ=ルウたちは、屋台の商売を最後までやりとげられただろうか。

 宿屋での商売は、完全にすっぽかすことになってしまった。ネイルやナウディスやミラノ=マスたちは、俺が悪漢にさらわれたと聞いて、どんな思いを胸にしただろう。


 そしてアイ=ファは――

 アイ=ファにはすでに、この状況が伝えられているのだろうか。


(絶対に、五体満足で森辺に帰るんだ)


 俺は決然とロイを振り返る。


「カロンの乳というのはどれですか?」


 ロイは無言で奥の棚のほうに歩みを進めた。

 ずらりと並べられた瓶の中から、果実酒と同じぐらいのサイズの土瓶を取り上げる。


「この青い土瓶はすべてカロンの乳だ。今日の残りは5本だな」


 俺はコルクのようなフタを引き抜いて、中身の匂いを嗅いでみた。

 濃密なる乳の香りが、ねっとりと鼻腔を撫でてくれる。


「いい匂いですね。これはこのままでも口にできるのですか?」


「当たり前だろ。明日の朝まで残ってたら、乳脂や乾酪に仕上げるしかないけどな」


「にゅうし?」


 それは乾酪と同じぐらい聞き覚えのない言葉だった。

 しかし、とある予感に胸がどきついてしまう。


「乳脂って、乳から作った油脂という意味ですか? それはもしかすると……」


 ロイは面倒くさげに手を振って俺の言葉をさえぎると、棚から小ぶりの壺を取り上げた。


 その蓋の下に眠っていたのは、てらてらと輝くクリーム色の芳しい物体――間違いなく、バターに類する食材であった。


「へえ! こいつはすごいや! 他の土瓶や壺には何が詰められているのですかね?」


「……こっちの瓶はレテンの油で、こっちの壺はカロンの脂。下の段はママリアの果実酒と、ジャガルから仕入れた発泡酒、シムのギャマ乳酒、それにママリアで作った酢だ」


「酢! 酢まで存在するのですか!」


 俺は思わず大声をあげてしまい、ロイはうるさそうに眉をひそめる。


「ママリアの酢なんて珍しくもねえだろ。いきなり馬鹿でかい声を出してるんじゃねえよ」


「宿場町には酢なんて存在しませんでしたよ。レテンの油っていうのは、もしかしたら植物由来の油ですか?」


「当たり前だ」とロイの表情が語っていた。

 俺には宿場町の知識しかないように、彼には城下町の知識しかないのだろう。だから、乳脂や植物油や酢の登場に驚く俺の心情が理解できないのだ。


 森辺の同胞たちと引き離されてしまった焦燥感と、未知なる食材に巡りあえた昂揚感とで、何だか悪酔いしてしまいそうである。


「こっちの列は、ジャガルから仕入れた調味料だな。タウ油と、砂糖と、パナムの蜜だ」


 ジャガル産の砂糖というのは、きび砂糖のような黄褐色をしており、若干きめが粗いように見えた。

 パナムの蜜というのは、黄金色につやつやと輝くメイプルシロップのごとき液体であった。


 さらにお馴染みの岩塩と、ピコやリーロを含む香草が数種類。

 干してカリカリになったチットの赤い実も、そこにはしっかりと蓄えられていた。


 乾酪は、ギャマ乳とカロン乳の2種類。

 俺の知るギャマの乾酪はカマンベールのように濃厚でコクがあったが、カロンの乾酪はよりミルキーな味わいをしており、もちもちとしているのに食感は柔らかく、見た目も雪のように真っ白で、まるで上質のモッツァレラチーズのようであった。


 そして最後に登場したのは、うっすらと黄色みを帯びた謎の粉末である。


「これはキミュスの骨がらやカロンの肩肉、それに何種類かの野菜を煮込んで作った出汁の粉だ」


 ロイの許可を得てから、俺はそいつをひとなめさせていただいた。

 鮮烈なる塩気と旨みが舌の上で弾け散る。

 それは、固形ブイヨンを思わせる旨みの凝縮体だった。


「すごいですね。煮詰めた出汁をどうやってこんな風に固めているんですか?」


 フリーズドライの技術でもないとこのような芸当は不可能であるように思えたのだが、ロイの返答は実にあっさりとしていた。


「出汁が取れたら、粗く挽いたフワノの粉と岩塩の粒をぶちこんで、そいつを干して固めるんだよ」


 それじゃあこれは、出汁を吸わせたフワノの粉末である、ということか。

 それなら賞味期限はあんまり長くもなさそうだし、それに、それだけの食材を使っているということは、どの調味料よりも高級である、ということかもしれなかった。


「この厨にある調味料はそんなもんだ。何かご不満でもありますかね、宿場町の料理人さんよ?」


「不満なんて、持ちようがないですね」


 乳と乳脂、植物性油、動物性油、酢、砂糖、蜜、固形ブイヨン――あれほど渇望して止まなかった調味料が、これほど大量に現出したのだ。昨日までの苦労は何だったのだ、てなものである。


 しかし、こいつは俺の本来の仕事ではない。

 宿場町の限られた食材と調味料で、どれだけ工夫を凝らせるか。それこそが、現在の俺に課されている本来の仕事であるのだ。


 惑乱気味に昂揚した気持ちが落ち着いてくると、今度はだんだん腹が立ってきてしまった。


(石塀の内と外とで、こんなにも格差があるのかよ。森辺の民は田畑を守るためにギバを狩り、農園の人たちはその田畑で野菜を育て、宿場町の人たちは旅人を相手に商いをして――それで、城下町の連中はいったいどうやってこれほどの豊かさを得ているんだ?)


 土台、俺は日本国の生まれである。貴族や王族の支配する封建社会のことなど、学校で習う以上のことは知り得ない。

 よって、貴族と平民でこれほどの格差が生じてしまうことも、そうそう容認することはできそうになかった。


「で、カロンの乳とキミュスの肉を使うべし、でしたよね。普通だったら、どういう料理が望まれるのでしょうかね?」


 内心の苛立ちを抑えこみつつ、ロイに問いかける。


「そりゃあカロンの乳を使うなら煮物や鍋物にするか、あるいは焼いた肉とあわせるぐらいしかねえだろう。どっちみち、他の調味料で味を作らないとまともな料理にはならねえけどな」


「まあそうですよね。うーん……やっぱりここはクリームシチューかな……」


「くりーむしちゅー?」


「俺の故郷の料理です。貴族様のお口に合うといいのですけどね」


 お口に合おうが合うまいが、俺には俺の知る料理を作るしかすべがない。

 まず俺は、カロンの乳と乳脂の味を確認させていただくことにした。


「おい、乳の味を見るんなら、土瓶を振れよ」


「え? どうしてですか?」


「……土瓶を振らねえと、水と脂が混ざらねえだろ」


 なるほど。精製していない生乳は、放置しておくと水分と脂肪分が分離してしまうのである。

 そうしたロイの助言のもとに、俺は土瓶をよく振ってからカロン乳の味を確かめてみた。


 俺の知る牛乳よりもねっとりとした舌触りの、強いコクと風味を持つ乳であった。

 覚悟していたような生臭さなどは感じられない。低温殺菌ぐらいはしているのだろうか。とにかく濃厚な味わいで、牛乳よりも脂肪分が豊富であるように感じられる。


 その濃厚なる脂肪分を抽出されたのが、この乳脂である。

 どうやら発酵などはさせていないらしく、俺の知るバターと大差のない甘みと風味だった。

 ただし、保存のために岩塩は添加されているのだろう。それなりの強さで塩味が感じられるし、気温が高いために半分融解しかけてもいる。賞味期限は、こちらもそんなに長くはなさそうだ。


 ともあれ、カロンの乳と乳脂がミルクとバターの代わりをつとめてくれるのならば、クリームシチューに類する料理を作ることも難しくはない。

 俺はきわめて複雑な心地を抱えこんだまま、なるべく無心で野菜の選別に取りかかることにした。


「そういえば、俺は何人前の料理を作ればよろしいのでしょうかね?」


「よに……いや、3人前だ」


 3人前か。

 これまた中途半端な人数である。

 誰と誰と誰なのだ、それは。


 そういえば――ディアルたちはサイクレウスの所有する館のひとつに寝泊りしているはずであるのだが、それはこの館のことであるのだろうか。

 客人を招いている屋敷に不当な手段でさらってきた人間を連れ込みはしないようにも思えるが、貴族のものの考え方など俺にはわからない。


「3人前で主菜をひと皿ずつなら、大した分量でもありませんね。実際の調理ではあなたのお手をわずらわせることにはならないと思いますよ」


「ああ。勝手にするがいいさ」


 ロイは気を悪くした風でもなく、口もとをねじ曲げて笑っていた。

 もしかしたら、手伝いというのは口実で、最初から彼には監視役としての任務が託されていたのかもしれない。


 まあ、どのみち扉の外には帯刀した兵士が2名も控えているのだ。監視したいなら好きなだけするといい、という心境で俺は野菜の棚に向かった。


 アリアとチャッチは、すぐに見つかった。

 そしてもう一品、宿場町でも売られているネェノンという野菜も確保する。


 ネェノンは、オレンジ色をしたカブのような形状の野菜である。

 まろやかな甘みがあり、煮込むととても柔らかくなる。宿場町で初めて口にした屋台の軽食、キミュスの肉饅頭で使われていた野菜のペーストの正体はこれであった。


 これは適度に煮込むとニンジンのような食感が得られるのだ。ニンジンほど存在感のある味わいではないが、彩りを添えるためにファの家でもときたま『ギバ・スープ』で使用させていただいている。


(あとはブロッコリーみたいな野菜でもあれば完璧なんだけど、未知の野菜を試している余裕はないよな)


 ということで、グリーン系の彩りとしてティノも使用することにした。

 シチューの具としては、これで十分であろう。


 しかし、肝心要の食材が見つからない。

 シチューにとろみを与えてくれるポイタンが、ないのだ。


 聞いてみると、「あるわけねえだろ」と、また嗤われた。


「ポイタンなんざを使ってまともな料理が作れるかよ。お前、そんなに鞭をくらいたいのか?」


 そうだ。ポイタンはあくまでも旅人や兵士のための携帯食糧であり、宿場町ですら食卓に上がることはないのだとカミュア=ヨシュは言っていた。

 さまざまな野菜を平かごに積みあげつつ、俺は途方に暮れてしまう。


「えーと……それじゃあちょっとおうかがいしたいのですが、さっきフワノの粉と仰っていましたよね。この城下町でもフワノは主食として食べられているのでしょうか?」


「当たり前だろ」


「では、フワノというのはいったいどういう手順であのような形に加工されているのでしょう?」


「ああん? そんなもん、フワノの実をこまかく挽いて、水で練ってるに決まってんだろ。お前、料理人のくせにフワノを焼いたこともないのかよ?」


「ええ。これまでは必要がなかったので。――それじゃあそのこまかく挽いた状態のフワノの実というものはこの場にありますかね?」


 ロイは口を開く手間を惜しみ、親指で食糧庫の片隅を指し示した。

 野菜の並んだ棚の陰に、巨大な袋が無造作に置かれている。

 開けてみると、その中には真っ白い粉がぎっしりと詰め込まれていた。


 ポイタンは若干クリーム色がかっているが、こちらは雪のような白さだ。

 ものすごくきめがこまかくて、ひとつまみ口に入れてみると、それこそ小麦粉そのもののようにふんわりと麦っぽい風味が感じられた。


(うん、これならいけそうだな。……というか、ポイタンよりいっそう小麦粉に近いかもしれない)


 ならば、ミルクやバターの代用品がそろっているのだから、普通の手順でホワイトソースを作製することも可能なはずである。

 まずはそいつを検証してみる他なかった。


「それでは、かまどを拝借します」


 必要な食材をすべて調理場に移動させ、俺はかまどの前に立つ。


 かまどに火を入れ、小さめの鍋を熱し、そこに乳脂を投じると、あっという間にとろりと溶け崩れた。

 バターとよく似た芳香に、ものすごく食欲をそそられてしまう。

 そこにフワノの粉を少しずつ入れながら、ダマにならないよう木べらで入念に攪拌していく。


 ポイタンだと、この過程ですぐに焦げついてしまった。

 しかも、あのときに使用したのは乳脂ではなくギバの脂だった。


 なので、かつてのルティムの祝宴でシチューを作製した際は、生のままでポイタンを投じ、その独特のとろみで無理矢理にシチューとしての体裁を整えることになったわけである。


 果たして――フワノの粉は、カロンの乳脂と調和してくれた。

 ねっとりと半液状に仕上がったそのルーをカロンの乳で溶きのばし、味を見る。


 まろやかな風味と、まろやかな舌ざわりだ。

 牛乳とバターで作るソースよりも濃厚な味わいで、なおかつ後味もくどくはない。

 そうしてさらに岩塩と、ピコの葉と、そしてブイヨンもどきも投入して味を整えると、どこに出しても恥ずかしくないホワイトソースが完成した。


「ずいぶんけったいな作り方だな」とロイはせせら笑っていた。

 べつだん味見を所望されたりもしなかったので、放っておくことにする。


(よし、お次は野菜と肉だな)


 アリア、チャッチ、ティノ、ネェノン――それぞれ、タマネギ、ジャガイモ、キャベツ、ニンジンの代用品である。

 チャッチとティノは一口大に、アリアはくし切り、ネェノンはいちょう切りだ。

 3人前なら、これも大した分量ではない。


 キミュスは、胸肉を使用させていただくことにする。

 いちおう主菜であるのだから、通常よりもたっぷり投入してやろう。


 ありがたいことに、この館で保管されていたキミュスの肉には、しっかり皮もついていた。

 皮つきのキミュス肉はかなり割高になるはずであるのだが、貴族様にとっては如何ほどのものでもないのだろう。


 さらに言うなら、肉切り刀や菜切り刀の切れ味も抜群である。

 本当に恵まれた環境だな、と皮肉っぽい心地になってしまう。


「あの、肉や野菜を炒めるのにも乳脂を使わせてもらってかまいませんかね?」


「ああ? 好きにしろよ、いちいち面倒くせえ野郎だな」


「だって、乳脂というのは貴重なんでしょう? 大量の乳からほんのわずかな量しか作ることはできないのですよね?」


 牛乳からバターを作る場合は、1リットルから20グラムていどしか作ることはできないと聞いたことがある。

 しかし、ロイは「はん」と嘲笑うばかりだった。


「そいつはその通りなんだろうけどよ。どうせこの屋敷では飲みきれないほどの乳を買い込んで、食べきれないほどの乳脂を作ってるんだ。余らせて腐らせちまうよりは、どんなにお粗末な料理にでも使われたほうがまだましなんじゃねえのか?」


「余らせて腐らせるって……まさかそれで捨ててしまうわけではないですよね?」


「捨てる以外にどうしろっていうんだよ? 王都の姫君みたいに肌に塗りたくるのか? ――ま、足りなくなるぐらいなら余るぐらいに買い込んでおくのが、貴族のたしなみってもんなんだろうよ」


 そんなたしなみは、くそくらえだ。

 カロンの乳も、乳脂も、乾酪も、宿場町では手に入らない食材である。高級すぎて手に入らないのなら、それはしかたのないことだが――そうして貴族たちがむやみに買い込んでしまうからこそ、余計に値段も高騰してしまうのではないだろうか?


(そういえば、カロンの胴体の肉だって城下町で買い占められてるんだもんな)


 何とも腹の立つ話である。

 どんなに立派なクリームシチューを作り上げることができても、それは貴族の口にしか入らない料理なのだと考えると、何だか虚しい気分にもなってきてしまう。


(何とかして、カロンの乳だけでも宿場町で扱うことはできないのかな。それを自分たちで乳脂や乾酪に加工することができれば、それだけでも料理の幅がうんと広がるじゃないか)


 ギャマの乾酪やタウ油だって、つてさえあれば行商人から直接購入することはできたのだ。

 流通経路や金額を調査すれば、このカロンの乳や、レテンの油、ジャガル産の砂糖なども宿場町で取り扱うことは可能であるかもしれない。

 というか、可能であってほしいと願わずにはいられない俺であった。


「おい、ぐずぐずしてたら、本当に間に合わなくなっちまうぞ?」


 からかうような口調で呼びかけられ、俺はロイを振り返る。

 これといって特徴のない、どこにでもいそうな西の民の若者である。

 口は悪いが、そこまでの悪党だとは思えない。

 ただ――自分がどれほど恵まれた環境にいるのか、それを自覚している様子はまったく見受けられなかった。


「……もういっぺん、かまどを使わせていただきます」


 とにかく今は、この不本意なる仕事をさっさと終わらせてしまおう。

 森辺や宿場町に思いを馳せるのは、その後だ。

 ただし――これだけ理不尽な目にあわされたのだから、少しぐらいは有益な情報を持ち帰らないと気が済まなかった。


 そんなことを考えながら、俺はぶつ切りにしたキミュスの胸肉を乳脂で炒める。

 もともと塩漬けにされていたので、調味料はピコの葉のみだ。

 表面の色がキツネ色に変わってきたら、野菜もそこに投入する。


 あるていど火が通ったら、水を入れて弱火で煮込む。

 30分ばかりも経過して、どこか遠くから重厚なる鐘の音色が4回ほど聞こえてきた頃、1番火の通りにくいチャッチも十分に柔らかく仕上がった。

 ギバ肉を使用しているわけでもないし、ブイヨンの代用品も存在するのだから、そこまで入念に煮込む必要もないだろう。


 時間を置いたためにとろみの増した乳白色のソースを、鍋の中に注ぎ込んでいく。

 弱火のまま丁寧に攪拌し、熱が通ったら味を確認。

 岩塩を少しと、隠し味にタウ油も追加してみた。


 懐かしい、クリームシチューの味わいである。

 まさかこの世界でこの料理が作れるとは思っていなかった。


 これを食べさせる相手が、アイ=ファや森辺の民や宿場町の人々であったなら、俺はどれほどの幸福感を得ることができただろうか。

 そんな思いを噛みしめながら、俺はロイに「完成しました」と告げた。


「ふん。意外に早かったな。――おい、料理が完成したぞ!」


 ロイがわめくと、ぴったりと閉ざされていた扉が開き、シフォン=チェルが姿を現した。


「お疲れ様です、アスタ様、ロイ様……ああ、カロンの乳の芳しい香りがしますね……」


 そう言って、シフォン=チェルはうっとりと目を細めた。


「うだうだ言ってねえで、手前の仕事を果たせよ」


 言いながら、ロイが俺の手から味見用の木皿を奪い取った。

 そうして出来立てのクリームシチューをレードルですくい、シフォン=チェルへと突きつける。


 シフォン=チェルは俺に一礼してから、その木皿を手に取った。


「では、毒見をさせていただきます……」


 この女性には、そんな役目まで担わされていたのか。

 俺は暗澹たる心地でその姿を見守ったが――シフォン=チェルは、そのシチューを口にするなり、「まあ……」と大きく目を見開いた。

 そしてその顔に、驚きと賞賛の微笑を広げていく。


「これは……何と美味な料理でしょう……これほど美味しい料理を口にしたのは、生まれて初めてかもしれません……」


 とたんに、ロイが眉を吊り上げた。


「おい、おべんちゃらもほどほどにしておけよ、奴隷女。手前が毎日、誰の作った料理を毒見してるのかを忘れんな」


「いえ、他の方々の料理を貶めているわけではございません……ただ、それぐらい素晴らしい料理だと感じられただけなのです……」


「わかってねえみたいだな。この屋敷にはジェノスで指折りの料理人が勢ぞろいしてるんだ。そいつらを小馬鹿にするような口を叩いていたら革鞭をくらうことになるって忠告してやってるんだぜ、俺は」


「ええ……ですがわたくしは、マヒュドラの生まれです……そんなわたくしと西の民とでは、何を美味と感じるかは自ずと違ってくるのでしょうから、べつだん他の方々を貶めることにはならないのだろうと思えます……」


 そう言って、シフォン=チェルはにこりと微笑した。

 ロイの顔は、いよいよ険悪に引きつっていく。


「……それじゃあ手前は、さっきのふざけた言葉を取り消すつもりはないって言うんだな?」


 シフォン=チェルは困ったように小首を傾げてから、「はい……」と小さくうなずいた。


 その瞬間。

 ロイは、鍋のわきに置かれていたレードルを、シフォン=チェルにおもいきり投げつけた。


 レードルは狙いたがわずこめかみに命中し、シフォン=チェルは「ああ……」と、かぼそい声をあげる。


「ふざけんな! 下賤の奴隷女め!」


 さらにロイは、作業台に置かれていたカロン乳の土瓶をつかみ取った。

 それが投じられる寸前に、俺はロイの手首をひっつかむ。


「やめろ! そんなことで暴力をふるうな!」


 ロイの血走った目が、俺を見た。


「放せよ、宿場町のえせ料理人め。俺を誰だと思ってやがるんだ?」


「知るもんか。素性を隠してるのはそっちじゃないか」


 ロイがもがくので、俺はいっそうの力を指先に込める。


「だけど、あんただって料理人の端くれなんだろう? だったら大事な調理器具や食材を粗末に扱うなよ」


 ロイの顔が、苦痛に歪んだ。

 青い土瓶が、作業台の上にごとりと落ちる。


「痛い! ――放せよ! 腕が折れちまう!」


「大げさだな」と俺は呆れたが、ロイの目にうっすらと涙が浮かぶのを見て、ぎょっとしてしまった。

 もしかしたら、これは本気で痛がっているのだろうか。


「アスタ様……どうぞその手をお放しになってください……」


 床に崩れ落ちていたシフォン=チェルが、足もとに取りすがってくる。

 俺はそちらを振り返り、また息を飲んだ。

 シフォン=チェルの頭ごしに、扉の向こうで兵士たちが剣の柄に指をかけている姿が見えたのである。


 俺は即座にロイの手首を解放する。

 ロイは自由になった手首をおし抱くような体勢で、煉瓦敷きの床にへたりこんだ。


「ありがとうございます……ですが、わたくしのような者を庇い立てしても、アスタ様には何の利もないことです……」


 シフォン=チェルの声を足もとから聞きながら、俺は大きく深く溜息をつく。


 一刻も早く、アイ=ファたちのもとに帰りたい――会心の出来の料理を作りあげながら、俺の胸に満ちるのはそんな思いばかりだった。

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