③邂逅
結論から言おう。
ポイタンとは、「野菜」ではなく「穀物」であったのだ、たぶん。
すべては推測の域を出ない。それを調べる方法は存在しないので。
とにもかくにも、俺はそう仮定することによって、ようやくこいつの調理方法を見出すことに成功できたのだった。
ヒントは、「栄養価」だった。
そんなに難しい話ではない。小学生レベルのお話である。
タンパク源は、ギバの肉。
ビタミンや繊維質は、野菜のアリア。
ならば、炭水化物はどうしている?という疑問が、最初の天啓だった。
この世界の住人たちがどういう身体の構造をしているのか、俺は知らない。だけど、これだけそっくり似たような姿をしているのだから、少しぐらいはこちらの常識というやつを当てはめてしまっても問題はないだろう。
アイ=ファは、すごく健康的な娘さんである。
肌つやは綺麗だし、研ぎすまされた身体をしているし、腕力なんかは、たぶん俺よりも強い。
そんなアイ=ファを構築するには、バランスの採れた食生活が必須なはずである。
で、アイ=ファは肉を食っている。野菜も食っている。ならば穀物も食っていると考えないほうが、むしろ不自然というものであろう。
そもそも炭水化物というやつは、エネルギーの源だ。
野生動物にも負けないエネルギーと力強さに満ちふれたアイ=ファが炭水化物を摂取していない、なんて、俺には考えられなかったのだ。
「ポイタンとは、野菜ではなく、穀物である」
そういう結論に達するに至ったもう一方の突破口は、ポイタンめの「食感」だった。
初めてこいつを食した時、俺は思ったものだ。
「まるで、水に溶いた小麦粉だ」と。
小麦粉。すなわち、小麦を挽いた穀物である。穀粉である。
焼いたり炒ったり生でかじる必要などなかった。答えは最初から目前にちらついていたのだ。
森辺の民の食習慣を、もっと重要視するべきだった。
「煮込む」というのが、唯一絶対の答えであったのだから。
高い熱で煮込むことによって、ポイタンの渋みは除去され、水に溶ける。
そうしてポイタンは、人の口に入る資格を得る。
しかし、このままでは味のしない泥水だ。百歩譲って、水に溶いた小麦粉だ。
水に溶いた小麦粉ならば、それをただの小麦粉に戻してやればいい。
そういった思考を経て、俺はポイタンの攻略に取りかかった。
少量の水でポイタンを煮詰めて、どろどろのポイタン汁を作成し、さらに限界まで熱を与えていく。焦げる寸前まで熱してやると、ポイタンはスライムのような半液状の生地に成り果てた。
それを1時間ばかりも天日にさらしておくと、ついにはカチカチに固形化してしまった。
それを砕いて、食してみると――味も風味もない、ただの粉だった。
やっぱり、果てしなく「小麦粉」に似ている。
だったら、小麦粉のように扱ってやる。
俺の予感は、的中した。
粉末化したポイタンを水に溶いて、それを火にかけると、生ポイタンのように煮立ったりはせず、ぶすぶすと焦げつき始めたのだ。
まるで、具のないお好み焼きみたいに。
残りわずかなサンプル分で、天日にさらさずスライム状になったポイタンも同じように焼いてみたが、そちらは駄目だった。水分だけが飛んでしまい、後には焦げついた粉末しか残らない。
一度完全に乾燥させる、というのが決まり手であったのだ。
どういった分子の配列の変化がポイタンの内でおこなわれているのか、そんなことはわからないし、また、べつだん知りたいとも思わない。
とにかく、俺は見出したのだ。
自分にとっての、正解を。
そして――俺の心は、ついにポイタンを攻略できたという勝利感とは別に、激しい喜びと高揚の虜にもなっていた。
小麦粉が、「つなぎ」が存在するならば、半ばあきらめかけていた「ハンバーグ」にチャレンジすることができる、と。
つなぎとは、ミンチにした肉と肉をつなげるための食材である。
通常は、卵黄やパン粉などが使われる。
もちろん、つなぎなど入れなくても、ハンバーグを作ることはできる。そもそもハンバーグにつなぎを入れるのは日本独自の文化だと聞いたことがある。「塩さえ入れれば大丈夫」だとか、「何も入れなくてもよく混ぜれば大丈夫」だとか、さまざまな説を聞いたことがある。
だけど俺はつなぎを使わないハンバーグなど作ったことがなかったので、どうしても二の足を踏んでしまっていたのだ。
まあ肉だけはふんだんに余っていたので、そのうち日中に試作でもしてみるか、と作成リストの最下段に据えておいた。
しかし、つなぎがあるなら、話は別である。
蒸し焼きや照り焼きなどは、いつでもチャレンジすることができるし、煮込み料理より難しいとも思えない。
ならば、やってやろう、という気持ちになれた。
ハンバーグというのは、いわゆる加工食品だ。肉の原型を留めていない肉料理だ。俺にとっては定番中の定番メニューでも、この異世界の人々にとっては、きっと摩訶不思議な料理であると思えるに違いない。
ハンバーグの作成に成功することができれば、どれほどアイ=ファを驚かせることができるだろう――そんな風に考えたら、俺は恋する乙女みたいに胸が高鳴ってきてしまったのだった。
◇
そんな紆余曲折を経ての、5日目の晩餐だった。
「ずいぶん変わり果てた姿になっちまったけど、こいつはポイタンだ。こいつ自体に味らしい味はないから、肉と一緒にちぎって食べるのが、まあ無難かな」
三つの小ぶりな『ギバ・バーグ』に、スライスしたアリアのつけあわせと、たっぷりまぶされた果実酒ベースのソース。
そして、まん丸のお好み焼きみたいな、焼きポイタン。サイズは、直径30センチ、厚みは1センチってところか。
「それでは、いただきます」
アイ=ファはまた左手の指先で口もとに線を引くような仕草を見せて、口の中で何かを唱えた。
それから器と匙を取り、さすがに疑わしげな表情で、『ギバ・バーグ』をじろじろ眺め回す。
そんな姿をこっそり盗み見しつつ、俺はパテに木匙を入れた。
うん。固さ的には、問題ない。断面も無茶苦茶ジューシーであるし、まずは上出来な仕上がりだろう。
しかし、今回に限っては、食材との相性という問題が残っている。
シシ肉でハンバーグを作ろう、という人間は、まあそんなには多くないはずだ。
それは、シシ肉があまりハンバーグという調理法には向いていないからなのであろうと推測できる。
シシ肉が豚肉よりも柔らかい、という特性を発揮できるのは、たぶん「煮る」という工程を経たときだけである。
たしか脂肪分の性質が原因であったと思うが、シシ肉は煮れば煮るほど柔らかくなる肉質なのだ。
それ以外の工程で食べるなら、やはりシシ肉は固めの肉としてカテゴライズされてしまう。
もちろん正しい手順で加工すれば、そこまで固くなるわけではない。が、牛や豚よりも柔らかい、ということにはならないだろう。
なおかつ、ハンバーグの王道をいくのは、牛肉だ。
同じぐらい人気なのは、豚肉との合挽きだ。
豚肉のみのハンバーグというのは、あまり聞いたことがない。
そして、イノシシは豚の原種であるから、やはり肉質は豚に近いのである。
決してハンバーグ向きではないシシ肉――と、そっくり同じ味をした、ギバ肉。そのギバ肉で作ったハンバーグはどんな仕上がりに成り果てているのか。アイ=ファを驚かせることはできても、俺自身を納得させることはできるのか――
いざ、勝負。
俺は、木匙ですくい取った『ギバ・バーグ』を、口の中に放りこんだ。
まだ十分に熱い肉汁が、火傷しそうな勢いで、口の中に広がっていく。
最初の感想は――「甘い」だ。
何だろう。ものすごく甘味がある。シシ肉、いやギバ肉特有の脂の甘味だろうか。
そのまろやかな甘味とともに、ちょっとクセのある肉の風味と、果実酒ソースの芳香が広がって――美味い、と思う。
肉はやっぱり、ハンバーグとしてはかなりの噛み応えだ。あれだけ入念にミンチにしても、こんなに噛み応えが残るのか。
だけど、不快な噛み応えではない。肉が固い、というよりは、しっかりとした噛み応えがある、と言えるだろう。
そして、噛めばまた肉汁があふれだし、口の中に旨味と潤いが広がっていく。
……駄目だ。
俺はやっぱり、人並み以上にはクセの強い肉が好きなのである。
シシ肉だとか、羊肉だとか、鴨肉だとか。ああいう風味の強い肉が、好きだ。
だから……素直に、美味い、と思えてしまう。
客観的な評価ができない。
つまり、美味いんだよ、ものすごく!
スライスしたアリアと一緒に、ソースをたっぷりからめて、また肉を口に運ぶ。
美味い。
無茶苦茶に美味い。
たぶん俺は、シシ肉のハンバーグにだって同じ評価を与えてしまうだろう。
自分で作った料理にこんな過大評価を与えてしまうのは気恥ずかしいばかりだが、本当に美味い。
ただ唯一の難点をあげるならば、もっと分厚いパテで味わいたい、というぐらいだった。
しっかりと焼けた両面の生地の厚さに対して、肉汁を含んだ内側の肉の比重が、小さい。
不満に思えるのは、それぐらいだ。
ポイタンをちぎって口に入れると、これがまた美味かった。
理想を言えば白米だが、やっぱり肉に野菜と穀物は必須である。
そうじゃない国も多いのだろうが、俺はそういう国で育ったのだ。そういう家庭で育ったのだ。肉には炭水化物、そして野菜。どれが欠けても、理想には届かない。
それにこの、穀物の味気ない味というのは、ひさかたぶりに味合う味なのだ。
俺は、自分で思っていた以上に、炭水化物に飢えていたのだなと実感させられる。
ポイタンなんて、パンやナンほどもっちりしているわけではないし、やっぱり具なしの、卵すら入れていないお好み焼きていどの食品でしかないのだが。それでも美味い、と思えてしまう。
3つのバーグに1枚のポイタンでは少ない。『ギバ・バーグ』はかなり濃厚な味わいであったから、食べようと思えばもう2枚ぐらいは食べられそうな気がした。
あんなに忌避していたポイタンなのにな、と思わず俺は苦笑いしてしまい――そして、「何を笑っているのだ、お前は」と冷たく突っ込まれてしまった。
ひさかたぶりに聞く、アイ=ファの声だ。
いかん。また食べるのに夢中で、アイ=ファの動向から意識が外れてしまった。
俺の食い意地も大概だな、と少し反省する。
「ああ、アイ=ファ。お味のほうは、いかがかな?」
見ると、アイ=ファはもうポイタンを半分以上たいらげて、2つ目のバーグを食べ終えるところだった。
速いよ。俺なんてまだようやく1つ目を食べ終えるところなのに。
その口に運んだ分を飲み下してから、アイ=ファは一言「美味い」と言った。
「それはありがとう! ……でも、もうちょい詳しく感想を聞かせていただけると、俺は嬉しいんだけど」
俺がそう言うと、今度は「嫌だ」と言われてしまった。
「……嫌?」
「嫌だ。感想など、言いたくない」
「えええ。何でだよ? まだ昼間のこと、怒っているのか?」
「昼間のこと?」と小首を傾げる。
「ああ。お前が我を失って不埒な行為に及んだことか。そんなことは、すっかり忘れていた」
「忘れていたって……だったらどうして、感想を言ってくれないんだよ?」
「やかましい! 言いたくないから、言いたくないのだ!」
それから、不可解な現象が生じた。
アイ=ファが顔を真っ赤にして、抱えた器に顔を隠すようにうつむいてしまったのだ。
「もういいだろう! 私を見るな!」
さっぱりわからん。
まあいいや。本日は情緒が不安定であらせられるようだから、感想を求めるのはまた後日ということにしておこう。少なからず肩透かしの感は否めないが、「美味い」という評価はもらえたわけだし――
と、俺がそこまで考えた時。
思いも寄らぬ方向から、思いも寄らぬ声が降ってきた。
「ねえ。それは何を食べてるの?」
俺とアイ=ファは、愕然としてそちらを見る。
かまどの横の、窓からだ。
だいぶん暗くなってきた窓の外――格子ごしに、小さな顔が浮かびあがっている。
「ねえってば! すっごくいい匂いがするんだけど。それはギバなの? そっちの白いのは何?」
「リミ=ルウ。……私の家には近づくなと言ったはずだ」
と、驚きの表情を消したアイ=ファが何でもないように答えたので、俺は少し安心した。顔見知りなら、問題なかろう。俺たちに後暗いことはない。
それにしても、何なのだろうか、この子どもは?
背が小さいので、窓からは赤茶けた髪とつぶらな瞳がうかがえるばかりで、どんな顔をしているのかもわからない。
「やだよ! せっかくひさしぶりに会えたのに、どうしてそんな意地悪なこと言うのさ? ……ねえ! それは何を食べてるの? どんな味がするの? 誰が作ったの? そっちの男の人は、アイ=ファの旦那さん?」
「馬鹿を抜かすな! こんな生白い男と、どうして私が!」
その言葉は、激しく俺を傷つけた。
が。
そんな風にわめき散らすアイ=ファの顔は、これまでで最高に赤くなってしまっていた。
うーん。
相殺、ということにしておこう。
「なあ、あの子はいったい誰なんだ?」
俺はアイ=ファに尋ねたのだが、答えたのは本人だった。
「リミ=ルウはリミ=ルウだよ! ルウの家の末の娘だよ! リミ=ルウは、アイ=ファのおともだちなの!」
「ふざけるな。お前などと友達になった覚えはないぞ、リミ=ルウ」
最後のバーグに木匙を入れながら、普段以上に冷ややかな声でアイ=ファはそう言った。
「お前のように騒がしい子どもは、嫌いだ」
すると。
リミ=ルウと名乗ったその子どもは、一瞬きょとんとしたような目つきになり。
次の瞬間、爆発した。
「うわあああああああぁぁぁぁぁん!」
と、大泣きし始めてしまったのである。
「お、おい、アイ=ファ、お前も子ども相手にそんな大人気ないことを……」と、たしなめようとする俺の声も、その泣き声にかき消されてしまう。
ものすごい泣き声だ。鼓膜が痛い。
「りみるうはあぁぁぁあいふぁのことだいすきなのにぃぃぃ!」という言葉だけ、何とか解析することができた。
何はともあれ。
今後の俺の運命を決することになる、ルウ家の末娘リミ=ルウとの出会いは、こんな感じで果たされたのだった。




