運命の日⑤~宣誓~
2025.10/20 更新分 1/1
「俺はこの三日間、さんざん思い悩むことになりました。王宮の料理番に任命されるなどというのは、身に余る光栄ですが……それでも俺にとっては、森辺で生きることが一番の願いであったのです。でも、そんな個人の感情だけで王陛下の申し出を突っぱねることは許されないのでしょうから……頭が焼き切れるぐらい、考え抜くことになりました」
静まりかえった部屋の中で、俺は懸命に語り続けた。
その場に居合わせた人々は、誰もが無言で聞いてくれている。同じ卓についている森辺の同胞に、ジェノスと王都の貴族たち、デルシェア姫、ずらりと立ち並んだ城下町の料理人たち、森辺のかまど番たち――カイロス三世やダッドレウスばかりでなく、俺はそれらのすべての人々に向かって言葉を届けているつもりであった。
「ただその前に、俺は自分の出自についても思い悩んでいました。王都のみなさんと初めてお目にかかったときに調子を崩していたのも、その出自にまつわる悪夢に苛まれていたからなんです」
「出自……? そのような話が、このたびの一件に関わってくるのであろうか?」
「俺は、そのように考えています。何せ自分は『星無き民』などというとんでもない存在であると見なされているのですからね」
俺の言葉に、また一部の人々がどよめいた。
ここでそのような話が持ち出されるなどとは、誰も予測していなかったのだろう。そもそも俺はあやしげな出自をしているために、西の王都の面々から敵国のスパイなのではないかと疑われていたのだ。その関係から、俺の出自について取り沙汰するのは控えるべきだろう――という空気が蔓延していたのである。
しかしカイロス三世は果敢にも、そんな話を二の次にして俺を召し抱えようとしている。
俺はその二の次にされてしまった部分を、表舞台のど真ん中に引っ張り出そうとしているのだった。
「だから俺は、まず『星無き民』というものについて知ろうと考えました。以前にも、小耳にはさんだことはあったのですが……『星無き民』は、現代に生まれ落ちた聖人であると見なされているそうですね」
「アスタよ」と、ダッドレウスがこれまででもっとも厳しい声をあげた。
「聖人などという言葉を、うかうかと口にするものではない。それは王国の民にとって、もっとも神聖なる存在であるのだ」
「はい。そうだからこそ、『星無き民』というものは多くの人たちにとって許容し難い存在なのでしょう。王国の礎を築いた聖人を名乗るなんて、神々や王家の血筋をないがしろにするのと同じぐらい不敬な行為であると見なされるのではないかと思います」
ダッドレウスの厳しい眼差しを真正面から受け止めながら、俺はそのように答えた。
「ですから俺も、自分が『星無き民』であると言い張るつもりはありません。そもそも自分が『星無き民』であると証を立てることなんて不可能なのでしょうから、なおさらです。ただ……東の占星師の方々が俺を『星無き民』と見なしているのは事実ですし、俺もさまざまな点で条件が合致することを確認しました。そして、その事実を受け入れることで、ようやく心が楽になったんです」
「アスタよ」と、ダッドレウスが再び声をあげる。
彼は懸命に、かたわらのカイロス三世のほうを振り返らないように自制しているように見えた。
「其方は自分が『星無き民』であると言い張るつもりはないと称しながら、すぐさまその事実を受け入れたなどと口にしている。やはり其方は、自分が『星無き民』であると言い張り……それで、恐れ多くも王陛下の不興を買い、おん自ら願い出を取り下げることを目論んでいるのではないか?」
「はい。正直に言いますと、最初はそんな気持ちもありました。それで、城下町の料理人の方々とともに料理を準備させていただけないかとご提案させていただいたのです」
恥ずかしながら、それが事実である。フェルメスとの密談を終えた直後、俺はそんな思いでもって今回の作戦を立案したのだった。
「聖人は王国に新たな文明をもたらしたと聞きますが、自分には料理ぐらいしか能がありません。俺が『星無き民』であるとしたら、料理の手腕で世界を動かすことになるのでしょうから……俺がジェノスで成し遂げてきたことをお伝えすることで、自分が『星無き民』であると証明できるのではないかと……そんな思いにとらわれてしまいました」
「恐れ多くも王陛下は、まじないの類いを忌避しておられるからね。しかも、現代に生まれ落ちた聖人であるなどと名乗り、その論を支えるのが東の占星師とあっては……二重の意味で、不興を買ってしまうことだろう」
と――ふいに、場違いなぐらいやわらかな声が響きわたる。
俺が隣の卓に目を向けると、フェルメスがヘーゼルアイを星のようにきらめかせていた。
「それでアスタは、あえて王陛下の不興を買おうと目論んだということだね?」
「はい。俺は自分が『星無き民』であると自覚したことで、つい気が逸ってしまったのでしょう。それで、まじない嫌いの王陛下であれば、『星無き民』を忌避するに違いないと……そんな浅はかな考えにとらわれてしまったんです」
「では、今ではそうではない、と?」
「もちろんです。料理人としての力を見込んでお声をかけてくださった王陛下にそんな真似をするのは、不敬の極みでしょう。ただ……俺は、不安になってしまったんです」
そのように語りながら、俺はダッドレウスのほうに向きなおった。
「重ねて言いますが、俺は自分が『星無き民』であると主張するつもりはありません。ただ、自分の影響力というものを知ってもらわなくてはならないという思いに至ったのです」
「……其方の、影響力?」
「はい。俺の正体が何であれ、遠い異国の生まれであるという事実に変わりはありません。俺の故郷には、大陸アムスホルンに存在しないさまざまな技術や知識が存在したのです。俺がジェノスでもてはやされているのは、すべてその技術と知識があってのことなんです」
「……それは、お前が有する力の一部であるはずだ」
と、ふいにアイ=ファが口を開いた。
俺がびっくりして振り返ると、アイ=ファはとても安らいだ目で俺を見つめている。そして、その美しい唇がさらなる言葉を紡いだ。
「どのような知識や技術も、すべては扱う人間次第であろう。お前はそれを正しく扱う節度と、この地で正しく生きていきたいという熱情を備え持っていたからこそ、安楽な生を授かることができたのだ」
「……うん。ありがとう」
俺はアイ=ファに心からの笑顔を返してから、ダッドレウスに向きなおった。
「何にせよ、俺にはそれだけの影響力があります。それを証明するために、城下町の料理人の方々にもお越しいただいて……森辺の女衆にも、協力をお願いしました」
「……協力?」
「はい。今日の料理で自分が手掛けたのは、前菜のみです。汁物料理はリミ=ルウ、フワノ料理はユン=スドラ、野菜料理はマルフィラ=ナハム、肉料理はレイナ=ルウ――それぞれ責任者であると紹介した彼女たちが、それらの料理を手掛けました」
そこでダッドレウスは、うろんげに眉をひそめた。
「それが、何だと申すのだ? 如何に高名な料理人であろうとも、これだけの料理を供するには助手の力が必要であろう」
「助手ではありません。レイナ=ルウたちには、それぞれ独自に考案した料理を準備してもらったんです。そしてそれらはすべて最新の料理であるため、現時点では俺が同じものを作りあげることもできません。いわば全員が俺やトゥール=ディンと同じ立場で、一種ずつの料理を供したということですね。ですから、十二名のかまど番がふたり一組で作業にあたり、自分が担当する料理以外には指一本関与しないという方法で取り組みました」
俺の言葉に、ポルアースが深く息をついた。
やっぱりポルアースは、レイナ=ルウの料理を口にした時点でその事実を察したのだろう。あれなる肉料理は、レイナ=ルウがこれまで練り抜いてきた香味焼きの延長上にある味わいであったのだ。それらの料理に食べ慣れている人間であれば、もしやと察することも可能であろうし――その前段階でマルフィラ=ナハムが竜の玉子の料理を供したことも、大きなヒントになっていたはずであった。
(だからきっとリーハイムも、あれがレイナ=ルウの考案した料理だってことに気づいてただろうな)
俺がそんな風に考えたとき、がたりと硬い音が響いた。
アローンが怒りの形相で腰を浮かせたため、椅子が音をたてたのだ。
「アスタよ、それはあまりに不敬な行いであろう。こちらは其方に料理を準備せよと申しつけたのだ。それを他者に作らせるなどとは、我々を騙したも同然ではないか」
「お気にさわったのでしたら、申し訳ありません。でも俺は、俺の手腕を味わいたいと申しつけられました。拡大解釈と言われればそれまでですが、俺が森辺のかまど番にどれだけ入念な手ほどきをしてきたかを示すことが、料理人としての手腕を示すことになるのではないかと思案した次第です」
「そのような屁理屈を――!」と、アローンはいっそういきりたつ。
ダッドレウスはいよいよ厳しい目つきになりながら、それを押しとどめた。
「控えられよ、アローン殿。……そうして他者に仕事を任せることに、どのような意味があるというのだ?」
「はい。先刻も申し上げた通り、俺は自分の影響力というものについてお伝えしたかったのです。自分で口にするのは、あまりに恐縮なのですが――」
「では、僕が代弁いたしましょうか」
と、フェルメスがまたするりと割り込んできた。
「アスタが森辺にやってくるまで、森辺の民はきわめてつつましい――いえ、言葉を飾らずに言うならば、きわめて貧しい生活に身を置いておりました。それがアスタの登場によって、一変したのです」
「……その旨は、報告書にも記載されておりました。アスタが宿場町で行う商売によって、貧しき生活が改善されたというのでしょう?」
「はい。ですが、それがどれだけの貧しさであったかは、具体的に記載されていなかったはずです。たとえば……そちらのユン=スドラやマルフィラ=ナハムは、族長筋ならぬ血筋です。そういった氏族の方々は、ギバ肉の他にアリアとポイタンしか口にしたことがなかったのでしょう?」
「はい。時にはアリアとポイタンを買うこともできず、飢えて魂を返す家人も少なくありませんでした」
ユン=スドラが毅然とした面持ちで答えると、アローンは愕然と目を見開いた。
「ま、待たれよ、フェルメス殿。アスタが森辺にやってきたのは、およそ三年前であるという話であったはずですぞ」
「ええ、その通りです。なおかつ、アスタが森辺で最初に絆を結んだのはファとルウの家であり、それ以外の氏族が調理の手ほどきを受けたのはもっと後になってからのはずですね?」
「はい。スドラの家長の伴侶たるリィが屋台の商売を手伝い始めたのは家長会議の後ですので、青の月の半ばからということになります。わたしはリィが学んだことを家で学んでいましたが……実際にアスタから手ほどきを受けたのは、黒の月の終わり頃であったかと思います」
「では、今は青の月の終わりですので、二年と十ヶ月前ということですね。マルフィラ=ナハムは、如何でしょうか?」
「は、は、はい。け、血族のリリ=ラヴィッツがアスタの仕事を手伝い始めたのは、翌年の金の月の半ばからで……わ、わたしがアスタとお会いしたのは、青の月の終わり頃です」
「ふふ。森辺の方々は記憶力に優れておられるので、助かりますね」
「は、は、はい。そ、それは、わたしにとっても忘れられない日でしたので」
現在の状況も忘れたかのように、マルフィラ=ナハムはふにゃんと笑う。
そちらに優美な微笑みを返してから、フェルメスは言いつのった。
「青の月の終わり頃ということは、ちょうど二年前ということですね。それまでは間接的に手ほどきを受けていたのだとしても、けっきょくは三年以内のこととなります。アリアとポイタンとギバ肉しか口にしたことのなかった人間がそれだけの期間でこれほどの料理人に育つというのは、アスタの持つ影響力の度合いを顕著に示していることでしょう。……そして、それとはまったく異なる立場にあった城下町の面々も、アスタには大きな影響を受けているわけですね」
「はい。それを否定する人間は、この場に存在しないかと思われます」
城下町の料理人を代表して、ヤンがそのように答えてくれた。
そしてフェルメスは、炯々と目を光らせるプラティカと朗らかに微笑むデルシェア姫の姿を見比べる。
「そして、デルシェア姫とプラティカに至っては、アスタから調理を学ぶために長期滞在する決断を下しました。ダカルマス殿下もアルヴァッハ殿も、ひいてはポワディーノ殿下も、すべてはアスタの手腕を求めてジェノスにやってきたのです。さらに言うならば、アスタの影響力は宿場町にも及び、今やジェノスは美食の町と謳われるほどの存在にのしあがりました。森辺の民が出している屋台ばかりでなく、ジェノス全体の料理の質が向上し、それを目当てにした人間が数多く訪れるようになったのです。この広大なる西の王国において――いえ、この大陸アムスホルンにおいて、これほどの影響力を持つ料理人はアスタの他に存在しないことでしょう」
「……アスタが力のある料理人であるということは、明白です。だからこそ、王陛下も銀獅子宮の料理番として迎えたいと思い至られたのです」
ダッドレウスが厳しい声を返すと、フェルメスはにこりと微笑んだ。
「ですが、それは『星無き民』の力であると見なす人間がいる――アスタは、それを危惧しているのではないでしょうか?」
「はい。まさしく、その通りです」
面倒な部分を過不足なく処理してくれたフェルメスに頭を下げてから、俺は説明を引き継いだ。
「最初に申し上げますと、自分はそんな話を苦にしているわけではありません。『星無き民』であろうとなかろうと、自分はひとりの人間です。運命は自分の手で切り開くのだと、そのように信じています。ただ、そのように見ない人間も、この世界には存在するということです」
「……王陛下とて、そのような妄言に惑わされることはない。其方が案ずる必要はあるまい」
「果たして、そうでしょうか? 俺は傀儡の劇の主人公に仕立てられるような人間であり……つい二日前には、俺を英雄視するガーデルによって生命を狙われました。俺の影響力というものは、そんな方面にも及んでしまうんです」
そこで俺は、物騒な話題も持ち出さなくてはならなかった。
「そして、これもあくまで一説ですが……『星無き民』は四大神に祝福されて、大神アムスホルンに呪われるという説も存在するそうです。さらに言うなら、邪神教団というのは大神アムスホルンを邪神に貶める存在であり……自分は二度までも、邪神教団の脅威にさらされることになりました」
「……其方は、何を言いたいのであろうか?」
「自分はそれだけ、厄介な人間であるということです。だから、王陛下にご一考をお願いしたいんです。本当に、自分を王宮の料理番として迎えるべきであるのか……王陛下にとって、もっとも望ましい選択をしていただきたいと願っています」
「ふん。何せお前はかまど番という身でありながら、何度となく死にかけているからな」
と、いきなりゲオル=ザザが不敵な声をあげた。
「まずは最初の家長会議の夜で、お次はサイクレウスとの会談の場、盗賊団を引き連れて舞い戻ってきたシルエルに、邪神教団の最初の騒乱――二度目の騒乱は飛蝗に尻をつつかれたていどであろうから除外するとして、東の賊はお前をつけ狙っていたはずだな。最後に二日前のガーデルで、都合六回だ。わずか三年ていどで六回も死にかけるかまど番は、そうそういなかろうよ」
「うむ。王都での安全が保証されない限り、俺たちも笑顔でアスタを見送ることはできなかろうな」
ダリ=サウティもまた、悠揚せまらぬ態度で言葉を重ねる。
すると、柳眉を逆立てたアローンが発言した。
「二度にわたる邪神教団の騒乱で、アスタが危険な目にあったのは一度きりということだな。それを大神アムスホルンの呪いなどと称するのは、あまりに大仰な物言いであろう」
「ですが、最初の騒乱で危険な目にあったのは、邪神教団のもとから逃げ出した少女をかくまったためです。それでその少女も、俺が『星無き民』であるからこそ頼ることになったのです」
「な、なに? まったく意味がわからんぞ」
「彼女は星見という不思議な力を授かってしまったため、邪神教団にかどわかされたのです。星見というのは星読みを上回る力で、魔術と見なされるようですね。他者の星、すなわち他者の運命が勝手に見えてしまう彼女は、星を持たない俺の存在が心の安らぎになったのだそうです」
そこまでの詳細は、フェルメスの報告書にも記載されていないはずだ。王都の人々が『星無き民』の存在に注目しないように――つまりは、俺の立場が脅かされないように、フェルメスが手心を加えてくれたのである。
「その騒乱で教徒の多くを失った邪神教団の一派は報復として、ジェノスに飛蝗の災厄をもたらしました。ですから、二度目の騒乱も半分がたは俺が招き寄せたようなものであるのです」
「……やはり其方は、自分が『星無き民』であると主張して、王陛下の不興を買おうとしているようにしか思えんな」
ダッドレウスの言葉に、俺は「いえ」と首を横に振った。
「俺はあくまで、自分の影響力についてご理解をいただきたいのです。重ねて言いますが、俺が本当に『星無き民』であるのかどうかは、自分でも証を立てることができません。でも、異国で生まれ育った俺には、特異な力が備わっており……それが周囲に、大きな影響を及ぼすんです。その事実だけは、動かしようがないと思います」
そうして俺は、ダッドレウスの背後に視線を飛ばした。
そこに立ちはだかるのは、セルヴァの神像である。俺は自分の心臓に手を置きながら、さらに言いつのった。
「俺は西方神の洗礼を受けた、西の民です。ですから、西の王たるカイロス三世陛下のお言葉に従います。俺を王宮に招くことは、本当に正しいご判断であるかどうか――今一度、王陛下にご一考をお願いしたく思います」
「それで……王陛下がなおも其方を召し抱えたいと申されたのなら、今度こそ了承すると言うのだな?」
俺は胸もとの生地をわしづかみにしながら、「はい」と応じた。
「俺はこの先も、森辺で暮らしていきたいと願っています。でも、王陛下があくまでお望みなのでしたら……私心を捨てて、そのお言葉に従います。そして王都の王宮で、自分の持てる限りの力を振るうつもりです」
「……その言葉に、偽りはなかろうか?」
「はい。家長のアイ=ファも、同意してくれました。また、この場にいる同胞にも、すでに自分の覚悟は伝えています」
ポルアースやエウリフィアは驚嘆の面持ちで、森辺の面々の姿を見回す。
そしてその眼差しは、アイ=ファのもとで固定された。
「ア、アイ=ファ殿も、それでいいのかい?」
「うむ。アスタの言葉は、正しいように思う。よって、アスタが西の王都に移り住むのであれば、ファの家人も同行させていただく」
アイ=ファは穏やかな面持ちで、そのように答えた。
昨日の朝、俺の髪を切りながら、アイ=ファはそんな覚悟を固めてくれたのだ。森辺の狩人として生きる道をあきらめて、俺に同行してくれる、と――なんの迷いもなく、そんな決断を下したのだった。
そして、俺もまた、アイ=ファの了承を得られなければ覚悟を固めることはできなかった。これこそが正しい決断であると信じながら、アイ=ファと離ればなれになることだけは肯んじられなかったのである。
「俺は森辺のかまど番、ファの家のアスタです。王陛下も、その身分を捨てる必要はないというお言葉をくださいました」
大きく広げた視界の中にカイロス三世とダッドレウスとセルヴァの神像を収めながら、俺はそのように言い放った。
「もしも俺を王宮の料理番として召し抱えてくださるのでしたら、森辺のかまど番として死力を振り絞ることをお約束します。森辺の同胞やこのジェノスで絆を結んだすべての人々に、誇らしいと思ってもらえるように……決して、力は惜しみません。だから俺は、それが本当に正しい行いであるのかどうか、王陛下に見定めていただきたいのです」
俺の心臓が、どくどくと高鳴っていく。
たとえアイ=ファやジルベたちが同行してくれようとも、俺にとって森辺を離れるというのは身を引き裂かれるような思いであるのだ。だけど俺は、その苦しさを乗り越えようという覚悟を固めたのだった。
「俺の力は、毒となるのか薬となるのか……森辺やジェノスでは、毒ではないと認めてもらうことができました。では、西の王都ではどうでしょう? 俺は他者と異なる技術と知識を持ち、占星師からは『星無き民』と見なされる存在です。特異な出自を持つ俺は、周囲に大きな影響を与えます。王陛下は、力のある人間を王都に招きたいと仰っているそうですが……俺の力は、西の王都でも正しく発揮することができるのでしょうか? それとも、ジェノスに留め置いたほうが有益なのでしょうか?」
声をあげる人間はいない。
俺は椅子から立ち上がり、右腕を真横にのばして、左手を心臓の上に置いた。
「俺は《星無き民》であると同時に、西方神の洗礼を受けた西の民です。だから、神の代理人たる王陛下のお言葉に従います。そして、ジェノスであろうと西の王都であろうと、力の限り正しく生きることを誓います。この誓いを破ったならば、死後に魂を砕かれる覚悟です」
そうして俺は、セルヴァの神像に焦点を定めた。
これが、俺の出した答えである。
俺をこの世に生み落としたのは、西方神セルヴァであるのかもしれないが――運命を切り開くのは、俺自身だ。俺は自分自身の意志で、この道を進むと決断した。そしてアイ=ファが、その決断に寄り添ってくれたのだ。
アイ=ファは狩人として生きる道をあきらめてまで、俺とともに生きるという決断を下してくれた。
俺はそんなアイ=ファの覚悟をも背負って、カイロス三世に答えを返したのである。
「……其方の言い分は、よくわかった」
やがて、ダッドレウスが重々しいつぶやきをこぼした。
「それではこちらも、其方の覚悟に応えなければなるまい。しかしそれには、また王陛下の御心を明かす必要が生じるため……いま一度、別室で話を詰めさせていただきたい」
「承知しました。では今回は、アイ=ファも同席させていただけますか?」
宣誓のポーズを終了させて、俺はダッドレウスに笑いかけた。
「以前の話し合いの内容を誰にどこまで明かすかはそれぞれの裁量にまかせると言っていただけたので、自分はアイ=ファにすべて打ち明けることになったのです。今回もご同様でしたら、ぜひアイ=ファも同席させてください」
ダッドレウスは落ちくぼんだ目を炯々と光らせながら、「よかろう」と言い捨てる。
そうして俺は、ついにカイロス三世本人と対話することになったのだった。




