宿場町の披露宴③~出立~
2025.11/26 更新分 1/1
上りの五の刻、俺たちは宿場町に出立することになった。
レイ家の婚儀では中天になってから花嫁と花婿が登場したが、俺たちは屋台のメンバーとともに出立するのだ。それは、一刻でも長く宿場町で過ごしたいという気持ちのあらわれであった。
「それでは、お気をつけて。無事なお帰りをお待ちしています」
そんな言葉とともに笑顔で見送ってくれたのは、ユン=スドラであった。
本日、ユン=スドラは祝宴の取り仕切り役を担うのだ。屋台の当番に必要な人員を確保しつつ、それ以外のメンバーはみんなファかフォウかディンの家に集合して宴料理の準備を受け持つのだった。
そちらの人員の班分けをしたのも、ユン=スドラとレイナ=ルウとトゥール=ディンの三名となる。
祝宴の準備の中核を担うのはユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイナ=ルウ、マイム、スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドムといったメンバーで、屋台のほうはフェイ・ベイム=ナハム、レイ=マトゥア、ラッツの女衆、ララ=ルウ、トゥール=ディンなど、トゥランの商売を受け持つのはガズとミームの女衆、そして城下町の屋台だけは人員を確保できずに臨時休業ということになった。
そして、屋台の商売を受け持つ面々も、最後には祝宴の準備に参加する。言うまでもなく、屋台の当番である女衆はひとり残らず祝宴の参席者であるのだ。二百四十名もの人間を招待しながら、屋台のメンバーを除外する理由はどこにも存在しなかった。
「それにしても、ユン=スドラとレイナ=ルウが二人とも森辺に居残ると聞かされて、最初は驚かされました。それだけ、力のあるかまど番が育っているということなのでしょうね」
宿場町に向かう道中で、サリス・ラン=フォウがそう言った。スドラの若夫婦は屋台のメンバーに同乗をお願いしており、シン・ルウ=シンが手綱を握るギルルの荷車は彼女にルド=ルウにリミ=ルウという付添人で固められていた。
「ファの屋台でもルウの屋台でも、取り仕切り役を任せられる人間が複数いますからね。トゥール=ディンだけはその役目を譲らなかったようですけれど、祝宴の下準備をスフィラ=ザザに任せているのですから、同じようなものですね」
「ええ、実に立派なものです。それもアスタがこれまで尽力してくださったおかげですね」
いつも穏やかなサリス・ラン=フォウであるが、今日はひときわ温かな雰囲気である。花嫁姿のアイ=ファがすぐ隣に座しているのだから、それも当然の話であろう。
また、サリス・ラン=フォウとリミ=ルウにはさまれたアイ=ファも粛然たる表情を保持しつつ、とてもやわらかい眼差しだ。ルド=ルウをかたわらに置く俺も、同じような目つきをしているのかもしれなかった。
「でも、つきあいの深い女衆はみーんな祝宴の準備に駆り出されてるってこったよなー。じゃ、広場に下りてくるのは、男衆ばっかってことかー」
「あとは、ジバ婆ね! 早くアイ=ファの花嫁衣裳を見てほしいなー!」
アイ=ファの纏った玉虫色のきらめきが、車中の空気を浮き立たせているかのようだ。俺はアイ=ファとの語らいでずいぶん落ち着いたように思ったが、やっぱり心の奥底には消しようのない熱情がふつふつとわきたっていた。
やがて宿場町に到着したならば、シン・ルウ=シンが御者台を下りてトトスを引いていく。
今日は雨季用の帳を前側に張っているため、外の様子をうかがうこともできない。ただ、幌の向こうからは普段通りの熱気と活力が感じられた。
「広場に到着したぞ。屋台の準備ができてから、姿を現すのだったな?」
シン・ルウ=シンの呼びかけに、俺は「うん」と応じる。レイ=マトゥアたちは道中で屋台を借り受けるため、この荷車が一番乗りで到着したのだろう。広場に到着しても、外から伝わる熱気に変わりはなかった。
「俺もいちおう、外の様子を確かめておくか。リミ、おとなしくしてろよなー」
「うん! 今日はアイ=ファも刀を振り回せないから、よろしくねー!」
ルド=ルウが「おー」と答えながら荷台を出ていくと、アイ=ファは俺の腰のあたりに視線を落とした。
「さすがにこの姿では、刀をさげることもできなかった。危急の際には、そのゲルドの短剣を借り受けるぞ」
「あはは。花嫁の姿でも、護衛の役目を忘れられないのか?」
「危急の際に力のある人間が役目を果たすのは、当然の話であろうが? そばにいるのが力なきかまど番とあっては、なおさらにな」
どんなに美麗な姿であっても、アイ=ファの本質に変わりはない。
しかし、それこそが俺が魅了されたアイ=ファであるのだ。俺は婚儀の当日になっても、狩人でなくなったアイ=ファの姿というものが想像できなかった。
(まあ、子を授かるまでは狩人の仕事を続けるわけだし……いきなり気持ちが切り替わるわけないもんな。人間の心持ちっていうのは、日々の生活の中でゆっくりと変化していくものなんだろう)
俺がそんな思いにひたっていると、周囲がいっそう賑やかになってきた。
きっと他の面々も到着して、屋台の準備を開始したのだろう。なんとなく、屋台のお客や見物人として参じた人々の期待感までもがひしひしと伝わってくるかのようであった。
「表は、すげー人出だぞー。当たり前っちゃ当たり前だけど、ラウ=レイたちのとき以上だなー」
やがて荷台に戻ってきたルド=ルウが、そんな風に告げてきた。
「あと、《ギャムレイの一座》やリコたちも来てやがったよ。そういえば、あいつらも芸を見せるんだったなー」
「うん。リコたちは、俺たちが帰った後に希望の声があったら、傀儡の劇を披露するって言ってたよ。さすがにお披露目の最中は、傀儡の劇を見物するのも難しいだろうからね」
「へー。ま、婚儀のお披露目のあとに傀儡の劇を見せたら、盛り上がるのかもしれねーなー」
そのとき、帳の向こう側から「アスタ!」というレイ=マトゥアの声が聞こえてきた。
「こちらは、準備が整いました! どうぞお披露目をお願いします!」
ついに、この瞬間がやってきたのだ。
俺が胸を高鳴らせながら立ち上がると、サリス・ラン=フォウが微笑みかけてきた。
「合図があったら、まずは付添人が外に出ます。最後に、アイ=ファと二人で出てください」
「は、はい。どうぞよろしくお願いします」
荷車の外からは、シン・ルウ=シンの挨拶の声が聞こえてきた。レイの婚儀でガズラン=ルティムが担っていた役割を、シン・ルウ=シンが受け持ってくれたのだ。
そうしてチム=スドラの手で帳が開かれて、ルド=ルウとリミ=ルウとサリス・ラン=フォウが外に出ていく。
俺がそれに続こうとすると、アイ=ファが左手を差し出してきた。
「このように常ならぬ行いに確かな習わしなどは存在しないのであろうが、たしかラウ=レイは荷台を降りる際にヤミル=レイの手を取っていた。今日のところは、それにならうとしよう」
「う、うん。そうだな」
俺は震えそうになる指先で、アイ=ファのしなやかな手を取った。
その薬指にはめられた指輪のきらめきが、俺の心を温かな感情でくるんでくれる。それで少しだけ、緊張をやわらげることができた。
「それじゃあ、行こうか」
「うむ」
俺とアイ=ファは、二人で一緒に荷車を降りる。
とたんに、歓声と拍手が爆発した。
その勢いに、俺は思わずひっくり返りそうになってしまう。
ルウの広場よりも広大な宿場町の広場が何百名もの人間に埋め尽くされて、凄まじい熱気を渦巻かせているのだ。それらがすべて俺とアイ=ファに向けられたものであるということが、いっそ信じがたいほどであった。
城下町の祝宴でも同じような目にあったが、やはり宿場町では熱気の勢いが違っている。身をつつしむ必要のない人々が、めいっぱいの思いで声を張り上げ、手を打ち鳴らしているのだ。俺は鼓膜ばかりでなく、心をも震わせることになった。
「アスタ、アイ=ファ、おめでとう! 似合いの二人だよ!」
大歓声の隙間から、聞き覚えのある声が響きわたる。
そちらに目をやると、最前列でドーラの親父さんがばちばちと手を叩いていた。
その隣では、小さな白い花束を手にしたターラがおひさまのように笑っている。
そのすぐそばに陣取っているのは、バランのおやっさんが率いる建築屋の面々だ。
《銀の壺》の面々は二列目以降であったが、東の民は長身であるために人垣からフードに包まれた頭が覗いていた。
それに、ベンやカーゴやルイアもいる。ドーラの親父さんを通じて知り合った鍋屋や布屋のご主人もいる。屋台の常連客もいる。宿屋の関係者だけは遅い到着になるという話であったが、それでも物凄い人数だ。城下町の祝宴と同じように、懇意にしている人々も名前も知らない人々も、誰もが俺とアイ=ファの婚儀をめいっぱいの思いで祝福してくれていた。
そうしてさらに視線を巡らせると、広場の片隅に《ギャムレイの一座》の派手な荷車がずらりと並んでいた。
そこから少し離れた片隅には、貴族の紋章が掲げられた立派なトトス車だ。本日は、十人乗りの立派な車が三台も並んでいた。
そしてこちらの荷車の横合いには、ギバ料理の屋台が並んでいる。その当番である女衆の中に、カミュア=ヨシュやレイトやザッシュマ、プラティカやニコラの姿もうかがえた。
「ファの両名に対する祝福、感謝する! それでは、今日の花婿たるアスタに挨拶を願いたい!」
シン・ルウ=シンが凛然たる声をあげると、大歓声と拍手の渦が名残惜しそうに消えていく。
俺は大きく胸を高鳴らせながら、広場の人々に頭を下げた。
「今日は俺たちのために集まってくださり、本当にありがとうございます。こんなにたくさんの方々に祝福されて、心からありがたく思っています。この後は、ひとりずつお礼を言わせてください」
いったん静まった歓声が、またわきおこる。
その波がひいてから、俺はさらに言葉を届けた。
「それに、屋台の商売を受け持ってくれた同胞にも感謝しています。これから営業を開始しますので、そちらもよろしくお願いします」
そのとき、歓声を押しのけるようにして、笛や太鼓の音色が響きわたった。
荷車の陰から突如として登場した《ギャムレイの一座》の面々が、演奏を開始したのだ。それが引き金となって、さらなる熱気が渦を巻いた。
本当に、なんという騒ぎだろう。
復活祭でもこれだけの熱気がわき起こるのは、最終日である『滅落の日』ぐらいであるに違いない。森辺の祝宴であれば、これを上回る熱気であろうが――それでも宿場町でこれほどの熱気を感じるのは、およそ初めてのことであった。
(こんなに……こんなにたくさんの人たちが、俺とアイ=ファの婚儀を祝福してくれるのか……)
俺がそんな感慨にひたっていると、屋台のほうからララ=ルウのよく通る声があげられた。
「それじゃあ、商売を開始するよ! みんないっぺんにアスタたちと語らうことはできないんだから、料理を食べながら順番を待ってよ!」
「アスタとアイ=ファは、下りの三の刻まで広場に腰を据える! 慌てずに、ひとりずつ祝福を捧げてもらいたい!」
シン・ルウ=シンも負けじと声を張り上げると、大歓声がそれに応える。
そして、人のうねりが襲いかかってきた。俺たちのもとにも屋台のもとにも、人々が殺到してきたのだ。俺とアイ=ファに危険が及ばないように、すぐさまルド=ルウたちがガードしてくれた。
「あらためて、二人ともおめとう! いやあ、本当にめでたいな! 俺は自分の息子の婚儀ぐらい嬉しいよ!」
最前列にいたドーラの親父さんが、真っ先にそんな言葉を届けてくれる。
そしてターラが輝くような笑顔で、アイ=ファに花束を差し出した。
「アイ=ファおねえちゃん、おめでとう! 花嫁衣裳、すごくきれいだよ!」
「うむ。ターラの祝福に、感謝を捧げる」
アイ=ファは優しい眼差しで花束を受け取り、それを胸もとに押し抱く。
俺たちが宿場町で最初にご縁を結んだのが、ドーラの親父さんとターラであるのだ。まあ、最初はおたがい名前も知らず、ドッドが巻き起こした騒ぎからターラを助けたことで、のちのちご縁が深まったわけであるが――何にせよ、森辺の民に対する偏見を捨てて最初に手を差し伸べてくれたのは、こちらの父娘に他ならなかった。
そんな二人のあけっぴろげな笑顔を見ているだけで、俺は胸が詰まってしまう。
しかし二人はすぐに人波に押し流されてしまい、その次に押し寄せてきたのは建築屋の面々であった。
「アスタもアイ=ファも、本当に見違えたな! 実に立派なもんだよ!」
「ああ! これ以上もなく、お似合いだ! 俺たちがこしらえた家で、どうか幸せな家庭を築いてくれ!」
「子供が増えたら、また建て増しだな! 森辺の人らが忙しかったら、また俺たちが受け持つぜ!」
メイトンや若い衆が、口々に熱っぽいお祝いの言葉を浴びせかけてくる。そちらに対して俺がお礼を返していると、仏頂面のおやっさんと笑顔のアルダスが進み出てきた。
「いやあ、本当に立派なもんだな。俺たちがジェノスに居座ってる間に婚儀を挙げてくれて、心から感謝してるよ」
「ふん。家の連中には、また抜けがけをしたとぐちぐち言われそうなところだな」
そう言って、おやっさんは俺の胸もとを軽く小突いてきた。
その厳つい顔は仏頂面のままであったが、緑色の瞳だけは温かく輝いている。その眼差しが、また俺の胸を詰まらせた。
「これからは文字通り、お前さんが家の柱になるのだ。今日の喜びを忘れずに、たゆみなく力を尽くすのだぞ」
「……はい。おやっさんを見習って、立派な家庭を築いてみせます」
「森辺には、もっと立派な手本がいくらでもあるだろうが? 俺などを見習ったら、ボンクラな息子どもに悩まされることになるぞ」
おやっさんは最後に微笑むように目を細めて、横合いに引っ込んでいく。
すると今度は、フードつきマントの一団がずらりと立ち並んだ。
「アスタ、アイ=ファ、祝福、捧げます。今日、喜び、分かち合えること、光栄です」
「ありがとうございます。みなさんの出立する前に婚儀を挙げることができて、本当によかったです。この後も、ゆっくり語らせてください」
ラダジッドは「はい」と応じつつ、目もとや口もとを震わせている。きっと懸命に笑顔をこらえているのだ。
星読みを得意にする最年長の団員も、ちょっとそそっかしい部分のある最年少の団員も、それぞれ温かな眼差しを浮かべつつ、俺とアイ=ファの姿を見守っている。そして、複雑な形に指先を組み合わせて一礼すると、早々に引き下がっていった。
その後も、次から次へと慕わしい面々が押し寄せてくる。
そして、短い挨拶を終えた者から順番に、横合いの屋台へと流れていった。
「この場所では、商売の邪魔になってしまいそうだな。広場の中央に移動するとしよう」
シン・ルウ=シンの提案で、俺たちは移動することになった。
大勢の人々が俺たちを取り囲んだまま、ぞろぞろと追従してくる。俺もつい十日ほど前にはレイ家のお披露目のさまを見守っていたものであったが、いざ当事者になるとこれほどの熱気に包まれるものであるのだ。あの日のラウ=レイが語っていた通り、俺は何だか足の裏が地面から浮いているような心地であった。
いっぽうアイ=ファは玉虫色のきらめきの中で、ずっと穏やかな面持ちをしている。それもまた、かつてのヤミル=レイを思わせる静謐さだ。ただ俺はほんのつい先刻まで二人きりの時間を過ごしていたため、アイ=ファがどれだけ幸せな心地でいるかを見誤ることはなかった。
「やあやあ! そろそろわたしも挨拶をさせていただこうかな!」
と――広場の中央に到着して大きな日時計を背にするなり、けたたましい声が響きわたった。
やってきたのは、ティカトラスの一行である。長羽織のような袖を広げて両腕を広げたティカトラスは、孔雀か何かのようであった。
「アイ=ファにアスタ、おめでとう! アイ=ファは想像を上回る美しさだね!」
ティカトラスは満面の笑みで、アイ=ファの花嫁姿を見つめる。
その明るく輝く瞳が、ふっと穏やかな眼差しを浮かべた。
「これほどに美しいアイ=ファを眼前に迎えたら、わたしも自制できずに求婚してしまうのではないかと危ぶんでいたのだけれど……幸い、杞憂であったようだ! 君の伴侶は、アスタでしかありえないね! わたしの割り込む隙間などは、どこにも見当たらないよ!」
「当たり前だろ!」と、すぐ近くにいたベンが笑い声をあげる。それにつられて、宿場町の若衆も笑っていたが――俺は何だか、涙が出るぐらい嬉しかった。あの傍若無人なティカトラスが自ら退くほどお似合いだと言ってもらえたことが、心底から嬉しかったのだ。
「ありがとうございます。俺も全力で、アイ=ファを幸せにしてみせます」
俺がそのように告げると、ベンたちがはやしたてるような声をあげる。
そんな中、ティカトラスは穏やかな眼差しのまま「うん!」とうなずいた。
「それでは我々も、思うさま二人と喜びを分かち合うことにしよう! 今日も酒樽を準備したから、好きに飲み干してくれたまえ!」
ティカトラスの宣言に、人々はいっそうの熱気を渦巻かせる。
その間も《ギャムレイの一座》による笛や太鼓の演奏が続けられているため、本当に真昼間から復活祭のごとき騒ぎであった。
その後も、入れ代わり立ち代わりでさまざまな人々が挨拶に赴いてくれる。
人垣の向こう側には森辺の同胞の姿もちらほら見受けられたが、そちらは町の人々に順番を譲っている様子で近づいてこようとはしない。俺の聞き間違いでなければ、どこかからダン=ルティムの高笑いが響きわたっていた。
そんな時間が半刻ばかりも過ぎると、ようやく俺たちを包囲した人垣が薄くなっていく。
そのタイミングで、カミュア=ヨシュたちが近づいてきた。
「いやぁ、アスタたちはさすがの人気だね。婚儀ひとつでこれだけの騒ぎを巻き起こせる人間なんて、他にはいないんじゃないかなぁ」
「恐縮です。カミュアたちも、わざわざありがとうございます」
「いやいや。二人の婚儀に立ちあうことができて、本当に幸運だったよ」
そう言って、カミュア=ヨシュはいつになくやわらかな笑顔を見せた。
「俺たちも、三年以上のつきあいになるのだよね。まあ、一年の半分以上はジェノスの外で過ごしているけれど、やっぱり感慨深いよ。二人は俺にとって、森辺の民との懸け橋だったからさ」
「ふむ。あなたが最初から真情をさらしていれば、我々の架け橋など不要であったのではなかろうかな?」
アイ=ファが静かに言葉を返すと、カミュア=ヨシュは「いやいや」と手を振った。
「真情は、最初からさらしていたじゃないか。俺は清廉にして強靭なる森辺の民に興味津々だって、ずっと言い続けていただろう? ただ、大罪人を罠にかける作戦を黙っていただけのことさ」
「そのような隠し事をしていたから、我々はなかなかあなたのことを信用できなかったのだ。あなたはただでさえ、内心の読みにくい人間であるのだからな」
そう言って、アイ=ファは楽しげに目を細めた。
「しかしそれでもあなたは同じ苦難に立ち向かう同志であったし、素っ頓狂な振る舞いを見せつつも余念なく力を尽くしてくれた。あなたのように得体の知れない人間を信用することがかない、友となることができて、私は喜ばしく思っている」
「あはは。褒められたりけなされたりで、なかなか挨拶に困るところだねぇ。……ともあれ、今後ものんびり二人のことを見守らせていただくよ」
そんな風に言いながら、カミュア=ヨシュは隣に立っていたレイトの背中を押した。
「ほら、レイトもすましてないで、お祝いの言葉を届けなよ。君だって、二人とはさんざんご縁を深めてきただろう?」
「僕はおおよそカミュアの弟子として立ち振る舞っていたので、個人的なご縁などはあまり覚えがありませんよ」
愛想のないことを言いながら、レイトは大人びた笑みを俺に向けてきた。
「……ただ、《キミュスの尻尾亭》にまつわる話では、アスタにさんざんご迷惑をおかけしてしまいました。それに関しては深く感謝していますし、恩人であるアスタの婚儀はおめでたく思っています」
「俺だってレイトにはさんざんお世話になってたんだから、おたがいさまさ。それに、《キミュスの尻尾亭》は俺にとっても大切な場所だしね」
そんな言葉とともに、俺は心からの笑顔を届けた。
「俺はカミュアの弟子としてだけじゃなく、レイト個人とご縁を深めてきたつもりだよ。……あ、もちろんザッシュマもです」
「ふん。俺なんざ、おまけにすぎないさ」
頭に包帯を巻いて片腕を吊っているザッシュマは、本日もいくぶん不機嫌であるようだ。そんなザッシュマにも、俺は笑いかけた。
「おまけなんかじゃないですよ。ザッシュマはカミュアがいない時期でもあれこれお世話になりましたし、ダバッグまで旅行をともにした仲じゃないですか。ザッシュマにもこの場に立ちあってもらえて、俺は本当に嬉しいです」
俺の真情が伝わったのか、ザッシュマも「ふん」と鼻を鳴らしつつ笑顔を覗かせてくれた。
何かと三人ひとまとめで扱ってしまいがちな彼らであるが、俺にとってはそれぞれ思い入れのある大切な相手であるのだ。
前掛けをつけて宿屋の仕事を手伝うレイトの姿は微笑ましい限りであったし、レビやテリア=マスがらみの話ではカミュア=ヨシュぬきでレイトの心情を慮ることになった。彼は年齢にそぐわぬ落ち着きを有しているので、ふとした瞬間に見せる年相応の姿が俺を温かな心地にしてくれるのだった。
いっぽうザッシュマはいつもカミュア=ヨシュと連れだっているわけではないので、個別の思い出がいくつも存在する。ダバッグの旅行ばかりでなく、いつだったかの復活祭やティカトラスが初めてジェノスにやってきた時期など、さまざまな苦楽をともにしているはずであった。
ただやっぱり、もっとも印象的なのはカミュア=ヨシュであろう。
本人も言っていた通り、彼は一年の半分以上をジェノスの外で過ごしているはずであるが、そうとは思えないほど俺やアイ=ファの人生に大きく関わっているのだ。
何か大きな騒乱があったときには、カミュア=ヨシュがいつも力になってくれた。
ただし、すべての騒乱の場でカミュア=ヨシュが居合わせていたわけではない。ちょうどここ最近もカミュア=ヨシュは不在であったし、たしか飛蝗にまつわる騒乱の際にもジェノスを離れていたはずだ。あれはたしか、カミュア=ヨシュがチル=リムを《ギャムレイの一座》のもとまで送り届けている間の出来事であったはずであった。
(確かにカミュアは森辺の民に心をひかれてるんだろうけど、べったりつきまとうような感じではないんだよな)
きっとそれが、カミュア=ヨシュの生きざまであるのだろう。出会って三年が過ぎた現在も、俺が彼に抱くのは「風来坊」という印象であった。
しかしそれでも、カミュア=ヨシュが大切な存在であることに変わりはない。
だから、彼らがこの時期に戻ってきてくれたことを、俺はとても嬉しく思っていたのだった。
「それじゃあ後がつかえているから、いったん失礼しようかな。また後で時間があったら、ゆっくり語らせておくれよ」
カミュア=ヨシュは飄然とした笑顔を残して、身をひるがえす。
その後にやってきたのは、プラティカとニコラであった。
「ああ、お二人もわざわざありがとうございます。ほら、アイ=ファ。プラティカだぞ」
「承知している。……それに今日は、二人ではなく三人であるようだな」
俺は「え?」とプラティカのほうに向きなおる。
すると、彼女の背後で小さくなっている人影を発見した。プラティカよりもやや長身でありながら頭を屈めて身を隠している、フードつきマントの人物である。
「あれ? もしかして、アリシュナですか?」
「……はい」と小さな声で答えながら、その人影が身を起こす。しかし、プラティカの背後から移動しようとはしなかった。
「アリシュナ、体力、乏しいため、不測の事態、備えて、私たち、同行しました」
プラティカは、いつも通りの凛然とした面持ちである。ただアイ=ファを見つめる紫色の瞳には、さまざまな感情が渦巻いていた。
「アイ=ファ、アスタ、おめでとうございます。二人、姿、立派です。そして、アイ=ファ、別人のごとき、たおやかさです。内心、喜び、あふれかえっています」
「うむ。それを否定することはできんな。約束通り参じてくれて、心から嬉しく思っているぞ」
アイ=ファが優しい眼差しを返すと、プラティカは感じやすい頬を赤くする。
いっぽうニコラはいつも通りの不愛想な面持ちで、恭しく一礼した。
「ポルアース様とメリム様はあちらの車におられますが、このような人混みでお姿を現すことはかないませんため、わたしが言伝のお役目を賜りました。アスタ様、アイ=ファ様、ご結婚おめでとうございます。どうか末永くお幸せに……とのことです」
「うむ。確かに承った。かなうことならば、屋台の料理だけでも口にしてもらいたいものだな」
「はい。のちのち他の侍女たちが、屋台に参ずるかと思います」
「そうか」とうなずいたのち、アイ=ファはプラティカの背後に目をやった。
「それでお前は、何を縮こまっているのだ? 体調が悪い……というわけでは、なかろう?」
アリシュナはまた小さな声で「……はい」と応じながら、俺たちの姿を上目づかいに見やってくる。それもまた、アリシュナらしからぬ振る舞いであった。
「ですが、私、ぶざまな姿、さらしたため……羞恥、禁じえません。めでたき日、そぐわない振る舞い、容赦、願います」
「うむ? ぶざまな姿というのは……もしや、晩餐会の日のことであろうか?」
アリシュナは細い身体をいっそう小さくしながら、「……はい」と答えた。
晩餐会の日、カイロス三世と語らった後――俺の中に新たな星を見出したアリシュナは、子供のように泣き伏すことになったのだ。
「そうか。東の民にとって、感情をさらすのは恥ずべき行為であるのだったな」
アイ=ファは納得した様子でうなずいてから、ふいに優しい眼差しを見せた。
「しかしお前はアスタのために、喜びの涙を流してくれたのだ。我々にとってはありがたい限りの話であるので、何も気に病むことはないぞ」
「……ですが、羞恥、忘れること、困難です」
そう言って、アリシュナはもじもじと身を揺すった。
「……アスタ、新たな星、かそけき光、変わり、ありません。赤の猫、赤子、守る、母親のように、黄の狼、寄り添っています」
「ふむ。それは他者の運命を勝手に読み解いていることにはならぬのか?」
「はい。星の動き、語っていません。二つの星、五日前から、変わらず、寄り添っています。また、それ以前、赤の猫、黒き深淵、寄り添っていたのです。二人、結ばれる、運命だったのでしょう」
「運命は、自分の手で切り開くものであるぞ」
アイ=ファは静かな声で答え、俺のほうに向きなおってくる。
その青い瞳も、やはり静謐だ。ただそれは玉虫色の輝きに煙っているためであり、本当はきらきらと星のように輝いているのではないかと思えてならなかった。




