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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼
1704/1705

婚儀の祝宴②~宴の始まり~

2025.12/2 更新分 1/1

「花嫁と花婿に、祝いの料理を!」


 ドンダ=ルウがさらなる声を響かせると、三つの人影が進み出てきた。

 宴衣装を纏った、レイナ=ルウとユン=スドラとトゥール=ディンの三名である。その真ん中に立ったレイナ=ルウが、大きな木皿を掲げていた。


 これは、収穫祭の力比べで勇者の座を勝ち取った人間に祝いの料理を捧げるための木皿である。いつだったか城下町で購入した品であり、皿の縁には美しい紋様が彫刻されていた。


 その立派な木皿にででんと鎮座ましましているのは、巨大なハンバーグである。

 レイナ=ルウが腰を屈めながら木皿を差し出し、ユン=スドラとトゥール=ディンは小ぶりのナイフと突き匙を差し出してきた。


 レイナ=ルウはきりりと引き締まった表情、ユン=スドラは輝くような笑顔、トゥール=ディンは――涙をこぼしながらの、あどけない笑顔だ。


「血族ならぬ我々のために力を尽くしてくれた皆々に、心からの感謝を捧げる」


 アイ=ファが粛然たる調子で声をあげたが、その顔も涙に濡れたままであり、やわらかい微笑がたたえられたままであった。


 そうしてアイ=ファがナイフで肉を寸断すると、ゆたかな肉汁があふれかえる。

 それを突き匙でとらえたアイ=ファは、当然のように俺の口もとに差し出してきた。


 俺はめいっぱい情動を揺さぶられながら、熱い肉塊を口に頬張る。

 それは、純然たるハンバーグであった。

 噛みごたえのあるタンが使われることもなく、ただアリアのみじん切りだけが練り込まれている。そして上に掛けられているのは、焼いた後の肉汁に赤ママリアの果実酒を添加したグレービーソースであった。


 他の調味料は、おそらく塩とピコの葉しか使われていない。

 つなぎで使っているのは、きっと水で溶いたポイタンであろう。

 これは、俺が初めてアイ=ファに供したハンバーグである。

 そして俺は、同じものをルウ家でもふるまっている。きっとその頃の記憶を頼りに、レイナ=ルウが再現したのだ。


 俺はトゥール=ディンから受け取ったナイフで同じハンバーグを切り分けて、突き匙を通す。

 しかしアイ=ファは、玉虫色のヴェールをかぶっている。俺は震えそうになる左手でそれをかきわけ、数刻ぶりにアイ=ファの素顔を見た。


 アイ=ファの頬は、涙で濡れている。

 そのやわらかい微笑みにも変わりはない。

 青い瞳は、星のようだ。

 玉虫色のヴェールをかきわけたことで、その美しさが俺の心臓をダイレクトに揺さぶった。


 アイ=ファに対する愛おしさで、俺は全身が熱くなってくる。

 それをこらえながら、俺はアイ=ファの口にハンバーグを届けた。


 桜色をしたアイ=ファの唇がハンバーグを受け入れて、そのなめらかな頬がかすかな動きを伝えてくる。

 俺はいつまでもその姿を見つめていたい欲求を何とかねじふせて、ヴェールから手を離した。


 玉虫色のきらめきの向こう側で、アイ=ファはいっそう幸せそうに微笑む。

 アイ=ファもまた、レイナ=ルウたちの心尽くしを思い知らされたのだ。アイ=ファがこのハンバーグの味わいにどれだけ心を打ち震わせたかは、傀儡の劇でもしっかりと描かれていたのだった。


「それでは、婚儀の祝宴を開始する!」


 バードゥ=フォウが酒杯を掲げると、再びの大歓声が暗い天空を揺るがした。


「婚儀を挙げたアイ=ファとアスタ=ファに、末永き幸いがあらんことを! 父なる西方神と母なる森に、祝福を!」


「祝福を!」という声が、凄まじい勢いで合唱された。

 二百四十名の人間による合唱であるのだ。もとより夢うつつの状態であった俺は、いっそう情緒をひっかき回されることになった。


「二人とも、おめでとー! さー、こっちだよー!」


 リミ=ルウがアイ=ファの手を取って、新郎新婦の席へと導いていく。俺もルド=ルウに背中を押されるようにして、それを追いかけることになった。


 本日の席は、合同収穫祭で勇者が座すのと同じ台座だ。

 ルウでは巨大なやぐらが持ち出されるが、小さき氏族ではこれが通例となる。婚儀の開始とともに誓約の儀が執り行われるのも、また然りだ。ただし、新郎新婦に特別な祝いの料理を供するというのは、ルウの習わしであった。


 レイナ=ルウたちはルウと小さき氏族の婚儀の両方を吟味して、今日という日に相応しい婚儀の内容を考案してくれたのである。

 そのありがたさを噛みしめながら、俺は背の高い台座の上にあぐらをかいた。

 そうしてアイ=ファも俺の隣に横座りになると、付添人の面々が取り囲んでくる。もとよりリミ=ルウはアイ=ファの手を握りしめたままであり、そこにジバ婆さんとサリス・ラン=フォウも加わった。


「アイ=ファ、おめでとー! 本当に、よかったね!」


「ええ。アイ=ファの喜びが痛いぐらいに伝わってきて、わたしは倒れてしまいそうだったわ」


「本当にねぇ……あたしも、幸せな心地だよ……」


 儀式の間は厳粛そのものであったジバ婆さんも、顔をくしゃくしゃにして笑っている。そしてその皺深い顔も、滂沱たる涙に濡れていた。


 いや――リミ=ルウやサリス・ラン=フォウも、それは同様であったのだ。宴衣装を纏ったリミ=ルウも、いつも通りの姿をしたサリス・ラン=フォウも、涙に濡れた瞳で一心にアイ=ファのことを見つめていた。


 アイ=ファにとってもっとも近しい友であるのは、この三名であるのだ。

 その三名が家族の代理人としてかたわらにいてくれることが、俺は幸せでならなかった。


「……アイ=ファ、よかったら使ってくれよ」


 俺は胴衣の内ポケットから織布を取り出して、アイ=ファに手渡した。

 それを受け取ったアイ=ファは、ちょっと悪戯小僧のような顔で微笑む。


「アスタよ。私をやりこめたいのならば、今が好機だぞ」


「あはは。そんな気はないってば。だから、俺があとで涙をこぼしても責めないでくれよな」


 誓約の儀を終えてから、これが初めての会話である。

 なんと勿体ぶらない新郎新婦なのかと、俺は心から愉快な心地であった。


「それでは、こちらの料理も残さずにお食べくださいね」


 と、サリス・ラン=フォウのかたわらから進み出たレイナ=ルウが、俺とアイ=ファの間に木皿を置いた。


「あ、レイナ=ルウ。それに、ユン=スドラとトゥール=ディンも、今日はどうもありがとう」


「はい。お二人の婚儀の取り仕切り役を果たすことができて、心から光栄です」


 凛々しい表情を引っ込めたレイナ=ルウが、明るく力強い笑顔を届けてくる。

 いっぽうユン=スドラは、幼子のように朗らかな笑顔だ。


「わたしもです。あらためまして、おめでとうございます。お二人の幸せな行く末を、心から祈っています」


 レイナ=ルウとユン=スドラ――彼女たちは、かつて俺などに思いを寄せてしまった身であった。

 ただきっとそれは、感謝や敬服の気持ちも複雑にもつれあった思いであったのだろう。レイナ=ルウなどは出会って間もない頃の話であったし、半分がたは衝動的な告白であったように思われた。


 いっぽうユン=スドラは思い詰めた末に、自分の気持ちは捨て去ると宣言した。俺にはアイ=ファの存在があるし、自分はこれからも俺のもとでかまど番として修練を積んでいきたいと言いつのったのだ。


 その後も二人は何のわだかまりもなく、俺のよき友であり続けてくれた。

 朴念仁である俺は適切な対応をすることもできず、ただ彼女たちの誠実さに甘えたのだ。それを申し訳なく思う気持ちが、そのまま二人に対する信頼と友愛に転化していた。


「……わたしも大きな仕事を果たすことができて、心から嬉しく思っています。どうかいつまでも、幸せにお過ごしください」


 自前の織布で涙をぬぐいながら、トゥール=ディンもあどけなく笑ってくれている。

 もう死んだ魚のような目をした姿などは、思い出すことも難しい。十歳から十三歳に成長し、スンの分家からディン本家の家人となったトゥール=ディンは、俺が知る中でもっとも大きく飛躍したひとりであった。


 いまや彼女は、ジェノスで一番の菓子作りの名手として認められた身なのである。血族の祝宴では取り仕切り役を果たし、数々のかまど番を育てあげ、城下町においては領主の孫娘オディフィアと確かな絆を育む、彼女は森辺の立役者であった。


 それでもなお、トゥール=ディンは十三歳の若年である。

 その年齢相応のあどけない笑顔が、俺の心を温かくしてやまなかった。


「ところで、あの……わたしたちは本当に、アスタとお呼びしても問題ないのでしょうか?」


 ユン=スドラがもじもじしながら問いかけると、アイ=ファは「うむ」と鷹揚に応じた。


「アスタに長らく氏を与えず、名だけで呼ぶことを定着させてしまったのは、私の責任であるからな。これでは、文句をつけることもできまい」


「だよなー。俺は前から宣言してる通り、アスタって呼ばせていただくぜー」


 ルド=ルウは普段通りの軽妙な調子で、俺の肩を小突いてくる。

 すると、座席の背後に立ちはだかっていたドンダ=ルウが「ふん」と鼻を鳴らした。


「俺は森辺の習わしに従って、アスタ=ファと呼ばせていただく。族長みずからが習わしを踏みにじっては、しめしがつかんからな」


「うむ。アスタと呼ばれようとアスタ=ファと呼ばれようと、私の喜びに変わりはないぞ」


 アイ=ファがそちらに笑顔を向けると、ドンダ=ルウはいっそう不機嫌そうに顔をしかめる。そのかたわらでは、ミーア・レイ母さんがくすくすと笑っていた。


「まあ、あたしも家長を見習おうかねぇ。アスタのほうが呼びやすいことに間違いはないけど、氏を授かるってのはめでたいことだしさ」


「うむ。ファの氏を持つ人間が増えたのは、アイ=ファが生まれた日以来なのであろうからな」


 と、バードゥ=フォウと伴侶も笑みを見交わす。ファの近在で暮らしていた人々には、独自の感慨が生まれるのだろうと察せられた。


「それではわたしも、かまど仕事に戻ります。すぐに他の宴料理が届けられるでしょうから、少々お待ちくださいね」


 そのように告げるレイナ=ルウとともに、ユン=スドラとトゥール=ディンも立ち去った。

 あとに残されたのは、付添人たる十一名だ。広場は大変な賑わいであったが、まだこちらに遠慮をして近づいてくる気配もなかった。きっといずれの氏族の婚儀においても、まずは家族同士で喜びを分かち合う時間が作られるのだ。


「あらためて、俺からも祝福を捧げさせていただこう。俺の子たちはまだ幼子だが、その両方がいっぺんに婚儀を挙げたような心地だぞ」


 ライエルファム=スドラは落ち着いた笑顔で、そのように告げてきた。


「心残りであるのは、前回の収穫祭が雨季にぶつかってしまったことだな。ひとたびぐらいは、アイ=ファに闘技の力比べで勝利を収めたかったものだ」


「ふむ。ディグド・ルウ=シンも、婚儀を挙げた女衆と力比べに興じる心づもりにはなれないと語っていた。私は今後、収穫祭の力比べにも参加しないべきであるのだろうか?」


「俺は、そのように考えているぞ。子を孕んでいると気づかぬままに力比べなどを行い、大事に至ってしまったら、取り返しがつかなくなってしまうからな」


 ライエルファム=スドラは同じ表情のまま、ただ父親のように厳格な眼差しでアイ=ファを見つめた。


「ギバ狩りの仕事に関しても、同様だ。何かわずかにでも変調を感じたときは、迷わず休息するがいい。今後は狩人としてではなく、母になる身としての立場を一番に重んじるのだ」


「うむ。もとより、そのつもりだ」


 アイ=ファが昂ることなくうなずくと、今度はガズラン=ルティムが進み出た。


「私もライエルファム=スドラに賛同しますが、かなう限りは狩人としての仕事を続けたいというアイ=ファの心情も理解できます。きっとアイ=ファは自分の心を満たすためではなく、ファの家のために仕事を果たさなければならないと考えているのでしょう?」


「うむ。商売に必要なギバ肉をすべて他なる氏族から買いつけるとなると、それだけで莫大な銅貨が必要となろうからな」


「そして、アイ=ファが男児を授かったのちは、その子が狩人として育つ十数年間をそのように過ごすことになります。これではあまりに、ファの家の負担が大きすぎるように思います」


 至極穏やかな表情で、ガズラン=ルティムはそのように言いつのった。


「そこで、私からの提案であるのですが……ファの家は、いくつかの仕事を余所の氏族に任せるべきではないでしょうか? そうすれば、商売に必要なギバ肉も人手もそちらの氏族で準備することになるため、ファの家の負担が軽減するかと思われます」


「ふむ。しかし、小さき氏族の面々は、あまり乗り気でないと聞いているぞ」


「それはおそらく、アスタの仕事を受け継ぐのは恐れ多いという思いがあってのことでしょう。しかし、それがファの家を救う行いだと知れば、数多くの氏族が手をあげるのではないかと思います」


 すると、ルド=ルウが「あのよー」と声をあげた。


「さっきは真面目くさった話になるのもしかたねーって言ったけど、今はさすがに場違いなんじゃねーの? ガズラン=ルティムは、まだ祝福の言葉も口にしてねーだろ」


「あはは! ルドやドンダ父さんだって、おめでとーとか言ってないけどね!」


 リミ=ルウが笑い声をあげ、ガズラン=ルティムは気恥ずかしそうに微笑んだ。


「確かに、ルド=ルウの言う通りです。決してお二人の婚儀を軽んじているわけではありませんので、どうかご容赦ください」


「ガズラン=ルティムの真情を疑うことはありえんぞ。そもそもガズラン=ルティムは、ファの家の行く末を案じてくれているのだからな」


「そうですよ。ガズラン=ルティムは頭が回るので、つい先々の心配に目が向いてしまうのでしょうね」


 俺とアイ=ファが笑顔でフォローをすると、ガズラン=ルティムは頭をひとかきしてから姿勢を正した。


「それでも、順番を間違えたことに変わりはありません。アスタ=ファ、アイ=ファ、おめでとうございます。二人の幸福な行く末を、心から願っています」


「うむ。その幸福な行く末のために、ガズラン=ルティムは頭をひねってくれたわけだな。しかし、商売のことに関しては、アスタに一任させていただこう」


「うん。俺も頭の片隅では、そういうことを考えてたんだよ。ただ、婚儀が目の前に迫ってたから、なかなか考えがまとまらなかったんだ」


 アイ=ファに笑顔を返してから、俺はガズラン=ルティムに向きなおった。


「自前でギバ肉を準備できないとどんな収支に落ち着くか、あとでじっくり計算してみます。以前も休息の期間に同じ計算をしましたけど、今はトゥランと城下町の商売が増えてますからね。印象としては、けっこう怖い数字になってしまいそうです」


「はい。ファの家の負担が大きいことは、以前の家長会議でも語られていましたからね。きっと他なる氏族の家長やかまど番たちも、すぐに理解してくれることでしょう」


 そう言って、ガズラン=ルティムは温かい微笑をたたえた。


「ですが、すべては明日からのことです。どうかこの夜は、婚儀を挙げた喜びにひたってください」


「はい。今もその喜びで心がはちきれそうなぐらいですので、心配はご無用です」


 俺がそのように答えたとき、賑やかな一団が到着した。数々の宴料理を掲げたかまど番の一団で、先頭を切っているのはレイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムである。


「お待たせしましたー! 最初の宴料理です! 温かい内に、お召し上がりください!」


 俺とアイ=ファばかりでなく、付添人の面々にも木皿が配られていく。さらに、座席のかたわらに敷物が敷かれて、そちらにも料理と果実酒が並べられていった。


 直接手渡されたのは、ギバ骨ラーメンである。

 昼にはキミュス骨ラーメンをいただいたが、もちろん不満などあるわけもない。森辺の祝宴において、ギバ骨ラーメンとギバ・カツはとっておきの品であるのだった。


「アイ=ファ、ちょっとごめんなさいね」


 と、アイ=ファの背後に回り込んだサリス・ラン=フォウが顔にかかるヴェールをたくしあげて、草冠で固定する。日中も、アイ=ファはそのようにして食事を口にしていたのだ。


 またアイ=ファの素顔があらわにされて、俺の胸を高鳴らせる。

 涙をぬぐったその顔はこれだけの人数を前にしていても淡い微笑をたたえており、その瞳も星のようにきらめいたままであった。


「ありがとう、レイ=マトゥア、マルフィラ=ナハム。今日はどっちも、大変だっただろう?」


「お二人の婚儀に力を添えることができたのですから、何も大変なことはありません! ね、マルフィラ=ナハム?」


「は、は、はい。あ、あらためまして、おめでとうございます。お、お二人の幸せそうな姿に、わたしまで思わず涙ぐんでしまいました」


「わたしもです! 今日のことは、絶対に忘れません!」


 元気いっぱいの笑顔で、レイ=マトゥアは俺の手もとを指し示した。


「それでもとにかく、お召し上がりください! らーめんは熱が命だと教えてくださったのは、アスタなのですからね!」


「うん。ありがたくいただくよ」


 まだ数々の宴料理が控えているため、ラーメンはほんの少量だ。それでもギバのチャーシューやモヤシのごときオンダやキャベツのごときティノが添えられており、濃厚な芳香が忘れていた空腹感を刺激してやまなかった。


 俺は白く濁った白湯スープをすすってから、黄色みがかった中華麺をすすりこむ。

 やはりキミュス骨ラーメンとは比較にならない、力強い味わいだ。もちろんあちらにもキミュス骨ならではの魅力があふれかえっているものの、力感だけはギバ骨ラーメンの圧勝であった。


 ギバの恵みを重んじる森辺の民にとって、骨の髄までしぼり尽くすギバ骨スープは一番のご馳走であるのだ。圧力鍋の登場で以前よりは手軽に調理できるようになったとしても、こちらの品が宴料理から外されることはないはずであった。


「うん、美味しいよ。やっぱり祝宴は、ギバ骨ラーメンだね」


「はい! わたしも後で、同じ喜びを分かち合います! あと、そちらの揚げ物はわたしも手伝いましたので、喜んでいただけたら嬉しいです!」


「ありがとう。レイ=マトゥアは屋台の当番で、マルフィラ=ナハムは宴料理の当番だったけど、どっちも朝から働き詰めだったもんね。本当に感謝しているよ」


「とんでもありません! 今日は人手も有り余っていたので、むしろ仕事の奪い合いになりそうなぐらいでしたよ! あとから参加したわたしなんかは、自分の仕事を見つけるのに必死でした!」


 二百四十名の内の半数近くは女衆であるために、そんな事態が生じていたのだ。まあ、たとえフォウやディンのかまど小屋を借りていても、百名以上のかまど番が働けるスペースはなかなか確保できないのかもしれなかった。


「そっか。こんな大がかりな祝宴は、初めてなんだもんね。唯一の心残りは、その仕事に参加できなかったことだよ」


「それは、ないものねだりというものです! わたしだって朝から宴料理の準備に参加したかったですけれど、屋台の商売にだって参加したかったですからね!」


「そ、そ、そうですね。で、でも、どちらも幸せなことに変わりはありませんから……こ、こんな幸せを授けてくださったみなさんには、心から感謝しています」


「わたしもですよー! アスタは森辺に大きな喜びをもたらしてくださいましたけれど、今日はその集大成みたいに感じられます!」


 宴衣装を纏った両名は、それぞれ喜びの思いをあふれかえらせている。そしてみなぎる力感も、決してレイナ=ルウたちに負けていなかった。


「小さき氏族にも、力あるかまど番が数多く育っていますね。これなら、行く末も安心です」


 ガズラン=ルティムの言葉に、俺も「はい」と笑顔を返す。


「さっきの三人に続くのが、こちらの二人ですからね。まあ、レイナ=ルウとトゥール=ディンはすでに自分たちの仕事を抱えていますので……きっと彼女たちが、力になってくれると思います」


 俺とガズラン=ルティムのやりとりに、レイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムは二人仲良くきょとんとした。


「えーと、いったい何のお話でしょうか?」


「それはこっちもきちんと話が整ってから、あらためて伝えさせていただくよ。二人には期待してるから、どうぞよろしくね」


 レイ=マトゥアは客商売、マルフィラ=ナハムは裏方の仕事と、それぞれ適性は正反対であるものの、ユン=スドラに並ぶ実力であることに疑いはない。きっと屋台ののれん分けが実現したならば、その三人の家とラッツが筆頭の候補になることだろう。彼女たちであれば、なんの心配もなく商売を任せることができた。


(でも、それは明日……いや、もう何日か経ってからだな)


 何せ、《銀の壺》や建築屋の送別の祝宴も目の前に迫っているのである。それらをすべて成し遂げるまで、大がかりな話を進めるいとまはなかった。

 そして本日は、婚儀の喜びを噛みしめるべきであるのだ。

 まあ、隣にアイ=ファの存在を感じているだけで、喜びの思いに不足はなく――むしろ、少しは意識を外に向けていないと、俺は情緒がどうにかなってしまいそうだった。


(アイ=ファがずっとこんな幸せそうな顔をしてたら、それが当たり前だよな)


 ジバ婆さんたちがかたわらの敷物に座したため、アイ=ファはそちらと静かに言葉を交わしている。そして、祝いの料理たるハンバーグも、いつの間にか完食目前であった。


「……これは、お前のために残しておいたのだぞ」


 と、いきなりアイ=ファがこちらを振り返ってきたため、俺はあぐらをかいたままひっくり返りそうになってしまった。


「ア、アイ=ファは本当に、頭に目でもついてるみたいだな」


「お前の気配が、騒がしすぎるだけのことだ。まあ、この夜ばかりは仕方なかろうがな」


 そんな風に語りながら、アイ=ファの手がハンバーグの皿にのばされる。そして、突き匙で捕獲された最後のひと口が、俺の鼻先に差し出された。


「さあ、レイナ=ルウたちの心尽くしを噛みしめるがいい」


 アイ=ファの口調は凛然としているが、その瞳はきらきらと輝いている。

 俺がその輝きに吸い込まれるようにしてハンバーグを口にすると、レイ=マトゥアが「きゃー!」と黄色い声をあげた。


「す、すみません! お二人の幸せそうなお姿に、つい心を乱してしまいました!」


 レイ=マトゥアは顔を赤くしており、マルフィラ=ナハムは目を白黒させている。アイ=ファがこんなにもやわらかな一面を衆目にさらすことは、そうそうないのだ。そうして若年の二名を惑わせたアイ=ファは、悠揚せまらず「すまんな」と微笑んだ。


「かくいう私も、気持ちが浮ついているのであろう。この夜だけは、容赦してもらいたい」


「と、とんでもありません! どうぞ、お幸せに!」


 レイ=マトゥアはぺこりと一礼すると、マルフィラ=ナハムの細長い腕をひっつかんで退散していった。

 そしてそれと入れ替わりで、新たな一団が接近してくる。ついに、参席者による挨拶巡りが開始されたのだ。


「アイ=ファ、アスタ=ファ。ルウの家人一同から、祝福の言葉を捧げさせていただく」


 そのように宣言したのはジザ=ルウであり、その周囲には付添人たる五名を除くルウの家人が分家までまとめて集合していた。すなわち、サティ・レイ=ルウ、ティト・ミン婆さん、ララ=ルウ、ダルム=ルウ、シーラ=ルウ、ジーダ、バルシャ、ミケル、マイムといった面々である。


「交代で幼子の面倒を見ながら、お二人に直接お祝いの言葉を届けることにいたしました。アイ=ファ、アスタ=ファ、おめでとうございます」


 つい先刻まで母屋でご一緒していたサティ・レイ=ルウとシーラ=ルウが、穏やかに微笑みかけてくる。あれからまだ半刻も経っていないはずであったが、俺はすっかり時間感覚がわやくちゃになってしまっていた。


「本当におめでたいことだねぇ。それに、家人の全員が余所の家に出向くなんて初めてのことだから、楽しい心地だよ」


 そのように告げてきたのは、ドンダ=ルウの母たるティト・ミン婆さんだ。

 彼女はすっかりかまど仕事を若い家人に任せるようになっていたが、俺の中にはさまざまな思い出が残されている。そもそも最初に森辺の生活の厳しさを教えてくれたのは、ティト・ミン婆さんであったのだ。もちろん俺はアイ=ファからもさまざまな教えを叩き込まれていたが、古き時代を生きた人間の言葉にはとてつもない重さが宿されていたのだった。


「それはすなわち、森辺の習わしに反しているということなのだろうが……まあ、了承した後に文句をつけても意味はない。今は余念なく、二人を祝福するべきなのだろうな」


 ジザ=ルウの言葉に、宴衣装のララ=ルウが「もー!」と笑い声をあげた。


「だったらそんな言葉より早く、おめでとうって言ってあげれば? ほらほら、ダルム兄もさ!」


「やかましいぞ。お前だって、まだ祝福の言葉を口にしていないではないか」


「あたしは、昼から顔をあわせてるもん! でも、もういっぺん言わせていただくね! アイ=ファ、アスタ=ファ、おめでとう! あたしは敬意を込めて、アスタ=ファって呼ばせてもらうからね!」


 燃えるように真っ赤な髪を腰まで垂らしたララ=ルウが、明るく力強い笑顔でそのように告げてくる。彼女はつい先日、ついに十六歳になったのだ。俺が知る限り、出会ってから四度目の生誕の日を迎えたのは、彼女が初めてであった。


 出会った頃は十二歳であったララ=ルウが、ついに十六歳なのである。早い段階でレイナ=ルウの背丈を追い越した彼女はヴィナ・ルウ=リリンに追いつきそうな勢いですくすく成長しており、スレンダーな体型に変わりはなかったものの、もはや立派なレディであった。


 ララ=ルウはトゥール=ディンと正反対の意味で、人間的な成長を遂げている。気弱なトゥール=ディンがたくましく成長したように、激情家であった彼女は貴族相手の外交役が務まるほどの思慮深さを体得したのだ。


 しかし、ヒステリックにわめき散らす一面がなくなっても、熱情の度合いに変わりはない。バチバチと弾け散る火花が凝縮されて、ごうごうと燃え盛る炎になったような印象である。かまど番としてではなく、ひとりの人間としての頼もしさであれば、彼女は女衆の中で屈指の存在になっていた。


「……しかしまさか、二人の家人しかないファの家がルウをも上回るほどの広場を切り開くとはな」


 やがてダルム=ルウが、ぶっきらぼうな口調でそう言った。


「まあ、ファの家には新たなかまど小屋が築かれて、修練の場にされるという話だったが……それでも、このように広大な広場は必要あるまい。収穫祭もどんどん間遠になっているのだから、いずれは持て余すことになるのではないか?」


「ふむ。それで何か、問題でもあろうか?」


 アイ=ファが穏やかな面持ちで問い返すと、ダルム=ルウは気安く肩をすくめた。


「何も問題などありはしないが、物寂しいたたずまいであることに変わりはあるまい。やがて生まれてくる子供たちに、悪い影響が出なければいいがな」


「なるほど。子供を案じての言葉であったのか。さすが父の身となったダルム=ルウの言葉には、重みがともなうな」


「ぬかせ」と、ダルム=ルウは顔をしかめる。ただそのドンダ=ルウに似た青い瞳には、ちょっと楽しげな光もちらついているように思えた。


「お前こそ、いつまでも狩人気分を引きずっていると、子に悪い影響を与えかねんぞ。……まあ、父親が狩人ならぬかまど番であれば、それでつりあいは取れるのやもしれんがな」


「うむ。それは一歩ずつ、正しい道を探していくしかあるまいな」


 アイ=ファもまた、遠慮なく笑顔を見せている。

 かつてはおたがいを親の仇のようににらみ据えていたなどとは信じられないほどの、安らかな空気である。もはやアイ=ファがダルム=ルウに嫁取りを願われていたなどとは、思い出すのも難しいぐらい昔日の話であった。


「ジザは何か、語る言葉はないのですか?」


 サティ・レイ=ルウがうながすと、お地蔵様のような目つきで泰然とたたずんでいたジザ=ルウが「うむ?」と応じた。


「俺は朝方、父ドンダとともに訓示を申し述べたのだ。その場で、語るべき言葉は語り尽くしている」


「でもそれは、アスタ=ファに対してでしょう? アイ=ファには、何かないのですか?」


「アイ=ファにか」と、ジザ=ルウは糸のように細い目でアイ=ファを見る。

 アイ=ファが静かにそれを見返すと、ジザ=ルウは小さく首を横に振った。


「うむ。取り立てて、語るべき言葉は見つからぬようだ」


「あら。ジザにしては、珍しいことですね」


 サティ・レイ=ルウが意外そうに言うと、ジザ=ルウはうっすらと微笑んだ。


「婚儀を挙げたことにより、アイ=ファも変わりつつあるのだろう。それがどのような変化であるかを見届けなければ、かけるべき言葉が思いつかない。すべては、明日以降の話であろう」


「そうですか。それなら、ジザらしいように思います」


 サティ・レイ=ルウはにこりと微笑み、ララ=ルウも「あはは!」と笑った。


「じゃ、あとがつかえてるから、あたしらは引っ込もうか! うかうかしてると、夜が明けちゃうもんね!」


 俺たちはまだ本家とダルム=ルウ家の面々としか語らっておらず、ジーダたちが順番を待っていたのだ。

 そしてその後にも、二百名以上の人々が待ちかまえている。それは、気が遠くなるほど幸せな話であった。

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― 新着の感想 ―
アイ=ファにアスタが何かを食べさせるのは、森の主討伐以来。 アスタにアイ=ファが何かを食べさせるのは、『アムスホルンの息吹』以来かな。 どちらの時も片方がそれなりに負傷していた時だったから、今五体満足…
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