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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼
1699/1706

宿場町の披露宴④~小休止~

2025.11/27 更新分 1/1

 しばらくすると、《ギャムレイの一座》による軽業の芸が開始された。

 童女のピノと大男のドガが棒を振り回して、派手派手しい殺陣を披露する。それを彩るのは笛や太鼓の演奏であり、本日は吟遊詩人のニーヤもギターに似た楽器を爪弾ていた。


 俺とアイ=ファのもとにはひっきりなしに誰かが訪れているが、挨拶を終えた人々の大半は屋台の料理とティカトラスが準備した果実酒に舌鼓を打っている。ターラはリミ=ルウと手をつないでにこにこと笑っており、ドーラの親父さんは遠からぬ場所でダン=ルティムや建築屋の面々と酒杯を交わしていた。


 そうして俺とアイ=ファが屋台の常連客のお相手をしていると、二つの小さな人影がちょこちょこと近づいてくる。その姿に、アイ=ファは嬉しそうな眼差しを見せた。


「チルにディア、ようやく会えたな。挨拶が遅くなり、申し訳なく思っていたぞ」


「今日の主役が、何を言っているのだ。ディアたちが遅くなったのは、町の者たちに遠慮していたからだぞ」


 まずはディアが、そのように答える。二人はどちらもフードつきマントと襟巻で人相を隠していたが、体格に若干の差があるし、チル=リムのほうは目もとに玉虫色のヴェールを掛けているため、見間違えることはなかった。


「お、旅芸人のお仲間かい? さすが、顔が広いねぇ」


 すでに酒が入っている常連客の人々は、陽気に笑いながら立ち去っていく。それで空いたスペースに、二人がちょこんと立ち並んだ。


「あれ? こうして見ると、チルはずいぶん背がのびたみたいだね」


 俺の言葉に、チル=リムはもじもじと身を揺すった。


「は、はい。《ギャムレイの一座》でも、不自由なく食事を口にしていますので……」


 出会った頃のチル=リムは十歳で、それから一年以上が経過しているのだ。であれば、すくすく成長するのが当然の話であった。

 いっぽうディアは十七歳からひとつ齢を重ねているはずであるが、こちらは出自が聖域の民であるため百四十センチ足らずの背丈となる。ただしその小さな身体からは、マント越しにも強烈な生命力が感じられた。


「この調子でいくと、いつかディアを追い越すのかもね。なんだかちょっと、楽しみだなぁ」


「わ、わたしのことはいいのです。それよりも、今日はおめでとうございます」


 チル=リムが深々と頭を下げると、アイ=ファはいっそう優しく「うむ」と応じた。


「そちらも健やかなようで、何よりだ。先日はそちらも仕事のさなかであったため声をかけることを差し控えたのだが、ずっと心残りであったのだ」


「い、いえ。どうぞお気になさらないでください。こうしてお祝いの言葉をお届けできましたので、わたしは満足です」


 そう言って、チル=リムはヴェールの向こう側でにこりと目を細める。二日前と同様に、彼女の純真さも相変わらずであった。


 チル=リムとディアがジェノスにやってきたのは、これでようやく四度目だ。最初の出会いは邪神教団がらみの騒動で、二度目はティカトラスの提案で開催された鎮魂祭、そして三度目がその後の復活祭である。


 ともに過ごした時間は長くないが、それでも俺とアイ=ファにとってはひときわ印象深い二人だ。それが《ギャムレイの一座》に仲間入りしたことで、いっそう特別な存在に成り上がったわけであった。


「そういえば、今日はアリシュナも来てるんだよ。あとで挨拶できるといいね」


「あ、そうなのですか? でも、わたしなどが近づくのはご迷惑でしょうし……」


「今日は貴族の人たちも車の中だから、大丈夫だよ。チルを見知ってる人は、たぶん来てないはずだしね」


 そのように告げてから、俺はチル=リムを招き寄せた。


「あと、いちおうチルにも伝えておくけど……実は俺、星を授かったみたいなんだ」


「えっ」と、チル=リムは驚嘆に目を見開いた。


「ほ、本当ですか? でも、どうして……?」


「それは俺にもわからないんだけど、ここ最近は色んな騒ぎがあったからさ。まあ、俺自身には星なんて見えないんだけど、この世界の住人として認められたような心地で、とても嬉しく思っているんだ」


 すると、チル=リムはまた可愛らしくもじもじとした。


「そ、それでは、あの……わ、わたしもアスタの星を拝見してもよろしいでしょうか? け、決してアスタの運命を盗み見たりはしないとお約束しますので……」


「うん、かまわないよ。チルにも確認してもらえたら、心強いしね」


 チル=リムは背筋をのばしながら、目もとを覆っていたヴェールに手をかける。

 そうして一年以上ぶりに、白銀の美しい瞳があらわにされ――その大きな目が、いっそう大きく見開かれた。


 そして何故だか、チル=リムは背後を振り返る。

 そちらでは、曲芸を見せるピノたちが見物人に喝采を浴びていた。


「どうしたんだい? 何かおかしなものでも見えちゃったのかな?」


「あ、いえ。確かにわたしにも、生まれたての小さな星が見えました。おそらく、黄の狼の……爪ですね」


 俺のほうに向きなおったチル=リムは、早々にヴェールをつけなおす。

 ただその目には、名付けがたい感情が渦巻いているように見受けられた。


「ほ、『星無き民』でも、新たな星を授かることがあるのですね。でも、それはきっと……アスタが新たな人生を歩み始めるということなのでしょう」


 やがて何かを吹っ切るように頭を小さく振ってから、チル=リムはそう言った。

 動揺の気配は消え去って、その瞳は明るい輝きを取り戻したようだ。


「アスタの新たな人生に幸いが訪れるように、わたしも祈ります。どうか幸せな家庭をお築きください」


「うん、ありがとう。チルにそう言ってもらえたら、嬉しいよ」


 すると、ディアが「ふん」と肩をすくめた。


「アイ=ファはたしか、二十歳になったのだったか? であれば、まだいくらでも子を生めることだろう。その強き血を絶やさぬように、せいぜい励むがいい」


「うむ。他者からそのように申しつけられるのは、面映ゆくもあり腹立たしくもあるものだな。他ならぬお前が相手であるのでひとたびは容赦を与えるが、今後は言葉を選ぶがいい」


 そんな言葉を返しつつ、アイ=ファは心を乱している様子もない。ディアもまた、楽しそうに目を細めていた。


「ディアも、アイ=ファとアスタの婚儀を祝福するぞ。これでまた、ジェノスを訪れる楽しみが増えるというものだな」


「ふむ。そういえば、お前はこれからも《ギャムレイの一座》とともに旅を続ける算段であるのか?」


「ふん。いつまでたっても、チルが頼りないのでな。それこそチルに伴侶でもできれば、ディアも安心して身を引けるのだが」


「わ、わたしはまだ十一歳ですし、旅芸人として生きると決めた身です。伴侶を娶るなんて、想像もできません」


 ヴェールと襟巻の下では、顔を赤くしているのだろうか。慌てふためくチル=リムの姿は、とても愛くるしかった。


「そーいえば、さっきダリ=サウティがほっつき歩いてたぜー? お前らは、族長たちとも顔馴染みなんだよなー?」


 ルド=ルウが横から口をはさむと、チル=リムまた「はいっ」と背筋をのばした。


「で、でも、わたしなどがご挨拶をするのは、ご迷惑でしょうか……?」


「べつに迷惑ってことはねーだろ。ま、無理に挨拶をする必要はねーだろうけどさ」


「それでもチルは、森辺の民に迷惑をかけてしまったからな。いちおう族長に挨拶ぐらいはしておくべきだろうと思うぞ」


 ディアの言葉に、チル=リムは「はい」と力強くうなずいた。


「それでは、ひとまず失礼いたします。またのちほど時間がありましたら、よろしくお願いします」


「うん。よかったら、アリシュナのことも探してみなよ」


 チル=リムは「はい」と目を細めつつ、ディアとともにきびすを返した。

 その小さな後ろ姿を見送りつつ、俺はアイ=ファに呼びかける。


「なんだかチルは、気がかりそうな様子だったな。俺が何か、余計なことを言っちゃったのかな」


「いや……」と答えてから、アイ=ファは俺のもとに顔を寄せてきた。

 玉虫色のヴェールが耳や頬に触れて、俺の胸を高鳴らせる。そんなことも知らぬげに、アイ=ファは囁いた。


「これは私の当て推量に過ぎぬが……もしかしたら《ギャムレイの一座》の中に、お前と似た星というものを見出したのやもしれんな」


「え? どうしてそんな風に思うんだ? まさか、《ギャムレイの一座》にも『星無き民』がいるなんて言い出さないよな?」


「星を持たないのは、『星無き民』だけではない。占星師は、竜神の民の星も見ることはできないという話であったはずだ。しかし、竜神の民が四大神に神を移したならば、新しい星が生まれるのではないか?」


 では、《ギャムレイの一座》の中に竜神の王国で生まれた人間が入り交じっているということであろうか。

 俺が無言のままに視線で問いかけると、アイ=ファはしかたなさそうに言葉を重ねた。


「私は《青き翼》の者たちと相対したとき、あのドガという者と似た気配を感じた。ただそれだけの話だ」


 俺は愕然と息を呑み、曲芸の舞台へと視線を巡らせた。

 ピノを相手に棒を振り回しているドガは、二メートルを大きく超す巨漢だ。その瞳は海のように青く、肌は赤銅色に焼けており――そして、頭はつるつるに剃りあげていた。


(そういえば……ピノはずいぶん《青き翼》のことも警戒してたっけ)


 そこまで考えた俺は、肩から力を抜くことにした。

 ドガの出自がどうであろうと、俺が口出しするような話ではない。そんなことを興味本位で詮索するつもりはなかったし、俺にとっては《ギャムレイの一座》も《青き翼》も大切な存在であったのだった。


(きっとピノなら、どういう事情があっても上手く立ち回ってくれるだろう。俺にできるのは、おかしな揉め事が起きないように祈ることだけだ)


 俺がそのように考えたとき、ルド=ルウが「おっ」と声をあげた。

 兄の視線を追ったリミ=ルウは、「わーい!」と快哉の声を重ねる。


「ジバ婆とダルム兄だー! ちょうど誰もいなくなったところだから、みんなのところに行こーよ!」


 ダルム=ルウに背負われたジバ婆さんが、広場に姿を現したのだ。さらにその周囲はジザ=ルウとガズラン=ルティム、ラウ=レイとジィ=マァムに囲まれていた。


「おお! ようやく最長老のおでましか! これは俺たちも、挨拶に出向かなければな!」


「最長老さんだって? そいつは俺も、黙ってられねえな!」


 酒杯を傾けていたダン=ルティムやメイトンたちも、大きく盛り上がる。そうして俺たちはその一団と一緒に、屋台のほうに進軍することになった。

 その際に背後の日時計を確認してみると、ちょうど中天を回った頃合いだ。俺たちが広場に到着して、もう一刻以上が経過していたのだ。それで広場の賑わいは、増すいっぽうであった。


「そうだ。俺たちは、レビにも挨拶をしないとな。ついでに、ラーメンをいただいておこうか」


「うむ。この姿では、食事をとるのも難儀であるがな」


 そんな風に答えつつ、アイ=ファも楽しげな眼差しだ。

 その眼差しに胸を弾ませつつ、俺はまずレビたちの屋台へと足を向けた。


「レビ、すっかり挨拶が遅くなっちゃったね。ラーズも、お疲れ様です」


 そちらの屋台にもお客が並んでいたので、俺たちは裏側から回り込んで二人に声をかける。トッピングのチャーシューを切り分けていたレビは、「よう!」と顔中をほころばせた。


「近くで見ると、いっそう男前だな! アイ=ファは……森辺の掟があるから、なんにも言えねえや!」


「うへえ。確かにこいつは、神々しさで目がつぶれそうになっちまいやすね」


 新たな麺を鉄鍋に投入していたラーズも、顔をくしゃくしゃにして笑う。アイ=ファはゆったりとした面持ちで、貴婦人のように一礼した。


「私には、二人の安らかな表情で十分だ。この時間をともに過ごせることを、喜ばしく思っている」


「こっちこそだよ! とりわけアスタには、さんざん世話になったからさ! どうか俺たちのらーめんも食ってくれよ!」


「うん、ありがとう。でも、中天の勢いが収まってからでかまわないよ」


「今日は一日中、この勢いさ! お客さんがた! 今日の主役に、先を譲ってくれるよな?」


 屋台に並んでいた人々が、酒杯を掲げて「おう!」と応じてくれる。俺とアイ=ファはそちらにも、心を込めて頭を下げることになった。


「もしかして、開店からずっとこの勢いなのかい? レビたちのラーメンは、さすがの人気だね」


「それを最初に手ほどきしてくれたのも、アスタだろ! もちろん、俺たちなりに工夫を凝らしたけどさ!」


「まったくでさあね。最初の品が格別だったからこそ、俺らのしょぼくれた思いつきでも形になったんですよ。すべては、アスタのおかげでさあ」


 けっこう端整な面立ちをしたレビと年齢以上に老人めいて見えるラーズは、あまり容姿に似たところがない。しかし、その顔に浮かべられる明るい笑みは、とてもよく似通っていた。


 二人にラーメンの作り方を伝授したのは、もう二年近くも前のことだ。あの頃は大地震で深手を負ったラーズがレビに迷惑をかけないようにと行方をくらまし、たいそうな騒ぎであったのだった。


 しかし、行き倒れていたラーズをたまたまザッシュマが発見したため、事なきを得た。そうして俺の指導のもと、屋台でラーメンを出すことになり――今に至るのだ。あれからレビたちは独自にラーメンのレシピを改良し、試食会では勲章を授かることになったのだった。


 ベンやカーゴたちも大切な友人であるが、やっぱり毎日のように同じ場所で商売をしているレビとラーズは、俺にとって特別な思い入れのある相手だ。よって、そんな二人に心からの笑顔を届けられた俺は、胸が詰まるほど嬉しかった。


「では、料理が仕上がったら俺たちが届けよう。アスタたちは、最長老のもとにおもむくがいい」


 チム=スドラの言葉に甘えて、俺たちはジバ婆さんのもとを目指した。

 ジバ婆さんたちは、荷車が置かれているスペースでくつろいでいる。レイの婚儀においても、ラウ=レイたちはその場所で中休みを取っていたのだ。一刻以上も賑やかに過ごしていた俺たちにとっても、休憩を取るには頃合いであった。


「ジバ婆に、みんなもお疲れさまー! アイ=ファとアスタが来てくれたよー!」


 ジバ婆さんは、幌を開いた荷台の後部にちょこんと腰かけている。その垂れさがったまぶたに半分がた隠された目が、ゆっくりとアイ=ファに向けられた。


「ああ、アイ=ファ……立派な姿だねぇ……こんなに美しい花嫁を目にしたのは、初めてだよ……」


「それはさすがに、言い過ぎであろう。長きの時を生きたジバ婆であれば、もっと見目のいい花嫁を何度となく目にしているはずだぞ」


「そんなことはないさ……アイ=ファみたいに美しい女衆は、血族にもそうそういなかったからねぇ……」


 アイ=ファはいくぶん照れ臭そうな顔をしながら、ジバ婆さんの痩せ細った指先をそっと手に取った。

 それと同時に、ジバ婆さんの瞳に白いものが光る。それに気づいたアイ=ファは、「どうしたのだ?」と優しく呼びかけた。


「涙もろいアスタでも、今日は涙を見せていないのだぞ。血族でもない私の婚儀に、ジバ婆が涙をこぼす必要はあるまい」


「そんなことはないよ……あんなに小さくて勇ましかったアイ=ファが、ついに婚儀を挙げるんだからさ……」


 ジバ婆さんは空いていたほうの手を、アイ=ファの手に重ねた。


「あたしたちが出会った頃、アイ=ファはまだ十歳ぐらいだったよねぇ……子供のギバの毛皮を纏って、修練に励む小さなアイ=ファは……とても勇ましくて、とても可愛らしかったよ……女衆の身で狩人を目指そうとするアイ=ファが、いったいどんな行く末を迎えるのか……あたしは、ずっと気にかけていたのさ……」


「うむ。ずっと見守ってくれていたジバ婆のおかげもあって、私は狩人の仕事をやりとげることがかなったぞ」


「あたしなんか、なんにもしちゃいないさ……アイ=ファが父親を失って、一番つらい時間を過ごしていたときも……あたしは、なんにもできなかったんだからねぇ……」


 ジバ婆さんの涙で光る目が、アイ=ファのかたわらに向けられる。そこにたたずんでいたのは、リミ=ルウであった。


「そんなあたしとアイ=ファの縁を結びなおしてくれたのは、リミだったねぇ……リミにも、本当に感謝しているよ……」


「いいんだよ! リミは、ジバ婆のこともアイ=ファのことも大好きなだけだから!」


 リミ=ルウはぴょんっと進み出て、二人の手に小さな手を重ねる。

 その温もりがしみわたるのを待つようにしばし身動きを止めてから、ジバ婆さんは俺にも目を向けてきた。


「それで、あたしに生きる力を取り戻させてくれたのは、アスタだったねぇ……アスタにも、感謝しているよ……」


「はい。そしてそれは、アイ=ファが俺を拾ってくれて、リミ=ルウがジバ=ルウのもとに導いてくれたおかげですね。そして、アイ=ファとリミ=ルウをそんな風に育んだのは、きっとジバ=ルウなんでしょう」


 森辺の掟によって手を重ねることの許されない俺は、せめて心を重ねるべく笑顔と言葉を届けた。


「だから、四人の誰が欠けていても、今日という日はなかったんだと思います。どうかジバ=ルウも心置きなく、今日の喜びを分かち合ってください」


「うん……ありがとうねぇ、アスタ……ありがとうねぇ、リミ……ありがとうねぇ、アイ=ファ……」


 ジバ婆さんがうなずくたびに、透明の涙が皺深い頬に流れ落ちる。

 リミ=ルウが懐から取り出した織布でその涙をぬぐったとき、深皿を掲げたチム=スドラとイーア・フォウ=スドラがやってきた。


「レビたちの料理が仕上がったぞ。……うむ? 何か、取り込み中であろうか?」


「なんでもないさ……アイ=ファとアスタは、どうか腹を満たしておくれよ……」


「うむ。できればこの喜びも、ジバ婆と分かち合いたいところだな」


 アイ=ファの何気ない言葉に、イーア・フォウ=スドラがすぐさま反応した。


「では、屋台から食器を借りてきます。少々お待ちくださいね」


 その手の深皿をアイ=ファに手渡してから、イーア・フォウ=スドラは屋台のほうに駆け戻っていく。リミ=ルウやサリス・ラン=フォウの陰に隠れがちであったが、彼女も付添人として何かと気を配ってくれていた。


 チム=スドラから深皿を受け取った俺もアイ=ファとともにジバ婆さんのかたわらに腰をかけ、イーア・フォウ=スドラの帰りを待つ。その周囲を取り囲むのは森辺の同胞と建築屋の一部の面々、そしてドーラの親父さんとターラだ。俺たちが食休みに入ったと察してか、それ以外の人々は近づいてこようとしなかった。


 そして、イーア・フォウ=スドラが戻る前に、広場の入り口から新たな一団がやってくる。その姿に、ドーラの親父さんが「おっ」と瞳を輝かせた。


「おおい、こっちだよ! なんだ、みんな一緒だったんだな!」


「ああ。そこの通りで、こちらのお二人と出くわしたんだよ」


 そんな風に応じたのはドーラの親父さんの伴侶で、その周囲には他なるご家族も立ち並んでいる。親父さんの母君、叔父君、長男とその伴侶、次男という顔ぶれである。さらにそこに、ミシル婆さんとお孫さんが加わっていたのだった。


「ああ、ミシル……あんたも来てくれたんだねぇ……」


 ジバ婆さんが嬉しそうに声をあげると、ミシル婆さんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「商売を休んでまで出向くつもりはなかったんだけどね。こいつに引っ張られて、しかたなくさ」


「今日の商売は、もう十分だろう? それより、お二人を祝福しないとさ」


 ミシル婆さんは七十過ぎの小柄なご老人で、お孫さんは二十前後の青年である。生鮮肉の商売をきっかけに知り合ったお孫さんとも、もうずいぶん長いつきあいであった。


 ドーラ家の面々はそれ以上に長いつきあいであるが、ここ最近はなかなかダレイムを訪れる時間がなかったため、顔をあわせるのはひさびさのこととなる。しかし誰もが元気そうな様子で、気難しい母君と叔父君の他は満面の笑みであった。


「アスタにアイ=ファ、おめでとうございます。なんとかお祝いに駆けつけることができました」


 礼儀正しい長男が、伴侶とともに頭を下げる。今日はわざわざこのために、畑の仕事を他の働き手に任せて駆けつけてくれたのだ。俺が心からありがたく思いながらお礼の言葉を返していると、イーア・フォウ=スドラが戻ってきた。


「遅くなってしまって、申し訳ありません。……あら、ドーラ家の方々もいらっしゃったのですね」


 イーア・フォウ=スドラも復活祭で宿場町に下りていたため、ドーラ家の面々とは多少ばかりご縁ができている。親父さんの伴侶は「ええ」と応じつつ、屋台のほうを透かし見た。


「あたしらにはかまわず、アスタたちは腹ごしらえをしておくれよ。それであたしらも、一緒に何かいただこうかねぇ」


「それじゃあ、俺もご一緒します。祖母ちゃんは、ここで待ってなよ」


 年老いた三名を残して、ドーラ家のご家族とお孫さんが屋台のほうに消えていく。ミシル婆さんたちはジバ婆さんのもとに寄り集まり、俺とアイ=ファはラーメンをいただくことにした。


 キミュスの骨ガラだけで出汁を取った、《キミュスの尻尾亭》自慢のラーメンだ。本日はチャーシューとモヤシのごときオンダとホウレンソウのごときナナールの他に、別料金となる調味ダレがトッピングされていた。


 こちらの調味ダレはショウガのごときケルの根をベースにしており、酒気をとばしたニャッタの蒸留酒や砂糖や金ゴマのごときホボイが添加されている。ケルの根の清涼にして刺激的な風味が、タウ油ベースのスープと楽しい調和を見せてくれるのだ。俺は味見で一回だけ口にしたことがあったが、屋台でも辛みの効いた肉ダレに負けない人気を博しているとのことであった。


 アイ=ファはラーメンを半分に分けて、ジバ婆さんに渡している。そのさまを見届けてから、俺はアイ=ファとともにラーメンをすすった。


 本日初めて口にするのが、このラーメンである。

 俺の最初の故郷では結婚の当日にラーメンを食する機会は少ないのやもしれないが、ここはジェノスであるのだから関係ない。レビとラーズが作りあげたラーメンは、俺の心を深く満たしてくれた。


 玉虫色のヴェールを左右にかき分けたアイ=ファも、満足そうに目を細めている。

 数刻ぶりに見るアイ=ファの素顔が、また俺の胸を大きく高鳴らせた。


「アスタ、アイ=ファ。遅ればせながら、おめでとうございます」


 と、ラーメンを食する俺たちのもとに、ガズラン=ルティムが近づいてくる。

 その沈着にして精悍な顔にも、とても優しい笑みがたたえられていた。


「ありがとうございます。夜の付添人は、どうぞよろしくお願いします」


「はい。お二人の付添人を務められるのは、光栄の限りです。他の方々に申し訳ないぐらいですね」


「そんなことはありませんよ。俺だって、大切に思っている相手は数えきれないぐらいですけど……やっぱり、ガズラン=ルティムは特別な存在です」


 ガズラン=ルティムはルウ本家の面々に次いで早々に出会った相手であるし、屋台の商売を始める際にもあれこれ助言を願うことになった。それ以降、何度となくお世話になった相手なのである。その大切さは、今さら思い返すまでもなかった。


「アスタにはこちらの婚儀の宴料理をお願いする立場でしたので、お二人の婚儀に深く関われるのは喜ばしくてなりません」


 そんな風に言ってから、ガズラン=ルティムはにこりと微笑んだ。


「ですが、今はどうか宿場町の方々と言葉をお交わしください。私の内に渦巻く熱情は、夜まで蓋をしておきますので」


「あはは。それじゃあ、夜を楽しみにさせていただきます」


 ガズラン=ルティムは「はい」と微笑み、ダン=ルティムと酒杯を交わしているドーラの親父さんのもとに向かっていく。

 今はまだ、中天を過ぎたところであるのだ。今日という長い日は、いまだ折り返し地点を過ぎたところであったのだった。

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― 新着の感想 ―
やはり少々涙脆くなりますね。今までであった人達アスタとアイ=ファの結婚を祝福できて嬉しいですね。
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