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異世界料理道  作者: EDA
第十章 変革の前菜
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⑪疑念と決意

2015.4/16 更新分 1/1 2017.1/21 誤字を修正

 その後は、何事もなく午後の仕事も終えることができた。


 町の様子も、表面上は穏やかだ。

 心なし街道を巡回する衛兵の数が増してきたようにも感じられるが、それ以外に大きな変化はない。屋台の売上も平均値を下回ったりはしなかったし、時おりお客さんから「色々大変そうだな」と、ねぎらいの声をかけられるばかりで、森辺の民を弾圧しようなどという動きはどこにも微塵も感じられはしなかった。


 もしかしたらそれは、森辺の民に好意的な人間が増えたというよりも、城の人間に対する不審感がつのったゆえの結果であるのかもしれなかった。


 森辺の民は、族長筋のスン家だけが城の人間に優遇され、残りの人間はむしろ宿場町の民よりも苛酷な生活を強いられていた――その事実は、テイ=スンらの起こした騒乱を経て、かなり宿場町にも浸透したと思われる。


 その結果として、森辺の民に向けられる負の感情は少なからず緩和され、城の人間に対する不審感が増幅された。つまりはそういうことなのではないだろうか。


 だから、森辺の民の装束を纏った野盗が出現した、と告知されても、まず人々は城の人間の真意を疑い、事実はどこにあるのかと警戒しているような、そんな雰囲気が何とはなしに感じられたのだ。


(その印象が正しいなら、サイクレウスめ、ざまあ見ろってなもんなんだけど……あまり喜んでばかりはいられないからな)


 そもそも襲われてしまったのはドーラの親父さんの農園なのだから、その時点で喜べるはずがない。


 それに、森辺の民に好意的でいるのは、あくまで少数派だ。

 過半数の人々は、城の人間を警戒すると同時に、森辺の民に対しても鋭い審判の眼差しを向けてきているのである。


 本当に森辺の民は無法者の集まりでないのか――今こそそれが明確に提示されるときなのではないのか、それを見定めるためにじっと息を潜めているような、そんな空気も蔓延しているように感じられる。



 ともあれ、仕事自体は平穏無事に終えることができた。

 反面、その実務の面においては実にさまざまな出来事が起きていた。


 まず《玄翁亭》ではネイルが4種類のギバ肉からロースを選択し、それで焼き料理を献立に加えることが決定された。

 調理法は実にシンプルで、薄切りにした肉をただ焼くのみ、だそうだ。


 ただしその肉には、チット漬けの汁と果実酒と色々な香草をブレンドした付けダレを添えるらしい。

 試食をさせていただいたが、実にスパイシーで異国的な味わいだった。


「アスタの料理には遠く及びませんが、そのぶん値段が安くなるので不満の声はあがらないと思われます」


 俺から買った料理は、利益を出すために赤銅貨5枚という高値で売られているのだ。

 しかし、カロンと同程度の価格で仕入れたギバ肉の料理なのだから、これはカロンの料理と同じ赤銅貨4枚で売ることができる。


「少なくとも、1日に10食分ならば問題なく売り切ることができるでしょう。……そして、アスタが商売を休む日には20食分ずつを売りに出そうと考えているのですが、それだけの量を前日に売っていただくことは可能でありましょうか?」


 ネイルもナウディスと同様に、他の宿屋へとお客が流れてしまうことを危惧しているのかもしれない。

「もちろんです」と俺は快諾してみせた。


 一方《南の大樹亭》のほうは、昨日ギバ肉のサンプルを受け渡したばかりの状態だ。

 が、俺の休日は4日後に迫ってしまっている。

 だからなのか、ナウディスはわずか1日でバラ肉を購入することに心を定めていた。


「普通に焼いて1番美味なのはこの部位だと思えました。明日と明後日は10食分ずつ、3日後には70食分の肉を売っていただけますかな?」


「70食分ですか! ずいぶん思い切りましたね!」


「余れば塩に漬けておくのみです。少なくとも腐らせてしまうことにはならないでしょう」


 それでも70食分ともなれば17・5キロで、赤銅貨117・5枚の値段である。

 3日後の夜に10食、俺が休みをいただく2日間に30食ずつと考えれば、まあ妥当な数値ではある。ふだん俺からは40食分のギバ料理を買い付けているのだから、そういう意味ではそこまで強気に出ているわけでもないのだろう。

 何にせよ、俺にしてみればありがたい話だった。


「お買い上げありがとうございます。……それにしても、《玄翁亭》のご主人も焼き料理に適した柔らかめの部位をご所望だったのですよね。モモや肩肉も煮込み料理で使う分には手間もかかりませんし、そちらの肉のほうがお安めなのに、と考えると少し不思議です」


「ふむ。《玄翁亭》のご主人も、煮込み料理ではアスタとの腕前の差が明らかになりすぎると考えたのではないですかな。ギバ肉はただ焼くだけでも美味なので、まずは焼き料理から取りかかりたくなるのが必然なのでありましょう」


 なるほどと思っておくことにする。

 もちろんギバ肉は煮込み料理にも適しているのだが、ただ煮込めば美味というわけにはいかない。それでは俺の作った『ギバ・スープ』や『チット鍋』と比較して物足りなく感じられてしまうのが道理であろう。調味料の少なさが、こんなところでも弊害になってしまったわけだ。


 ただ、このままだとモモや肩ばかりが森辺の集落に残ってしまう。

 こちらはスープの他にハンバーグでもモモや肩を消費できるので、今のところは何の問題もありはしないが。ゆくゆくはどの部位も均等に売れれば良いな、と思う。


 何にせよ、タウ油を有するナウディスならば、《玄翁亭》にも劣らぬ焼き料理を開発することは難しくないだろう。


(そういう意味では、異国の調味料が使えるそれらの店に対抗するためにも、《キミュスの尻尾亭》はもっと力をつける必要があるんだろうなあ)


 その《キミュスの尻尾亭》では、今日もカロンとキミュスの肉を研究させていただくと同時に、ちょっぴりだけ調理のレクチャアもさせていただいた。


 肉の扱いではなく、野菜の扱いの手ほどきである。

 とりあえず、俺にとって馴染みの深い野菜――アリア、ティノ、タラパ、プラ、チャッチ、ギーゴ、ミャームーなどを美味しく調理する手ほどきだ。


 薄切り、輪切り、くし切り、みじん切り、といった切り方とそれに相応しい調理方法、さらには食材の味をひきだすのに効果的な火の入れ方など、伝えたいことは山ほどあった。


 ただし、今日も生徒はミラノ=マスひとりだった。

 娘さんは、俺たちに見えない場所で別の仕事に勤しんでいるらしい。


「あいつはもともと森辺の民に対して、強い恐怖心を持っていたからな。……まあそれは、そんな風に育てちまった俺の責任なんだが」


「そんな、ミラノ=マスがお気になさるような話ではないはずですよ」


 ミラノ=マスの奥方は、10年前に兄を失った心労がたたって早逝してしまったのだという。その兄君の生命を奪ったのはザッツ=スンやテイ=スンたちであったのだから、ミラノ=マスや娘さんが森辺の民をどれだけ憎み、どれだけ忌避してもおかしくはないだろう。


 それでもミラノ=マスは俺たちとの縁を切ろうとはせず、このたびはギバ料理を購入する前置きとしての調理の手ほどきを受けることまで承諾してくれた。


 娘さんとは、ほとんど面識がない。

 これまで顔をあわせる機会があっても、あちらが怖がってすぐに逃げだしてしまっていたからだ。

 それでも、その娘さんも了承してくれたからこそ、ミラノ=マスは俺たちを厨房に入れる決断を下せたはずなのだ。


 それなのに、娘さんは昨日の出来事で心に傷を負い、俺たちの前から姿を隠してしまっている。

 かえすがえすも、憎きはその無頼漢どもだった。


(森辺の民などに肩入れする恥知らずめ、その報いを受けろ――か)


 その無頼漢どもの正体は、いまだにわからない。

 言葉の内容はジーダとそっくりであるが、彼の言葉を信じるならばそちらとは無関係である。

 かといって、サイクレウスの手の者だという証しもない。


 もしもこれがサイクレウスとも無関係であったならば――宿場町にもまだそのように強く森辺の民を忌避する層が存在する、ということになる。

 しかし、だからといってその無頼漢どもの行動が正当化されるわけではない。されてたまるか、という心境だ。


 そういう意味では確かにミラノ=マスの言う通り、森辺の民に直接憎悪をぶつけてきたジーダのほうがよっぽど筋は通っている。


『……何十人もの商人を殺し、その罪を俺の親父とその仲間たちになすりつけた。そんな貴様たちが、へらへらと笑いながら宿場町で大きな顔をしているのは、何故だ……?』


 実のところ、ジーダからもたらされたその言葉は、いまだに俺の胸に深々と食い入ってしまっていた。


 ザッツ=スンたちのしてきたことを思えば、それぐらいの深刻さで森辺の民を恨んでいる人間が存在してもおかしくはないだろう。

 というか、過去の恩讐を越えて普通に接しようとしてくれているミラノ=マスのほうこそが、特別な存在なのだとも思う。


(……だけど、焦ってもしかたがない)


 まったくの異郷から訪れることになった俺は、森辺の民にも、宿場町の民にも強い愛着を抱いている。

 そんな俺にしかできない仕事が、きっとあるはずだ。

 そのために、力を振り絞りたいと思う。


             ◇


「……今日はあのジーダってやつも姿を現さなかったな」


 仕事を終えてルウの集落に到着すると、ルウルウを家のそばの木にくくりつけながらルド=ルウがそう言った。


「何とかあいつを親父の前に引っ張りだせねーかなあ。そうしたら、案外簡単に解決するんじゃねーのかな?」


「へえ、どうしてだい?」


「だって、あいつは町の人間みたいにややこしいことは考えてなさそうじゃん。どっかの山の狩人だとかいう話だし、それなら俺たちとも気が合うんじゃねーの?」


 実に楽観的なご意見である。

 ルド=ルウらしいといえば実にルド=ルウらしい言葉でもあるが――しかしルド=ルウは、いまだジーダの姿を見てすらいない。あの、憎悪に狂った眼光ににらみすえられたこともないのだ。


 シーラ=ルウたちの荷下ろしを手伝っているシン=ルウは、何も発言しようとはしなかった。


「おお、アスタではないか、ひさしいな!」と、そこでルウの本家から大柄な人影がにゅうっと現れる。


 ひさしいようなそうでもないような、ルティムの家長ダン=ルティムである。


「ああ、どうもです。……ひょっとしたら、ズーロ=スンの件で会議をしていたのですか?」


「うむ! 話自体はすぐに終わってしまったが、家に戻っても退屈なのでコタ=ルウとたわむれていたのだ!」


 相変わらず自由気ままな家長殿である。

 その陽気さにあてられたようにくすくすと笑いながら、レイナ=ルウが「では、わたしはシーラ=ルウとともに仕事を始めます」と告げてきた。


『ギバ・バーガー』のパテ作り関しては、もはや俺が最終チェックで味と大きさを確認するだけで済む段階にまで達していた。

 この最終チェックも念を入れているだけなので、もう明日からでも完全にまかせてしまっても大丈夫なのだろうなと俺は考えている。


 そんなわけで、俺はその場に留まりダン=ルティムと会話を継続することにした。


「それで、ズーロ=スンの処遇はどうなったのでしょうか?」


「どうにもならん。城の人間が引き渡せと言っているのだから、その交渉も済まぬ内に処断するわけにはいくまい――というのが、族長らの考えだ」


「……ダン=ルティムはちょっとご不満そうですね?」


「ちょっとではなく大いに不満だな! あの堕落の極みにあったズーロ=スンめがようやく森辺の民としての気概を振り絞ることができたのだから、俺はその心意気に応じるべきだと思う!」


「うーん、だけどそれは城の人間を怖れているだけ、という言い方もできるのですよね? 拷問の末に殺されるぐらいなら今すぐ楽になりたい、という感じで」


 本心を言えば俺もダン=ルティムと同意見であったのだが、あえて自分を戒めるためにそのように言ってみた。


「そうだとしても、自ら頭の皮を剥げ、とはなかなか言えぬだろう。しかもそれは、ザザの集落のど真ん中でのことなのだぞ? グラフ=ザザなどは、ああそうかと言ってその場で刀を取りかねないではないか?」


 そう言って、ダン=ルティムはつやつやとした頭に不満げなしわを刻む。


「この森辺の集落で生を受けた人間が、森に魂を返したいと懇願しておるのだ。その言葉をはねのけてまで、どうして城の人間なんぞに処断させねばならぬのかな。俺には今ひとつドンダ=ルウらの心情がわからん」


「族長たちにしてみても苦しいところなのでしょう。ただでさえあちらはスン本家の人間全員の身柄を要求してきているんです。この上、ズーロ=スンの身柄まで渡せないという話になったら、森辺の民はジェノスに叛意ありと思われかねないですし……」


「叛意なんぞありはせん。意味のわからぬ要求をはねのけることがどうして叛意になってしまうのだ?」


 ダン=ルティムの主張は、あまりにも真っ当だった。真っ当すぎて、ぐうの音も出ないほどだ。


 サイクレウスは「森辺の民を信用していない」という見地から要求を突きつけてきている。だから、かけ引きだとか小理屈だとか、そういう部分をとっぱらってしまうと、ダン=ルティムのような感想になってしまうのが当然なのだろう。


「だいたい、ジェノスの法においてはモルガの恵みを荒らすという行為も死罪には値しない、とされているのだろう?」


「はい。そのように聞いています。たいていの場合、ジェノスの法よりも森辺の掟のほうが罰が重いそうですね」


 その情報をもたらしてくれたのは、いま目の前で不満そうに口をとがらせている人物の息子さんである。


「ならば、ズーロ=スンも城に引き渡されたほうがまだ生き延びる好機もある、ということではないか。その上で今すぐに頭を剥げなどと言っておるのだから見上げたものであろう」


「そうですね……普通に考えたらそうなのでしょうけど……」


 しかし、相手はサイクレウスという謎の奸臣である。

 ズーロ=スンは「どのような目に合わされるかもわからない」と泣きわめいていたそうなのだから、よほどの恐怖心をかきたてられてしまったに違いない。


 しかも、かの御仁はズーロ=スンばかりでなく他のスン家の者たちも引き渡すべし、と執拗に言い張ってきているのだ。

 森辺の民の処置は手ぬるい、というのが向こうの言い分であるのだから、何かあちらにはズーロ=スンらを抹殺せねばならない事情でもあるのだろう。


 そうであれば、ズーロ=スンがあれほど怯えるのもわからなくはない――


 そこまで考えて、俺は小さな疑念に突き当たった。


(でも、そうまでしてスン家を抹殺したい理由って何なんだろう?)


 普通に考えれば、それは大罪人ザッツ=スンにまつわる何かであろう。

 たとえばザッツ=スンとサイクレウスの間に何か密約があったとして、それを知る人間がスン家に残っていたら都合が悪い――サイクレウスがそのように考えたのなら、ズーロ=スンが拷問にかけられることもありうるだろうし、本家の人間全員に口封じが必要だという疑心暗鬼に陥るのもわかる。


 しかし、実際問題そのような秘密が存在するだろうか?

 そのような秘密が存在したとして、ズーロ=スンにそれを律儀に守り通す筋合いなどあるだろうか?


 ズーロ=スンが虜囚の身となって、すでに20日以上が経過しているのである。

 その間、ザザの男衆らにはさんざん余罪を追及されているのだろうから、告白の機会はいくらでもあったはずだ。


 と、いうよりも――そこまで城の人間が怖いのならば、森辺にいる内にすべてを暴露してしまえばいいではないか。


 暴露してしまえば、秘密は秘密でなくなってしまう。

 そうすれば、拷問や口封じなどを怖れる理由も消失するはずだ。


(それはサイクレウスにとって致命的な秘密だから、暴露してしまうと森辺の民のすべてに危険が及んでしまう、とか――?)


 いくら何でも、そこまでの秘密は存在しないと思う。

 そうだとしたら、サイクレウスだってこれほどの長期間、ズーロ=スンを放置しておかないはずだろう。スン家の人間全員を引き渡せなどと言いださなければ、少なくともズーロ=スンとザッツ=スンの両名だけは20日も前に手中にすることができたのだから、それで拷問でも何でもして秘密が漏洩していないか確認すれば済む話である。


 それに――考えてみれば「サイクレウスとザッツ=スンの密約」というのも何だか的外れなように感じられてしまう。

 そもそもザッツ=スンの側に、サイクレウスと協力関係にあっただとか、体よく利用されていただとか、そんな意識がこれっぽっちでも存在しただろうか?


 もしも存在したのならば、そのことをぶちまけずに滅んでいったとは考えにくい。ザッツ=スンは、あれほどまでにジェノスの民を憎悪していたのだから。


(テイ=スンだって、それは同じことだろう。だとしたら、ズーロ=スンひとりがそんな秘密を抱えこんでいるわけがない――ってことになるのかな)


 それじゃあいったいどういうことなのだろう。


 サイクレウスは、何故ズーロ=スンや本家の人々の身柄を欲しているのか。

 ズーロ=スンは、どうしてそこまで城に引き渡されることを恐怖しているのか。


 考えれば考えるほど、わけがわからなくなってきてしまった。


 だけど、ひとつだけわかったことがある。

 その疑問をサイクレウスに問うことはできないが、ズーロ=スンに問うことは可能である、ということだ。


「――ドンダ=ルウは家の中ですか?」


「そうだ」という返事であったので、俺は単身、ルウの本家に踏み込ませていただくことにした。


 家の中で待ち受けていたのは、家長と、その長男と、長男の嫁と、長男の息子だった。

 ようやく賑やかな客人が表に出ていったので、家族の団欒を楽しんでいた最中なのだろうか。コタ=ルウを抱いたサティ・レイ=ルウに案内されながら、まず俺は突然の来訪をわびさせていただいた。


「余計な前置きはいい。俺に話しておきたいこととは、何だ?」


 相変わらず不機嫌そうなドンダ=ルウに、俺は疑念の内容を解説してみせた。

 が、あまりに内容が漠然としているためか、今ひとつ心情が伝わらない。


「……よくわからねえな。もう少しわかりやすい言葉で喋れねえのか、貴様は」


「すみません。俺自身も何が問題の焦点なのか把握しきれていないもので……要するにですね、ズーロ=スンはいったい何をそのように怖れているのだろう、ってことなんです。どうせ森辺に留まっても死罪なのですから、今さら城の人間を怖れる理由はないように思えませんか?」


「しかし、昨晩は何者かがザザの集落に侵入したのだ。それで城の人間がそこまで自分の存在に着目しているのだという事実を知り、惑乱した――それでは筋が通らない、というのか?」


 そう応じてきたのは、ジザ=ルウのほうだった。

 相変わらずにこやかに微笑んでいるような顔つきで、内心はまったくうかがえない。


「はい。たとえばその目的が口封じだとしたら、どのみち死罪の身なのですから怖れる理由にもならないでしょう。だからズーロ=スンは、サイクレウスに身柄を押さえられたら、死よりも怖しい運命を授かることになる、と危惧したんじゃないでしょうか?」


「死よりも怖しい運命――だからそれは拷問か何かなのではないのか?」


「俺も最初はそう思いました。だけど、拷問にかけるほどの秘密をズーロ=スンが有しているなら、城に引き渡される前にすべて暴露してしまえば拷問される理由もなくなるように思えます」


「……それじゃあそれ以外にどんな可能性があるってんだ?」


 ドンダ=ルウの言葉に、俺は「わかりません」と首を振ってみせる。


「だからそれは、ズーロ=スン自身に問い質すべきではないでしょうか? あなたは何をそのように怖れているのか、と。――ズーロ=スンはこの10年間、族長としてサイクレウスとの縁を繋いできた張本人なのでしょう? そんなズーロ=スンだからこそ、サイクレウスがどういう考えでいるのか想像がついた、ということなんじゃないでしょうか?」


「……確かにな。石の都の毒に犯されたズーロ=スンだからこそ、石の都の人間の悪巧みが読み取れる、という面はあるかもしれねえ」


 ドンダ=ルウは、たてがみのような髪をぼりぼりと掻きむしった。


「そういう話は、他の族長どもが引き上げる前に聞きたかったもんだぜ。……おい、ルウのトトスはこの後もルドが使うんだったな?」


「はい。ファの家まで護衛してもらい、その後はアイ=ファが戻るまで家に居残ってくれる予定になっていますが」


 説明するまでもなく、それはドンダ=ルウ自身が取り決めてくれた内容だった。


「だったら、もう1頭のトトスを使う他ねえな。レイの家長がファの家に現れたら、そのままザザの集落まで出向かせて、今の話を伝えさせろ」


「え? ラウ=レイがファの家に現れたら、ですか?」


「そういう約束をしてるんじゃねえのか? あいつはそのつもりだと抜かしていたぞ」


 そのような約束はしていないが、またヤミル=レイを連れてファの家を訪れる目論見であったのだろうか。


「わかりました。ズーロ=スンが何を怖れているのか、それを問い質すように、ですね。ラウ=レイが訪れたら、しっかり伝えておきます」


「ああ。レイの家長が現れなかったら、護衛の仕事を終えた後でルドにトトスを走らせろ。……たな」


「え? 何ですか?」


 ご苦労だったな、とか聞こえたような気もするが、今ひとつ聞き取れなかった。


「うるせえ! 用事が済んだのなら、とっとと出ていけ」


「はい! 失礼いたしました」


 俺は大人しく屋外に退散する。

 とりあえず、俺の中に生じた疑念はきっちりドンダ=ルウと共有し合うことができたようだ。


(灯台もと暗しだったな……確かにザッツ=スンなき今、この森辺で1番サイクレウスと交流が深かったのはズーロ=スンなんだから、もっとそのあたりのことを追及しておくべきだったんだ)


 ズーロ=スンはその怠惰な気性ゆえにザッツ=スンから見限られたのだと、かつてヤミル=レイはそのように語っていた。だから、サイクレウスがらみの陰謀とも無関係であろうと思われていたのだ。


 しかし、ズーロ=スンには10年もの間サイクレウスと縁を繋いできたという経験がある。

 陰謀とは無関係で、何の秘密も保持していないとしても、その経験は得難いものであろう。


 俺たちは、サイクレウスに対する予備知識が少なすぎるのだ。

 これでサイクレウスの尻尾を少しでもつかまえることができれば少しは前進できるかもしれない。満足感の一歩手前ぐらいの感情を胸に、俺はルウ家を後にすることができた。


 しかし、家の外には誰もいなかった。

 ギルルとルウルウがのんびり木の葉をついばんでいるばかりである。

 ルド=ルウやシン=ルウは、それぞれの姉が仕事に励んでいるかまどの間へと移動してしまったのだろうか。


 ならば、ダン=ルティムは――と、視線を巡らせかけたとき、どすんと物凄い地響きが鳴り響いた。


「わはははは! でかい図体をしてだらしないやつだ! そんなことではいつまで経っても俺やドンダ=ルウに勝つことはできんぞ!」


 集落の出口に近いほう、大広場の片隅に巨大なふたつの人影があった。

 高笑いをあげているのはもちろんダン=ルティムで、その足もとに這いつくばっているのは、ミダだ。その周囲では、小さな子供たちもちょろちょろと駆け回っている。


「狩人の力比べですか? ――やあ、ミダ、ちょっとひさしぶりだね」


 シュミラル来訪の際に顔を合わせたダン=ルティムより、ミダのほうがひさびさの対面であるはずだった。

 最近では毎日ルウの集落に立ち寄ってはいたものの、おたがい仕事を抱えていたためになかなか旧交を温める機会に恵まれなかったのである。


 地面に大の字に寝転んでいたミダは「……あ……」と不明瞭な声をあげながら巨体を起こす。


「アスタだ……ミダはアスタに見てほしいものがあるんだよ……?」


「え? 何だろう?」


 ミダはどすどすとシン=ルウの家の裏手に回っていく。

 ダン=ルティムとともに追従していくと、やがて驚くべきものが眼前に出現した。


 木造の、家である。


「うわあ、もう完成したのかい?」


 ミダは、シン=ルウの父リャダ=ルウの手ほどきで、自分の家を建てていたのである。

 しかし、俺がそれを知らされたのはララ=ルウの誕生日である青の月の25日で、あの頃はまだ木材の切り出しに励んでいたはずだ。


 それからまだ10日ていどしか経っていないのに、早くも完成してしまったのか。

 大きさはファの家より少し小ぶりかもしれないが、他の家と比べても遜色のない見事な仕上がりである。


「ほう! これは立派だな!」


 ダン=ルティムがバンバンと大きな手の平で壁を叩く。


「すごいねえ。こんなに早く完成するとは思っていなかったよ」


「うん……アスタとアイ=ファのために頑張ったんだよ……?」


「え?」


「今までの家は、アスタたちに返すんだよ……?」


 そういえば、唯一の空き家がミダの寝所となってしまったために、俺とアイ=ファはルウの集落に宿泊することができなくなった、という背景もあったのだ。

 まあ、アイ=ファは可能な限り自分の家に戻ることを望んでいるようだし、ギルルがいる以上なかなか今後はルウの集落に宿泊する機会もないのだろうが――もちろん、そんな野暮なことは言わなかった。


「ありがとう。本当によく頑張ったね。すごいと思うよ」


「すごいのはリャダ=ルウなんだよ……? ミダはまだ、ひとりじゃ何もできないんだよ……?」


「そんなことないよ。ミダぐらいの腕力がなければ、こんなに早く完成させることはできなかったはずさ」


 ミダはぷるぷると頬肉を震わせた。

 相変わらず贅肉が邪魔をして表情を動かせないようであるが、何となく嬉しそうにしているように見えなくもない。


「うむ。これはなかなかの手並みだぞ。ルティムで新しい家を造る際はその力を貸してほしいものだ」


 と、ダン=ルティムも愉快そうに笑い声をあげる。


「それに、少しずつ無駄な肉が落ちてきたようだな。その調子で励んでいれば、また力比べで力を見せることもできるだろう。しっかり食べて、しっかり働くことだ!」


「うん……今度はアスタの料理が食べられるように、ミダは頑張るんだよ……?」


 そんな毎回、俺がかまどをまかされることはないだろう。ルウの女衆だって、レイナ=ルウたちを筆頭にめきめきと調理の腕を上げているのだから。

 だけどそれも、野暮な話だった。


「次の収穫の宴が楽しみだね。もしもまたかまどをまかせてもらえるようだったら腕をふるうよ」


「うん……ミダも楽しみだよ……?」


 子豚のように小さな瞳が、きらきらと輝いている。

 宿場町の屋台を破壊したこともあるというミダの丸太のような腕が、いま森辺に新しい家を造りあげた。それは何だか、俺ていどのつきあいしかない人間にも、とても嬉しく、感慨深く思える出来事だった。


 ミダも、ヤミル=レイも――そしてきっとオウラやツヴァイだって、自分たちの犯した罪と、そしてテイ=スンの死を乗り越えて、それぞれの家でそれぞれの新しい生を歩み始めているのである。

 ディガとドッドはどうだろう。ドムの怖しい男衆に囲まれながら、自分たちの罪や弱さを悔いているだろうか。


 何にせよ、サイクレウスの言葉にドンダ=ルウたち以上の理を見いだせない限りは、絶対にこの生活を壊させてたまるかと、俺はそんな思いを再確認させられることになった。

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