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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼
1705/1706

婚儀の祝宴③~友と家人~

2025.12/3 更新分 1/1

「アスタにアイ=ファ、おめでとさん!」


 ララ=ルウたちが立ち去るとジーダ家の四名が進み出て、まずはバルシャが豪放なる声をあげた。


「ああ、あたしはアスタって呼ばせていただくよ! いやあ、それにしても大層な祝宴だね! こんな大がかりな祝宴は、あたしらが森辺に来てから初めてのことなんだろうしさ!」


 寡黙な家人たちの分まで、バルシャが昂揚をあらわにしている。そしてその大きな手の平が、マイムの背中をどやしつけた。


「ほら、あんたからも何か言っておやりよ! 今日はまだ、アスタとロクに挨拶もしてなかったんだろう?」


「は、はい。アスタ、アイ=ファ、ご結婚おめでとうございます。今日はわたしも宴料理を準備することができて、光栄な限りでした」


 そう言って、マイムは輝くような笑顔を届けてくれた。もちろん彼女も宴衣装なので、可愛らしいことこの上なかった。

 狛犬のように厳つい顔立ちで逞しい体格をしたバルシャに、小柄でありながら元気をみなぎらせた少女のマイム、真っ赤なざんばら髪に黄色みがかった瞳を炯々と光らせるジーダに、いつも仏頂面をさらしている壮年のミケル――わずか四人の家人でありながら、実に個性的な顔ぶれである。そして彼らは外界を出自とする人間だけで構成された、森辺で唯一の一家であった。


 その全員が、俺とはひとかたならぬご縁を持っている。

 バルシャは打倒トゥラン伯爵家のために手を携えた盟友であり、その息子たるジーダはかつて森辺の民を父親の仇としてつけ狙っていた。しかし、諸悪の根源はトゥラン伯爵家であると知り、俺がリフレイアに誘拐された際には居所をアイ=ファたちに伝えてくれたし――サイクレウスたちとの決戦の場では天井裏にひそみ、その手で仇を討とうと試みたのだ。


 いっぽうミケルはトゥラン伯爵家の申し出を断ったために料理人としての未来を閉ざされ、すべてを娘たるマイムに託すことになった。そうしてすべての危険が排除されたのち、マイムを俺に紹介してくれたのだ。また、俺が捕らわれているトゥラン伯爵邸の場所をジーダに教えたのも、ミケルに他ならなかった。


 そんな四人が、今ではルウの家人なのである。

 俺にとってはシュミラル=リリンとユーミ=ランを合わせてこの六名が、外界から森辺に移り住んだという同じ身の上であるのだった。


「……ここ数日はファの家も騒がしかったので、ゆっくり語らういとまもなかったな」


 ジーダがそんなつぶやきをこぼすと、アイ=ファは「うむ」と穏やかな視線を返した。


「ジーダは何か、思い詰めているように見えるぞ。よければ、なんでも語ってもらいたく思う」


「べつだん、思い詰めているわけではない。ただ、婚儀の場に相応しい話でもないので、いささか迷っているだけだ」


 そのように語るジーダは、確かに眼光の鋭さが増しているようである。

 するとバルシャが、遠慮なくその肩を小突いた。


「そんな物騒な目つきをしてたら、余計にアイ=ファたちが身構えちまうだろうよ。べつだん大した話じゃないんだから、さらっと話しちまえばいいのさ」


「思い詰めてはいないが、小さな話でもないはずだぞ」


 と、ジーダが子供っぽく口をとがらせたので、俺はほっとした。ジーダが日に日に風格を増していくのは喜ばしい限りであるが、俺としてはジーダの少年らしい一面にも魅力を感じているのである。そしてやっぱり、それをもっとも頻繁に引き出すことができるのは母親のバルシャであった。


「いったい何の話だろう? アイ=ファの言う通り、何でも遠慮なく語っておくれよ」


「うむ……しかし、今さらガーデルのことなどを語っても、愉快な心地にはなるまい?」


 俺は意表を突かれたが、すぐに納得した。


「ああ、ガーデルがシルエルの隠し子だなんて聞かされたら、ジーダだって黙ってはいられないよね」


 ジーダの父親にしてバルシャの伴侶たる赤髭ゴラムを殺めたのは、大罪人シルエルであったのだ。しかもそれは自分の手勢の犯した悪行をなすりつけて罪人として処刑するという、きわめて非道な行いであったのだった。


「……うむ。しかも俺たちはあやつがシルエルを討ち取ったと聞いて、感謝の念を抱いていたのだからな。思いも寄らぬ方向から、足をすくわれたような心地だ」


 ジーダは引き締まった腕を組み、口をへの字にした。


「しかし、あやつがシルエルを討ち取ったという話が虚言であったわけではないし……しかもあやつは自らの手で父親たるシルエルを殺めながら、べつだん気に病んでいないのだとも聞き及ぶ。何から何まで理解の外で、気持ちのぶつけどころがわからんのだ」


「そうか。確かにジーダたちにしてみれば、それが当然の話なのであろうな」


 穏やかな表情のまま、アイ=ファはそう言った。


「ただ、何も難しく考える必要はないように思う。事実をそのまま受け入れて、怒るべき部分は怒り、関わりのない話は捨て置けばいいのではないだろうか?」


「……その境目が、俺にはわからないのだ。アイ=ファは、どのような心持ちであるのだ?」


「私か。私は、あやつが我々をあざむいてアスタを手にかけようとしたことを怒っている。そして、父を殺めても悲しむことのない人間に育った境遇を、気の毒だと思っている。そして、あやつがそれだけの秘密を抱え持っていることを見抜けなかった自分を、腹立たしく思っている。……簡単に言えば、それぐらいのものだな」


 とても静かな声で、アイ=ファはそのように言いつのった。


「また、あやつは道を踏み外してしまったが、犯した罪はアスタを殺めようとしたことだけだ。お前の父親を殺めたのはシルエルであり、ガーデルは関係ない。シルエルとガーデルの罪は、分けて考えるべきであろう」


「うん。つけ加えて言うと、ガーデルもシルエルの被害者なんだろうしね。シルエルみたいな父親を持ってしまったために、ガーデルは道を踏み外してしまったんだ。それでガーデルを気の毒に思う気持ちが生まれるから、ジーダも複雑な気分になっちゃうんじゃないかな?」


「うむ。よって、それを切り離して考えるべきであるのだ。ガーデルは気の毒であるが怒りをこらえる必要はないし、ガーデルが大罪人でも同情をこらえる必要はないと思うぞ」


「切り離した上で、異なる思いを抱え込めというのか。お前たちは、ずいぶん器用なのだな」


 そう言って、ジーダは真っ赤なざんばら髪をわしゃわしゃとかき回した。


「……しかし、どちらの思いも捨てる必要はないという言葉は、納得できる。俺にそんな真似ができるかはわからんが、しばらくは自分の心と向かい合うことにしよう」


「うん。ジーダだったら、きっと大丈夫だよ」


「なんだ。婚儀を挙げたからといって、年上ぶるな」


 ジーダがまた子供っぽい表情を見せたので、俺はいっそう安らかな心地であった。


「うちの意固地な家長をなだめてくれて、ありがとさん。あたしなんかじゃ、こいつの手綱は握れないからさ」


 バルシャが陽気に笑うと、アイ=ファは「そのようなことはあるまい」と微笑んだ。


「バルシャはきっと言葉ではなく、その立ち居振る舞いで子を正しく導いているはずだ。私もいずれ子を授かることができたら、バルシャを見習いたいと思っている」


「何を言ってるんだい。あたしなんかを見習ったら、こんな偏屈な子供ができあがっちまうよ?」


「ジーダのように立派な子を育むことができるならば、なんの不満もないぞ」


「おい。よってたかって、俺を子供扱いするな」


 ジーダが怒った声をあげると、マイムは気の毒そうに眉を下げつつもこらえかねたように笑みをこぼし、ミケルまでもが苦笑をこぼした。

 そして俺は、ひそかに感慨を抱いている。きっとアイ=ファは遥かなる昔から、バルシャの存在を意識していたのだ。


 それは俺たちが知る限り、バルシャが唯一の女狩人の先達であるためである。

 バルシャは若い頃からマサラの狩人であり、のちのち義賊《赤髭党》に転身した。そこで頭目のゴラムとの間にジーダを授かったのち、《赤髭党》が壊滅してからはひとりで子を育てることになり――そうしてジーダを育てるかたわらで、また狩人として生きるようになったのだ。


 バルシャと出会った当時、アイ=ファがその事実に感服していたことを、俺ははっきりと覚えている。そしてそれは、アイ=ファのその後の心境にも大きな影響を与えたはずであるのだ。しっかり言葉で確認したことはないが、俺はそのように確信していた。


(それでアイ=ファは、いっそう真摯に自分の気持ちと向き合って……進むべき道を定めたんだろう)


 俺たちは婚儀を挙げるのに、三年余りかかった。

 しかしアイ=ファが決断したのは、二年以上も前のこと――俺の最初の生誕の日であったのだ。


 いつかアイ=ファが狩人としての仕事をやりとげたあかつきには、伴侶として迎えてほしい。アイ=ファはその日、そんな風に告白したのである。


 それから二年余りが過ぎて、俺たちは婚儀を挙げることになった。

 この期間で、アイ=ファは誰よりも目覚ましい収獲をあげて――その末に、狩人としてではなく俺の伴侶として生きたいと決断してくれたのだった。


(俺は五年でも十年でも待つつもりだったから……二年ちょっとで実現したのが、夢みたいだよ)


 そんな想念にひたりながら、俺はアイ=ファに微笑みかける。

 するとアイ=ファも、なんのてらいもなく微笑み返してくれた。


「……ともあれ、俺たちはさんざんファの家の世話になってきた。二人の婚儀に、心からの祝福を捧げる」


 と、ずっと押し黙っていたミケルが、ふいに声をあげる。

 アイ=ファはそちらに向きなおり、「うむ」とうなずいた。


「ミケルと縁を深めていたのは、アスタばかりであろうが……しかし、あなたがたがルウ家で暮らすまでは、たびたびファの家に招いていたな」


「そうだ。俺たちが森辺の民を信頼できるようになったのは、あの時代に手厚く遇されたからに他ならん。そうでなければ、どんなひどい目にあおうとも森辺の民を頼ろうなどと考えることはなかっただろう」


 俺は目新しい食材の研究や燻製作りの指南を受けるために、たびたびミケルとマイムを森辺に招待していた。それでミケルは強盗の被害にあって深手を負ったとき、ルウ家を頼ることになったのである。


「でもまさか、ミケルたちが森辺の家人になるとは想像もしていませんでした。当時の俺は、本当に心強かったですよ」


「ふん。それもお前さんやシュミラル=リリンという先達があってのことだ。町の人間が森辺の家人になれるなどとは、夢にも思っていなかったからな」


「まったくだねぇ。あたしはジーダを狩人として鍛えなおしてもらいたいだけだったのに、こんな安らかな余生を過ごせるとは思ってなかったよ」


「あはは。バルシャはまだまだお若いじゃないですか。余生を語るには、何十年も早いですよ」


 そうして俺たちは、ジーダ家の面々とも温かい時間を過ごすことになった。

 そこでいきなり広場がわきたったので、ぎょっとする。いかにも楽しげな賑わいであったが、まだ何かの余興が始められるには早かった。


「そろそろ俺たちにも挨拶をさせてもらいたく思うぞ! あと、ファの家の家人にもな!」


 そんな声を張り上げたのは、我らがダン=ルティムである。

 そしてダン=ルティムはルティムの家人ばかりでなく、ファの人ならぬ家人まで引き連れていたのだった。


 猟犬のブレイブとドゥルムア、ブレイブの伴侶ラム、番犬ジルベ、三頭の子犬たち――最後尾にはギルルの巨体もあり、ジルベの背中にはサチ、ギルルの背中にはラピの姿もある。十名の家人が勢ぞろいであった。


「これは、いったい何事であろうか?」


「うむ! ゼディアスの顔を覗きに出向いたら、こやつらが祝宴のさまを羨ましげに眺めておったのでな! まあ、トトスと猫たちは寝入っておったが、どうせならばと全員に出向いてもらったのだ!」


 そう言って、ダン=ルティムは呵々大笑した。

 ギルルは寝ぼけまなこであり、サチとラピもそれぞれ丸くなっている。しかし犬の家人たちは誰もがきらきらと瞳を輝かせており、ジルベは「わふっ」と吠えていた。


「大層な人出だな。では、俺たちは失礼する」


 ジーダ家の四名が退くと、代わりにルティムの面々が立ち並んだ。つい先刻までご一緒していたアマ・ミン=ルティム、長老のラー=ルティム、家人のツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティム、屋台を手伝っている分家の女衆、そしてギルルの手綱を引く分家の少年ディム=ルティムという顔ぶれである。


 ただそれよりも幅を取っているのは、人ならぬ家人たちだ。ジルベは台座に身を乗り出して俺の膝に頭をすりつけ、子犬たちはごうごうと燃えさかる儀式の火に昂揚しきった様子でキャンキャンと吠えていた。


「まったく、なんて真似をしやがる。余所の家で、勝手な真似をするんじゃねえ」


 長らく無言で見守ってくれていたドンダ=ルウが、重々しい声でダン=ルティムを非難する。しかしもちろん、ダン=ルティムが恐れ入ることはなかった。


「ファの家ではひときわ人ならぬ家人を重んじているというのだから、同じ喜びを分かち合わせるべきであろうよ! 見よ、この満足そうな面持ちを!」


「トトスや猫どもは寝ぼけてるだろうがよ。おい、ルティムの家長として始末をつけろ」


 さしものガズラン=ルティムも困ったように微笑しながら、俺とアイ=ファに語りかけてきた。


「お二人がご迷惑でしたら、すぐに小屋に戻します。どのように取り計らいましょうか?」


「うむ。確かにブレイブたちは、喜んでいるように見受けられる。こちらこそ、迷惑でなければ家人らに危険がないように取り計らってもらえようか?」


「うん! 火に近づいたら、危ないもんねー! ほらほら、みんなこっちだよー!」


 リミ=ルウが誘導すると、子犬たちはもつれあうようにして敷物に突撃していく。母親たるラムもそれに続き、ジルベたちは俺とアイ=ファの足もとに陣取った。


「あとは、トトスだな。きっと身を落ち着ければ、すぐに寝入ることだろう。邪魔にならない場所で休ませておく」


 毅然と言い放ったディム=ルティムが、儀式の火から少し離れた場所にギルルを座らせる。たちまちギルルは、背中のラピと同じように身を丸めた。


「うわははは! 人ならぬ家人に囲まれて、アスタたちはいっそう華やいで見えるぞ! いやぁ、実にめでたい! 二人に、祝福を捧げよう!」


 ダン=ルティムは豪快に笑いながら、両手に掲げていた果実酒の土瓶を俺とアイ=ファに差し出してくる。そして四名の女衆は、料理の木皿を敷物に並べた。


「アスタたちは、まだロクに食べておらんのだろう? そら、そいつも取り分けてやれ!」


「うるさいネ。モノには順序ってもんがあるんだヨ」


 ツヴァイ=ルティムは顔をしかめながら、大皿の料理を小皿に取り分けていく。アマ・ミン=ルティムとオウラ=ルティムは穏やかな笑顔で、分家の女衆は朗らかな笑顔で、それに続いた。


「場を騒がせてしまい、申し訳なかった。あらためて、わしからも祝福の言葉を捧げさせてもらいたい」


 と、ラー=ルティムが鋭い面持ちで一礼する。つるつるの禿頭で真っ白な髭を長く垂らした、きわめて厳格なご老人である。ルティム本家の家長は三代続いて大層な貫禄であるが、人柄はそれぞれまったく異なっていた。


「宿場町では他の者たちに順番を譲って、大して語ることもできなかったからな! 俺も存分に祝福させていただくぞ!」


 恵比須様のような風体をしたダン=ルティムは、普段以上に元気と活力を爆発させている。きっと日中から浴びるように果実酒を口にしているのであろうに、その燃えさかるような生命力にも変わりは見られなかった。


「あ、アスタは果実酒を果汁とかで割るんでしょ? リミにおまかせあれー!」


 と、子犬たちの面倒を見ていたリミ=ルウがつむじ風のように駆けつけて、俺の手から土瓶をかっさらっていく。その間に、ツヴァイ=ルティムたちから新たな宴料理が届けられた。


 その内容は、ギバの各部位の炙り焼きと温野菜サラダだ。サラダには金ゴマに似たホボイのドレッシングが掛けられており、炙り焼きは赤褐色のソースをまぶされた上でこんがりと仕上げられていた。


「さすがにこの人数ではあばら肉ばかりを準備するのは難しかったので、あらゆる部位が準備されています」


 オウラ=ルティムの説明に「うむ!」と応じつつ、ダン=ルティムはあばら肉をつかみ取った。


「それでもきちんとあばら肉が準備されているのだから、レイナ=ルウは大したものだ! オウラたちも、見習うのだぞ!」


「ふん。そいつがないと、貴様が騒ぎまくるからだろうが」


 と、ドンダ=ルウがまた文句をつける。族長となってからどんどん風格が増していくドンダ=ルウであるが、古くからの朋友たるダン=ルティムを前にすると元来の荒っぽさが顔を覗かせるのだ。それは俺にとって、ひそかな楽しみに他ならなかった。


(ダン=ルティムはもう家長の座から退いたけど、いまだに二人はルウの血族の二大巨頭っていう風格だもんな)


 ジザ=ルウやガズラン=ルティムもそれぞれ立派な御仁であるが、こればかりは年季がものを言うのだろう。きっと二十年後ぐらいには、コタ=ルウやゼディアス=ルティムが同じ思いで偉大なる父を見上げるのではないかと思われた。


「俺からも、祝福を捧げさせてもらいたい」


 と、ギルルの始末を終えたディム=ルティムがアイ=ファの前に立つ。

 たちまち、その若い顔が朱に染まった。


「……近くで見ると、大層な姿だな。本当に、あのアイ=ファであるのか?」


「うむ。森辺にアイ=ファは私ひとりであろうな」


 アイ=ファは食事のためにヴェールを開いているが、それは端麗なる面が剥き出しになるだけで花嫁衣裳の見事さに変わりはない。その美しさに顔色ひとつ変えないジーダよりも、ディム=ルティムのほうが自然な反応であるように思えた。


 俺やアイ=ファはルティム本家の面々とばかり絆を深めてきたが、こちらのディム=ルティムだけは特別にご縁を結んでいる。懐かしきダバッグへの小旅行で同行してくれたのが、彼とダン=ルティムであったのだ。それ以降もザザの収穫祭をご一緒したり、ジェノスの闘技会に出場したりと、随所でご縁を深める機会が存在した。


「……できることならば、アイ=ファに力比べで打ち勝ちたかった。しかし、アイ=ファの強さはこの身に刻みつけられている。アイ=ファが刀を置いたのちも、俺はアイ=ファを目指して立派な狩人になってみせるぞ」


「うむ。以前にも伝えた通り、ルティムにはこれだけ立派な狩人が居揃っているのだから、私などを見習う必要はないかと思うが……しかし、そのように言ってもらえるのは光栄な限りだ」


 今日はアイ=ファはどのような問答でも、常に穏やかな面持ちである。それがまた、若いディム=ルティムを赤面させた。


「な、なんだかアイ=ファは家長としての威厳に母としての風格まで備わったかのようで、なんとも落ち着かない心地だ」


「ふむ。私はまだ、母と呼ばれる身分ではないがな」


「しかし、そう感じるのだ。きっとアイ=ファは、母としての役割も立派に務めあげるのだろう」


 まだ頬に血の気を残したまま、ディム=ルティムは真剣な眼差しを見せた。


「狩人としては比類なき力を見せ、母としても不足のない仕事を果たせば、そんなに立派な話は他にないように思う。やはり俺は、アイ=ファという人間に敬服するぞ」


「うむうむ、まったくだな! ファの友として、誇らしい限りだ!」


 あばら肉を骨までしゃぶったダン=ルティムは、逆の手でディム=ルティムの背中をどやしつけた。


「アイ=ファやアスタと同じ時代を生きることができて、俺たちは幸運だった! ゼディアスも、同じ幸福を噛みしめることができるだろう! そしてその先の子たちも同じ幸福を味わえるように願いたいものだな!」


「それは、ゼディアスの子たちという意味か? お前にしては、ずいぶん性急な物言いであるな」


 父たるラー=ルティムが鋭く指摘すると、ダン=ルティムはいっそう愉快げに笑い声を張り上げた。


「父ラーがたったいま噛みしめている幸福を、俺も味わいたいものだと願っているだけのことだ! まあ、性急な物言いであることは事実であろうがな!」


 ラー=ルティムにとっては、ガズラン=ルティムが孫でゼディアス=ルティムが曾孫なのである。森辺の民は婚儀が早いため、少し長生きをすれば曾孫の成長を見守ることもできるわけであった。


(でもやっぱり、まだ俺には想像もつかないな。アイ=ファとの間に子ができるかもって想像しただけで、もうキャパオーバーだよ)


 しかし、もしもそんな幸福を授かることができれば、その子はゼディアス=ルティムやコタ=ルウたちと同じ時代を生きるのである。

 それはやっぱり、想像を絶するほどの幸せな光景であった。


「……わたしもみなさんと同じ時代を生きることができて、心よりありがたく思っています」


 と、普段は自分から発言することの少ないオウラ=ルティムが、こらえかねたように口を開いた。

 彼女はかつて、族長ズーロ=スンの伴侶という立場であったのだ。それを考えると、その言葉にはいっそうの重みがともなった。


 彼女たちも大罪人として罰を受けたが、それでもこうして生き永らえて、幸せな人生を歩みなおすことが許されたのである。

 つまり、彼女たちよりも上の世代の人々――スン家が間違った掟の中で過ごしていた時代に魂を返してしまった人々は、無念の思いを抱きながら生を終えたはずであるのだ。


(もしかしたら、トゥール=ディンの母親だってそのひとりなのかもしれない。ちょうどトゥール=ディンが生まれる少し前ぐらいから、スン家の人たちは間違った掟を強要されたんだからな)


 そして、すでに二十代の後半に差し掛かっているオウラ=ルティムは、そういった人々の死をすべて見届けているのだ。

 また、ザッツ=スンの罪がもっと早くに暴かれていたならば――彼女の父親たるテイ=スンも、大きな罪に手を染める前に呪縛から解放されていたのかもしれなかった。


「フン。そのぶんこっちは、苦労をかけられっぱなしだけどネ」


 と、母たるオウラ=ルティムの腕をぎゅっと抱きすくめながら、ツヴァイ=ルティムはそのように言い捨てた。

 彼女はザッツ=スンとテイ=スンの両方を祖父とする、きわめて複雑な立場にあった少女であるのだ。しかし彼女はスン家の呪縛に屈することなく、ヤミル=レイに次いで力強い生き様を見せていた。


「今日は二人も朝から宴料理の準備に取り組んでくれたんだよね? 本当にありがとう。心から感謝しているよ」


「フン! 口で何と言われようとも、こっちの懐は潤わないサ!」


 威勢のいい言葉を吐きながら、ツヴァイ=ルティムは三白眼を左右に巡らせる。俺とアイ=ファが座した台座の両脇には、祝福が山積みにされた草籠が置かれていた。


「……そいつは大層な祝福だけど、銅貨に換算したらたかだか赤銅貨七百二十枚ていどだよネ」


「え? うん。牙や角の一本を赤銅貨三枚だと考えると、そういう計算になるだろうね」


「それじゃあやっぱり、一番の大損を抱え込んでるのはアンタたちってことサ。こんな大がかりな祝宴にしなければ、そんな大損をかぶることにもならなかったのにネ」


 当然のこと、宴料理の食材費は婚儀を挙げる家が負担するのである。

 それでも人件費はかからないのだから、無償で力を貸してくれた人々に対する感謝の思いに変わりはないし――そもそもツヴァイ=ルティムも、本気でそんな損得勘定を取り沙汰しているわけではないのだろう。おそらくはお礼を言われたりするのが照れ臭いため、矛先をずらしているに過ぎないのだ。


(本当にツヴァイ=ルティムは、偏屈で優しいよな)


 俺がそんな思いを込めて笑いかけると、ツヴァイ=ルティムはたちまち「何サ!」と顔を赤くしながらわめきたてた。


「婚儀を挙げたからって、余裕ぶるんじゃないヨ! アンタがギバを狩ることもできない軟弱な男衆だってことに変わりはないんだからネ!」


「うん。そのぶん俺は別の形で、同胞のために力を尽くすよ。ツヴァイ=ルティムも、今後ともよろしくね」


 すると、ダン=ルティムが高笑いをあげながらツヴァイ=ルティムの小さな頭をぽふぽふと叩いた。


「口でなんと言おうとも、ツヴァイは今日だって大きな仕事を果たしているからな! これだけの宴料理を準備するにはどれだけの銅貨が必要になるか、レイナ=ルウから計算を頼まれていたのだぞ!」


「うるさいネ! アンタはすっこんでなヨ!」


 ツヴァイ=ルティムはいっそう顔を赤くしながら、ダン=ルティムのたくましい足をげしげしと蹴りつける。その姿に、他の面々は楽しげに笑っていた。


 やっぱりルティムの人々も、ルウの人々に負けないぐらい俺の心を温かくしてくれる。俺はその喜びを噛みしめながら、みんなと一緒に笑うことになった。

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