運命の日②~開会~
2025.10/17 更新分 1/1
下りの五の刻を少し過ぎた頃、俺が担当していた作業は終了した。
レイナ=ルウたちはラストスパートであるが、参席者である俺とアイ=ファは早々に着替えなければならない。頼もしきルウの血族とクルア=スンに後事を託して、俺とアイ=ファはお召し替えの間に移動した。
そうしてそちらに出向いてみると、すでに武官の礼服を纏ったゲオル=ザザが待ちかまえている。俺たちの接近に気づいたゲオル=ザザは、にやりと不敵に笑った。
「ちょうど今、トゥール=ディンもやってきたところだ。あちらにはスフィラたちがひっついているが、あいつらでは護衛役にもならんからな。アスタの身は俺に任せて、トゥール=ディンたちをよろしく頼むぞ」
「承知した。では、またのちほどな」
アイ=ファは目だけで俺に微笑みかけてから、女性用のお召し替えの間へと踏み込んでいく。俺は案内役の小姓およびゲオル=ザザとともに隣の部屋に入室した。
「もう浴堂を使っていただく時間はありませんので、織布で身を清めさせていただきたく思うのですが……如何いたしましょう?」
部屋で待ちかまえていた小姓がいくぶん困り顔であったため、俺は調理着を脱ぎ捨てながら笑いかけた。
「こんな怪我人が相手だと、加減がわからないですよね。よければ、自分で身を清めますよ」
「ありがとうございます。何か必要がありましたら、ご遠慮なくお声をおかけください」
俺はいったん包帯と患部を覆っていた織布をとっぱらい、濡らした織布でざっくりと全身をぬぐう。然るのちに、小姓の手も借りて全身に新たな薬を塗り、同じ織布と包帯を巻きなおした。
「ふん。傷の度合いに対して、大仰な手当だな」
「ええ。これで治りが早くなるならと思って、手間は惜しまないことにしました。もう数日もすれば、薬もいらなくなるでしょうしね」
そんな言葉をゲオル=ザザに返しつつ、俺は準備されていた装束を纏うことにした。
本日の御召し物は、袖なしの胴衣と短い肩掛け、バルーンパンツのようなゆったりとした脚衣という品々だ。晩餐会であるので準礼装であるはずだが、瀟洒な刺繍や生地のなめらかさなどは宴衣装もかくやという質であった。
「そちらは、また新しい装束か。準礼装なるものも、二、三着は持ち合わせているだろうにな」
「ええ。自分で買った準礼装はどちらかというと安物ですし、デルシェア姫からいただいた準礼装は……ジャガルの様式なので、ひとまず差し控えたのかもしれませんね」
「なるほど。西の王都には、ジャガルを嫌っている人間も少なくはないという話だったな」
「はい。ジャガルの西方の領地は、ゼラド大公国と懇意にしているようですからね。デルシェア姫に対して含むところはないでしょうけれど、西の領民がジャガルの装束を纏うというのは気にさわるのかもしれません」
何せ本日は、カイロス三世その人も参席するのである。マルスタインとしては、用心に用心を重ねようという心境であるはずであった。
そうして着替えを完了させたならば、控えの間に移動である。
そちらでは、いずれも武官の礼服を纏ったジザ=ルウ、ダリ=サウティ、ゼイ=ディンが待ちかまえていた。
「おお、アスタ。そちらも無事に、仕事を果たせたようだな」
「はい。レイナ=ルウたちはまだ厨ですけれど、時間には間に合うはずです」
三人ともに沈着な気性であるため、控えの間にはとても落ち着いた空気がたちこめている。そんな中、ジザ=ルウが糸のように細い目を俺に向けてきた。
「西の王都の者たちとも、多少ばかりは言葉を交わすことができた。父ドンダから聞いていた通り、ダッドレウスはきわめて厳格な人柄であるようだな」
「はい。アローンのほうが、いささか気難しそうな印象ですけれど……あちらは西の王都に戻る身ですからね」
「あとは、おかしな仮面をかぶった武官どもだな。三人中の二人は、なかなかの手練れであるようだったぞ」
と、ゲオル=ザザも会話に加わってくる。やはりカイロス三世の正体を知らずとも、残る二名との力量の差は感じ取れるようであった。
「ゼイ=ディンなどは、俺よりも遥かに他者の力量を見定める眼力を持っているはずだ。武官の中でひとりだけ力量の足りていないやつがいたように思うのだが、俺の目に狂いはないだろうか?」
「うむ。残る二名の力量が際立っているために、ずいぶんな差になっていたな。おそらくは、剣を振るうのではなく指揮を出す立場の人間であるのだろう」
はからずも、ゼイ=ディンの眼力が真実の一端をとらえていた。
裏事情を知る俺とダリ=サウティは、口をつぐむしかない。ゲオル=ザザはそれをいぶかしむこともなく、「なるほどな」と納得した。
「あいつらはポワディーノの臣下と同じような身分であるという話だったから、頭を使う人間も必要になるわけか。正体を隠してこそこそ動き回るなど、こすずるい真似をするものだ」
「うむ。貴族や王族というものには、俺たちと異なる戦い方というものがあるのだろう。その刃がこちらに向けられない限り、俺たちが頓着する必要はあるまい」
「ああ。アスタの物言いで腹を立てないように、祈るばかりだな」
ゲオル=ザザは気安く冗談口を叩きながら、どかりと座り込む。俺も背中の傷口が背もたれに触れないように気をつけながら、長椅子に腰をおろした。
「それにしても、こういう場にガズラン=ルティムがいないのはひさびさな気がするな。王都の連中は、あやつの弁舌を忌避しているのか?」
「いえ、そういうわけではないと思いますよ。そもそも族長筋の参席者は、こちらで人選したのでしょう?」
俺の問いかけに、ジザ=ルウが「うむ」とうなずいた。
「ルウの血族から出せる男衆は、ひとりのみであったからな。族長ドンダも、俺とガズラン=ルティムのどちらを選ぶべきか思案している様子であったが……ガズラン=ルティムの側が、辞退したのだ」
「え? そうだったのですか?」
「うむ。今日のアスタに自分の助力は必要なさそうなので、次代の族長たる俺が参じるべきだと語っていた」
ガズラン=ルティムの穏やかな笑顔を思い出して、俺は思わず胸を詰まらせてしまった。
ガズラン=ルティムは、それだけ俺のことを信用してくれているのだ。もとより俺は死力を振り絞る所存であったが、いっそうの発破をかけられた心地であった。
「失礼いたします。お連れのご婦人がたをご案内いたしました」
しばらくして、女衆も控えの間にやってきた。
きっと全員で、トゥール=ディンとアイ=ファのお召し替えを見守っていたのだろう。ララ=ルウ、スフィラ=ザザ、ミル・フェイ=サウティと、五名全員の登場である。
そちらもまた、華美に過ぎない準礼装の姿だ。
基本の様式はワンピースで、スカートの裾も宴衣装のように膨らんではいない。襟ぐりの開き方もほどほどで、印象としてはつつましいぐらいであったが――それが、アイ=ファたちの自前の華やかさで彩られていた。
それに森辺の女衆は、髪をおろすだけで印象が一変するのだ。とりわけ、金褐色の髪をしたアイ=ファと燃えるような赤髪であるララ=ルウは鮮烈であった。
そしてアイ=ファの胸もとには俺の贈った首飾りと装飾の鎖が輝き、こめかみには透明の花飾りがきらめいている。アイ=ファの装飾はそれのみであったが、俺の胸を高鳴らせるには十分以上であった。
「……やはりどのような格好をしても、その痛々しさに変わりはないな」
と、アイ=ファは感情を押し殺した目つきで、俺の姿を検分する。俺は袖なしの胴衣であったため、両腕の包帯が剥き出しであるのだ。まあこれは、傷口を圧迫しないようにという配慮でもあるのだろう。
「こんな包帯も、あと数日の辛抱さ。アイ=ファがいなかったら、もっとひどい手傷を負ってたんだろうからな」
「そのようなものを、想像させるな」と、アイ=ファは優しく俺の頭を小突く。
そのタイミングで、再び扉がノックされた。
「それでは、晩餐会の会場にご案内いたします」
女衆のお召し替えには時間がかかるため、もう開会の刻限となってしまったのだ。
総勢十名となった俺たちは、列を成して晩餐会の会場に向かうことになった。
本日の会場は、広々とした広間である。
本日の参席者は二十四名であるが、その倍の人数でも余裕で収容できることだろう。部屋の奥に横長の卓が三脚、横並びになっており、左右の壁際には警護の武官がひそむための衝立がずらりと設置されていた。
そして――部屋の最奥部にたたずむのは、西方神セルヴァの神像である。
全身が真っ赤に塗りたてられて、四枚の翼が大きく広げられている。その顔は、不動明王さながらの魁偉さで――ただその眼差しだけは、静かに澄みわたっている。
その神像と相対した瞬間、俺の心臓がとくんと高鳴った。
いつも俺はセルヴァの神像を前にすると胸を騒がせていたが、それともいくぶん異なる感覚だ。もとより西方神セルヴァに対しては畏敬の思いしかなかったが、『星無き民』の正体を知ったことで俺の心境にも若干の変化が生じたようであった。
(西方神セルヴァ……あなたが津留見明日太を原材料にして、俺という存在を生み落としたんですか?)
そんな疑念が心に浮かんだが、もちろん西方神が答えることはない。
神は語らず、人は世界の様相から神々の御心を感じ取るのだ。俺は高鳴る心臓をなだめて、人知れず西方神に目礼を捧げた。
「貴き身分にあられる方々がご入室いたします。そのまま、お席の前でお待ちください」
小姓のそんな説明で、俺たちは横一列に立ち並ぶ。
すると、横合いの扉が開かれて、そこから十四名に及ぶ人々が踏み入ってきた。
ジェノス侯爵家の当主マルスタイン、第一子息のメルフリード、その伴侶エウリフィア、その第一息女オディフィア。
トゥラン伯爵家の当主リフレイア、サトゥラス伯爵家の第一子息リーハイム、ダレイム伯爵家の第二子息ポルアース――ジェノスの関係者は、以上の七名だ。本日は仰々しくない親睦の晩餐会という名目で、伯爵家の面々は若い三名がそろえられていた。
そしてその後に、準礼装に着替えたデルシェア姫がしずしずと入室する。
彼女だけは二名の武官を引き連れていたが、その笑顔の明るさに変わるところはなかった。
残る六名は、西の王都アルグラッドの関係者である。
新任の外交官ダッドレウス、前任の外交官フェルメス、護衛部隊の指揮官アローン――そして、諜報部隊『鷹の眼』の三名だ。
(そういえば、ティカトラスは招待されなかったんだな)
三日前の会談では、わざわざ別室に呼び出されていたティカトラスであるが――秘密を守るように厳命したならば、もう用事はないということなのだろうか。まあ、カイロス三世の正体を知るティカトラスをこのような晩餐会に参席させるのは、ダッドレウスあたりが反対しそうなところであった。
「お待たせしたね。それでは、着席してくれたまえ」
マルスタインの言葉とともに、一同はそれぞれの席に腰を下ろす。
ただし、三脚の卓はいずれも十名掛けであったが、中央の卓の手前側に座するのは俺とアイ=ファの二人きりであった。
それと向かい合うのは、マルスタイン、ポルアース、ダッドレウス、アローン――そして、仮面の武官のひとりである。
俺には見分けもつかないが、もちろんこれがカイロス三世であるのだろう。兜のつばが大きくせり出ているために、この距離から向かい合ってもあの猛烈な眼光は見て取ることができなかった。
「今宵開催されるのは、新たな外交官たるダッドレウス殿を迎えての、親睦の晩餐会となる。森辺の民はジェノスの地においていささか特異な立場となるため、ダッドレウス殿とも健やかな関係性を目指していただきたい」
ダッドレウスは厳格そのものの面持ちで、一礼する。
そしてその落ちくぼんだ目が、思わぬ鋭さで俺の顔を見据えてきた。
「其方は……ファの家人アスタであるな?」
「あ、はい。髪を切ったので、印象が変わってしまったでしょうか?」
「髪など、些末な話である。その目の輝きは……まるきり別人のようであるな」
そういえば、ダッドレウスたちは弱りきった俺の姿しか目にしていないのだ。
しかしそれでも、俺が本当に調子を崩したのは、ダッドレウスたちとの会談を終えた後のことだ。それでもダッドレウスはその鋭い眼力でもって、俺の変化を目ざとく見抜いたようであった。
「あの日は調子を崩していたもので、ずいぶん情けない姿をさらしてしまいました。今日は万全の態勢で料理を準備しましたので、お口に合えば幸いです」
俺が一礼すると、ダッドレウスは「うむ……」と押し黙る。
すると、マルスタインがあらためて声をあげた。
「確かにアスタは復調したようだが、その包帯は痛々しい限りだな。挨拶が遅れてしまったが、こちらの手抜かりでアスタを危険な目にあわせてしまったことを詫びさせていただこう」
「いえ、とんでもありません。ガーデルと正しい絆を結べなかったのは、俺自身の責任です」
「とはいえ、あれなる者がティカトラス殿に無礼を働いた時点で、すべての責任は我々が負うものと取り決めたのだからな。それであのような騒乱を招いてしまったのは、こちらの落ち度という他ない」
そう言って、マルスタインは隣のアイ=ファに微笑みかけた。
「その騒乱を食い止めてくれたアイ=ファとガズラン=ルティムには、どれだけ感謝しても足りないことだろう。其方にとっては迷惑なことであろうが、後日に勲章を捧げる手はずを整えているので、しばし待っていてもらいたい」
「うむ。それよりも、私としてはガーデルの処遇が気になるのだが」
「ガーデルおよびその配下たる無法者の審問は、近日中に執り行う。西の王国およびジェノスの法に照らし合わせるならば……苦役の刑は、免れられまいな」
「そうか」と、アイ=ファは息をついた。
「死罪ではなく苦役の刑であるならば、喜ばしく思う。あやつが生きて戻ることを、祈るとしよう」
「うむ。すべては西方神の御心のままにだな」
マルスタインは鷹揚に微笑み、左右の卓の面々にもうなずきかけた。
「では、初の対面となる者も多いので、それぞれの名と身分を紹介させていただく」
その役割を果たすのは、澄みわたった声をした小姓である。これは城下町でも、滅多に見かけない作法であった。
俺から見て右手側の卓に座しているのは、トゥール=ディンとゼイ=ディン、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、メルフリードと仮面の武官のひとり、エウリフィアとオディフィアという顔ぶれになる。
左手側は、ジザ=ルウとララ=ルウ、ダリ=サウティとミル・フェイ=サウティ、リフレイアとリーハイム、フェルメスとデルシェア姫、そして仮面の武官のもうひとりだ。
そしてこの場では、仮面の武官も仮の名という体裁で紹介がされる。右手側の武官がドイロ、左手側の武官がセクト――そして、中央の卓がメイズであった。
「すでに聞き及んでいるかと思うが、『鷹の眼』の面々は諜報活動が任務であるため、公的な場では素顔と本名を隠している。質実なる森辺の民としては落ち着かぬ心地であろうが、ポワディーノ殿下の臣下たる『王子の分かれ身』のような立場だと見なしてもらいたい」
「ふん。あやつらに語った言葉はポワディーノに届けられていたが、この者たちに語った言葉は誰に届けられるのだ?」
ゲオル=ザザが臆した様子もなく問い質すと、マルスタインは穏やかな面持ちで答えた。
「『鷹の眼』が集めた情報は、指揮官たるアローン殿のもとに集められる。さらにそこから王宮の王陛下にまで届けられることもあろうから、ゲオル=ザザもそのつもりで語ってもらいたい」
「ふふん。それではせいぜい、口をつつしむとしよう」
この場に王陛下その人が同席しているとはつゆ知らぬまま、ゲオル=ザザは肩をすくめる。
いっぽうマルスタインはまったく内心をうかがわせないまま、言葉を重ねた。
「では、親睦の晩餐会を始めたく思うが……本日はアスタ自身の提案で、城下町を拠点とする料理人たちにも腕を振るってもらった。そしてさらなる余興として、双方の料理人から解説を聞きながら料理を楽しませていただこう」
マルスタインの合図で、小姓が俺たちの背後の扉を開く。
そこから入室してきたのは、森辺および城下町の料理人たちであった。
森辺の側は、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハムの四名。
城下町の側は、ヤン、ティマロ、ヴァルカス、プラティカ、サトゥラス伯爵家の料理長という五名だ。
どちらの陣営も調理着の姿で、実に颯爽たるたたずまいである。その中で、ひとり紺色の調理着であるプラティカの姿が異彩を放っていた。
「城下町の陣営は、これなる五名とデルシェア姫にひと品ずつの料理を準備していただいた」
マルスタインの言葉に、デルシェア姫がわざわざ立ち上がって優雅な一礼を見せる。そしてそのエメラルドグリーンの瞳が、俺とトゥール=ディンの姿を見比べた。
「そして森辺の方々は、アスタ様とトゥール=ディン様を含めた六名ということですね。なんだか六対六の対抗戦であるかのようで、胸が弾んでしまいますわ」
「ははは。ですが、味比べの余興などは執り行いませんので、どうぞ両陣営の料理を心ゆくまで味わっていただきたい」
そう言って、マルスタインは小姓たちに目配せをした。
「本日はジェノスで流行する作法に従って、五種の料理と一種の菓子を準備していただいた。最初の品を、こちらに」
「承知いたしました。まずは、前菜でございます」
第三の扉から、ワゴンを押す従者たちが登場する。
そして、一列に並んだ料理人の中からヤンが進み出た。
「前菜は、わたしが担当いたしました。ダレイム伯爵家の料理長、ヤンと申します」
「こちらは、自分が説明役をさせていただきます」
先刻のデルシェア姫にならい、俺は立ち上がってから一礼した。
その間に、二種の皿が各人の前に配膳されていく。俺が準備したのは特別仕立てのえびせんで、ヤンが準備したのは筒状にされた焼き菓子のような品であった。
「こちらは黒いフワノの生地で、魚介の食材を包み込んでおります。あくまで前菜でありますので軽い食べ心地を目指しておりますが、皆様のお口に合えば幸いに存じます」
「こちらはシムの食材であるシャスカを使っていて、味の主体となるのは魚介です。獣肉は使用しておりませんので、フェルメスもご心配なくお召し上がりください」
フェルメスとは席が離れてしまったので、俺はこの場で挨拶代わりに笑顔を送った。
するとフェルメスも、可憐な乙女のごとき笑顔を返してくる。そのヘーゼルアイには、どこか子供っぽい期待の光が浮かべられているように感じられた。
(これはきっと料理じゃなく、俺が王様にどんな返事をするかを楽しみにしてるんだろうな)
きっと『星無き民』と西の王の対話というのは、フェルメスにとって知的好奇心を刺激される案件であるのだろう。そして俺も、以前ほどはフェルメスのそういった部分が苦にならなくなっていた。
そこに、ゲオル=ザザの「ほう」という声が響きわたる。
何事かと思って視線を巡らせると、カイロス三世を含む仮面の男たちが奇妙な動きを見せていた。食事をするために、仮面の下側の部分を取り外したのだ。
ちょうど口もとがあらわになった格好であるが、にゅっと突き出たくちばしのような細工が陰を作っているし、さらには三名ともにもしゃもしゃの髭が覗いていた。カイロス三世ばかりでなく、全員がつけ髭で素顔を隠しているのだ。
「どうやって食事をするのかと思っていたら、そういう細工があったのか。まったくもって、愉快な連中だな」
「ははは。『王子の分かれ身』の方々も、お顔を隠しながら器用に食事を進めていたものだよね」
と、ポルアースが気安く相槌を打つ。ゲオル=ザザは天然で荒っぽいだけであるが、ポルアースはムードメーカーとしての役割を果たしているのだろう。そのふくよかなお顔も、今日は本来の朗らかさをたたえていた。
また、その他の面々にも張り詰めた空気は感じられない。この後には、俺が国王からの要望に返事をするという一大イベントが待ちかまえているわけであるが――そこは貴族の流儀でもって、優雅に振る舞っているのだろう。リフレイアも俺の痛々しい姿に動揺した様子は見せず、普段通りの取りすました面持ちであった。
「ほう……これは実に、不可思議な味わいでありますな」
と、ヤンの料理を口にしたアローンが、低い声でつぶやいた。厳格なる表情を保持しているが、それなりに驚嘆しているようだ。
「ジェノス城においても、実に不可思議な料理をいくつもいただきましたが……それともまた、趣が異なるようです」
「恐れ入ります。ジェノス城の料理長たるダイア殿の華やかな料理とは比べるべくもない簡素な品でございますが、皆様に少しでもご満足いただけるように自分なりの趣向を凝らしました」
慇懃きわまりないヤンの声を聞きながら、俺もそちらの品を口にした。
黒いフワノの生地であるため、食感はとても軽やかだ。そしてその筒状の生地の内側には、濃厚なる魚介の味わいと不可思議な食感がひそんでいた。
この食感は、生クリームと寒天のごときノマのそれである。
まるで菓子のような取り合わせであるが、甘さはいっさい感じられない。生クリームには貝類、ノマには燻製魚の出汁が香っているのだ。そしてさらに、キャビアのごときヴィレモラの卵までもがクリームの中に練り込まれていたのだった。
「く、くりーむに貝の出汁をあわせているのですか。このような料理は、初めて口にしました」
と、トゥール=ディンも感じ入ったように声をあげる。こういった晩餐会でトゥール=ディンが率先して発言するのは珍しいことなので、それだけ驚嘆したのだろう。折り目正しい無表情を保っていたヤンは、そこで初めて微笑を覗かせた。
「こちらはカロンの乳でドエマの貝を煮込んだのち、くりーむの材料といたしました。カロンの乳は強い火で煮込むと脂肪分が分離してしまいますため、いささか手間がかかりましたが……弱い火でじっくり煮込むことにより、ドエマの魅力を必要なだけ引き出すことがかなったように自負しております」
「は、はい。とても素晴らしい味わいですし、わたしには思いつかない手法です。ノマや魚卵との食感の組み合わせも素晴らしいと思います」
「ありがとうございます。トゥール=ディン殿にそうまで言っていただけるのは、光栄な限りです」
すると、ずっと無言でいたダッドレウスが厳粛なる声をあげた。
「ノマやドエマの貝というのは、近年になってシムから入手した食材であるな。くりーむというのは、如何なる来歴の品であろうか?」
その落ちくぼんだ目が見据えているのは、料理を手掛けたヤンの姿だ。ヤンは慇懃なる表情を取り戻して、恭しく一礼した。
「くりーむというのは、カロンの乳を加工した品と相成ります。考案したのはアスタ殿ですが、今は城下町でも数多くの料理人が手掛けております」
「なるほど。試食会なる催しで優勝を果たしたアスタは、数々の料理人の手本になっているという話であったな。伯爵家の料理長という身分にある其方も、例外ではなかったわけか」
「はい。光栄なことに、わたしは早い時期から森辺の方々とご縁を結ぶことがかないました。また現在は弟子のひとりが森辺に通い、さまざまな技術を学ばせていただいております」
「なるほど」と繰り返しながら、ダッドレウスはフェルメスのほうに視線を移す。
二種の前菜を味わっていたフェルメスは、優美なる笑顔でそれを見返した。
「そちらのヤンは森辺の料理人と手を携えて、目新しい食材の普及に尽力した立役者でありますね。ただし、目立った活動を見せていたのは僕がジェノスに赴任するよりも前の時代となりますので、報告書にはあまり名前が挙がる機会もなかったかと思われます」
「なるほど。それなら、納得の話でありますな」
そのように応じつつ、ダッドレウスは俺が準備した前菜を口にした。
「しかしこうして食べ比べてみても、両名の料理にはまったく似たところが感じられない。せいぜいが、魚介の味を主体にしているぐらいであろう。アスタはそれだけ、さまざまな手腕を備えているということであるな」
「恐れ入ります。つけ加えて言いますと、クリームやノマといった食材は料理よりも菓子で使われる機会が多いので、ヤンの料理は自分よりもトゥール=ディンの手腕に影響を受けた面が強いのかもしれません」
「……なるほど。試食会における菓子の部門で優勝したというトゥール=ディンも、数多くの料理人に影響を与えているわけであるな」
ダッドレウスに鋭い視線を向けられたトゥール=ディンは、恐縮した様子で頭を下げる。そしてそれをフォローするかのように、エウリフィアがやわらかな声をあげた。
「でも、アスタの前菜も素晴らしい出来栄えですわね。それにこちらも、もともとは菓子として扱われていた品ですのよ」
「こちらが、菓子であると? そうとは思えぬ味わいであるようですな」
「ええ。甘い菓子を取りそろえる茶会の場では、塩気のきいた菓子を間にはさむとおたがいの魅力を引き立て合うのですわ。それもまた、アスタの考案した手際ですわね」
「はい。そしてこちらの品は菓子の領分を超えるぐらい風味と塩気を強くして、前菜に仕立てあげた次第です」
こちらのえびせんは普段よりも甲冑マロールの殻の出汁を濃厚に仕上げており、ホタテガイモドキの出汁も合わせた上で、さらに二種の細工を施している。梅干しのごとき干しキキと大葉のごときミャンを使った梅風ソースに、キャビアのごときヴィレモラの魚卵もトッピングしているのだ。
奇しくも、俺とヤンはともに魚介の風味を主体として、ヴィレモラの魚卵を使うことに相成った。それはやはり、獣肉よりも魚介のほうが繊細な味を作りやすく、前菜に向いているということであるのだろう。あとは、ヴィレモラの魚卵の使い勝手のよさであった。
「ヴィレモラの魚卵は料理の主体として扱うには難しいですけれど、ただ添えるだけで華やかな彩りになってくれますよね」
俺がそのように呼びかけると、ヤンは穏やかな面持ちで「はい」と首肯した。
「もちろん、ヴィレモラの魚卵は独特の風味がありますので、他なる食材との調和には気をつかう面もありますが……幸い、くりーむやノマとの相性は申し分ありませんでした」
「ええ。俺の故郷でも、酸味のあるクリームとヴィレモラの魚卵に似た食材をあわせる料理があったように思います」
俺の発言に、室内の空気が一瞬だけ張り詰めたような気がした。
もちろんそれは、森辺の同胞ではなく貴族の面々の反応であるのだろう。カイロス三世からの要望を受けている現在、俺の生まれ素性に関してはよりセンシティブな取り扱いになっているのかもしれなかった。
だけど俺は、何も包み隠さないと決めたのだ。
たとえ津留見明日太の模造品であっても、俺は十七年間の思い出を自分のものとして所有している。それを否定したり恥じたりする気は、毛頭なかった。
そしてカイロス三世自身は、どのような思いでいるのか――素顔を隠して黙然と料理を食しているその姿からは、まったく内心もうかがい知れなかった。




