送別の祝宴②~下準備~
2025.11/4 更新分 1/1
「……どうしてあやつらが、ジェノスにいるのだ?」
宿場町の屋台に到着するなり、アイ=ファはうろんげな声を発した。
その間も、街道のほうからは笛や太鼓の音色が鳴り響いている。ジェノスに腰を据えると決めた《ギャムレイの一座》は屋台の料理で腹を満たすなり、大道芸を開始したのである。
笛吹きのナチャラ、仮面の小男ザン、双子のアルンとアミンが笛や太鼓の演奏を鳴らし、童女のピノと大男のドガが軽業の曲芸を見せている。それを見物する往来や青空食堂の人々が、やんやと喝采をあげていた。
さすがに大がかりな天幕までは張っていないが、荷車の脇には小ぶりの天幕が張られている。どうやらそちらでは占星師ライラノスによる星読みの店が開かれているようで、若い娘さんや商人風の男性などが列をなしつつ、街道の見世物を楽しんでいた。
もとより森辺の屋台の周囲は人で賑わっていたため、復活祭でもやってきたような賑やかさだ。その熱気を心地好く感じながら、俺はアイ=ファに笑顔を返した。
「《ギャムレイの一座》はジャガルに向かう最中で、たまたまジェノスに立ち寄ったんだってさ。それで、明後日まで滞在してくれないかって、俺のほうからお願いしたんだよ」
「ふむ? つまりは、あやつらにも婚儀のさまを見届けてもらいたいということか?」
「うん。《ギャムレイの一座》は、俺たちにとっても特別な存在だろう? しかも今では、チルとディアも加わってるんだからさ」
アイ=ファはやわらかく目を細めながら、「そうだな」と言ってくれた。
「あとな、ついでにって言ったら申し訳ないけど、カミュアたちもジェノスに戻ってきたんだよ。今頃は、《キミュスの尻尾亭》でくつろいでるはずだ」
「ほう。明日にはフェルメスたちがジェノスを離れようという時期に、ずいぶんな偶然が重なるものだな」
「うん。母なる森や西方神が、みんなに喜びのおすそわけをしようとしてくれたのかな」
「軽々しく、森や神の名を持ち出すものではない」
アイ=ファに優しく頭を小突かれて、俺は心を満たされるばかりである。
すると、アイ=ファとともにやってきたルド=ルウも「ふーん」と会話に加わってきた。
「ま、あいつらは騒がしいけど、迷惑になることはねーだろ。それに、こっちの騒ぎもすっかりおさまったところだしなー」
「うん。俺もそう思って、滞在をお願いしたんだよ」
《ギャムレイの一座》は貴族に警戒心を抱いているため、西の王都の一団がジェノスであやしい動きを見せていたならば、さっさと通りすぎようという算段であったらしい。また、竜神の民の一団たる《青き翼》に対しても、それなりの警戒心を抱いているようであった。
しかし、西の王都の一団は明日出立する予定であるし、《青き翼》はもう半月以上も前にジェノスを離れている。また、《青き翼》が決してあやしい集団でないということを伝えた上で、俺は《ギャムレイの一座》にしばらくの滞在をお願いしたのだった。
「あと、これはさっき宿場町で布告が回されたんだけど――」
「ガーデルのことならば、聞き及んでいる。途中でドーラたちと出くわして、話を聞くことになったのだ」
アイ=ファは凛々しい面持ちで、そう言った。
「ガーデルは、五年の苦役の刑だそうだな。では、五年後の再会を待つとしよう」
「あー。でも、さすがにその頃は、アイ=ファも狩人の仕事から身を引いてるだろうからなー。あいつが悪人に成り下がってたら、俺たちがとっちめてやるよ」
ルド=ルウの気安い言葉に、アイ=ファは「うむ」と目礼を返す。
「もしもの際には私がこの手で討つと約定を交わしたのに、それもままならなくなってしまったな」
「だから、そんな話は俺たちにまかせておけって。今さら婚儀をやめるなんて言ったら、アスタがひっくり返っちまうぞー?」
「うむ。そちらの約定は、魂に懸けて果たすつもりだ」
アイ=ファの勇ましい宣言には、ほんの少しだけ喜びの思いがにじんでいる。それだけで、俺の胸を高鳴らせるには十分以上であった。
そうして屋台の終業時間が間近に迫るとともに、《ギャムレイの一座》も芸を終わらせる。彼らは屋台のお客を目当てにしているので、終業時間の後にまで芸を続ける甲斐はないのだ。そうして俺が青空食堂を見回っていると、アルンとアミンが草籠を手におずおずと近づいてきた。
青空食堂で食事を楽しんでいた面々は、気前よく銅貨や割り銭を草籠に放り入れる。平時のジェノスに旅芸人が姿を見せることはなかったが、来たなら来たで歓迎されるようだ。《ギャムレイの一座》を引き留めた俺としては、ありがたい限りであった。
「あァ、そちらさんも、おひさしぶりだねェ。ついに婚儀を挙げるそうで、おめでとサン」
アルンとアミンが戻っていくと、それと入れ替わりでピノとロロがやってきた。
ロロはちょっとマルフィラ=ナハムと似たところのある、いつもおどおどとした娘さんだ。革の甲冑を纏ったならば実に見事なパントマイムめいた芸を見せることができるが、日中の往来では出番がないのだろう。ひょろりとした身体を男性用の装束に包んだロロは、ピノのかたわらで目を泳がせていた。
「ひさかたぶりだな、ピノにロロよ。そちらにも婚儀のさまを見届けてもらえるならば、嬉しく思うぞ」
「ははン。浮き世の道理から外れたアタシらには、関わりのない話なんだけどねェ。ま、その日はチルに休みをやるから、存分に可愛がってやるといいさァ」
「うむ? では、ピノたちは広場にまで出向かないのであろうか?」
「芸を見せるあてもないのにアタシらが顔を出したって、無駄に人様を惑わせるだけだろォ? どうせこっちの通りも閑古鳥だろうから、アタシらは荷車で大人しくしておくさァ」
「だったらさ」と、横からララ=ルウが割り込んできた。
「いっそのこと、広場で芸を見せてくれない?」
「はァん? 復活祭でもないのに、そんな許しが出るとは思えないねェ」
「それを言ったら、あたしたちだって特別に屋台を出すことを許されてるんだからさ。サトゥラス伯爵家の人たちにお願いしたら、すんなり了承をもらえるんじゃないかな」
そう言って、ララ=ルウは白い歯をこぼした。
「で、ちょうどいいことに、今日はこれから城下町で祝宴なんだよ。もしもそっちが了承してくれるなら、あたしが宿場町の領主に直接かけあうよ」
「ふうン……ま、そちらのお二人が婚儀を挙げるとなったら、広場も大層な盛り上がりなんだろうねェ」
と、ピノは赤い唇を吊り上げて、にんまりと笑った。
「そういうお祭り騒ぎの日には、財布の紐もゆるくなるもんさァ。もしもお許しをもらえるなら、せいぜい稼がせていただくよォ」
「よーし。じゃ、結果は明日になってからね。話がまとまったら、よろしく」
それだけ言って、ララ=ルウは見回りの仕事に戻っていく。
そしてアイ=ファが、真剣な眼差しでピノの笑顔を見据えた。
「ところで、ひとつ伝えておきたいのだが……かつてナチャラなる者が読み解こうとしたアスタの苦悩は、すべて晴らされることになったのだ」
「へェ、ソイツはめでたいこって。……なるほどねェ、だからアスタはそんなに晴れ晴れとしたお顔をしてるわけかい。ただ婚儀に浮かれてるだけじゃなかったんだねェ」
「はい。半分は、婚儀の影響ですけれどね」
アイ=ファは苦笑の眼差しで俺の頭を小突き、ピノはくつくつと笑った。
「でも逆に言うと、あれから一年半もかけて、ようやく気が晴れたってことだねェ。ずいぶん長々と、お疲れサン」
「はい。ナチャラのお世話になっていなかったら、俺はいまだに同じ場所で足踏みしていたかもしれません。ピノにもナチャラにも、心から感謝しています」
「アタシは、なんにもしちゃいないさァ。なんもかんも、ナチャラの手管だからねェ」
「でも、最初に俺を心配してナチャラを紹介してくれたのは、ピノでしょう? だから、ピノにも同じぐらい感謝しているんです」
「そんな昔の話は、忘れちまったよォ。ま、丸く収まったんなら、何よりさァ」
ピノは肩をすくめつつ、隣でぼんやりと立っているロロの尻を引っぱたいた。
「で、アンタは何のために、のこのこついてきたのさァ? 祝いの言葉でも捧げるつもりなら、さっさとすませちまいなァ」
「あ、い、いえ。ボ、ボクなんかが口を出しても、ご迷惑なだけでしょうし……」
と、ロロはあたふたと目を泳がせたのち、ぺこぺこと頭を下げた。
「で、でも、お、おめでとうございます。ど、どうか幸せな家庭を築いてください」
「うむ。祝いの言葉、感謝する。私は至らぬ人間だが、力を尽くすつもりだ」
アイ=ファが凛々しい面持ちのまま優しく目を細めると、ロロは真っ赤になってうつむいてしまった。どうやら彼女は、美しい同性に弱いようであるのだ。
「じゃ、そろそろアタシらは退散しようかねェ。そっちはまた大仕事だそうだから、せいぜい気張りなさいなァ」
「はい。それじゃあ、また明日。チルとディアにも、よろしくお伝えください」
ピノは朱色の装束の裾と足もとまで届く三つ編みの黒髪をふわりとひるがえして、立ち去っていく。ロロもひょこひょことそれを追いかけると、アイ=ファは俺のほうに向きなおった。
「チルたちは、仕事のさなかであろうか?」
「うん。チルはライラノスの弟子だからな。あっちの天幕で、ライラノスを手伝ってるんだろうと思うよ」
「そうか。では、二日後の再会を楽しみに待つとしよう」
青空食堂のお客も、半分がたは席を立っている。もう商売の終わりは目前であったが、その前にガズの女衆がこちらに呼びかけてきた。
「アスタ、こちらの片付けはわたしたちだけで十分です。よろしければ、城下町に出発しては如何でしょう?」
「うん。でも、けっこうな人数が抜けることになるからね。それだと、ちょっと大変じゃないかな?」
「いえ。こちらには後の仕事もありませんし、時間さえかければどうということはありません」
そのように語るガズの女衆は、なかなかに熱っぽい面持ちである。彼女は血族たるレイ=マトゥアを見習って、さまざまな仕事を任されたいと願っているのだ。そんな彼女の心意気に応えるべく、俺は「そっか」と笑顔を返した。
「それじゃあ、後のことはおまかせするよ。帰り道も、気をつけてね」
「はい。そちらも、お気をつけください」
ということで、俺たちは城下町に向かうことにした。
屋台のメンバーから出陣するのは、俺、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、ララ=ルウ、リミ=ルウ、ルティム分家の女衆、サウティ分家の末妹の九名だ。あとは護衛兼招待客として、アイ=ファ、ルド=ルウ、ライエルファム=スドラ、ガズの長兄が参じてくれている。残る男衆はしっかり狩人としての仕事を果たしたのち、夕刻から参ずる手はずになっていた。
そうして城門に向かったならば、その手前の開けた場所で城下町の屋台を受け持ったメンバーたちが待ち受けている。そちらから合流するのは、レイナ=ルウとスフィラ=ザザとラッツの女衆であった。
「どうも、お疲れさまです。こちらの広場に《ギャムレイの一座》のニーヤがやってきて歌い始めたので、ずいぶん驚かされてしまいました」
「ああ、ニーヤもさっそく城下町に乗り込んだのか。挨拶とかは、できたのかな?」
「いえ。あちらはわたしたちに気づいていないご様子でした。森辺の民が城下町で屋台を開いているなどとは想像していなかったのかもしれませんね」
吟遊詩人のニーヤは鈍いのか鋭いのかよくわからないところがあるので、それも納得の話である。
そうしてこちらが情報交換している間に、アイ=ファは護衛役として同行していたジルベを呼び寄せる。「わふっ」と元気に荷台から飛び出したジルベの背中では、サチが「なうう」と不満げな声をあげた。今日は二人も招待されていたので、サチはジルベに預けていたのだ。
「そーいえば、アスタたちはこの辺りで襲われたってこったなー」
と、ルド=ルウがそんなつぶやきをこぼした。
五日前、俺たちはこの場所で無法者の一団に火矢を射かけられたのだ。
その襲撃によって荷車を破壊されてしまったため、ギルルが引いているのは新たに購入した荷車である。
しかし、俺の火傷もあとは足もとだけであるし――ガーデルも無法者の一団も、判決が下された。あとは彼らが死よりも苦しい苦役の刑を受けながら、何を思うかであった。
「お待ちしておりました。どうぞお乗りください」
さらに跳ね橋の手前にまで歩を進めると、そちらには御者役たる初老の武官が待ち受けている。立派なトトス車に乗り換えた俺たちは、本日の会場たる紅鳥宮まで案内されることになった。
つい三日前にも出向いた、紅鳥宮である。
しかしあの日は晩餐会で、本日は祝宴だ。今日はあの日のおよそ十倍、二百五十名ばかりの参席者が招待されていた。
そして俺たちも、ひと品だけ宴料理を準備する。
これは俺が、自ら願い出たのだ。二年近くにわたってお世話になったフェルメスとジェムドに対する、せめてものはなむけであった。
(出会った頃は、ちょっと扱いに困ったけど……それでも本当に、フェルメスにはお世話になったからなぁ)
フェルメスは『星無き民』に対して飽くなき執着を抱いていたため、当初は気持ちがすれ違ってしまった。そうしてフェルメスがサプライズで準備した『聖アレシュの苦難』の演劇で、俺は心を乱すことになってしまったのだ。
しかしそれで俺たちの不興を買ったと悟ったフェルメスは、復活祭の最終日に城下町を抜け出して、ダレイムにまでやってきた。そこで、ひとりの人間としての俺とも絆を深めたいと言ってくれて――そこからようやく、本当の意味での交流が開始されたのだ。
その後もフェルメスはちょくちょく『星無き民』に対する執着や探究心を覗かせていたが、それでも俺たちの信頼を裏切ることはなかった。
そして、ジェノスを見舞ったさまざまな騒動において、これ以上もなく力を添えてくれたのだ。モルガの聖域における族長会議においても、チル=リムやディアと出会った邪神教団の騒乱でも、飛蝗に襲撃された二度目の騒乱でも、ポワディーノ王子にまつわる騒乱でも、フェルメスの存在なくしてあれほどすみやかに解決することはできなかったはずであった。
そして今回の、カイロス三世にまつわる騒動である。
ここでも俺は、フェルメスによって救われることになった。フェルメスの見識に頼らなければ、俺は悪夢の呪縛から逃れることも、カイロス三世の要望に正しい答えを返すこともできなかったはずであるのだ。
だから、俺とアイ=ファは心の底からフェルメスに感謝している。
そのために、今日は精一杯の力を尽くすと決めていたのだった。
「ようこそ、森辺の皆様方。まずは、浴堂にご案内いたします」
紅鳥宮に到着したならば、浴堂で身を清める。そうして調理着に着替えたならば、厨に直行だ。中二日で城下町の仕事に励むのは、俺たちにしても当たり前の話ではなかった。
「それじゃあ、トゥール=ディンも頑張ってね」
「はい。またのちほど」
トゥール=ディンはトゥール=ディンで、ひと品だけ菓子を準備するのである。今回に限ってはオディフィアのためばかりでなく、フェルメスとジェムドのためにという思いを抱いているはずであった。
「あとね、この前の晩餐会ではアローンって人がトゥール=ディンのお菓子に喜んでたでしょ? だから、アローンのためにも作ってあげたいんだってさー!」
リミ=ルウが、そんな裏事情を明かしてくれた。
それでトゥール=ディンはスフィラ=ザザとレイ=マトゥアとサウティ分家の末妹だけをサポート役として、二百五十名分もの菓子を作りあげるのである。制限時間は二刻半ていどであるのだから、それはなかなかの苦労であるはずであった。
しかしまた、八名で料理を仕上げるこちらも、それなり以上の苦労であろう。このメンバーであれば不足はないと考えていたが、それでも安穏とはしていられなかった。
まずはひたすら、食材の切り分けである。
今日はプラティカやデルシェア姫も宴料理の準備に参加するそうで、見物人はやってこない。森辺の同胞のみの気安い空間で、俺たちは作業に没頭した。
「けっきょく俺はジェムドってやつと、大して話したこともねーんだよなー。あいつは、どーゆーやつだったんだー?」
こちらの厨の護衛役を受け持ったルド=ルウがそんな声をあげると、アイ=ファが不思議そうに小首を傾げた。
「ジェムドは明日にもジェノスを離れて、その先は二度と相まみえることもないやもしれん。それでも、あやつのことを知りたいのか?」
「おー。こっちはあいつにだって世話になったんだから、知らん顔はできねーだろ」
いつもフェルメスの影のように振る舞っているジェムドが勇躍を果たしたのはただ一度、モルガの聖域における族長会議の際である。あの日はジェムドがフェルメスの代理人として、モルガの聖域にまで乗り込んだのだ。
つまりルド=ルウも、ジェムドのおかげでティアがすこやかな行く末を迎えられるようになったことに感謝しているということなのだろう。そうと察したアイ=ファは、「そうか」とやわらかく目を細めた。
「しかし私にも、多くを語ることはできん。ただ言えるのは、フェルメスとジェムドが深い絆で結ばれているということぐらいだな」
「ふーん。でもたしか最初の頃は、アイ=ファがあいつにちょっかいをかけられたんじゃなかったっけ?」
「それもどうやら、フェルメスの利になるであろうと思い余ってのことであったようだな。あやつらがおたがいを思いやっていることに疑いはなかろうが、いささかならず入り組んだ関係であるようなのだ」
「へーえ。とことん、わかりにくいやつだなー。ま、それはフェルメスもおんなじことかー」
「うむ。ジェムドは寡黙であり、フェルメスは能弁であるが、内心をつかみにくいという意味においては同等であろう。そんなあやつらと確かな絆を結べたことを、私は得難く思っている」
「ま、アスタが力を取り戻したのも、フェルメスのおかげなんだもんなー。せいぜい盛大に見送ってやりゃあいいさ」
ルド=ルウはジェムドばかりでなく、フェルメスとも絆を深める機会はなかったのだろう。というよりも、フェルメスが本当の意味で関心を持っていたのは、俺とガズラン=ルティムの二人きりなのではないかと思われた。
(それぐらい、フェルメスは変わった人だからな。ガーデルとの差は、ほんの紙一重だったんだろう)
そしてその紙一重の差で、こんなにも大きく運命が分かたれたのだ。
もしもフェルメスが、人間としての俺に興味を持ってくれなかったら――そして、もしもガーデルが人間としての俺に興味を持ってくれていたならば、現在の状況もまったく様変わりしていたはずであった。
「にっこり笑って内心を押し隠すっていうのは、いかにも貴族らしいやり口だよね。あたしももっと、フェルメスとご縁を深めておけばよかったよ」
ララ=ルウがアリアをざくざくと刻みながら口をはさむと、今度はルド=ルウが「んー?」と小首を傾げた。
「絆を深めて、どーするんだよ? お前もフェルメスみてーに内心を隠す手管をみがきたかったってことかー?」
「逆だよ、逆。フェルメスの内心を探れるぐらいの眼力があったら、どんな貴族とも渡り合えるでしょ。でも、あたしはオーグやロブロスみたいにかっちりした人とやりあうのが楽しかったから、なかなかフェルメスにまで手が回らなかったんだよねー」
ロブロスは、南の王都の使節団の団長である。フェルメスの補佐官であったオーグと同様に、きわめて厳格な人柄であった。
「なんか、どっちも懐かしい名前だなー。ま、新しい外交官ってのは、そいつらと似てるって話なんだろ?」
「うん。下手したら、今までで一番堅苦しいかもね。だからあたしも、楽しみなんだ」
そう言って、ララ=ルウは本当に楽しそうな笑顔を見せた。ララ=ルウはそういう堅苦しい相手と交流を深めることに、大きな意義を抱いているようであるのだ。今後はダッドレウスが長きにわたってジェノスに滞在するのであろうから、実に頼もしい話であった。
「前回の会談はけっこうバタバタして終わっちゃったから、俺たちもダッドレウスとしっかり絆を結ばないとな」
俺がそのように呼びかけると、アイ=ファは凛々しい面持ちで「うむ」とうなずいた。
「おそらくダッドレウスは公正な人間であろうから、あとはこちら次第であろう。今日の祝宴でも、しっかり挨拶をせねばな」
「でも今日は、アスタもアイ=ファも引っ張りだこなんじゃない? なんせ、婚儀を挙げることが知れ渡っちゃってるんだからさ」
ララ=ルウの言葉に、アイ=ファは「うむ?」と眉をひそめる。
「べつだん、そのようなことはなかろう。そもそも城下町で婚儀のことを知る人間など、ごく限られているはずだぞ」
「いやいや。宿場町で披露する許可をもらうために、サトゥラス伯爵家に話を通したんでしょ? あと、昨日はティカトラスも屋台に来てたよね。それだけで、もう城下町中に知れ渡ってるんじゃないかなー」
すると、真剣な面持ちでチャッチを切り分けていたレイナ=ルウが声をあげた。
「城下町の屋台で商売に励んでいる間も、何名かのお客にアスタたちの婚儀について問いかけられました。市井にまで広まっているということは、貴族の間で知らない人間はいないと見なすべきでしょう」
アイ=ファはますます眉をひそめて、そのまま口をとがらせそうな勢いであった。
「何故に市井でまで、我々のことが取り沙汰されるのだ? 私など、城下町を歩いたことも数えるほどしかないのだぞ?」
「でも、リコたちはしょっちゅう城下町の広場で傀儡の劇を披露していましたからね。アスタはもちろん、アイ=ファの存在だって存分に知れ渡っているのでしょう」
「そーそー。なんせ、ドンダ父さんやダン=ルティムの名前だって知れ渡ってるぐらいなんだからねー。この前なんか、あたしがドンダ父さんの娘だって知ったお客が目を丸くしてたもんだよ」
ララ=ルウも加勢すると、アイ=ファは深々と溜息をついた。
「そうか……まあ、何も隠す話ではないが……今日の祝宴が、あまり煩わしくならないことを祈るばかりだな」
「あはは! 城下町の人たちもみーんなアイ=ファたちのことが大好きだから、だいじょぶだよー!」
今まで静かにしていたリミ=ルウが、ここぞとばかりに元気な声を張り上げる。
そうしてアイ=ファは曖昧な面持ちで頭をかき、厨にはいっそうの熱気がわきかえったのだった。




