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異世界料理道  作者: EDA
第十章 変革の前菜
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⑨姿なき再会

2015.4/14 更新分 1/1 誤字を修正

《玄翁亭》と《南の大樹亭》における仕事を終えたら、その後は《キミュスの尻尾亭》でミラノ=マスとその娘さんに料理の手ほどきをする約束になっていた。


 屋台の営業終了までは、あと1時間弱である。

 トゥランのミケルと言葉を交わしていたために多少の時間は削られてしまったが、小手調べとしては十分だろう。最初の数日間は、まず俺自身がカロンやキミュスの肉になれ親しむ、という期間になるはずだ。


 ミケルとの会話によってまたさまざまな思いを抱えこむことになってしまったものの、まずは仕事に集中である。雑念にとらわれて仕事をおろそかにしてしまったら、アイ=ファに怒鳴りつけられてしまう――とか考えつつ、かたわらを歩く家長の姿をこっそり盗み見てみると、何やらアイ=ファのほうこそが暗い面持ちになってしまっていた。


「……おい、どうかしたのか、アイ=ファ?」


 石の街道を歩みながら小声で呼びかけてみると、アイ=ファはちろりと頼りなげな視線をくれてきた。

 本当に、いつになく弱々しい表情である。


「べつだん、どうもしない。ただあのミケルという男の話を聞いて、少し気持ちを乱されてしまっただけだ」


「え、どうしてまた? 俺が腕の筋を切られるんじゃないかとか心配してるのか?」


「そのような真似は、絶っ対にさせん。不吉な言葉を軽々しく発するな、うつけ者め」


「それじゃあ何だよ? ……あ、まさか、俺がミケルの忠告に従ってジェノスから出ていくとか、そんな心配をしてるわけじゃないだろうな?」


 その言葉にも、アイ=ファはぷるぷると首を振った。

 何だか子供っぽい仕草だ。


「お前が森辺の民を見捨ててジェノスを出ていくわけがない。そのようなことに思い悩むのは、お前の誇りや覚悟を踏みにじるのと同じ行為であろう」


「ああ、その通りだよ。そうじゃないなら、安心したよ」


「……ただ、ほんの少しだけ不安になってしまったのだ。今の生活に、お前を繋ぎとめておけるほどの魅力があるのだろうか、とな」


 アイ=ファの指先が、さりげなく俺のTシャツのすそをぎゅっとつかんでくる。


「お前はさまざまな人々と縁を結んできたが、けっきょく1番長い時間をともにしているのは、この私だ。私とともにあることが、そこまでお前にとっての幸いとなり得るのか――それを思うと、やはり完全には不安を消しされない」


「いや、だから――」


「わかっている。私が同じような不安を抱くたびに、お前はそれを打ち消してくれてきた。お前の真情を疑わっているわけではない。……それでもこのように不安な心地になってしまうのは私自身の弱さなのだろう」


 そう言って、アイ=ファは力なくうつむいてしまった。


 昨日の晩だって、俺の幸福はアイ=ファのかたわらにしかないと告げているのに、酔っていたから記憶にないのか、それでも不安を消しされないだけなのか。

 何にせよ、不安になってしまったのなら、何度でもそれを覆すだけだ。


「大丈夫だよ。俺は絶対にジェノスを離れたりはしない。サイクレウスがどんな厄介な相手でも、アイ=ファたちがいれば恐るるに足らず、だろ?」


 言いながら、俺はTシャツをつかむアイ=ファの手に自分の手を重ねてみせた。

 もう1度俺の顔をじっと見つめてから、今度は勢いよく首をぶるぶると振るアイ=ファである。


「気弱な面を見せてしまった。家長として恥ずかしく思う」


「恥ずかしくなんかないよ。俺だって、アイ=ファの身に危険が迫っていたら、どうしようもないぐらい不安感を煽られると思うし」


 しかし実際のところ、俺の身に具体的な危険が迫っているわけではない。

 ミケルは、サイクレウスが俺の料理を食べてしまったらきっと料理人として見初められてしまうだろうから気をつけろ、と言ってくれたに過ぎないのだ。


 何度考えたって、サイクレウスがギバ料理に興味を持つとまでは思えないし、そもそも次期領主たるメルフリードに半ば宣戦布告をされているこの状況で、俺などにかまっているゆとりはないだろう。己の保身と美食趣味の充実のどちらが大事なのだ、という話である。


「しかしお前は城下町で料理人をつとめていた男にその腕前を認められたのだ。それだけは肝に銘じておくのだぞ、アスタ」


 何とかかんとか家長の威厳を回復させた面持ちで、アイ=ファはそう言った。

 ただし、その手はひかえめに俺のTシャツを握ったままである。


「そいつは確かに名誉な話だけどな。それでもやっぱり、俺とサイクレウスが顔をあわせる機会なんて一生ないんだろうと思いたいね」


 それがどれほど楽天的な台詞だったかもわからぬまま、俺はそのように答えていた。

 たとえサイクレウス自身がそのような事態を望んでいなくとも、悪ふざけの好きな運命神の手にかかれば人の子の運命などどのようにでも転んでしまうのだと――俺たちがその事実を知るのはもう少し後になってからのことであったのだ。


 ともあれ、本日の仕事はまだ終わっていない。

 ほどなくして、俺たちは《キミュスの尻尾亭》に到着した。


「けっきょく誰とも出くわさなかったなー。……それじゃあアイ=ファ、ここでも俺が中についていくからな?」


 ルド=ルウの言葉に、アイ=ファは「わかっている」と唇をとがらせかけた。が、なんとかそれを抑制して、宿屋の入口から少し離れた場所に立つ。


 シン=ルウと分家の少年は裏口のほうに回り、俺はルド=ルウとヴィナ=ルウの3名で扉をくぐった。


「ああ、ようやく来たか」とミラノ=マスが受付台で立ち上がる。

「お待たせしました」と言いかけて、俺は息を飲むことになった。

 ミラノ=マスが、尋常でない顔つきをしていることに気づいてしまったのだ。


「ど、どうしたんです? 何かあったんですか、ミラノ=マス?」


「別に何もない。……とは、さすがに言えないな」


 ミラノ=マスは、必死に怒りをねじふせているような顔つきになってしまっていた。

 ただ怒っているだけではない。その顔はすっかり血の気が引いてしまい、怒ると同時に憔悴し果ててもいた。


「さっき、娘を買い物に出したんだ。そうしたら、町の無頼漢どもに囲まれて――そのまま、かどわかされそうになったらしい」


「ええっ!? そ、それで娘さんは大丈夫だったんですか?」


「ああ。たまたまうちの宿を利用している客のひとりがその場に居合わせてな、すったもんだしている間に衛兵もやってきて、悪党どもは逃げ散ったそうだ」


 それはきっと、客のふりをしてミラノ=マスたちを警護していた《守護人》のひとりなのだろう。

 カミュアの采配に心からの感謝を捧げつつ、「そうですか……」と俺は安堵の息をついた。


 しかし、話はまだ終わっていなかった。


「そのときに、悪党どもはこのように言っていたらしい。森辺の民なんぞに肩入れする恥知らずめ、報いを受けるがいい――とな」


「……どうして町の無頼漢がそのようなことを!?」


 俺は受付台に手をついてミラノ=マスに詰め寄った。

 ミラノ=マスは、激情に震える声で応じてくる。


「いまだに森辺の民を目の敵にしている人間は少なからずいる。大した事情や理由もなく、ただ闇雲に蔑んだり怖れている連中もな。……ふん、そう考えたら、一応の理由があって森辺の民を恨んでいるという赤髭の息子とやらのほうが、まだしも人間がましいのかもしれんな」


「その連中も、ジーダの仲間だという可能性は――?」


「それはないだろう。仕事にあぶれた傭兵くずれか何かが、森辺の民にかこつけて憂さ晴らしでもしようと思ったんだろうさ」


 そうなのだろうか?

 しかし昨晩は、ドーラの親父さんが森辺の民を偽装した野盗どもに襲われてもいるのだ。

 偶然と考えるほうが難しいタイミングだ。


 しかし、ドーラの親父さんの件を告げても、ミラノ=マスは「偶然だろう」と首を振るばかりだった。


「うちの娘は、森辺の民のなりをした連中に襲われたわけじゃない。どちらも森辺の民がらみだが、内容は別物だ」


「でも、どちらにせよ、被害者が受ける印象は一緒じゃないですか? 森辺の民に関われば不幸な目にあうっていう――」


「そんなことをして誰の利になる? 貴族か? 《赤髭党》の残党か? 今さら宿場町の人間と森辺の民の関係をかき乱したって、何の得にもならないだろうが?」


 それは確かにその通りかもしれない。

 ドーラの親父さんの一件は、森辺の民の存在を貶めようという陰謀か、とも思えたが――ミラノ=マスの娘さんを襲うことに、どのような意味が見いだせるだろう?


 ひとつ考えられるのは、屋台の商売を頓挫させるため、だ。

 とびきり不愉快な想像であるが、ミラノ=マスとドーラの親父さんの双方に愛想を尽かされたら、俺の商売の継続はいささか難しいことになる。


 しかしまた、難しいことにはなっても、挫折までには至らない。


 野菜売りも、屋台を貸してくれる宿屋も、この宿場町にはいくらでも存在するのである。本当に商売をあきらめさせたかったら、それらのすべてから愛想を尽かされるまでこの嫌がらせを継続する他ない。


 俺の商売を妨害したいなら、もっと効果的な方法がいくらでもあるのではないだろうか?

 それともやっぱり、森辺の民には直接手を出し難いので、町の人々に魔手を伸ばしている、ということなのだろうか?


「何にせよ、そんな悪党どもは衛兵にまかせておけばいい。あいつらは罪人をとっ捕まえるのが仕事なんだからな。俺たちは俺たちの商売のことだけを考えていればいいんだ」


 言いながら、ミラノ=マスはくるりと俺に背を向けた。


「それじゃあ、仕事に取りかかるぞ。さすがに娘は気持ちがまいっちまってるから、今日のところは俺だけが相手をさせてもらう」


「いや、ミラノ=マス、その仕事もしばらくは差し控えたほうがいいんじゃないでしょうか? もしもこれでまたミラノ=マスや娘さんが襲われることになってしまったら、俺は申し訳が立ちません」


「何だ、それじゃあ屋台の契約も他の宿屋に移すのか? ……それとも、宿場町での商売そのものをあきらめるのか?」


 俺に背中を向けたまま、ミラノ=マスが低く言った。

 そんなに大柄でもないミラノ=マスの背に、はっきりと怒りの火がゆらめいている。


「それでまたお前さんたちは森辺の集落にひっこんで、町の誰とも縁を繋がずにひっそり生きていこうってのか? お前さんたちは、それで満足なのか?」


「いや、ですが――」


「仮にこれが貴族や野盗どもの悪巧みだとしても、そんなものに潰されてたまるか。ここは商いの町、宿場町なんだ。そんな輩に俺の商売の邪魔はさせん」


 そうしてミラノ=マスは厨房の中に姿を消した。

 その後を追うべきか追わざるべきか、俺がひとりで煩悶していると――「行けよ、アスタ」とルド=ルウに背を押された。


「アイ=ファも言ってただろ。お前の仕事は美味い料理を作ること、宿場町での商売を成功させることだ。他の仕事は俺たちにまかせておけよ」


 ルド=ルウは、いつものように笑っていた。

 いつものように笑いながら、その双眸に狩人の火を燃やしている。


「あの親父さんの娘も助かったって言ってたじゃん。そいつはあのカミュアっておっさんの仲間が仕事を果たしたってことなんだろ? お前が商売をあきらめたら、それは他の人間の信頼や誇りを踏みにじるってことにもなるんだぜ?」


「――わかったよ」


 ルド=ルウやカミュアばかりではない。ドーラの親父さんやミラノ=マスだって、それは同じことが言えるのだ。

 たとえ危険な目にあおうとも、自分は自分の道を曲げない。そのような覚悟でもって、彼らは俺に手を差しのべてくれているのだろう。


 俺が彼らの立場であったら、どのように振る舞っていただろうか?

 今は時勢が悪いから、ちょっと敵の目をくらますために距離を取ろう、とか考えるだろうか?

 たぶん、考えないと思う。

 自分が被害を受ける立場であったら、こんなことに屈してたまるかと意地を張り続けるに違いない。


(――ってことは、みんなも俺なみに意地っ張りってことなのかな。それってけっこう末期的だと思うけど)


 そんなことを考えながらも、俺は足を踏み出すことができた。

 厨房では、ミラノ=マスが腕を組んで待ちかまえていた。


「……今日はお前さんがカロンやキミュスの肉を扱ってみたいという話だったな? 準備はできているぞ」


 親父さんの足もとには、大きな壺が鎮座ましましていた。

 壺というか、瓶なのだろうか。口がぱっくりと開いていて、そこには青みがかった岩塩の粒がぎっしりと詰め込まれているのがうかがえる。


「はい。手ほどきをするには、まず俺自身がキミュスやカロンの肉がどういうものなのかを知らなくてはなりませんので。そこを手始めにしたいと考えています」


「そうか。それじゃあ――よろしくお願いする」


 ミラノ=マスは筒型の帽子を取って、深々と頭を垂れる。

 俺はひとつ大きく深呼吸して胸中の不安や動揺を体外に排出してから、同じ角度だけ頭を下げて「よろしくお願いします」と告げた。


「まず、これがカロンの肉だ」


 ミラノ=マスが瓶の中に指を突っ込み、赤い肉片を引っ張りだす。

 長さは15センチ、幅は5センチ、厚さは1センチほどの、肉の切り身だ。


 ほとんど赤身で、脂肪らしい脂肪は見当たらない。ただ、白いスジが細く網の目状に走っている。

 焼く前のカロン肉を見たのはこれが初めてであるが、牛肉のように赤みの強い色合いだ。


「うーん、《キミュスの尻尾亭》では、だいたいカロンは煮込み料理で使っているのですよね? 屋台の料理なんかでは、焼いた料理のほうが主流のようですが」


「屋台では皿が使えんからな。固いカロンの肉でも焼いて売るほうが手っ取り早いのだろう」


「カロンの足は、肉質が固めなのですよね。……ちょっと失礼します」


 台に置かれた肉片に、俺はそっと指先を押し当ててみる。

 固いというか、やはりスジが多すぎるようだ。感触としては、牛のモモ肉よりスネ肉や肩肉に似ているようだった。


「ずいぶんスジが多いですね。これはこのように切り分けられた状態で売っているんですか?」


「いや、買ってくるときはもっと大きな塊だ。後で面倒にならないよう、そいつを薄く切ってから塩に漬けている」


「そうですか。機会があったら今度はその塊の状態も拝見したいですね。最初の切り分け方でずいぶん変わるかもしれませんので。……まずは木の棒か何かで叩いてみましょうか」


「木の棒で叩く?」


 けげんそうに眉をひそめるミラノ=マスから攪拌用の図太い棒を借り受け、清潔な布ごしに肉を入念に叩いていく。


「こうして肉の繊維を潰しておくと、固い肉も柔らかくできるんです」


 1センチの厚みが半分ぐらいになるまで叩いていくと、だいぶん柔らかくなってきた。

 しかしまだ随所にしこりが感じられるので、肉切り刀でぶすぶす突いておく。

 これも必須の作業であろうが、あまりやりすぎると肉がバラバラになってしまいそうだった。


「よし、これで少し焼いてみましょう。……ちなみに、カロンは入念に焼いたほうがいいんでしょうか?」


「いや。新鮮なカロンは生でも食べられるそうだからな。キミュスほど入念に焼く必要はない。焼きすぎると、余計に固くなるはずだ」


「そうですか」


 とりあえず、一口大の切り身を鉄鍋に落とし、赤みが少し残った状態で木皿に引き上げてみた。

 外見上は牛の焼き肉と同一で、香りもそれに近い。

 普通に食欲をそそられる仕上がりではないか。


 しかし、そいつをひと切れ口の中に投じてみると――脂身が少ないせいかパサパサの肉質で、残ったスジが歯の間にはさまってきた。

 肉質は、ギバほど固くはないだろう。が、これではスジが多すぎる。あれだけ叩いてこの有り様では、やっぱり焼き料理にはあまり適していないかもしれない。


 ただし、パサパサでスジだらけでも、強い塩味の向こう側には肉の旨みが感じられる。

 確かにこれは煮込み料理のほうが本領を発揮できそうな肉質だ。


「うーん……俺も以前に屋台の料理を味見したことがあるんですけど、そいつはものすごく薄切りにされていて、そこまで食べにくいことはなかったんですよね。あれはどういう方法で薄切りにしているんでしょう?」


「よくは知らんが、おそらくは焼いてから切っているのではないのかな。生のままではそうそう薄くは切れないはずだ」


「ああ、なるほど」


 故郷の縁日などで見たケバブの屋台が脳裏に浮かぶ。

 ああやって、焼いた端から肉片を削り落としているのだろうか。


 ならばこちらは、生の状態での細切りに挑戦してみよう。

 カロンの肉を板にはりつけるように平たく伸ばして、肉の繊維と垂直になるように刀を入れていく。なるべく手早く、刀は下からすくい上げるように、だ。


「さすがに見事な手並みだな」と、ミラノ=マスがうなるような声をあげる。


 試しにミラノ=マスにも自前の刀で実践してもらうと、それでも7、8ミリぐらいの細さに切り分けることは可能なようだった。


 もともと5ミリぐらいの厚さに潰しておいた肉なので、ひょろひょろの肉がちょっとした山になる。


「よし、ではこれを果実酒とミャームーの味付けで焼いてみましょう」


 ミャームーはざっくり刻んで肉と一緒に火を通し、最後に果実酒で風味をつける。

 それを木皿に引き上げると、野菜なしのチンジャオロースーのような見栄えであった。


「ああ、普通に焼くよりずいぶん食べやすくなっているな」


 試食をしたミラノ=マスがびっくりしたように目を見開く。


「それに、果実酒とミャームーを入れるだけでこんなに味が良くなるとは……はっきり言って、このまま客に出してもかまわないぐらいだ」


「カロンもけっこう肉の味はしっかりしているのでミャームーは合うみたいですね。アリアやプラやティノなんかと一緒に炒めたら、それなりに格好はつくかもしれません」


 その場の思いつきとしては、なかなかの仕上がりであるかもしれなかった。


 ただし、味付けにはまだまだ改良の余地があるだろう。『ミャームー焼き』のように肉を漬け汁に漬けこんでみたり、他の調味料をあわせてみたり――ピコの葉を使用していないせいか、何となくパンチが足りていないように感じられてしまう。


(でも、宿場町だとピコの葉も有料なんだもんな。タウ油はナウディスを経由しないと手に入らないし)


 なかなかこれは取り組み甲斐のありそうな食材である。

 しかし、時間が迫っていたのでカロンの検証はここまでとさせていただいた。


「それじゃあちょっとキミュスの肉も試させていただきますね」


 ミラノ=マスはうなずき、また瓶の中に太い腕を突っ込んだ。

 引きずりだされたのは、一転して白みがかった肉だ。


「こっちのが胴体で、こっちのが足の肉だ」


 足は骨つきで、けっこう大振りなニワトリのモモ肉と大差のない外見であった。

 しかし、胴体のほうは――あまり鳥類っぽくない。半身に割った四足獣の胴体を思わせる形状だ。大きさは小さめのウサギぐらいである。


「部位はこれだけですか? 俺の故郷では、手羽も美味しく調理されているのですが」


「手羽? 羽のことか? 頭は使える部分も少ないので、キミュス屋に置いていくことになっている」


「頭? 頭と一緒に手羽も置いてくる、ということですか?」


「キミュスの羽は頭にひっついているんだから当然だろう」


 頭に羽のついている鳥。

 俺の貧困な想像力では、うまくビジュアル化することができなかった。

 まあ、生前のキミュスを想像したところで料理の質が上がるわけでもない。


「キミュスの肉は焼いたりもしているのですよね?」


「ああ。キミュスはカロンほど固くはないからな」


 キミュスの肉は、ササミのように淡白であったと記憶している。扱いやすい代わりに味気ない、というのが正直な感想だ。


 ムネもモモも脂身が少なくて、皮も剥がされてしまっている。これをただ煮たり焼いたりしても、味気ないのが必然であろう。

 聞いてみると、キミュスの皮は皮細工として加工できるので、皮つきのまま買うのはずいぶん割高になってしまう、とのことだった。


(となると、やっぱり調味料に漬け込む感じかな。鉄串で穴だらけにして水分を吸わせれば、あのパサつき加減も緩和させることはできるはずだ)


 ただ、残された数十分では肉を漬け込む時間は取れない。

 何かこの場でぱっと試せる目新しい調理法はないものか、と思案を巡らせていると――天啓のように、閃いた。


「そうだ! ミラノ=マス、ギーゴは余っていませんか?」


「ギーゴ? ああ、カロンの煮付けで使うやつがまだ余っていたな」


 牛のスネ肉に似たカロンと、ヤマイモのごときギーゴを一緒に煮ているのか。

 その料理を口にしたことはないが、組み合わせとしてはどうなのだろう。牛スジの煮込み料理と思えば、案外いけるかもしれない。


 ともあれ、今はキミュスである。煮込み料理に関しては、もう少し時間のあるときに検証させていただこう。


「ちょっと試してみたいことがあります。もう1度かまどに火を入れていただけますか?」


 俺はキミュスのムネ肉を100グラムていどの目安でミンチにして、それを少量のギーゴのすりおろしと混ぜ込み、小判型のつくねをこしらえてみせた。


 それを熱した鍋に投じると、薄桃色の肉がすみやかに白く変色していく。

 油がないので焼き面が鉄鍋にへばりついてしまい、ひっくり返す際に注意は必要であったが、それでも何とか崩さずに焼きあげることはできた。


「これはどうでしょうね。ミラノ=マスも味見をお願いします」


 食感は、それなりのものだった。

 ギーゴのつなぎだけでは粘りが弱く、俺の知るつくねよりも容易くほろほろと崩れてしまう。

 そして味付けは漬け込んでいた塩のみなので、やっぱりいささかならず味気ない。

 ただ、このさっぱりとした味わいは、なかなか工夫のし甲斐もあるのではないだろうか。


「これはあの、お前さんが屋台で売っているのと同じような料理だな? この柔らかさは物珍しくて評判を呼ぶかもしれんが――お前さんの料理を食べたことのある人間には物足りなく感じられるだろうな」


「そうですね。でも、味付けを工夫すれば、ハンバーグとはまた違った美味しさを導けると思います」


 これまたタウ油が使えれば照り焼きで解決なのだが――使える調味料が岩塩と果実酒、それにミャームーのみでは、ちょっと難しいかもしれない。

 タラパのソースもベストな組み合わせではないだろうし、なおさら『ギバ・バーガー』との差異も明らかになってしまうに違いない。


 俺はあらためて、ギバ肉のポテンシャルに助けられていたのだなということを痛感させられた。

 ギバ肉は、塩とピコの葉をまぶして焼くだけで十分に美味であるし、また、強い味付けをしても負けない存在感がある。だからこそ、ここまで調味料の足りていない環境でも料理らしい料理に仕上げることができていたのだ。


 それに、カロンの足にもキミュスにもほとんど脂肪というものがついていない。調理油というものの見当たらないこの宿場町においては、ギバのラードを有しているというだけで大きくアドバンテージを稼ぐことができるのだろう。


「これはちょっと宿題ですね。俺は露店を回ってキミュスの肉に合う香草を探してみたいと思います」


「香草?」


「はい。味が薄いなら薄いで、香草の繊細な風味とあわせる食べ方も成立すると思うので」


 端的に言うと、大葉に近い風味を持つ香草を発見できれば、このキミュスのつくねも美味しくいただけるイメージがつかめたのだ。

 それを刻んで肉に練りこめば、煮ても焼いてもいけるかもしれない。


 あるいは、梅に似た果実は存在しないだろうか?

 タウ油が使えないのならば、そういった和風仕立てでさっぱりといただくのがベストであると感じられる。


「あとは、果実酒をもとにしたソースも試してみたいですね。このキミュスの肉にはちょっと甘めの味付けが合うようにも感じられます。……あ、シールの酸っぱい果汁とも合うかもしれませんね。実は今、家ではシールの実の使い道を模索しているところなんですよ」


「……ずいぶん楽しそうな顔をしているじゃないか」と、ミラノ=マスが肩をすくめた。


「そうやって、お前さんは自分の仕事に励んでいればいいんだ。そんなに楽しく感じられることを生業にできたことを、お前さんはもっと神に感謝するべきだな」


             ◇


 さまざまな宿題を持ち帰ることになりつつ、《キミュスの尻尾亭》でも無事に仕事を終えることができた。

 この調子で2、3日も通えば、それなりの献立を考案することもできるだろう。ギバの料理に対抗し得る献立を開発する、というのも奇妙な話ではあるが、やりがいのある仕事であることに間違いはない。


(それに、はっきり感じ取ることもできた。やっぱりギバの肉ってのは、キミュスやカロンの足よりは格段に上等な食材なんだ)


 それはつまり、この宿場町で扱われている中では最上級の肉である、ということだ。

 それに、牧場で養殖されているというカロンやキミュスより、ギバの肉は希少である、という面もある。

 ならば、ギバや森辺の民に対する悪いイメージを払拭することさえできれば、ギバ肉の価値を高める道も存在するはずだろう。


 最終的にはそういった充足感を胸に、俺はギルルの手綱を取ることができた。


「それじゃあ、森辺に帰ろうか」


 ドーラの親父さんやミラノ=マスの娘さんに訪れた不幸や、トゥランのミケルから得たサイクレウスの悪い噂など、気の重くなる話題も盛りだくさんである。

 それでも俺は、俺のやり方で闘い抜くしかなかった。

 愛すべき森辺の同胞たちとともに。


「また俺らが先導するからな。あんまり離れるんじゃねーぞ?」


 ルウルウに乗ったルド=ルウとシン=ルウが先を行く。

 アイ=ファは御者台のすぐ後ろにへばりつき、分家の少年は荷台の後部に陣取った。


 しかし――最後の最後で、俺たちは異変に見舞われることになった。


 森辺への道を辿って数分も経たぬ内に、ルド=ルウが「うわっ!」と声をあげてルウルウを急停止させたのである。


 並足であったのが幸いした。俺は棹立ちになったルウルウに追突することなく、ギルルの手綱を絞ることができた。


「下がれ、アスタ!」というアイ=ファの怒号とともに、俺は後方の荷台へと引きずりこまれる。

 それに代わって御者台に踊り出たアイ=ファは、ギルルの手綱を取りながら「どうしたのだ、ルド=ルウ!?」と、さらに叫んだ。


「足もとに矢を射られた! 上からだ!」


 言いざまに、ルド=ルウは愛用の鉈を振りかざす。

 見ると確かに、ルウルウの足先の地面に木製の矢が深々と突きたてられていた。


「誰だ! 出てこい! 姿を見せやがれ、卑怯者め!」


 裂帛の気合をほとばしらせつつ、ルド=ルウは頭上に目を向ける。

 灌木のてっぺんに近いあたりで、ほんのわずかに枝葉が揺れた。


 そして――「……忌まわしい森辺の民どもめ……」という怨嗟に満ちみちた声が降ってくる。


「その声は、ジーダと名乗る者だな? まずは姿を見せよ。……そして、私たちの言葉を聞け」


 鋼の精神力で瞬く間に冷静さを取り戻したアイ=ファも、頭上に呼びかける。


 返事は、なかった。


「我らにお前を害する気持ちはないのだ。刀を交えるのは言葉を交えた後でも遅くはあるまい」


 沈黙。


「……おい、お前は父親が森辺の大罪人の身代わりで処刑されたことを恨みに思ってんのか? それなら、なおさら俺たちの話を聞いてほしい」


 アイ=ファに感化されたのか、ルド=ルウの声からも激情が消えている。


「俺は森辺の新しい族長となったドンダ=ルウの息子、ルド=ルウだ。そして、10年前に大罪を犯したのは、その前に森辺の族長筋だったスン家の人間たちだ。森辺の民に恨みをぶつけてーなら、まずは俺の親父ドンダ=ルウと言葉を交わしてみてくれねーか?」


 沈黙。


「俺たちは、スン家がそれほどの罪を犯していたってことに気づけなかった。だからせめてもの償いとして、これからはひとりも罪を犯すことなく、正しく生きていくべきだと誓ったんだ。スン家だけが悪かったんだと責任逃れをするつもりもない。俺たちに、わびる機会を与えてほしいんだよ」


「……そんな貴様らが、どうしてのうのうと宿場町で商売なんかをしているんだ……?」


 くぐもった、激烈な憤怒を必死に抑えこんでいるかのような声。


「……何十人もの商人を殺し、その罪を俺の親父とその仲間たちになすりつけた。そんな貴様たちが、へらへらと笑いながら宿場町で大きな顔をしているのは、何故だ……?」


「だから、俺たちがどういう気持ちでいるのかを知ってほしいって言ってんだよ。その上で森辺の民を許せないっていうんなら――そのときは、刀を交えるしかないかもしれねーけどよ。俺たちも黙って皆殺しにされるつもりはねーからさ」


 ルド=ルウは、振りかざしていた鉈を下ろし、さらに言った。


「だけど、お前の気持ちを軽んじるつもりもない。納得がいくまで新しい族長たちと言葉を交わしてみてくれねーか?」


「……森辺の民は、俺の敵だ……」


 声の遠ざかる気配がした。

 急襲に失敗して、退散するつもりなのだろう。

 反射的に、俺は御者台のほうに身を乗り出してしまう。


「待ってくれ! ここ何日かで俺たちに縁のある町の人たちに災いを与えているのは君なのか? そうだとしたら、無関係の人々を巻き込むのはやめてほしい!」


 がさりと、茂みが激しく揺れた。

 それは、その内の人物の動揺を現しているようにも感じられた。


「違うんだったら、それでかまわない。というか、そんな言いがかりをつけてしまって申し訳なく思う。だけど俺たちは――」


 ひゅんっと一陣の風が俺の鼻先を通りすぎていった。

 革鞘に包まれたアイ=ファの刀が、俺の目の前で振り払われたのだ。

 そうと知覚した瞬間、弾かれた矢が地面に落ちた。


「わけのわからないことを言うな……どうして俺がそんな真似をしなくてはならないんだ……?」


 ぎりぎりと歯軋りをする音色が聞こえてきそうなほどの、憤怒に震える声だった。


 恐怖と安堵の感情が複雑にからみあいながら、俺の背筋を駆けのぼっていく。


「あらぬ疑いだったら、本当にすまない! 最初にそれだけははっきりさせておきたかったんだ。無関係の人たちを巻き込むのが、俺たちにとっては1番許せないことだったから」


「許せない……俺が今1番許せないのは貴様だ、黒髪のギバ喰いめ……」


 再び、空気を裂く音色が響く。


 アイ=ファがまた刀を一閃させ、今度は真ん中でへし折られた矢が地面に落ちた。


「やめろ! お前はアスタに憎悪を向けているのか!?」


 いったんは冷静になったアイ=ファの声に激情の響きがみなぎる。


「アスタはこの数ヶ月で森辺の民となった新参者だ! 10年前の事件とは何の関わりもない! お前がアスタを憎む理由などどこにもないはずだ!」


「ふざけるな……そいつさえいなければ、貴様たちが町でまで大きな顔をすることはできなかっただろう……森辺の民なんざに力を与える恥知らずめ……」


「森辺の民は、その全員が罪人なわけじゃない! 君はどれぐらい10年前の事件のことをわきまえているんだ? その犯人たちがもう全員生命を失っているということは知っているのかい?」


 俺の言葉に、がさがさと激しく茂みが揺れ動いた。


「全員……生命を失っただと……?」


「ああそうさ。だから俺たちは、同じ過ちを繰り返さないように、すべての真実を暴きたてようと画策しているんだ。実際に手を下した罪人たちは処断されたとしても、その裏にはそれを命じていた何者かがいるかもしれないんだよ!」


「そんな……そんな戯言で俺を騙そうとしても無駄だ……」


「戯言じゃない! だから俺たちは、君と力を合わせたいとすら考えているんだ! 君だけじゃなく、君の母君とも!」


 長い沈黙の後、またがさりと梢が揺れる。


「……俺は俺の父親の仇を絶対に許さない……」


 今度は明らかに声が遠ざかっていた。

 きっと、枝を伝って別の樹木に移動していったのだろう。


「追いかけても無駄だろうな」と、ルド=ルウが舌打ちする。


 ここはすでに、森の端だ。しかもこの辺りは藪が多くて、切り開かれた道の外は足を踏み込むことすら困難なほどだった。


 こうしてジーダとの2度目の出会いは、顔を合わせることもなくあっさりと終了してしまったのである。


「だけど、手応えは悪くなかったな。あいつ、ザッツ=スンたちのことすら今ひとつわかってないみたいじゃねーか?」


 鉈を腰に戻しながら、ルド=ルウがそう言った。


「事情がわかれば、少しはこっちの話にも耳を傾けるようになるだろ。とりあえず、眠っている間に窓から矢を射られないように気をつけておこうぜ、アイ=ファ」


「うむ」と難しい顔で刀を戻しながら、アイ=ファは俺をにらみつけてくる。


「アスタ、心を乱すなよ。誰が何と言おうとも、お前の存在は森辺の民の薬となっているのだ」


「ああ」と俺はうなずき返してみせた。

 ジーダの言葉は、深々と俺の胸に食い入ってしまっている。

 だけどそれでも、俺は自分の正しいと思える道を曲げることはできなかった。


(ザッツ=スンたちがしてきたことは、絶対に許されない。でもだからって、すべての森辺の民が小さく縮こまって生きていかなくちゃならない、なんて道理はないはずだ)


 スン家のこと、貴族たちのこと、森辺の民のこと――すべてをあのジーダという少年に知ってほしい。


 その上で、彼がどのような結論を得るかは神のみぞ知るであるが。俺はやっぱり、13、4歳の若さであれほどの憎悪にとらわれてしまっているジーダと敵対する気持ちには一切なれなかった。


(もう1度きちんと言葉を交わしたい。誰かの血が流れてしまう前に――)


 痛切に、俺はそう思った。

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