宿場町の披露宴⑥~相次ぐ来客~
2025.11/29 更新分 1/1
「……こいつは、想像以上の乱痴気騒ぎであるようだな」
《ギャムレイの一座》による見世物がひとまず終了し、アルンとアミンが見物料の徴収を開始した頃、俺たちの背後から不機嫌そうな声が響きわたった。
俺が期待を込めて振り返ると、期待通りの人物が待ちかまえている。それは《キミュスの尻尾亭》の主人、ミラノ=マスに他ならなかった。
ミラノ=マスの隣ではテリア=マスが微笑んでおり、さらによくよく見知った宿屋の関係者もずらりと立ち並んでいる。《南の大樹亭》のナウディス、《玄翁亭》のネイル、《西風亭》のサムスとシル、《タントの恵み亭》のタパス、《ラムリアのとぐろ亭》のジーゼ――さらには、《アロウのつぼみ亭》のレマ=ゲイトまでもが居揃っていた。
「みなさん、どうもお疲れ様です。お忙しい中、わざわざありがとうございます」
「いえいえ、すっかり遅くなってしまいました。こちらも中天までは何かと仕事が立て込んでおりますもので、どうぞご容赦ください」
そのように答えてくれたのは、宿屋の商会長でもあるタパスだ。ずんぐりとした体格のタパスは、本日もその丸っこい顔に愛想のいい微笑みをたたえていた。
そしてどこからか歓声が巻き起こると、タパスがにこやかに説明してくれた。
「本日はふるまい酒が許されていると聞き及びましたので、こちらでも準備させていただきました。商会に加わるすべての宿屋からの、ささやかな贈り物です」
「わあ、お気遣いありがとうございます。なんだか、かえって申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもありません。アスタが成し遂げてきた功績に比べれば、本当にささやかなお返しでありましょう」
「まったくですな」と、ナウディスもにこにこと笑いながら発言した。
「アスタがもたらした料理と森辺の方々がもたらしたギバ肉によって、宿場町はかつてなかったほどの活況を呈しているのです。いっそヴァイラスやマドゥアルの木像のかたわらに、アスタの木像でも飾りたいほどですぞ」
「あはは。神様あつかいは、さすがに恐縮です。ナウディスは、もう屋台の商売を切り上げたのですか?」
「はいはい。どうせ今日は主街道のほうも、物寂しい限りでありますからな。おおよその方々は無理に時間を作ってでも、こちらの広場にいらっしゃっておるのでしょう」
この中で、ナウディスだけは主人みずから屋台を出しているのだ。なおかつそのかたわらでは、城下町の祝宴を何度かご一緒したことのあるナウディスの伴侶もにこにこと微笑んでいた。
俺は大いなる喜びとともに、人々の姿を見回していき――そして、後ろのほうにひっそりと控えているビアとランの女衆の姿を発見した。
「あ、ビアもいらしてくれたんですね。どうもありがとうございます」
「は、はい。ご、ご結婚おめでとうございます」
ビアは真っ赤になりながら、深々と頭を下げる。かつては《西風亭》の屋台の売り上げを着服し、森辺の民に疑いの目を向けさせてしまった娘さんだ。しかし、その騒動に巻き込まれたランの女衆は、ビアのかたわらで朗らかに笑っている。彼女は本日もビアの仕事を手伝い、これから祝宴の準備に合流するのだった。
「宿の仕事の手が空くのはおおよそ同じ頃合いでしたので、皆で待ち合わせをして参じたのです。わたしはサトゥラス伯爵家の方々にご挨拶がありますので、あとはみなさんでどうぞごゆっくりお過ごしください」
笑顔のタパスが離脱していき、俺はあらためて宿屋の関係者と相対する。真っ先に挨拶が必要であったのは、もちろんミラノ=マスであった。
「ミラノ=マス、本当にありがとうございます。仕事のほうは、大丈夫なのですか?」
「ふん。こいつがあちこちから人を呼びつけるものだから、のきなみ仕事を奪われてしまったわ」
こいつとは、もちろん愛娘たるテリア=マスのことである。アイ=ファの花嫁衣裳に見とれていたテリア=マスは、笑顔で不愛想な父親を振り返った。
「わたしが世話を焼かないと、父さんはこんな日まで遠慮しちゃうからね。一生に一度のことなんだから、今日ぐらいは素直になりなよ」
「ふん。これだけの人間が集まっているのだから、俺ひとりがどう振る舞おうと関係あるまいよ」
「そんなことはありません」と、俺は心からの言葉を告げた。
「この三年余りでさまざまな方々とご縁を紡がせていただきましたが、宿場町で真っ先に面倒を見てくださったのはミラノ=マスじゃないですか。わざわざミラノ=マスにまで来ていただけて、俺は本当に嬉しいです」
「うむ。あなたは過去の悪縁をも乗り越えて、アスタに力を添えてくれたのだからな。私も、感謝しているぞ」
アイ=ファも言葉を重ねると、ミラノ=マスはリアクションに困っている様子で自分の首筋を撫で回した。ミラノ=マスがこういった話題を苦手にしていることは百も承知だが、俺もアイ=ファも思いを伝えずにはいられなかったのだ。
ミラノ=マスはカミュア=ヨシュの紹介でご縁を持ち、屋台を借り受けることになった。しかしそれも言ってみれば、カミュア=ヨシュの策謀の一環であったのだ。カミュア=ヨシュは森辺と宿場町の関係性に一石を投じるために、あえて森辺の民に恨みを持つミラノ=マスを俺に紹介したのだった。
ミラノ=マスはスン家の大罪人によって、伴侶の兄を害された。それで伴侶は気がふさぎ、病魔に倒れて魂を返すことになってしまったのだ。それでもスン家の大罪人は野放しであったのだから、ミラノ=マスがどれだけ深い恨みを抱いてもおかしくはなかった。
しかしミラノ=マスは商売人としてビジネスライクに徹し、俺に屋台を貸し出してくれた。そうして縁を深める内に、森辺の民のすべてが悪人ではないのだと思い至り――宿場町で森辺の民に反感の目が向けられたとき、矢面に立って擁護してくれたのだ。その一件がなければ、森辺の民は屋台の商売から撤退していた恐れもあったのだった。
「今日の俺があるのは、ミラノ=マスのおかげです。これからも何かとご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
「ふん。これだけこちらの世話を焼きながら、まだそのように抜かすのか。お前さんもそろそろ立場に見合った貫禄をつけんと、足もとを見られるぞ」
そう言って、ミラノ=マスは仏頂面から苦笑いに表情を転じた。
「伴侶を娶るとあっては、なおさらにな。もうお前さんひとりの身体ではないのだから、身をつつしみつつも力を惜しまず働くがいい。……まあ、こと仕事に関しては、俺などが説教するまでもなかろうがな」
「いえ。これからもミラノ=マスを手本にして、商売に励みたく思います」
俺は深々と頭を下げてから、他なる面々に視線を巡らせた。
最初に視線がぶつかったのは、無表情にたたずむネイルだ。その隣では、ジーゼがゆったりと微笑んでいた。
「ネイルにジーゼも、ありがとうございます。贈り物まで準備されているとは想像していませんでした」
「いえ。こちらは商会の取り決めに従っただけですので」
ネイルはミラノ=マスと別なる意味で、愛想がない。西の民でありながら東の王国に憧れるネイルは、常に表情を崩さないのだ。東の血をひきながら表情ゆたかなジーゼとは、実に好対照であった。
ネイルは指折りで古くから知り合った相手であり、ジーゼは商会の寄り合いで初めて知遇を得た相手となる。ただ、どちらもシムに深いゆかりを持つためか、試食会が開催されてからは何かと行動をともにする機会が増えて、昨今ではいいコンビという印象であった。
ネイルは真っ先にギバ肉とギバ料理を買いつけてくれたひとりであり、ジーゼはこちらから香草の取り扱い方の手ほどきをお願いした相手となる。出会った時期も関わり方も異なる両名であったが、存在の大きさに変わりはなかった。
「それにしても、本当に大した騒ぎだねぇ。この広場だけ、復活祭がやってきたみたいな賑わいじゃないか」
そんな声をこぼしたのは、ユーミ=ランの母親たるシルだ。誰よりも不愛想な伴侶のサムスは無言のまま、首筋の古傷を掻いていた。
「ええ、俺たちもびっくりしています。こんなことなら、無理にでもユーミ=ランに来てもらうべきでしたね」
「いいさいいさ。ユーミはつい十日前にも顔を出してたんだから、そんなしょっちゅう出くわしてたらありがたみがなくなっちまうよ」
シルは気さくに笑いながら、そう言った。彼女はレイの婚儀のお披露目に顔を出していないはずであったが、もちろんユーミ=ランは帰りがけか何かで生家に立ち寄ったのだろう。
「それよりも、あんたたちだよ。本当に、立派な姿だねぇ。ほら、あんたも何か言ってやりなよ」
「ふん。やっぱり森辺の花嫁衣裳なんざ、生粋の森辺の民が纏ってなんぼだな」
「まったく、しょうもない人だねぇ。でも本当に大層な美しさだよ、花嫁さん」
シルの温かな笑顔に、アイ=ファも「いたみいる」とやわらかな眼差しを返す。そのさまに心を満たされつつ、俺はもっとも意想外の相手に目をやった。
「レマ=ゲイトも、わざわざありがとうございます。きっとそちらもお忙しいのに――」
「はん! あたしは商会にむしり取られた銅貨が額面通りにつかわれているかどうか、見届けに出向いただけのことさ!」
巨大なクジラを彷彿とさせる外見をしたレマ=ゲイトは、たるんだ頬肉を揺らしながらそっぽを向く。彼女こそ、森辺の民に反感を抱く第一人者であるのだ。
驚くべきことに、彼女はいまだにギバ肉を手にしていない。カロンやキミュスの料理で如何にギバ料理に対抗できるかと、そんな方向に血道をあげているようであるのだ。まあ、実際に調理しているのは厨番の男性であるのだが、それを命じているのは主人のレマ=ゲイトであるはずであった。
ただそれは、反感から生じた商売人としての対抗心でもあるのだろう。森辺の料理はすっかり宿場町の顔となったので、それに真っ向から対抗して名をあげようと奮起しているのだ。俺にとっては素晴らしいギバ料理を作りあげているナウディスたちと同様の、よきライバルという立ち位置であった。
「俺たちは、素直に祝福させてもらうよ! アスタ、おめでとさん! こんな別嬪の花嫁をつかまえて、羨ましいこったね!」
「おいおい、本人の前で別嬪よばわりするのは、たしか禁じ手じゃなかったっけ?」
「だけどまあ、これじゃあこっちだって口がすべっちまうよ!」
と、他なるご主人がたも陽気にはやしたててくる。それは《ゼリアのつるぎ亭》を筆頭とする、かつて森辺のかまど番に手ほどきを願ったご主人がたであった。
遥かなる昔日、この内の何名かは宿場町で騒乱が起きた際に森辺の民を敵視していた。それで俺たちに屋台を貸さないようにと、ミラノ=マスに詰め寄っていたのだ。
そんな悪縁を乗り越えて、彼らも笑ってくれている。
ミラノ=マスもサムスもレマ=ゲイトも、それぞれ悪縁を抱えていた立場であったのだ。それがこうして一丸となって広場に駆けつけてくれたのだから、俺はありがたくてたまらなかった。
(俺たちは、すっかり平和に過ごしてるけど……最初の数ヶ月は、本当に大変だったもんな)
スン家の大罪人が振り撒いた悪名を払拭し、その根源であったサイクレウスとシルエルを打倒し、誤解を解いて、相互理解に努め――その末に、今の時間があるのである。今この場に集まっている面々の姿を見回しているだけで、俺は宿場町における軌跡をひとつひとつ辿ることができた。
「さて! それじゃあ俺たちも、そろそろ屋台の料理をいただくか!」
「ああ! そのために、腹を空かしてきたんだからな!」
「それじゃあ、アスタ! また後でな! そっちもめいっぱい楽しんでくれ!」
わいわいと賑わいながら、宿屋の関係者は屋台のほうに向かっていく。ミラノ=マスとテリア=マスは、レビたちと合流するのだろう。その後ろ姿を見送りながら、ルド=ルウが「やれやれ」と肩をすくめた。
「次から次へと、せわしないこったぜ。でもまだたっぷり時間は残されてそうだよなー」
「うむ。ようやく下りの一の刻を回ったていどだろうからな。短く見積もっても、あと一刻半ばかりは残されているだろう」
シン・ルウ=シンは落ち着いた面持ちで、そんな風に答えた。
屋台の商売は下りの二の刻で終了し、半数のメンバーはその時点で撤収する。残る半数は俺たちとともに下りの三の刻まで居残り、宿場町の面々と絆を深めるのだ。
「それじゃあ今の内に、貴族の方々に挨拶をさせてもらおうか」
俺自身の提案により、貴族の面々が引きこもっているトトス車へと突撃することになった。
そちらで待ち受けていたのは、ジェノス侯爵家のメルフリードとエウリフィアとオディフィア、ダレイム伯爵家のポルアースとメリム、サトゥラス伯爵家のリーハイムとセランジュ、トゥラン伯爵家のリフレイアと従者の三名、バナーム伯爵家のアラウトとサイとカルス――それに、南の王族デルシェア姫といった面々だ。つい二日前にも挨拶をさせてもらった顔ぶれであるが、誰もが温かく俺たちを迎えてくれた。
「アイ=ファ……すごくきれい」
と、オディフィアも人形のごとき無表情を保ちながら、星のようにきらめく灰色の目でぱちぱちとまばたきをしていたものである。とりわけ貴婦人の方々は、アイ=ファの美しさに感銘を受けたようであった。
「さっきの芸は、見事なもんだったな。あらためて、あんなギバと真正面からやりあってる森辺の狩人の物凄さを実感させられたよ」
そんな風に語っていたのは、リーハイムである。町の人間の大半は、《ギャムレイの一座》の見世物によって初めて生きたギバを目にしたのだった。
「アイ=ファ様は、本当にお美しいですね。やっぱりアスタ様の伴侶に相応しいのは、アイ=ファ様しか考えられません」
最後の車で待ちかまえていたデルシェア姫は、おひさまのような笑顔でそんな風に言ってくれた。
彼女はかつて俺などに心をひかれてしまったが、王族としての身分をわきまえ、余念なく調理の修練に邁進する――と、語っていたのである。そんな彼女がいつも通りの無邪気な笑顔で祝福してくれるのは、俺にとってありがたい限りであった。
「でも、実際に婚儀を挙げるのは夜になってからなのですよね? では、次にお目見えするときに、あらためて祝福を捧げさせていただきます。よければ晩餐会を開きますので、わたしのここ最近の修練の成果を味わってくださいませんか?」
「ありがとうございます。デルシェア姫の料理でもてなしていただけるだなんて、光栄です」
「ふふ。きっと城下町には、同じような話を目論んでいる方々がたくさんいらっしゃるはずですよ」
最後まで屈託のない笑顔で、デルシェア姫はそんな風に語っていた。
そうして三台の車を巡ったのちは、また広場の賑わいに身を投じる。
そこで接近してきたのは《銀の壺》のメンバーであり、今回はシュミラル=リリンも加わっていた。
「ああ、シュミラル=リリンもいらしてくれたんですね。わざわざありがとうございます」
「はい。夜の祝宴、待ちきれませんでした」
とても優しい笑顔で、シュミラル=リリンはそう言ってくれた。
「そして、ヴィナ・ルウ、エヴァ、招待してくれたこと、心より、感謝しています。家族、同じ喜び、分かち合える、至上、幸福です」
「はい。ヴィナ・ルウ=リリンを招待しないわけにはいきませんし、それならエヴァ=リリンだって同様です。こちらこそ、みなさんを招待できて嬉しい限りですよ」
すると、満足そうな眼差しで俺たちのやりとりを見守っていたラダジッドも声をあげた。
「我々、ジェノス、離れる前、婚儀、立ちあえたこと、幸福です。アスタ、判断、感謝しています」
「はい。婚儀を急ぐ理由はあっても、遅らせる理由はありませんでしたからね。《銀の壺》と建築屋のみなさんをお招きできるように、大急ぎで計画を立てたんです」
そこでアイ=ファが、「うむ?」とけげんそうな声をあげる。
その視線を追った俺も、目を丸くすることになった。こちらに近づいてくるのは、プラティカとニコラとアリシュナであったが――その背後に、雲を突くような大男の一団を引き連れていたのだ。
「アスタ。ゲルド、輸送の部隊、本日、到着しました」
プラティカに説明されるまでもなく、それはゲルドとジェノスの交易を担う一団であった。総勢は二十名の、ゲルドの武官で構成された魁偉なる一団である。
「アスタ、婚儀、想定外です。取り急ぎ、トトスと車、城下町、預けて、参上しました」
その一団の責任者たる人物が重々しい声で語りながら、一礼する。アルヴァッハに負けないぐらい立派な体格をした、ひときわの巨漢だ。数ヶ月ぶりに対面した彼は、いくぶん西の言葉が流暢になったようであった。
「まさか、婚儀の当日にゲルドの一団までやってくるとはな。これでは占星師でなくとも、何かの運命を感じてしまうところだ」
シン・ルウ=シンがそんなつぶやきをこぼすと、まだ俺やアイ=ファと目を合わせようとしないアリシュナが静かに声をあげた。
「偶然、それのみ、ありません。東方神、祝福、授けているのでしょう」
「うむ? それはどういう――?」
シン・ルウ=シンが反問しかけたとき、ゲルドの一団の背後から新たな人影がふわりと進み出た。
こちらは明らかに、ジギの民だ。《銀の壺》と同じく長身痩躯にマントを纏ったその人物は、毅然とした所作でフードをはねのけた。
「おひさしぶりです、アスタ、アイ=ファ。それに、シュミラル=リリン。《黒の風切り羽》の団長、ククルエル=ギ=アドゥムフタンです」
「ク、ククルエル? そちらも今日、ジェノスに到着したのですか?」
「はい。森辺の民の屋台が開かれていなかったために落胆しているところで、ゲルドの方々と遭遇いたしました。そうして我々が悲嘆の思いを分かち合っていると、通行人の御方が声をかけてくださったのです。まさか、シムから婚儀のお祝いに駆けつけたのか、と」
ククルエルは誰よりも流暢な西の言葉で、そんな風に説明してくれた。
態度は堂々としているし、切れ長の目には行商人と思えないほど鋭い輝きが灯されている。それでいて、温和かつ理知的な気性をしているというのが、ククルエルという人物であった。
「ああ、そうか。ククルエルも最初の試食会に招待されていたから、ゲルドの方々を見知っているのですよね」
「はい。こちらの方々とは宿場町で時おり顔をあわせるぐらいでしたが、ゲルドの方々はひと目でそうと知れますので。……ともあれ、ご成婚おめでとうございます。僭越ながら、祝福を捧げさせていただきます」
ククルエルが指先を複雑な形に組み合わせつつ一礼すると、ゲルドの面々もそれに続いた。
《銀の壺》とククルエルとゲルドの一団はそれぞれ異なる道筋で出会った相手であり、誰もが遠方からジェノスに通っている身であるため、交流の度合いもさまざまである。しかし、俺にとって重要な存在であることはもちろん、三者の間にもそれぞれご縁が交錯しているのだった。
また、ククルエルは森辺に新たな街道を切り開いてはどうかと提案した張本人であるため、俺がシフォン=チェルの兄たるエレオ=チェルと縁を深める契機を作った存在であるとも言える。そしてのちにはシュミラル=リリンやヴィナ・ルウ=リリンを交えて《銀星堂》で会食をしたり、試食会の審査員に抜擢されたりと、わずかな滞在期間でさまざまな縁を結んでいた。
「……アスタ、下りの三の刻まで、留まる、聞きました。そちら、真実ですか?」
ゲルドの責任者の問いかけに「はい」と応じると、重々しいうなずきが返された。
「では、屋台の料理、食したのち、再び、挨拶、願います。非礼、謝罪いたしますが、我々、空腹であるのです。屋台の料理、期待して、誰もが、朝から、食事、こらえていたのです」
「謝罪だなんて、とんでもない。どうか屋台の料理を味わって、同じ喜びを分かち合ってください」
「ご温情、感謝します」
岩の彫像めいた無表情を保持しつつ、ゲルドの一団はいっせいにきびすを返す。それに合わせて、ククルエルも「では」と身をひるがえした。
それでプラティカとニコラも案内人よろしく同行したが、アリシュナだけは居残っている。
そしてアリシュナはしずしずと移動すると、シュミラル=リリンの背後にそっと身を隠した。
「お前は、まだ羞恥をこらえられぬのか?」
アイ=ファの苦笑まじりの問いかけに、アリシュナは「……はい」と小さな声で答える。
「シュミラル=リリン、申し訳ありませんが、壁、役割、お願いします」
「はい。事情、不明ですが……身、触れなければ、了承します」
シュミラル=リリンは優しい眼差しで、そのように答えた。たしか《銀星堂》の会食ではアリシュナも同席していたし、それ以降も祝宴やら何やらで顔をあわせる機会があったのだ。シムから追放されたアリシュナに、シムを捨てたシュミラル=リリンという、複雑な立場にある両名であった。
「確かに、運命、感じます。神々、両名、祝福、捧げているかのようです」
《銀の壺》の最年長の団員の言葉に、俺は思わずドキリとする。俺はつい先日、四大神から祝福され、大神アムスホルンに呪われる存在であると言い渡されたところであったのだ。
しかし俺は、すぐに肩の力を抜くことになった。
神々の思惑がどうであろうと、人の身でそれを見抜くすべはないのだ。偶然を運命と置き換えたところで、俺が抱く喜びの思いにはいっさい関わりがないのだった。
「ちょいと失礼するよォ。アタシらも、ご挨拶をさせてもらえるかァい?」
と、軽妙なる童女の声が、横合いから響きわたる。
そちらに目をやったアイ=ファは、「ああ」と嬉しげに目を細めた。
「ピノよ、ナチャラを案内してくれたのか」
「あァ。このボンクラにも、ひと言ぐらいは挨拶をさせておこうと思ってさァ」
ピノの隣に控えていた妖艶なる美女が、恭しげに一礼する。東の民――というよりは、森辺の民のように褐色の肌をした、笛吹きのナチャラである。
さらに、両名のかたわらには傀儡使いのリコとベルトンとヴァン=デイロも控えている。しかしこちらは序盤で挨拶だけはさせてもらっていたので、俺もアイ=ファもまずは初の対面となるナチャラをお相手することにした。
「ナチャラよ。あまり多くは語れぬが、そちらの助力のおかげもあって、アスタは苦難を乗り越えることがかなった。ファの家長として、心よりの感謝を捧げたい」
「いえ。わたしはピノの言いつけに従ったまでですので、お礼の言葉は不要です」
ナチャラは礼儀正しいが、内心はまったくうかがえない。しかし《ギャムレイの一座》の座員は、過半数がそういう気質であるのだ。人間らしさを表に出すのは、ピノとロロと吟遊詩人のニーヤ、あとは獣使いのシャントゥぐらいのものであった。
「それでもやっぱり、ナチャラにも感謝しています。その節は、どうもありがとうございました。それに、今日も広場まで出向いてくれて、そちらもありがとうございます」
ナチャラはゆったりと微笑んだまま、「はい」としか答えない。
ピノは肩をすくめると、ナチャラの肉感的な臀部を撫でるように軽く叩いた。
「ああもう愛想のかけらもなくって、イヤんなっちまうねェ。じゃ、そういうことで、お世話さァん」
「あれ? もう行ってしまうんですか?」
「この後にもういっぺんぐらいでかい見世物をする算段だから、それまではくつろがせていただくよォ。アタシらは、場を盛り上げるのが仕事だからねェ」
そう言って、ピノは赤い唇でにんまり微笑んだ。
「あと、ぼんくら吟遊詩人は人様の花嫁にも嬉々としてちょっかいを出すような性悪だから、他の連中に見張らせてるよォ。今日は最後まで挨拶もないはずだから、どうかご了承くださいなァ」
「うむ。かさねがさね、ピノの配慮に感謝する」
「ふふン。ぼんくらどもの手綱を握るのが、アタシの仕事だからねェ。まったく、因果な身の上だよォ」
ピノとナチャラの派手な姿が、人混みの向こうに溶けていく。
すると、シュミラル=リリンの陰に隠れたアリシュナが「……傑物です」とつぶやいた。
「彼女、稀有、存在です。星、激しく、躍動し、その軌跡、読み解く、困難です」
「それは、ピノのことか? 何も頼まれていないのだから、むしろ捨て置くべきであろうが?」
アイ=ファが静かに言葉を返すと、アリシュナはまた小さく縮こまった。
「私、安心、得たのみです。星読み、困難な相手、チル、安らぎ、成りえるでしょう」
「そうか。しかし、それもまた、あまり大きな声で語る内容ではなかろうな」
「……申し訳ありません。羞恥、心、乱しています」
アイ=ファは苦笑をこらえているような面持ちで、リコたちのほうに向きなおる。こちらもまだ、挨拶ていどの言葉しか交わしていなかったのだ。
「リコたちは、我々が森辺に戻った後に傀儡の劇を見せるのだという話であったな。何も問題が生じないように祈っているぞ」
「はい。劇を見せるかどうかは、町の方々次第ですが……きっと喜んでいただけるのではないかと考えています」
笑顔でそのように答えてから、リコはいくぶんもじもじとした。
「わたしたちは、みなさんにご迷惑をかけるばかりでしたので……お二人の婚儀で少しでも花を添えることができたら、嬉しく思います」
「迷惑? リコたちに迷惑をかけられた覚えはないよ?」
「でも、傀儡の劇でアスタの名が広まれば広まるほど、厄介な事態を招いてしまうみたいですし……この前の王都の一団だって……」
これは何か誤解があるようだと思い至り、俺は腰を据えて説明することにした。
「それは違うよ。王都の方々は俺が『星無き民』であることを忌避して、王宮に迎えたいという申し出を取り下げることになったんだ。今回は、むしろリコたちのおかげで状況が好転したようなものなんだよ」
「うむ。あの傀儡の劇から『星無き民』などというものを連想する人間はごくわずかなのであろうが、その内のひとりがシムの王子ポワディーノであったわけだからな。あちらにしてみれば、看過できない影響力であると判じたのであろう」
アイ=ファも言葉を重ねながら、やわらかい眼差しでリコを見返した。
「リコたちの劇がポワディーノを招き寄せたのも、それが理由の一端となって王都の者たちが申し出を取り下げたのも、すべて必然であったに違いない。そして、いずれにおいてもそれはジェノスに小さな騒ぎをもたらしたが、すべては望ましい形に収まったのだ。私はリコたちがあの劇を作りあげたことも、我々に正しき道を示してくれたのだと考えているぞ」
すべての現象は、複雑に折り重なっている。そしてその末に、俺は『星無き民』の呪縛から解放され、今日という日を迎えることになったのだ。アイ=ファもそれを痛いぐらいに理解しているからこそ、こんなにも優しい眼差しでリコをなだめているのだった。
「そら見ろ。俺たちはありのままの事実を世間に触れ回ってるだけなんだから、文句をつけられる筋合いなんざねーんだよ」
いつも威勢のいいベルトンが口をとがらせながら、リコのほっそりとした肩を小突く。リコは目もとに浮かんだものをぬぐってから、あらためて無垢なる笑みをたたえた。
「ありがとうございます、アイ=ファにアスタ。わたしはこれからも、お二人の輝かしい生を世の中に伝えさせていただきます」
「うむ。まあ、あらためてそのように言われると、私は羞恥を覚えてしまうのだがな」
「あはは。わたしとしては、お二人の婚儀も傀儡の劇の第四幕として仕立てあげたいぐらいです」
アイ=ファはまた苦笑をこらえるような面持ちになりつつ、無言のヴァン=デイロを振り返った。
「ヴァン=デイロよ。あなたにも我々の婚儀を見届けてもらうことができて、喜ばしく思っている。どうかこれからも健やかに過ごして、リコとベルトンを守ってもらいたい」
「うむ。ベルトンがいっぱしの腕を身につけるまでは、わしもうかうかと魂を返すことはできんのでな」
老剣士ヴァン=デイロは静謐な表情を保ちつつ、どこか孫娘を見るような眼差しになる。アイ=ファとヴァン=デイロはおたがいに、剣士としての力量と生きざまに敬意を払っているのだ。ヴァン=デイロのほうがどうだかはわからないが、アイ=ファが町の人間にそういった思いを抱くのは稀な話であるのだった。
しかしおたがい多くを語る気質ではないため、こういった場で顔をあわせても話が弾むわけではない。ただこうして穏やかな視線を見交わし、気持ちを伝え合っているのだ。あまり周囲には知られていないが、アイ=ファにとってヴァン=デイロはずいぶん特別な存在であるのだった。
「あ、他の方々も挨拶に来られたようですね。わたしたちは、いったん失礼いたします」
と、リコがくりくりの巻き毛に包まれた頭を下げて、きびすを返す。
ベルトンとヴァン=デイロがそれに続くと、「おおい!」と元気な声が響いた。
誰かと思えば、建築屋のメイトンである。そして、おやっさんとアルダスも同行していた。
「アスタたちは、また東の連中と絡んでたのか! だったら不公平のないように、俺たちも絡んでやらないとな!」
今日の仕事を休業にしたということで、メイトンは思うさま酒が入っている様子である。ただその顔は、ひたすらに朗らかであった。
「おっと、そっちはシュミラル=リリンだったのか。ギバの毛皮を纏っていても、古巣に戻ると見分けがつかないぐらい馴染んじまうな」
アルダスの陽気な笑顔に、シュミラル=リリンも「はい」と穏やかな笑顔を返す。
すると、メイトンが「うん?」と眉をひそめながらシュミラル=リリンの背後を覗き込んだ。
「なんでまた、東の娘さんがひっついてるんだよ? まさか、浮気じゃないだろうな? ヴィナ・ルウ=リリンを泣かせるような真似をしたら、俺たちが黙っちゃいないぞ」
「はい。ヴィナ・ルウ、裏切らない、すべての神々、誓います」
やわらかな笑顔はそのままに、シュミラル=リリンはそのように答えた。
「そして、ヴィナ・ルウ、思いやってくれること、感謝します。ジェノス、再び、訪れたとき、どうか、リリンの家、いらしてください」
「って言っても、次の復活祭ではお前さんもまだ戻ってないんだろう? あんな伴侶と可愛い赤ん坊を残して半年も家を空けるなんざ、まったく気が知れないな!」
メイトンもすぐに陽気な笑顔を取り戻して、酒杯を掲げる。
それを横目に、おやっさんがさりげなく俺に近づいてきた。
「まったく、騒がしいことだ。お前さんがたが切り上げる頃には、何人もの人間が酔いつぶれていそうだな」
「あはは。そんなに盛り上がってもらえるのは、ありがたい限りです。……俺もみなさんを見送る祝宴では、また一緒にお酒を楽しませてください」
「余計なことに頭を回す必要はない。今日は今日のことだけを考えておけ」
そう言って、おやっさんは優しく目を細めてくれた。
アイ=ファにとってヴァン=デイロが特別な存在であるように、俺にとってはバランのおやっさんが特別な存在であるのだ。
もしも町の人たちにも付添人をお願いできるとしたら、俺は迷わずおやっさんを指名していただろう。おやっさんとミラノ=マスとドーラの親父さんの三名は、俺にとって等しく大切な存在であり――そして、俺の父親と同世代の人々でもあったのだった。
なおかつおやっさんはふとした瞬間に、息子を見るような目つきで俺を見ることがある。
だから余計に、俺はおやっさんに父親の像を重ねてしまうのだろう。俺の本当の父親は豪快かつ騒がしい人間であるため、どちらかというと他のジャガルの面々のほうが共通点は多いぐらいであったのだが――こんなに優しい眼差しで俺を見つめてくれるのは、おやっさんだけであったのだった。
「それにしても、まだ下りの二の刻にも至っていないというのは、信じ難いほどだな。これで夜には祝宴の本番を控えているなど、気の遠くなりそうな話だ」
おやっさんがしみじみとつぶやいたので、俺は「そうですね」と笑顔を返した。
「でも、こんなに幸せな心地なのですから、どうということもありません。森辺に戻る刻限になったら、名残惜しくてしかたないでしょうしね」
「ふん。こんな立派な花嫁を侍らせながら、贅沢を抜かすな」
おそらくは豊かな髭の下に温かい微笑をたたえながら、おやっさんは俺の胸もとを小突いてくる。
その優しい感触で、俺は思わず本日初めての涙をこぼしてしまいそうだった。




