星無き民③~呪いと祝福~
2025.9/28 更新分 1/1
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「アスタの憂慮が晴れたことを、心より喜ばしく思います」
しばらくして、フェルメスが何事もなかったかのように語り始めた。
アイ=ファの手で乱暴に涙をぬぐわれた俺は、再びこの世に生まれ落ちたような清々しさを胸に、その言葉を聞いている。俺の心にあいた空洞は喜びの思いで満たされて、それより前から存在していた深い傷も跡形もなく消失したのだ。俺は深い暗闇の底からいきなり眩い太陽の下に引きずり出されたような心地で、まだまったく情緒が安定していなかった。
いっぽうアイ=ファは鋼の精神力を発揮して、厳粛なる表情を取り戻している。ただその青い瞳からも憂慮の陰が消え去って、アイ=ファの眼差しはひたすら明るく力強かった。
「ただ僕は、もう何点かアスタにお伝えしておきたいことがあります。今後に備えて、どうか聞いていただけますでしょうか?」
「はい、もちろんです。俺はフェルメスのおかげで立ち直ることができたのですから、その言葉を軽んじることはできません」
「ありがとうございます。それは僕が考察した、『星無き民』の特性にまつわる話となります」
フェルメスもまた、そのヘーゼルアイを明るくきらめかせている。純然たる知的好奇心にあふれかえったその眼差しも、もはや俺を不安な心地にさせることはなかった。
「先刻お話ししました通り、聖人および『星無き民』というのは新たな文明を築くために遣わされた存在となります。よって、四大神に果てしない祝福を受けながら……その反面、大神アムスホルンに大いなる呪いをかけられているかと推察されます」
「呪いですか? 物騒なお話のようですね」
「はい。大神アムスホルンを『魔力に満ちた大地』と定義すると、石と鋼の文明社会からは邪な存在と見なされてしまうのです。ただ、アムスホルンとは世界そのものであるのですから、眠りに落ちた七小神のように邪神あつかいすることはできなかったということなのでしょう」
神々の存在をも机上に引きずりおろしながら、フェルメスはにこりと微笑んだ。
「まあ、呪いという言葉があまりに不吉であるならば、試練と置き換えてもかまいません。『星無き民』は四大神の祝福を受けながら、大神アムスホルンの試練にさらされるということです」
「試練ですか。『アムスホルンの息吹』は、まさしく試練と称されていますね」
ガズラン=ルティムの相槌に、フェルメスは「そうです」と嬉しそうな顔をする。
「『アムスホルンの息吹』こそ、まさしく最たる例でありましょう。『星無き民』は『竜神の民』と同様に幼少期を過ぎてから大陸アムスホルンに足を踏み入れるため、『アムスホルンの息吹』が重篤な状態で発症されます。四大神の加護もそこまでは及ばず、『星無き民』は自力でその試練を乗り越えなければならないわけですね」
「はい。アイ=ファを始めとする森辺の同胞のおかげで、俺も何とかその試練を乗り越えることができました」
「それは何より、幸いな話です。そしてそれと同様に、大神アムスホルンの名が冠された現象は、のきなみアスタに大いなる試練をもたらしているのではないかと思われます」
その論には、俺も首を傾げることになった。
「えーと、俺が他に知っているのは『アムスホルンの寝返り』と『アムスホルンの落涙』ぐらいなのですが……大地震である寝返りはともかく、流星群である落涙がどんな試練になっているのでしょうか?」
俺が『アムスホルンの落涙』に見舞われたのは、モルガの聖域における族長会議のさなかである。ティアの罪をどのように裁くべきか、議論がいよいよ白熱した折に、ふいに天から流星群が降り注いだのだった。
「僕はジェムドから伝え聞いた話で推論を立てましたので、どこかに間違いがあったのならば訂正をお願いいたします。……聖域の民たちは『アムスホルンの落涙』に見舞われたことでティアに死罪の判決を下しかけたと聞きましたが、それで間違いはなかったでしょうか?」
「はい。でもそれは、ジェムドやシュミラル=リリンの説得で何とかすることができました」
「では、ジェムドやシュミラル=リリンがいなかったならば、それで死罪が確定していたかもしれません。アスタは、その判決を受け入れることができますか?」
俺はきっぱりと、「いえ」と答えた。
「ただでさえ死罪などというのは受け入れ難い判決なのですから、流星群を神のお告げとして下される判決なんて、受け入れられるわけがありません。そんな話を真っ向から打ち砕いてくれたジェムドとシュミラル=リリンには、本当に感謝しています」
「……ジェムドは、僕が教え込んだ話を論拠にしていたのでしょうけれどね」
と、フェルメスの声がいくぶん幼げな調子を帯びたため、俺は思わず「あはは」と笑ってしまった。
こんな風に自然に笑ったのは、いったいいつ以来のことであるのか。それでまた情緒をひっかき回されながら、俺はフェルメスに語りかけた。
「ジェムドはフェルメスの代理人として参じていたのですから、もちろん俺だってお二人ご一緒に感謝を捧げているつもりでしたよ。何か誤解させてしまったのなら、謝罪いたします」
「いえ。アスタがあまりに熱心であったため、つい子供じみたことを口走ってしまいました。ジェムドも、すまなかったね」
と、フェルメスはどこか甘えるような眼差しで、ジェムドに微笑みかける。
ジェムドは無表情に「いえ」と応じるばかりであったが、俺はひさびさにフェルメスの人間らしさを感じ取れたことが嬉しかった。
「話を戻しますと、それもまた大神の試練と四大神の祝福にあてはめることができるかと思われます。四大神の子たるジェムドとシュミラル=リリンの助力がなければ、『アムスホルンの落涙』がアスタの運命を一変させていたかもしれないということです」
「死罪の判決に不服を覚えた俺が、聖域の民と諍いを起こしたということですか? まあ……ティアの生命がかかっていたのですから、それもありえない話ではないかもしれませんね」
「はい。僕はアスタと森辺の民こそが聖域の民との懸け橋に成りえるのではないかと推察していますので、それは絶望的な破局であるように感じられます」
落ち着いた表情を取り戻しながら、フェルメスはそう言った。
「そして、『アムスホルンの寝返り』に関しても……あの大地震ではファの家の家屋が倒壊したのだと聞き及びましたが、その他に何か危機的な状況は訪れなかったのでしょうか?」
「危機的な状況ですか? うーん、俺もアイ=ファも傷ひとつ負いませんでしたし、倒壊しかけた家屋にもぐりこんだティアも何とか無事でしたし……これといって、心当たりは……」
そこまで言いかけて、俺はフェルメスのかたわらに座したアリシュナのほうに視線を転じた。
「あ、だけどそれは、アリシュナからお預かりした護符のおかげかもしれませんね」
「護符? アスタはアリシュナから、護符を授かっていたのですか?」
「はい。ちょうど大地震に見舞われる直前に、災厄除けの護符を預けてくれたんです。今でも、肌身離さず持ち歩いていますよ」
俺が腰の物入を指し示すと、アリシュナは無言のまま一礼する。
そしてフェルメスは満足そうに「なるほど」とうなずいた。
「ではやはり、四大神の子たるアリシュナが大神の試練から守ってくれたのかもしれません。斯様にして、アスタは大いなる祝福と呪いのもとに生きているということです」
「……それが、如何なる話に繋がるのであろうか?」
アイ=ファが真剣な声音で問い質すと、フェルメスは滔々と言いつのった。
「『星無き民』は、それだけ変転に満ちみちた運命に見舞われるということです。そしてそれは、祝福と呪いの両極端に二分されます。アスタが調理の技術でもってさまざまな相手と絆を深めることがかなったのは、いずれも四大神の祝福でありましょう。森辺の民もジェノスの領民も、ゲルドの貴人アルヴァッハ殿も南の王族ダカルマス殿下とデルシェア姫も、東の王族ポワディーノ殿下も、のきなみ四大神の子であるのですからね」
「ふむ。では、呪いというのは――」
「これまで挙げた大神アムスホルンの名を冠した事象、および邪神教団にまつわる騒乱です。邪神教団こそ大神アムスホルンを邪神に貶める存在であるのですから、『星無き民』に対してはもっとも悪しき影響を与えることでしょう。邪神教団がよりにもよってジェノスの地においてチル=リムを取り逃がし、アスタとの邂逅を許したというのは、おそらく避けようのない運命であったものと思われます」
その言葉に、アイ=ファはきつく眉根を寄せた。
「では、アスタがこの地に災いを呼び寄せたというのか? その言葉には、不服を申し立てたく思う」
「それはおそらく、僕とアイ=ファでは世界の見方が違っているためでしょう。神の存在をどのように定義するかで、偶然という概念は運命という概念に転化してしまうのです」
フェルメスは、むしろ嬉しそうな面持ちでそのように応じた。
「西方神の洗礼を受けてから日の浅いアイ=ファにとっては、母なる森をたとえにしたほうが理解しやすいかもしれませんね。森辺の民は森を母なる存在としていますが、それはあくまでかりそめの人格でありましょう? 森は語らず、ただその場に在るだけで子たる人間たちを導きます。大神アムスホルンも四大神も、それは同じことなのですよ」
「うむ……頭では、わかっているつもりであるのだが……」
「ええ。森辺の方々は卓越した感性を有しておられるので、きっと心では理解しているのでしょう。ただ、それを言語化することが難しいため、真逆の存在である僕の言葉に惑わされてしまうのです」
「……真逆の存在?」
「はい。僕はおおよそ感性に頼らず、知性と理性で世界に向き合っているつもりです。アイ=ファたちが心でとらえているものを、言葉や理屈で解しているのですよ。ですから、同じものを目にして、同じ思いを胸にしても、どこか乖離しているように感じられてしまうのです」
いよいよ興に乗ってきた様子で、フェルメスは語り続けた。
「大神アムスホルンは大陸そのものであり、四大神は四大王国そのものです。だからこそ、世界と神々には同じ名前が冠されているのです。よって、神々の意志はのきなみ自然現象に置換することが可能です。大地震を大神の寝返り、伝染病を大神の息吹と称するのが、最たる例となりますね。神の声を聞くことがかなわない人の子は、自然現象から神の意志を感じ取るのです。その瞬間、ただの偶然は運命に転化されるのです」
「……それであなたは、何を論じているのであろうか?」
「はい。『星無き民』は、四大神に祝福されています。そして、四大王国の王というものは、神の代理人であるのです。つまり、西の王たるカイロス三世陛下は、アスタに最大の祝福をもたらすはずである……ということですね」
アイ=ファは激することなく、ただその目をいっそう鋭く輝かせた。
「つまり、あなたは……西の王の申し出を受け入れよと述べているのであろうか?」
「僕が、それを望んでいるとお思いでしょうか?」
アイ=ファは一瞬思案してから、「いや」と首を横に振った。
「昨日から、あなたは王の申し出に不服を覚えている様子であった。我々に先んじて、ダッドレウスに食ってかかるほどであったからな」
「はい。恥ずかしながら、あのときは自分を律することができませんでした。僕は森辺こそがアスタにもっとも相応しい地であると考えていたため、王都アルグラッドに招聘することが正しい行いであるとは思えなかったのです」
そう言って、フェルメスは本当に気恥ずかしそうな目つきをした。
「ですが、西方神の代理人たる王陛下は、アスタに祝福をもたらすはずであるのです。だからこそ、アリシュナもこのたびの一件を災厄ではなく試練と予見したのでしょう」
ずっと沈黙を守っていたアリシュナが、初めて「はい」と応じた。
「私、予見した、大いなる銀の獅子、来訪です。銀の獅子、力、強大であるため、運命、大きく、動かします。ですが、凶兆、ありません。あくまで、試練です。試練、乗り越えたならば、大いなる幸い、待っているはずです」
「ふむ……しかし、ガーデルには不吉な託宣をもたらしたようだな」
「はい。ガーデル、茶の牛、きわめて不安定です。銀の獅子、近づくにつれ、破滅の相、強まりました。運命、決する、目前です。銀の獅子、大いなる力、茶の牛、運命、翻弄します。そして、赤の猫――」
と、アリシュナはそこで口をつぐみ、一礼した。勢いに乗って、アイ=ファの運命まで口にしかけたのだろう。アイ=ファは鋭い眼差しのまま、苦笑した。
「まあ、ガーデルのことはひとまず置いておこう。それでフェルメスは、何が言いたいのだ?」
「はい。王陛下の申し出をどのように受け止めるかは、アスタ次第です。ダッドレウス殿の仰る通り、アスタが王都に移り住むことで明るい行く末が開かれる可能性もあるのでしょうし……こればかりは、アリシュナにも予見することはできません。決するのは、アスタ自身であるのです」
「ふむ。やはりフェルメスは、アスタに森辺に留まってほしいと願ってくれているようだな」
「はい。ですがそれは、僕の個人的な願望です。僕はおそらく、アスタには聖域の民との懸け橋でいてほしいと願ってしまっているのでしょう。ただしそれも僕個人の感情ではなく、そのほうが論として美しいという思いがあってのことなのでしょうね」
どこか取りすました面持ちになりながら、フェルメスはそう言った。
「ですが、僕にはどちらが正しいなどと判ずることはできません。ジェノスにおいても王都においても、それぞれ異なる活躍の場というものが存在することでしょう。ですから、アスタには強く心を持っていただき、自分にとってもっとも正しいと思える運命をつかみとってもらいたいと願っています」
「はい。フェルメスのおかげで、心を立て直すことができました。ここからめいっぱい頭を使って、正しい道を見出すつもりです」
そんな風に答えてから、俺は大慌てでアイ=ファとガズラン=ルティムの姿を見比べた。
「あ、ごめん、俺を一番に支えてくれていたのは、森辺のみんなだよ。決してそれを二の次にしているわけじゃなくて……」
「お前は何を取り乱しているのだ。そのようなことは、口に出すまでもない」
「ええ。我々とフェルメスが背中を支えたことで、アスタは本来の力を取り戻してくれました。我々には、それで十分です」
アイ=ファとガズラン=ルティムに左右から優しい眼差しを送られて、俺は思わず涙ぐんでしまった。
ほんの半刻前までは、アイ=ファたちの優しさを十全に受け止めることすら難しかったのだ。俺はどれほど大きな虚無感を抱えていたのかと、あらためて恐ろしくなるほどであった。
だけど俺は、もう大丈夫だ。
自分が津留見明日太の複製であるなどと考えるのは、やっぱり落ち着かない心地であったが――それでも、喜びのほうがまさっている。親父や玲奈と楽しげに過ごす津留見明日太の姿が、俺の心を満たしてくれたのだ。
もう俺は、津留見明日太の火傷を負った姿を恐ろしいとは思わない。
津留見明日太はしっかり生き残り、親父や玲奈と幸せな生活を取り戻すことがかなったのだ。
そして俺は森辺の集落で、幸せな生活を作りあげることができた。
二つに分裂した津留見明日太は、どちらも幸福な人生を手にしたのだ。これで文句をつけていたら、それこそ神々の怒りに触れてしまいそうだった。
(だから、問題は……王様の申し出に、どう対処するかだ)
俺はようやく、目の前の試練と向き合うことができた。
カイロス三世は、俺を王宮の料理番として迎えたいと申し出ている。おそらくその裏に、悪だくみなどは存在しない。カイロス三世は、ただ純粋に力ある人間を求めているのだ。あの猛烈な眼光が、すべてを物語っているように感じられた。
俺はその申し出を、どう受け止めるべきか。
森辺に居残りたいという思いに変わりはないが、それだけでカイロス三世やダッドレウスを納得させることができるかどうか――そして、ジェノスや森辺の人々に迷惑をかけずに済むのかどうか――これは、それほど簡単な話ではなかった。
「……ひとつ聞かせていただけますか? 王陛下はどうして命令をしないで、俺に判断をゆだねたのでしょう?」
俺がそのように問いかけると、フェルメスは「さあ?」と肩をすくめた。
「カイロス陛下はまだお若いですし、血気も盛んであられるため、時おり稚気を覗かせるのです。それに……弱き人間を見下すお人柄でもあられます」
「なるほど。王陛下は見るからにお強そうなので、気弱な相手に苛ついてしまうのかもしれませんね」
「ええ。王弟殿下などは実に繊細なお人柄ですので、王宮においてはお立場がありません。いつも王陛下の目を恐れて、ご自分の小宮に引きこもってしまっておられます」
確かにカイロス三世は、俺の弱々しい姿を鼻で笑っていたように思う。ただそれは、全面的に俺の責任であった。
「俺がただ森辺に居残りたいと言い張っても……王陛下は、きっと納得しないのでしょうね」
「はい。そして、それよりも厄介であるのはダッドレウス殿です。王陛下はアスタに頓着する甲斐はないとしてあっさり見限る可能性もありますが、ダッドレウス殿は王家の権威が二の次にされることを許さないでしょう。もしもアスタが確たる理由もなしに断ったならば、王陛下に命令書を準備するように進言するかもしれません」
「なるほど……しかも、ダッドレウスは外交官ですもんね。ここでつまずいたら、このさき正しい絆を結ぶことも難しくなってしまうかもしれません」
するとアイ=ファが、「おい」と詰め寄ってきた。
「だからといって、お前が犠牲になる必要はないのだぞ?」
「うん、わかってるよ。俺は何とか、最善の道をつかみとるつもりだよ」
俺が心からの笑顔を返すと、アイ=ファは口もとをごにょごにょさせながら、俺の頭を小突いてきた。
そしてその青い瞳には、どうしようもないぐらい喜びの思いが渦巻いている。俺の復調を誰よりも喜んでくれているのは、アイ=ファであるはずであった。
だから俺は、考えぬかなければならなかった。
俺にとっても、アイ=ファにとっても――森辺の同胞にとっても、ジェノスの人々にとっても――そして、カイロス三世にとっても、ダッドレウスにとっても、最善と思える道を見出さなければならない。これは確かに、とんでもない試練であった。
ただ、俺の胸中にはぼんやりと道筋が見えている。
まだこれが正しいと言い切ることはできないが、俺の気持ちがひとつの方向を示しているのだ。その準備段階として、俺はフェルメスにひとつの願い出をすることになった。
「あの、ぶしつけで申し訳ないのですが、ポルアースに伝言を願えますか?」
「はい。どのようなお話でしょうか?」
「二日後の晩餐会に、こちらで指定した城下町の料理人の方々にもお越しいただいて、森辺の料理と食べ比べる品を準備していただきたいんです」
フェルメスは意表を突かれた様子で、わずかに目を見開いた。
「それぐらいの伝言でしたら、かまわないかと思いますが……アスタは何か、妙案でも浮かんだのでしょうか?」
「いえ。まだはっきりとした形にはなっていません。ただ、俺がこの三年余りで成し遂げたことを、王陛下にしっかりお伝えしたいんです」
「そうですか」と、フェルメスはやわらかく微笑んだ。
「きっとアスタであれば、正しい運命をつかみとることがかなうでしょう。アスタがどのような道を見出すか、心して見守らせていただきます」
「はい。フェルメスには、本当にお世話になりました。あらためて、心からの感謝を捧げます」
「僕は、ひそかに温めていた推論を披露しただけのことです。……まさか、アスタの前でこのように語る日がやってくるとは思ってもいませんでした」
フェルメスはいくぶん疲弊した様子で、椅子の背もたれに身を預ける。
ただ、知的好奇心のきらめきを消したその瞳には、とても安らいだ眼差しが浮かべられていた。
「そして僕は、自分の罪深さを思い知ることになりました。二年前、僕は喜び勇んで『聖アレシュ』の演劇を披露してしまいましたが……このたびのようにアスタを絶望させる危険があったのですね」
「はい。ですがフェルメスはすぐに心をあらためて、俺と人間としての絆を深めたいと言ってくれたじゃないですか。だから俺たちは、ここでこうして笑い合うことができているんです」
心よりの笑顔を返しながら、俺はそう言った。
「それに、うがった見方をするならば……すべては、正しい運命であったのかもしれません。俺はフェルメスの行動で心を乱すことになりましたが、それを引き金にして悪夢の先を垣間見ることになったんです。それがなければ、俺はいまだに『星無き民』のことを知りたいなんて考えることもなかったでしょうし……故郷のみんなが楽しく過ごしていることも知ることはできなかったんです」
「……すべては、運命のままにということですか」
「はい。そして運命というのは、人の行いを移す鏡のようなものだと教わりました。この世で生きるすべての人々の思いが、世界を動かしているということです」
だから俺たちは今回も、手を携えて運命を切り開かなくてはならないのだ。
みんなのおかげで復調した俺は、全身に瑞々しい生命力がみなぎっているような心地である。これならば、全力で試練に立ち向かえるはずであった。
(それに、たとえどんな道を選び取るとしても……俺は絶対、アイ=ファの存在は手放さないよ)
そんな思いを込めて、俺はアイ=ファのほうを振り返る。
するとアイ=ファは、いくぶんぎょっとした様子で目を見開き――そして、その青い瞳にこれ以上もなく幸せそうな輝きを宿しながら、また俺の頭を優しく小突いてきたのだった。




