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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼

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1708/1710

婚儀の祝宴⑥~真の幸福~

2025.12/6 更新分 1/1

・明日は2話同時更新となります。お読み飛ばしのないようにご注意ください。

 ラヴィッツの血族が場所を空けると、次にやってきたのはガズとラッツの血族であった。

 ここまで来ると、全参席者の挨拶もついに終盤だ。しかし俺は気をぬくことなく、精一杯の思いで相対する所存であった。


「もう祝宴が始まってから、ずいぶんな時間が過ぎている気がするぞ! アイ=ファたちもいいかげん尻が痛くなってきた頃合いであろう!」


 まずは血気盛んなラッツの若き家長が、陽気な声で言いたてる。

 ラッツの眷族はアウロとミーム、ガズの眷族はマトゥアで、総勢五氏族の男女が集合だ。そして何故だかレイ=マトゥアのかたわらでは、マルフィラ=ナハムがまごまごしていた。


「やあ。マルフィラ=ナハムは、さっきの挨拶に間に合わなかったのかな?」


「い、い、いえ。わ、わたしは最初に挨拶できましたので、遠慮をしたのですが……」


「わたしにお呼びがかけられたので、マルフィラ=ナハムにもご一緒してもらったんです! このあともアスタたちは引っ張りだこでしょうから、挨拶できるときにしておかないともったいないですからね!」


 宴衣装のレイ=マトゥアが、元気いっぱいの笑顔で解説をしてくれる。対照的な性格をしたこちらの両名は、屋台における屈指の仲良しコンビであるのだ。俺としては、微笑ましい限りであった。


「誰が一緒でも、かまうことはあるまい! そもそも俺たちとガズの血族が、こうして入り交じっているのだからな!」


「うむ。べつだん先を争っていたわけではないので、案ずることはないぞ」


 と、ラッツの若き家長に続いて、ガズの家長も言葉を重ねる。こちらは沈着で厳格そうな感じのする、壮年の男衆だ。家の近いガズとラッツはライバル的な側面が存在するため、俺たちに気をつかっての発言であるようであった。


「でも、本当に盛況ですね。このように立派な祝宴に関わることができて、光栄です」


 と、屋台の当番であるラッツの女衆は穏やかに微笑みかけてくる。俺よりも年長で、近年ではさまざまな責任を担ってくれている人物だ。本日も、彼女はレイ=マトゥアやフェイ・ベイム=ナハムとともに屋台の取り仕切り役を受け持ってくれていた。


 あとは、それに迫る勢いで躍進しつつあるガズの女衆もにこにこと笑っている。この一団では賑やかなレイ=マトゥアとラッツの若き家長が目立っているが、ガズもラッツも地力がしっかりしている氏族という印象であった。


(そういえば、アイ=ファが初めて血抜きや解体の手ほどきをしたとき、ガズとラッツの男衆がいっぺんに嫁取りを申し入れてきて、ちょっとした騒ぎになってたっけ)


 それもまた、三年ばかりも昔日の話である。その後、俺もガズやラッツの人々と深く関わるようになったのは、新たなトトスたるファファと荷車を購入して機動性を確保したのちのことであった。


「さっきはラヴィッツの家長が騒いでいる様子だったな。また何か、難癖でもつけられていたのか?」


 ガズの家長の問いかけに、アイ=ファは「いや」と穏やかに応じる。


「べつだん、そういうわけではない。もとよりあやつは私が狩人であることに疑念を呈していたから、むしろ喜んでいるぐらいであろう」


「そうか。それなら、幸いだ。しかし、婚儀の日ぐらいはつつましく振る舞えばよかろうにな」


「ふふん! ラヴィッツの家長がつつましくしていても、薄気味悪いばかりであろうよ! 誰でも思いのままに振る舞うがいいさ!」


 と、ラッツの若き家長も愉快げに声をあげた。


「俺も思いのままに、力を尽くすつもりだぞ! また何日かしたら休息の日をつくり、今度はかまど小屋を建てるために出向いてくるからな!」


「うむ。しかしここ数日も、そちらはずいぶん力を尽くしてくれたからな。無理のない範囲で願いたく思うぞ」


「何も無理などはしておらん! かまど小屋を仕上げれば、かまど番の修練が進むのだからな! 得をするのは俺たちばかりで、申し訳ないほどだ!」


 豪快な笑い声を響かせてから、ラッツの若き家長はあらためて身を乗り出した。


「そこで、相談があるのだがな! あれだけの丸太があれば、三つや四つのかまど小屋を建ててもまだゆとりがあろう! いっそ、母屋も建ててみてはどうであろうか?」


「うむ? 先刻も、同じような話を聞かされたのだが……そちらは、どういった理由であろうか?」


「母屋があれば、俺たちも気軽に夜を明かすことができるではないか! 女衆ばかりでなく、男衆にも交流の機会を与えてもらいたいのだ!」


 すると、ガズの家長も鋭く目を光らせた。


「それは、妙案であるかもしれんな。俺からも、一考を願いたい」


「ほう! やはりそちらも、レイやサウティの連中を羨ましく思っていたのだな!」


「そればかりではない。俺は、ファの狩り場について思案していたのだ」


 と、ガズの家長はますます真剣な眼差しになった。


「アイ=ファが刀を置いたのち、ファの狩り場はフォウの血族が面倒を見る手はずになっているのであろう? しかし、アイ=ファはあれだけの収穫をあげていたのだから、ファの狩り場にはかなりのギバが出るはずだ。フォウの血族とて自分たちの狩り場を持っているのだから、手に余ることもありえるのではないか?」


「ふむ。それで、ガズの血族も力を添えてくれようというのか?」


「うむ。ガズばかりでなく、数多くの氏族でファの狩り場を受け持つべきではないだろうか? 氏族の数が増えれば増えるほど、負担は減るだろうし……しかも、ファと絆を深めることがかなうからな」


「それは確かに、妙案だな!」


 と、ラッツの若き家長も子供のように瞳を輝かせた。


「アイ=ファたちの子が育つまで、最低でも十五年はかかるのだ! それだけの長きにわたって狩り場を守るというのは、決して安楽な話ではないからな! ラッツの血族も、喜んで手を貸すぞ!」


「うむ。そして、ファの狩り場で仕事を果たしたならば、自分たちの家に戻るのにも相応の時間と手間がかかる。そこで、身を休めるための母屋があればありがたい」


「うむうむ! そして、狩人が参ずる日に同じ家のかまど番も参ずれば、アスタの苦労が増すこともないというわけだな! ただし、晩餐はファの家人も同じ場で食してもらいたく思うぞ!」


 まだ共用のかまど小屋すら建っていないのに、どんどん話が進んでしまっている。

 しかしアイ=ファは穏やかな面持ちで、「うむ」と応じた。


「狩り場についてはすでにフォウの血族に託しているので、私の一存では決められない部分もあるが……しかし、二人の申し出はありがたく思う」


「うむ。俺たちばかりがファと絆を深めていては、さまざまな氏族の恨みを買ってしまおうからな」


 と、付添人として控えていたバードゥ=フォウも明るい表情でそう言った。


「アイ=ファの了承を得られるならば、他の氏族にも声をかけるとしよう。そしてその前に、まずはかまど小屋を建てなければな」


「うむ! ベイムあたりは、喜び勇んで参ずることであろう! まあ、フォウとガズとラッツの血族だけでも、十分なぐらいであるがな!」


 そうして話が進んでいくと、女衆の顔にも喜びの表情が広がっていく。レイ=マトゥアを筆頭に、ファの家との交流を望む人間は数知れないのだ。それで以前はファの家に滞在していたレイとサウティの面々に羨望の眼差しが向けられていたのだった。


(あの頃は客人を滞在させるだけで多少の負担になるから、みんな遠慮してくれてたもんな。でも、他に寝泊まりできる場所があれば、そんな遠慮もいらなくなるってことか)


 そして、こんなにもたくさんの人々が、その計画に喜んでくれている。その事実が、俺とアイ=ファの胸を満たしているのだった。


 また、そんな俺たちの姿を、ジバ婆さんやリミ=ルウたちが温かく見守っている。

 ファの家がこれほど数多くの氏族に慕われていることを喜んでくれているのだろう。アイ=ファに強い思い入れを抱く人間ほど、喜びの思いは深まるはずであった。


「では、詳しい話はまたおいおいにな! 今日はややこしい話を考えず、婚儀の喜びを噛みしめるがいい!」


 と、場を騒がせた張本人であるラッツの若き家長がそのように宣言して、身をひるがえす。それで、ほとんど発言の機会がなかったマルフィラ=ナハムがわたわたしていたので、俺が笑いかけることにした。


「マルフィラ=ナハムも仕事中にありがとう。また後で時間があったら、よろしくね」


「は、は、はい。そ、それでは失礼します」


 マルフィラ=ナハムはふにゃんと嬉しそうに笑い、レイ=マトゥアとともに引っ込んでいく。

 それと入れ替わりでやってきたのは、ベイムとダゴラ、ダイとレェンの四氏族であった。


「失礼する。俺たちにも、挨拶をさせてもらいたい」


 平家蟹に似た四角い顔をしたベイムの家長が、しかつめらしく一礼する。こちらは全氏族が男女二名ずつで、きっかり十六名であった。


 また、ベイムはフェイ・ベイム=ナハムがナハムに嫁入りしたため、現時点では屋台の商売に関わっている人間もいない。よって、ベイム本家の家長夫妻に分家の若い夫妻という、家長以外はそれほど馴染みのない面々だ。なおかつ、他なる三氏族も屋台の商売に関わっているのは一名ずつのみであり、余った枠ではいずれも家長の夫妻が参じているようであった。


「これだけの人数から挨拶を受けていては、そちらもさぞかしくたびれ果てていることだろう。俺たちはすぐに退散するので、容赦をもらいたい」


「いえ、とんでもありません。俺もアイ=ファも喜びでいっぱいですから、どうぞお気遣いなく語らってください」


 ご縁が薄いなら薄いで、交流を深める楽しみが増すというものである。とりわけダイとレェンなどは屋台の商売も勉強会もルウ家のほうに参加しているため、俺にとっては貴重な交流の機会であった。


「こ、このたびはおめでとうございます。縁の薄い我々まで四名ずつ招いていただき、ありがたく思っています」


 と、腰の低いダイの家長が頭を下げてくる。そちらにも、俺は「いえいえ」と笑顔を返した。


「今日の俺は何の仕事も果たしていないので、広場を切り開いてくれたみなさんと祝宴の準備をしてくれたみなさんに感謝するばかりです。……ディール=ダイも、おひさしぶりですね」


「は、はい。俺のような人間のことまで、見覚えてくれたのですね」


 ディール=ダイは、ぎこちなく微笑む。彼はかつてヴィナ・ルウ=リリンとヤミル=レイの両方に求婚するという蛮勇を振り絞った人物であるのだ。ただそれは俺が森辺にやってくるより遥かな昔日の話であるため、俺が気を立てる理由はどこにもなかった。


 よって、俺にとって印象的であったのは、彼が邪神教団の一派を討伐する遠征部隊の一員であったこととなる。ガズラン=ルティムやライエルファム=スドラ、ディグド・ルウ=シンやラヴィッツの長兄とともに、彼も異郷で刀を振るうことになったのだ。ガズラン=ルティムの入念な報告によって、俺も彼の活躍っぷりはおおよそ把握しているつもりであった。


「ああ、ダイの分家の家長か。ずいぶんとひさしいな」


 と、ライエルファム=スドラもディール=ダイのことを思い出したらしく、そんな言葉を投げかけている。そのかたわらで、ガズラン=ルティムもゆったりと微笑んでいた。ダイの男衆と縁を深める機会が少ないのは、俺ばかりではないのだろう。


「し、失礼します。菓子をお持ちしました」


 そこに、トゥール=ディンを筆頭とするザザの血族の女衆がやってきた。

 リミ=ルウは「わーい!」と喜びの声をあげ、それにつられた子犬たちもキャンキャンと吠えたてる。その姿に、トゥール=ディンがきょとんとした。


「ファの家人たちも、参じていたのですね。アスタたちが呼んだのですか?」


「いや、ダン=ルティムが連れてきてくれたんだよ。眠そうにしているギルルやサチたちには申し訳ないけど、ありがたい限りだね」


 俺が足もとのジルベの頭に手をのばすと、「わふっ」という元気な声が響きわたる。そのさまに、トゥール=ディンも顔をほころばせた。


「ジルベたちも、嬉しそうですね。……あ、よかったら、みなさんもお召し上がりください」


 トゥール=ディンの言葉に、ベイムの家長が顔をしかめた。


「……俺たちはすぐに退散するので、気をつかう必要はない」


「付添人の方々に回しても数にゆとりはありますので、遠慮はご無用です」


 そんな風に応じたのは、トゥール=ディンのすぐ後ろに控えていたスフィラ=ザザである。族長の息女にそう言われては、ベイムの家長も二の句が告げないようであった。


 なおかつ、ベイムの家長は甘党であるのだ。それで菓子を欲する気持ちが強いがゆえに、遠慮しなければという思いが働いたのだろう。俺としては、遠慮なく同じ喜びを分かち合ってもらいたいものであった。


「ほらほら、お菓子だよー! 美味しそうだねー!」


「うん……ありがたいことだねぇ……」


 敷物に陣取ったリミ=ルウとジバ婆さんも、嬉しそうにしている。今日はリミ=ルウも料理のほうを手伝っていたので、菓子はザザの血族による心尽くしであった。


 その内容は、ころんとした丸い焼き菓子である。

 見るからにふわふわの生地で、綺麗な球状をしている。焼き菓子でこの形状を保つには、ディアルから買いつけた玉焼き器を駆使しているに違いなかった。


「今日は集落中の玉焼き器をお借りすることになったのです。生地の色で味が違っていますので、どうぞお召し上がりください」


「うん。これは美味しそうだね。ありがたくいただくよ」


 俺とアイ=ファも木皿からひとつずつの焼き菓子を取り上げた。俺は淡い桃色、アイ=ファは淡い黄色だ。

 淡い桃色は予想通り、キイチゴに似たアロウ仕立てであった。生地にもアロウの果汁が添加されており、内側にはストロベリーチョコレートめいたアロウのチョコレートが封入されている。


 こちらも作りたてであるらしく、まだほんのりと温かい。

 そして、アロウのチョコレートはもはや食べ慣れた味わいであったが、生地の出来栄えが秀逸であった。スポンジケーキよりもさらに軽やかで、それでいてもちもちとした食感まで含まれているのだ。これは、俺が初めて味わう食べ心地であった。


「これは、不思議な食感だね。もしかして、ギーゴを使っているのかな?」


「はい。フワノに卵の白身とギーゴを多めに加えて、念入りに攪拌した生地です。玉焼き器で仕上げるのがちょっと難しかったのですが、なんとか形にすることができました」


 もじもじとするトゥール=ディンに、俺はめいっぱいの笑顔を届けた。


「すごく美味しいよ。やっぱり、トゥール=ディンはすごいね」


「い、いえ。とんでもありません。でも、アスタに喜んでいただけたのなら、嬉しいです」


 と、トゥール=ディンも幸せそうな微笑みを広げる。しかし俺は、言葉以上の感銘を受けていた。トゥール=ディンはただ素晴らしい菓子を考案したばかりでなく、この短期間でそれを他なるかまど番たちに習得させることまでやってのけたのだ。菓子の素人である俺でも、これを玉焼き器で仕上げるのがそう簡単でないことは容易に想像がついたのだった。


(もちろん、ザザの血族もそれだけ腕を上げてるってことなんだろうけど……それだって、手ほどきしたのはトゥール=ディンなんだもんな。トゥール=ディンは、本当にすごいや)


 リミ=ルウも、「おいしー!」と快哉の声をあげている。

 そしてこちらでは、ベイムの家長が小石でも呑み込んだような顔をしていた。


「これはまた……その、何だな」


「ええ。こんなに美味しい菓子をいただいたのは、初めてです。なんだか、夢のようなお味ですねぇ」


 柔和な気性をした伴侶が、ベイムの家長の分まで喜びをあらわにしている。さらには、ライエルファム=スドラも「ほう」と感心していた。


「これは確かに、見事な菓子だ。……これは、二歳の幼子でも口にできるのであろうか?」


「は、はい。幼子に問題のある食材は使っていません。今頃は、幼子たちのもとにも届けられているはずです」


「そうか。俺の子たちにまでこのような喜びを授けてくれて、感謝する」


 ライエルファム=スドラがくしゃっと笑うと、トゥール=ディンは恐縮しきった様子で頬を染めた。そういえば、二人は何かと顔をあわせる機会も多いはずであるのに、それほど口をきいている場面は見かけた覚えもなかった。


(でも、そうか。最近は収穫祭も間遠だから、城下町の祝宴ぐらいでしか顔をあわせる機会はなかったのかな)


 そして祝宴ではトゥール=ディンもおおよそゼイ=ディンやザザの姉弟と行動をともにしてオディフィアの相手をしてるため、他の同胞とはあまり交流の機会もないのかもしれない。俺にとってはそれぞれ身近な相手であり、家だって遠くもないのに、不思議なものであった。


 しかしまた、本来は余所の血族の異性と交流を結ぶ機会など、ほとんど存在しないのだ。城下町に参ずることが増えた分、多少なりとも機会は増えたぐらいのはずであった。


 森辺における常識というものは、いまだに刻一刻と変化している。

 それでもいまだに、トゥール=ディンとライエルファム=スドラの交流が薄いぐらいであるのだから――俺としては、さらなる交流の場が生まれることを願うばかりであった。


「これは本当に、立派な菓子ですね。……ダイの家でも、作りあげることは可能なのでしょうか?」


 ディール=ダイがおずおずと問いかけると、トゥール=ディンは「はい」と背筋をのばす。こちらこそ、ほとんど初対面に近い感覚であるはずであった。


「た、多少の修練は必要となりますが、誰でも作りあげることはできると思います。ただ、玉焼き器が必要になりますが……」


「たまやきき?」とディール=ダイが小首を傾げると、屋台の手伝いをしているダイの女衆が耳打ちをした。


「ああ、ダイの家ではその器具を買っていないのか。それは、残念だ」


 ディール=ダイが肩を落とすと、トゥール=ディンがあわあわとしながら説明した。


「で、でしたら、鉄鍋や鉄板で平たく焼きあげて、筒状にして具材をくるんでみては如何でしょう? 食べ心地は変わってしまいますが、また別なる美味しさになると思います」


「そうなのですか? 俺には、よくわからないのですけれど……」


「生地の作り方はすぐにルウ家にも伝えられますので、よかったらそちらの勉強会で手ほどきをお願いしてください」


「うん! リミもこのお菓子、作ってみたーい! 一緒にがんばろーね!」


 リミ=ルウにおひさまのような笑顔を向けられて、ダイの女衆もひかえめに笑顔を返す。そちらでも、屋台の商売と勉強会を通じて少しずつ縁が深まっているはずであった。


「……ベイムの家も、アスタ=ファに手ほどきを願う機会がずいぶん減ってしまったからな。新たなかまど小屋が完成する日を待ち望んでいる」


 いかめしい顔つきのまま、ベイムの家長はそう言った。ファの家でも三日に一度は勉強会を開いているが、やはり参加メンバーの中心になるのは屋台の当番であるのだ。ベイムの女衆も屋台の下ごしらえでは存分に手を借りているので基礎の力が落ちることはなかろうが、新規の献立に関しては習得が遅れがちになっているはずであった。


「俺も、その日を楽しみにしています。それ以外にもあれこれ新たな話が持ち上がりそうなので、そのときはあらためてご相談させてください」


 きっとベイムの家も、ファの狩り場を守る役目に名乗りをあげてくれることだろう。そんな素晴らしい提案をしてくれたガズの家長に、あらためてお礼を言いたい心境であった。


 そうしてともに菓子を食したのち、ベイムとダイの血族も退いていく。

 その次にやってきたのは、ついに最後の四名――スンの家人たちであった。


「アイ=ファ、アスタ=ファ。二人の婚儀に、心よりの祝福を捧げる」


 クルア=スンの父たる本家の家長が、かしこまった面持ちで一礼する。

 残る三名はクルア=スンと、分家の若い男女だ。アイ=ファは鷹揚に「うむ」と挨拶を返した。


「スン家は最後まで順番を待ったのだな。ともあれ、祝福の言葉に感謝を返そう」


「うむ。森辺の格式に従うならば、もっとも小さき家が遠慮をするべきであろうからな」


 スン家は決して家人も少なくないが、眷族を持たない身であるため、血族の数はファに次ぐ少なさであるのだ。あとはやっぱりかつて大罪を犯したということで、身をつつしんだのだろうと察せられた。


 しかし、この場における表情の明るさは、他の氏族と変わりない。宴衣装を纏ったクルア=スンもやわらかく微笑みながら、一礼してくれた。


「アスタ=ファ、アイ=ファ、おめでとうございます。お二人の婚儀に立ちあうことができて、わたしも心から嬉しく思っています」


「うん、ありがとう。クルア=スンも、お疲れ様。……実は今日、アリシュナやチルも広場に来てくれたんだよ」


「はい。さきほど、レイ=マトゥアからおうかがいしました。アリシュナは、まだ羞恥の思いがこらえられないようですね」


 本日、クルア=スンは宿場町に下りず、フォウの家で宴料理の準備を受け持つ担当であったのだ。アリシュナが参ずるとわかっていれば、屋台のメンバーに組み込みたいところであった。


「アリシュナがいたのならば、俺も宿場町に出向くべきだったな。普段の礼を言う貴重な機会を逃がしてしまった」


 スンの家長は、そんな風に言っていた。

 アリシュナはクルア=スンに星見の力の制御について指南しているばかりでなく、かつてはともに邪神教団を討伐する遠征にも加わっているのだ。さらにはクルア=スンの兄たる長兄も遠征部隊の一員であったのだから、両名の父たる家長にとってもアリシュナというのはひとかたならぬ縁を持つ相手であるのだった。


「アリシュナは二日前の祝宴でもお会いしてる上に、身体が丈夫でないため遠出が難しい身の上ですからね。俺たちにとっても、今日の来訪は予想外でした」


「そうか。こちらも町の人間の邪魔になってはならじと思い、宿場町まで出向くことは遠慮したのだ」


 スンの家長の言葉に、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「他にも同じように考えて遠慮をした同胞が少なくないようだ。町の者たちにも配慮をしてもらい、ありがたい限りだぞ」


「俺たちは、こうして婚儀を見届けることがかなうのだからな。町でもアスタ=ファたちを慕う人間には事欠かないのだろうから、配慮するのは当然の話だ」


 スンの家長も、アイ=ファに穏やかな微笑みを返す。大罪人のズーロ=スンから本家の家長の座を受け継いだ彼も、この三年ばかりで確かな力と風格を身につけていた。


 ほんの三年前までは、誰もが死んだ魚のような目つきでザッツ=スンの悪しき支配に従っていたのだ。かつてスン本家であった面々やトゥール=ディンたちと同じように、彼らも大きな苦難を乗り越えて森辺の民としての正しき生を取り戻したのだった。


「そして、森辺においてはすべての氏族がファの家に感謝の思いを抱いているのであろうが……俺たちは、それ以上の気持ちを抱いているつもりだ」


「はい。大罪を犯したわたしたちが健やかに生きていくことを許されたのは、ファの家のおかげであるのですからね」


 分家の若い女衆もしんみりとした顔でそう言うと、アイ=ファはそれをなだめるように微笑んだ。


「繰り言になるが、スン家にどのような罰を与えるかを定めたのは、すべての氏族の家長たちだ。ファの家ばかりを特別に思う必要はないのだぞ」


「いや。そもそもスン家の罪を暴いたのは、ファの家ではないか。それがなければ、俺たちはいまだに生きる意味を見失っていたはずだ」


「ではそれは、私ではなくアスタの功績だな」


 アイ=ファはちょっと悪戯っぽい目つきになりながら、俺のほうを振り返る。俺は笑顔で、その魅力的な眼差しを受け止めた。


「それを言ったら、俺を拾ってくれたのはアイ=ファだし、スンの集落で危ないところを助けてくれたのはダン=ルティムやルド=ルウたちだよ。それに、俺が家長会議に招かれたのは屋台の商売で大きな富を築いたためなんだから、最初に屋台の提案をしてくれたカミュアや屋台を貸してくれたミラノ=マス、人手を貸してくれたドンダ=ルウや助言してくれたガズラン=ルティムのおかげでもあるな」


「ほう。ずいぶん手を広げるものだな」


「うん。だからやっぱり、たくさんの人たちの力や思いがあって、今があるということだよ。俺やアイ=ファも、そのひとりに過ぎないってことさ」


 すると、クルア=スンも静かな声音で発言した。


「それこそが、人の世の理であるのでしょう。小さな星の輝きが寄り集まって、雄大なる星図を描くのです。どの星が欠けても、同じ星図は生まれません」


 アイ=ファが不思議そうに小首を傾げると、スンの家長が落ち着いた笑顔で補足をした。


「アリシュナのもとに通っているせいもあって、クルアはこういう物言いが増えたのだ。俺は家長として、森辺の民に相応しい言葉で語るように言いつけている。何か問題があれば家長たる俺が責任を持つので、遠慮なく指摘してもらいたい」


「いや。べつだん文句があるわけではない。我々は星読みを忌避するのではなく、正しく理解しながら適切に距離を置くべきであろうからな」


 そう言って、アイ=ファはふわりと微笑んだ。


「それで、クルア=スンはまだ心が落ち着かぬのか?」


 それはクルア=スンが宴衣装である玉虫色のヴェールを目もとにまで掛けていることを指しての発言であるのだろう。

 銀灰色の瞳を神秘的に煙らせながら、クルア=スンは「はい」とうなずいた。


「でもきっと、それはこの夜まででしょう。この数日で大きく星図が変転したため、わたしも小さからぬ影響を受けてしまっていますが……アイ=ファとアスタ=ファが結ばれたことにより、すべては収束に向かうはずです」


「ほう。まるで、我々の婚儀のためにさまざまな騒ぎが起きたかのような物言いだな」


「占星師としての立場から見れば、きっとそういうことになるのでしょう。王都の人間がアスタを召し抱えようとしたのも、ガーデルがアスタ=ファの生命を狙ったのも、さまざまな人間がアスタ=ファを守ろうとしたのも……すべては、この夜のためであったのです」


 そう言って、クルア=スンはあどけなく微笑んだ。


「ですがわたしは力の抑制のために星読みを学んでいるだけで、決して占星師ではありません。ですから運命などという言葉は使わずに、お二人の尽力が最高の結果を招いたことを心から祝福いたします」


「うむ。そのように言ってもらえることを、ありがたく思う」


 そんな風に言ってから、アイ=ファは思いも寄らない言葉を口にした。


「では、クルア=スンにもアスタの新たな星というものを確認してもらえようか?」


 クルア=スンは「え?」と、たじろいだ。


「ど、どうしてでしょうか? アイ=ファは星読みの技と距離を取るべきだとお考えなのでしょう?」


「アスタの運命を読むのではなく、ただ星の存在を見届けてほしいのだ。アスタはチルに星の存在というものを確認されたとき、たいそう嬉しそうにしていたからな」


 アイ=ファは慈愛にあふれかえった面持ちで、そう言った。


「アスタの喜びは、私の喜びであるのだ。もしもクルア=スンにとって苦にならない話であれば、よろしく願いたい」


「……承知いたしました」


 あどけなく微笑んでいたクルア=スンが静謐な表情になって、目もとのヴェールに手をかける。

 そして、銀灰色の瞳が俺を見つめ――そこにすぐさま、大粒の涙が浮かべられた。


「……はい。確かに、星が存在します。とても小さな、生まれたての星……黄の狼の爪です」


「うむ。クルア=スンも、喜びの涙を流してくれるのだな」


「はい……これまで決して口にすることはできませんでしたが……『星無き民』の黒き深淵というのは、空虚そのものであったのです。その闇の深さが周囲の星を明るく際立たせながら、闇は虚ろな闇でしかない……決して星々と交わることのできない、孤独な存在であったのです」


 なめらかな頬にぽろぽろと涙をこぼしながら、クルア=スンは幼子のように微笑んだ。


「ですがアスタ=ファは新たな星を授かり、さまざまな星々と深く交わっています……そうしてアスタ=ファが絶対的な孤独から解放されたのが、わたしは嬉しくてならないのです」


 アイ=ファは無言のまま、俺のほうを振り返ってくる。

 そちらに向かって、俺は心からの笑顔を返した。


「この三年間、俺は心から幸せだったよ。孤独を感じたことなんて、一度もない。こんなにたくさんの人たちに囲まれて、そんなものを感じるいわれはないからな」


 それは俺にとって、まじりけのない本心であった。


「でも、俺は『星無き民』の正体を知ってから、本当に解放されたような心地だったんだ。これまでも幸せだったけど、今はそれよりも幸せだ。きっとクルア=スンやアリシュナは、それを喜んでくれているんだよ」


「……そうか」とつぶやきながら、アイ=ファは俺の手にそっと自分の手を重ねてきた。

 俺は思わずドキリとしてしまったが、婚儀を挙げた俺たちはもはや人前でも触れ合うことを許された間柄であったのだ。それでもやっぱり、胸の高鳴りを止めることはできなかった。


「では、アリシュナにもあらためて礼を言うべきであろうな。そして、クルア=スンにも感謝の言葉を捧げよう」


「いえ……このように幸福な気持ちを抱くことができて、わたしこそお二人に感謝しています」


 同じ微笑みをたたえたまま、クルア=スンは涙に濡れた顔をヴェールに隠した。

 スン家の他の人々や付添人の人々は、無言で俺たちを見守ってくれている。それは俺にとって、まさしくたくさんの星々に囲まれているような心地であった。

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