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異世界料理道  作者: EDA
第九章 青の終わり
172/1702

⑩南と西と東の民

2015.3/5 更新分 1/1 2015.4/5,2016.10/2 誤字を修正

 翌日、青の月の31日は、護衛の数が4人に増員されることになった。


 カミュア=ヨシュの残した不吉な忠告の言葉と、「何者かに見張られている気がする」というアイ=ファの意見から、そのような措置が取られたのである。


 増員されたのはシン=ルウと、俺にはあまり馴染みのないルウの分家の少年だった。

 残念ながら、レイ家の家長であるラウ=レイに、そこまで気軽に護衛役などは依頼できないらしい。


「それに、ラウ=レイは気が短いからな。町の人間の相手をさせるのは心配だったんじゃねーの?」


 とは、ルド=ルウの言である。

 それがドンダ=ルウの考えだとしたら、なかなかの思慮深さであると俺にも思える。城の人間が相手では、どのような搦め手を使われても不思議はないだろう。


 しかし――この状況で、サイクレウスが俺たちなどにちょっかいを出してくる理由があるだろうか?

 俺たちの商売の邪魔をして、サイクレウスに利が生じる。その道筋が、俺には今ひとつ想像できないのだ。

 いったい何に用心すればいいのか、そんなことすら判然としないままに、俺たちは商売に取り組む他なかった。


 そして、俺個人には、サイクレウスの暗躍と同じぐらい心に重くのしかかる事案も存在するのである。

 言うまでもなく、それは今日を最後にジェノスから去ってしまうシュミラルと、ヴィナ=ルウの一件であった。


             ◇


「……足の具合いは大丈夫ですか、ヴィナ=ルウ?」


『ミャームー焼き』の屋台から『ギバ・バーガー』の屋台に呼びかけると、「うん……大丈夫よぉ……」という穏やかな声が返ってきた。


 ヴィナ=ルウは、屋台の仕事に復帰することがかなったのだ。

 それでもまだ捻挫した足首は完治していないらしく、荷車の送迎がなければ復帰は難しかっただろう、という話だ。

 で、護衛役がいればヴィナ=ルウに戦闘力が求められることもないので、しばらくはレイナ=ルウと日替わりで宿場町に下りるよう、ミーア・レイ母さんに申しつけられたそうである。


「ねえ、あの東の民はいつ来るのかなあ?」


 と、ともに『ミャームー焼き』の屋台をあずかっているララ=ルウが小声で呼びかけてくる。


「どうだろうね。普段だったら、そろそろ姿を現す頃合いだと思うけど」


「あー、何だかあたしのほうが落ち着かないなあ。別に嫁取りの話でもないのに、なんかドキドキしちゃうよね?」


 ドキドキはするが、それがララ=ルウと同一の感情なのかはわからない。

 というか、ララ=ルウは何にドキドキしているのだろう?


「そんなのわかんないよ! でもさ、あの東の民は嫁取りの話みたいに真剣そうな感じだったじゃん? だからやっぱり、ドキドキしちゃうよ」


 言いながら、ララ=ルウは胸もとに手を置いて、ふーっと息をついた。


「ヴィナ姉もとっとと嫁に入るか婿を取るかすればいいのになあ。そうしたら、こんな面倒なことにもならなくて済んだのに!」


「……シュミラルとヴィナ=ルウが結ばれるっていうのは、やっぱり難しいんだよね?」


「あったり前じゃん! ……って、あたしにもよくわかんないんだけど、神を乗り換えるのって町ではおおごとなんでしょ?」


「俺にもよくわからないけど、どうやらそうみたいだね」


「あ、アスタはどの神にも仕えてないんだっけ。それもすごい話だよね! ……とにかくさ、神を換えたら家族との縁も切れちゃうんでしょ? あたしはそんなの、絶対にやだし!」


「うーん、だけど、別に離れて暮らすことになっても、交流を禁じられるわけではないんだろうから……ああ、どうなのかなあ。俺もやっぱり無責任なことは言えないや」


「離れて暮らすのはどこに嫁入りしても一緒だけど、ヴィナ姉が森辺を出ていったり、家族じゃなくなっちゃたりするのは、やだよ」


 ララ=ルウは少しばかり眉を下げて、下唇を吸い込むような顔をした。

 なかなか愛くるしい表情である。


「……それじゃあさ、異国人がルウ家に婿入りするってのはどうなのかな?」


「ん? いいんじゃない? それならヴィナ姉とは家族のままでいられるし」


「あ、それはいいんだ?」


「あたしは別にかまわないよ。ミーア・レイ母さんもかまわないって思ってるんじゃないかな。……ドンダ父さんは難しいだろうけど」


 ドンダ=ルウか。

 あの御仁はこの一件に関してどのような感想を抱いているのだろう。


「まあでもやっぱり無理なんだろうね。東の民が婿入りしたって狩人の仕事はつとまらないだろうし、そもそもあいつはジェノスの城下町でも商売ができるような人間なんでしょ? そんなやつが今までの生活を捨てて森辺に婿入りなんてしてくるはずがないよ」


「それでもララ=ルウの心情的には、嫌じゃないんだ?」


「うん。ヴィナ姉を幸せにしてくれるんだったら、どこの誰でもかまわないよ」


 やっぱりララ=ルウは顔立ちだけでなく考え方もルド=ルウと似ているのかもしれない。

 まあ、ルド=ルウのほうは、ヴィナ=ルウが森辺を出るという可能性すらも想定した上で、姉の幸福を願っているように見受けられたが。


(だけどやっぱり、婿入りも嫁取りも難しいんだろうな……)


 故郷と同胞とこれまでの生活をすべて打ち捨てて、森辺の集落に婿入りする――それがどれほどとてつもないことであるかは、異世界人たるこの俺にだって想像はつく。


 だったら、嫁取りのほうはどうであろうか?

 ヴィナ=ルウは、森辺の外の世界に憧憬を抱いていたはずだ。

 それに、森辺の民は森を神としており、四大神に対しては明確な信仰心を有していないように見受けられる。それならば、神を乗り換えるという行為自体に強い抵抗はないはずだ。


 だけど、それもやっぱり難しいことであるように感じられてしまう。

 たとえ本人たちに強い抵抗がないとしても、神を乗り換えてしまったとしたら、西の版図――森辺の集落に住み続けることは不可能になってしまうのだから。


 シュミラルには家族がなく、その上で、商団の仕事に励んでいる。たしか、いったん故郷のシムを離れたら、1年近くもかけて西や北の町を巡るのだ、とか言っていたはずだ。


 その間、身寄りもないシムの国にヴィナ=ルウひとりを置いていくことなどできないに違いない。


 ならば、子どもを作らずにヴィナ=ルウも一緒に世界を巡るとか――?

 駄目だ。現実感が感じられない。

 それに、このていどのことはきっとシュミラル自身も考え済みで、だからこそ「難しい」と述べていたのだと思う。


(……とにかく今は、ヴィナ=ルウがシュミラルからの贈り物を受け取ってくれることを願うぐらいしかできないか)


 妙にアンニュイな気持ちを誘発されつつ、俺はララ=ルウとともに溜息をつく。

 そこにアイ=ファの「……また来たのか」という冷たい声が聞こえてきた。


「うっさいなあ! お客に対してその態度はないんじゃない?」


 南の民の少女ディアルである。

 門番のごときアイ=ファにべーっと舌を出してから、ディアルは笑顔で『ミャームー焼き』の屋台の前に立った。


「やあ、今日も来たよ! アスタ、ひとつお願いね」


「ああ、どうも。……あれ? 1日おきに買ってくれるなら、今日は『ギバ・バーガー』の日じゃなかったっけ?」


「んー? 美味しいからどっちでもいいや! アスタがいるからこっちにしておくよ」


 と、初日の悪態が嘘のようににこにこと笑うディアルである。

 そんな少女の無邪気な笑顔を、アイ=ファは腕を組み横目でにらみつけている。


 実は昨日、俺たちはカミュアにもこの少女の存在を打ち明けていた。

 これこれこのような少女が屋台に出現したのだけれども、サイクレウスの息がかかった存在である可能性はないのだろうか、と。


「ああ、ゼランドから来た商団の関係者? わかったわかった、サイクレウスの私邸に招かれている鉄具屋の一団だね。うん、もちろんこの時期にジェノスにやってきた連中なんだから、メルフリードが内偵を済ませているよ。あれはただの商売相手だから、サイクレウスの手駒となって森辺の民にちょっかいを出すようなことにはならないはずさ」


 そうしたカミュアの言葉によって、いちおうの疑いは解消された。

 ただし、サイクレウスの関係者であることに違いはないので、やっぱり適切な距離感を保つべきであろう。


 よって、俺は可もなく不可もなくな営業用スマイルをたたえつつ、その少女と相対することにした。


「うーん、いい匂い! ねえ、これってかまどで上手く温めなおすことはできないかなあ?」


「え? どうしてだい?」


「城下町の連中に食べさせてやりたいんだよ! あいつら、ギバの肉なんか食べられるはずがないって、僕の話を全然信用しないんだもん!」


 これはなかなかに鳥肌ものの発言であった。


「い、いや、時間が経ったら料理が傷んじゃうかもしれないからさ! それでお腹を壊すようなことになったら一大事だ。頼むから、料理を城下町に持ち帰ったりはしないでおくれよ」


「えー!? でも、銅貨を出したら、その後はどうしようと僕の勝手じゃない?」


 と、ディアルは笑顔を引っ込めて頬をふくらませてしまう。

 俺は大あわてで考えを巡らせる羽目になった。


「だ、だけどさ、このジェノスでは森辺の民やギバの肉ってのを歓迎していない人たちも多いんだよ。それぐらいのことは、君も知っているだろう?」


「んー? よくわかんないけど。森辺の民はおっかない顔をしてる人間が多いから、それで怖がられてるだけなんじゃないの?」


 言いながら、ディアルは憎々しげにアイ=ファを見た。

 アイ=ファは冷ややかにそれを見つめ返す。


「そんな単純な話じゃないんだよ。もともとギバは災厄の象徴だったから、その肉を食べる森辺の民も一緒に災厄の象徴と見られるようになっちゃって――えーと、それに、南方神から西方神に乗り換えたっていう出自から、なかなか同胞としても見られなくて、あんまり関係性が改善されないまま現在に至ってしまっているわけさ」


「何それ? 変なの! 森辺の民がジャガルを捨てたのはもう何十年も昔の話なのに、いまだに同胞として受け容れられてないっての?」


 そんなことすら知らなかったのか、と俺のほうが呆れてしまう。

 しかし――城下町だけを商売相手にしている異国人だったら、しょせんそのていどの認識しかないのだろうか。城下町の人々は森辺の民と接する機会もなく、畏怖の感情をかきたてられることもないのだろうから。


(そうだよな……下手をしたら、城下町の人間は森辺の民の姿を見る機会すら一生ないかもしれないんだ。宿場町の人たちと森辺の民の関係性なんて、そういう連中にとっては他人事でしかないのかもしれない)


 これは新たな発見であった。

 ただし、森辺の民に話しても、それがどうしたとしか言われようのない案件であるかもしれないが。


「――だからさ、ギバの料理を城下町なんかに持ち込んだら、どういう騒ぎになるのか想像もつかないんだよ。俺たちは波風を立てずに商売を続けていきたいから、何とか思いなおしてくれないかなあ?」


 ディアルはしばらく「うー」とうなっていたが、やがてしょんぼりとした様子で「わかったよ」と言ってくれた。


「僕はただ、あいつらをぎゃふんと言わせたかっただけなんだけど。……でも、アスタの迷惑になっちゃうならやめておくよ」


 何だか両耳をぺたりと下げた子犬のようなお顔であった。

 俺は「ありがとう」と述べながら、肉とアリアを鉄板の中央に寄せる。


「ひとつでいいんだよね? こっちの料理もお代は赤銅貨2枚だよ」


「うん! お腹をぺこぺこにしてきたんだから、美味しく作ってね?」


 と、ディアルは気を取りなおしたように、またにこりと笑った。

 俺もつられて微笑みそうになったところで、「やあ、ひさしぶりだね!」と、新たな来訪者に声をかけられる。


 振り返ると、褐色の髪を長くのばした西の民の女の子が、ディアルに劣らぬ明朗な笑顔でそこに立っていた。

 プロポーションの見事さならヴィナ=ルウとも張り合えそうな、象牙色の肌をした色っぽい女の子、《西風亭》のユーミである。


「ああ、どうも。本当におひさしぶりですね」


「だって、あたしにも店の仕事があるから、なかなか中天の前には抜けだせないんだよ! これでも毎日この屋台には通ってるんだからね?」


「はい、聞いていますよ。毎度ごひいきにしていただきありがとうございます」


 ドーラの親父さんたちと並んで、西の民としては希少な常連客のユーミなのである。顔を合わせる機会は減っても、感謝の気持ちを忘れたことはない。


(……まさか西の民のお客さんにまで喧嘩を売ることはないだろうな?)


 と、ちょっと不安になりつつ視線を戻すと、ディアルは屋台の台に両手をつき、エサをねだる子犬のような目つきで俺を見ていた。

 お供のラービスとララ=ルウの間では、すでに銅貨の支払いも完了されている。


「あ、ごめんごめん。今すぐ作るから待っててね」


「うん!」とディアルは、にぱっと笑う。

 本当に、表情の切り替えの速さは天下一品だ。


 すると――何故かしら、ユーミのほうが笑顔をひっこめて、ディアルの姿をじろじろと検分し始めた。


「あんた、見ない顔だね? アスタの友達か何かなの?」


「んー? 別に友達ってわけじゃないけど?」


 けげんそうに、ディアルもそちらを振り返る。

 ユーミは「ふうん」と長い髪をかきあげた。


「それじゃあ、この店の常連さん? あんたみたいな南の民の女の子は、これまで見かけた覚えもないんだけど」


「常連、かなあ。いちおうこれで4日連続で通ってることになるしね!」


 そのうちの初日はお代をいただいておりませんけどね、と俺はこっそり肩をすくめておく。

 が、そんな風に呑気にかまえている場合でもなかった。

 ユーミが、とげとげしさを増大させた目つきで、俺のことをにらみつけてきたのである。


「……アスタ、これってどういうこと?」


「え? な、何がでしょう?」


「あたしに丁寧な言葉を使うのはお客さんだからって言ってたじゃん! それなのに、どうしてこのお客さんの女の子には、友達みたいな口をきいてるわけ!?」


 そのようなことが、ユーミの逆鱗に触れてしまったのか。

 そういえば、幼女のターラが相手であっても同じようなことを主張していた覚えがなくもない。あのときは、ターラとは店を開く前からのつきあいであった、という事情を明かしてことなきを得たのだ。

 今回はどのように弁明したらいいのだろう。


「いや、あの、それはまあ……たまたまそういう流れになってしまったと申しますか……」


「そういう流れって何? 全然納得がいかないんだけど!」


「うっさいなー。料理を買いに来たんなら、おとなしく料理を食べてなよ」


 と、俺から受け取った『ミャームー焼き』に歯を立てつつ、ディアルがしれっとした顔で言った。

 どの口が言うのだ! と思わなくもないが、ユーミの激情に引きずられてはいないようなので、ちょっと安心する。どうやらこの少女も、相手が同胞や西の民なら、ごく理性的に対応できるらしい。


「……アスタのとるべき道はふたつしか残されてないみたいだね」


 しかし、ユーミのほうはすっかりおかんむりだ。

 怒りの形相で言いながら、ユーミはそのしなやかな指を2本立てて、俺の鼻先に突きつけてきた。


「あたしに対するよそよそしい言葉づかいを改めるか、全部のお客さんを平等に扱うか、アスタはどっちの道を選ぶの?」


「えーと……もう1ヶ月近くも続けてきた口調を今から改めるのは非常に困難なのですが……」


「だからって、今さら僕に対してよそよそしい態度を取ったりはしないよね?」


 と、ディアルは天使のように笑いかけてくる。

 この信頼を裏切ったら、怒られてしまうのか泣かれてしまうのか、想像しただけで胸が苦しくなりそうなほどの、屈託なき笑顔である。


 よって俺は「そうだね」としか答えようがなかった。

 とたんにユーミは「そんなのずるい!」とわめきたてる。


「あたしにばっかり意地悪しないでよ! あたしのほうがつきあいは長いのに、ひどいじゃん!」


「でっかい声だなー。えいぎょーぼーがいで衛兵を呼ばれちゃうよ?」


 ディアルは満足げな笑顔のまま、まぐまぐと『ミャームー焼き』を頬張った。

 とりあえず俺は、ユーミに気づかれぬよう溜息をついておくことにする。


 そのときになって、ようやく俺は右の頬に突き刺さる冷ややかな視線に気づくことができた。

 そろそろと振り返ると、もちろん親愛なる家長様が横目でこちらを凝視しておられる。


 何か怒ってらっしゃるのですか、と目で問うてみた。

 やかましい、と目で返された。

 これぞ以心伝心、ファの家の絆もここに極まれり、てなものである。


「あの……なかなかいきなりは切り替えられないので、前向きに対処するってことで、ひとつ穏便に収めてもらえないでしょうか……?」


 事態の収拾につとめるべく、俺がそう呼びかけると、ユーミは眉を吊り上げたまま顔を寄せてきた。


「……本当に考えを改める気はあるの?」


「はい……うん……まあ無理のない範囲で……」


 ユーミは、はーっと大きく息をついてから、赤銅貨2枚をぴしゃりと置いた。


「毎度ありがとうございます……いや、ありがとう……」


「全然努力してるように感じられないなあ!」


「い、いきなりは難しいんですって」


 それでもラウ=レイのように暴力を行使してこないだけマシか、と俺は『ミャームー焼き』の作製に取りかかることにした。


「料理が美味しいと色んなお客が集まってくるもんだねー」と、ディアルはけらけら笑いだす。

 ユーミはふてくされきった面持ちでそちらをにらみつけた。


「……で、あんたはいったい何者なのさ? 南の民の若い娘なんてジェノスでは珍しいけど、商団の人間か何かかい?」


「うん。僕はゼランドから来た鉄具屋だよ」


 不機嫌そうなユーミに気安く応じつつ、ディアルは最後の一口を口の中に放りこんだ。


「ふうん。鉄具屋ねえ。……何でもいいけど、どうしてそんな男みたいな服を着てるのさ?」


「んー? さすがに宿場町でそんなひらひらした格好できるわけないじゃん。あんたこそ、そんな格好でごろつきとかに狙われたりしないの?」


「ごろつきが怖くて宿場町に住めるかってのさ。ずいぶんお上品な育ちなんだね、あんたは」


 と、ユーミは腕を組み、ディアルを見下ろした。

 そういえばこの娘さんも、出会った当初はそのごろつきみたいな若い衆を引き連れて、俺の前に現れたものなのである。


 ちなみに今日の格好も、上半身は胸あてひとつで、じゃらじゃらと飾り物をつけ、腰から足首までは長い一枚布を巻いただけの、西の民としてはポピュラーな装いだ。その長い腰巻きの合わせ目からのぞくすらりとした足が、やたらと艶かしい。


「まあ、それが南の民の流儀だってんならかまわないけどさ。でも、せっかく可愛い顔をしてるんだから、髪ぐらい伸ばしたら? それじゃあ男の子に間違えられちゃうんじゃない?」


 はい、間違えました。

 とか思っていたら、それまで大人しくしていたディアルの顔に、みるみる血の気が昇ってきてしまった。


「うっさいな! 髪を伸ばそうが短くしようが僕の自由でしょ!? ちょっと色っぽいからって馬鹿にすんなよ!」


「ふわあっ!」と、ユーミが奇妙な雄叫びをあげた。


 なんと、ディアルが、こともあろうに、右手でユーミのゆたかなお胸をわしづかみにしたのである。


 ユーミはディアルの小さな手を振り払い、真っ赤な顔をしてその場にへなへなと座りこんでしまった。


「な、な、何をすんのさ! いきなり、びっくりするじゃないか!」


「ふん! いきなりじゃなかったら文句ないわけ? それなら今度は予告してからやってやろうか?」


 ディアルは鉤爪のように両手の指を曲げて、ユーミのほうににじり寄ろうとした。

 ユーミは自分の上半身を抱きすくめつつ、惑乱した表情で後ずさろうとする。


 そこでアイ=ファが「おい」とディアルの細い肩をつかんだ。


「店の前で騒ぎを起こすな。お前は何ひとつ反省していないのか、南の民の娘よ」


 ディアルはハッとしたようにアイ=ファを振り返った。

 そして――これまで影のようにひっそりと立ちつくしていた若者ラービスが、長剣の柄に手をかけてアイ=ファに近づいた。


「森辺の民よ、ディアル様から手を離せ。……さもなくば、斬るぞ」


「ほう? 南の民にはずいぶん無法者が多いのだな」


 いっかな感銘を受けた様子もなく、アイ=ファはディアルの肩から手を離した。

 ディアルは、いくぶん抑制を欠いた声で「やめて、ラービス」と、つぶやく。


「今のは僕が悪かった。……アスタ、ごめんなさい」


「え、いや……」


「あんたも、ごめんなさい。……僕、髪のことを言われると我慢ができなくなっちゃうんだ」


「か、髪って……?」


「……僕はこんなに汚い髪の色をしているから、あんたみたいに綺麗に伸ばすことはできないんだよ。そうじゃなかったら、確かにこんな格好でも男の子に間違われたりはしないんだろうね」


 低い声でそう言い捨てると、ディアルは小さな唇を噛んで黙りこんでしまった。

 ユーミはゆっくりと立ち上がり、胸もとをガードしたまま、ディアルに歩み寄る。


「――別に汚くなんかないんじゃない? ちょっと珍しい色合いだけどさ」


「どこがさ! こんなの、獣みたいじゃん!」


 ディアルは悲しげに顔を歪ませて、その髪をくしゃくしゃにかきむしった。


 濃淡まだらの、不思議な色合いをした褐色の髪である。

 確かに俺も、犬か猫みたいだなとは思っていた。

 ただし、汚い色だとはこれっぽっちも思わない。


「そっか。まあ、人の好みはそれぞれだからね」と、ユーミはディアルのくしゃくしゃになった髪に手を置いた。


「だけどあたしは、汚い色だなんて思わなかったから長く伸ばせばいいのにって思っただけなんだ。それがあんたを怒らせちゃったんなら、あたしもごめん」


 ディアルは無言のまま、うつむいてしまった。

 それから、上目遣いでユーミを見る。

 ユーミは、心から申し訳なさそうな顔をしていた。


「……あんた、怒ってないの?」


「うん。ちょっとびっくりしたけどね」


「あっそ。……あんたの、柔らかくて気持ちよかったよ?」


「そういうこと言うな!」と、ユーミはディアルの頭をぐしゃぐしゃにかき回した。

 ディアルは「あはは」と笑ってその手から逃げる。


「ごめんね。今日はもう帰るよ。中天からは仕事をしなくちゃいけないし。……アスタ、明日も来ていい?」


「え? ああ、うん、もちろん」


「……ありがとう」と言い残し、ディアルは速足で去っていった。

 お供のラービスは最後にアイ=ファの姿をひとにらみしてから、その後を追っていく。


「変なやつだね! ……まあ、悪いやつではないかもしれないけど」


 溜息混じりに、ユーミはそう言った。


「大丈夫でしたか?」と俺が問うと、なぜか赤い顔をしてまた胸もとを隠し、こわい目つきでにらみつけてくる。


「いいから、とっととあたしにも作ってよ! あたしだって仕事が残ってるんだからね!」


「ええ? はい、すみません……」


「言葉づかい!」


「はい! ごめんなさいだよ!」


 これじゃあまるでミダみたいではないか。

 ララ=ルウは笑いを噛み殺しながらそっぽを向き、ユーミは怒った顔で俺の手から『ミャームー焼き』をかっさらう。


「ったく、今日は真面目な話をしに来たってのに、すっかり調子を狂わされちゃったよ。……ねえ、アスタ、あんたは《南の大樹亭》と《玄翁亭》で料理を売ってるんだよね?」


「うん? そうで……だよ?」


「それって、南や東のお客さんに合わせた味にしてるんでしょ? もしも西の民のあたしなんかが食べるとしたら、どっちがおすすめなのかなあ?」


「ええ? どうしてそんなことを聞くんですかだよ?」


「……わざとやってるわけじゃないよね?」


「もちろんです! だよ!」


 ララ=ルウは肩を震わせており、ユーミはまたひとつ溜息をつく。


「なんか最近、そのふたつの宿屋に流れる西の民のお客さんが増えてきたみたいだからさ。いよいようちの親父も重い腰を上げる決心がついたらしいんだよね」


「重い腰って……どういうつもり?」


「それはまだわかんない。もしかしたら、ギバの肉じゃなくカロンやキミュスの肉でアスタに料理を作ってもらおうとか思ってるのかもしれないね」


 ユーミの父親、《西風亭》という宿屋のご主人は、かなり徹底して森辺の民やギバの存在を忌避しているらしいのだ。

 ただし生粋のジェノスっ子ではなく他の町から移住してきた身で、その嫌悪感に明確な理由や事情などはなく、宿場町に蔓延する空気に染まっただけ、とユーミなどはそのように分析していた。


 それはつまり、ユーミ自身も父親と同じ感覚で森辺の民を忌避しており、それがこの屋台との出会いで解消された、ということなのだろう。


「うーん、だけど、ギバの肉を使わない料理じゃ意味がないんだよねえ。前にも言ったと思うけど、俺は銅貨を稼ぐため、というよりも、ギバの美味しさを広めるためにこの商売を始めたわけだから」


「うん、それはわかってるけどさ! でも、あの頑固親父がアスタの腕前を確かめるために、あたしに味を確かめてこいとか言ってきたんだよ? これまでは、あたしや母さんがこっそりここの料理を買うだけで怒ってたのに! これってすごいことじゃない?」


 と、ユーミは少し必死な面持ちになって屋台の内側に顔を寄せてきた。


「あとのことは、アスタの腕前しだいじゃん? それでアスタがうまいこと親父を説得して、ギバの料理を食べさせることができれば、親父の石頭を木っ端微塵にすることもできるかもしれないんだから! ……って、あたし、もしかしたらすっごく勝手なこと言ってる?」


「いや! それは君の言う通りだよ。そうだよね、興味を持ってもらえただけでも、俺にとっては万々歳のことなんだ」


 西の民が経営している、西の民のための宿屋でギバの料理を卸すことができれば、それは大いなる前進である。

 可能なことなら、その一歩目は《キミュスの尻尾亭》で果たしたいところであったが、目の前の好機を逃すことはできない。


(それに、10年前の事件の証拠は重要視されていないらしいってこともわかった。サイクレウスの目がミラノ=マスに向いてないっていうんなら、思いきって《キミュスの尻尾亭》にも話を持ちかけてみよう)


 そんな風に考えて、俺は素直にユーミへと笑顔を返すことができた。


「ありがとう。もしもユーミの親父さんが本当に俺に興味を持ってくれたんなら、何とかギバの美味しさを知ってもらえるように努力してみるよ」


 ユーミは、きょとんと目を丸くした。

 下からの鉄板にあぶられているせいであろうか。その象牙色の頬が少し赤くなっている気がする。


「……何だ、普通に喋れるじゃん?」


「ああ、うん、そうだね。冷静になると、まだちょっと意識しちゃうけど」


「……それに、あたしの名前なんか、覚えてくれてたんだ?」


「ええ? それぐらいは覚えてるよ!」


 とはいえ、こちらから呼びかける機会などは1度としてなかったかもしれない。それはユーミに限ったことではなく、バランのおやっさんやアルダスに対してだって、名前を呼びつける機会などはほぼ皆無であったのだから。


 ユーミは「えへ」と笑ってから、身を引いた。


「なんか、すっごく嬉しいな……」


「え? 何が?」


「何でもないよ! それで、《南の大樹亭》と《玄翁亭》だったら、どっちがおすすめなの?」


「ああ、うん、えーとね、明日から少しずつ料理の内容も変えていく予定なんだけど、《玄翁亭》ではチットの実っていう特殊な香辛料を使ってるから、まだ《南の大樹亭》のほうが馴染みやすいんじゃないかな。……ちなみに、タウ油を使った料理って食べたことある?」


「ううん。それってジャガルの調味料だよね? 名前ぐらいは知ってるけど」


「そうか。でもチットの実ほど特殊な調味料ではないから、やっぱりそっちのほうが食べやすいとは思うよ。どちらにせよ、俺も東や南のお客さんだけを想定して献立を決めたわけでもないしね」


「わかった。それじゃあまずは《南の大樹亭》に行ってみるよ! うん、楽しみだなあ」


 そう言って、ユーミはにっこり笑ってくれた。

 普段以上に上機嫌になってくれた様子で、何よりだ。

 そして、西の民でありながらこうまで俺のことを気にかけてくれることも、心から嬉しく思う。


「ありがとう。ユーミが繋いでくれた縁を無駄にしないよう、頑張るよ」


「うん! 頑張ってね! あたしだって本当に美味しいと思えなかったら、それは正直に言うしかないしさ」


「そうだね。感想を楽しみにしているよ」


 そうしてユーミは、笑顔で去っていった。

 満ち足りた思いで、俺は息をつく。


 そうすると、また右頬のあたりに視線を感じた。

 振り返ると、やっぱりアイ=ファが無言で俺をにらみつけている。


 何か怒ってらっしゃるのですか、と目で問うてみた。

 やかましい、と目で返された。

 この以心伝心、あんまり楽しくないかもしれない。


 そんなことを考えていたら、北の方角から背の高いマント姿の人影が近づいてきた。


 東の民のお客さんだ。

 しかし、シュミラルでもサンジュラでもない。シム人としてもちょっと珍しい、190センチを軽く越えていそうな長身の持ち主だった。


「いらっしゃいませ。おひとつでよろしいですか?」


「いえ。ふたつ、お願いします」


 答えながら、その人物はフードを後ろにはねのけた。

 わざわざ顔をさらすというのは、やはりシュミラルやサンジュラ以外では珍しい仕草だ。


「アスタ、私、わかりますか?」


「え?」


「私、《銀の壺》、副団長、ラダジッド=ギ=ナファシアールです」


 顔には、まったく見覚えがない。黒髪黒瞳の、シム人らしい面長の顔立ちだ。

 ただ、《銀の壺》の団員にもひとりぐらいはこれぐらい背の高い人物がいたはずだ、とは記憶している。


「《銀の壺》の方でしたか。今日はおひとりなのですか?」


「はい。今日、忙しい。ので、みな、それぞれ、買う、しているです」


 そうしてそのラダジッドなる人物は、視線を『ギバ・バーガー』の屋台のほうに差し向けた。


「アスタ、ヴィナ=ルウ。私、お話、あります」


 ヴィナ=ルウが、ゆっくりこちらを振り返る。

 ラダジッドは、低いがよく通る声で、さらに言った。


「団長シュミラル、急の仕事、入りました。アスタ、ヴィナ=ルウ、会いに来る、遅れます」


 俺は「急な仕事?」と問い返した。

 ラダジッドは、ヴィナ=ルウのほうを見つめたまま「はい」と、うなずく。


「屋台、商売、終わる頃、来る、言いました。《キミュスの尻尾亭》、必ず向かう、言いました。挨拶、その時です」


「そうなんですか。やっぱり商売の最終日ともなると、色々お忙しいんですね。……あれ? だけどヴィナ=ルウが今日町に下りてきていることはシュミラルもご存知だったんですか?」


「はい。シュミラル、朝から、城下町です。でも、同胞、伝えました。シュミラル、知っています」


「そうですか」


 そういえば、もう中天も間近だというのに、やっぱりバランのおやっさんたちも姿を現そうとしない。


 ユーミとの会話でいささか昂揚していた気分もしぼんでいってしまいそうだ。


「シュミラル、必ず来ます。軽食、私、渡します」


 ラダジッドはそう言って、俺のほうに視線を戻してきた。


「《銀の壺》、10名、挨拶、必ず来ます。私たち、アスタ、出会い、感謝しています」


「いえ、こちらこそ皆さんと出会えたことは本当に感謝しています」


「挨拶、商売、後です」


 感情のない声で、ラダジッドはそう言った。

 だけどその黒い瞳は、ほんの少しだけ細められて、シュミラルと同じように嬉しそうな光をたたえてくれているような気がしてならなかった。

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