⑦出会いと別れ
2015.3/3 更新分 1/1
*明日は2話更新となりますので、読み飛ばしのないようご注意ください。
2015.3/4 脱字を修正
そして翌日。
青の月の30日である。
ついに森辺の族長たちとジェノス城の権力者たちによる2回目の会談が、半月もの時間を経て執り行われることになったのだった。
この日で何かが終息するわけではない。
むしろこれは、始まりの日となるのだろう。
いびつに歪んでしまった森辺とジェノスの関係性を正すために、サイクレウスという謎めいた男の正体を暴くために、ドンダ=ルウたちは森辺の行く末を双肩に担って、町に下りるのだ。
サイクレウスは、本当にスン家を利用して我欲を満たしていたのか。
スン家の全員を城に引き渡せというその言葉の真意はどこにあるのか。
カミュア=ヨシュやメルフリードはどのように動くのか。
森辺の民は、これからもモルガの森で狩人として生きていけるのか。
ファの家は、これからも宿場町で商売を続けていけるのか、
終息の日にはならなくとも、この日がターニングポイントとなることに疑いはないと思う。
◇
ともあれ――俺たちのやることに変わりはなかった。
いつも通りに町に下りて、いつも通りに料理をさばく。念のために護衛役の狩人が2名同行しただけで、それ以外に変わりはない。
また、宿場町の人々などは、それこそそのような会談が行われるということさえ知らされていないのだから、客足にもまったく変化は見られない。
開店前には30名ばかりのお客さんが並び、朝一番のラッシュを終えたら2名ずつ休憩をとり、その後はちらほらとやってくるお客さんの対応に追われる。何もかもがいつも通りの平常運行だ。
「さーて、そろそろ親父たちも森辺から下りてくる頃かなあ」
屋台の後ろで呑気たらしく声をあげたのは、ルド=ルウだった。
今回も、宿場町の人々をなるべく脅かさないように、若衆の彼が護衛役に選ばれたのである。
もうひとりの護衛役は、屋台と屋台の間に立ち、ごくさりげなく通りのほうに視線を飛ばしている。
我がファの家の家長、アイ=ファだ。
どうせルウ家は眷族もろとも休息の期間に入っているので、人手はいくらでも出せる状態にあったのだが、アイ=ファは自ら志願してまた護衛役を買って出たのだった。
もっとも、今回ばかりは護衛役など無用の長物に終わるはずである。
護衛役など、ジェノス城との関係性が救いようもなく破綻しない限り、出番はやってこないはずであるのだから。
裏を返せば、それでも念のために護衛をつけておこう、と考えざるを得ないこの現状こそが、城の人々と確かな信頼関係を築けていない証しでもあった。
「あ、ルド=ルウだ!」と、元気いっぱいの声が突然往来に響きわたる。
とてとてと屋台のほうに駆け寄ってくる、小さな人影――野菜売りドーラの親父さんの愛娘、ターラである。
屋台の後ろ、荷車のそばで退屈そうにたたずんでいたルド=ルウも「よー」と声をあげて足を進めてくる。
「ひさしぶりだな、ちびっこ。朝は店にいなかったじゃんか?」
「うん! ちょっと父さんのお使いで家に戻ってたの!」
焦げ茶色の髪と瞳をした小さな少女ターラは、嬉しそうににこにこと笑っている。開店当初からの常連客でもあるこの少女は、もはや屋台の関係者である森辺の民に対してはほぼ完全に恐怖心を感じないようになっていた。
「……ルド=ルウよ、持ち場を離れるな。背後をつかれたら何とするつもりだ?」
と、アイ=ファが低い声でたしなめる。
が、ルド=ルウは「んー?」と、けげんそうに首を傾げた。
「別にそこまでピリピリすることねーだろ? そんなに警戒が必要だったら、最初っから3人でも4人でも人手を出してるんだからさ」
「そうだとしても、その場にいる人数で最善を尽くすのは当たり前のことだ」
「大丈夫だよ。トトスやら荷車やらが壁になってんだし。後ろから誰か近づいてきてもすぐにわかるだろ」
「ギルルを盾になどできるか! ……もういい、私が後方に回る」
この会話からも推察できる通り、アイ=ファはひとりだけ朝から緊張感を保っていた。
今回は、ザッツ=スンやテイ=スンのときのように、何者かの襲撃が予想されているわけではない。しかも、会談は中天から始まる予定であるので、この午前中の間はいっそう荒事など生じる要因はないのである。
どうにも俺はアイ=ファの様子が気にかかって仕方がなかったので、ルド=ルウとともにターラとの雑談を始めたララ=ルウに屋台をまかせて、そちらに足を向けてみることにした。
「アイ=ファ、どうしたんだよ? 何か町に下りてから様子がおかしくないか?」
木につながれたギルルの首をなでながら、アイ=ファは横目で俺をにらみつけてくる。
「……朝から時おり妙な視線を感じるのだ。悪意と敵意のこもった毒針のような視線をな」
「ええ? 本当か? ……だけどまあ、森辺の民をそういう目で見る人がいなくなったわけじゃないからなあ」
「そうではない。常に視線を感じているわけではないのに、それはすべて同じ人間の視線であるように感じられてならないのだ」
それでは誰かが俺たちを監視しているとでも言うのだろうか。
できればアイ=ファの気のせいであってほしいものだが、その真剣な面持ちを見ている限り、そんな楽観視はできないようだった。
「だけど、今さら俺たちに見張りをたててもなあ――」
そう言いかけたとき。
屋台のほうから、ララ=ルウの「きゃあっ!」という悲鳴混じりの声が聞こえてきた。
「どうした、ララ=ルウ!?」
俺は慌てて屋台に戻る。
屋台の前には、長身の人影があった。
が、そのかたわらではターラがきょとんと立ちつくしているし、ルド=ルウも立ち位置を変えていない。
そして、ララ=ルウ自身も腰に手をあてて立っており、どこにも凶事の気配などは漂っていなかった。
「あーあ、もったいない! 言っておくけど、手をすべらせたのはあんただからね? これじゃあ銅貨を返すことはできないよ?」
いったい何が起きたというのだろう。
俺は背後にぴったりと付き添っていたアイ=ファとともに、さらに足を進めてみた。
「うわ、何事だい、これは?」
悲鳴の理由は、すぐに知れた。
鉄板の上に、完成品の『ミャームー焼き』がぶちまけられてしまっていたのだ。
焼きポイタンの生地がほどけて、肉やアリアや千切りのティノが無残に四散してしまっている。
それらが焦げついてしまわぬよう、木べらで鉄板の隅に追いやりながら、ララ=ルウが怒った顔を俺たちに向けてくる。
「見ての通り、このお客がせっかくの料理を落としちゃったんだよ! もったいないなあ、もう!」
俺は視線をそのお客さんとやらに向けてみた。
フードつきの皮マントに、180センチを越える痩せ型の長身。フードの陰から覗く口もとの皮膚が黒い。東の民のお客さんである。
一瞬、シュミラルかなと思ってしまった。
しかし、その想像はあえなく外れた。フードを背中にはねのけて、申し訳なさそうに頭を下げてくる、その首の後ろでくくられた長い髪の色は、白銀ならぬ栗色だった。
「すみません。うっかり落としてしまいました。あなた、悪くありません」
言葉づかいも、シュミラルより流暢である。
ただ、東の民はみんなけっこう風貌が似通っている。その人物も、面長の顔に切れ長の目、高い鼻に薄い唇という典型的なシム人の面立ちで、すらりと背が高く、そして痩せていた。
ただ、淡い色合いをしたその髪と、さらに淡い色合いをした鳶色の瞳は、シム人としてはかなり珍しいように思われた。
それにしても、料理を鉄板に落としてしまうなんて、あまり聞かない粗相である。
その東の民のお客さんは、ちょっと悲しげに目を細めつつ、マントをはだけて右の半身をあらわにした。
その、細いが筋肉のついた右の上腕に、うっすらと赤い血のにじんだ包帯が巻きつけられている。
「右腕が使えないので、左腕で受け取ろう、思いました。左腕、少し不器用なので、落としてしまったのです。鉄板、汚して申し訳ありません」
いくぶんたどたどしいものの、それでもシュミラル以上に西の言葉を巧みにあやつれる東の民を見たのは初めてだった。
それに、長く伸ばした髪が珍しい色合いをしているからだろうか、シュミラルに少し雰囲気が似ているように感じられてしまう。
要するに、俺にとっては好感度の高いお客さんだった。
「お気になさらないでください。えーと、少々お待ちくださいね?」
地面に落としたわけでもないのだから、この『ミャームー焼き』を無駄にしてしまうのはもったいない。
とはいえ、肝心の焼きポイタンが鉄板の脂と汁まみれになってしまったので、元の形状を再現するのは難しいだろう。
ついでに言うなら、具材のほうも千切りティノが飛散してぐしゃぐしゃだ。
(よし、それなら徹底的にぐしゃぐしゃにしてやるか)
まずはポイタンの生地から可能な限り具材をこそぎ落とし、ポイタンだけをまな板の上に拾いあげた。
で、鉄板に残された具材は中央に寄せて、ミャームーの汁を木匙に半分だけ降りそそぎ、念入りにかき混ぜる。
キャベツのようなティナが少ししんなりしてきたら、もう十分だろう。
そいつを木皿に移したら、次はポイタンだ。
ポイタンも、千切りにカットしてしまうことにした。
で、それを木皿に盛りこんで、ざっくりと攪拌する。
「いかがでしょう? あんまり綺麗な見た目ではないですけど、お味にそれほど差はないと思います」
見た目的には、まあ中華料理の炒め物のような出来栄えであった。
俺的には許容範囲内だと思うのだが、如何であろう。
果たしてそのお客さんは、嬉しそうに口もとをほころばせてくれた。
感情の露出を恥とするはずのシム人の笑顔に、俺は思わずドキリとしてしまう。
「ありがとうございます。銅貨、無駄にならず済みました。大変、感謝します」
そうして東の民のお客さんは、俺の差し出した木匙を使って、ちょっと苦労しながらも左手1本で即席ミャームー丼を食べ始めた。
で、いっそう嬉しそうに微笑んでくれる。
「とても美味です。ギバ肉、美味しいのですね」
「あ、ありがとうございます」
そういえば、そもそもシム人は西の言葉が不自由なので、シュミラル以外の東の民とこれほど言葉を交わしたのも初めてのことかもしれなかった。
「私、右腕を怪我しました。仕事、しばらくできません。だから、銅貨、いっそう大事なのです。私、本当に感謝しています」
至極すみやかにミャームー丼を完食したのち、お客さんはそう言ってくれた。
「私、サンジュラいいます。あなた、名前よろしいですか?」
「はい。俺はファの家のアスタといいます」
「ファの家のアスタ。私、怪我が治るまでジェノスに留まります。毎日、この屋台に軽食を買いに来ます」
「ありがとうございます! そんな風に言っていただけて、とても嬉しいです」
「こちらこそ、美味しい料理、知ることができて嬉しいです」
うっすらと微笑むそのお客さん――東の民サンジュラの姿を、ルド=ルウはララ=ルウのかたわらから、アイ=ファは俺のかたわらから、それぞれじっと見つめている。
「なあ、あんたって相当腕が立ちそうだよな。どうしてまたそんな手傷を負うことになっちまったんだ?」
と、好奇心に耐えかねた様子で、ルド=ルウがそう発言した。
サンジュラは、不思議そうにそちらを振り返る。
「私、トトスに乗って旅をしています。そのトトス、岩場で足を踏み外してしまったのです。私、トトスから落ちて、尖った岩に右腕をぶつけてしまいました」
「ああ、なるほどね。それならあんたみたいな手練が傷を負ったってのも納得だ」
サンジュラは、いっそう不思議そうに目を瞬かせる。
「私、ただの風来坊です。剣士、違います」
「ふーん? それでもあんたは、かなり強いだろ」
「……旅、危険がつきものです。野盗、野獣、非常に危険です。身を守るため、多少は腕を磨いています」
そう言って、サンジュラははにかむように微笑んだ。
そして、空になった木皿を俺のほうに差し出してくる。
「今日、本当にありがとうございました。ファの家のアスタとの出会い、父なる西方神セルヴァに感謝します」
「え? サンジュラは東の民ではないのですか?」
「はい。私の母、東の民です。でも、私は西の王国で育ちました。私、西の民です」
サンジュラは、西と東の混血であったのか。
しかしそれなら、どうして西の言葉が少したどたどしいのだろう、という疑問が残ったが。さすがにそこまで踏み込んだ質問をすることはできなかった。
「それでは。明日、また来ます」
そうしてサンジュラはフードをかぶりなおし、南の方角に去っていった。
何だか心温まるひとときであったなあと、俺はひとりご満悦である。
だが、そうは考えていない様子のおふたりが交わす殺伐とした会話が耳に入ってきた。
「うーん、町にもあんな手練がいるもんなんだなあ。……なあ、アイ=ファ。お前だったら、あいつに勝てると思うか?」
「五分の条件なら、負けん。しかし、わずかな油断も許されぬ勝負となるであろうな」
むろん、アイ=ファとルド=ルウである。
アイ=ファのそっけない返答に、ルド=ルウは「ちぇーっ!」と、わめき声をあげる。
「アイ=ファはそれでも勝てるって断言できちゃうのかよ? 俺は、わかんねーな……何だかんだで勝てそうな気もするんだけど……」
「どうであろうな。お前と同じていどには腕の立ちそうな男だった」
「何だよ、それじゃあ俺よりアイ=ファのほうが強いってことになるじゃん!」
「そうではないとでも思っていたのか?」
殺伐の度合いが増してきた。
いつぞやのように険悪なにらみあいが始まりそうな気配であったので、俺は「ちょっとちょっと」と水をさす。
「あれはただのお客さんなんだから、おかしな考えは起こさないでくれよ? 腕は立つのかもしれないけど、温和で優しそうな人だったじゃないか」
「ふん。たったこのていどの会話で敵か味方かを見極められるものか。お前こそ、簡単に他者を信用しすぎなのだ」
「それはアイ=ファの言う通りだな。もしもああいうやつが町にもゴロゴロしてるってんなら、護衛役なんかも2人じゃ足りねーってことになるんだぜ?」
そんな風に言ってから、ルド=ルウは黄色っぽい髪をくしゃくしゃにかき回した。
「まあ、あんなやつがゴロゴロしてないってことは、ちょっと町を歩いてりゃわかることなんだけどな。それにしても、あのカミュア=ヨシュっていうおっさんといい、灰色の目をした貴族の野郎といい、町の人間もあんまり甘くは見てらんねーみたいだな」
そういえば、アイ=ファもルド=ルウもルウ家の闘技会で8名の勇者に選ばれるほどの実力者なのだ。
その実力が実戦においてどれぐらい反映されるのかは不明なれども、その2名にこれほど評価されるということは、あのサンジュラというお客さんも並大抵の腕前ではない、ということなのだろう。
(……それにしたって、そんな荒事に関わるような人には見えなかったけどなあ)
そんなことを考えていたら、すっかり蚊帳の外になってしまっていたターラが「そろそろターラも戻らなくっちゃ!」と大きな声で言い始めた。
「えーっとね、ミャームーのをひとつと、ぎばばーがーを3つください!」
「4つも食うのかよ。すげーな、お前」
「ちがうもん! 布屋と鍋屋のおじさんたちに持っていってあげるの!」
ターラはぷりぷりと怒り、ルド=ルウはけらけらと笑う。
それでようやく明るい空気が戻ってきて、ひとつ肩をすくめたアイ=ファが後方のポジションに戻ろうとしたとき――新たなるお客さんがやってきた。
濃淡まだらの褐色の髪をした少女ディアルと、そのお供のラービスである。
その姿を見て、アイ=ファはぴたりと足を止めてしまった。
「い、いらっしゃいませ。今日はこっちの料理でいいのかな?」
「うん! 1日おきに食べていくことに決めたんだー。だから今日はこっち!」
ディアルはにこにこと微笑んでいる。
それをアイ=ファが俺の肩ごしに注視しているのが、気配でわかる。
実は昨晩、シュミラルがファの家を辞去したのちに、俺はこの少女の存在をアイ=ファに打ち明けていたのである。
サイクレウスの私邸に招待されている商団の一員である、という素性は伝えておくべきであると思えたし、それに――アイ=ファが護衛役として宿場町に下りるならば、顔を合わせる可能性もなくはないと判断し、それならばもうおかしな誤解や行き違いが生じる前に自分の口からすべてをぶちまけておくべきだと心を決めたのだ。
その判断が正しかったのか否か、俺としては緊張の場面だった。
「ん……なんか今日は人数が多いね?」
と、ディアルがいぶかしそうに視線を巡らせる。
その綺麗なグリーンの瞳がアイ=ファの姿をとらえるや、そこにはめらめらと反抗心の火が燃え始めてしまった。
「それはそれでかまわないけど、でもそこのあんたはどうして僕のことをそんな目でにらみつけてるのさ? 僕、あんたに何かしたっけ?」
「……私自身には何もしていないが、私の家人には手を上げてくれたそうだな、南の民の娘よ」
アイ=ファが低い声で言いながら、俺の横にまで進み出てくる。
いよいよ冷や汗ものの展開だ。
「それともアスタに手をあげたのはお前ではないのか? この宿場町で南の民の若い娘を見るのは珍しいので、私はそのように判断したのだが」
「何さ? 僕がアスタをぶん殴っちゃったこと? それがあんたに何の関係があるっての?」
「関係はある。アスタは私の家の家人であるのだからな」
横目で確認してみると、アイ=ファはべつだん怒りの感情をあらわにしているわけでもなかった。
ただその面は究極的に不機嫌そうであり、青い瞳にも穏やかならざる光が瞬いている。
「むろん、アスタのほうにも非があったということは認めざるを得ない。しかし、傷が残るほどの暴力が正しかったとも思えない。今後は行動を慎んでもらいたいと私は願っている」
「家人――家人って何なのさ!? もしかしたら、ふたりは夫婦なの!?」
「い、いや、夫婦ではないんだけどね。同じ家に住む家族なんだよ。血の繋がりはないけど、大事な家族だ」
俺の返答に、ディアルはいっそう苛立しげな面持ちになってしまう。
「夫婦でもない家族って何? アスタはこの女に飼われてるってこと? 西の王国では、北の民以外の奴隷を持つことは禁じられてるはずだよね?」
「ど、奴隷でも飼い犬でもないよ。えーと、何て説明したらいいのかな……」
「説明など必要ない。とにかくお前は誰にも後ろ指をさされぬよう、法を守って行動を慎めばよいのだ、南の民の娘よ」
「うっさいなあ! あんたなんかにアスタとのことをどうこう言われたくないんだけど! 僕はアスタに謝ったし、アスタは僕を許してくれたじゃん! それなのに、どうして横からぎゃあぎゃあ言われなきゃいけないわけ?」
「だから、今後の行動を慎むのならば罪は問わないと申し出ているのだ。話のわからぬ娘だな」
何だか大混戦の模様である。
それに、アイ=ファが町の人間と言い争いをするなんて、たぶん初めてのことだ。ここは俺が身体を張ってでも事態の収拾に努めなければならないのだろうが――はてさて、どうしたものだろう。
「ちょっと、まずは落ち着こう! ……ねえ、ディアル、俺が君に無礼な真似をはたらいたら、たとえ両者の間で和解が成立していたとしても、君のご家族が一言ぐらいは文句を言いたくなることもありうるだろう? このアイ=ファが怒っているのはそういう心情もあってのことなんだから、何とかご理解をいただきたい!」
「えー、でも……」
「それに、アイ=ファ。俺の身を案じてくれるのはありがたいけど、先日の一件はもう手打ちになってるって説明しただろう? 俺たちはおたがいに非礼をわびて、おたがいに反省してるんだから、今後のことは大丈夫だよ」
「しかしだな……」
とても不満げな面持ちながらも、ふたりは口をつぐんでくれた。
が、その沈黙は5秒ともたなかった。
「そりゃあ確かに手をあげちゃったのは僕が悪かったけどさ! そもそもアスタが失礼な口を叩くのが悪いんじゃん! そんなアスタにお説教される筋合いもないよ!」
「そうだ。騒ぎのきっかけを作ったのはお前自身であろうが? お前こそが、誰よりも反省が必要なのだ」
そうしてアイ=ファのほうは俺の耳もとに口を寄せてきて、さらに言った。
「……だいたい、この娘のどこが男に見えたというのだ? 着ているものが男のようなだけで、それ以外はどこからどう見てもか弱げな女ではないか」
で、屋台の陰で何発も足を蹴ってくる。
「男と見間違えたというからには、よほど武骨な面がまえをした娘であるのかと思えば――お前の目玉は何のためにふたつもくっついているのだ、アスタよ?」
「ひどいなあ。さすがにちょっと言いすぎじゃないか?」
俺も小声で反論すると、アイ=ファは「ふん!」と盛大にそっぽを向いてしまう。
ふと見てみると、ララ=ルウはカミュア=ヨシュみたいににんまりと笑ってこの光景を観察していた。
「そ、それじゃあ注文はひとつだね? 今すぐこしらえるので、少々お待ちを!」
気を取りなおして、俺は『ミャームー焼き』の作製に取りかかる。
その間、ルド=ルウはずっとディアルの後方にたたずむラービスの姿を注視していた。
そして――ラービスのほうも、ルド=ルウのほうを注視していた。
もしかしたらこの若者は、狩人の装束で刀や鉈をぶら下げたルド=ルウやアイ=ファのことを警戒しているのかもしれない。
だが、ルド=ルウのほうに緊張感は見られず、ただ不穏な眼差しを向けられているからそれに対処しているだけ、という雰囲気であった。
「おお、アスタ、まだ屋台に居残っていたか!」
と、そこに建築屋の一団がどやどやと姿を現した。
先頭に立っていたアルダスが、いつも通り朗らかに笑いかけてくる。
「いらっしゃいませ! ここのところ、お忙しそうですね?」
「ああ、いよいよ仕事の期日も明日までだからな。1日でも延びたらこっちが割を食うことになるので、なかなか気を抜けないんだよ」
などと言いながら、笑ったまま太い眉を下げるアルダスである。
「まあ、アスタの料理を食べられるなら、いつまででもジェノスに居残りたいような気持ちにもなっちまうんだがな。宿屋やトトス屋に支払う銅貨のことを考えると、そんなことも言っていられないし……ああ、本当に残念だよ! 急な仕事でも入らない限り、ジェノスなんて年に1度しか来る機会はないからなあ」
「いつまで同じことをくどくどと言っているんだ。故郷では女房と子供が帰りを待ちわびているんだぞ?」
むすっとした顔のおやっさんが、下のほうからアルダスの腹を小突いた。
それから、俺のほうに向きなおる。
「……アスタよ、干し肉はどれぐらい残っているんだ?」
「え? 干し肉ですか? えーと、今日の分はこれだけですけど」
干し肉は、1日に2キロていどしか準備していない。
皮袋の中身を見せてみせると、おやっさんは「足りんな」と、つぶやいた。
「これっぽっちじゃ全然足りん。明日までにこの10倍は欲しいところだ」
「じゅ、10倍? そんなにたくさんの干し肉をどうするんですか?」
「故郷までの帰り道で食うに決まっているだろうが? 俺たちは8人いて、帰るには半月もかかるんだから、この10倍ぐらいは必要になるだろうさ」
そう言って、おやっさんはじろりと俺の顔をにらみつけてきた。
「準備できるか? できなければ、カロンの干し肉を買うしかないが」
「で、できると思います。森辺に戻って確認してみないと確かな約束はできないのですけれども」
いつまた大口の仕事が入るかもわからないのでその時はよろしく、と近在の氏族の人々には伝えてあるし、そうでなくてもルティムやレイでは生鮮肉も干し肉も有り余っているはずだ。ギルルという機動力を得た現在であるならば、20キロの干し肉を集めることは難しくない。
「でも、おやっさんはギバ肉の風味がそんなにお好きではなかったですよね? 干し肉は塩味と香草の匂いが強いですけど、それでもけっこうギバ肉の風味も残ってしまっていると思うんですが……」
「そんなことは百も承知だ。せっかくの儲け話にけちをつける気か、お前さんは?」
不機嫌そうに言ってから、おやっさんはもしゃもしゃの頭をかいた。
「……これだけ毎日食っていれば、ギバの風味にもなれてきた。だったら値段はカロンの干し肉と同じなのだから、ギバの干し肉でもかまわんと思っただけだ」
「ああ、アスタの料理が食べられないなら、せめてギバの干し肉でもかじっていたほうが心も慰められるしな」
「そんなたわけたことを考えているのはお前だけだ!」
アルダスの軽口に怒声を返してから、おやっさんはまた頭をかきむしる。
「とにかく、準備できるだけ準備してくれ。足りない分は、カロンを買うからな。……で、明日はこの屋台に来るのも中天を過ぎちまうかもしれないから、店番の娘どもにもきっちり話を通しておくんだぞ?」
「あ、明日のご来店は中天を過ぎてしまうんですか?」
それならば、ここが別離の場となってしまうかもしれない。
俺は頭のタオルを取り、建築屋の面々に頭を下げてみせた。
「それじゃああの、長いこと俺の店をご利用くださいまして――」
「やめんか! 一生の別れでもあるまいし!」
とたんにおやっさんはわめき散らし、赤銅貨を2枚、屋台の台に叩きつけてきた。
「俺たちは、最低でも年に1度はこのジェノスを訪れるのだからな! そのたびにそんな辛気臭い挨拶をするつもりか? だいたいこのジェノスでは毎日何十何百という南の民が出たり入ったりしておるんだぞ?」
「はい。ですが、ここまで足しげく通ってくれた皆さんの存在は、俺にとってものすごい励みになりました。本当に――心から感謝しています」
おやっさんは何かを言いかけたが、すぐにそっぽを向いて言葉を詰まらせてしまった。
その後ろに控えていたお仲間が、愉快そうに笑い声をあげる。
「青の月が終わっても、俺たちはこの屋台に通わせてもらうからな! おやっさんの分までギバ肉を食い続けてやるから心配すんなよ!」
「やかましいわ! 首を飛ばされたいのか!?」
「そうしたら明日中に仕事も終わらなくなっちまうぜ? いいからとっとと俺たちにも昼飯を食わせてくれよ」
どうやらその中には、現地で雇った職人も混ざっていたらしい。そういえば、さっきおやっさんは8名で故郷に帰ると述べていたが、建築屋の総勢は十数名ほどいるはずなのだ。
(それじゃあこの人たちも混血か何かでジェノスに定住しているのかな? それとも、南の民だけどジェノスで日銭を稼いでいるだけ、とか?)
そんなことすら、俺は知らなかった。
だけどそれでも、この人たちが全員大事なお客さんであるという事実に変わりはなかった。
「ふーん、あんたはもうすぐネルウィアに帰っちゃうんだ?」
と、横のほうに引っ込んでいたディアルが興味深そうに声をかけてくる。
不機嫌そうに黙りこくっていたおやっさんは、眉をひそめてそちらを振り返った。
「ああ、ゼランドの娘っ子か。何だ、けっきょくお前さんもギバの肉を食っとるんだな」
「うん! 食べてみたら無茶苦茶に美味しかったからさ! ……臭いとか固いとか色々文句をつけちゃったのが恥ずかしいよ」
「ふん。俺などはもっと大きな恥をかかされたもんだ」
言いながら、おやっさんはまた俺の顔をにらみつけてきた。
ただ、その顔は変わらずに不機嫌そうであったものの、緑色の瞳にはたいそう柔らかい光が浮かんでいる。
「アスタよ、俺たちはまた来年にはやってくるからな。何かと風当たりは強いだろうが、それまでに店をたたんでいたりしたら、森辺にまで押しかけて文句を言ってやるぞ?」
「はい。来年もまた同じように俺の料理を食べていただくことができたら、とても嬉しいです」
不覚にも、涙がこぼれそうになってしまった。
1年後――俺はこの人たちと再会できる運命にあるのだろうか?
そんなことはわからなかったが、神ならぬ俺には人事を尽くす他ないだろう。
そうこうしている内に、太陽は頭上に高く昇りきり――そろそろジェノスのどこかでは、城の人々と森辺の族長らによる会談が開始される頃合いになっていた。