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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼
1700/1705

宿場町の披露宴⑤~熱と力~

2025.11/28 更新分 1/1

 俺とアイ=ファはしばらく荷車の駐車スペースで、腹と心を満たすことになった。

 俺とアイ=ファに限っては、屋台の料理も食べ放題であったのだ。それで俺たちはとりあえず八台の屋台からふた品ずつ運んでいただき、食べきれない分はジバ婆さんたちに分け与えながら昼食のひとときを過ごしたのだった。


 いちおう懇意にしている相手とは、ひと通り挨拶を済ませている。

 それで、昼食の時間はゆったりと過ごすことができたわけであるが――そこに姿を現したのは、貴族の従者たる面々であった。


「アスタ様、アイ=ファ様! ご結婚、おめでとうございます! 心より、祝福の言葉を捧げさせていただきます!」


 一同を代表してそんな声をあげたのは、ダレイム伯爵家の侍女たるシェイラである。その左右に並んでいるのは、ニコラの姉たるテティア、シフォン=チェル、サンジュラ、そしてバナーム城の料理番たるカルスという顔ぶれであった。


「ありがとうございます。みなさん、屋台の料理を買いにいらしたのですか?」


「はい! その前に、祝福を捧げる時間をいただくことがかないました!」


 そのように語るシェイラはいつになく昂揚しており、その目は一心にアイ=ファを見つめている。そして最後には、涙まで浮かべ始めた。


「アイ=ファ様は、本当にお美しいです……城下町の如何なる宴衣装でも、今のお美しさにはかなわないでしょう……アイ=ファ様、おめでとうございます……」


「うむ。シェイラがそうまで心を乱す必要はないように思うが、祝福の言葉に感謝する」


 シェイラはそこまでアイ=ファと深い関わりがあるわけではなく、ただアイ=ファの美しさに魅了されているのだ。

 ただし、そのキャリアは筋金入りである。彼女が初めてアイ=ファの着付けを手伝ったのは、リフレイアに誘拐された俺を救い出した日であったのだった。


 トゥラン伯爵家に潜入するために、アイ=ファはシムの豪商の娘になりすますことになった。そのための衣装を、ポルアースが準備してくれたのだ。それがどれだけ美しい姿であったかは、俺も晩餐会の場で見届けていた。


(それであの日に、ムスルがアイ=ファに投げ飛ばされたんだっけ)


 そのムスルは、きっとトトス車でリフレイアのもとに控えているのだろう。シフォン=チェルとサンジュラは、それぞれゆったりと微笑んでいた。


「おっ、あんたはトゥランのお姫さんの侍女さんだね。こんなところで会えるとは思ってなかったよ」


 まだこちらでともに騒いでいた建築屋の面々の中から、アルダスが陽気な声を投げかける。シフォン=チェルは、優美きわまりない仕草で一礼した。


「建築屋の副棟梁、アルダス様ですね……どうも、ご無沙汰しております……」


「なんだ、俺なんかの名前を覚えてくれてたのかい? そいつは、光栄なこったね」


 アルダスが嬉しそうに笑うと、建築屋の若衆が血相を変えて身を乗り出した。


「お、おい! どこでこんな別嬪さんをひっかけたんだよ?」


「あん? お前らだって、どこかで顔をあわせてるはずだぞ。そら、竜神の王国の連中がらみで、トゥランのお姫さんと祝宴をご一緒したろ。あのお姫さんの、侍女さんだよ」


「え? それじゃあ例の、デルスのところで働いてるやつの妹さんかい?」


 シフォン=チェルは、そちらの方面でも建築屋の面々とご縁を持っているのだ。

 シフォン=チェルがたおやかに微笑んでいると、もともと酒気で赤らんでいた若衆の顔がいっそう赤くなった。


「そ、そうかそうか! 明るい日の下で見ると、また印象が変わるもんだね! 侍女どころか、貴族のお姫さんみてえだ!」


「おいおい。貴族様の侍女さんに、おかしなちょっかいをかけるんじゃねえぞ。同じ南の民でも、あちらさんはジェノスの城下町で暮らしてるんだからな」


 アルダスは若衆の頭を小突いてから、シフォン=チェルに笑いかけた。


「邪魔しちまって、悪かったな。こっちのことは気にしないで、アスタたちを祝福してやってくれよ」


「ありがとうございます……アスタ様、アイ=ファ様、あらためまして、ご成婚おめでとうございます……」


 シフォン=チェルとは二日前にも祝宴で顔をあわせているが、あの日は侍女として身をつつしんでいたのだろう。その紫色に瞳には、穏やかながらも明るい光が灯されていた。


「わたくしなどがお声をかけるのは、恐縮の限りですが……陰ながら、お二人の幸せを祈らせていただきます……」


「うむ。祝福の言葉、感謝する。私はさして口をきく機会もなかったが、そちらはアスタとひとかたならぬ縁であったからな」


 アイ=ファもまた、穏やかな眼差しと言葉を返す。俺が誘拐されたとき、世話役のシフォン=チェルが心の支えであったことは告げてあるので、アイ=ファも彼女に感謝の思いを抱いているのである。


 引っ込み思案のカルスやつつましさの極致であるテティアも、それぞれ温かな目でこちらのやりとりを見守ってくれている。その眼差しだけで、俺は心からの祝福を授かったような気分であった。


「それで、お前は無言のまま立ち去るのか?」


 そんな声をあげたのはチム=スドラであり、その目が見据えているのはサンジュラである。サンジュラはいくぶん恐縮した様子で微笑みつつ、一礼した。


「あなた、スドラ、家人ですね。ライエルファム=スドラ、よろしく、お伝えください」


「家長ライエルファムのことよりも、今はアスタたちに気を向けるべきであろうな」


 サンジュラはずいぶん昔に、ライエルファム=スドラからお説教をくらったことがあるのだ。それ以降、あまり顔をあわせる機会がなかったためか、サンジュラはいまだに恐縮しているようであった。


 そして、ルド=ルウやシン・ルウ=シンは無言のまま、そんなサンジュラのことを見守っている。こちらはかつて目の前で俺を誘拐されたため、サンジュラに複雑な思いを抱いていた両名であるのだ。しかしもちろん、そんな心情もこの三年ばかりですっかり解消されていた。


(本当に、あちこちで色んな縁が紡がれてるよな)


 俺がそんな感慨にひたっていると、「あーっ!」という元気な声が響きわたった。


「シフォン=チェルに、サンジュラじゃん! それに、建築屋の人らも集まってるし、ちょうどいいところに出くわしたみたいだねー!」


 誰かと思えば、ディアルとラービスである。そういえば、彼女たちはまだ顔を見せていなかったのだった。


「やあ、ディアル。いま来たところなのかな?」


「うん! 思ってたより、商談が長引いちゃってさ! おー、今日はアスタも男前じゃん!」


 そんな風に言ってから、ディアルは愕然と目を見開いた。


「うわ……アイ=ファは、それどころじゃないね!」


「うむ? それどころじゃない、とは?」


「びっくりするぐらい、綺麗ってことさ! 森辺の宴衣装は見慣れたつもりだったけど、やっぱり花嫁衣裳は格別だね!」


 ディアルは輝くような笑みを広げて、アイ=ファのもとに駆けつけた。

 少し前までは長くのびた髪を首の後ろで無造作に束ねていたが、いよいよロングヘアーの域に達したためか、最近はアップにまとめあげている。そんなディアルがエメラルドグリーンの瞳をきらきらと輝かせながら、アイ=ファの姿を上から下まで検分した。


「うん! すごいね! あんたは立派な花嫁だよ! アスタと、どうかお幸せにね!」


「うむ。度重なる祝福の言葉、感謝する」


 アイ=ファがゆったりと答えたとき、周囲の人々がどよめいた。


「あ、そうだ。ちょうど城門で出くわしたから、あの人らと一緒に来たんだよねー」


 人垣が割れて、その人々の姿をあらわにした。

 誰かと思えば、《銀星堂》の面々である。それでどうして人々がどよめいたかというと――その中に、奇怪な姿をしたヴァルカスが加わっていたためであった。


「騒がせちまって、申し訳ねえな。どうしても、師匠が同行するって言い張るもんだからよ」


 ロイが溜息まじりに告げると、横合いから別なる人物が進み出た。革の甲冑を纏った若き衛兵、小隊長のマルスである。


「おい。こやつは森辺の民と懇意にしている城下町の料理人であるそうだが、それで間違いはないか?」


「は、はい。こちらはヴァルカスといって、貴族の方々の覚えもめでたい高名な料理人です」


「……そうか。それならそれで、あまり人心を騒がせないでもらいたいものだな」


 マルスは、仏頂面で引き下がる。その間も、周囲の人々はまだどよめいていた。

 きわめて繊細な体質をしたヴァルカスが埃っぽい宿場町に出るには、それ相応の支度が必要になるのである。それはすなわち、防塵のマスクをかぶることであった。


 おおもとになるのは調理の際にも使用している白覆面で、丸く開けられた目もとには硝子の円盤が縫いつけられており、口もとにはニワトリの肉垂を思わせる袋がだらりと下がっている。その袋の先端部は細かい網目になっており、ヴァルカスが呼吸をするたびにフシューフシューと呼気がもらされるのだった。


「まことに申し訳ありませんな。ヴァルカスは先日の祝宴でもアスタ殿に祝福の言葉をかけそびれてしまったため、ずっと心残りであったようです」


 ボズルが眉を下げながら言葉を重ねると、覆面姿のヴァルカスがゆらりと進み出る。そしてヴァルカスは俺の耳もとに顔を寄せて、こう言った。


「アスタ殿、ご結婚おめでとうございます。また、アスタ殿がジェノスに留まることを許されて、心から喜ばしく思っています」


 その声も、ひどくくぐもっている。そのために、こうまで接近しているのだ。

 そうしてヴァルカスはすみやかに身を引くと、深々と一礼したのちに身をひるがえした。


「あ、あれ? どこに行かれるのですか?」


 俺が呼びかけると、ヴァルカスではなくタートゥマイが答えた。


「食材の研究がありますので、わたしどもはこれにて失礼いたします。どうぞ、よき日をお過ごしください」


 それだけ言って、タートゥマイはヴァルカスを追いかけていく。

 俺が呆然としていると、口もとに襟巻を巻いたシリィ=ロウが毅然と声をあげた。


「ひとことご挨拶を申し上げるためだけに、ヴァルカスはわざわざ宿場町まで参じたのです。どうかヴァルカスの厚意に報いていただきたく思います」


「は、はい。俺はどのように報いるべきでしょうか?」


「……アスタは先日の祝宴で、新たな魚介かれーを供していましたね? 参席者ならぬわたしたちは、それを口にすることを許されませんでした。ヴァルカスは、ずっとそれを嘆いていたのです」


 シリィ=ロウの眼光に、ぐっと力が込められる。

 いっぽう俺は、心からの笑顔を返すことになった。


「わかりました。近日中に、お望みの品を準備します。申し訳ありませんが、シェイラに届けていただいてもかまいませんか?」


「はい! なんでもおまかせください!」


 まだアイ=ファの花嫁衣裳にうっとりと見とれていたシェイラが、明らかに脊髄反射で返答する。まあ、アリシュナにカレーを届ける日にお願いすれば、きっとこのやりとりを思い出してくれるだろうと期待をかけるしかなかった。


 それよりも、俺はヴァルカスの行いに心を震わせてしまっている。たったひとことの挨拶を告げるために、ヴァルカスはあんな重装備でここまで出向いてくれたのだ。その常軌を逸した行いが、俺に感銘を与えてやまなかったのだった。


(ヴァルカスこそ、なかなか内心が読めないお人だけど……そんなに俺のことを思ってくれてるんだな)


 俺がそんな思いにひたっていると、ロイがあらためて語りかけてきた。


「ということで、結婚おめでとさん。さすがに今日は花嫁さんに負けないぐらい、気張った格好じゃねえか」


「あはは。アイ=ファの隣では、ささやかものですけどね」


「婚儀の主役は花嫁さんなんだから、それぐらいでちょうどいいんだよ。その立派な勲章だけで、十分なぐらいさ」


 ロイは笑いながら、俺の肩を小突いた。

 そんな中、アルダスはボズルに笑いかけている。


「ああ、今度はあんたか。さすがアスタの婚儀ともなると、色んなお人が大集合だな。よかったら、一緒に酒を酌み交わそうぜ」


「それはなかなかに、あらがいがたい誘惑でありますな」


 南の民には珍しい大柄な二人が、陽気な笑顔を見交わす。

 するとそこに、第三の人物まで現れた。


「おお、騒がしいと思ったら、やっぱりここだったかあ。わあ、こいつはすげえ花嫁さんだあ」


 アルダスとボズルに負けないぐらい大きな図体をした、ワッズである。当然のこと、そのかたわらにはミソ売りの商人デルスも控えていた。


「ようやく到着しおったか。こんな日にも、大物を気取らんと気がすまんのだな」


 静かに酒を楽しんでいたバランのおやっさんが文句をつけると、デルスは「うるせえなあ」とにやにや笑った。


「こっちは、仕事のために滞在してるんでね。人様の婚儀で仕事を二の次にできるほど、裕福でも気ままでもねえんだよ」


「ぬかせ」と、おやっさんは顔をしかめる。それほど深刻にいがみあっているわけではないものの、二人の兄弟仲は相変わらずであった。


「デルス様、おひさしぶりでございます……いつも兄からの手紙をお届けくださり、ありがとうございます……」


 と、シフォン=チェルはつつましい顔に喜びの思いをにじませながら、デルスに微笑みかける。そんなシフォン=チェルに、デルスは「よう」と気さくに応じた。


「お前さんの兄貴はひときわよく働くんで、こっちも助かってるよ。長い休みが取れるようだったら、たまには顔でも出してやりな」


「ふん。だったら、お前が兄貴に休みをくれてやればいいだろうが」


「うるせえな。大事な戦力だからこそ、そうそう長い休みなんざ与えられねえんだよ」


 デルスにシフォン=チェルにバランのおやっさんまで入り乱れて、なかなかの賑やかさである。それぞれ個別に繋がりを持つ三者がこうして集結するのは、あまりない話であった。


 なおかつ彼らは俺にとっても、個別のご縁を持つ相手であるのだ。

 屋台の商売で出会ったおやっさんに、誘拐騒ぎでお世話になったシフォン=チェル、そして屋台の評判を聞き及んでミソを売り込みに来たデルス――出会った時期も出会い方も、さまざまだ。そんな三人がファの婚儀という同じ熱気の中に身を置いていることが、俺にとっては大きな喜びであり――そして何だか、この三年余りの軌跡を再確認させられているような心地をもたらすのだった。


「あっ、そちらはシリィ=ロウ……ですよね?」


 と、また新たなご縁を持つ人物がやってきた。

 ユーミ=ランの悪友にしてダレイム伯爵家の侍女、ルイアである。本日も休みをもらえた彼女は私服の姿であり、ベンやカーゴたちを引き連れていた。


「ユーミ=ランからシリィ=ロウに、言伝があるそうです。わたしも森辺の方々からの又聞きなのですけれど……今日は宿場町に下りることができないので、またお会いできる日を楽しみにしているとのことです」


「え? ど、どうしてあの御方が、こんな日にいらっしゃらないのですか?」


 シリィ=ロウが惑乱した様子で周囲を見回したので、俺が答えることにした。


「ユーミ=ランは屋台の当番でもないので、夜の祝宴の準備を受け持つことになってしまったんです」


「そ、そうなのですか? でも、あの御方はあなたと深いご縁をお持ちなのでしょうし……もともとは、宿場町のお生まれではないですか」


「はい。でも、つい十日前にもレイの婚儀を見物したので、今回は自重するそうです。今日はレイナ=ルウやユン=スドラも祝宴の取り仕切り役で、こちらには来ていないのですよ」


 シリィ=ロウは愕然と立ちすくみ、ロイは「へえ」と感心したような声をあげた。


「でも、そうか。森辺の人らにとっては、夜の祝宴が本番なんだもんな。力のある人間ほど、そっちに割り振られるんだろうしよ」


「レイナ=ルウとユン=スドラは取り仕切り役なので、そういうことになりますね。でも、それ以外のかまど番は戦力が偏らないように組分けされているはずですよ。屋台の商売だって、二の次にはできませんからね」


「そうかそうか。ま、この先いくらでも顔をあわせる機会はあるだろうから、そんな落ち込むなって」


 ロイが気安く肩を小突くと、シリィ=ロウは目の周囲を赤らめながらいきりたった。


「べ、別に落ち込んだりはしていません! ただ、意外に思っただけのことです!」


「うんうん。レイナ=ルウたちはこの前も会ったけど、ユーミ=ランはなかなか機会もないもんな。そんなに寂しいんだったら、またこっちから森辺に乗り込んでやろうぜ」


「だ、だから、寂しがってなどいません!」


 シリィ=ロウは子供のようにムキになって、ロイの背中をぽかぽかと叩く。その姿に、ベンたちが笑い声をあげた。


「そちらさんも、相変わらずだな! アスタたちを見習って、いい加減にくっついちまえよ!」


「い、いきなり何を仰るのですか! これは、不出来な弟弟子です!」


「なんでもいいから、楽しもうぜ! そっちはまだ何にも食ってねえんだろ? 俺たちもまだ食い足りねえから、屋台に並ぼうぜ!」


 すると、アルダスもボズルに笑いかけた。


「俺たちも酒ばっかり口にしてたら、酔いが回っちまいそうだ。そろそろ屋台に出向くとするかな」


「では、我々もご一緒させていただきましょう。参じたばかりで失礼ですが、アスタ殿らはまたのちほど」


 続々と集まった人々が、今度は屋台に向かうようである。腰を据えているのは、さきほど料理を調達したダレイムの面々のみであった。

 そちらはジバ婆さんを中心にして、ルウの血族の面々と温かな空間を築いている。そのさまに優しげな視線を向けてから、アイ=ファは俺に向きなおってきた。


「我々の腹ごしらえは、もう十分であろう。まだ挨拶をしていない屋台の面々に声をかけるべきではないか?」


 ファの屋台のメンバーは出立の際に挨拶をしていたが、ルウの屋台のメンバーには顔をあわせていない相手も多かったのだ。夜の祝宴で顔をあわせるとはいえ、屋台の料理も頂戴したのだから、挨拶は必要なはずであった。


「おー、アスタたちも移動すんのか? じゃ、俺たちも出発だなー」


 歓談の場から、ルド=ルウとリミ=ルウとシン・ルウ=シンも抜け出してくる。そしてリミ=ルウは、ターラの手をしっかり握りしめたままであった。

 ずっと俺たちのそばに控えてくれていたサリス・ラン=フォウとチム=スドラとイーア・フォウ=スドラも含めて、九名連れで移動する。その行き道でも、さまざまな人々が祝福の言葉を投げかけてくれた。


 屋台は相変わらずの混雑であるので、俺たちは裏側から回り込む。

 端の屋台に陣取っていたのは、トゥール=ディンとリッドの女衆であった。


「やあ、お疲れ様。さっきは美味しい菓子を、ありがとう」


「あ、どうも。そちらこそ、お疲れ様です」


 トゥール=ディンはわたわたと慌てながら、頭を下げてくる。こちらの二人はファの家で合流した際にさらりと顔をあわせているので、お祝いの言葉はすでにいただいていた。


「あらためて、アイ=ファは素晴らしいお姿ですね。ついつい目を奪われてしまいます」


 と、リッドの女衆は陶然と目を細める。これは古株ではなく、新参の当番だ。しかしそれでも、すでに年単位のキャリアであった。

 古株の女衆はディンの家で、スフィラ=ザザとともに祝宴の下ごしらえに励んでいるのだ。また、ドムやジーンの女衆もそちらに割り振っており、こちらで食器の回収を受け持っているのはルウとサウティの血族およびダイとレェンの女衆などであった。


「今日はすごい人出だよね。これだと、菓子の屋台はずいぶん早く売り切れちゃうんじゃないかな?」


「そ、そうですね。アロウのまんじゅうは温めるのに時間がかかりますけれど、それでも普段よりは半刻近く早く売り切れてしまうかもしれません」


「もし手が空いたら、オディフィアに挨拶をしてあげたらどうだろう? きっとあの車の中で、そわそわしてるだろうからさ」


 俺の提案に、トゥール=ディンは「はい」とはにかんだ。


「アスタはこんな日にも、わたしやオディフィアを思いやってくれるのですね」


「それぐらいは、当然さ。俺たちも隙があったら、オディフィアたちに挨拶をさせてもらおうと目論んでいるからね」


「そうしたら、きっとオディフィアも喜びます」


 と、トゥール=ディンはいっそう嬉しそうな顔をする。トゥール=ディンこそ、自分よりもオディフィアの心情を気にかけているに違いなかった。


「それじゃあ、この後も頑張ってね。夜の祝宴も、楽しみにしているよ」


 あまり長居をすると商売の邪魔になってしまうため、俺たちはすみやかに移動する。

 ここからはルウの屋台で、最初に待ち受けていたのはララ=ルウとマァムの女衆であった。


「おー、アスタにアイ=ファ! やっぱり近くで見ると、すごい立派な姿だねー!」


 ララ=ルウは瞳を輝かせ、マァムの女衆は驚嘆に目を見開く。十日ほど前には、俺たちもこうしてレイの両名を迎えたのだった。


「アイ=ファがものすごいのは当然として、アスタも立派なもんじゃん! この前の肩掛けを持ち帰ってたのかー! その足にはいてるやつは……ちょっと見覚えがないかな?」


「うん。これは、俺が故郷から持ち込んだ品なんだよ。初めてルウ家に出向いた頃には、もう使わなくなってたんだよね」


「えっ」と、ララ=ルウはわずかにのけぞった。


「……そっか。その白い胴衣も、故郷の品を城下町で仕立てたんだっけ。でも、なんで今日になってそんな古い装束を持ち出したの?」


「足もとの包帯を隠すためと、婚儀に相応しい色合いだっていうのが、主な理由かな。俺は森辺の民になったけど、最初の故郷を忌避するつもりはないしね」


「……そっか」と、ララ=ルウは白い歯をこぼした。


「シュミラル=リリンだって、シムを忌避したりはしないもんね。それでも、もとの故郷に未練を持ったりはしないだろうしさ」


「もちろんだよ。だからこうして、気軽に着ることもできるのさ。……あとはまあ、これは親父の店の制服だったからね。俺を十七歳まで育ててくれた親父に対する、ちょっとした思い入れもあってのことかな」


「ああ、なるほどね。アスタの境遇って、あたしには理解しきれない部分も多いけど……悪い気持ちを引きずってないみたいで、よかったよ」


「うん。思い入れはあっても心残りはないから、心配は無用だよ」


 何せあちらには、もうひとりの俺が居残っているのだ。それならば、心残りを抱く筋合いもなかった。

 無論、親父や玲奈にもう二度と会えないのだから、寂しくないわけがない。しかし俺は、この地でアイ=ファたちと巡りあえたのだから――この上、親父たちの存在まで追い求めるのは、許されざる無いものねだりになってしまうはずであった。


「アイ=ファを伴侶に迎えておきながら、心残りなんて許されないからね。アスタを説教せずに済んで、何よりだったよ」


 そんな言葉で、ララ=ルウとの対話は締めくくられた。

 俺たちは、残る二台の屋台の面々とも言葉を交わす。そちらはいずれも、ルウの血族の女衆だ。古株であるのはミンの女衆で、あとはめきめき頭角をあらわしているルティム分家の女衆も参じていた。


 レイナ=ルウやマイムやツヴァイ=ルティム、それにレイナ=ルウの右腕的存在であるレイの女衆などは祝宴の準備を受け持っているので、きっとバランスは取れているのだろう。客足は弱まる気配もなかったが、どこにも不備は見当たらなかった。


 そして、食器を回収するメンバーの中にトゥランの商売を終えたガズとミームの女衆も入り交じっていたため、そちらとも挨拶を交わす。フォウのかまど小屋で下ごしらえをしていた彼女たちとは、まだ顔をあわせていなかったのだ。そちらの両名も心から感じ入った様子でアイ=ファの美しさを賞賛し、温かい祝福の言葉を届けてくれた。


「さて。それでは、この後は――」


 と、シン・ルウ=シンが言いかけたとき、広場の片隅から「キエエエェェェッ!」という怪鳥のごとき奇声が響きわたった。

 広場に集った面々はぎょっとした様子であったが、ルド=ルウたちは平然としている。今のは《ギャムレイの一座》の剣王ロロの雄叫びであるはずであった。


「あいつが昼間っから芸を見せるのは、珍しいなー。ちっと覗いてみるか」


 俺たちが広場の中央に足を向けると、人垣の向こう側にピノの姿がふわりと浮かびあがる。おそらくはドガが支えている棒の上に、ピノが飛び乗ったのだ。


「さァさ、みなサン、お立ち合いィ。この縄のこちら側に踏み入ったら、身の安全は受け持てないからねェ」


 俺たちからは見えないが、舞台を確保するために縄が張られているらしい。

 そして――地鳴りのような咆哮と悲鳴まじりの喚声が、同時に響きわたった。


 このたびは、ルド=ルウやアイ=ファまでもが咄嗟に身構える。しかしそれも、ものの数秒で解除された。


「なんだ、ギバまで出てきたのかよ。あいつら、大丈夫なのかー?」


「うむ。そういえば先日の祝宴で、リーハイムがギバの芸を見たいなどと言っていたな。それで許しを与えたのやもしれん」


 さらに複数の咆哮が響きわたり、人々はいっそうのどよめきをあげる。そしてこちらでは、リミ=ルウが瞳を輝かせていた。


「今のは、ドルイたちの声だね! リミも近くで見てみたーい!」


「しかたねーなー。アスタにアイ=ファ、了承をもらえるかー?」


「うん、もちろんだよ。こんな昼間の屋外で猛獣使いの芸を見られることなんて、そうそうないからね」


 俺たちが前進すると、それに気づいた人々が道を空けてくれた。

 向かう先には、丈夫そうな縄が張られている。その向こう側で躍動しているのは、まさしく《ギャムレイの一座》の猛獣たちであった。


 アルグラの銀獅子ヒューイ、ガージェの豹サラ、その子であるドルイ、名も知れぬ巨大なギバ――そして、ヴァムダの黒猿だ。ネコ科の猛獣は勇猛さと優美さをあわせもっているが、日の光のもとで見るギバと黒猿はとてつもない威圧感であった。


 その背後では、横並びになった座員たちが演奏を開始している。獣使いの老人シャントゥ、吟遊詩人のニーヤ、笛吹きのナチャラ、仮面の小男ザン、双子のアルンとアミンだ。そして、ドガが掲げた棒の上では、ピノも横笛を吹き鳴らしていた。


 そして、革の甲冑に全身を包んだ剣王のロロが、くねくねと踊りながら木剣を振りかざしている。迫力に満ちみちた舞台上で、その存在だけがユーモラスであった。


 時ならぬ猛獣たちの登場に、広場の人々はわきたっている。まだ恐怖や惑乱のどよめきが残されているようだが、それがいっそうの熱気に変じているようだ。


 かくして、剣王ロロと猛獣たちによる盛大な活劇が開始され――広場には、復活祭をも上回るような熱気と活力があふれかえったのだった。

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