小休止
2025.11/30 更新分 1/1
それから、一刻と少しが過ぎ去って――俺たちは、ついに森辺に戻ることになった。
俺は残された時間でさまざまな相手と何度となく言葉を交わしたが、やっぱり名残惜しい気持ちは尽きない。それでもおおよその相手はまた明日も会えるのだからと自分に言い聞かせて、お別れの言葉を告げるしかなかった。
「今日は本当にありがとうございました! 今日のことは、一生忘れません! 明日からも、またよろしくお願いします!」
俺が最後に精一杯の声を張り上げると、最初に挨拶をしたときを上回る勢いで歓声と拍手が返ってきた。
建築屋の面々に《銀星堂》の団員たち、ドーラ家の一家にミシル婆さんとお孫さん、宿屋の関係者、屋台の常連客、《ギャムレイの一座》、傀儡使いの一行、城下町の料理人たち、ゲルドの輸送部隊の隊員たち、アリシュナにククルエル、カミュア=ヨシュやレイトやザッシュマ、トトス車に引きこもった貴族たち――さらには森辺から駆けつけてくれた同胞たちも、誰もが温かな目で俺たちを見送ってくれた。
俺は心を打ち震わせながら、アイ=ファとともに荷車に乗り込む。往路と同じ顔ぶれが同乗し、荷車がゆっくり動き始めたタイミングで、俺はアイ=ファに笑いかけた。
「俺はもう、胸がいっぱいで張り裂けそうなぐらいだよ。ここまで涙を見せていないことを、ほめてほしいぐらいだな」
「だから、婚儀の本番は夜だと言っているであろうが? まあ、夜にも涙を見せたならば、容赦はせんがな」
そんな言葉を返しつつ、アイ=ファも幸せそうな表情だ。リミ=ルウとサリス・ラン=フォウは、そんなアイ=ファの姿をとても温かな眼差しで見守っていた。
「さーて、お次はいっぺんファの家に戻ってから、フォウとディンに挨拶回りだったっけか?」
ルド=ルウの問いかけに、リミ=ルウが「うん!」と元気に応じる。
「リミたちは、祝宴の準備があるからさ! あとは、ルドたちでお願いねー!」
「ふーん。どうせかまど番はうじゃうじゃ集まってるんだろうから、お前ひとりが抜けても問題ないんじゃねーの?」
「もー、ルドはわかってないなー! リミたちだって、宴料理を準備したいんだよー! ね、サリス・ラン=フォウ?」
「はい。二人の婚儀を祝福する宴料理なのですからね。ずっとアイ=ファのかたわらにいたいのは山々ですが、そちらも二の次にすることはできません」
リミ=ルウたちの温かい言葉と表情が、アイ=ファをいっそう幸せな心地にするのだろう。そんなアイ=ファの姿を見つめているだけで、俺も同じぐらい幸せな心地であった。
そうしてファの家に到着したならば、リミ=ルウとサリス・ラン=フォウが降車して、代わりにチム=スドラが乗り込んでくる。この後は男衆三名の付添人とともに、フォウとディンの家を巡るのである。
これは、祝宴に参席できない人々に挨拶をするための行いであった。
原則として、収穫祭をともにしている五氏族の家人はのきなみ祝宴に招待している。しかし、ファには一軒しか母屋が存在しないため、すべての赤子や幼子を招くことはできなかったのだ。それで、幼子たちの面倒を見る一部の人間は家に居残るしかなかったのだった。
また、女衆や幼子だけでは不用心であるため、何名かの男衆も家に居残る。それで、ランの家人はフォウの家に、リッドの家人はディンの家に集まり、全員で晩餐をともにするのだという話であった。
「ようこそ、フォウの家に。今日はこっちも朝から祝宴みたいな騒ぎですよ」
フォウの家で出迎えてくれたのは、分家の家長の伴侶である。そしてその場には、四名の女衆と二名の男衆と十名以上にも及ぶ幼子が集められていた。
「うわぁ、フォウとランだけで、また幼子が増えたみたいですね」
「確かに、そうなんでしょうねぇ。この前の雨季でも『アムスホルンの息吹』で魂を返す子供はいませんでしたし……きっとこれも、滋養のある食事のおかげですね」
すると、眠る赤ん坊を抱いていたランの若めの女衆も「きっとそうです」と賛同の声をあげた。
「三年連続ですべての子供が魂を返さずに済んだのは、きっと初めてのことではないでしょうか? 少なくとも、わたしの母はそのように語っていました」
「フォウでも、きっとそのはずですよ。これもみんな、ファの家が正しい道に導いてくれたおかげです」
「我々は、最初に声をあげたにすぎん。森辺の民の全員が、正しい道を選択したのだ」
花嫁衣裳のアイ=ファが、凛然とした面持ちで答える。
ただ、赤子や幼子を見やるその眼差しは、これまで以上にやわらかな光を宿しているように思えてならなかった。
そうしてしばし言葉を交わしたのち、お次はディンの家に移動する。
そちらもフォウと同じていどの人数が集められており、そして母屋の裏からは大層な熱気が伝わってきた。フォウにおいてもディンにおいても、ファのかまど小屋で収まらない分の宴料理が仕上げられているのだ。今頃は、宿場町から戻ったトゥール=ディンが陣頭指揮を取っているはずであった。
「慌ただしい中、わざわざありがとうねぇ。二人の立派な姿を見ることができて、あたしは嬉しいよ」
リッドでは最年長ではないかと思える初老の女衆が、満面の笑みでそんな風に言ってくれた。きっと若い人間に祝宴を任せるべく、孫の面倒を買って出たのだろう。フォウにおいてもディンにおいても、そういう年配の女衆と乳をやるための若い女衆が入り交じっていた。
「今日はあたしらも、いくつかの宴料理を口にできるからねぇ。この家に身を置きながら、アスタたちと同じ喜びを噛みしめさせていただくよ」
そのために、居残る人間はフォウとディンの家に集められたのだろう。おそらくは、フォウで仕上げた宴料理がディンに運ばれ、ディンで仕上げた菓子がフォウに運ばれるのだ。俺はユン=スドラたちの配慮に心から感じ入りながら、「はい」と笑顔を返すことになった。
そちらでも四半刻ほどの時間を過ごしたならば、ファの家へと舞い戻る。
宿場町を出たのが下りの三の刻で、森辺に戻るのに半刻、フォウとディンの家を巡るのに四半刻ずつをつかい、時刻は下りの四の刻を回った頃合いだ。
婚儀の祝宴の開始まで、残すところは二刻足らずである。
それまでの時間、俺とアイ=ファはファの母屋で過ごす手はずであり――そしてその場には、祝宴に招待された幼子と保護者が寄り集まっていた。
「あーた! おあえりー!」
母屋の戸板を開くなり、小さな小さな幼子がとてとてと駆けつけてくる。俺はその幼子が土間に転落しないように、両手ですくいあげることになった。
「ただいま。ホドゥレイル=スドラは、今日も元気だね」
ライエルファム=スドラとリィ=スドラの間に生まれた双子の弟、ホドゥレイル=スドラである。俺と生誕の日が近い彼らは、二歳と二ヶ月の齢であった。
そして、弟よりもやや小柄なアスラ=スドラも、ちょこちょこと駆け寄ってくる。そちらはチム=スドラの手で捕獲された上で、俺のほうに差し出されてきた。
スドラの双子はきゃあきゃあとはしゃぎながら、俺の髪や頬にぺたぺたと触れてくる。俺は懇意にしている相手のお子さんたちとのきなみ良好な関係を築けたつもりであるが、その中でもひときわ濃厚なスキンシップを求めてくるのはこちらの両名であった。
「アスタにアイ=ファ、お疲れ様です。いつもご面倒をおかけして、申し訳ありません」
リィ=スドラが落ち着いた微笑みを投げかけてくると、アイ=ファは俺がもみくちゃにされる姿を眺めながら「いや」と答えた。
「面倒を受け持つのはアスタの役割であるし、当人も満足げな面持ちであるので、何も気にする必要はなかろう」
すると、俺の短くなった髪をくいくいと引っ張っていたホドゥレイル=スドラがアイ=ファのほうに向きなおり、にこりと笑った。
「あいふぁ、きえー。きあきあー」
ホドゥレイル=スドラはとても利発な幼子であるが、まだいくぶん舌が回らないようであるのだ。しかしそのあどけない笑顔だけで、真情は十分に伝わってきた。
そして、そんな俺たちの姿を、数多くの人々が見守っている。
この場に集められたのは、リィ=スドラとホドゥレイル=スドラとアスラ=スドラ、サティ・レイ=ルウとコタ=ルウとルディ=ルウ、ヴィナ・ルウ=リリンとエヴァ=リリン、シーラ=ルウとドンティ=ルウ、アマ・ミン=ルティムとゼディアス=ルティム、そしてアイム=フォウという顔ぶれであったのだ。サリス・ラン=フォウだけはかまど仕事のために離席していたが、幼子だけで大変な熱気がかもし出されていた。
そして、スドラの双子にいつもの役割を譲ったコタ=ルウはにこにこと笑っており、アイム=フォウはちょっと羨ましそうにもじもじとしている。そして、乳飲み子を除くと最年少であるはずのゼディアス=ルティムは、相変わらずの貫禄でどっしりと構えていた。
「さあ、とりあえずおあがりください。ホドゥレイル、こちらにいらっしゃい」
リィ=スドラにホドゥレイル=スドラの小さな身を託した俺は、サンダルを脱いで広間に上がり込む。アイ=ファもそれに続くと、ヴィナ・ルウ=リリンがほうっと息をついた。
「アスタにアイ=ファ、お疲れさまぁ……アイ=ファの美しさは、想像以上ねぇ……」
「ええ、本当に。輝くような姿というのは、こういうことを言うのでしょう」
すやすやと眠るドンティ=ルウを抱いたシーラ=ルウも、穏やかな笑顔で言葉を重ねる。アイ=ファは玉虫色のショールをふわりと払って膝を折りつつ、粛然たる声で「いや」と応じた。
「ヴィナ・ルウ=リリンとシーラ=ルウの婚儀のさまは、私も記憶に留めているぞ。あとは、アマ・ミン=ルティムもな。狩人たる私がどれだけ着飾っても、皆とは比べるべくもないはずだ」
「うふふ……アイ=ファは昔から、自分の美しさを自覚していなかったものねぇ……まあ、花嫁には安らかな心地でいてもらわないと困るから、今日のところは口をつぐんでおくわぁ……」
「あはは。お気遣い、ありがとうございます」
俺もアイ=ファの隣に腰を下ろすと、アイム=フォウの手を引いたコタ=ルウがとことこと近づいてくる。二人は以前もファの家で晩餐をともにしたことがあり、これが数ヶ月ぶりの再会であったのだ。そうしてコタ=ルウは俺のかたわらに、アイム=フォウはアイ=ファのかたわらにちょこんと座り込んだ。
アイム=フォウはサリス・ラン=フォウの子であるため、どちらかといえばアイ=ファを慕っている。はにかみ屋さんのアイム=フォウがまだもじもじしていると、アイ=ファは淡く微笑みながらその小さな頭を撫でた。
「今日は長きにわたって、母たるサリス・ラン=フォウを借りてしまった。アイム=フォウも、心細かったのではないか?」
「ううん。みんながいたから、だいじょうぶ」
血族であるのはスドラの面々のみであるが、コタ=ルウは旧知の間柄であるし、ゼディアス=ルティムともユーミ=ランの婚儀で顔をあわせているはずだ。あとはサリス・ラン=フォウが宿場町に下りていた代わりに、フォウの女衆も何度か様子を見にきているはずであった。
ホドゥレイル=スドラはリィ=スドラの腕の中で、アスラ=スドラはチム=スドラの腕の中で、じたばたともがいている。そんな元気な二歳児の前だと、四歳児のコタ=ルウとアイム=フォウが大人びて見えるほどであった。
そして、間もなく二歳となるゼディアス=ルティムは、やっぱり誰よりも落ち着いたたたずまいだ。生まれた頃から大柄であったゼディアス=ルティムは、スドラの双子よりもコタ=ルウたちに迫るぐらい立派な体格をしていた。
エヴァ=リリンは眠っているようで、ヴィナ・ルウ=リリンがしきりにゆっくりと草籠を揺らしている。いっぽうルディ=ルウは草籠から半身を乗り出しつつ、明るい瞳で俺たちの姿を見回していた。
ルディ=ルウは一歳と三ヶ月、エヴァ=リリンとドンティ=ルウは0歳八か月という齢である。
つまり、森辺にやってきて三年余りである俺は、コタ=ルウとアイム=フォウを除く赤子や幼子たちの出産を見届けてきたわけであった。
その中で最初に誕生したのは、ホドゥレイル=スドラとアスラ=スドラとなる。
俺が最初の生誕の日を迎えた数日後に、二人は産声をあげたのだ。とても難産であったため、当初は俺も大きく胸を騒がせながらライエルファム=スドラを励ますことになったのだった。
それから三ヶ月ほど過ぎて、今度はゼディアス=ルティムが誕生した。
こちらもリィ=スドラに負けないほど難産で、俺はルティムの集落に駆けつけることになったのだ。そうして無事な出産を見届けた後は、アイ=ファともども祝いの晩餐の場に招かれたのだった。
その翌年に、ルディ=ルウが誕生した。
雨季のさなかに生まれた彼女もなかなかの難産で、母体の負担に関してはきっと一番であったのだろう。サティ・レイ=ルウは長きにわたって調子を崩しており、俺はそれを心配するコタ=ルウを懸命に励ますことになった。
そしてその年の終わりが近づいた頃、エヴァ=リリンとドンティ=ルウが同じ日に誕生した。
城下町の祝宴から戻った夜に、立て続けにめでたい話が届けられたのだ。いずれの両親とも深い関わりを持っていた俺は、存分に心をかき乱されたものであった。
(六人もの子供の出産を見届けるなんて、すごいことだよな)
なおかつ、コタ=ルウとアイム=フォウに関しても、俺は産着にくるまれていた赤ん坊の頃から知っている。俺が初めてルウ家に足を踏み入れた日にも、コタ=ルウは草籠ですやすや眠っており――それからしばらく後に出会ったアイム=フォウは、やつれ果てたサリス・ラン=フォウの腕に抱かれていたのだった。
その時代は、族長筋と小さき氏族の間で貧富の差が顕著であったのだ。
アイ=ファがいない折にファの家を訪れたサリス・ラン=フォウは見るも無残に痩せ細っており、赤ん坊のアイム=フォウもそれは同様であった。それもまた、俺が森辺に豊かな生活をもたらしたいと一念発起した一因でもあったのである。
(そんなコタ=ルウとアイム=フォウが仲良くなるだなんて、俺は想像もしてなかったよ)
そんな思いを込めて、俺はコタ=ルウのやわらかい髪を撫でてあげた。
「さきほど、リミ=ルウも様子を見に来てくださいました。宿場町の広場は、たいそうな賑わいであったようですね」
アマ・ミン=ルティムの問いかけに、俺は「はい」と笑顔を返す。
「あまりの勢いに、圧倒されるほどでした。あんなにたくさんの人たちに祝福してもらえて、ありがたい限りです」
「アスタは、それだけのことを成し遂げましたからね。まあ……わたしもずいぶん宿場町に下りていませんので、ここ最近の話については家人から聞くばかりですけれど」
「聖堂の洗礼を除くと、あなたやリィ=スドラはもう二年以上も宿場町に下りていないのですものねぇ……わたしやシーラ=ルウも、一年以上は下りていないはずだけれど……きっと一年の差は大きいのでしょうねぇ……」
「ええ。一年前と二年前では、宿場町の賑わいもまったく違っているのでしょうしね」
シーラ=ルウの言葉に、ヴィナ・ルウ=リリンは「そうよねぇ……」と微笑む。
「だから、一年前と今とでも、まったく賑わいは違っているはずよぉ……あの頃以上の賑やかさなんて、ちょっと想像もつかないぐらいだけれど……いったいどんな有り様なのかしらねぇ……」
「そんなもん、自分の目で見届けるしかねーだろ。赤ん坊がでかくなったら、一緒に見物すりゃいいさ」
ずっと静かにしていたルド=ルウが声をあげると、ヴィナ・ルウ=リリンは「そうねぇ……」とまた微笑む。
「でも、幼子を町に下ろすのは五歳になってからっていう習わしができたみたいだし……その頃には、次の赤ん坊の面倒を見ているのじゃないかしら……」
「そーしたら、一生町に下りられねーじゃん」
「最後の子供が大きく育てば、自由に動けるようになるでしょうけれど……その頃に、自分がどんな気持ちでいるかよねぇ……」
「そうですね。自分の子たちが町に下りられるようになれば、それで満足してしまうかもしれません」
眠るドンティ=ルウの身を優しく揺すりながら、シーラ=ルウはそう言った。
「でも、わたしの母も宿場町で手ほどきをする役割を担っていましたし……わたしもいつかは、宿場町の変わり果てた姿を見届けてみたいような気がします」
すると、もがくアスラ=スドラをあやしていたチム=スドラも「そうか」と声をあげた。
「今は町での買い出しも荷車で果たしているため、ごく限られた人間しか町に下りていないのだったな」
「ええ。スドラなどはユンが商売の帰りがけに用事を済ませてくれるので、もう二年ぐらいは買い出しの用事で町に下りていないはずです」
そんな風に答えながら、リィ=スドラはホドゥレイル=スドラの身を解放する。たちまちホドゥレイル=スドラは俺のもとに駆けつけて、あぐらをかいた膝の上に陣取った。コタ=ルウは楽しげに笑いつつ、横からその頭を撫で始める。
「イーア・フォウもそれは同様で、復活祭ぐらいでしか町に下りていない。俺のほうが護衛役で町に下りる機会が多いぐらいだったから、俺が町の様子を伝えるほどであったのだ。よくよく考えれば、これもずいぶん大きな変化なのだな」
「うむ。以前は休息の期間でもない限り、男衆が買い出しの仕事に出向くことはなかったからな。……まあ、ルド=ルウは狩人になってからも、何かと町に下りていたようだが」
シン・ルウ=シンの言葉に、ルド=ルウは「まーな」と肩をすくめる。
「でもやっぱ、アスタが来るまではそこまで楽しい話でもなかったよ。宿場町に下りてもじろじろ見られるだけで、しゃべる相手もいなかったからなー」
「うむ。今では多くの人間が、宿場町に下りることに大きな意義を見出している。それこそが、もっとも大きな変化であるのだろうな」
シン・ルウ=シンは沈着なる面持ちで、深くうなずく。その頃にはチム=スドラもアスラ=スドラの拘束をあきらめて、俺の膝には二人の幼子が鎮座ましますことになった。
「確かに商売に関わっていない女衆は、町に下りる機会がずいぶん減ってしまったのでしょうね。これもひとつの弊害なのでしょうか?」
可愛い双子をあやしながら俺が問いかけると、シーラ=ルウが笑顔で「いえ」と答えた。
「荷車がない頃は頻繁に町まで下りる必要があったので、ずいぶん時間を取られていました。そちらの仕事が減った分、女衆はかまど仕事に手間をかけることが許されるようになったのですから、弊害ではなく恩恵と言うべきでしょう」
「ええ。どのみち幼子を育てる女衆は町に下りることはできませんので、そちらは変わりありません。町の様子を見たいのならば、幼子の成長を待つだけです」
サティ・レイ=ルウの落ち着いた言葉に、シン・ルウ=シンが「ふむ」と思案する。
「そういえば、屋台の当番も齢を重ねた女衆に役割を与えてはどうかと、家長会議で検討されたのだろう? それが実現すれば、嫌でも町に下りる機会は増えるはずだ」
すると、ヴィナ・ルウ=リリンが「うふふ……」と笑い声をあげた。
「気づけば、真面目な話になってしまっているわねぇ……婚儀の日には、もっと華やいだ話に興じるものなのじゃないかしら……?」
「へん。アスタとアイ=ファの婚儀だったら、しかたないんじゃねーの? こいつらはいっつも、勝手に頭を悩ませてるからなー」
「ええ。そんなお二人だからこそ、森辺に正しき道を指し示すことができたのでしょう」
ゆったりと微笑みながら、サティ・レイ=ルウが俺とアイ=ファの姿を見比べる。
そのとき、玄関の戸板が外から叩かれた。
「失礼する。リリン本家の家人一同だ。アスタとアイ=ファに挨拶をしたいのだが、どうであろうか?」
戸板ごしでも、それはギラン=リリンの声であることが知れた。
俺は双子を抱えており、アイ=ファは花嫁衣裳であったため、チム=スドラが代理人として玄関口に駆けつける。そうして開かれた戸板の向こう側には、リリン本家の家人が勢ぞろいしていた。
「慌ただしい折に、申し訳ない。他なる家人にも、今日の喜びを少しばかり分けてもらえないだろうか?」
笑顔のギラン=リリンとともに、シュミラル=リリンとウル・レイ=リリン、それに二人の幼子が続く。六歳ぐらいの男児と、三歳ぐらいの女児である。
「あらぁ、やっぱり来たのねぇ……」
「うむ。俺たちばかりが祝宴を楽しむのは、あまりに申し訳ないからな。レイナ=ルウの言葉に甘えることにしたのだ」
俺とアイ=ファはしょっちゅうリリンの家まで出向いていたため、本家の家長たるギラン=リリンと伴侶のウル・レイ=リリンも招待客に含まれていた。それで、二人の幼子たちをリリンの分家に預けるかファの家に連れてくるかで、最後まで迷っていたという話であったのだった。
「ただでさえファの家はこの賑わいであるから、どうにも気が引けてしまったのだ。申し訳ないが、俺の子供も加えてもらえるだろうか?」
「もちろんです。……って、俺が面倒を見るわけではないので、大口は叩けませんけれど」
「アスタとアイ=ファが了承してくれるのでしたら、もちろん大歓迎です。いざとなったら、ウル・レイ=リリンも力を添えてくれるでしょうしね」
アマ・ミン=ルティムの返答に、ウル・レイ=リリンは「はい……」と微笑む。どこか精霊のような透明感を持つ、美しい女衆である。
「わたしも迷っていたのですが、お世話をかける分は力を尽くそうと思いたちました……どうぞよろしくお願いいたします」
ギラン=リリンたちが迷っていたのは、幼子たちの年齢もあってのことであった。六歳の兄は祝宴に加わることもできるが、四歳の妹はどのみち家で過ごすことになるのだ。二人ともに分家に預けるか、兄は祝宴に参加させて妹だけをファの家に預けるかで、大いに頭を悩ませたようであった。
「下の娘も、ウル・レイやヴィナ・ルウがいれば寂しがることもなかろうしな。……お前もときどき、顔を出してやるのだぞ?」
「うん! ぼくは、シュミラルといっしょだから!」
兄は笑顔で答えてから、妹の小さな頭を撫でた。
「あとで、シュミラルといっしょにくるからね? おかし、いっしょにたべようね?」
妹はあまり状況がわかっていない様子で、「うん……」とうなずく。そして、おそるおそるこちらのほうに向きなおると――ゆったりと微笑むゼディアス=ルティムが手招きをした。
「おいで。みんなとあそぼう」
妹は、ちょっと気恥ずかしそうに微笑む。ルティムとリリンは血族であるので、大きな祝宴では同じ家にあずけられる機会もあったのだろう。それにしても、ゼディアス=ルティムは二歳未満とも思えぬエスコートっぷりであった。
「では、俺はレイナ=ルウに話を通してくるとしよう。まあ、六歳の幼子が増えようと、なんら支障はないという話だったがな」
ギラン=リリンだけが立ち去り、残る四名が入室してくる。なかなかの人口密度であったが、俺の幸せ気分は上昇するいっぽうであった。
「シュミラル=リリンは、みなさんを迎えに行ってたんですね。姿がないのは、おかしいと思っていました」
「はい。家人、総出、祝宴、楽しむためです」
アマ・ミン=ルティムが脇にずれて、シュミラル=リリンはヴィナ・ルウ=リリンの隣に座す。ウル・レイ=リリンは横合いの壁際に陣取り、幼き兄妹はゼディアス=ルティムのもとに駆けつけた。
「……ぼくもちょっといってくるね」
と、俺に耳打ちをしたコタ=ルウも、そちらに合流する。それは何だか、親筋としての責任に基づいているかのようであった。
(いずれはコタ=ルウたちが、家長の座を受け継ぐんだもんな)
コタ=ルウとゼディアス=ルティムは、まあ確定であろう。それで、ドンティ=ルウとアイム=フォウはそれぞれ分家の家長に収まるのであろうが――ホドゥレイル=スドラとリリンの長兄はすでに父親が壮年であるために、ちょっと俺には先行きが見えなかった。二人の幼子が狩人に育つ頃、ライエルファム=スドラやギラン=リリンは六十間近になるはずであるのだ。
さすがにその年齢では過酷なギバ狩りの仕事も務まらないのであろうから、二人はその前に家長の座を譲ることになる。その時点で子供が幼かった場合、誰が家長の座を受け継ぐのか――それは、それぞれの家の判断にゆだねられるはずであった。
(シュミラル=リリンも本家の家人だけど、さすがに家長の座までは任されないように思うし……ギラン=リリンの弟さんも年齢はそんなに変わらなそうで、子供はいないって話だもんな。でも、それ以外は血族から迎えた婿しかいないし……もしかしたら、いま十歳を過ぎたぐらいの分家の男の子が受け継ぐことになるのかな。それで、スドラはやっぱりチム=スドラあたりか)
俺はあれこれ思案を巡らせたが、べつだん深刻な心持ちではない。リリンとスドラは本家や分家の境もなく固い結束を見せているので、誰が家長になろうとも明るい行く末が待っているはずであった。
また、家人の少ないリリンやスドラは特殊な環境下にあるが、きっと余所の氏族でも大きな差はないのだろう。ほんの三年前までは続々と氏が消えていったという話であったが、今ではどの氏族も力強く生きているのだ。もっとも苦境にあったスドラが立ち直ったことで、他の氏族にも期待をかけられるはずであった。
そして、ファの家もそこに加わることができるのか――それは、これから次第である。
ファの家こそ、もっとも特異な立場であるのだ。いずれアイ=ファが子を授かったならば、狩人が不在の家となる。普通はその時点で氏を捨てて、他なる氏族の家人になるのであろうが、俺たちは可能な限りファの氏を残そうと決めているのだった。
アイ=ファは子を授かることができるのか。俺たちはその子を無事に育てあげることができるのか。その子はアイ=ファと同じようにファの家を背負ってくれるのか――何もかもが、見果てぬ行く末である。俺とアイ=ファが婚儀を挙げる今日という日は、その記念すべき一歩目に他ならないのだった。




