送別の祝宴③~入場~
2025.11/5 更新分 1/1
下りの五の刻を少しばかり越えたところで、ようやく俺たちの作業は完了した。
そうして息をつく間もなく、お召し替えの間へと移動する。今日は本当にぎりぎりの刻限であったので、三日前の晩餐会よりも慌ただしい様相であった。
濡らした織布でざっくりと身を清めたならば、準備されていた装束を身に纏う。ルド=ルウたちは武官の白い礼服で、俺はかつてティカトラスからプレゼントされた漆黒の軍服めいた宴衣装であった。
これはたしか、ダカルマス殿下が開催した大試食会なるイベントで初お披露目された宴衣装であろう。武官の礼服とも似たデザインであるため、普段よりはかっちりとした着心地であるものの、肩が凝るほどではなかった。
「あともう一点、こちらはティカトラス様が新たにご準備された品となります」
小姓が恭しく差し出してきた品を目にして、俺は思わず息を呑んだ。
それは、黄色にきらめくマントであったのだ。
裏が透けるほど薄手の生地に、黄色の糸でびっしりと刺繍が施されている。その糸がわずかばかりに光を反射させる質であるらしく、ひそやかにきらめいているのだが――やはり、金色というよりは黄色と称するべき色合いであった。
「あー、町では婚儀のとき、白や黄色の装束を纏うんだったなー。やっぱ、ティカトラスも婚儀のことを意識してるんじゃねーの?」
ルド=ルウは、そんな風に言っていた。確かに婚儀を司る月神エイラを象徴するのは黄色であり、それに準ずるのが白であったのだ。
しかし俺は昨日の屋台で、ティカトラスと出くわしている。
そして彼は、他者の生まれ月をぴたりと言い当てる眼力を備え持っているのだ。
それで森辺の数多くの面々が生まれ月と同じカラーリングの宴衣装をプレゼントされていたが、俺はいつでも漆黒であったのである。
漆黒とは、黒き深淵の別称を持つ『星無き民』の象徴だ。
そんな俺がついに星を授かったと宣言されるなり、ティカトラスがこのような品を準備するというのは――やはり、無関係とは思えなかった。
(俺の星は、黄の狼の爪か……狼や爪なんて、俺にはちょっと勇ましすぎるよな)
俺はそれなりに心臓を騒がせながら黄色いマントを羽織ったのち、控えの間に移動した。
そちらには、すでに他なる男衆も集結している。ダリ=サウティ、ジザ=ルウ、ガズラン=ルティム、シン・ルウ=シン、ゲオル=ザザ、ゼイ=ディン、ラヴィッツの長兄、ラッツの家長――護衛役として参じていたルド=ルウ、ライエルファム=スドラ、ガズの長兄を含めて、十一名の狩人たちだ。今回はどちらかというと、かまど番の編成を優先した上で、それに相応しいパートナーの男衆が選ばれていた。
ただひとり、自ら名乗りをあげたのはガズラン=ルティムである。
ガズラン=ルティムは俺と並んで、フェルメスと特別な絆を結んだひとりであるのだ。それで族長らも疑問をさしはさむことなく、ガズラン=ルティムの申し出を了承したようであった。
「アスタ、お疲れ様です。火傷の具合は如何でしょうか?」
「はい。あとは足もとぐらいですね。もう痛みもほとんどありませんよ」
「そうですか。それなら、幸いです」
白い礼服を纏ったガズラン=ルティムは、穏やかな顔で微笑んだ。
「ついにこの日が来てしまいましたね。私は可能な限り、フェルメスと言葉を交わしたく思います」
「俺も、同じ気持ちですよ。でも、城下町にはそういう人も少なくないのでしょうね」
「ええ。フェルメスは、あれほどの力を持つ人間ですからね」
ただし、フェルメスの側はどうなのか――俺やガズラン=ルティムのように特別な感情を持たれている人間が城下町に存在するのか、俺たちは知らない。少なくとも、晩餐会などをともにする主要メンバーの中に、そういった相手は見当たらなかった。
(マルスタインたちだって、十分に立派な人たちだ。それよりも関心を引かれるような相手が、他にいるのかな)
それに、フェルメスは立派な相手に関心を持つわけではない。俺は『星無き民』として、ガズラン=ルティムはきわめて聡明な人間として、フェルメスから特別な興味を抱かれたのである。なおかつ、ダリ=サウティやライエルファム=スドラに対しては特別な感情も抱いていないようであるし――ただ聡明であればいいというわけではないようであった。
「……ガズラン=ルティムはフェルメスに、学士のようだと評されていましたよね」
「はい。私は学士というものが如何なる存在であるのかもわかりませんが、フェルメス自身もかつては学士であったという話でしたね。つまりは、自分と似たものを感じ取ったということなのでしょうか」
「うーん。ガズラン=ルティムとフェルメスが似ているという印象はありませんけれど……俺が学士というものに抱くのは、俗世に背を向けて研究に没頭するようなイメージですね」
ガズラン=ルティムが「いめーじ」と繰り返しながら微笑んだので、俺はすっかり軽くなった頭をかき回した。
「すみません。うっかり故郷の言葉が出ちゃいました。アイ=ファには内密にお願いします」
「承知しました。いめーじというのは、印象と同じような意味なのでしょうか?」
「そうですね。心に浮かぶ像といった感じです。フェルメスは、まさしくそういう印象でしょう?」
「そうですね。私もさまざまな事象に思いを巡らせることを好んでいますが、それでも日々の生活を二の次にすることはありえません。フェルメスほど、思索に没頭することはないでしょう」
「それじゃあやっぱり、重要なのは探究心でしょうかね。ガズラン=ルティムは他の同胞と比べると、自分の生活に関わりのない話でも強く興味を引かれる面をお持ちであるような気がします」
そういう面においても、ガズラン=ルティムとライエルファム=スドラはどこか似通っている。しかし、ライエルファム=スドラはそもそも城下町に出向くようになったのも近年の話であるため、フェルメスと腰を据えて語らう機会もそうそうなかったはずであるのだ。
よって、城下町に出向く機会の多かったガズラン=ルティムは、早々にフェルメスと語らうことになり――それで、その聡明さと探究心でもってフェルメスを魅了したのかもしれなかった。
「ふん。自分と関わりのない話にそうまで心を砕く人間など、森辺にはそうそうおるまいからな。ガズラン=ルティムとフェルメスは、変人同士で気が合ったのだろうさ」
と、こちらの会話に聞き耳を立てていたらしいゲオル=ザザが、陽気な声で割り込んだ。
「俺の目から見ても、あやつはガズラン=ルティムに執着しているからな。せいぜい別れを惜しんでやるがいい」
「うむ。俺は新たな外交官たるダッドレウスの人柄を見定めたいので、フェルメスのことはガズラン=ルティムに任せたい」
と、ジザ=ルウまでもがそのように言い出した。
ガズラン=ルティムは同じ笑顔で、「承知しました」と応じる。
「もしかしたら、フェルメスと語らうのもこれが最後かもしれませんので……心残りのないように、絆を深めたく思います」
「ふむ? しかしあやつも外交官という立場なのだから、またのうのうとジェノスにやってくることもありえるのではないか?」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。西の王がどのように判ずるか……そして、フェルメス自身がどのように判ずるかでしょうね」
ガズラン=ルティムの言う通り、先のことはわからない。だから俺たちは、後悔がないように振る舞わなければならなかった。
「失礼いたします。森辺のご婦人がたをご案内いたしました」
と、控えの間の扉がノックされて、ダレイム伯爵家の侍女たるシェイラの声が響きわたった。
そして、何やら誇らしげな顔をしたシェイラが最初に入室して、扉を大きく開く。そこから十二名に及ぶ森辺の女衆が入室して、一気に控えの間が華やいだ。
レイナ=ルウは朱色、ユン=スドラは灰色、トゥール=ディンは茶色、スフィラ=ザザは藍色、サウティ分家の末妹は黄色というカラーリングで、いずれも豪奢な宴衣装だ。それらはすべて、彼女たちの生まれ月と同じ色合いであった。
ララ=ルウとリミ=ルウも似た様式の宴衣装であるが、こちらはティカトラスに贈られた品ではないため、さまざまな色彩がちりばめられている。しかし、華やかなことに変わりはなかった。
レイ=マトゥアやマルフィラ=ナハム、ラッツの女衆やルティムの女衆は、セルヴァ伝統の宴衣装だ。薄手の生地の長衣で袖なしのガウンめいた上衣を羽織るそちらの様式は、しっとりと落ち着いた美しさであった。
ジルベはファの家から持参した二重のマントを二種の勲章で留められており、えっへんとばかりに胸を張っている。そのたてがみにうずまったサチは、蝶ネクタイのような赤いリボンだ。
そして、アイ=ファである。
誰よりも数多くの宴衣装をプレゼントされたアイ=ファが、本日纏っていたのは――純白の宴衣装であった。
デザインは、レイナ=ルウたちと変わらない。というよりも、これはそもそもアイ=ファが肖像画を描かれる際に準備された宴衣装と同一のデザインであるのだ。様式としてはジェノスで主流のデザインであるが、スカートのひだの重なり具合がひときわボリューミーであり、大輪が花開いたような豪奢さであった。
そして、大きく開いた襟ぐりには俺が贈った青い石の首飾りと装飾の銀鎖が光り、こめかみには透明の花飾りが瞬いている。さらに、自然に垂らされた金褐色の髪がひときわ鮮烈な彩りとなっており――左手の薬指には、水晶のように色彩を変える不思議な指輪がひそやかにきらめいていた。
「あー、アイ=ファは白い宴衣装かー。やっぱ、婚儀を考えてのことなんだろうなー」
ルド=ルウの気安い言葉は黙殺して、アイ=ファはしずしずと俺のもとに近づいてくる。そしてその目が、苦笑の色をたたえた。
「……そういえば、黄色というのは月神エイラの色であるという話だったな」
「うん。それ以外にも、意味が込められてそうだけどな」
俺の返答に、アイ=ファはやわらかく目を細める。
そしてその指先が、俺の胸もとをつついてきた。今日は詰襟の宴衣装であったため、アイ=ファから贈られた首飾りはその下に隠されてしまっているのだ。
「お二人とも、本当によくお似合いです。まるで今日こそが婚儀の祝宴であるかのようですね」
アイ=ファの着付けを手伝ったのであろうシェイラが、うっとりとした眼差しでそのように言いたてる。
すると、開け放しであった扉から別なる侍女が顔を覗かせた。
「失礼いたします。開会の刻限が迫っておりますので、移動をお願いいたします」
今回も、女衆は腰を落ち着ける時間がなかった。
そして俺も騒ぐ心臓をなだめるいとまもなく、アイ=ファとともに控えの間を出る。こんな時期にアイ=ファに純白の宴衣装が準備されるなどというのは、俺の心中で蠢動する熱情を刺激してやまなかった。
「前にも言ったかもしれないけどさ。俺の故郷でも、花嫁は白い宴衣装を着る習わしだったんだよ」
俺がこっそり告げると、アイ=ファは粛然たる面持ちで「うむ」とうなずいた。
「しかし、我々の婚儀は二日後であるからな。何も心を惑わせる必要はないぞ」
「いやいや。これで平静を保てっていうのは、無理な相談だよ。しばらくは存分に心を乱してると思うから、勘弁してくれよな」
アイ=ファはくすりと笑ってから、俺の脇腹を肘でつついてくる。
そうして二十四名に及ぶ森辺の一行は、大広間の扉の前に到着した。
本日はそれなり以上に格式の高い祝宴であるため、身分に応じて整列をさせられる。俺やトゥール=ディンは宴料理のひと品ずつを準備したに過ぎないので、トップバッターに選ばれることもなかった。
まずはダリ=サウティとサウティ分家の末妹から始まり、ジザ=ルウとレイナ=ルウ、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザと、族長筋の血筋に従って入場が進められていく。ファの家人の一行は、小さき氏族のトップバッターであった。
「ファの家長アイ=ファ様、家人アスタ様、同じくジルベ様、サチ様、ご入場です」
小姓の澄みわたった声とともに、俺たちは大広間に踏み入る。
とたんに、拍手と歓声が鳴り響いた。普段のつつましい感じではなく、熱意に満ちみちた拍手と歓声だ。
俺たちを迎える人々の眼差しも、普段以上に明るくきらめいている。
もしかしたら、これは俺たちの婚儀を祝福してくれているのだろうか。
そのように考えると、俺の心臓はますます高鳴ってしまった。
「大層な騒ぎだな。まあ、アスタたちはそれだけ城下町の者たちとも絆を深めているということだ」
俺たちが森辺の一団のもとまで辿り着くと、シン・ルウ=シンが穏やかな面持ちでそんな風に言ってくれた。
そうして次なる面々の入場が開始されると、拍手は従来のつつましさを取り戻し、歓声はなりをひそめる。ただし、大広間に満ちた熱気に変わりはなかった。
名のある貴族の入場はこれからであるが、すでに二百名以上の参席者が集まっているのだろう。今回は奇をてらうことなく、力のある貴族や官職にある人間を中心に集められており、市井からは区長の身分にある人間だけが招待されているとのことであった。
(そんな中、森辺の民は二十四名も招待されてるわけだけど……まあ、いつも通りと言えばいつも通りだしな)
マルスタインは国王カイロス三世の目をはばかることなく、ジェノスの流儀を押し通したのだろう。
それに、今後はダッドレウスが外交官として赴任するのだから、何も隠し立てはできないのだ。俺たちも普段通りに振る舞いつつ、カイロス三世やダッドレウスの理解を得なければならないわけであった。
「アスタ、お疲れさま! もー、この十日間ぐらいは、さんざんだったねー! 僕は話を聞くばっかりで、ずっとやきもきしてたんだよー?」
と、いきなり横合いから元気な声をぶつけられる。俺が振り返ると、そこには青い宴衣装を纏ったディアルと武官の礼服めいた装束を纏ったラービスがたたずんでいた。
「やあ、ディアル。ちょっとひさびさだね。城下町の屋台には顔を出してくれてたって聞いてるよ」
「うん! こっちも新しい外交官がらみであれこれ忙しかったから、城下町を抜け出すひまがなかったんだよー! でも、アスタのことはぜーんぶリフレイアから聞いてたからね!」
そう言って、ディアルはにっこり笑った。
「アスタが大変なときに力になれなかったのは悔しいけど、丸く収まってよかったね! その頭も、けっこう似合ってると思うよー!」
「ありがとう。でも、またもとの長さにのばすつもりなんだ」
「あはは! 今のほうが大人っぽいけど、アスタはちょっと子供っぽいほうが似合うかもね!」
そのように語るディアルのほうこそどんどん髪がのびて、そろそろロングヘアーの域に達しようとしている。褐色の濃淡が入り交じっている彼女の髪は、長くなればなるほど豪奢な印象であった。
「それでもって、婚約おめでとう! 明後日は、何があっても宿場町に駆けつけるからさ! またおかしな騒ぎに巻き込まれて、婚儀を台無しにしないでよー?」
「ああ、ありがとう。婚儀の話は、ちゃんと伝わってたんだね」
「当たり前じゃん! ていうか、みんな今日はアスタたちの婚儀の前祝いも兼ねてるって思ってるはずだよー!」
ディアルの無邪気な返答に、アイ=ファは眉をひそめた。
「しかし今日は、大恩あるフェルメスを見送る送別の祝宴であるのだ。我々の存在が邪魔になることは避けたく思う」
「なーに言ってんのさ! おめでたい話で送別の祝宴に花を添えるぐらいの気概を持ちなよ!」
そう言って、ディアルはいっそう朗らかに笑った。
「とにかく、おめでとう! 二人が収まるべき場所に収まって、僕も嬉しいよ! 明後日は、めいっぱいお祝いするからね!」
そのタイミングで高名なる貴族たちの入場が告げられたため、ディアルとラービスは慌ただしく立ち去っていった。まるでネズミ花火のような騒がしさである。
(でも、挨拶回りの間をぬって、真っ先に駆けつけてくれたんだな)
ディアルの心意気に胸を温かくしながら、俺は貴族たちの入場を見守ることになった。
三大伯爵家はいつも通りの顔ぶれで、俺が見知っている相手は勢ぞろいしている。それにバナーム伯爵家のアラウトたちが続いた後、西の王都の面々が入場した。
まずは、ティカトラスの一行である。
貴族としての格式はティカトラスが一番であるはずだが、本日は新旧の外交官に後の出番を譲ったのだろうか。ティカトラスは相変わらずのけばけばしい長羽織めいた装束と飾り物だらけのターバンという格好で、ヴィケッツォは和装のごとき漆黒の宴衣装、デギオンは武官の白い礼服であった。
その次に、新たな外交官たるダッドレウスの一行が入場する。
祝宴の場ではダッドレウスも飾り物をさげていたが、質実剛健な印象に変わりはない。眉間には深い皺が刻まれて、落ちくぼんだ目は炯々と光り、いつも通りの厳めしさであった。
そして、武官の四名である。
アローンと三名の仮面の武官たちは、実に立派な礼服を纏っていた。
基本の色彩は白であるが、銀色を基調とした刺繍が豪奢かつ勇壮である。その胸もとには、西の王都の象徴たる銀色の獅子がでかでかと刺繍されていた。
(どれがカイロス三世なのか、俺にはやっぱり見分けがつかないな)
三名の仮面の武官は背格好も似ているため、いっそう見分けがつけられない。あるいはそれも、カイロス三世を目立たせないようにするための手管なのであろうか。たとえ正体を秘匿していても、用心に用心を重ねているはずであった。
そしてその次に、ついにフェルメスが登場する。
すると、拍手の力感がわずかばかりに強まった。城下町においても、フェルメスはそれだけの存在感を示していたはずであるのだ。
フェルメスは淡い紫色の長衣を纏っており、装飾品は瀟洒な首飾りひとつである。しかし、貴婦人のごとき美麗な面立ちをしたフェルメスは、何も着飾らなくとも人の目をひいてやまなかった。
亜麻色の長い髪はゆったりと束ねて、背中に垂らしている。南の民のように肌が白く、その顔立ちはひたすら秀麗だ。なおかつフェルメスは体格も華奢であるため、長衣ひとつの姿でも貴婦人と見まごうたおやかさであった。
それにひっそりと付き添うジェムドは武官の礼服だが、白ではなく深い紺色だ。こちらもこちらで端整な顔立ちであるのだが、フェルメスのかたわらにあると影のようにひそやかな気配である。ただそれでも、若い貴婦人の何名かはジェムドにも目を奪われている様子であった。
その後には南の王族たるデルシェア姫が続き、最後は主催者であるジェノス侯爵家の面々で締めくくられる。これにて、二百五十名に及ぶ参席者が勢ぞろいした。
「本日も多数のお歴々に足をお運びいただき、心よりありがたく思っている。本日は、長きにわたって外交官としての職務を果たしてくださったフェルメス殿を見送る送別の祝宴であるが……その前に、ひとつの催しを行いたい」
それについては事前に通告されているため、誰もいぶかしむ気配はない。
マルスタインは満足そうにうなずきつつ、さらに言いつのった。
「すでに皆々もご存じであろうが、先日にガーデルなる者を首謀者とする無法者の一団が、城門の鼻先にて騒乱を起こした。それで数多くの行商人が手傷を負うことになり……そして、森辺の料理人として名高いアスタが拉致され、生命を落としかけたのだ」
マルスタインの声は穏やかなままであったが、大広間はしんと静まりかえる。
そんな中、マルスタインは朗々と語った。
「しかもガーデルは護民兵団に所属する身であり、かつてはダーム公爵家のティカトラス殿にも非礼を働いた。それ以降は近衛兵団の精鋭をお目付け役として控えさせていたのだが、それらの監視の目をもすりぬけて、無法な真似を働いたのだ。これはまさしく、ジェノスの威信を地に貶める蛮行であろう。その大罪には五年の苦役の刑が科されたことを、この場で通達させていただく」
この瞬間だけ、人々はわずかにざわめいた。
しかしそれも、すぐに静寂に呑み込まれる。
「死罪よりも重い苦役の刑が下されたことで、ジェノスの威信が保たれることを祈る。そして、大罪人どもを逃がすことなく捕縛できたのは、ひとえに森辺の狩人の尽力あってのこととなる。功労者たるガズラン=ルティムとアイ=ファの両名に、この場で勲章を捧げたく思う」
とたんに、歓声と拍手が静寂を打ち破った。
小姓の案内で、アイ=ファとガズラン=ルティムがマルスタインの前に進み出る。その姿に、いっそうの歓声がわきたった。
褐色の肌に白い衣装を纏った両名は、この華やかな場でもひときわの輝きを放っている。ガズラン=ルティムの穏やかな表情および立派な体格と、アイ=ファの凛々しい美しさが、いっそうの輝かしさを生み出すのだろう。
さらに言うならば、そんな二人が並ぶことによって、おたがいの魅力をブーストさせているのだ。俺はそんな二人の姿に浅ましき嫉妬心を覚えることなく、心からの誇らしさを抱くことができた。
「両名には、東の王家にまつわる騒乱においても勲章が授与されている。ジェノスの領主として、両名の活躍を心から誇らしく思っているよ」
いくぶん砕けた口調になりながら、マルスタインは二人に微笑みかける。
そして、勲章を掲げた小姓と幼き姫君オディフィアが二人の前に進み出た。
武官の礼服を纏ったガズラン=ルティムは、それこそ立派な騎士のごときたたずまいで膝を折る。
オディフィアがちんまりした指先でその胸もとに勲章を捧げると、あらためて万雷の拍手が鳴り響いた。
そして次は、アイ=ファの番である。
小姓に何らかの言葉をかけられたアイ=ファは膝を折るのではなく、大輪の花めいた宴衣装の裾をつまみ、貴婦人が優雅に一礼するように腰を屈めた。
するとオディフィアが、アイ=ファのくびれた腰のあたりに勲章を捧げる。ベルトラインのやや右寄りの位置に、太陽を象った真紅の勲章が鮮烈にきらめいた。
そうしてアイ=ファとガズラン=ルティムがこちらに向きなおると、さらなる歓声と拍手が鳴り響く。
ファの家の家人として、ガズラン=ルティムの友として、俺は誇らしい限りである。そして俺の足もとでは、ジルベがきらきらと瞳を輝かせながら「わふっ」と吠えたてた。
「そして、もう一点……アスタも、こちらに足労を願えるだろうか?」
マルスタインの言葉に、俺は思わず「え?」とのけぞってしまう。これは、突然の申し出であった。
アイ=ファもわずかに眉をひそめているが、領主のお呼びとあっては固辞することもできない。俺が頭をかきながら進み出ると、熱っぽい拍手がうねりをあげた。
「これもすでに多くの者たちが聞き及んでいようが、このたびアスタとアイ=ファが婚儀を挙げることになったのだ。ジェノスで一番の料理人と認められたアスタと数多くの勲章を授かったアイ=ファの婚儀とあっては、わたしも皆々も黙ってはいられまい。なおかつ、我々は森辺で行われる儀式の場にも参ずることはかなわないので、この場で祝福を捧げさせていただきたく思う」
拍手の渦にも負けない声量で、マルスタインはそのように言い放った。
「二人の婚儀を、心から祝福する。どうか今後も手を取り合って、ジェノスのために力を尽くし……そして、誰よりも幸せな家庭を築いてもらいたい」
拍手の中に、歓声が入り交じる。さらには、俺とアイ=ファの名を呼ぶ声や、「おめでとうございます!」という声も響きわたった。
とうてい城下町の祝宴とは思えない騒がしさだ。
しかしその騒がしさこそが、俺の胸を震わせてやまなかった。
城下町でも、俺たちの婚儀を祝福してくれる人たちがこんなにもたくさん存在するのだ。
森辺や宿場町と比べると、俺はそうまで城下町で長きの時間を過ごしてきたわけではない。貴族や王族と入り交じって過ごす祝宴や茶会や晩餐会は、俺にとって非日常であった。
しかしまた、非日常であるからこそ、濃密な時間であったという面もあるのだろうか。
少なくとも、数々の喜びを分かち合ってきたことは確かであったし――ひとたびは、ポワディーノ王子もろとも鴉の群れに襲撃されたこともあったのだ。俺たちが、特別な時間を共有してきたことに疑いはなかった。
懇意にさせてもらっていた貴族たちも、顔だけ見知っている貴族たちも、顔すら覚えきれていない貴族たちも、誰もが笑顔で手を打ち鳴らしている。
その光景に胸を詰まらせながら、俺はアイ=ファとともに一礼することになったのだった。




