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異世界料理道  作者: EDA
第十章 変革の前菜
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③白の一日、アスタの一日 ~午前(下)~

2015.4/8 更新分 1/1

 ザッシュマへの報告を終えて屋台に戻ると、見覚えのある娘さんが2名、おたがいに『ギバ・バーガー』を手にしながら険悪ににらみあっていた。


 店番のララ=ルウが、うんざり顔で俺を振り返る。


「やっと帰ってきた。アスタ、こいつらを何とかしてよ」


 もちろんというか何というか、それはディアルとユーミだった。

 和解を果たしたはずの2人がどうしてまたこんな剣呑な空気を振りまいているのやら、俺としては困惑するばかりである。


「あの、いったいどうしたのかな……?」


 声をかけると、2人は同じ勢いで俺を振り返ってきた。


「やあ、アスタ。……別に何でもないよ。大きな声を出してるわけじゃないんだから、アスタに迷惑はかかってないでしょ?」


「ふん。だったらとっとと城下町に戻ったら? あんたみたいに目つきの悪い娘がうろちょろしてるだけで、きっとアスタには迷惑な話だよ」


「目つきが悪いのはおたがいさまじゃん。あんたこそ家に戻ったら?」


「あたしはアスタに仕事の話があるんだよ」


「僕だって今日は商売の話を持ってきたんだよ」


 確かに、声は大きくない。

 しかし、抑圧された激情が空気中に帯電し、今にもバチバチと音をたてそうな気配である。


 ちなみにそのかたわらでは、ディアルのお供である若者ラービスがまた険のある視線をルド=ルウに突きつけており、不穏な空気に拍車をかけてしまっていた。

 ルド=ルウは素知らぬ顔をしているものの、これではララ=ルウがうんざりしてしまうのも道理だ。


「と、とにかくちょっと脇のほうに……ねえ、いったいどうしたのさ? 昨日はけっこう仲良くなれそうな雰囲気だったじゃないか?」


「知らないよ。あたしはただ《南の大樹亭》で食べた料理の話をしただけなのに、急にこいつが突っかかってきたのさ」


「ふん! あんたが自慢たらしく喋ったりしなければ、僕だって腹を立てたりはしなかったよ。……僕だって、もっとアスタの料理を食べたいのにさ」


 と、ディアルのほうがちょっとしょげた顔つきになってしまうと、ユーミは「ああもう!」と長い髪をかきあげた。


「別にそんなつもりはなかったんだよ。すっごく美味しい料理だったから、ついつい浮かれちゃっただけで……それが気にさわったんなら、謝るよ」


「ううん。……僕も短気すぎるよね。あんたのことが羨ましかっただけなんだ。僕のほうこそ、ごめん」


 何なんだーと、俺はがっくり肩を落とす。

 数秒前まで険悪ににらみあっていた2人は「えへへ」と照れくさそうに目を見交わしてから、今度は笑顔で俺に向きなおってきた。


「まあ、そんなわけでさ。アスタの料理、めちゃくちゃ美味しかったよ! か、かくに? っていうんだっけ? とにかく、すっごく美味しかった!」


「そ、そうか。そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」


「いいなあ。それってタウ油を使った料理なんでしょ? 僕も食べてみたいなあ」


 と、子供っぽい素直さでディアルがまたぼやく。

 ユーミはくびれた腰に手をあてて苦笑した。


「あんただって食べればいいじゃん。夜は城下町を抜け出せないの?」


「うん。日が暮れた後はさすがに危ないからって、父さんに通行証を取りあげられちゃうんだ。ねえ、アスタ、昼間のうちにその料理を食べることはできないのかなあ?」


「うーん、調理を始めるのが中天を過ぎてからだからねえ。でもその後は日が暮れるのを待たなくても、宿屋のご主人に相談すれば売ってもらえるんじゃないのかな」


「そっか! それじゃあ仕事の手の空く日があったら、僕でも食べられるかもしれないね!」


 と、ディアルは気を取り直したように、にこりと笑った。

 ユーミもほっとしたように微笑を浮かべる。


 小さな男の子のようにちまちまとしていて幼げなディアルと、きわめて女性らしいプロポーションをしたユーミという、きわめて対極的な2名であるが、笑顔の魅力に遜色はないようだった。


「だけどさ、あのかくにっていう料理は昨日でおしまいなの? 今日から別の料理になる予定だってご主人が言ってたんだけど」


「ああ、うん、今日の献立は汁物だね。肉料理に関しては今日味をみてもらって、それで決めてもらうつもりなんだ。採用されれば、その肉料理も明日からお披露目できる予定だよ」


「そっか! それじゃあそっちの味も確認してみないとね! うわあ、楽しみだなあ」


「ちぇーっ! やっぱり何だかずるいなあ!」


「あはは。ごめんごめん」


 笑いながら、ユーミはディアルの頭を撫でた。

 そんな子供みたいに扱ったらまた癇癪を爆発させてしまうのではないかと危ぶまれたが、ディアルは不満そうに頬をふくらませるばかりだった。

 やっぱりなかなかいいコンビのようではないか。


「で、あんたのほうは? そっちも商売の話がどうとか言ってなかったっけ?」


「あ、そうだった! アスタに見てもらいたいものがあったんだよ!」


 元気いっぱいに言いながら、ディアルは腰から1本の刀を取り上げた。

 今日は護身用の短剣ばかりでなく、異なる刀もそこに下げられていたのだ。

 それは革鞘に収められた、どうやら調理刀であるようだった。


 俺の三徳包丁やシムの菜切り刀とは異なり、柄も金属製で、滑り止めのためにであろう、ななめに波紋が彫られている。


「へえ。これがディアルの店で扱っている調理刀かい?」


「うん! 肉切り刀だよ! ちょっと重いけど、キミュスの骨ぐらいだったら簡単に断ち割れるよ!」


 ディアルが柄のほうを差し出してきたので、俺は大いなる好奇心を抱きつつそれを受け取ることになった。


「えーと、鞘から抜いてもいいのかな?」


「鞘から抜かずに善し悪しがわかるの?」


 もちろん、わかるわけがない。

 俺は、革鞘から刀を抜いてみた。


 白鋼の、美しい刀身だ。

 牛刀というか洋出刃というか、三徳包丁を少しだけ細身にしたようなシルエットである。


 刃渡りは、20センチ強。

 細身だがしっかりとした厚みがあり、柄までもが金属なわりには、そこまで重くもない。

 三徳包丁に負けないぐらい、使い勝手は良さそうだ。


「うん、これはよさそうな刀だね」


 三徳包丁よりは重く、狩人の小刀よりは軽い。

 金属の柄も意外に指先になじむようだし、刀身との重さのバランスにも問題はないようだ。


「どう? よかったら切れ味も確かめてみてよ!」


 もちろん俺の側に断る理由はなかった。

 もともと俺は親父の魂たる三徳包丁の乱用をひかえるために、肉切り刀を欲していたところであったのだ。アイ=ファからも、すでに購入の許可はいただいている。


 しかし、宿場町で売られている刀には、どうにも食指が動かなかった。

 なまじシュミラルから立派な菜切り刀を買ってしまったために、ちょっとばっかり理想が高くなってしまっていたのである。


 俺はネイルに渡す予定であるサンプル分の肉をひと包みだけ荷台から持ってきて、そいつを屋台の作業台に広げた。

 ピコの葉をまぶされた、ブロックのバラ肉だ。


 ぐんにゃりと柔らかいその肉の端に刃先を当てて何枚か薄切りにしてみると、綺麗に7ミリていどの厚さで切れた。


 さらにそれを、まな板の上で叩いていく。

 あっという間に、ミンチの完成だ。


 申し分ない。

 少なくとも、肉を切るという作業において、三徳包丁に劣る切れ味ではなかった。


「ああ、いいね。何の文句もない切れ味だよ」


「ほんとに? それじゃあ買ってくれる!?」


 と、期待に満ちた眼差しでディアルが身を乗り出してくる。


「うーん、だけどこいつは城下町で売りに出してる刀なんだよね? ってことは、けっこう値も張るんじゃないのかい?」


「そりゃあ宿場町で売ってるような刀と比べたら高いだろうけど、その分の質は保証するよ! お代は、白銅貨12枚さ!」


 白銅貨12枚。

 シュミラルから買ったシム産の菜切り刀は、白銅貨18枚だった。

 そして、宿場町で売られている刀は、白銅貨4枚から5枚前後。

 アイ=ファから借りている狩人の小刀は、白銅貨6枚だ。


 ギバの角と牙に換算すれば、およそ10頭分である。

 決して安い買い物ではない。

 しかし、すでに20年も働いている三徳包丁を、これ以上酷使したくはなかった。


「うん、決めた。こいつを買わせてもらえるかい、ディアル?」


「やった! 毎度ありっ!」


 ディアルは心の底から嬉しそうに微笑んだ。

 その、あまりに無邪気な笑い方に、俺とユーミも微笑を誘発されてしまう。


「でも、どうして急に肉切り刀を? ちょうど俺もいい刀を探していたところではあったんだけどさ」


「えー? だって、アスタがジャガルの刀を使ってないのが悔しかったんだもん! そっちの菜切り刀はどう見てもシムの刀だし、そっちのそいつもジャガルの刀ではないでしょ?」


 と、ディアルがふいに真剣な眼差しになって台の上の三徳包丁を見つめる。


「それって、すごくいい刀だよね。どこの国で作られたものかはわからないけど、ちょっとびっくりした。……だから、その立派な刀にも負けないよう、1番上等な中から1番出来のよさそうな刀を選んできたんだよ!」


「そうなのか。嬉しいよ、ありがとう。……でも、そんな立派な刀こそ、貴族の上客に売るべきなんじゃないのかな?」


「ふん! 僕は貴族のお抱え料理人よりアスタのほうがすごいって思ってるからね! 1番立派な刀は1番立派な料理人に使ってほしいって思っただけさ」


 そう言って、今度は不敵な笑みを浮かべるディアルだった。

 どんな笑顔でも、真っ直ぐに感情がのせられているためか、魅力の度合いに変化はない。

 初めて会ったその日には、憎たらしくてしかたがない笑顔であったはずなのにな、と俺は可笑しくなってしまう。


「それじゃあまたね! 明日も絶対に来るから!」


「あたしも仕事に戻ろっかな。アスタ、今日の晩餐も楽しみにしてるからね?」


 そうして結局は俺の胸に温かいものを残して、ディアルとユーミはそれぞれ北と南に立ち去っていった。


 それと入れ替えで、ふわりと屋台の前に立ったのは――東の民の風貌を持つ西の民、サンジュラだ。


「アスタ、ひとつ、お願いします」


「ああ、どうも。毎度ありがとうございます。……あの、昨日は色々とありがとうございました」


「礼には及びません。西の民として、当然のつとめです」


 フードをはねのけて栗色の長い髪をあらわにしながら、サンジュラは穏やかに微笑んだ。


 その笑顔に心を癒されたのも束の間――サンジュラは、実にとんでもないことを言ってくれた。


「野盗の子供、捕まったのですね。安寧、守られて何よりです」


「えっ!」と、俺は立ちすくむことになった。

 顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかる。


「ちょ、ちょっと待ってください! 昨日の彼は、衛兵に捕まってしまったのですか?」


「違うのですか? 手配書き、回っていなかったので、私、そう思ったのですが」


「――手配書き?」


「はい。罪人、訴えられれば、衛兵の詰め所の前、人相書きなどが張り出されます。でも、さっき見たら、何もありませんでした。……だから、すでに捕らえられたのかと考えたのですが」


 サンジュラはきょとんとした様子で首を傾げる。

 俺は止めていた呼吸を溜息として吐き出すことになった。


「そういうことですか。ああ、びっくりした……いえ、すみません。実は俺たちは、そういう手続きをしていないんです」


「衛兵、申し出、しなかったのですか?」


 今度はサンジュラのほうがびっくりしたように目を丸くすることになった。

 そこまで大きい表情の変化ではないが、やっぱりシム人の風貌なので珍しく感じられてしまう。


 しかし、そのようなことに感心している場合でもなかった。


「乱暴されたのですから、衛兵、申し出るべきです。罪人、放っておくと、別の人間に被害が出てしまいます」


「ああ、こういうときはきちんと被害の届け出をするのが西の民のつとめなのですかね。……でも、彼は森辺の民だけを狙っている様子だったので、町の人たちに危険はないんじゃないでしょうか」


「それでは、アスタたちが危険です」


「俺たちは大丈夫ですよ。こうして頼もしい仲間たちが守ってくれていますから」


 サンジュラは、淡い色合いをした瞳で、屋台のそばに立つルド=ルウのほうを見た。

 ルド=ルウは、ラービスを相手にしていたときとは比較にならぬほど真剣な顔つきでその視線を受け止める。


「……でも、衛兵には届け出るべき、思います。もしかしたら、遠慮しているのですか?」


「遠慮?」


「はい。森辺の民、ジェノスでは複雑な立場と聞いています。私、ジェノスはあまり来ないのでよくわからないのですが、森辺の民、怖れられたり、迫害されたりもしているのでしょう?」


 とても真摯な面持ちで、サンジュラが身を乗り出してくる。


「でも、森辺の民、西方神セルヴァの子です。私も母親、シムの民ですが、私自身はセルヴァの子です。西の民、みな同胞です。遠慮、いりません。衛兵、頼るべき、思います」


 遠慮ではないのだ。

 しかしこの件において、サイクレウスの弟が長をつとめるという衛兵を頼ることはできない――などという内情を打ち明けるわけにもいかないし、いったいどうしたものだろうか。


「……やはり、気が進まないですか?」


「はい。すみません……」


「それでは、私、代わりに申し出ましょうか? 私、無関係ではないので、申し出る資格、あると思います」


「い、いえ! それをされると、俺たちは困ってしまうのです」


 どうやらすべてを包み隠すことは難しいようだ。

 俺は大急ぎで語るべき言葉を思案した。


「えーとですね、彼は森辺の民に深い恨みを抱いているようでした。ならば、きちんと言葉を交わしあって、誤解があれば解消したいと考えているんです。その前に彼が罪人として捕らえられてしまうと、誤解を解くこともできなくなってしまうので――だから俺たちは、衛兵に申し出をしなかったんです」


 よく考えたら、おおっぴらにできないのはサイクレウスの存在だけなのだ。

 10年前にザッツ=スンらが罪を犯したことや、《赤髭党》が濡れ衣で処断されたことは周知の事実となりつつあるのだから、隠す必要もない。むしろ、もっと大勢の人間が知るべきだろう。


 ただ、なるべくならばジーダの素性は明かしたくない。

 どこからそれがサイクレウスの耳に入ってしまうか、知れたものではないからだ。


 もっとも、ジーダはこのサンジュラの前でもしっかり自分は赤髭ゴラムの子だと名乗ってしまっていたわけであるが。サンジュラは、その名前にまったく反応していなかった。ジェノスの生まれではないらしいサンジュラには、《赤髭党》に関する予備知識がないのかもしれない。


 ともあれ、サンジュラはそれ以上の説明を求めることもなく、ちょっと悲しげな面持ちのまま身を引いてくれた。


「そうですか。何か、事情がおありなのですね。……出過ぎたことを言って、申し訳ありませんでした」


「いえ、そんなことはありませんよ。サンジュラの心づかいは嬉しく思っています」


「アスタたち、無事を祈っています。誤解、解けること、願っています」


 そうして最後にはまた穏やかな微笑をもらし、サンジュラは『ミャームー焼き』を手に去っていった。


「うーん、やっぱりあいつは相当な手練みたいだな。右腕の怪我が治らない内は、俺も負ける気はしないけどよ」


 そのすらりとした後ろ姿が人混みにまぎれていくのを見送りながら、ルド=ルウがそのようなことをつぶやいた。


「やめてくれってば。彼は昨日、俺たちを守るために力を貸してくれたんだよ? 言ってみれば、恩人じゃないか?」


「わかってるよ。でも、自分の手で倒せるかわかんねーやつが周りをうろちょろするのは落ち着かねーんだよ。……森辺の民ならともかく、それが町の人間じゃあな」


 狩人とは、そういうものなのだろうか。

 そういえば、いまだにアイ=ファもサンジュラには警戒心を解いていない様子なのだ。


(ジェノスとの間に健全な関係性が構築できれば、そういう感覚も薄らいでいくのかなあ)


 森辺の民が、西の民を同胞と思える日は来るのか――また、西の民が森辺の民を同胞と思える日は来るのか。


 そんな果てしない思いに心をゆだねている内に、太陽はようやく中天に差しかかろうとしていた。

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