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異世界料理道  作者: EDA
最終章 ファの家の婚礼

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1696/1710

宿場町の披露宴①~訓示~

2025.11/24 更新分 1/1

・今回の更新は全13~14話の予定です。

 その朝――

 俺が目を覚ますと、アイ=ファの幸せそうに微笑む顔がすぐ目の前に待ち受けていた。


 今日は、アイ=ファに先んじることができなかったのだ。

 しかし幸せな心地であることに変わりはないので、俺は寝起きの放埓な心のままに「おはよう……」と笑顔を返した。


「今日はアイ=ファの勝ちだったか……アイ=ファも、ちゃんと眠れたか……?」


「うむ。今日はギバ狩りと同じぐらい、力が必要であろうからな」


 世にも幸せそうな面持ちで、アイ=ファはそんな言葉を口にした。

 俺たちはぴったりと寄せ合った寝具の上で、おたがいに向き合う格好で横たわっている。金褐色にきらめく髪がアイ=ファのなめらかな頬に流れ落ち、その青い瞳はひたすら真っ直ぐに俺を見つめていた。


 本日は、青の月の二十九日――俺とアイ=ファの、婚儀の日である。

 こんな大切な日にも、俺はいつも通りぐっすり眠ることができた。


 こうしてアイ=ファとともに目を覚ますのも、いったい何回目になるのだろう。

 そして明日は、どういう心持ちで目覚めることになるのだろうか。


 俺がそんな夢想にひたっていると、アイ=ファが俺の手を握りしめた指先にきゅっと力を込めてきた。


「では、早々に朝の仕事を片付けるべきであろうな」


「うん……そうだな」


 俺は同じだけの力でアイ=ファの手を握り返してから、毛布をはねのけて身を起こす。すると毎朝恒例の儀式として、毛布の下にもぐっていたサチが「なうう」と不満げな声をあげた。


 たとえ婚儀の当日であっても、朝の仕事を二の次にすることは許されない。俺たちは二人きりの家人であるのだから、なおさらだ。しかしまた、そんな事実までもが俺を幸せな心地にしてやまなかった。


 隣の物置部屋に移動した俺は、壁に掛けられた狩人の衣と白い調理着を見やりながら、身支度を整える。

 それから広間に出ると、アイ=ファは隣接した小屋からブレイブたちを外に出しているさなかであったため、俺は昨晩使用した食器が詰め込まれた鉄鍋を運び出すことにした。


(さあ……いよいよなんだな)


 玄関を出た俺は大きな感慨に見舞われながら、視線を巡らせる。

 この数日で、ファの広場はふた回り以上も大きく広げられていた。今日の祝宴のために、あちこちの氏族から寄り集まった男衆によって広場が拡張されたのである。


 広場の形状は楕円形で、母屋から見ると横に大きく広がっている。

 その西の果てには、大量の丸太が山積みにされていた。いずれはそれらを使って、共用のかまど小屋が建てられるのだ。


 また、母屋から少し離れた場所には、革張りの屋根が立てられている。

 かまど小屋には屋外のかまどや石窯を併設するのが通例であり、それには屋根が必要となるため、前倒しで購入されることになったのである。その屋根の下には、本日使用する簡易かまどと作業台が設置されていた。


 それらの設備はふた組ずつ存在するので、本来のかまど小屋を含めれば三ヶ所の作業場が確保されたことになる。これでも足りない分はフォウやディンのかまど小屋で仕上げられて、こちらに持ち込まれるのだそうだ。


 今日はこの場に、二百四十名もの参席者が集められるのである。

 しかもそれは、すべて森辺の同胞だ。町の人々には広場のお披露目で満足してもらい、夜の祝宴には森辺の同胞だけが招待されることになったのだった。


 森辺の民の総数は六百名ていどとされているので、その四割にも及ぶ人々が俺たちの婚儀を祝ってくれるというのだ。

 これでは俺も、感慨と無縁でいることはできなかった。


「では、ゆくか。鉄鍋は私が引き受けるので、お前は鉄板と装束を受け持つがいい」


 かまど小屋から使用済の鉄板および調理器具を運んできたアイ=ファが、そのように告げてくる。俺は引き板を持ち出したが、アイ=ファは両手で鉄鍋を抱えていた。


 そうして水場に向かうと、今日は犬の家人が全員ぞろぞろとついてくる。

 猟犬たるブレイブとドゥルムア、番犬のジルベ、ブレイブの伴侶であるラム、子犬のフランベ、チトゥ、マニエの七頭だ。子犬たちもずいぶん大きくなってきたが、大人たちに比べればまだちまちまとした体格であり、列をなして歩く姿が可愛らしい限りであった。


「アスタ、アイ=ファ、おはようございます。今日は犬の家人が総出なのですね」


 水場に到着すると、すでにユン=スドラやフォウの女衆らが洗い物に励んでいた。


「やっぱりジルベたちも、今日が特別な日だと察しているのではないでしょうか? みんな、いつも以上に瞳を輝かせているように感じられます」


「あはは。ジルベたちは、察しがいいからね。俺の幸せ気分を見透かされちゃったかな」


 鉄鍋を抱えたアイ=ファは、「うつけもの」と苦笑まじりの視線を送ってくる。しかしその凛然とした面にも、常とは異なるやわらかな気配がにじんでいた。


「あらためて、広場は立派なものだったよ。たった数日であんなに切り開くことができるなんて、驚きだね」


 俺が洗い物に励みながらそのように告げると、ユン=スドラは笑顔で「ええ」とうなずいた。


「広場を切り開くには、樹木を伐った後に根まで掘りおこさなければなりませんからね。そうして広場を広くすればするほどたくさんの人間を招くことがかないますので、男衆らも奮起することになったのでしょう」


「本当に、どれだけ感謝しても足りないね。普段だったら、美味しい料理でお返しするところだけど――」


「その役割は、わたしたちが担います。アスタには、指一本ふれさせませんよ」


 冗談めかして言いながら、ユン=スドラはくすりと笑った。今日の祝宴の宴料理はユン=スドラとレイナ=ルウとトゥール=ディンが取り仕切り役となって、すべて仕上げてくれるのである。それで俺は婚儀に集中するべしと厳命されていたのだった。


「本当にありがとう。ユン=スドラには、感謝しているよ」


「お礼をいただくのは、まだ早いです。まずは宴料理が満足な出来栄えであるか、アスタの舌でお確かめください」


 ユン=スドラはずっと朗らかな面持ちであるが、その瞳には熱情の光が渦巻いている。それがまた、俺の胸を深く満たしてならなかった。


「それでは、またのちほど。もう夜まではゆっくり言葉を交わす機会はないかもしれませんので、アスタも頑張ってください」


「うん、ありがとう。ユン=スドラ、よろしくね」


 最後に「はい」と輝くような笑顔を残して、ユン=スドラは立ち去っていった。

 俺とアイ=ファも洗い物を片付けて、また七頭の家人とともに帰路を辿る。母屋の脇ではギルルが枝の葉をついばんでおり、サチとラピはそれぞれ好き勝手にくつろいでいた。


「では、水浴びと薪拾いだな。本日、身を清めたいものはあろうか?」


 アイ=ファの問いかけに、ジルベだけが「わふっ」と答える。犬は人間ほど汗をかかないため、水浴びは数日置きであるのだ。俺たちはジルベだけを引き連れて、ラントの川に向かうことになった。


 今日は婚儀であるのだから、入念に身を清めるべきであろう。

 とはいえ、シャンプーもボディソープも存在しない地においてのことだ。大きな岩の裏で衣服を脱いだ俺は、持参した織布で入念に全身をぬぐうしかなかった。


 いっぽうジルベは、川の流れも意に介さずにすいすいと遊泳を楽しんでいる。俺がそのさまに心を和ませていると、岩の向こう側からアイ=ファの声が聞こえてきた。


「そういえば、お前を初めてこの場所に案内した日には、マダラマとギバに襲われたのだったな」


「ああ、懐かしいな。この世界は水浴びするのも命がけなのかって、俺も驚かされたもんだよ」


 しかしあの日以来、俺はマダラマどころかギバを見かけたこともない。あれは本当に、数年に一度の災厄がたまたま重なっただけの話であったのだ。


「……あの日、お前の助けがなければ、私はマダラマに絞め殺されていたやもしれんな」


「アイ=ファだったら、きっとどうにか切り抜けたさ。その後のギバでは、俺が助けられたしな」


「うむ。そして私は、お前に裸身を見られたのだ」


「あ、ああ。だけどあれは、不可抗力だろう? アイ=ファの命がかかってたんだからさ」


「わかっている。だから、お前の目玉をえぐらずに済ませたのだ。……あの日に短慮な真似をしなかった自分の忍耐強さを、ほめておくとしよう」


 アイ=ファの声が笑いの響きを帯びたので、俺もつられて笑ってしまった。

 そうして川べりに上がったのち、しぼった織布で全身の水気をぬぐう。

 この三年余りで成長した、二十歳の肉体だ。やはり十七歳の頃に比べれば格段に筋肉がついており、衣服の下も多少ながらは日に焼けて、実に健康的な仕上がりであった。


 そして、左肩にはムントの爪による傷痕が残されており、足もとには赤い火ぶくれが残されている。もうほとんど痛みもなかったが、足もとの火傷はまだ完治していなかった。


 しかしこれも、俺がこの地で生きてきた証である。

 これが神々によって与えられた新しい肉体であるとしても、怪我をすれば血が出るし、火に炙られれば火傷をする。俺は自分の心に従って生きる、か弱いひとりの人間に過ぎなかった。


「お待たせ。それじゃあ、仕事に取りかかろうか」


 先に水浴びを済ませていたアイ=ファは、「うむ」と力強く応じてくる。

 森の端における薪拾いと、ピコの葉およびリーロの香草の採取だ。たとえ婚儀の当日であろうとも、俺たちは明日に備えて働かなければならなかった。


 しかし、本日の仕事はここまでである。

 屋台の商売もギバ狩りのも仕事もなく、俺とアイ=ファは婚儀に備えるのだ。宿場町の広場でお披露目をすると決めた以上、遊んでいるいとまはどこにもなかった。


「お帰りなさい、アイ=ファ。こちらはもう準備できていますよ」


 荷物を抱えて家に戻ると、サリス・ラン=フォウを筆頭とする女衆が笑顔で待ちかまえていた。

 彼女たちは、花嫁衣裳の着付けを手伝ってくれるのだ。アイ=ファの幼馴染であるサリス・ラン=フォウは、ひときわ嬉しそうに笑っていた。


「今日はわたしがメイ=ファの代わりとして、花嫁の心得ってやつを教えさせていただくよ」


 そのように告げてきたのは、フォウの家長バードゥ=フォウの伴侶だ。アイ=ファが幼少期にご縁を持っていたのはフォウとランの家であったため、親筋の彼女がその役割を担ってくれたのだった。


「アイ=ファの母親代わりを務めるだなんて、光栄な限りだね。……何年にもわたって縁を切っていた身としては、後ろめたくもあるけどさ」


「それはこちらにも責任があってのことだ。フォウの家とも絆を結びなおし、今日という日を迎えられたことを、心から喜ばしく思っている」


 アイ=ファが穏やかな面持ちで応じると、バードゥ=フォウの伴侶も「うん」と目を細めた。


「それじゃあ、着替えを始めようか。アスタは、ルウの家まで出向くんだよね?」


「はい。ちょっと荷物がありますので、取ってきますね」


 俺は母屋に上がりこみ、物置部屋に準備しておいた包みを手にして舞い戻った。


「それじゃあ、行ってきます。どうぞアイ=ファをよろしくお願いします」


「ああ。アスタもしっかりとね。アイ=ファの花嫁姿を楽しみにしておくといいよ」


 俺は胸を高鳴らせながら「はい」とうなずき、アイ=ファにも笑顔を届けた。

 アイ=ファはいつも通りの落ち着いた面持ちで、やわらかい眼差しを返してくる。かえすがえすも、アイ=ファの胆力というのは人並み外れていた。


(でも、イーア・フォウ=スドラなんかも婚儀の前は落ち着いたもんだったよな。こういう話は、やっぱり女性のほうがしっかりしてるのかな)


 そんな思いを噛みしめながら、俺はギルルを荷車に繋げる。すると、ブレイブたちに帰還の挨拶をしていたジルベが、いつの間にか足もとに鎮座ましましていた。


「これからルウ家に行くんだけど、ジルベも一緒に来るかい?」


 ジルベは「わふっ」と尻尾を振りたてる。

 そんなジルベを荷台に乗せて、俺はルウの集落を目指した。


 森辺において婚儀を挙げる際には、立場のある人間から訓示をいただくのだという。男衆は家長に、女衆は家の取り仕切り役に、それぞれ婚儀を挙げる人間の心がまえというものを学ぶのだ。


 しかし、俺とアイ=ファに家族というものは存在しない。

 それで、アイ=ファはバードゥ=フォウの伴侶、俺はドンダ=ルウを頼らせてもらうことになったのだった。


 アイ=ファもルウ家とはゆかりが深いが、幼い頃から家ぐるみでお世話になっていたのはフォウやランの家となる。

 いっぽう俺は森辺に来て最初にお世話になったのがルウ家であったため、バードゥ=フォウよりもドンダ=ルウを頼るべきかと判じたのだ。それはまた、ルウ家とフォウ家のどちらも二の次にすることはできないという心境のあらわれでもあった。


(それにやっぱり、俺に森辺の民としての何たるかを教えてくれたのはルウの人たちだもんな)


 ただし、ドンダ=ルウを父親代わりとして頼らせていただくというのは、面映ゆい限りであったし――それ以上に、背筋ののびる話でもあった。それこそ、結婚相手のおっかない父親のもとに出向くような心持ちである。そこにジザ=ルウも待ち受けているとあっては、なおさらであった。


「よー、来たなー。親父も、さっき起きたところだぜー」


 ルウの集落に到着すると、広場でルド=ルウが幼子たちと遊んでいた。

 その中から、コタ=ルウがちょこちょこと進み出てくる。その黒みがかった青い瞳は、朝からきらきらと輝いていた。


「アスタ、こんぎだね。コタもファのいえにいけるから、すごくうれしい」


「うん。広場に出られないのは残念だけど、今日はアイム=フォウも来てくれるからさ。俺が挨拶に行くまで、アイム=フォウと遊んでいておくれよ」


 ユン=スドラとレイナ=ルウのはからいで、祝宴に参席できない幼子までもが招待されているのだ。もちろんそれはファの家とゆかりの深い幼子に限られており、コタ=ルウはその数少ないひとりであった。


「じゃ、行こーぜ。寝起きの親父は不機嫌だけど、気にする必要はねーからな」


「そ、そうなのかい? なんだか、余計に緊張しちゃうね」


「親父相手に緊張したって、始まらねーだろ。……コタ、来ねーのかよ?」


「え? コタもいっていいの?」


 コタ=ルウがまた瞳を輝かせると、ルド=ルウがその小さな身をひょいっとすくいあげた。


「こういう日は、婚儀を挙げるやつを男衆で囲むんだよ。ダルム兄のときはコタもまだ小さかったけど、これぐらいでかくなりゃ十分だろ」


 ルド=ルウに肩車をされたコタ=ルウは、高い位置から俺に笑いかけてくる。

 俺も緊張で顔が強張らないように気をつけながら、笑顔を返すことにした。


「じゃあ、ジルベはみんなと遊んでてな」


 残される幼子たちにジルベを預けて、俺はルウ本家の母屋を目指した。

 ギルルを繋ぐために母屋の横手に回り込むと、すでにかまど小屋からは熱気と物音が伝わってくる。レイナ=ルウの指揮のもと、屋台の商売の下ごしらえが進められているのだろう。俺はそちらにも挨拶をしたい気持ちをぐっとこらえて、荷台から持ち出した包みを手に母屋へと足を向けた。


「親父、アスタが来たぜー」


 コタ=ルウを地面に下ろしたルド=ルウが、気安く声をあげながら玄関の戸板を開く。

 それに続いて玄関をくぐると、広間に座した面々の厳めしい姿が見えた。


 ドンダ=ルウにジザ=ルウ、さらにはダルム=ルウまでもが控えており、他の家人の姿はない。ジバ婆さんたちは寝所にこもっているか、あるいは分家の家に出向いているのだろう。この時間は、男衆だけが花婿の相手をするという習わしであったのだ。


「きょ、今日はどうも、お世話をかけます」


 俺はへどもどしながら頭を下げて、広間に上がり込んだ。

 ルド=ルウとコタ=ルウは家族の横に並び、俺はひとり向かい合う位置取りで腰を下ろす。誰も口を開こうとしないのが、なかなかの圧迫感であった。


(……何だか、昔を思い出しちゃうな)


 昔――俺が森辺にやってきた頃、ルウ本家の男衆で多少なりとも好意的な態度を見せてくれたのは、ルド=ルウただひとりであったのだ。

 ドンダ=ルウなどはアイ=ファに対しても反感を剥き出しにしていたし、ダルム=ルウは陰でアイ=ファにちょっかいをかけていた。ジザ=ルウはもっとも穏やかなたたずまいでありながら、誰よりも長きにわたって懐疑的な立場を取っていたのである。


(でも、そんなのは昔の話だ)


 俺はめいっぱい背筋をのばしてから、ドンダ=ルウたちに頭を下げた。


「あらためて、今日はありがとうございます。どうか婚儀を挙げる人間の心構えというものをご教示ください」


「ふん……自分の子でもない相手にそんな真似をする筋合いは、どこにもないのだがな」


 ドンダ=ルウが不機嫌そうな声で言いたてると、ジザ=ルウが「ええ」と静かに同意を示した。


「それは森辺の習わしにそぐわない話でありましょう。また、ファの家は婚儀の祝宴においても、習わしに反する申し出をしてきました」


 初っ端から、なかなかに重い攻撃である。

 しかし俺も背筋をのばしたまま、精一杯の気持ちで答えるしかなかった。


「それは、ドンダ=ルウとジザ=ルウの両方を祝宴にお招きしたことについてですよね? そちらでも、森辺の習わしにそぐわない申し出を了承していただき、心から感謝しています」


「でも、そいつはレイナ姉やらユン=スドラやらが決めたことなんだろー?」


 ルド=ルウの言葉に、俺は「いや」と首を横に振った。


「確かに提案してくれたのはレイナ=ルウたちだったけど、最終的に決定したのは俺とアイ=ファだからね。責任逃れは、できないよ」


 そのように答えてから、俺はまたドンダ=ルウたちに頭を下げた。


「ルウ本家の方々を全員お招きするというのは、俺にとってもアイ=ファにとっても物凄く嬉しい話であったので、どうしても我慢することができませんでした。厚かましいお願いであることは百も承知ですが、どうかみなさんにも俺たちの婚儀を見届けていただきたく思います」


「ったくよー。アスタたちの婚儀を見届けられる上に美味いもんまで食えるんだから、文句なんざねーだろー? 堅苦しい話は、とっとと終わりにしてくれよなー」


「ふん……それを望んだのは、アスタのほうであろうが? こういう場では、森辺の民としての心がまえを説くものであるのだからな」


 不機嫌そうな声音のまま、ドンダ=ルウはそう言った。


「わざわざ俺のもとなど訪れるから、このような説教を聞くことになるのだ。まったくもって、酔狂なことだな」


「はい。俺はドンダ=ルウたちの導きで森辺の民としての自覚を育むことができましたので、どうしてもこの時間をお借りしたかったのです」


 ドンダ=ルウの不機嫌なライオンめいた顔を真正面から見つめながら、俺はそのように答えた。


「俺が初めてジバ=ルウに料理をふるまったとき、ドンダ=ルウは森辺の狩人にとっての毒だと仰いました。また、俺が宿場町で商売をするために人手をお借りしたいと願い出たときには、何か悪だくみをしていたら右腕をいただくと仰っていましたよね。それだけ厳しい言葉をいただいたからこそ、俺は自分の行いを顧みて、森辺の民にとっての正しい道というものを強く意識するようになったんです。俺みたいな余所者には、あれぐらい厳しい言葉が必要だったんです」


「…………」


「そしてジザ=ルウは、俺は町で暮らすべきじゃないかと忠告してくれました。そしてその後も、俺の行いが正しいかどうか厳しく見定めると言ってくれましたね。それでまた、俺は誰にも恥じることのないように生きようという思いを新たにすることができました。俺よりも厳格な気性をしたジザ=ルウにいつも見られていると意識することで、自分を戒めることができたんです」


「…………」


「それで、ダルム=ルウは……アイ=ファに関して、厳しい意見をくださいました。アイ=ファが健やかな行く末を迎えられるかどうかは、たったひとりの家人である俺にかかっていると言ってくださいましたね。それで俺も、いっそう真摯にアイ=ファと向き合わなきゃいけないと心を定めたんです。当時は複雑な立場にあったダルム=ルウからそんな忠告をいただくことができて、俺は本当にありがたかったです」


 そうして俺は、三たび頭を下げた。


「今日の俺があるのも、ルウの方々のおかげです。本当にありがとうございました」


 すると、ルド=ルウが「ちぇっ」と舌を鳴らした。


「文句ばっかり言ってた親父たちが感謝されるってのは、なーんか納得いかねーなー。俺やコタは、いつでもアスタの味方をしてやったのによー」


「あはは。もちろんそれだって、ありがたくてたまらなかったよ。森辺の民の全員に厳しい目を向けられていたら、きっと自信をなくしていただろうからね。厳しい言葉で導いてくれた人たちも、優しく受け入れてくれた人たちも、俺にとってはどっちも大切な存在だってことさ」


「うん。みんな、アスタがだいすきだからね」


 コタ=ルウはにこにこと笑いながら、父や祖父のほうに純真な眼差しを巡らせる。すると、ジザ=ルウは苦笑めいた表情を浮かべ、ドンダ=ルウは「ふん」とそっぽを向いた。


「何はどうあれ、貴様のようにおかしな立場である人間には、かける言葉も見つからんな。……今後、ファの家はどのような形で過ごしていくのだ?」


「はい? どのような形と申しますと?」


「たとえば、家長の座だ。これまではアイ=ファが家長を務めていたが、それはあやつが狩人であったためであろうが? あやつが子を授かって刀を置いた際には、誰が家長を務めるのだ?」


「そうですね。まだそこまで突き詰めて語り合ってはいないのですが……今のところは、アイ=ファが家長のままでいいんじゃないかと考えています。俺だって狩人ではないのですから、家長の座には相応しくないのでしょうしね」


「しかし、子を生む前後には家を守ることもできん。それで、家長と言えるのか?」


「その期間は、俺が頑張ります。もしもアイ=ファが出産や子育てで家長会議におもむけないときは、俺が家長代理として出向くつもりですよ。そのときには、猟犬のブレイブか番犬のジルベあたりをお供にするというのは如何でしょう?」


「これだ……これでどうやって、森辺の民としての正しき道を説けというのだ?」


 ドンダ=ルウが珍しくも溜息をつくと、ひとり無言であったダルム=ルウが声をあげた。


「そういえば、アイ=ファが刀を置いたのち、猟犬たちはどうするのだ? そちらも三頭もの子犬が産まれたのだろう?」


「はい。さしあたって、ブレイブとドゥルムアはフォウの血族にお貸しするという約束になっています。子犬たちが育ったら……そのとき猟犬が足りていなそうな氏族に貸し出すことになるのでしょうね」


「ふん。犬の寿命は、十数年という話だからな。お前たちの子が育つ頃には、子犬たちも年老いているということか」


「はい。俺たちの子と一緒に働くのは、きっと孫の世代なのでしょうね。アイ=ファは自分の子ばかりでなく、猟犬の子を育てるのも楽しみでならないようですよ」


 するとダルム=ルウは口もとに手をやって、肩を揺らした。きっと、笑いを押し殺しているのだ。


「実に、あいつらしい。……きっと男児が生まれた際には、あやつが刀の握り方を手ほどきするのだろうな」


「はい。さすがに森に出ることはできないでしょうから、家で可能な手ほどきはアイ=ファが受け持つことになるかもしれませんね」


 ダルム=ルウにつられて、俺もつい楽しい心地になってしまう。

 すると、ジザ=ルウも内心の知れない面持ちで発言した。


「斯様にして、狩人の女衆とかまど番の男衆しか家人のいないファの家は、特異であるのだ。これでは、我々に説ける話など限度があろう」


「まったくだ」と、ドンダ=ルウは重々しい声と視線を俺に向けてくる。


「よって、俺たちは古来より伝わる森辺の習わしを説くことしかできん。その後は、自力で道を切り開くのだ。……貴様たちは、今後の手本となる存在であるのだからな」


「え? 俺たちが、手本ですか?」


「何を驚く。アイ=ファの影響で、レム=ドムまでもが女狩人として生きることになったのだ。今後は貴様の影響で、男衆でありながらかまど仕事に目覚める人間が出てこないとも限らんではないか」


 俺が目を白黒させていると、ルド=ルウが「んー?」と小首を傾げた。


「でもよー、女狩人はアイ=ファみてーに適当なところで子を生みゃいいけど、男衆のかまど番は死ぬまでかまど番ってこったろー? そうしたら、ギバ狩りの人手が足りなくなっちまうんじゃねーの?」


「今の時点では、そうかもしれん。しかし森辺の民はこの三年ていどでも、家人の数が増えているのだ。この調子でどんどん家人の数が増えていけば、いずれは人手が余ることにもなりかねん」


「おー。なんだか、前に聞いた猟犬の話みてーだなー。猟犬なんざ、数年で何百匹って数になっちまうって話だったもんなー」


「犬は一人前に育つのが速いため、人間よりも巡りが速いということだ。しかし人間とて犬に負けぬほど子を生すのだから、いずれは同じ行く末を迎える」


「ええ。いずれ森辺の民の数が倍になれば、狩人の数も倍になります。それでギバの収獲までもが倍となったならば、食べきれないほどのギバ肉を手にすることになり……やがては森からギバが失われる恐れもあるのでしょう」


 ジザ=ルウの落ち着いた言葉に、ドンダ=ルウは「その通りだ」と首肯する。


「十年後か二十年後、おそらく俺たちはひとつの決断を迫られることになる。増えた人手を、どのように使うかだ。そうして男衆のすべてが狩人になる必要はないと見なされたならば……かまど番として生きたいと願う人間が現れることもあろう」


「……そういった人たちに、手本を示せというお話であるわけですか」


 俺は思わず、天を仰ぐことになった。


「まさか、そんな話をうかがうことになるとは考えてもいませんでした。……あらためて、みなさんに感謝します」


「感謝するのは、まだ早い。俺たちにできるのは、古い習わしを説くことだけだと言っているであろうが?」


 そう言って、ドンダ=ルウはにやりと笑った。


「貴様もずいぶん貫禄がついたようだが、まだまだ甘っちょろい部分も残されているようだからな。この日にルウ家を訪れたことを後悔させてやるから、覚悟するがいい」


「はい。でも、どんな厳しい言葉をいただいても、後悔だけはしませんよ。俺は、そのためにお邪魔したのですからね」


 そうして俺はあらためて、ドンダ=ルウたちの厳しい訓示にさらされることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
ドンダ=ルウに「貫禄がついた」なんて言われる日が来るとはねえ…感慨深い。 ふと思ったけど、もしかして森辺で性教育をするタイミングってここなのか? 少なくともアイ=ファがそれを学べるタイミングはここし…
estoy feliz solo eso, por fin se acaba nuestra telenovela favorita! gracias autor
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