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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼
1707/1707

婚儀の祝宴⑤~運命の交錯~

2025.12/5 更新分 1/1

 北の一族の面々が退くと、今度はハヴィラとダナの面々がやってきた。

 森辺の同胞の中では、かなりご縁の薄い相手である。しかしその中には収穫祭で活躍していたダナの若き家長やハヴィラの長兄なども入り交じっており、俺とアイ=ファは旧交を温めることができた。


 そしてその後は、ディンとリッドの面々である。

 こちらは幼子とその面倒を見る男女の他は全員集結しているため、ずいぶんな人数となる。その中でひときわ賑やかであったのは、もちろんリッドの家長たるラッド=リッドであった。


「いやぁ、めでたい! 実にめでたいぞ! これで、ファの家も安泰だな!」


「とはいえ、ファには二人の家人しかないのだ。アイ=ファが刀を置いたのちにはこれまでと異なる苦労も生じようから、近在に住まう我々を遠慮なく頼ってもらいたい」


 そんな風に言ってくれたのは、厳格なる気性をしたディンの家長である。柔和な気性をした伴侶と長兄はにこにこと笑っており、長兄の伴侶はアイ=ファの花嫁衣裳にうっとりと見とれていた。


「トゥールは最初に挨拶をしたので、今はかまど仕事を受け持つと言っていた。よければ、またのちほどあらためて挨拶をさせてもらえるだろうか?」


 そんな風に告げてきたのは、トゥール=ディンの父たるゼイ=ディンであった。トゥール=ディンとゼイ=ディンも、こちらの本家の方々と同じ家で暮らす家族であるのだ。


「もちろんです。トゥール=ディンが忙しそうにしていたら、こちらから出向いて挨拶をさせていただきますよ」


 俺が笑顔で答えると、ゼイ=ディンも「感謝する」と微笑んでくれた。外見はあまり似たところもないが、つつましい一面は父娘でそっくりであるのだ。また、家族ぐるみでオディフィアの一家と絆を深めている彼は、森辺のひそかな立役者であるはずであった。


 その他にも城下町でご一緒する機会もあったリッドの長兄や、トゥール=ディンの屋台の商売を手伝っている女衆などが、口々にお祝いの言葉を投げかけてくれる。また、そういう特別なご縁がない相手であっても収穫祭をともにしている間柄であったため、誰もが大きな熱情をあらわにしてくれていた。


 そうして族長筋のトリを飾るのは、ダリ=サウティ率いるサウティの血族である。

 こちらはみんな男女二名ずつの組み合わせであるが、ダリ=サウティの伴侶たるミル・フェイ=サウティ、長老のモガ=サウティ、屋台の商売や城下町の祝宴でお馴染みであるサウティ分家の末妹、ヴェラの若き家長とその伴侶――それに、かつてファの家に滞在し、のちには屋台の働き手となったダダの長姉やドーンの末妹、その兄たるドーンの長兄など、盛りだくさんの顔ぶれであった。


「しかし今日は馴染みの薄い血族を招いてもらえたことを、何よりありがたく思っているぞ」


 ダリ=サウティの言葉に、フェイやタムルの人々が嬉しそうな笑みをこぼす。調理の手ほどきをしたことがある女衆はまだしも、男衆のほうは本当に初対面感覚であった。

 しかし、そんな人々でも熱情のほどに変わりはない。俺たちはかつて森の主の一件でサウティの集落に出向いたことがあったし、そうでなくともさまざまな事柄で森辺を騒がせていたのだ。連絡網が完備された現在の森辺において、家が遠くとも情報の密度に大きな差はないはずであった。


「今日も若い人間を押しのけて、わしが参ずることになってしまった。まったくもって申し訳ない限りだが、さりとて譲る気にもなれんかったのでな」


 長老モガ=サウティの言葉に、アイ=ファは「うむ」と穏やかな微笑を返す。


「我々にとっても馴染みが深いのは、家長会議で顔をあわせるあなたであるからな。どうか今後も森辺の先達として、若い人間を導いてもらいたい」


「ははは。今では、こちらが手を引かれる側よ。まあ、若い人間が足を踏み外さぬように、後ろからひっそり見守っておるつもりだが……今のところは、余計な言葉をかける隙も見つけられんしな」


 そう言って、モガ=サウティもゆったりと笑った。


「きっとルウの最長老やルティムの長老も同じ心地であろう。長く生きた人間ほど、ファの家のとてつもなさを痛感しておるよ。そちらこそ、今後も同胞を正しく導いてもらいたい」


「うむ。導くなどとは大それた話だが、我々も皆とともに正しき道を歩んでいこう」


「そうだな」と、ダリ=サウティも悠揚せまらず声をあげた。


「ファの家の力には今後も期待しているが、頼るばかりでは申し訳ない。それに今後は、ファの家もこれまでと異なる苦労を背負うことになろう。家の遠い俺たちも、有事の際にはいつでも駆けつけるからな」


「ありがとうございます。ダリ=サウティにそんな風に言ってもらえるのは、心強いです」


 すると、厳しい面持ちをしたミル・フェイ=サウティがアイ=ファの前に進み出た。


「アイ=ファ。今後はあなたも家を守ることを考えなければなりません。若い身には不満もつのるかと思いますが、決して心を乱さぬようにお過ごしください」


「うむ。私はどのような苦労でも厭うつもりはないが、まだその大きさを理解していない部分もあるのだろうな」


「それは、当然の話です。あなたはずいぶん幼い頃に、見習うべき母を失ってしまったという話なのですからね」


 と、ミル・フェイ=サウティは厳しい面持ちのまま、眼差しだけをやわらげた。


「たとえば……あなたが子を授かったのちは、アスタがひとりで町に招かれる機会も生まれることでしょう。そんな折にも、あなたはアスタの力を信じて、家と子供を守らなければなりません」


 アイ=ファは意表を突かれた様子で、わずかに目を見開いた。


「そう……だな。私が刀を置いたのちには、護衛役を務めることもままならん。その際には、アスタ自身と他なる狩人たちの力を信じるしかあるまい」


「ええ、その通りです。ですが、それが一生続くわけでもありません。わたしも幼子を抱える身ですが、時には城下町に参ずる機会がありますからね。人の生とは常に変動していくのですから、一喜一憂せずに大きく構えることです」


「うむ……さすが族長の伴侶ともなると、言葉の重みが違うようだ」


「ええ。なおかつわたしは他なる族長たちの伴侶よりも、あなたに近しい齢です。よって、若輩者の苦しみというものを、いまだ忘れていないつもりです」


 そう言って、ミル・フェイ=サウティはいっそう穏やかに目を細めた。


「あなたの周囲にもさまざまな立場である女衆がひしめいているでしょうから、誰に偏ることもなく、あらゆる言葉に耳をお傾けなさい。それが、あなたに正しき道を示すはずです」


「うむ。忠告、いたみいる。あなたとこの夜に言葉を交わせたことを、森に感謝するとしよう」


 アイ=ファはずいぶん感じ入っている様子で、ミル・フェイ=サウティに目礼を返した。


「……俺の伴侶がアイ=ファに女衆の心構えを説くなどとは、誇らしい限りだな」


 ダリ=サウティはどこか遠くを見るような眼差しになりながら、口もとをほころばせた。


「そしてアイ=ファも、とうてい狩人とは思えぬたおやかさだ。きっとアイ=ファは伴侶や母としても十全の力を発揮することだろう」


「ふむ。それはおそらく、花嫁衣裳の輝きがダリ=サウティの目を眩ませているのであろうな」


「そんなことはない。俺が織物のひとつでアイ=ファの在りようを見間違えると思うのか?」


 そう言って、ダリ=サウティはますます懐かしそうな目つきになった。


「三年前の家長会議において、アイ=ファはどこにも味方のない立場でありながら、森辺の民の正しき在りようを力強く説いていた。あの頃から、アイ=ファは比類なき輝きを放っていたし……今はその輝きがやわらかく変容しつつ、いっそう強まったようだ」


「ええ。族長ダリ=サウティはルウやザザと異なる形で、ずっとファの家を気にかけていましたものね。おかげでわたしたちも、ファのお二人と絆を深めることがかないました」


 姉御肌であるダダの次姉が、朗らかに笑いながら言葉を重ねる。ともにファの家に滞在していたサウティ分家の末妹とドーンの末妹も、いくぶん懐かしそうな面持ちで微笑んでいた。


「うむ。当時は屋台の商売に参加することもままならなかったので、強引にファの家まで押しかけたものだったな。その前には森の主の一件でも世話をかけていたし、アイ=ファにもアスタ=ファにも頭が上がらないところだ」


「そのようなことはない。ダリ=サウティの尽力があって、我々は新たなギバ狩りの作法を確立することがかなったのだからな」


 そんな風に応じながら、アイ=ファもゆったりと目を細めた。


「サウティの血族は数々の苦難にさらされながら、そのたびに力強く立ち直っていた。その底力は、我々も見習いたいと思っている」


「ふふん。その苦難も、力の足りなさが招いたものであろうがな」


「そのようなことはあるまい。それこそ、ダリ=サウティを筆頭とする皆々の力は、我々もしっかり見届けてきたつもりだぞ」


 確かにアイ=ファの言う通り、サウティというのは悲運に見舞われがちであったのだ。

 森辺の案内人を受け持った際にはザッツ=スンに飢えたギバをけしかけられ、森の主の出現ではまたダリ=サウティ自身も深手を負うことになり、飛蝗の襲撃ではどの氏族よりも狩り場にひどい被害を受け――自分たちの責任とは関わりのないところで、手ひどい運命に見舞われていたのだった。


 しかしサウティの血族は周囲の氏族に支えられつつ数々の苦難を退けて、族長筋としての使命を果たしてきた。城下町の祝宴においてもダリ=サウティは族長として先陣を切っていたし、俺が知らない会談の場でもガズラン=ルティムともども交渉役として大きな役目を担っていたはずであった。


(そもそも二十代の半ばで立派に族長として振る舞えるんだから、ものすごい話だよ)


 なおかつ、肩を並べるのがドンダ=ルウとグラフ=ザザとあっては、なおさらだ。その時点で、ダリ=サウティが非凡であることは証明されているはずであった。


 ダリ=サウティもまた、俺が見習うべき立派な森辺の民のひとりなのである。

 立派すぎて見習うのが難しいぐらいだが、俺としては高い目標を掲げて邁進しなければならなかった。


「どれだけ語っても話は尽きないが、俺たちもそろそろ退くとしよう。まだまだ順番を待っている人間も多いのだからな」


 ダリ=サウティの号令で、サウティの血族も身を引いていく。

 次にやってきたのは、フォウの血族である。こちらも大変な人数であるため、次から次に温かい言葉をかけられることになった。


「ああ、チム=スドラにイーア・フォウ=スドラ。昼間は、どうもありがとう」


「うむ。アイ=ファもアスタ=ファも立派だったぞ。……俺は、アスタ=ファと呼ばせてもらうからな」


 俺に氏をつけて呼ぶかどうかは、本当に人それぞれであるようだ。

 しかし、氏をつけて呼ぶ人々は俺が氏を授かったことを喜んでくれているのであろうし、そうでない人々は家族のごとき親しみを込めてくれている。どちらにせよ、俺の幸福な心地に変わりはなかった。


「アスタ=ファにアイ=ファ、おめでとー! いやー、やっと挨拶できたね!」


 と、チム=スドラたちの脇からユーミ=ランとジョウ=ランも顔を覗かせる。そちらも、満面の笑みであった。


「どうもありがとう。ユーミ=ランも、氏をつけて呼んでくれるんだね」


「アスタ=ファだって、あたしに氏をつけて呼ぶじゃん! ま、あたしやシュミラル=リリンなんかは、その重さを一番わきまえてるはずだからねー!」


 ユーミ=ランも既婚であるため、普段通りの姿である。しかしその元気いっぱいの立ち居振る舞いが、何より彼女を彩っていた。


「俺も、アスタ=ファと呼ばせていただきます。婚儀の前には何の力にもなれませんでしたが、何かあったらいつでも声をかけてください」


「ああ、そっちの婚儀の前夜には、ジョウ=ランをファの家に招いたんだっけ」


「招かれたのではなく、押しかけたのです。あの夜のアスタ=ファの親切を、俺は決して忘れません」


 それで俺たちは二人きりで語り合い、気づけば広間で寝落ちしていたのである。俺としては、ちょっと遅めの青春の一ページとでも称したくなるようなエピソードであった。


「男同士で結託するなら、あたしはアイ=ファにつくからねー! アイ=ファも何かあったら、遠慮なく頼ってよ! 森辺の民としては教わるばっかりだけど、あたしも町の生まれの人間として余計な話をあれこれ蓄えてるからさ!」


「ふむ。余計な話を耳にする甲斐があるのだろうか?」


「なんでもかんでも枠に収めてたら、面白くないっしょ! もちろん森辺の民としての節度を忘れたりはしないから、心配しなさんな!」


 ユーミ=ランが白い歯をこぼすと、アイ=ファも楽しげに微笑んだ。

 そういえば、ジョウ=ランとユーミ=ランは年も近いし、片方が町の生まれであるという点も共通しているのだ。ちょっと独特の関係性であるレイの二人や、若年なれども貫禄のあるドムやナハムやスドラの面々よりは、俺とアイ=ファに近しいのかもしれなかった。


(まあ、それでもそれほど似通ってるってわけじゃないし……やっぱり結婚の形も、人それぞれだよなぁ)


 俺がそんな感慨を噛みしめていると、付添人を務めてくれたランの少年に母親が笑いかけた。


「あんたも、しっかり食べてるかい? あんまり気を張っていると、最後までもたないよ?」


「う、うん。大丈夫。俺なんかは、ただ見守ってることしかできないけど……」


「それが、付添人の役目ってもんさ。こんな大役を授かって、誇らしい限りだね」


 そう言って、少年の母親は俺とアイ=ファにも笑いかけてくる。そんな風に言ってもらえるこちらのほうこそ、光栄の限りであった。


「……アイ=ファ、おめでとう。そちらもついに、伴侶を持つ身だな」


 と、そんな風に呼びかけたのは、フォウからランに婿入りしたマサ・フォウ=ランであった。

 かつてサリス・ラン=フォウと婚儀の約束をしながら、アイ=ファに心を奪われてしまった人物だ。それでアイ=ファとサリス・ラン=フォウは、気まずい関係になってしまったのだという話であったが――最初の合同収穫祭を行った折には、もう誰もがわだかまりを捨てていた。


「こんな話を聞かされても、アイ=ファは困るだけだろうが……俺は、とても嬉しく思っている。アイ=ファたちに迷惑をかけた自分ばかりが幸福な生を授かって、心苦しく思っていたのだ」


 森辺の狩人としては繊細な気性をしたマサ・フォウ=ランがそのように言いつのると、アイ=ファはそれをなだめるように微笑んだ。


「我々は三人ともに、正しき伴侶と巡りあうことができた。そのように語れることを、喜ばしく思う」


「ああ、そうだな。本当に、そう思うよ」


 マサ・フォウ=ランも、ほっとしたように微笑む。たしか、フォウの集落に居残っている中に、彼の伴侶と子供も含まれているのだ。彼の立場であれば、アイ=ファに後ろめたい気持ちを抱くのも致し方ないのだろう。


(でも、スンとルウの一件がなければ、そこまで話がこじれることもなかったんだろうしな)


 その当時――アイ=ファが父親を失った十五歳の頃、ディガ=ドムがファの家に忍び込もうとした。それを撃退したことで、アイ=ファはスン家に目をつけられてしまったのだ。

 それを聞きつけたドンダ=ルウが、アイ=ファに嫁取りの話を申し出た。ルウはスンと敵対関係にあったため、アイ=ファを擁護しつつスン家を族長筋から蹴落とすきかっけになれば幸いという思いもあったのだろう。


 しかしアイ=ファは狩人として生きると決断し、ドンダ=ルウの申し出を突っぱねた。

 それでスンとルウの目を恐れる近在の人々は、アイ=ファと縁を絶つことになったのだ。マサ・フォウ=ランが騒ぎを起こしたのは、その直前のことであるはずであった。


(それでアイ=ファはサリス・ラン=フォウと和解することもできないまま、縁を切っちゃったんだもんな。それと同時に、リミ=ルウやジバ婆さんとも縁を切ることになって……本当に、どれだけの苦しさだったんだろう)


 しかもそれは、たったひとりの家族であった父親を失った直後の話なのである。

 そんな苛烈な生は、想像することも難しいほどであったが――そんなアイ=ファが、今ではルウやフォウの血族に囲まれて幸せそうに微笑んでいる。その事実に、俺は思わず涙ぐんでしまいそうだった。


「失礼します。新しい宴料理をお持ちしました」


 と、やおらユン=スドラの声が響きわたる。

 人垣が割れて、お盆を掲げたユン=スドラと数名の女衆が近づいてきた。


「やあ、ユン=スドラ。ちょうどフォウの血族の方々が挨拶をしてくれていたところだよ」


「はい。それで周囲の方々が、わたしに気をつかってくれたようです」


 ユン=スドラはにこりと微笑みながら、俺とアイ=ファの前にお盆を差し出した。


「どうぞ、お召し上がりください。こちらは、わたしが中心になって作りあげた料理です」


 それは、見慣れない料理であった。チャーハンのようなシャスカの料理に、赤褐色の肉ダレが掛けられているのだ。俺としては、看過できない品であった。


「もしかしたら、これはユン=スドラが考案した料理なのかな?」


「はい。以前の晩餐会で供するべきか悩んでいた品です」


 であれば、晩餐会で出したギバ骨出汁のタラパパスタに匹敵するような品であるということだ。俺の期待は、つのるいっぽうであった。


 木皿に丸く盛りつけられたシャスカに、たっぷりと肉ダレが掛けられている。一見では、ハヤシライスのような外見だ。ただし、赤褐色の肉ダレからはスパイシーな香りもたちのぼっていた。


 俺は胸を弾ませながら、木匙ですくいあげたシャスカと肉ダレを口に運ぶ。

 とたんに、力強い味わいと繊細な風味がもつれあいながら口内に広がった。


 肉ダレはデミグラスソースを思わせる甘辛い味付けに、何種かの香草が加えられている。それほど辛みは強くなく、セージに似たミャンツやカカオに似たギギなどで香りが調えられているような印象であった。


 チャーハンのように仕上げられたシャスカは生鮮のウドに似たニレやマツタケに似たアラルの茸などがちりばめられており、こちらにも甘い風味が感じられる。おそらくは、ジュエの花油でシャスカを炒めたのだ。


 派手な仕掛けは感じられないが、香草や具材の選別に説得力があふれかえっている。念入りな吟味の末にこの味が完成されたという事実が、ひしひしと伝わってくるのだ。これまでに学んできたものをどのように活かし、昇華させるか――そんなユン=スドラの思いまでもが皿に盛りつけられているかのようであった。


「……うん。これはすごく美味しいよ。晩餐会で出されたパスタよりも、俺はこっちのほうがユン=スドラらしい料理だと思えるぐらいだね」


「そうですか。あちらのほうが目新しい食材を数多く使っていますので、あの晩餐会には相応しいだろうと考えたのですが……でも、こちらも自慢の料理ですので、アスタにそのように言っていただけるのは光栄です」


 ユン=スドラは嬉しそうに、にこりと微笑む。

 トゥール=ディンやマルフィラ=ナハムの陰に隠れながら、ユン=スドラも大きな飛躍を果たしているのだ。そしてユン=スドラの料理には、彼女の人となりまでもが反映されているように思えてならなかった。


(そういう思いが強い人間ほど大成しているように感じられるって、フェルメスも言ってたっけ)


 俺よりも二歳年少であるユン=スドラは、これからもどんどん自分なりの料理を考案していくのだろう。

 それを間近で見守れることが、俺は幸福でならなかった。


「その料理、すっごく美味しいよねー! あたしも感心させられちゃった!」


「うん、おいしー! またレイナ姉の眉が、きゅーってなっちゃうかも!」


 ユーミ=ランやリミ=ルウがはやしたてると、ユン=スドラは気恥ずかしそうに頬を染める。ライエルファム=スドラやチム=スドラやイーア・フォウ=スドラは、そんな家人の姿をとても優しい眼差しで見守っていた。


「そ、それじゃあ、わたしは失礼します。みなさんは、どうぞごゆっくり」


「俺たちも、そろそろ順番を譲るべきであろうな。残る氏族の者たちが、やきもきしているはずだ」


 付添人であるバードゥ=フォウに代わって、ランの家長が号令をかける。それでユン=スドラとともにフォウの血族の面々も引いていき、その次にやってきたのは――ラヴィッツの血族の面々であった。


「いやはや、ひとこと声をかけるのにこれほどの時間がかかるとはな。何から何まで、規格外だ」


 そんな風に述べたてたのは、毎度お馴染みラヴィッツの長兄である。小柄で落ち武者のような頭をした彼は、本日もすくいあげるような眼差しで俺とアイ=ファを見上げてきた。


 そして、その背後に立ちはだかる人物の姿に、俺は「あれ?」と声をあげてしまう。それは彼の父親たる、デイ=ラヴィッツであったのだ。


「ど、どうもお疲れ様です。今日はデイ=ラヴィッツも来てくださったのですね」


「なんだ。それで、不服でもあるのか?」


 髪も眉もないデイ=ラヴィッツは、さっそく額にひょっとこのような皺を刻みつける。しかし俺が弁解する前に、長兄がにんまりと笑いながら発言した。


「こういう祝宴では、家長か跡継ぎが家を守るのが習わしだからな。ひときわ習わしを重んじる親父殿がこうして出向いてきたのだから、アスタ=ファが驚いても無理はなかろうよ」


「ふん。俺が出向くことは、最初から決まっていた。後から名乗りをあげたのは、お前のほうだろうが?」


「しかしこれまでは、俺に出番を譲って居残っていたではないか。親父殿は、よほど今日の祝宴に参じたかったのだな」


「ふん! ファの家を世に解き放ってしまった親筋の責任として、顛末を見届けようと思っただけのことだ!」


 かつてファの家は、ラヴィッツの眷族であったのだ。ただそれは、他なる氏族の人々が忘却するぐらい遥かなる昔日の話であった。


「何にせよ、デイ=ラヴィッツが参じてくれたことを心から喜ばしく思っているぞ」


 アイ=ファが静かに声をあげると、デイ=ラヴィッツはますます額の皺を深めた。


「……ずいぶん、しおらしくなったものだな。女狩人などを志さなければ、最初からそのように振る舞うことがかなったのだ」


「うむ。しかし私は、心のままに生きているのみであるからな。狩人として過ごす時間も、私には必要であったのだ」


「ふん! 今日まで生き残ることができたのは、たまたまの僥倖であろうよ! 思うさま、母なる森に感謝するがいい!」


 デイ=ラヴィッツは、相変わらずの様相である。

 いや、むしろ普段よりもけたたましいぐらいであろうか。彼はいつでも反感を剥き出しにしていたが、そうまで荒っぽい言動をする性格ではなかったのだ。


「ようやくアイ=ファが婚儀を挙げることになって、家長も安心したのでしょうねぇ。わたしも、同じ心地ですよ」


 と、息子よりも小柄なリリ=ラヴィッツもひょこりと姿を現す。お地蔵様のように穏やかな風貌をした、壮年の女衆だ。この一家は、それぞれ異なる強烈な個性を有していた。


 そんな中、ラヴィッツの分家や眷族の女衆はみんなまごまごしている。本家のご一家を除くと、ラヴィッツの血族にはつつましい人間が多いのだ。

 その中で、余所の氏族から新風を持ち込んだ女衆――フェイ・ベイム=ナハムが堂々たる態度で進み出た。


「あらためて、わたしからも祝福の言葉を捧げさせていただきます。アイ=ファにアスタ=ファ、婚儀おめでとうございます」


「はい、ありがとうございます。それに今日は、朝からお疲れ様でした」


「いえ。どの作業場でも熱気と活力があふれかえり、疲れを覚えるいとまもありませんでした。きっとすべてのかまど番が、同じ思いを抱いていたことでしょう」


 父親似でちょっと平家蟹に似ている厳つい顔に、フェイ・ベイム=ナハムはふわりと温かな笑みを広げた。


「わたし自身、大きな喜びと意欲を胸に働くことができました。大恩あるファのために力を尽くすことができて、心より光栄に思っています」


「大恩だなんて、とんでもない。俺のほうこそ、フェイ・ベイム=ナハムには頼りっぱなしです」


 彼女ももともとはファの家の行いに否定的な立場であり、その正否を見定めるために屋台の商売を手伝うことになったのだ。当初は屋台のお客さんにもつっけんどんな態度を取ってしまい、それを指摘されると涙を見せてしまうなど、多少なりとも波乱ぶくみのスタートであった。


 しかし彼女はめきめきと成長して、のちには試食会で俺の助手を務めてもらったり、屋台の取り仕切り役をお願いすることも多かった。婚儀を挙げたのちにはいくぶん出番が減ってしまったものの、それでもやっぱり屋台の商売では精神的な支柱であったのだ。厳格さと情の深さをあわせもつ彼女は、数多くのかまど番の中でも特別な存在であった。


「……そもそも俺たちが婚儀を挙げることがかなったのも、ファの家あってのことだからな」


 と、フェイ・ベイム=ナハムの伴侶たるモラ=ナハムもゆらりと進み出る。金色の巻き毛に水色の瞳、モアイのような風貌に骨太の長身痩躯という、独特の容姿をした男衆である。


「お二人の婚儀が実現したのは、ご本人の尽力あってこそですよ。俺なんて、その周囲をうろちょろしていたにすぎません」


「うむ……しかし、俺たちに交流の場を与えてくれたのは、ファの家だからな……感謝の思いに、変わるところはない」


 そう言って、モラ=ナハムはうっそりと頭を下げた。


「そして、昔日にはマルフィラのことで大きな迷惑をかけてしまった……どうかこれからも、マルフィラを導いてもらいたい」


 かつて彼は俺がマルフィラ=ナハムによからぬ思いを抱いているのではないかと疑い、ちょっとした暴走を見せてしまったのだ。そして、それをフェイ・ベイム=ナハムに咎められたことで、彼女に対する思慕の思いを露呈するに至ったのだった。


 やっぱり人の運命というものは、思わぬところで交錯している。

 そのかけがえのなさを噛みしめながら、俺は「はい」と笑顔を返した。


「いまやマルフィラ=ナハムは、森辺を代表するかまど番ですからね。俺も彼女を見習いながら、ともに進んでいくつもりです」


「ふふん。それでこの前も、王都の人間をあざむくという大役を与えられたわけだしな」


 にんまりと笑うラヴィッツの長兄が、横から皮肉っぽい声をあげた。


「まあ、あれでナハムの三姉は森辺で屈指の料理番と認められたようなものだ。親筋のラヴィッツとしては誇らしい限りだな、親父殿?」


「ふん。何が誇らしいものか。王都などに出向く気がないのなら、そのように答えればいいだけの話ではないか。からめ手で騙し討ちにするなど、森辺の流儀ではあるまい」


「相手が貴族では、森辺の流儀を押し通すことも難しいのであろうよ。たまには親父殿も、ややこしい貴族たちとの交流を楽しんでみるがいい」


 ラヴィッツの長兄は全方位に向けて軽口を叩くので、話が錯綜するばかりである。しかしまた、それはそれで場を動かすひとつの力になっているはずであった。


 やっぱりラヴィッツの血族というのは、俺にとって特別な存在だ。もともとベイムの家よりも強固な姿勢でファの家の行いに否定的な立場を取っていた彼らは、家長会議で合意を得たのちにおいても他なる氏族とは異なるスタンスで支えになったり刺激になったりしてくれていた。


 これは朝方にルウ家で語った話にも通じているのだろう。最初から全面的に協力的な姿勢を見せていたフォウの血族も、否定的な立場からさまざまな問題提起をしてくれたラヴィッツの血族も、俺にとってはまさり劣りのない大切な存在であるのだった。


(それにデイ=ラヴィッツなんかは、最後までアイ=ファが狩人であることに否定的だったもんな)


 そんなアイ=ファがついに婚儀を挙げることになって、彼はどのような思いを抱いているのか。そのひょっとこのようなしかめっ面から真情をうかがうことは難しかったが――森辺の習わしを二の次にしてまで祝宴に駆けつけたことが、ひとつの答えを示しているのかもしれなかった。

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