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異世界料理道  作者: EDA
第九章 青の終わり
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⑨かまどの間

2015.3/4 更新分 2/2 2015.4/5,2016.10/2 誤字を修正

*本日は2話更新です。読み飛ばしのないようご注意ください。

「――その後もしばらく問答は続きましたが、これといって特筆するべき内容ではなかったと思います」


 そうしてガズラン=ルティムの微に入り細を穿つ報告は幕を閉じた。

 明日のための仕込み作業に励みながらそれを拝聴していた俺は、溜めるに溜めまくっていた嘆息をついてみせる。


「どうもお疲れ様でした。ガズラン=ルティムの記憶力と再現力はなかなかとてつもないですね」


「そのようなことはありません。しかし、必要な話は伝えられたかと思います」


「ええ、十分すぎるほどですよ。内容を咀嚼するだけで一苦労です」


 会談の内容とその結末を教えてほしいとねだったのは俺のほうであるのだが、それにしてもここまでつぶさに語ってもらえるとは思っていなかった。


 場所は、ファの家ではなくルウの本家のかまどである。

 アイ=ファは俺のかたわらでともに報告を聞いており、さらに室の奥のほうでは、レイナ=ルウとシーラ=ルウがハンバーグ作りの研鑽に取り組んでいる。いよいよ本日から『ギバ・バーガー』の下ごしらえの手ほどきをすることに決めたのだ。


「俺も事前にカミュアから一通りの話は聞いていましたけど、《赤髭党》とかいう名前は初耳ですね」


「はい。私も野盗の集団としか聞いていませんでした。我々には関わりの薄い話であると考えて、名前までは挙げなかったということなのではないでしょうか」


「どうなんでしょう。町の人たちからも、そんな名前は聞いたことがありませんが――それが逆に引っかかってしまいますね」


 いかに庶民の英雄たる義賊でも、10年もの歳月が過ぎてしまえばその名前が風化してしまってもおかしくはない。

 だけど何となく、カミュアがそこまでしつこく口に出したということは――ひょっとして、何かしらのキーワードとなる存在なのではないだろうか。


 それに、バナームの使節団やら護民兵団長やら言うのも、初耳だ。

 それがきっとカミュアの言う「サイクレウスの政敵とも言うべき相手」だったのだろう。

 話を聞く限り、使節団のほうは政敵ならぬ商敵のような印象ではあるが。


「うーむ。分家の人たちが早々に許されることになったのは何よりですけども。それにしても、ザッツ=スンを逃がしてしまったというこちらの落ち度を、これでもかとばかりに突かれてしまいましたね」


「はい。そればかりは弁解のしようもありませんので。グラフ=ザザも怒りの言葉を飲み下す他なかったようです」


 どうにも芳しくない状況だなと思わざるを得なかった。


 サイクレウスのほうは信頼の証しと称して条件を引き下げてきたが、こちらは最初からこれが自分たちの考える最善の道である、と森辺の民らしい直截さですべてを打ち明けてしまっているのだ。


(あっちはきっと最初っから分家の人たちなんてどうでもいいと思ってたんだろう。でも――)


 俺は当初、サイクレウスという人物は都の人間らしい交渉術の一環として、過剰な要求を突きつけてきたのだろうと予測していた。最終的には、恩着せがましく譲歩する格好で、こちら側の意見を飲むつもりなのではないか、とすら思っていたのだ。


 しかし、あの頃と今とでは事情が違う。

 スン家の機嫌を損ねぬようにその罪を見逃していた、というぐらいにしか思われていなかったサイクレウスこそが、今ではすべての黒幕なのではないかと疑われてしまっているのだ。


 もしもサイクレウスが本当にそこまで悪辣非道な男で、ザッツ=スンたちに犯罪を教唆していたとしたら――いったいこの騒ぎにどのような結末を求めるだろう?


(少なくとも、ズーロ=スンの口を封じたいとは考えるだろうな)


 ザッツ=スンの野望を知る者は、もはや自分の他にはズーロ=スンしか存在しないとテイ=スンは告白していた。しかし、懦弱の徒であるズーロ=スンにはその志を継ぐことはできなかったのだ、と。


 その告白がなかったとしても、家長であったズーロ=スンが、ザッツ=スンの悪行を把握していた可能性は高い。

 ならば――ザッツ=スンとサイクレウスの関係を把握している可能性もゼロではない、ということだ。

 どうあれ、サイクレウスにとっては無視できない存在だろう。


 だが、それならば森辺の族長らの意見を汲み、ズーロ=スンのみを罪人と認めて城に引き渡すよう命じれば済むことだ。

 メルフリードが介入してきたことによって、サイクレウスのほうも足もとに火がついているはずなのだから、この期に及んで無駄に交渉を引き伸ばす意味があるとも思えない。


 しかしそれでも、執拗に本家の人間全員の身柄を要求してきたというのなら――まさか、それらの人々にも秘密が漏れているのではないかと危惧しているのだろうか?


(そうだとしたら、冗談じゃないな。今さらヤミル=レイやミダたちをそんなあやしげな男に引き渡せるもんか)


 そこまで考えたところで、ようやく肉の切り分け作業を終えることができた。

 俺はまな板の上に三徳包丁を置き、ガズラン=ルティムを振り返る。


「それで、次の会談はまた半月後ぐらいに定められたんでしたっけ?」


「はい。白の月の15日までに道を定めよ、とのことでした」


 明日が青の月の最終日である31日であるから、まるまる半月以上である。

 ずいぶんのんびりした話だ。


「そんなに日を空けることに、いったいどういう意味があるんでしょうね? こちらの族長たちはゆっくりと思案することができるし、カミュアたちは色々と調査を進めることができるので万々歳なのでしょうけども、サイクレウスにはそんなに日を空けることで何か利でも生じるんでしょうか?」


「わかりません。しかし、自分に利のない申し出をするような人間ではないと思います」


「ふむ。ガズラン=ルティムは心底からサイクレウスを嫌っているようですね?」


 俺が指摘してみせると、ガズラン=ルティムは生真面目そうにうなずき返してきた。


「多分に私情が混ざっていることは自覚しています。このような悪縁でなかったとしても、私があの人物を友と呼ぶことは永久になかったでしょう」


 サイクレウスとは、そこまで他者の嫌悪感ないし警戒心をかきたててやまない御仁なのだろうか。

 何せ俺はその当人と顔を合わせていないので、漠然とした印象しか持ちようがない。


 しかし、現段階でサイクレウスを裁くことはできないと言っていたカミュア=ヨシュの言葉の意味は理解できた。

 いかにあやしげな人物であっても、実際的な証拠はどこにもないのだ。


 可能性だけをあげつらうならば、サイクレウスの弟とかいう護民兵団の団長、その人物こそがひそかにザッツ=スンと接触して、すべての図面を描きあげていたのだ、と考えることもできる。


 あるいは、城の人間など関係なく、ザッツ=スンたちは自力でどうにか略奪品を銅貨に換えることができていたのかもしれない。


 もしくは――ザッツ=スンとテイ=スンの語った内容こそが嘘っぱちで、すべては野盗の所業であったのかもしれない。


 証しがなければ、どのようにでも考えることはできてしまうのだ。


「うーん。ただ性格がねじくれているだけの御仁なのか、本当にザッツ=スンを利用してさまざまな悪事に手を染めていたのか――まずはそこのところをはっきりさせないと、交渉も何もないように感じられてしまいますね」


「はい。何とかこの期間で罪の証しを手に入れたいとカミュア=ヨシュも言っていました。そのために、森辺の民にも力を貸してほしいのだ、と」


 カミュア=ヨシュか。

 あのとぼけた笑顔を持つ風来坊は、現在ルウの本家において族長たちと密談中なのである。

 このような陰謀劇で、森辺の民がどのような力を貸すことができるというのか。そこのところがまったく想像できないので、俺としては非常に落ち着かない心地だ。


 さっきから沈黙を守っているアイ=ファはどのような意見を持っているのだろう、と俺はそちらを振り返ろうとした。

 しかしその前に、焼きたてのハンバーグを木皿に載せたレイナ=ルウが俺たちのほうに近づいてきた。


「アスタ、言われた通りに作ってみました。味を確かめていただけますか?」


 木皿の上には、『ギバ・バーガー』で使われるのと同じ大きさ、180グラムていどのパテがこんがりと焼きあがっていた。


 焼き面の色合いも、ふくらみ具合いも申し分はない。

 ソースも何もかけていない素のパテであるけれども、実に美味そうだ。


 俺は深刻な表情をひっこめて、「では、いただきます」と木匙を取る。

 その木匙でパテを寸断すると、透明の肉汁が木皿にあふれだした。


 中にもきっちり火は通っている。

 そうして断ち割った肉片を口の中に放り込むと――期待を裏切らない旨みが口いっぱいに広がった。


「うん、ばっちりだね。刻んだアリアも適量だし、肉のほどけ具合いも理想的だ。……ああ、素のパテなんてひさびさに食べたけど、やっぱりギバの肉は美味いなあ」


 パテにはごく少量の岩塩とピコの葉が練りこまれているだけなのに、たまらない美味しさである。


 俺は思わず微笑をこぼしてしまい、それを見たレイナ=ルウも嬉しそうな微笑を広げる。


「本当ですか? と聞こうと思いましたが、アスタの表情で心から安心することができました。でも、これだとぱてが大きすぎるように感じられてしまうのですが」


「うん、こいつを焼きあげるのは当日の朝だからさ。一晩ピコの葉に埋めておくと、水分が抜けて少しばかり縮んでしまうんだよ。だからこうして最初の段階では分厚く仕上げておくわけさ」


「あ、そういうことですか。承知しました。……では、このままぱてを60個、私とシーラ=ルウで仕上げてしまってもよろしいですか?」


「うん。よろしくお願いします。とにかく大きさが均一になるように、それだけは注意してね?」


「はい」と、レイナ=ルウはまた微笑んだ。

 自身と誇りにあふれた、素敵な笑顔である。

 もともと顔の造作は整っていたけれど、レイナ=ルウは最近めっきり魅力に深みが増してきた気がしてならない。


「あ、良かったらアイ=ファとガズラン=ルティムも味を見てください。この量を食べてしまったらアスタも晩餐前にお腹が膨れてしまうでしょうから」


 などという気遣いまで万全のレイナ=ルウである。

 ガズラン=ルティムは鷹揚にうなずいて、俺から木皿を受け取った。


「ああ、これは美味ですね。ルティムの女衆にもまた手ほどきをしてもらいたいものです」


「あら、アマ・ミン=ルティムだってはんばーぐの腕前はかなりのものであったはずですよ?」


 レイナ=ルウはにこりと笑い、ガズラン=ルティムは「まいったな」とばかりに頭をかく。


 そんなほのぼのとした彼らを横目に、アイ=ファはたいそう気難しそうな面持ちで木皿を受け取った。

 そして、ひかえめな量を木匙ですくい取り、口に運ぶ。


「うむ……レイナ=ルウは、本当に料理の腕を上げたのだな」


 無表情に、アイ=ファはそう述べた。

 レイナ=ルウは、「本当ですか?」と嬉しげに言った。


「毎日アスタの料理を食べているアイ=ファにそう言ってもらえると心強いです」


 笑顔のレイナ=ルウと無表情のアイ=ファが、しばし無言で見つめあう。

 その沈黙の長さが気まずさを誘発する寸前に、レイナ=ルウは俺のほうを振り返った。


「では、仕事に取りかかります。アスタ、ありがとうございました」


「うん。よろしく頼むよ」


 レイナ=ルウは身をひるがえして、軽やかにシーラ=ルウのもとへと帰還していく。


 さて――彼女は気づかなかったようであるが、俺はアイ=ファの様子が少しだけ気にかかっていた。

 ぐっと口もとをひきしめたアイ=ファの表情が、何となく感情の発露を力ずくで抑制しているように感じられてしまったのである。


「……おい、大丈夫か、アイ=ファ?」


 と、俺はこっそり呼びかけてみることにする。

 もしかしたら、また「あれより美味いはんばーぐを作れ!」とか言われてしまうのだろうかと、俺はちょっぴり不安であったのだ。


 アイ=ファは鼻の頭を指先でかいてから、こらえかねたように口もとを動かした。

 そこに浮かんだのは、あまりに意想外な表情――実に満足げな、さきほどのレイナ=ルウにも匹敵する、自信と誇りにあふれた微笑だった。


 そうして俺をたまげさせたのち、アイ=ファは笑顔のまま俺の耳もとに口を寄せてくる。


「……確かに腕は上がったようだが、アスタのはんばーぐのほうが美味い」


 で、そのままこつんと、こめかみに頭突きをくらわせてくる。


「しかし、驚くほどの上達ぶりではあった。お前も精進を怠るなよ、アスタ」


「……はい」としか答えようがなかった。


 別にレイナ=ルウたちのハンバーグも遜色なかったと思うけどなあ……とか思いつつ、俺の胸にまで晴れがましい気持ちが広がってきてしまったことは、誰にも内緒にしておこうと思う。


「やあ! 美味しそうなものを食べているね、アスタ!」


 と、そこでいきなり素っ頓狂な声が響きわたった。

 かまどの間の入口に、ひょろ長い人影と小柄な人影が並んで立っている。

 カミュア=ヨシュと、ルド=ルウだ。


「ああ、お疲れ様です。族長たちとの会見は終了ですか?」


「うん。何とか要望に応じてもらうことがかなったよ。これで来月15日の会談までには、サイクレウスの黒い尻尾をつかまえることができるんじゃないかなあ」


 そんな風に答えながら、俺の手もとに戻ってきた木皿をじーっと見つめているカミュアである。

 が、それに気づいたルド=ルウがズカズカと近づいてきて、俺の手から木皿を強奪してしまう。


「俺の家のかまどで作られた料理なんだから、俺が先に食べてもいいよな?」


「あああ。一口でもいいから俺にも分けておくれよ、ルド=ルウ」


 カミュアがルド=ルウにまで気安い口をきいているのがおかしな感じだ。

 しかしルド=ルウもそこまでこの胡散くさい男を忌避してはいないようで、きちんとハンバーグを分けてあげていた。一口だけ。


「ああ、ガズラン=ルティム、さきほどはどうもお疲れ様でした。アスタへの説明は完了したのでしょうかね?」


 その一口を大事そうに噛みしめながら、カミュアはガズラン=ルティムを振り返った。

 ガズラン=ルティムは、「はい」と静かにうなずき返す。


「私に説明できる内容は、過不足なく伝えられたかと思います」


「それは何よりです。では、俺からも一言だけ添えさせていただこうかな」


 と、カミュアののんびりとした笑顔がまた俺のほうに向けられる。


「ねえ、アスタ。ガズラン=ルティムの話を聞いて、アスタはたぶんサイクレウスに悪辣な人物であるという印象を抱いたと思う」


「はい」


「だけどもしもアスタがサイクレウスと顔を合わせる機会を得たら、その印象がくつがえされてしまうかもしれない。そんなときでも、ガズラン=ルティムの印象が誤りであったなどとは思わないでほしいんだ」


「はい?」


 これはいつも以上に意図のわかりにくい発言であった。

 しかしカミュアは、このすっとぼけた男にしてはわりあい真面目くさった目つきをしているように思われた。


「すみません。言葉の内容がさっぱりわからないんですけれども。もう少しだけわかりやすいように、噛み砕いて説明していただけますか?」


「ああ、ごめんごめん。いや、俺も今日の会談で初めて実感できたんだけどさ。どうやらサイクレウスは、俺が思っていた以上に、森辺の民を見下しているようなんだ」


「見下している?」


「そう。あれは対等の人間を見る目つきじゃない。人間以下の薄汚い動物でも見るような目つきだった」


 実に不穏なそんな言葉を、カミュアはあっけらかんと言ってのけた。


「わかりやすく説明すると、あれは奴隷を見るような目つきだった。……そして、奴隷を同じ人間と見なしていない目つきだった。西の王国における奴隷っていうのは、つまり北の王国の民ってことなんだけどね」


「北の王国の民って、つまりそれは――」


「そう、俺の母親の血筋、西の王国にとっては敵対国のマヒュドラさ。サイクレウスは、北の民との混血である俺がジェノス侯のお招きで城に出入りしていることを、前々から苦々しく思っていたようなのさ。……だからもちろん、この俺もサイクレウスには薄汚い動物でも見るような目で見られているわけだね」


「…………」


「このジェノスは西の王国の版図でもかなり南寄りに位置している。だから大半の人は一生マヒュドラの民と顔を合わせることはないだろう。だけどあのサイクレウスという御仁は、わざわざ遠方から奴隷商人を呼びつけて、労働力としての奴隷を買っているのさ。……もっと北寄りの町なら珍しくもない話なんだけどね。戦争で捕虜となった敵対国の人間なんて、奴隷にするか皆殺しにするかしか道がないわけだし」


 聞けば聞くほど胸の悪くなる話である。

 しかし、カミュアはにんまりと笑っている。


「逆に、もっと奴隷を扱いなれている人間だったら、あそこまで極端にはならないと思うんだけどねえ。労働力の高い奴隷には褒賞を与えたり、中には奴隷同士の婚姻を認めている領主なんかも存在するんだよ? 奴隷を人間扱いしないで家畜のように使い潰す人間のほうが、今では少ないぐらいかもしれない。……あのサイクレウスは、その少数派に属しているわけだ」


「それがいったい何だっていうんですか?」


「うん、だから、あのサイクレウスにとっては、森辺の民も貴重な労働力ではあるけれども対等の人間ではないんだな、ということが、今日の会談で俺には実感することができてしまったということさ。薄々そうなんじゃないのかなあとは思っていたけれども、あの御仁の森辺の民を見る澱んだ目つきで、俺はそんな風に確信することができたよ」


 ガズラン=ルティムは、とても静かにカミュアの姿を見つめていた。

 その視線に気づいて、カミュアはのんびりと笑い返す。


「宿場町の人間でも、あそこまで森辺の民を蔑んだ目で見る者はいなかったでしょう? 町の人々もなかなか森辺の民を同胞とは見られずにいるようですが、少なくとも人間以下の存在だ、などとは露ほども思っていないでしょうしね」


「奴隷という存在や、北と西の確執については、今ひとつ実感することはできません。ですが、サイクレウスの目つきが妙に私たちの心を騒がせるのは――確かにそういう心情があってのことなのかもしれませんね」


 ガズラン=ルティムは相変わらず沈着そのものであったが、俺は真逆の心境であった。


 俺のかたわらには、アイ=ファがいる。ガズラン=ルティムがいる。ルド=ルウも、レイナ=ルウも、シーラ=ルウもいる。

 俺にとっては、全員が大事な存在だ。

 こんな魅力的な人々を、人間以下の存在と見なすなどと――そんなことは理解の範疇外でしかありえなかった。


「――でね、アスタは森辺の民といえども、外見的には西の民だ。少なくとも、森辺の民や北の民としての特徴は一切持ち合わせていない。そんなアスタなら、サイクレウスは人間扱いしてくれる可能性が残されているので、それには惑わされないでほしいなと思っただけなんだよ」


「それは貴重な情報をありがとうございます。……だけど、俺がそのサイクレウスという御仁と顔を合わせる可能性なんて皆無に等しいんじゃないですか?」


「うん。俺もそのような事態にはならなければいいなあと願っているよ」


 それでもそんな可能性もゼロではない、というのだろうか。

 何ともぞっとしない話である。

 俺は大きく息を吸い込み、胸の中に生じた澱みを体外に吐き出してから、新たな気持ちでカミュアと相対した。


「……それで、カミュアは族長たちにどういう要望をかなえてもらったんですか? カミュアが森辺の民に願い事をするなんて初めてのことですよね?」


「うん。今回ばかりは人手不足でね。ちょっと人探しを手伝ってもらうことにしたんだよ」


「人探し?」


「そう。ジェノスを離れてこの近辺の町を巡ってみることにした。尋ね人は、《赤髭党》の生き残りと目されている人物さ。その一団については、すでにガズラン=ルティムから聞いているだろう?」


 俺は思わず息を飲んでしまう。

 それはいったい、どういう企みなのだろうか。


「いや、実は、前々からその人物の所在を探し求めてはいたんだよ。その人物をとっ捕まえれば、10年前の《赤髭党》の行状もはっきりするだろうからね。そこから何とかサイクレウスの旧悪を暴く道筋が辿れないものか、その方向で本腰を入れてみることにしたのさ」


「……その野盗の集団ってのは10年も前に壊滅させられているんですよね? しかも、その全員が罪人として処断されてしまったんではなかったんでしたっけ?」


「うん、だけどその人物だけは何とか討伐隊の包囲網をくぐり抜けることができたんだよ。彼女はきわめて党首に近しい存在であったから、当時の内情にはかなり通じているはずなんだ」


「彼女? それは女性なんですか?」


「そう。《赤髭党》の党首、赤髭ゴラムの伴侶であった女性さ。もともとは党首の右腕として蛮勇を奮っていたそうだけど、子どもを生してからはさすがに家で亭主の帰りを待つ身であったらしい。そのおかげで、難を逃れることができたんだろう」


 盗賊団の党首の伴侶――そのような人物から、有効な証言を引き出すことが可能なのだろうか?

 まあそのような判断はカミュアたちにまかせるとして、俺には聞いておきたいことがある。


「……その捜索に、森辺の民の力を借りるっていうんですか? よく族長たちが了承しましたね?」


「うん。やっぱりドンダ=ルウたちも、本腰を入れてサイクレウスの旧悪を暴かない限り話は進まないって判断したんじゃないのかな。あのグラフ=ザザでさえ、サイクレウスよりはまだこの胡散臭い男のほうがましだ、とか考えているご様子だったからね」


 そう言って、カミュアはチェシャ猫のように笑った。


「何せメルフリードはこんな私用で兵団の仲間は動かせないし、自分自身もそうそうジェノスの外にまでは足をのばせないからさ。了承してもらえて助かったよ。……ちなみに、ルウの分家の男衆を3名ほど借りることができたので、いま彼らにはトトスの乗り方を覚えてもらっているところだよ。明日の朝一番にはジェノスを出発したいからね」


 森辺の民にトトスを駆らせて、ジェノスの外にまで連れ出そうというのか。

 なんて途方もない企みだろう。


「ちぇーっ! なんか面白そうな話だよな! 屋台の護衛役じゃなければ、俺もついていきたかったぐらいだぜ」


 などとルド=ルウは呑気たらしく言っている。

 俺は、カミュアの顔を真正面から見つめつつ、言った。


「カミュア=ヨシュ。……俺たちはあなたを信用していいんですよね?」


「うん。サイクレウスの旧悪を暴くことは、森辺の民の明るい未来にも繋がるはずだよ?」


 どのみち、ドンダ=ルウたち森辺の族長らもその申し出を受ける決断を下しているのだ。

 俺としても、心を定めるしかないようだった。


「わかりました。無事なお帰りをお待ちしています。……会談の日までには戻ってくるんですよね?」


「そうだね。ちょうどルウ家も現在は狩人の仕事を休業中とのことで、いい巡り合わせであったようだよ。……でも、できればもっと早くに戻りたいところだね。あのサイクレウスが半月も期日を引きのばして何を企んでいるのやら、まったく知れたものではないからねえ」


 そう言って、カミュアは紫色の瞳に透き通った光を浮かべた。


「アスタたちも十分に用心してくれ。今日の会談でサイクレウスがアスタたちの店のことに一言も言及してこなかったのが、俺には少し気にかかっているんだ。宿場町との縁を繋いでいるアスタたちのことは、彼にとっても見逃せない存在であるはずだからねえ。……では、数日後にまたアスタの料理を食べられるのを楽しみにしているよ?」

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