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異世界料理道  作者: EDA
第九章 青の終わり
170/1675

⑧ガズラン=ルティム、かく語りき

2015.3/4 更新分 1/2

 本日の会談も、何とか無事に終えることはできました――と、ガズラン=ルティムは語ってくれた。


 森辺からの参加者は、6名。

 ドンダ=ルウ、ダリ=サウティ、グラフ=ザザの三族長と、ガズラン=ルティム、フォウの家長、ベイムの家長、という顔ぶれである。


 族長の供をする予定であったサウティとザザの男衆を、小さな氏族の代表者たちと入れ替えた格好だ。

 もともとこちらの人数は6名と通告してあったし、あちらは族長以外の人間の素性になどまるきり興味を持っていない様子であったので、このような顔ぶれに落ち着いたのだった。


 場所は前回と同じく、ジェノスの北側に広がる果樹園、トゥラン地区の一画にそびえたつ大きな館――サイクレウスの私邸のひとつである。


 木材よりも石材を多く使った、かなり立派で大きな建物であるという。

 その建物の大広間にて、森辺の族長たちは約束よりも早い時間からサイクレウスたちの到着を待っていた。


 約束の時間は、中天。

 まずはその刻限に至る寸前に、カミュア=ヨシュとメルフリードがやってきた。

 ふたりきりの来訪である。館の外にはお付きの兵士たちが控えているのかもしれないが、大広間にはその2名しか姿を現さなかった。


 カミュアはいつも通りのマント姿で、メルフリードも白革の武者姿である。

 館の入口で刀を取り上げられてしまう森辺の民とは異なり、やはり彼らは帯刀したままだった。


 そうして時間はのろのろと過ぎていき、城のほうから中天を告げる鐘の音色がうっすらと聞こえてきたとき――サイクレウスは、奥の扉から20名近い衛兵を従えて大広間に姿を現したのだと、ガズラン=ルティムはそのように語ってくれたのだった。


            ◇


「ふん……待たせてしまったようだな、各々方」


 そう言って、サイクレウスは革張りの大きな腰掛けに座りました。

 私たちは、部屋の中央に立っています。サイクレウスとともにやってきた衛兵たちは、自分の身長ほどもある槍を掲げたまま、その半数が左右と後方の壁に沿って立ち並びました。


 残りの半数、10名ばかりの衛兵を左右に従えた格好で、サイクレウスはまずメルフリードのほうに視線を向けます。


「まったく奇特なことであるな、メルフリード殿。貴殿にとっては、このような些事に関わることなど無為であろうに」


 明らかにメルフリードの同席を好ましくは思っていない様子です。


「私はいずれこのジェノスを統べねばならぬ身だ。さすればジェノスの安寧にまつわるこのたびの一件が些事とは思えぬのも道理であろう、トゥラン伯サイクレウスよ」


 メルフリードは、そのように答えました。

 私が彼と相見えるのは初めてのことでしたが、あれはなかなかの傑物であるようでしたね。


 屋内では兜を脱いでいましたので、その面相を確認することもできました。

 年齢は私よりも少し上なぐらいで、淡い褐色の髪をしており、すっきりと眉目の整ったその顔立ちは、たしかに貴族らしい風貌であったと思います。


 だけどあの灰色の目は――アスタたちから聞いていた通り、月の光のように冷たく、冴えざえと光っていました。


 戦士としての力量も、かなりのものであるのだと思います。

 いえ、私はアイ=ファやルド=ルウほどの眼力は備えておりませんので、確かなことはわかりません。ただ、相当な手練であるなと感じ取れるばかりです。


 ともあれ、サイクレウスです。

 サイクレウスは、メルフリードの言葉を聞くなり、にやにやと笑いだしました。

 サイクレウスは、いつでもそのように笑っている男なのです。

 おそらくは、笑うことによって感情を隠そうとしているのでしょう。


「そのジェノス侯マルスタインの第一子息たる貴殿が、薄汚い布きれなどで面相を隠し、町の人間に身をやつすなどとは、酔狂の極みと言う他ない。そしてそれは近衛兵団長としての裁量を越えた行いなのではないのかな、メルフリード殿よ?」


「耳の痛い話ではあるが、私は自分の仕事を打ち捨ててそのような真似に及んだわけではない。余暇の時間を何にあてようとも、それは私の自由であろう、トゥラン伯サイクレウスよ。……それよりも、これは森辺の族長らと言葉を交わすための場であるはずだ。まずは貴殿の仕事を果たされては如何か?」


 サイクレウスはいっそう顔を歪めて笑い、私たちのほうに向きなおりました。


 不気味な男です。

 何たび顔を合わせようとも、やはりその印象に変わりはありません。


 その身に纏っているのは、いかにも上等でありそうな装束です。薄くて肌触りの柔らかそうな真っ白の装束で、上から下まで1枚でつながっており、首と手足の先しか外に出ていません。うまく説明できませんが、首や腕には金属や石の飾り物などを下げておりますし、女衆の宴衣装のようにきらびやかな装いでありました。


 そういえば、その体格も女衆のように小さくて、痩せ細っているのです。やたらと頭が大きくて、いささかならず均衡を欠いているように見えるので、女衆というよりは子供のような体格、といったほうが適切でしょうか。


 肌の色は妙に青黒くて、目玉も常に血走っており、健やかならざる印象です。

 グラフ=ザザなどは彼のことを「老人」と呼んでいますが、年齢はそこまで重ねていないかもしれません。ただ、病人のように痩せ細り、健やかならざる肌の色をしているために、非常に年老いて見えるのです。


 しかし――色つやが悪く皺ぶかいその顔の中で、色の淡い目だけが炯々と光っています。


 私は、その目が苦手でした。

 有り体に言って、強い嫌悪感をかきたてられてしまうのです。


 理由はわかりません。

 族長たちなどは、「ズーロ=スンとそっくりの卑しい目つきだ」などと述べておりました。


 私もそれは同感です。

 ただ、それだけが理由ではないようにも思えます。


 私の胸に去来するのは、言葉の通じぬ獣とでも向き合っているような、奇妙なもどかしさ――そんな気持ちであったかもしれません。


 何にせよ、私たちがこのサイクレウスという人物を忌避してしまうのは、その横暴な物言いよりも、その目つきにこそ原因があるように思えてならないのです。


「それではお言葉に甘えて、面倒な仕事を片付けさせていただこうか。……森辺の族長よ、大罪を犯したスン家の人間たちの処遇は如何することに相成ったのかな?」


「俺たちの結論は、やはり変わらない。これ以上の罰が必要なのは、一族を誤った方向に導いたズーロ=スンのみであると考える」


 ダリ=サウティが、そのように答えました。

 ドンダ=ルウやグラフ=ザザは怒りや嫌悪の気持ちが先走ってしまうので、この日はダリ=サウティと私が中心となって言葉を交わす手はずになっていたのです。


 サイクレウスは、面白くもなさそうに笑いました。


「元の約定よりも長い時間が与えられたというのに、けっきょく貴殿らの頑なな心はほぐれぬままであるということか。これでは猶予を与えた甲斐もない」


「そんなことはない。俺たちは何日も考え、何度となく話し合い、より強い気持ちで今日という日に臨むことができた。そんな俺たちの出した結論が正しくないと言うのならば、より正しい言葉で俺たちを導いてもらいたいものと思っている」


 ダリ=サウティは、冷静でした。

 サイクレウスは、笑っています。


「我の考えは先日にも述べた通り、罪には罰をというその一言のみである。罪を犯すように命じた者と、命じられた者、その罰の重さが異なるのは自明であるが、それを判ずるのはジェノス城の法務官のみであろう」


「それは先日にも同じ話を伺った。しかし、森辺の集落における罪人については、森辺の民が自ら裁く権利が与えられているのではなかったのか? 本来であれば、俺たちが森辺の罪人をどう扱おうと、城の人間に文句をつけられる筋合いはないはずだ」


「それは貴殿たちの定めた森辺の掟というやつが、ジェノスの法よりも厳しい内容であったためだ。もしも貴殿たちが掟に従い、すべての罪人たちの頭の皮を剥いでいたならば、我らが口を差しはさむ余地もなかったであろう」


 サイクレウスは、ねっとりとからみつくような口調でそう述べました。


「森辺の民には自らを律する力があると認められて、同胞を裁き、罰する権限が与えられたのだ。そうであるからには、ジェノスの法よりも軽い罰で同胞の罪を許す、などという話を見過ごすわけにはいかん」


「何故だ? 裁きというのは、罪の重さを測る行いであろう? だから俺たちは、スン家の者どもの罪を裁き、ひとりひとりに進むべき道を示したのだ」


「その裁きが相応でなかったからこそ、罰を逃れた罪人どもが集落を出奔し、新たな罪を重ねたのではないのかな?」


 むろんこれは、ザッツ=スンとテイ=スンのことです。


「罪人にしかるべき報いを与えなければ、ジェノスの治安を守ることはできん。それは此度の一件で証し立てられたではないか? 森辺の民らしからぬ柔弱さで罪人を処断する覚悟が固められないのならば、これ以上の失態を重ねる前に、すべてを我らの手にゆだねるがよい」


 私はここで口をはさむことにしました。

 グラフ=ザザの横顔から、激しい怒気を感じてしまったからです。


「私からも意見を述べさせていただきたい。……罪人を処断する覚悟と言われましたが、分別なく罪人の生命を奪うことが正しい覚悟と言えるのでしょうか? 我々はスン家の行いを吟味して、ザッツ=スンとズーロ=スンには死の罰を、その他の人々には正しく生きる道を与えるべきと判じたまでです」


「ふん……森辺の掟は絶対である、というのが森辺の民の不文律なのではなかったのか? その掟を曲げて罪人を許す、という森辺の民らしからぬ柔弱さに我は疑念を呈しているのだ」


「もちろん掟は重んじられるべきです。しかし、例えば無理矢理に口をこじ開けられて森の恵みを食する羽目になった人間がいたとして、その者は即ち頭の皮を剥がされるべきとお思いでしょうか? 私たちは、そのようには思わなかったということです」


 サイクレウスは、口もとを歪めて私たちの姿を順々に見回していきました。


「先日の会談にても思ったことであるが、貴殿の舌先は誰よりも軽やかに回るようであるな、若き森辺の狩人よ。いっそのこと貴殿のような人物こそが族長として民を導いたほうが、森辺の民の未来も開けるのではないのかな」


 サイクレウスは、このような言葉で族長たちの怒りを煽ろうとするのが常なのです。

 グラフ=ザザが怒声をあげる前に、私は言葉を返しました。


「それは筋違いというものです。私は族長たちの言葉を代弁しているに過ぎません。貴方がジェノスの領主マルスタインの言葉を代弁しているのと同じことです」


 サイクレウスは、少しだけ押し黙りました。

 しかしその顔はニタニタと微笑んだままです。


「もっとも、ザッツ=スンらの逃亡を許してしまったのは、確かに我々の失態です。その結果として、宿場町の人々の安寧を脅かす結果となってしまいました。貴方の言う通り、ザッツ=スンとズーロ=スンの両名だけは日を置かず処断しておけば、先日の災厄は未然に防ぐことがかなったのでしょう」


 いつまでも同じことを話していても埒が明かないので、私はそのように言葉を重ねてみることにしました。


「しかし、そのおかげで我々は多くの真実を知ることができました。サイクレウスよ、貴方はその件に関してどのようなお考えをお持ちなのでしょうか?」


「……その件とは、何のことであろうかな?」


「むろん、ザッツ=スンとテイ=スンが商団に扮した一党を襲った件と、彼らは10年以上も昔からそのような悪行を重ねてきたのだと告白した件です」


 サイクレウスは、唇を吊りあげて笑っています。

 薄気味の悪い笑顔です。


「馬鹿馬鹿しいという他ないな。しょせんは死に瀕した罪人どもの戯言であろうが? そのような戯言を容易く真実だなどと認めるわけにはいくまい」


「はい。過去の罪に関しては、いまだに何も証し立てられていません。しかし、彼らが商団に扮した一党を襲ったのはまぎれもない事実です。その上で、彼らは10年前にも同じ罪を犯しのだと告白し――そして、もともと宿場町にもその犯人は森辺の民であったという風聞が流れていたそうではないですか?」


「風聞は風聞だ。真実ではない」


「そうなのですか? 10年前の事件には、森辺の民が犯人であるという証しも残されていた、と私は聞いているのですが」


 サイクレウスは、また少し押し黙りました。

 カミュア=ヨシュとメルフリードも口を開こうとはしません。


「その他にも、森辺の民は数々の罪を犯していながら、決して裁かれることはなかったという話があるそうですね。それらのすべても真実に根付かぬ風聞なのでしょうか?」


「風聞だ。そのような風聞に惑わされるとは、まったく森辺の民らしくもない」


 しばしの呼吸を置いて、サイクレウスはそのように言いました。


「数々の罪というのが何のことを指しているのかはわからぬが、10年前に商団が襲われた件に関しては、もちろん我もわきまえている。だが、かの凶悪なる事件の犯人どもはとっくに処断されているのだ、森辺の若き狩人よ」


「なるほど。そうなのですか」


 その件に関してはカミュア=ヨシュから事前に聞いていたため、私も驚かずに済みました。

 そんな私の姿を見返しながら、サイクレウスはいくぶん目の光を強くします。


「かの事件の犯人は、ジェノスの近辺を根城にしていた《赤髭党》なる野盗の集団であった。その野盗どもは一人残らず召し捕られ、処断されている。その真実に疑念を差しはさむ余地などはないのだ、森辺の若き狩人よ」


「野盗の集団ですか。では、襲われた商人が握りしめていたという狩人の首飾りとは、いったい何だったのでしょう?」


「そのような些事は、我の知るところではない。しかし、ギバの角と牙であれば、西の王国にいくらでも出回っている。それは他ならぬ貴殿たちが銅貨を得るために売りさばいたものであろうが?」


 ジェノスでは一切取り扱われていませんが、私たちが銅貨と引き換えに渡すギバの角と牙は、飾り物の材料としてさまざまな町で売りに出されているそうですね。


 だから、それらの牙と角を買うか奪うかすれば、誰でも狩人の首飾りをこしらえることは可能なのだそうです。


「かの商団は、モルガの森を通り抜けて東の街道に出ようと試みた。故に、それを襲撃した《赤髭党》なる盗賊団はその罪を森辺の民に着せてしまおうと画策したのやもしれん。何とも浅はかな策謀ではあるが、そのような妄言にたぶらかされる者もまた己の愚迷を恥じるべきであろう」


「ふうむ。しかしそれでは宿場町の人々を得心させるのは、やはり難しかったのではないですかねえ?」


 と――そこで初めてカミュア=ヨシュが口を開きました。

 サイクレウスは、澱んだ目つきでそちらをにらみます。


「《赤髭党》と言えば、人を殺めることを禁忌と定め、貴族から奪った銅貨を貧しい人々に配り歩くという、いわゆる義賊として名高い一団だったではないですか。10年前ですと俺などはまだ駆け出しの《守護人》に過ぎませんでしたが、彼らの勇名は近在の町にまで鳴り響いておりましたよ? ――その《赤髭党》が商団の人間を皆殺しにして、その罪を他人におっかぶせようとしただなんて、なかなか当時の人々には信じられなかったのでしょうね」


「……義賊などという言葉はまやかしだ。しょせんは無法者の集まりに過ぎん」


「狙われる対象の貴族としてはそうなのでしょうが、市井の人々はそのように考えていなかった、ということですよ。今にして思えば、庶民には英雄視すらされていた《赤髭党》が森辺の民の身代わりとなって処断されたということで、当時の人々はいっそう森辺の民に対する忌避の感情を煽りたてられたのかもしれません」


 カミュア=ヨシュは、いつも通りのとぼけた感じで微笑んでいます。

 サイクレウスもまだ笑顔のままでしたが、その血走った目には忌々しげな光が灯っていたように見えました。


「貴殿はメルフリード殿の従者ではないのか? 従者ならば、身のほどをわきまえるがいい」


「今日の俺は、無口な友人の代弁者でもあるのですよ。俺の言葉がメルフリードの意に沿わなかった場合はきちんと横槍を入れてくれるはずですので、心配はご無用です」


 サイクレウスは、メルフリードのほうに視線を移しました。

 メルフリードは、無言です。


「で、さっきのお話の続きとなりますが、森辺の若き狩人ガズラン=ルティムが仰っていました通り、宿場町には森辺の民がさまざまな罪を犯してきたという風聞が流れております。町の娘をかどわかしたり、農園の食糧を略奪したり、旅人を襲ったりという風聞ですね。奇異なることに、それらもすべて《赤髭党》を筆頭とする野盗がしでかした罪とされて、処断されてしまっているのです。だから当時の宿場町においては、《赤髭党》の人間が処断されるたびに、また森辺の民が罪を犯したのだ、という風聞が流れるという、ずいぶん本末転倒な事態まで発生してしまっていたようですよ」


「…………」


「もっとも、そんな騒ぎも10年ほど前にはあらかた収まっています。それは10年前に《赤髭党》の党首が処断されたからなのか、はたまたスン家の先代家長ザッツ=スンが病に倒れたからなのか、真相はすべて闇の中でありますね」


 このあたりから、サイクレウスの顔つきが変わってきました。

 笑っているには笑っているのですが――何でしょう、私にはそれが、腐肉喰らいのムントが笑っているような顔つきに見えてしまいました。


 ムントが笑うところなど、私は見たこともないのですけれどもね。


「それで――貴殿はいったい何が言いたいのであろうかな、北の民の如き風体をした若者よ」


「お察しの通り、俺は北との混血です。仕える神は西方神ですがね。……まあそのような些事は横に置いておくとして。森辺の民にはそのように不名誉な嫌疑がかけられていたのですよ。どのように悪逆な真似をしでかしても、森辺の民は罪に問われない。しかもその罪は、無実の人間の生命によって贖われることになる――まあこの10年で《赤髭党》の名前などは風化してしまったでしょうが、そのような風聞は根強く残されておりました。先日、ザッツ=スンとテイ=スンという者たちが自らの罪を告白するまでは、ね」


「…………」


「そもそも《赤髭党》がギバの徘徊するモルガの森のど真ん中を襲撃の場所に選ぶのは不自然です。俺が同じ立場であったなら、せめて森から街道に出た直後を狙うでしょうね。それならばギバに襲われる危険も少なく、なおかつ森辺の民に罪を着せるという企みも果たすことはできるでしょうから。……やっぱりこれは本人たちが告白した通り、10年前の事件の犯人はザッツ=スンらであったと見るべきなのではないでしょうか?」


「……そのようなことを取り沙汰しても無為であろう。罪を犯したスン家の先代家長らも、《赤髭党》の面々も、その全員がすべて罪人として処断されているのだ。ならば、今さら騒ぎたてたところで、何の証しが見つかるはずもない」


 ゆっくりと、色の悪い唇を舌で湿しながら、サイクレウスはそう応じました。


「しかし、証しなど不要であろう? どのみち、きゃつらが罪人であったという事実に変わりはないのだ。《赤髭党》は貴族や豪商を襲う悪辣な盗賊団であったし、スン家の先代家長らはモルガの恵みを荒らしたあげく、集落に火を放った。それらの罪はすべて裁かれ、罪人どもは朽ち果てたのだ。何もかもが落着しているではないか?」


「落着ですか。ふーむ、それならば、10年前に商団が襲われるのと前後して行われたその他の大罪については如何なのでしょうかね?」


 にっこりと微笑みながら、カミュア=ヨシュはそう言いました。

 あれもあれで何かの動物のような笑い方ですね。


「古い話となりますが、お忘れになったわけではないでしょう? ジェノスと縁の深いバナームの城からの使節団が全滅させられた事件と、護民兵団の前団長が殺害された事件です。そのふたつの事件も、犯人は《赤髭党》であると断じられておりましたよね」


「…………」


「ということは、町ではそれも森辺の民の所業である、と囁かれていたわけです」


「…………」


「だけど、どちらにせよ腑に落ちない話なのですよね。それが《赤髭党》の所業だとしたら、どうして彼らはいきなり不殺の掟を打ち捨てることになったのか。ザッツ=スンの所業だとしたら、どうして護民兵団の団長などを襲うことになったのか。……商団や使節団ならまだしも、護民兵団の団長などが銅貨やお宝などを携えてぶらぶら歩いているはずはありませんしね」


「……ならばそれは、やはり《赤髭党》の所業であったのであろう。野盗の討伐は護民兵団の任務であるのだから、その団長ともなれば深い恨みを買ってしまっても不思議はあるまい」


「いえいえ、すべての罪が《赤髭党》の所業と見なされて本格的な討伐が始まったのは、前団長殿の死去により新たな人物が団長として選任された後のことなのです。……説明するまでもなく、それはサイクレウス卿の弟御であられるシルエル新団長殿を指すわけでありますが」


「…………」


「そのシルエル新団長殿のご活躍の甲斐あって、《赤髭党》は殲滅される結果と相成りました。後に残ったのは、《赤髭党》に罪の肩代わりをさせてのうのうと生きのびたザッツ=スンたちと、森辺の民に対してさらなる不審感を植えつけられた町の人々のみ、というわけです」


「……そのようにうろんな話を、我はこれまでに耳にしたことはない」


「城下町では、そうかもしれませんね。しかし、宿場町においては、それが真実です。《赤髭党》の名が風化した今も、森辺の民に対する畏怖の念を助長する結果となっていました」


 そう言って、カミュア=ヨシュは肩をすくめました。


「もっとも、さきほどもお話した通り、ザッツ=スンらが10年前の罪を認めたことで、だいぶん風向きは変わってきたようでもありますが――しかし、不可思議な話でありますよね。《赤髭党》は森辺の民に罪を着せようとしていたとされながら、実際のところは《赤髭党》のほうこそが森辺の民の――ザッツ=スンの罪を着せられていた可能性が濃厚なのです。どうしてシルエル殿はすべての事件を《赤髭党》の所業と断じたのでしょう? 現場に赤い髭でも落ちていたのでしょうか?」


「そのような話は、シルエル自身に問い質すがよい」


「問い質しましたよ、メルフリードが。しかし、我が友人を納得させられるほどの明確な証しは、やはり存在しなかったそうです」


 しばしの沈黙が落ちました。

 やがて、サイクレウスが薄笑いを口もとにへばりつかせたまま、のろのろと語り始めます。


「わからんな……それでもけっきょく、すべての罪人どもは裁かれているのだ。それらの罪を犯していたのがスン家の先代家長であろうと野盗どもであろうと、現在の我々には関係あるまい?」


「さあ、問題はそこですね。本当にすべての罪人が裁かれているならば蒸し返す甲斐もありませんが。もしも黒幕ともいうべき大罪人がいまだに裁かれもせずのうのうと生き延びていたならば、これは見過ごせぬ事態ではないでしょうか?」


 カミュア=ヨシュの笑顔に変化はありません。

 メルフリードも無表情なままです。


「そもそも森辺の民たるザッツ=スンには、外界の知識などほとんどなかったはずです。だから本来、彼らがバナームの使節団や護民兵団の団長などをジェノスの領外で襲ったというのは、はなはだしく不自然な話なのですよね」


「だからそれは野盗どもの所業であり――」


「不殺の掟をつらぬいていた《赤髭党》がいきなり信念を打ち捨てるのと、ザッツ=スンに都の協力者が存在したと考えるのと、どちらが自然な話に聞こえますでしょうかね?」


 カミュア=ヨシュはやんわりとサイクレウスの言葉をさえぎりました。


「ついでに言うなら、商団や使節団から奪ったお宝を銅貨に換えるのにも、協力者は不可欠であったはずです。その銅貨を代価として、何者かがザッツ=スンに襲撃をそそのかした――もしかしたら、最大の目的はバナームの使節団を殲滅することだったのかもしれません。これ以上バナームとの交易が進むと不利益が生じてしまう、という人間はジェノス城にも何名か存在するでしょうから」


「…………」


「さらにその罪を《赤髭党》にかぶせてしまえば、貴族にとって目の上の瘤であった盗賊団をも一掃することができていっそう好都合、という構図です」


「……妄想が過ぎる、としか言い様のない妄言であるな」


「そうですか。しかし、ここまで1度として我が友人には横槍を入れられずに済みました。……まあ、俺たちはそういう推論にもとづいて、商団に扮するなどという大芝居を打ったわけですよ。黒幕の正体を暴くまでには至りませんでしたが、10年前の事件がザッツ=スンらの仕業であったというその一点ぐらいは証し立てることができたのではないでしょうかね」


 にこにこと笑うカミュア=ヨシュのかたわらから、メルフリードは静かにサイクレウスを見すえています。


 また沈黙が落ちました。

 とても不穏な気配をはらんだ沈黙です。

 やがてサイクレウスは、「まるで――」と、奇妙にしわがれた声を発しました。


「まるでそれは、この我こそがその事件の黒幕である、とでも誹謗しているかのような言い様であるな……?」


 カニュア=ヨシュは、答えません。

 サイクレウスは、まるで薄闇に潜むムントのように色の淡い目を光らせています。


「バナームでは、質の高いママリアとフワノの実が採れる。かの町との交易が進めば、少なからず我が領地トゥランの果実園における収益は損害を被ることになるであろう」


「…………」


「そして、護民兵団の長は我が弟シルエルであり、我自身は森辺の民との調停役――貴殿の言う一連の事件とやらに黒幕などというものが本当に存在するならば、我ほどにその役が相応しい人間は他に存在しないのであろうな……?」


「その可能性が最も高い、というのはまぎれもない事実であろう」


 メルフリードが、冷たい声音で答えました。

 サイクレウスは、ゆっくりと視線を移します。


「これは驚いた……メルフリード殿は、本気で我を誹謗する心づもりであるのか? 貴殿の父君にトゥラン伯の位を授けられた、この我を?」


「誹謗などはしていない。ただ可能性が高いという事実を申し述べただけだ。証しなくして罪を問うことなど、できようはずもないからな」


 メルフリードは、人間らしい感情のうかがえない灰色の瞳で、静かにサイクレウスを威嚇します。

 まるで、マダラマの大蛇とムントのにらみあいのようだと、私には思えました。


「むろん――証しさえそろえば、罪は罪だ。罪人に貴族も町民もない。私はジェノスの法に従って断罪の刃を下ろすのみである」


「証しさえそろえば、な――まことに重畳である。それでこそ法の番人たる近衛兵団長の至言と言えよう」


 サイクレウスはたぶん、少しだけ肩の力を抜きました。

 どうやらこのマダラマは満腹であるようだと安心して、茂みの奥に逃げ帰ろうとするムントのような気配でした。


 メルフリードとカミュア=ヨシュの追及は、今日はここまでです。

 後に残されたのは、私たち森辺の民とサイクレウスの交渉です。


 どちらが言葉を発するべきかと、私はダリ=サウティと目を見交わしました。

 しかし、それよりも早くドンダ=ルウが、室内にわだかまる不穏な空気を振り払うように身じろぎしてから、言いました。


「……これが貴様の言うジェノスの法なのか、ジェノス領主の代理人よ」


 ドンダ=ルウの声は、冷静です。

 サイクレウスは、ゆっくりこちらに向き直りました。


「七面倒な話はわからねえ。だが、貴様の言葉からは一片の理も感じられねえな、ジェノス領主の代理人よ」


「それは心外な言い様であるな。証しもなき妄言に心を乱されるは愚迷の極みであろう、森辺の族長よ」


「だったら貴様は、10年前の騒ぎがその野盗どもの仕業であると証し立てられるのか? その場には狩人の首飾りが残されており、ザッツ=スンらはそれが自分たちの罪であると認めた。それでもなおそれが野盗どもの仕業であると言い張る根拠は何だ?」


「……それを野盗の所業と判じたのは、我ではなく護民兵団の団長である」


「その団長とやらは貴様の血を分けた弟だってんだろう? だったらそいつをこの場に連れてきてみろ」


 室内の空気がざわつき始めました。

 槍をかまえた兵士たちが、平常心を失いつつあったのです。


 それはたぶん、ドンダ=ルウの気迫に気圧されてしまったためなのでしょう。

 ドンダ=ルウの声は落ち着いたままでしたが、その顔には笑みが浮かんでいました。


 はい、難敵を前にしたときの、あの笑みです。

 私たちは一歩として動いていないのに、兵士たちは今にも槍を突きつけてきそうな気配でした。


「ザッツ=スンは、森辺でも大罪の疑いがかけられていた。俺たちルウの一族は、もう20年の昔からあいつを討とうと牙を磨いていたんだ。しかしあいつは決して表立っては悪行をはたらこうとはせず、俺たちは20年も歯ぎしりをする羽目になっていた」


「ほう、それはまた……」


「しかし貴様たちは、罪の証しを手にしていながら、スン家の連中を処断せずにおいた。その一点だけでも、ジェノスの法が森辺の掟よりも上等であるという言葉には値しねえんじゃねえのか?」


 サイクレウスの表情に変化はありません。

 子どものように小さくて、病人のように弱々しげでも、あの男にはドンダ=ルウの気迫に耐え得る胆力が備わっていたようです。

 それはもしかしたら、病を得る前のザッツ=スンとも何度となく顔を合わせていたことがあったからなのかもしれません。


 ただ――うすら笑いを浮かべたその青黒い顔には、じっとりと脂汗が浮かんでいるようにも見えました。


「それに比べたら小さなことだがな。スンの本家のボンクラどもは、宿場町で刀を抜いても、気に食わない屋台をぶっ壊しても、何の罪にも問われなかったと言っていた。罪に問われそうになれば、城の人間が出てきて、銅貨で決着をつけてくれたそうだ。……どうあれ貴様たちは、スン家の人間を罪人として処断できない理由があったようだな?」


「それも我には関わりのなき儀であるな。宿場町の治安を守るのも、我ではなく護民兵団の役目であるのだから」


「だから、その貴様の弟とやらをここに呼べと言っている。……いや……」


 と、ドンダ=ルウはさらに気迫のこもった顔つきで笑いました。


「いっそのこと、ジェノスの領主でも呼んでみろ。それとも、俺たちのほうから城に出向いてやるべきか?」


 サイクレウスは肘掛けに腕を載せて、右側に身体を傾けました。

 何となく、頭の中で懸命に考えを巡らせているような気配です。


「森辺の族長よ。我はジェノス侯マルスタインより、森辺の民との交渉においてすべての裁量を任されている身である。その我を前にしてジェノス侯を呼びつけようとは、不遜に過ぎるのではないかな?」


「森辺の民が刀を捧げたのは貴様ではなくジェノスの領主だ。貴様に言葉が通じなければ、君主に直接言葉をもらう他ねえだろうが?」


 地鳴りのような声音で、ドンダ=ルウはそう言いました。

 いよいよその笑顔には狩人としての気迫が満ちていきます。


「俺たちは、証しがないためにスン家をのさばらせることになった。そのために、大勢の人間が災厄をかぶることになった。森辺の人間だけじゃねえ。宿場町の人間もだ。……俺たちは、同じ過ちを犯すつもりはない」


「つまり……我のことは信用できぬ、ということか」


 にたり――と音がしそうな感じで、サイクレウスは微笑みました。


「ならば、森辺の族長よ、我も貴殿たちを信用するのは難しいので、誰か他の人間を代表者として選別してもらいたい――とでも言ってみたら、我の心情も少しは伝わるのであろうかな?」


「何――?」と、ドンダ=ルウがいっそう両目を燃やしました。

 兵士たちが槍をかまえ、サイクレウスがそれを押し留めます。


「もちろん我はそのように情理のない言葉は吐かぬ。しかし我とて、貴殿たちを心より信用しているわけではないのだ。ルウ家、ザザ家、サウティ家、3つの氏族の家長たる貴殿らに、族長たる資格はあるやなしや――我にはそれが疑問に思えてしかたがないのだ」


 こちらは怒れるグラフ=ザザを押さえながら、ドンダ=ルウは「どういう意味だ?」と問い質しました。


「我は懸念を抱いているのだ、族長らよ。貴殿らは、大罪を犯したスン家の人間たちを裁こうともせず、その末に、ザッツ=スンの逃亡を許した。これで後はズーロ=スンさえ逃がしてしまえば、誰の血も流さずに済む――貴殿たちは、そのように画策しているのではないのか、とな」


「馬鹿な! 俺たちがわざとザッツ=スンどもを逃がしたとでも抜かすつもりか!?」


 ついにグラフ=ザザが怒声をあげてしまいました。

 サイクレウスは、得たりと笑います。


「我とて、貴殿らの言葉を疑いたくはない。しかし、貴殿らは森辺の民らしからぬ柔弱さで大罪人を許し、処断を待つ身であったザッツ=スンをおめおめと取り逃がした。それはいずれも、我の思い描く森辺の民とはかけ離れた所業であるのだ。その上、妄言にたぶらかされて、我をも誹謗するとあっては、な――」


「それが貴様の答えというわけか、ジェノス領主の代理人よ」


 さらに怒声をあげようとするグラフ=ザザを片方の腕で制しながら、ドンダ=ルウは静かに言いました。


「俺たちは、おたがいのことをまったく信用していない。――それで話をまとめちまってもかまわねえんだな?」


 ならば自分たちは刀を取ってでも、ジェノスの領主に真意をはかる他ない――と、ドンダ=ルウの口から語られてしまうのかと思い、正直なところ、私は相当に焦りました。


 そして、サイクレウスも同じことを考えたのかもしれません。

 サイクレウスは、しばし沈黙を保ったのち、いくぶん真面目くさった口調で語り始めました。


「そのような結論を出すのは性急に過ぎるであろう、森辺の族長よ。我らはまだ数えるほどしかまともに顔を合わせてはおらぬのだ。十分な信頼関係を築くには、さらなる時間が必要であると我は考える」


「ふん。だったら、どうしようってんだ? また日を置いて性懲りもなく同じ問答を繰り返すのか?」


「考える時間は必要であろうが、同じ問答では意味があるまい。では、我のほうが信頼の証しとして、譲歩してみせよう」


 そうしてサイクレウスは、こう述べました。


「先代家長と家長に屈して掟を破ることになった分家の者たちは、貴殿らの判断を信じ、その罪を不問とする。……ただし、大罪人たる家長らのかたわらにあった本家の人間6名は、家長ともども罪人としてこちらに引き渡してもらいたい。この裁決が、我の貴殿らに対する信頼の証しである」

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