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異世界料理道  作者: EDA
第九十八章 新星
1686/1686

エピローグ ~紅蓮の終焉~

2025.10/22 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。

・当作は、次章が最終章となります。最後までお楽しみいただけたら幸いです。

 俺は泣き顔の玲奈をその場に残して、炎の海に飛び込んだ。

 俺の生家である《つるみ屋》を燃やし尽くそうとする、業火である。


 そして、俺の胸にも怒りの炎が燃えあがっていた。

 あいつらは――《つるみ屋》に立ち退きを迫っていた連中は、ついにここまでのことをしでかしたのだ。


 店のシャッターに落書きをしたり、何百回という無言電話をかけてきたり、店先に猫の屍骸を放り捨てたり――それでも俺たちが立ち退きの申し出を突っぱねたために、ついには親父を軽トラックで轢き、《つるみ屋》に放火をした。


 こんな真似が、許されるわけがない。

 だから俺は、炎の海に飛び込んだのだ。

 親父が生命よりも大事にしている、『榊屋』の三徳包丁――あんな悪辣な連中に親父の大切な品まで奪わせてなるものかと、俺は冷静な判断力を失ってしまったのである。


 店内は、すでに真紅と漆黒に染めあげられていた。

 真紅は炎、漆黒は煙だ。俺が十七年間暮らしてきた《つるみ屋》の姿は、すべて真紅と漆黒の向こう側であった。


 俺は調理着の袖で鼻と口もとを覆い、炎の奥深くへと踏み込んでいく。

 すでに全身が焼けただれるような心地であったが、あきらめるわけにはいかなかった。


《つるみ屋》を再建するには、親父が必要だ。そして親父には、あの三徳包丁が必要であるのだ。全治数ヶ月の重傷を負って、《つるみ屋》を燃やされてしまった親父が、あの三徳包丁まで失ってしまったならば――今度こそ、立ち直れないほどのダメージを負ってしまう恐れがあるはずであった。


 足の裏にも熱い痛みを感じながら、俺は厨房に駆け込んでいく。

 そちらもすでに火の海であったが――ステンレス製である作業台の上に、鞘に収められた三徳包丁が無造作に転がされていた。


 他の調理器具が収められていた棚は、すでに炎に包み込まれている。

 親父のずぼらさが、三徳包丁を救ったのだ。俺は何だか泣きたいような心地で笑いながら、三徳包丁の柄をひっつかんだ。


 その瞬間――凄まじい爆音とともに、炎の柱がたちのぼった。

 おそらくは、ガス管が何かが破裂したのだ。

 全身を炎に包まれた俺は、誰にも届かない絶叫をあげながら倒れ伏すことになった。


 さらに爆風の影響からか、天井が焼け崩れた。

 瓦礫の山が、倒れ伏した俺の全身に降り注いでくる。

 五体を木っ端微塵に砕かれるような激痛に、俺は苦悶のうめき声を振り絞った。


 いったい自分がどうなってしまったのか、把握することもできない。

 視界は、漆黒に閉ざされていた。

 これは黒煙であるのか、あるいは自分がまぶたを閉ざしているだけなのか――それすら、判然としなかった。


 そうして俺が暗闇の中で、死にかけた獣ようにうめき声をあげていると――頭上に、真紅と黄金の炎が渦巻いた。


 今度は、その炎が俺に襲いかかってくる。

 俺の身は再び炎に包み込まれて、さきほど以上の激痛が走り抜けた。


 だが――不思議と、熱くはない。

 なんだか、生きながら全身を引き裂かれるような心地である。


 そうして俺が、痛みのあまりに意識を失いかけたとき――俺の身を包んだ炎が、すうっと遠のいた。


 そこで俺は、驚くべき光景を目の当たりにした。

 俺の眼下で、俺が横たわっている。

 顔や手の甲まで焼けただれた俺が、その手に三徳包丁を握りしめながら、瓦礫の山に押し潰されていた。


 しかしどうやら瓦礫の内側には空洞もできているらしく、俺は辛うじて生きていた。

 そして、決死の形相で頭上を――俺の姿を見上げている。


 俺が、俺を見上げているのだ。

 わけがわからなくなった俺は、大慌てで我が身を顧みた。


 俺は真紅と黄金の炎に包み込まれた状態で、宙に浮いている。

 しかしまったく熱くはないし、腕には火傷の痕もなく、調理着も真っ白なままであった。


 そして、俺も三徳包丁を握りしめている。

 俺が二人いて、三徳包丁も二本存在しているのだ。


 その瞬間――俺は、いきなり理解した。

 俺はこれから、大陸アムスホルンに連れていかれるのだ。

 つまりこれは、夢であるのだ。俺はこれまでと異なる形で、同じ悪夢を見ているのだった。


 あるいはこれこそが、悪夢の真の姿であったのだろうか。

 生きながら全身を焼かれて、そののちに五体をバラバラに砕かれる――その痛みは、ついさきほど体感した。実際はああして生き永らえているが、俺にとってはどちらも死ぬような苦しみであったのだ。


 これまでの悪夢において、俺はその苦しみを何度となく味わわされていた。

 もしかしたら、それは――このありうべからざる光景が理解できずに、同じ場所で足踏みしていただけであるのかもしれなかった。


 しかしまあ、本当のところはわからない。

 今の俺を包み込んでいる紅蓮の炎は、火神セルヴァの指先であるのかもしれないが――人間に、神々の存在を正しく知覚することなどできるわけもないのだ。


 だから俺にわかるのは、この先のことだけであった。

 津留見明日太の中から引きずり出された俺は、これから大陸アムスホルンに――モルガの森の奥深くに放り出されるのだ。


 そして俺は、アイ=ファに出会う。

 そのように考えただけで、俺は涙をこぼしてしまいそうだった。


 しかし、眼下の俺――津留見明日太は、決死の形相で手を差し伸べている。

 そのひび割れた唇は、「返せ!」という形に動いているように思えた。


 三徳包丁はそちらにも残されているのだから、それはきっと俺自身のことであるのだろう。

 そんな風に考えた瞬間、俺の心にも凄まじい勢いで欠落感と寂寥感が吹き荒れて――それで俺も、すべてを理解することができた。


 俺は、津留見明日太の模造品ではなかった。

 俺は――俺たちは、どちらも津留見明日太であるのだ。俺たちは神の見えざる手によって、魂を真っ二つに寸断されてしまったのだった。


 そうして魂の片方には新たな肉体が与えられて、これから異世界に放り出される。

 それが、俺の役割であった。

 俺はこれからアイ=ファと出会い、三年余りの時をともに過ごし――そして、西の王たるカイロス三世と邂逅したのち、アイ=ファと婚儀を挙げるのだ。


 その先のことは、まだわからない。

 そこからは、また自らの手で運命を切り開いていくのである。


(……俺は、大丈夫だよ。あっちの世界は、色々と勝手のわからない部分もあるけど……でも、毎日楽しくて、幸せなんだ)


 もはや俺が手をのばしても、もうひとりの俺には届かない。

 だから俺はめいっぱいの気持ちを込めて、もうひとりの俺に笑いかけた。


(だから、そっちも頑張ってくれ。いつか必ず、《つるみ屋》も再建できるから……親父と玲奈を、よろしく頼むよ)


 俺の思いが、伝わったのかどうか――もうひとりの俺は、やがて力尽きたように突っ伏した。

 その火傷でただれた顔は、泣き疲れた幼子のような表情をたたえている。


 俺がそちらに手を振ると、炎に包まれた身がふわりと浮き上がった。

 頭上を見上げると、そちらには白い輝きがあふれかえっている。その向こう側にアイ=ファが待っていることを、俺は知っていた。


 そうして俺は、ファの家で目を覚まし――この日を境に、二度と悪夢を見ることはなくなったのだった。

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― 新着の感想 ―
活動報告見たら当初はここで完結の予定だったって知ってびっくりしちゃった 婚儀までの流れも描写してくれることに感謝しかありませんね
ついに最終章!やはりかぁ。 終わって欲しいような終わって欲しくないような、と個人の感想はありますが、次章を楽しみに待ちたいと思います まだ早いでしょうが大陸記の続章も楽しみにしてます!
終わってしまうのが残念です。 番外編などで、二人の子供、ティアとの再会、リミ=ルウが大人になった描写は是非読みたいです。
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