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異世界料理道  作者: EDA
第十章 変革の前菜
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⑬それぞれの誇り

2015.4/17 更新分 2/2 2016.1/21 誤字を修正

*短めのエピソードになりましたので2話同時に投稿します。読み飛ばしのないようご注意ください。


*明日から書き溜め期間に入ります。なるべく早い再開を目指しておりますので、引き続きご愛顧いただければ幸いであります。

 そして、夜である。

 肉団子の晩餐を終えて、俺はアイ=ファと語らった。


「いよいよややこしいことになってきたな。ズーロ=スンは、いったいどうなるんだろう?」


「この段階ではドンダ=ルウらも道は決められまい。まずは真実を見極める他なかろう」


 それは確かに、アイ=ファの言う通りだった。

 じわじわと決着の刻は近づいているはずなのに、俺たちの手もとには数々の謎と疑問と憶測しか握られていない。これでは進むべき道を定められるはずもなかった。


「まずは自分たちの身を守ること、そしてカミュア=ヨシュの帰りを待つこと。私たちにできるのは、それだけだ」


「いや、もう一つだけあるだろう? ジーダを説得して、味方につけることだ」


「それとて、向こうから姿を見せるのを待つ他ない。獲物が現れるまで待ち続けるのも、ひとつの狩り方だ」


「うん、それは狩人らしい発想だな」


 そういえば、あのドンダ=ルウも意外に受け身の姿勢を見せることは多い。むやみに動くよりは、じっと身を潜めて好機を待つのがあの勇猛なる男の戦い方なのだろうか。


 燭台のぼんやりとした光の下、俺はアイ=ファの横顔を見つめる。

 少しばかり距離が近い。俺たちは並んで壁にもたれかかり、小さな声で語り合っていた。


 おたがいの肩が触れるか触れないかぐらいの距離感だ。

「窓から矢を射られたとき、そばにいなくてはお前を守ることができなくなるだろうが?」と言って、アイ=ファは晩餐のときからずっとこの位置を保持しているのである。


 眠るときは、窓に布を張るようにした。

 だけど今日は、夜風が心地好い。

 眠るまでは、このままでいよう――と、どちらかがとりたてて口にするわけでもなく、俺たちはおたがいの体温さえ感じられそうなこの距離で、ぽつぽつと静かに語り合っていたのだった。


「……早く平和な日常を取り戻したいものだよな。少なくとも、窓から矢を射られるような心配のない生活をさ」


「うむ? いきなりどうした。さすがに気持ちが萎えてきたのか?」


「いや。なかなか頭に来ることも多いから、気をつけないと闘争心がたぎってくるぐらいだよ。……ただ、アイ=ファが無事に帰ってくることと商売の行く末だけ心配していればいい生活が手に入ったら、それは本当に幸福な日々と思えるだろうなあと思っただけさ」


 アイ=ファは窓のほうに目を向けたまま、口をへの字にしてしまう。

 俺のほうからこういうことを言いだすと、たいていアイ=ファはこのように黙りこんでしまうのである。


 自分が不安感に見舞われたときは問答無用で擦り寄ってきてくれるのに、そういうところは本当に猫っぽいと思う。

 まあ、それが嫌なことはまったくない。


「でも、堅苦しい方向に話を戻すとさ、ただ相手が動くのを待つだけってのはしんどいものだな。また身近な人たちにおかしな災難が振りかかったらどうしようっていう、そっちの心配が1番でかいよ」


「うむ。しかもそれが何者の手によるものなのかも判然としないのではな」


「ああ。だけど、もしも本当にこれらの全部がサイクレウスの仕業だと考えると――それは、歴史を引き戻そうとしている計画なのかもな」


「歴史を? 引き戻す?」


 けげんそうにアイ=ファが首を傾げる。

 その拍子に、長い髪が俺の首もとをくすぐった。


「そんな風に思えないか? ズーロ=スンを族長に引き戻して、町の人たちに森辺の民に対する不審感を植えつけて、屋台の商売も続けられないように妨害して――そうやって、何もかもを以前の状態に引き戻そうとしているんじゃないのかな、サイクレウスは」


「その想像が真実であるとしたら――」と、アイ=ファの声に静かな力が込められる。


「サイクレウスという男は、まぎれもなく森辺の民の、敵だ」


「ああ。それぐらいはっきりとした敵だったら、倒し甲斐もあるってもんだよな」


 本気半分、冗談半分でそのように応じると、アイ=ファはふっと口もとをほころばせ――


 それから、狩人の眼光を両目に爆発させた。


「……来たか」と、その手が刀の柄をつかむ。


 驚いてアイ=ファの視線を追いかけると、窓の外に黄色い双眸が瞬いていた。

 ごくりと生唾を飲み下す。

 まるで、夜闇で飢えた獣にでも出くわしたような心境だった。


「お前は、ジーダと名乗る者だな? 私たちと言葉を交わす気になってくれたのか?」


「……表に出てこい。ふたりともだ」


 黄色い鬼火が、ふっとかき消える。


 アイ=ファは刀をつかんだまま、立ち上がった。

 そして、同じように腰を上げた俺に狩人の眼光を突きつけてくる。


「アスタ。決して私から離れるなよ? もしもいきなり襲いかかられたときは家の中に突き飛ばすので、そのような心がまえでいろ」


「わかった」


 俺たちは、慎重に家の外へと足を向けた。


 ジーダは家の外、玄関の戸板から5メートルほど離れた場所で、幽鬼のごとく立ちつくしていた。


 青白い月明かりが、その立ち姿を妖しく演出している。


「害意がないのであれば、歓迎しよう。私はファの家の家長アイ=ファ、こちらは家人のアスタだ」


「…………」


「先の日にも伝えた通り、我らにお前と敵対する気持ちはない。森辺の民に憎しみの気持ちをぶつける前に、まずは私たちの言葉を聞いてほしい」


 フードを深くかたむけているために、ジーダの表情はわからなかった。

 ただ、その黄色い双眸だけが手負いの獣のようにギラギラと燃えている。


 しかし――月の光の加減だろうか、その身体は以前に見たときよりもいっそう小さく見えてしまった。


 もともとルド=ルウより背丈は小さいぐらいで、体格も細身である。

 その小さな身体から発散されていた怒気や迫力が、今日は一切感じられない。

 黄色く燃える双眸がなければ、ただ毛皮のマントを纏っただけの小さな子供であると感じられるぐらいだった。


「ただその前にひとつ問いたいのだが、どうして私たちの家がわかったのだ? アスタたちは荷車で移動しているのだから、後をつけることなどはかなわなかったはずであろう」


「……その荷車の轍を追ってきたのだ。獣の足跡を辿るよりは、はるかに容易い」


 フードの陰から、ジーダはそのように答えた。


 その声も、かつてはひび割れた雷のごとき怒声であったのだが――そうして静かに語る分には、変声期の過程にあるようなちょっとハスキーな少年の声としか思えなかった。


「大罪人は――本当にすべて死んでしまったのか?」


 しばしの沈黙の後、ジーダはさらに低い声でそのように問うてくる。


「宿場町では、ふたりの大罪人が処刑されたという話が流れていた。しかし、何十名もの商人を皆殺しにしたという森辺の罪人がふたりきりということはあるまい。……残りの罪人どもは、どうなったのだ?」


「残りの者たちは、この10年ですべて死に絶えたと聞いている。罪に手を染めたスン家の人間たちは、何故か若くして生命を落とす者が多かったのだそうだ」


 冷静に応じるアイ=ファの言葉に、ジーダは「嘘だ」と双眸をぎらつかせる。


「そんなに都合よく罪人ばかりが死に絶えるものか。貴様たちは、残りの罪人どもを庇い立てしているのだろう……?」


「それは違う。もともと10年前の事件に関わった人間は、ごく少数であったらしいのだ。あやつらは、ギバをけしかけて商団を襲ったらしいからな。やりようによっては、ひとりで30名もの人間を討ち倒すことも可能であったのだろう」


「それでは、2日前に農園を襲ったのは何者だ? やはり貴様たちはひとり残らず無法者の集まりであったのか?」


「断じて違う。それは森辺の民に罪をなすりつけようという何者かの策略だ。もはや狩人の誇りを汚すような人間はひとりもいないのだと、私はそのように信じている」


 アイ=ファは強く静かにそう言いきった。

 なんて強靭でなんて清廉な声であり表情だろうと、俺はそのかたわらで息を飲むことになった。


 あまり余人には内面を見せようとしないアイ=ファが、その内の強さと清らかさをすべてさらけだしているような――そんな不思議な感覚が俺の心臓をわしづかみしてしまっている。


 ジーダは固く口を閉ざし、アイ=ファの姿をじっと見つめ返している。


 しばしの静寂の後、ようやくその口が開かれようとしたとき――ひゅうっと心地好い風が俺たちの髪をなぶり、そしてジーダのかぶっていたフードを背中のほうに払いのけた。


「俺は……森辺の民に復讐を遂げるために、これまで腕を磨いてきた……」


 火のように赤い蓬髪が、闇の中で音もなくゆらめく。


「それなのに、すべての大罪人どもが死に絶えてしまっていたら……俺は誰に刀を振り下ろせばいいのだ……?」


 ジーダの顔も、あらわになる。

 かつて怒りに引き歪んでいた顔は、今は悲しみに引き歪んでしまっていた。


 何て悲哀に満ちた顔だろう。

 それに――これは本当に、怒り狂って俺たちに刀を向けてきたあの怖しい襲撃者と同一人物なのだろうか。


 目が、大きい。やや吊り上がり気味の、アーモンド型の大きな瞳だ。

 鼻や口は小さくて、顎のあたりもほっそりしている。13、4歳という年齢よりも幼げにさえ見える顔立ちだ。


 この顔が、牙を剥いた手負いの豹のごとき形相に変貌するさまが、どうしてもうまく想像できない。

 ただ――その黄色みがかった瞳だけは、悲しみに打ち沈んでいても火のように燃えていた。


「……お前は何のために復讐を遂げようとしているのだ、ジーダよ?」


 アイ=ファが静かに問いかける。

 ジーダは、いっそう激しい火をその双眸にゆらめかせた。


「たわけたことを聞くな。いわれなき罪をかぶせられて処刑された、父ゴラムの誇りを取り戻すために決まっている」


「そうか。私たち森辺の民も、かつての族長たちが汚した一族の誇りを取り戻そうとしている、その過程にあるのだ」


「…………」


「昨日、アスタも告げたであろう。実際に罪を犯したのはスン家の者たちであっても、その裏にはそれを手引きした人間が存在するやもしれぬのだ。私たちは、それが真実であるかどうかを確かめるために、今も戦っている」


「…………」


「お前にとって、私たちは仇敵の片割れなのかもしれない。しかし、真実を陽のもとにさらすために、手を取り合うことはかなわぬだろうか? 私たちは、その道を望んでいる」


 ジーダは何も答えぬまま、右手でフードをかぶりなおす。

 その際に、灰色がかった布でぐるぐる巻きにされた左肩が、はだけたマントから少しだけうかがえた。


「……俺は俺のやり方で仇を討つ」


 やがてジーダは、感情の定まらない声でそう言い捨てた。


「それが気に食わないのなら、今ここで俺を討て。貴様の力量ならそれも容易いだろう。俺は、手負いだ」


「お前を斬る理由はない。3日前のあのときにも、お前を斬らずに済んで良かったと私は考えている」


 ジーダは無言できびすを返した。

 その背に、俺は慌てて呼びかける。


「待ってくれ。君は母親から何も聞かされていないのかい? 実は今、俺たちの仲間が君の母親を捜しているんだよ。その証言があれば、罪人の罪を暴けるかもしれない、という理由で――」


「……母は、俺が復讐に生きることを許してくれなかった。だから、もう1年も前に縁を切っている。……あの女は、父の死とともに牙をもがれてしまったのだ」


「1年前――そんな前から君たちは別々に暮らしていたのか」


「俺はマサラの山中で暮らしていた。捕らえたバロバロの鳥を売るために人里に下りて……そこで貴様の存在を知ったのだ、アスタ」


 俺たちに背中を向けたまま、ジーダは抑揚のない声でそう言った。


「森辺の民が、ジェノスの宿場町で商売をしていると……大罪人は裁かれて、森辺の民は許されたのだと……行商人がそのように話しているのを耳にした。だから俺は、怒りで何も考えられなくなり……こうしてジェノスにまでやってきたのだ」


「そうか。だけどたぶん、森辺の民はまだ許されていないと思う。だからこそ、俺たちは町の人々と正しい縁を結べるように力を振り絞っているんだ」


 ジーダは、何も答えなかった。

 その小さな後ろ姿が、闇の向こうに遠ざかってしまう。

 思わず俺が足を踏み出しかけてしまうと――低い声で「来るな」と拒絶された。


 そうしてジーダは、俺たちの前からいなくなった。


「なあ、アイ=ファ……黙って行かせちまって良かったのか?」


「しかたあるまい。あの者はあの者が正しいと思える道を進んでいるのだ。それを邪魔することは誰にもできぬのであろう」


 ジーダの消えた方向に強い視線を送りながら、アイ=ファはそう言った。


「それにあれは、私たちと同じ魂を持つ者だ。もはや敵として立ちふさがることはないと信ずることができる。……ならば、いずれ自然に道が重なるときを待つしかあるまい」


「そうか。そうなのかもしれないな」


 少なくとも、力ずくでジーダを引き止めることは最大の愚策である、ということぐらいは俺も感じることができていた。

 その上で、アイ=ファがジーダを信じるというのならば、俺も信じよう。


 ようやく敵の輪郭が、ぼんやりとだが定まってきたのだ。

 サイクレウスがどのような手を打ってきても、絶対に屈したりはしない。


 もしも本当にサイクレウスが、森辺の歴史を以前の状態に引き戻そうと画策しているのならば――その行いを正しいと認めてしまったら――それは、異分子でありながら森辺の民の生に介入してしまった俺自身の存在を全否定することにも繋がってしまうのだ。


 俺の行いのほうこそが正しいのだと証すすべはない。

 そうであるからこそ、俺は全身全霊をかけてサイクレウスに立ち向かわねばならないのだろう。


 アイ=ファを始めとする大勢の人々が、俺の存在を薬と認めてくれた――その思いを無駄にしないためにも。


「夜も更けた。……眠るぞ、アスタ」


「ああ」


 そうして俺たちは、風の強い森辺の夜に別れを告げて、明日のために眠りを得ることにした。

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