送別の祝宴⑥~良縁と悪縁~
2025.11/8 更新分 1/1
「おお、アスタ殿にアイ=ファ殿! ようやく挨拶ができたね!」
次の卓に到着すると、笑顔のポルアースに出迎えられた。
「どうも、お疲れ様です。ポルアースも、自由に動けるようになったのですね」
「うん! それで、自慢の料理長をねぎらいに出向いたのだよ!」
そこはダレイム伯爵家の料理長たるヤンの料理が出されている卓であったのだ。
なおかつ珍しいことに、ダレイム伯爵家の面々が勢ぞろいしている。当主のパウド、その伴侶リッティア、第一子息のアディス、その伴侶カーリア、第二子息のポルアース、その伴侶メリムという顔ぶれだ。
そして、伯爵家の面々が集合しているため、侍女も集合している。いつもお世話になっているシェイラに、ヤンの弟子であるニコラ、その姉であるテティア、そして宿場町の民たるルイアである。こちらの四名が集合する姿を目にするのも、ずいぶんひさびさのことであった。
「あら。そちらもこちらに負けない大所帯のようね」
ポルアースと似てころころとした体格をしたリッティアが、楽しそうに声をあげる。こちらはルウ家の三名と合流したのちも三名の剣士が追従しており、おまけにジルベとサチも引き連れていたのだった。
「……あらためて、先日はご苦労でしたな。アスタがジェノスで暮らすことを許されて、わたしも安堵しておりますぞ」
と、ポルアースの父たるパウドが、そんな言葉でねぎらってくれた。ポルアースよりはがっしりとした固太りの体型で、見事な口髭をたくわえた貫禄のある貴族だ。第一子息のアディスもそっくりの風貌で、ただ口髭だけは生やしていなかった。
アディスの伴侶であるカーリアはふくよかな体型をした穏やかな貴婦人で、ポルアースの伴侶であるメリムは俺よりも年少に見えるぐらい童顔でとても可愛らしい。こうして見ると、ご一家で華奢な体型をしているのはメリムひとりであった。
「アスタ殿、アイ=ファ殿、ご婚約おめでとうございます。お二人が健やかなご家庭を築けるように、わたくしも陰で祈っておりますわ」
メリムがにこりと微笑みながらそのように告げると、リッティアやカーリアもそれに続いた。しかし、高名な貴婦人に相応しいたおやかなたたずまいであり、俺は羞恥を覚えることなく「ありがとうございます」と笑顔を返すことができた。
「さあさあ、それではヤンの料理を存分に味わってくれたまえ! 残念ながらギバ肉は使われていないけれども、なかなかの出来栄えだよ!」
やはりヤンも本日ばかりは、獣肉の使用を避けたようである。
卓に並べられているのは、細長い春巻きのような揚げ物の料理だ。ヤンは苦労を厭わずに、個別の軽食を準備したようであった。
シェイラやテティアが取り分けてくれた料理を受け取って、期待をもって口に運ぶ。すると、ヤンらしい落ち着いた味わいが口内に広がった。
ただこれは、料理であるのか菓子であるのか、いささか判別が難しい。パリパリとした生地の内側に隠されていたのは、もっちりとしたシャスカの粒と香ばしい風味がするブレの実のあんこであり、塩気とともにほのかな甘みも感じられた。
(でも、やっぱり……菓子ではなくて、料理なのかな)
もち米のように仕上げられたシャスカを噛んでいると、マツタケに似たアラルの茸の風味が鼻に抜けていく。そして、ブレの実はほんのり甘かったが、タウ油やミソなどで塩味がきいているようであった。
揚げ春巻きの内側にぼたもちが仕込まれているような作りであるため、俺にとっては馴染み深い味わいが不可思議な形に変容している印象となる。さらに、ぼたもちにはありえない茸や調味料の風味が新鮮でならなかった。
「これは、不思議な味わいですね。菓子のような料理なような……でも、とても目新しくて、美味しいです」
「ありがとうございます。こちらはニコラとともに新たな菓子の考案に励んでいた際に、偶発的に出来上がった品であるのです。菓子として活かす道をあきらめたことで、なんとか満足のいく形に仕上げることがかないました」
折り目正しく一礼するヤンのかたわらで、仏頂面のニコラも頭を下げる。ヤンの弟子たる彼女だけは、侍女のお仕着せではなく調理着の姿であった。
「言うまでもなく、シャスカとブレの実の組み合わせは森辺の菓子からの発想となります。それを自分たちなりに再構築しようとあがいた結果、このような品ができあがった次第です」
「ええ。こちらの品には、俺には思いつかない発想がたくさん詰め込まれています。俺ももっとブレの実を料理で使ってみたくなりますね」
そうしておたがいに影響を与え合うというのが、切磋琢磨の醍醐味であろう。ヤンは慇懃な表情を保持したまま、「光栄です」と嬉しそうな眼差しをこぼしてくれた。
こんなヤンでも、初対面の際にはずいぶん警戒心をあらわにしていたのだ。生真面目そうな印象に変わりはなかったが、慇懃の後に無礼とつけたくなるような目つきと口調であったのである。
そもそもヤンは、俺と協力して宿場町における焼きポイタンの普及に努めるようにという指令を受けていたのだ。伯爵家の料理長でありながら森辺の民と手を組み、宿場町で屋台を出すとあっては、ヤンが複雑な思いを抱くのも当然の話であった。
しかしヤンは、すぐに心を開いてくれたように思う。
おそらくは、森辺の民がどれだけ真摯に料理や商売と向き合っているかを理解してくれたのだ。するとヤンは身分の違いなど歯牙にもかけず、すぐさま俺たちを同志やライバルとして認めてくれたのだった。
(最初に出会った城下町の料理人がヤンだったから、ティマロのとげとげしい態度がいっそう際立って感じられたのかもしれないな)
そんな風に考えてから、俺は自ら誤謬に気づいた。俺が最初に出会った城下町の料理人は、ヤンではなくミケルであったのだ。当時のミケルは料理人として生きることをあきらめていたため、無意識の内に枠から外してしまっていたようであった。
当時の俺たちは、サイクレウスがどういう人間であるかを探ろうとしていた。そこでシュミラル=リリンがミケルを発見して、俺たちに引き合わせてくれたのだ。
その末に、俺はトゥラン伯爵邸に誘拐され――まずはお目付け役のロイと出会い、顔をあわせないままティマロと味比べの勝負をさせられた。そうして俺の身を解放するためにポルアースが手を差し伸べて、それからヤンと巡りあうことになったわけであった。
(それじゃあ出会った順番は、ミケル、ロイ、ヤン、ティマロっていうことになるのか。やっぱり時間が経つと、記憶が曖昧になるもんだな)
しかしそれは時系列があやふやになっただけであり、ひとりひとりとの出会いや交流に関しては心に深く刻みつけられている。ヤンというのは、俺にとって最初の盟友のひとりに他ならなかった。
いっぽう弟子のニコラと出会ったのは、トゥラン伯爵家にまつわる騒乱を終えてからのことだろう。その前からシェイラはポルアースとの連絡係を担っており、のちに新入り侍女のニコラもそれを手伝うようになったのだ。
あの頃はニコラが調理に目覚めてヤンに弟子入りするなど、夢にも思っていなかった。
さらにはユーミ=ランの悪友たるルイアもダレイム伯爵家で働き始めて、罪人として禁固の刑を受けていたテティアもそれに加わった。それでようやく、この華やかなカルテットが完成されたのである。
「どうしたんだい、アスタ殿? なんだか感慨深そうな面持ちだねぇ」
にこやかに語りかけてくるポルアースに、俺は「はい」と笑顔を返した。
「なんだか今日は、色々な思い出にひたってしまうんです。……森辺の民と貴族の方々の橋渡しをしてくれたのは、ポルアースですよね」
「あはは。それを言うなら、僕と森辺の方々の橋渡しをしてくれたのは、カミュア殿とザッシュマ殿だけどね。おかげで僕も、トゥラン伯爵家に盾突こうなどという蛮勇を振り絞ることができたのさ」
すると、無言で酒杯を傾けていた兄君のアディスがじろりとポルアースをねめつけた。
「当時はこの弟めがダレイム伯爵家に破滅をもたらすのではないかと、冷や汗をかかされたものですぞ。そうならなかったのは、幸いの限りですな」
「はい。父上と兄上がしっかり家を支えてくれていたからこそ、僕も自由に暴れることがかなった次第です。今の満ち足りた日々も、家族が手を携えた結果であるというわけですね」
ポルアースがあくまで朗らかに応じると、アディスは「まったく」と苦笑を浮かべる。いっぽう父君たるパウドは聞こえないふりをしているのか、デヴィアスたちと歓談に耽っていた。
貴婦人がたはルウ家の三名を相手に華やいだ声をあげており、ときおりジルベとサチにも矛先が向けられる。その和やかな様子を見やりながら、ポルアースもどこか感慨深そうな顔をした。
「だけど冗談ではなく、僕もときどき考えることがあるよ。もしも僕がカミュア殿たちの提案を突っぱねて、森辺の民に協力していなかったら、どうなっていたのだろう、とね」
「……それはあまり想像したくない行く末だな。我々はポルアースの協力があったからこそ、アスタを無事に取り戻すことがかなったのだ」
アイ=ファが真剣な面持ちで声をあげると、ポルアースは同じ面持ちのまま「でもさ」と応じた。
「僕が協力を申し出たとき、アイ=ファ殿たちはすでにアスタ殿の居所を突き止めていたじゃないか。それはたしか、ジーダ殿とミケル殿のおかげであったよね? それで、カミュア殿はマサラに旅立った後だったけれども、ザッシュマ殿もあれこれ尽力していたわけだから……僕の協力がなくとも、アスタ殿を取り戻すことはできたのじゃないかな」
「いや。ポルアースの協力がなければ、我々は城下町に足を踏み入れることもかなわなかった。ありえるとすれば……私もジーダのように城下町に忍び込み、武力でもってアスタを取り戻すといったところであろうな」
そう言って、アイ=ファは小さく首を横に振った。
「それではおそらくマルスタインやメルフリードの理解を得られることもなく、サイクレウスやシルエルのことも武力で討ち倒していたやもしれん。そうして貴族に愛想をつかした我々は……グラフ=ザザの提言通り、モルガの森辺を捨てることになっていたやもしれんな」
「おやおや。アイ=ファ殿は、ずいぶん険呑な想像をするのだね」
「最初に始めたのは、あなたのほうだぞ。それぐらい、我々にとってポルアースの存在は重要であったのだ」
と、表情だけは真剣なまま、アイ=ファは眼光をやわらげた。
「どれだけカミュア=ヨシュらが橋渡しをしようとも、あなた自身が決断しなければ手を結ぶことはかなわなかった。貴族と森辺の民の間に最初の絆を紡いだのは、まぎれもなくポルアースであるのだ。どうか、その一点を忘れないでもらたい」
「俺も、そう思います。メルフリードもカミュアの協力者でしたけれど、正体を隠してサウティの面々を危険な目にあわせたということで、当時は森辺の民から反感を買っている部分もありました。俺たちが貴族を信用することができたのは、ポルアースのおかげであるはずです」
俺も言葉を重ねると、ポルアースは「まいったなぁ」と頭をかいた。
「清廉の極みたる森辺の面々にそうまで言われてしまうと、僕は恐縮してしまうよ。当時の僕は、自分の欲得のために動いていただけなんだからさ」
「自分の欲得というのは、トゥラン伯爵家の悪事を暴いてダレイム伯爵家の安寧を求めるということですよね? それは、森辺の民も同じことです。利害関係が一致したからこそ、俺たちは手を携えることができたのでしょう」
俺は精一杯の思いを込めて、そのように告げた。
「それは何も恥ずべきことではないはずです。俺たちは不当な手段で利益を独占しているトゥラン伯爵家を打倒するために、手を携えたのですからね。それで、自分たちの利益が国益に繋がると信じることができたからこそ、思いのままに力を尽くすことができたのでしょう」
「うむ。正当な手段で利益を求めることを、恥ずる必要はあるまい。それこそが、正しく生きるという道に繋がるはずであるからな」
そう言って、アイ=ファは表情をもやわらげた。
「そうして苦難を乗り越えたのちには、人間としても絆を深めることがかなった。たとえ利害が一致しようとも、好ましからぬ相手といつまでも手を携えてはおられまい。ポルアースを筆頭とするさまざまな貴族が人間としても好ましい相手であったからこそ、我々は絆を深めることができたのだ」
「……あはは。そんな風に言われると、やっぱり恐縮してしまうね」
ポルアースは朗らかに笑いながら、そっと目もとをぬぐう。そしていつしか、ルド=ルウたちと談笑していたはずのメリムもそのさまを優しく見守っていた。
「わたしたちも、森辺の方々と絆を深めることで背筋をのばすことがかないました。個人としての交流に関しては、ポルアースまかせにしてしまいましたが……感謝の思いを忘れたことはありませんぞ」
アディスがしかつめらしい面持ちでそのように言いたてると、アイ=ファは同じ表情のままそちらに向きなおった。
「確かにあなたやパウドとは、あまり言葉を交わす機会もなかった。それこそ、そちらの家で開かれた舞踏会や晩餐会ぐらいのものであろうかな。……我々以外の森辺の同胞とも、あまり絆を深める機会はなかったのであろうか?」
「そうですな。こういった祝宴のたびに、ダリ=サウティ殿やガズラン=ルティム殿とはいくばくかの言葉を交わしますが……それも親密とは言いがたいていどのものです」
「そうか。なまじポルアースと縁を深めているために、ダレイム伯爵家の人間はつい見過ごされてしまうのかもしれんな」
そんな風に語りながら、アイ=ファは横合いを振り返る。
そちらから接近してきたのは、ララ=ルウとシン・ルウ=シンであった。
「あ、アスタたちだ。やっぱりリミたちと一緒だったんだね」
いつも通りの元気な声を発しながら、ララ=ルウは貴族の面々に対して優雅な一礼を見せた。真っ赤な髪を自然に垂らした、鮮烈にして美しい宴衣装の姿である。
「こっちはダッドレウスと、じっくり語らってきたところだよ。時間を置いて、もういっぺん突撃するつもりだけどねー」
「そうか。では、それまでこちらの面々と語らってはどうであろうか?」
そう言って、アイ=ファはアディスのほうに手を差し伸べた。
「こちらのアディスには、オーグやロブロスと似た気配を感じてやまないのだ。ララ=ルウは、そういった相手と絆を深めることを望んでいるのであろう?」
ララ=ルウの海のように青い瞳が、興味深げにアディスを見る。アディスは一瞬だけ怯みそうな気配を見せたが、すぐさま態勢を整えなおした。
「オーグ殿やロブロス殿と並べられるのは、恐縮の限りですな。わたしなどは、まだ若輩者です」
「それを言ったら、あたしなんて若輩中の若輩ですよ。よかったら、ダレイム伯爵家の近況についてお聞かせください」
言葉を丁寧にあらためても、ララ=ルウの生命力にあふれかえった様子に変わりはない。彼女はこうして真正面からぶつかって、さまざまな貴族と絆を深めてきたのだ。
そして、シン・ルウ=シンの合流に気づいたレイリスとデヴィアスが瞳を輝かせる。かつて剣王の座を獲得したシン・ルウ=シンは、数多くの剣士に慕われているのである。
「レイリスは、ようやくシン・ルウ=シンと巡りあえたな。よければこの後は、シン・ルウ=シンと絆を深めるがいい」
「はい。アイ=ファ殿たちは、もう行ってしまわれるのですか?」
「うむ。あまり時間が過ぎぬ内に、フェルメスとも言葉を交わしておきたいのでな」
そうして俺たちは、ついに剣士の三名とお別れすることになった。
同行するのはルウの三姉弟と、ファの家人たちだ。これでも賑やかさは十分以上であった。
「フェルメスもいいけど、俺はもうちょい何か食っておきてーなー。レイナ姉のおかげで、なかなか動けなかったしよー」
「だから、ごめんってば。わたしのことは、放っておいてもいいんだよ?」
「だって、ジザ兄がレイナ姉を放っておくなって言うしよー。自分はひとりで好きに動いて、ずりーよなー」
「そ、それじゃあまるで、わたしが厄介者みたいじゃない」
朱色の豪奢な宴衣装を纏ったレイナ=ルウが、気恥ずかしそうに頬を染める。
すると、向かう先からぶんぶんと手を振る可愛らしい少女の姿が見えた。開会の前にも挨拶をしてくれた、ディアルである。
「ディアルが呼んでるよ。フェルメスを探すのは、もうひと品ぐらい食べてからにしようか」
「うむ。まだ慌てる時間ではなかろうからな」
アイ=ファもフェルメス以外の相手を二の次にするつもりはないのだろう。俺たちは、ディアルが待ち受ける卓に向かうことにした。
するとそちらにも、豪勢なメンバーが待ち受けている。ディアルはトゥラン伯爵家およびバナーム侯爵家の面々と輪を作っていたのだ。
当主のリフレイア、後見人のトルスト、侍女のシフォン=チェル、武官のムスル、従者のサンジュラと、こちらもよく見知った関係者が勢ぞろいしている。アラウトも、従者のサイと料理番のカルスを引き連れていた。
「呼び出しちゃって、ごめんねー! でも、リフレイアたちへの挨拶は、これからだったでしょ?」
「そうだね。リフレイア、先日はお疲れ様でした」
「ええ。ようやくアスタがジェノスに居残れる喜びを分かち合うことができるわけね」
と、リフレイアは顔をあわせるなり、笑顔を見せてくれた。すっかり大人びてきたが可愛らしさも損なわれていない、魅力的な笑顔である。
「それにわたしは、ひどい目にあったアスタにねぎらいの言葉を届けることもできていなかったもの。もう、何から語っていいかわからなくなってしまうわ」
「ええ。晩餐会で顔をあわせても、個人的に言葉を交わす機会はありませんでしたね。色々とご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
「アスタが謝罪する必要はないでしょう? そして、わたしも謝罪する必要はないと考えているわよ」
それは言外に、ガーデルが従兄弟であっても苦に思ったりはしないと告げているのだろう。リフレイアのかたわらでは、サンジュラやアラウトもそれぞれ笑顔を見せていた。
「それより何より、まずはお祝いの言葉じゃないかなー? 過去の話より、これからのことでしょ!」
ディアルが元気に声をあげると、リフレイアも「そうね」と微笑んだ。
「アスタ、アイ=ファ、ご婚約おめでとう。婚儀の場に立ちあえないのは、残念な限りだわ。でも、宿場町の広場では、またこっそり盗み見させていただくつもりよ」
「そうですか。リフレイアたちにも見届けてもらえたら、俺たちも嬉しいです」
「ふふ。ただの祝宴でもこれだけ美しいアイ=ファがどれほど美しい姿を見せてくれるのか、楽しみでならないわ」
そう言って、リフレイアはアイ=ファにも微笑みかける。
アイ=ファもまた、穏やかな面持ちで目礼を返した。
かつては俺を誘拐したリフレイアであるが、もうわだかまりは残されていない。リフレイアが森辺にやってきて、大罪人として捕縛されたサイクレウスに俺の料理をふるまってほしいと懇願し――そして、その美しい髪を自らの手で切り落としたあの日から、俺たちは一歩ずつ歩み寄っていったのだ。
そんなリフレイアの髪も、すっかり元の長さを取り戻している。
そして、出会った頃は十一歳であったリフレイアも、すでに十四歳であるのだ。いまだ少女の身であることに変わりはなかったが、すでに幼少という齢ではなかった。
また、俺をさらった実行犯であるサンジュラとムスルも、リフレイアのかたわらで笑顔を見せている。軟禁されている俺の面倒を見てくれていたシフォン=チェルも、また然りだ。ダレイム伯爵家の面々に比べると、不和の関係を乗り越えた上での現在であったが――そうであるからこそ、リフレイアたちの笑顔は俺の心を深く満たしてくれた。
「さーて。それじゃあ俺は、料理を食わせてもらうぜー」
と、感慨とは無縁なルド=ルウが、卓上に手をのばす。
そちらには、何種かの料理が並べられていた。巨大マロールを模した器に満たされた煮込み料理に、きらきらと輝く具材がのせられた軽食、小さな立方体が山積みにされた謎の料理――ひと目でダイアの品と知れるラインナップである。
「ああ、森辺の方々には、是非こちらの料理を食べていただかないとね」
そう言って、リフレイアが大きな卓の端のほうを指し示す。
ぞろぞろと移動した俺たちは、小さからぬ驚きに見舞われた。
「なんだこりゃ? もしかして、ギバのつもりなのかー?」
俺たちが驚かされたのは、料理そのものではなく器のほうだった。そこには幅が一メートルほどもありそうな大皿が置かれており、それがギバを真横から見たようなシルエットに成形されていたのだ。
ずんぐりとした胴体に、逞しい四肢。にゅっと突き出た鼻面に、巨大な角と牙――やはりどう見ても、ギバである。巨大なギバの輪郭の中で三つのブロックに分けられており、そこにさまざまな料理が配置されていた。
「今日はダイアもほとんどの料理を魚介で仕上げていたけれど、こちらはすべてギバ料理よ」
「うん! これはなかなかのお味だったよー! みんなの感想も聞かせてほしいなー!」
リフレイアとディアルは、どこか誇らしげな面持ちである。彼女たちはダイアと深い関わりを持っていないはずであるが、城下町の料理が森辺の民に喜ばれるというだけで嬉しいのかもしれない。俺は胸を温かくしながら、そちらに控えていた侍女に三種の料理を取り分けてもらった。
ひとつは炒め物、ひとつは煮物、ひとつは揚げ物の料理である。
ただ、料理そのものは尋常な仕上がりで、ダイアらしい細工は見られない。さまざまな具材を使った肉野菜炒めに、赤褐色に照り輝く煮込み料理、暗灰色の衣に包まれた揚げ物料理といったラインナップであった。
(まあ、巨大マロールの器なんかでも、料理そのものに奇抜なところはなかったもんな。ただ、皿をギバのデザインにするだけっていうのは、ダイアにしてはひかえめな装飾だな)
そんな思案に耽りながら、俺はまず炒め物から口にした。
とたんに、力強い味わいが口に広がる。さまざまな香草と調味料を駆使した、豪快な味付けである。使用されているのはギバのバラ肉で、それがまた力強さに拍車を掛けていた。
(マロマロのチット漬けとホボイ油の風味が際立ってるから、ちょっと中華料理っぽさもあるな。力強さはボズル、華やかさはサトゥラス伯爵家の料理長を思い出させるけど……やっぱり、ダイアらしくないような感じがするな)
美味であることに間違いはないが、ひときわ独自性の強いダイアの料理にダイアらしさを感じないというのは、いささか落ち着かない心地である。
さらに煮物の料理を口にすると、俺の心は別なる方向からも揺さぶられた。そちらは甘辛い味付けであり、『ギバの角煮』を始めとする森辺の煮込み料理を思わせる出来栄えであったのだ。
ただし、使用されているのはギバのモモ肉であり、バラ肉を使う『ギバの角煮』とは一風異なる魅力が前面に押し出されている。赤身の部分はどっしりとした肉本来の味わいを楽しむことができ、端のほうに付随するぷるぷるとした脂身がその魅力をいっそう引き立てていた。
「これは、もしかして……」と、レイナ=ルウが真剣な面持ちでつぶやきをもらす。
そちらはすでに三種の料理を食べ終えている様子であったので、俺も最後の揚げ物を食することにした。
こちらはひと口大に切り分けられたギバ肉が、黒フワノの衣に包まれている。その衣にさまざまな香草のパウダーが加えられており、肉にはマロマロのチット漬けを主体とする調味液の味わいがしみこんでいたため、後掛けの調味料を使わずとも華やかな味わいであった。
そして、使用されている部位は、ロースである。
ひとつの予感にとらわれた俺は、卓上の大皿に視線を戻した。
(……やっぱり、そういうことだったのか)
ギバの大皿は三つのブロックに分けられているが、揚げ物は背中、炒め物は胸もと、煮物は後ろ足に配置されていたのだ。これは城下町で取り扱うことができる三種の部位が、それぞれ料理に仕上げられていたのだった。
それ自体は、べつだん驚くほどの取り組みではない。
俺が驚かされたのは、個々の料理の完成度である。ごく何気なく供されている三種の料理は、それぞれ試食会でも大変な人気を博しそうな出来映えであったのである。
きっとダイアはギバを模した大皿に料理を配置するというアイディアで芸術家気質の欲求を満たし、料理そのものは飾ることなくシンプルに味の完成度だけを考えたのだろう。
その出来栄えが、城下町の料理人たち――ヴァルカスを除くすべての面々と並び立つほどの完成度であったのだ。俺はいつも料理の見栄えにこだわるダイアの、料理人としての地力を思い知らされた心地であった。
「どう? すべてが、素晴らしい出来栄えでしょう? きっとダイアは見栄えにこだわらなくても、ジェノスの双璧に相応しい腕を持っているのでしょうね」
リフレイアの無邪気な言葉に、俺は「はい」とうなずき返した。
「正直、驚かされました。俺はダイアの華やかな一面しか見ていなかったのかもしれません」
「ふふ。アスタはずいぶん感じ入っているようね」
「はい。ダイアの知らない一面を発見できて、すごく嬉しいです」
ダイアというのは城下町の料理人の中で、比較的近年になってから知り合った相手となる。しかし俺の記憶に間違いがなければ、あれはガーデルに出会ったのと同じ日であったから、もう一年半以上は経過しているはずであるのだ。
それでも俺は、ダイアのことをまだまだわかっていなかった。
それはきっと、他の人々も同じことであるのだろう。どれだけ親しい相手であっても、三年余りのつきあいですべてを知ったつもりでいてはいけないのだ。
だからきっとこの先も、俺はさまざまな驚きを味わえるに違いない。
そんな風に考えると、俺はいっそう世界が輝いて見えるような気がしてならなかった。




