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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼
1706/1707

婚儀の祝宴④~変転の果てに~

2025.12/4 更新分 1/1

「おお! 人ならぬ家人までそろって、大層な賑わいだな!」


 ルティムの面々と入れ替わりで、ルウの他なる眷族の面々がやってくる。その先頭に立っているのは、ラウ=レイとヤミル=レイであった。


 ヤミル=レイも婚儀を挙げたため、もはや宴衣装は纏っていない。しかし、大きくウェーブするショートヘアーをなびかせるその姿は、宴衣装の女衆にも負けない華やかさであった。


 あとはレイナ=ルウの右腕的存在である分家の女衆や、その女衆の兄たる長兄なども顔をそろえている。他にもミンやマァムやムファから四名ずつの男女が参じており、ひときわ大柄であるジィ=マァムが人垣から顔を覗かせていた。


「アスタとは昼にもロクに言葉を交わす時間がなかったし、アイ=ファに至っては顔をあわせるのも初めてだからな! さすがアイ=ファは、ヤミルにも引けを取らない花嫁姿ではないか! 森辺広しといえども、そんな女衆はアイ=ファただひとりであろうと思うぞ!」


「うむ。さしものラウ=レイも、婚儀の当日には多少なりとも節度を働かせるようだな」


「うむ! 今のお前を目の前にして美しいという言葉を差し控えているのだから、存分にほめてもらいたいものだ!」


 そう言って、ラウ=レイは陽気な笑い声を響かせる。顔色に変わりはないが、きっともうたらふく果実酒を口にしているのだろう。また、自分の婚儀では落ち着いた空気をかもしだしていたラウ=レイも、今ではすっかり元の豪快さを取り戻していた。


 しかしそれでもヤミル=レイとの間には、以前よりも落ち着いた空気が感じられる。婚儀という大きな節目を迎えて、小さからぬ変化を遂げたのだろう。俺とアイ=ファは明日から、いったいどのような空気を織り成すことになるのか――それは、想像の外であった。


「ディガ=ドムやドッドとは、もう顔をあわせましたか?」


 俺がそのように尋ねると、ヤミル=レイはしなやかな肩をすくめた。


「こんな日にまで、そんな話を気にかけているの? ここ最近はあいつらともしょっちゅう顔をあわせているのだから、いちいち気にかける甲斐もないでしょうに」


「そうですね。でも、自分たちの婚儀でまたその機会を作ることができて、俺は嬉しく思っています」


「うわははは! どうせあいつらもすぐに猟犬のように鼻をきかせて、ヤミルのもとに群れ集うことだろう! その際には、ミダ・ルウ=シンたちも呼んでやらなければな!」


 ラウ=レイは豪快に笑い、ヤミル=レイはそっぽを向く。そういう仕草に変化はないのに、やっぱり空気がどこか落ち着いているのだ。俺にはそれが、深い部分でしっかり結ばれている証のように思えてならないのだった。


 また、ラウ=レイは今日の付添人から除外されても、まったく文句をつけなかったのだと聞いている。それもまた、以前からは考えられない話であろう。ラウ=レイはファの家に強い思い入れを抱いてくれているし、俺と同い年とは思えないほど子供っぽい部分を持っているので、そういう話にこそ眉を吊り上げそうなところであったのだ。


(きっとヤミル=レイの存在が、ラウ=レイの深い部分を満たしているんだろう。俺もヤミル=レイを見習いたいもんだな)


 俺がそんな思いにひたっている間に、他の面々も口々に祝福の言葉を届けてくれる。その中から、ジィ=マァムがずいっと進み出た。


「俺も二人の婚儀を祝福するぞ。まあ、アイ=ファに敗れたままというのは忸怩たる思いだが……そんな言葉は、もう聞き飽きているだろうしな」


 アイ=ファの輝かしい姿に目を瞬かせながら、ジィ=マァムはそんな風に言ってくれた。彼もディム=ルティムと同様に、アイ=ファの強さに感服するひとりであるのだ。そういえば、俺が初めてジィ=マァムの存在を知ったのも、アイ=ファと力比べを繰り広げていた場であった。


(あれは最初に招待された、ルウの収穫祭だったっけ。俺はジィ=マァムがぶん投げられる姿を見せつけられただけで、しばらくは交流を深める機会もなかったんだよな)


 しかしジィ=マァムは身長百九十センチを超えていそうな巨体であるため、ひと目見ればそうそう見間違えることもない。出会ってからしばらくしたのちには《ギャムレイの一座》の大男ドガを力比べで負かしたり、ジェノスの闘技会に出場したりと、ディム=ルティムと同様に随所で印象深い姿を見せていた。


「それにしても、立派な広場に仕上がったものだな。俺が参じたのは作業の初日のみだったので、あまりの立派さに驚かされたぞ」


 と、壮年の男衆がゆったりと語りかけてくる。これはアマ・ミン=ルティムの父である、ミン本家の家長であった。


「そこで提案があるのだが、あれらの丸太でかまど小屋ばかりでなく母屋もいくつか建ててはどうだろうか?」


「うむ? 何故に、母屋を?」


「また六氏族合同で収穫祭を行うようであれば、幼子たちを集める場所が必要になろう? 今日とて他なる母屋さえあれば、フォウやディンの家人らをすべて招くことができたのではないか?」


 そう言って、沈着なるミンの家長は穏やかな微笑をたたえた。


「そしてゆくゆくは、分家のために母屋が必要となろう。早くとも十五年以上は先の話になろうが、無駄になることはあるまい」


「……そうだな。我々も、ファの氏を絶やさないように力を尽くしたく思っている」


 アイ=ファも穏やかな笑顔で応じると、ラウ=レイが「何を抜かしているのだ!」と横合いから割り込んだ。


「アイ=ファとアスタの子であれば、格別の力を持つ狩人とかまど番に育つに違いあるまい! どんどん子供をこしらえて、どんどん嫁や婿を取るのだ! そうしたら、

すぐに大層な賑わいだぞ!」


「うむ……力は尽くすつもりだが、いささか想像の難しい行く末だな」


「それはきっと、アイ=ファが兄弟を持っていないためだ! 俺などは三人も姉がいたため、その騒がしさを知っている! あの姉たちが全員婿を取って家に居座っていたらと思うと、気が遠くなるほどだな!」


 豪快に笑いながら、ラウ=レイはさらに言いつのった。


「しかし、あえて気の遠くなりそうな想像をするとだな! 三人の姉はすでに四人の子を生しているのだ! 俺とヤミルと母に、姉たちの伴侶まで加えれば、それで十三人の家人となる! 子たちの伴侶をすべて嫁や婿として迎えていれば、ほんの二十数年でそれだけの人数になるわけだな!」


「うむ。それは決して、見込みの薄い話ではない。ただ、アイ=ファとアスタ=ファが若くして魂を返すことなく、健やかな生を歩むだけで事足りるのだ」


 ミンの家長の言葉に、ジィ=マァムや他の面々も大きくうなずく。

 そして、俺たちにひっそりと寄り添ってくれていたガズラン=ルティムも声をあげた。


「ファの家であれば、嫁や婿を出してでも血の縁を結びたいと願う氏族は数多いことでしょう。ですから、すべてはアスタ=ファとアイ=ファ次第であるのです」


「……そうか」と、アイ=ファは目を伏せる。


「アスタと出会うまでの私は、ファの氏とともに滅ぶ覚悟を固めていた。それでそのように輝かしい行く末を夢に見られるというのは……いささか、怖いぐらいの気持ちだな」


「それはアイ=ファが氏を守った結果でもあるのです。どうか胸を張って、明るい行く末を目指してください」


「そうよ」と、ヤミル=レイも笑いを含んだ声をあげた。


「わたしだって早々に魂を返す手はずであったのに、今ではこの有り様よ。わたしの人生をねじ曲げた責任を取って、あなたたちもせいぜい長々と苦労することね」


「うわははは! どちらがより多くの子を生せるか、勝負だな!」


「馬鹿ね。少しは、口をつつしみなさい」


 ヤミル=レイはすました顔で、ラウ=レイの二の腕をつねりあげる。ラウ=レイは痛そうに顔をしかめたが、それでも幸せそうだった。


「そう考えると、他の血族に累の及ばない婚儀というのは、実にありがたい取り決めだな。俺も親筋の如何に頭を悩ませることなく、ファの家に婚儀を申し入れることができるぞ」


 と、バードゥ=フォウも温かい笑顔でそんな風に言ってくれた。


「まあ、ファの眷族というのも決して悪い話ではあるまいが……できれば俺は、同じ親筋の立場としてファとともに歩んでいきたいと願っている。アイ=ファやアスタとともに、明るい行く末を目指すとしよう」


「うむ! 俺の子や孫がファの家に嫁ぐことができれば、愉快な限りだ!」


 そうしてその場には、また新たな熱気がわきあがった。

 こんなにもたくさんの人々が、ファの家の行く末を案じてくれているのだ。俺はもちろん幸せな限りであったが、ずっとひとりでファの家を守ってきたアイ=ファはそれとも比較にならないぐらい胸を満たされているはずであった。


(それに……アイ=ファがどれだけ子煩悩かは、もうわかってるしな)


 そっと目を伏せたアイ=ファは、足もとに顔を寄せるブレイブの頭を優しく撫でている。彼を初めてファの家人として迎え入れたとき――いや、十名の人ならぬ家人を迎え入れたとき、アイ=ファはいつでも我が子を迎えるような喜びをあらわにしていたのだ。これで本当に我が子を授かったときには、いったいどのような姿を見せるのか――それは、俺がずいぶん前から抱いていた幸福な想像であったのだった。


「では、そろそろ他なる血族に順番を譲るべきか」


 人垣の後方を気にしながら、ミンの家長がそう言った。驚くべきことに、この後にはまだリリンとシンが控えているのだ。やはりルウの血族というのは、質量ともに群を抜いていた。


「では、またのちほどな! 他の連中と語らいながら、待っているぞ!」


 ラウ=レイが俺の肩を小突いてから、ヤミル=レイとともに身をひるがえす。それと入れ替わりで、リリンとシンの面々がずらりと立ち並んだ。


 こちらの両氏族は屋台の商売に関わっていないが、本家の家人がまるまる招待されている。シン・ルウ=シン、リャダ・ルウ=シン、タリ・ルウ=シン、ミダ・ルウ=シン、二人の弟たち、ギラン=リリン、ウル・レイ=リリン、六歳の長兄、シュミラル=リリン、ヴィナ・ルウ=リリンと、実に豪華な顔ぶれであった。


「みなさん、お待たせしました。今日はどうもありがとうございます」


「うむ。今日は誰でも長々と語らいたいところであろうからな。俺たちも自重できるかどうか、危ういところだ」


 目尻の笑い皺を深めながら、ギラン=リリンはそう言った。夕刻に母屋で顔をあわせているが、きちんと挨拶するのはこれが初めてだ。それぞれの息女を母屋に残したヴィナ・ルウ=リリンとウル・レイ=リリンも、ゆったり微笑んでいた。


「アイ=ファにアスタ=ファ、おめでとうなんだよ……? 二人に、宴料理を運んできたんだよ……?」


 頬肉をぷるぷると震わせながら、ミダ・ルウ=シンが巨大なお盆を差し出してくる。そこに載せられていたのは、二人分のカレーと焼きポイタンであった。


「熱が逃げたら台無しだから、どうか食べながら挨拶をさせてちょうだいねぇ……」


 ヴィナ・ルウ=リリンとウル・レイ=リリンが食器もあわせて、俺とアイ=ファに手渡してくれる。そちらにお礼を言ってから、俺はさっそく焼きポイタンに手をのばした。


 辛さはひかえめに抑えられた、森辺では王道のギバ・カレーだ。焼きポイタンで食するためにインドカレーのテイストであるが、きっとリンゴに似たラマムのすりおろしや花蜜なども使っているのだろう。実にまろやかな味わいであり、トマトに似たタラパの酸味もわずかに感じられた。


 それに、具材も野菜とキノコが盛りだくさんである。ギバ肉は肩肉とバラ肉と挽き肉が入り乱れており、シンプルながらも豪勢な仕上がりであった。


「ぼくたちも、さっきかれーをたべたんだよ! シュミラルは、もうすぐかれーをたべられなくなっちゃうからね!」


 シュミラル=リリンに寄り添った六歳の長兄が、頬を火照らせながらそのように告げてくる。シュミラル=リリンは間もなく《銀の壺》とともにジェノスを離れるので、別れを惜しんでいるのだろう。数日後に予定されている送別の祝宴では、また彼が涙を見せることになるのかもしれなかった。


「シュミラル=リリンも、名残惜しいでしょうね。俺も半年後の再会を楽しみにしています」


「はい。ですが、二人の婚儀、見届けられて、幸福です。運命、感謝します」


 日中の広場でも夕刻の母屋でも顔をあわせていたが、やはりシュミラル=リリンが相手だと慕わしい気持ちが止められない。しかしまた、これが初めての顔あわせとなる面々も二の次にはできなかった。


「シンのみなさんも、ありがとうございます。みなさんを全員招待することができて、とても嬉しいです」


「それは、こちらの台詞だな。俺やタリまで招いてくれて、心からありがたく思っている」


 鋭い面立ちをしたリャダ・ルウ=シンも、いつになく安らいだ面持ちになっている。ドンダ=ルウとはあまり似たところのない、どちらかといえば細身で口髭のよく似合う、渋みのきいた壮年の男衆だ。


 あれは、三年以上も前のこと――俺がルティムの婚儀の祝宴を任されて、ルウの集落で滞在を始めてすぐ、リャダ・ルウ=シンは狩人の仕事で深手を負うことになった。それでまだ十六歳であったシン・ルウ=シンが家長の座を受け継ぎ、あれこれ思い詰めることになったのだ。


 思い余ったシン・ルウ=シンはアイ=ファから危険な『贄狩り』の作法を学ぼうと試みたが、血族の多い人間が無理をするのは間違っているとたしなめられた。その後、護衛役を務めているさなかに俺を誘拐されてしまい、また自分の無力さを噛みしめることになり――それから修練に修練を重ねて、ジェノスの闘技会で優勝を果たしたり、収穫祭で勇者の座に輝いたりと、大きな躍進を果たしたのだった。


(俺がさらわれる前にはジーダにも痛い目にあわされて、またちょっと思い詰めてたっけ。そういう苦難をバネにして、シン・ルウ=シンは成長したんだろうな)


 そしてシン・ルウ=シンが追いかけていたのは、父たるリャダ・ルウ=シンの背中であったはずだ。リャダ・ルウ=シンもまた、かつては勇者の座にあった狩人であったのである。


 そんなリャダ・ルウ=シンは狩人の仕事から退いたのちも、自由な時間を使ってたびたび護衛役の仕事を受け持ってくれた。宿場町やダレイムに同行する機会も多かったので、俺にとってはご縁の深い相手であるのだ。


 いっぽうタリ・ルウ=シンはシンに家が分けられてから顔をあわせる機会も激減してしまったが、もともとはシーラ=ルウともどもかまど番として頼っていた相手である。元来の素質という意味では決してシーラ=ルウに負けておらず、それでのちには宿屋の関係者に手ほどきをする役目に抜擢されたりもしていたのだった。


 二人の弟たちとはあまり交流を深める機会がなかったものの、これだけ親交の深い一家の一員であるのだから、やっぱり思い入れは強い。また、出会った頃は幼子であった次兄も今では見習いの狩人として見るたびに頼もしくなっているので、俺は感慨深かった。


 そこにミダ・ルウ=シンが家人として加わったのだから、やっぱりシン本家というのは俺にとって特別な存在だ。それでレイナ=ルウたちも最初から全員を招待客のリストに挙げており、俺とアイ=ファもすぐさま了承したわけであった。


(昔はヴィナ・ルウ=リリンがミダ・ルウ=シンを苦手にしてたけど、ルウの集落で暮らす内にだんだん打ち解けていって……それで今では、二人ともルウの集落を出てるんだもんな)


 そんな二人がこのファの広場で寄り集まり、和やかな面持ちで立ち並んでいる。俺はこの三年余りで変わったことと変わっていないことをいっぺんに見せつけられて、いっそう情緒を揺さぶられてしまった。


「最近はお邪魔する機会もありませんでしたけれど、シンの集落は如何ですか?」


 俺がタリ・ルウ=シンに問いかけると、「そうですねぇ」と温かな笑顔を返される。ちょっとふくよかな体型をした彼女は、血の繋がりがないティト・ミン婆さんと少し似ていた。


「生活そのものには、なんの支障もありませんよ。血族の家がちょっと遠くなってしまったのは、不便と言えば不便ですけれど……トトスと荷車があれば、行き来に不自由はありませんしねぇ」


「うむ。他の血族もシン家が孤立しないように、何かと配慮してくれているからな。屋台が休みの日には、わざわざこちらに集まって勉強会が開かれたりもするのだ」


 シン・ルウ=シンの言葉に、俺は「なるほど」と笑う。


「シンの集落には立派なかまど小屋がたくさんあるから、勉強会にも不自由はないもんね」


「うむ。それでもルウの集落ほどではないのだから、やはり配慮してくれているのだろう」


 そこにはきっと、ララ=ルウの思いも反映されているに違いない。レイナ=ルウも、それを二の次にしたりはしないはずであった。


「リリンの家も、すっかり屋台の商売から手を引いてしまったからな。エヴァがもう少し育ったら、分家の女衆をひとりでも働かせたいと願っているぞ」


 と、ギラン=リリンも会話に加わってくる。


「ああ、ただでさえリリンは幼子が多いですもんね。俺が口出しする話ではありませんけれど、どうか無理はなさらないでください」


「うむ。しかし、屋台の商売に関わっていないと宿場町との関わりも薄れてしまうのでな。リリンとシンも、血族まかせでは後れを取ることになろう」


「そうだな。年を食った女衆を屋台で使うという話に、俺は期待をかけている」


 シン・ルウ=シンも家長に相応しい貫禄で、そのように答える。しかしその切れ長の目が、すぐにやわらかい光をたたえた。


「しかし今はこちらのことよりも、二人に祝福を捧げるべきであろう」


「まったくだねぇ。あたしも二人の婚儀に立ちあえて、光栄に思っておりますよ。二人とは、ルティムの婚儀からのつきあいですしねぇ」


 にこにこと笑うタリ・ルウ=シンに、ギラン=リリンも「そうだな」と同意する。


「俺が二人に挨拶をしたのはもう少し後になってからのことだが、あの日に強烈な印象を植えつけられたのだ。……そういえば、あの日はミダ・ルウ=シンたちが祝宴の場に腐ったギバなどを持ち込んだのだったな」


「うん……とっても反省しているから、許してほしいんだよ……?」


「ミダ・ルウ=シンはさんざん詫びてきたのだから、今さら責めているわけではない。ただ、スンの男衆を前にしても一歩も引かないアイ=ファの豪気さに、俺は感服させられたのだ」


 ディガ=ドムとドッドはルウ家に嫌がらせをするために、そんな悪辣な真似に及んだのだ。ミダ・ルウ=シンはわけもわからぬまま、ただ腐ったギバを運ぶのを手伝わされていた。

 しかし当時はスンとルウが一触即発の危うい関係であったため、ルウの血族の面々は懸命に怒りを押し殺していた。そこで、宴衣装を纏ったアイ=ファが毅然と立ちはだかったのである。


 あの勇壮にして美しい姿は、俺もはっきり覚えている。俺はかまど仕事に忙殺されて、アイ=ファが宴衣装を纏っていることすら知らされていなかったのだ。初めて目にしたアイ=ファの宴衣装の姿は、俺の心にくっきりと刻みつけられたのだった。


「のちのちの収穫祭で縁を結んでからは、俺も色々と関わらせてもらった。最初の復活祭のことは、今でもよく覚えているぞ」


「ああ、一緒に《ギャムレイの一座》の天幕を巡ったりしましたよね。あれも楽しい思い出です」


「うむ。そしてシュミラルを家人に迎えてからは、アスタたちを家に招く機会が増えた。これほど縁を深めることがかない、光栄な限りだ」


「本当ですね……こうして家族の全員を招いてもらえたのも、シュミラルとヴィナ・ルウのおかげです」


 精霊のごとき面持ちで、ウル・レイ=リリンは若き夫妻にふわりと微笑みかける。

 そちらに笑顔を返してから、ヴィナ・ルウ=リリンが発言した。


「おたがいの婚儀に招待しあえるなんて、幸福な話よねぇ……わたしもアスタとは長いつきあいだけど、こんな行く末を迎えるだなんて夢にも思っていなかったわぁ……」


「本当ですよね。それは、俺も同感です」


 言うまでもなく、ヴィナ・ルウ=リリンは屈指の古い仲である。俺が最初に出会ったのはアイ=ファで、その次がたまたま出くわしたディガ=ドム、そしてルウ本家の面々と続くのだ。さらにそこからルティムの面々とシン・ルウ=シンに続き、数日遅れでシュミラル=リリンとも邂逅を果たすわけであった。


 ヴィナ・ルウ=リリンとシュミラル=リリンは婚儀を挙げて、シン・ルウ=シンは新たな氏族の家長となった。ミダ・ルウ=シンやディガ=ドムもそれぞれ氏を授かり――そして俺も氏を授かって、本日アイ=ファと婚儀を挙げた。この三年余りの日々というのは、本当に激動に満ちみちていた。


「私、ジェノス、戻る、半年後です。その頃、ファの家、どのような変化、遂げているか、楽しみ、しています」


 シュミラル=リリンのそんな言葉で、その場に賑わいは締めくくられた。

 ファの家を除いて三十七も存在する氏族の内、これでようやく八氏族が挨拶を終えたのだ。まだまだ先は果てしなかったが、もちろん俺は幸せな限りであった。


「二百四十人もいると、挨拶だけでひと苦労だな。少しは加減を考えてもらいたいものだ」


 顔をあわせるなりそのように告げてきたのはゲオル=ザザであり、その左右には北の一族の面々がずらりと居並んでいた。


 ザザとジーンは男女二名ずつであるが、ドムは本家の家人にディガ=ドムとドッド、そして屋台を手伝っている分家の女衆も参じている。また、ゲオル=ザザにスフィラ=ザザ、ディック=ドムにモルン・ルティム=ドムにレム=ドムと、懇意にしている相手も数多かった。


「どうもみなさん、ありがとうございます。かまど番の方々は、宴料理の準備もお疲れ様でした」


「はい。わたしたちが作りあげた菓子は、のちのちこちらにお運びしますので」


 女衆を代表して、スフィラ=ザザが一礼する。この場に集った六名のかまど番は、のきなみディンのかまど小屋で菓子作りに励んでいたのだ。


「……ファの婚儀に参ずることができて、心から喜ばしく思っている」


 と、ジィ=マァムに負けないほどの巨体であるディック=ドムがうっそりと頭を下げる。もしかしたら身長ではジィ=マァムのほうが上回っているぐらいかもしれないが、迫力の度合いはこちらのほうが上であった。


「ええ。今のわたしたちがあるのも、ファの家あってのことですからね。わたしも幸せでなりません」


 伴侶のモルン・ルティム=ドムもやわらかな笑顔で言葉を重ねると、アイ=ファは「うむ?」と小首を傾げた。


「ドムとルティムの婚儀に、我々は関係あるまい。その話で力を尽くしたのは、こちらのガズラン=ルティムであろう?」


「でも、そもそもルウとザザの血族で親交が深まったのは、美味なる料理の手ほどきをするためです。さらにさかのぼると、スン家の罪を暴くことがかなったのもファの家のおかげであるのですから……やっぱりファの家に感謝せずにはいられません」


「まったくだよ。俺たち以上に、それを痛感してる人間はいないからな」


 ドッドの言葉に、ディガ=ドムも「そうだな」としみじみ息をつく。彼らこそ、スン家の罪が暴かれることによって運命が変転した筆頭格であるのだ。


 俺はアイ=ファに拾われてすぐ、ファの家への行き道でディガ=スンと出くわした。思えばあれもアイ=ファに対するつきまとい行為の一環か、あるいは余所の氏族にちょっかいをかけた帰り道であったのだろう。宿場町の民を恐れていた彼は、森辺の集落で悪さに励んでいたのだ。


 いっぽうドッドは酒乱であり、酒を求めてしょっちゅう宿場町に下りていたらしい。それで森辺の民の悪評に拍車を掛け、俺が初めて宿場町に下りた日にはアイ=ファに叩きのめされることになったのだ。その際に、危険に巻き込まれたターラを救うことで、俺はドーラの親父さんと親交を深めることがかなったのだった。


 それでも彼らは人を殺めたりといった致命的な大罪までは犯していなかったが、俺が出向いた最初の家長会議でついに一線を越えようとした。スン家に滅びをもたらそうと画策したヤミル=レイに煽動されて、俺の生命を狙い、アイ=ファに乱暴をしようとしたのだ。


 それで彼らはただ氏を奪われるだけではなく、森辺においてもっとも勇猛なドムの家に預けられることになったのである。

 狩人としての修練を積んでいなかった彼らが、ドムの狩り場で生き残れるわけがない。それは事実上の死刑宣告であったのだ――と、俺はのちのち聞かされていた。


 しかし彼らは今日まで生き抜き、ディガ=ドムに至っては氏まで授かっている。

 サイクレウスとシルエルが差し伸べた救いの手を振り払った彼らは森辺の民として心正しく生き、文字通り贖罪を果たしたのだ。ドッドはいまだ氏を授かっていなかったが、それはディック=ドムが通常よりも厳しい審査の基準を設けているためであり、余所の氏族ではとっくに一人前と認められる力量に育っているはずであった。


(家長会議の夜、俺を殺そうとしたのも、ドッドだったもんな。本当に、同一人物とは思えないぐらいだよ)


 出会った頃よりもふた回りは逞しくなり、陰気なざんばら髪をオールバックのひっつめ頭にしたドッドは、狛犬に似た顔にちょっと悪戯小僧めいた表情をたたえてモルン・ルティム=ドムのほうを見た。


「当時の俺たちは、ドムの集落でびくびく暮らしてたんだ。そこでルティムから女衆が乗り込んでくるんだって聞かされて、どんなおっかない人間なんだろうって不安になってたもんだよ」


「ふむ。如何に力を落としていたとはいえ、女衆を相手に怯んでいたのであろうか?」


 アイ=ファが不思議そうに尋ねると、ドッドは真面目くさった顔をつくりながら「ああ」とうなずいた。


「当時の俺たちにしてみれば、一番おっかないのがルウの血族だったんだからよ」


「しかもそいつは、ダン=ルティムの娘だって話だったんだからな。ドムの女衆よりもおっかない大女がやってくるんじゃないかって、こっちも身構えちまったんだ」


 と、ディガ=ドムもどこか楽しげな面持ちで言葉を重ねる。もう深刻な気分にとらわれることなく、過去の時代を語れるようになったのだろう。


「それでこんな愛くるしい娘さんが転がり込んできたら、さぞかし肩透かしをくわされたでしょうね」


 レム=ドムまでもが加わると、ついにモルン・ルティム=ドムがふくよかな頬を朱に染めた。


「わ、わたしの話はそこまでにしましょう。今はファのお二人に祝福を捧げる時間なのですからね」


「ふふん。わたしとしては、物寂しい限りよ。これでわたしは森辺でただひとりの女狩人になってしまうのだからね」


 と、レム=ドムがよく光る黒い目でアイ=ファの姿を見据えた。


「だけどまあ、アイ=ファとアスタが結ばれるのは当然の話なのでしょうし……アイ=ファのそんな満足そうな顔を見せられたら、文句も言えなくなってしまうわ」


「うむ。二十で婚儀を挙げることができれば、決して遅すぎることはない。お前にも、アイ=ファを見習ってもらいたいものだ」


 ディック=ドムの重々しい言葉に、レム=ドムは子供っぽく舌を出した。


「だったら、さっさと一人前に認められたいものね。二十歳なんて、もう目の前だもの」


「レム=ドムは、運がないだけさ。焦らず地道に頑張っていこうぜ」


 同じ半人前の立場であるドッドが、気さくに笑いかける。彼らはレム=ドムに対しても恐縮しまくっていたはずであるが、それも昔の話であった。


(三年も経ってれば、それが当たり前の話だよな)


 三年前の白の月にトゥラン伯爵家の大罪人を打倒したのち、ディガ=ドムとドッドはあらためてドムの家人になった。それからふた月ほどが過ぎた頃、スフィラ=ザザやレム=ドムは調理の手ほどきを受けるためにルウの血族に預けられたのだ。そこでレム=ドムが狩人になりたいという決意を表明し、ディック=ドムから三行半を突きつけられて、スドラの空き家で暮らすことになったわけであった。


 そして同じ頃、北の集落に預けられたモルン・ルティム=ドムはディック=ドムへの思慕をつのらせて、嫁入りを願うことになった。それをはっきり表明したのは翌年になってからのことであるが、そもそもモルン・ルティム=ドムはその前からディック=ドムを見初めていたのだ。それもトゥラン伯爵家にまつわる騒動がらみでディック=ドムがルウの集落に姿を見せた折であるというのだから、また根を同じくしているわけである。


 これだけ話が入り組んでいると、どの事象がどれだけの影響を与えているのかもわからなくなってくる。

 しかしひとつ言えるのは、どれだけ道が錯綜していても、最後には綺麗に収束したということだ。この場に集まった面々もそれぞれ紆余曲折を経た上で、現在の満ち足りた生を授かることができたわけであった。


「そういえばゲオル=ザザと初めてお会いしたのも、レム=ドムがらみの一件でしたね」


「ああ。アイ=ファが力比べで始末をつけると言い出したので、俺たちが見届けに出向いたのだ。あの頃は、なんといけ好かない女狩人であるかと業を煮やしていたものだぞ」


 不敵に笑いながら、ゲオル=ザザはそう言った。確かに当時の彼はきわめて荒々しい印象であり、アイ=ファに反感の目を向けていたのである。

 しかしそれも、血族たるディック=ドムやレム=ドムの身を案じていたがゆえであるのだろう。彼がどれだけ情の厚い人間であるかは、俺もすっかりわきまえていた。


「でも、それは年が明けてからのことですよね。そう考えると、この中で一番あとから知り合ったのがゲオル=ザザだったわけですか。なんだかちょっと、意外です」


「ふん。この二年ばかりは族長代理として、何度となく城下町まで出向いていたからな。お前たちの顔など、もう見飽きてしまったわ」


 そんな風に言いながら、ゲオル=ザザは俺とアイ=ファの姿を見比べた。


「しかしまあ……今日のところは、お前たちもすっかり見違えているからな。物珍しいものを目にできて、俺も満足しているぞ」


「あはは。それは、恐縮です」


 すると、レム=ドムが宴衣装を纏ったドムやジーンの女衆をこちらに引っ張り込んだ。


「アスタ、この娘たちを二の次にして語るのは感心しないわね。こちらはゲオル=ザザよりも後に縁を深めたはずよ」


「ああ、ごめん。そんなつもりではなかったんだよ。みんなも気を悪くしたのなら謝るからね」


 ドムとジーンの女衆たちはいずれも引き締まった面持ちのまま、「いえ」と頭を振る。族長代理たるゲオル=ザザが身近にいるため、普段以上に身をつつしんでいるのだろうか。しかし、雄々しい彼女たちも宴衣装の効果で、きわめて華やいで見えた。


 北の集落は遠いので、俺はまだ特定の相手としか絆を深めることができていない。

 しかし、ファの集落に共用のかまど小屋が完成し、大勢のかまど番を招くことができるようになったあかつきには、また新たな交流を期待できるだろう。今日の婚儀はひとつの大きな節目であったが、俺たちの人生は今後も大きな変化や賑わいを内包しているはずであった。

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