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異世界料理道  作者: EDA
第九十八章 新星
1672/1695

銀の獅子④~対峙~

2025.9/25 更新分 1/1

「どうした? 皆も、楽にするがいい。これは非公式の謁見であるのだから、何も気を張る必要はあるまいよ」


 カイロス三世は不敵に笑いながら、そのように言いつのる。

 すると、フェルメスがゆったりと微笑みながら反問した。


「それよりも、まずはご説明をお願いしたく思います。どうして王陛下が武官などに身をやつして、ジェノスまでいらっしゃったのでしょうか?」


「其方は、相変わらずであるな。何か疑念を抱いたならば、解消せずにはいられない。宮廷に仕えた今もなお、学士としての慣習を忘れられぬようだ」


 傲然と座したカイロス三世はフェルメスの美麗な顔を見上げながら、口の片端を吊り上げた。


「よかろう。其方の疑念に答えてやる。しかしそれには、条件があるぞ」


「はい。その条件とは?」


「それは、その場に座ることだ。……他者を見上げて語るというのは、性に合わんのでな」


 フェルメスは内心の知れない微笑みをたたえつつ、ふわりと着席した。

 それに続いて、他の面々も着席していく。そうして俺がぼんやり立ち尽くしていると、ティカトラスに袖を引かれた。


「とりあえず、アスタも座りたまえよ。話は、それからだ」


「あ、はい……すみません……」


 俺も大人しく腰を下ろしたが、心は千々に乱れたままであった。

 何せ、噂に名高い西の王が、目の前に現れたのである。これは俺の人生においても、指折りの異常事態であるはずであった。


 この大陸は四大王国に支配されており、あとは辺境の奥深くで聖域の民がひっそりと暮らしているのみである。自由開拓地というのも名目上は王国の領土であるため、聖域を除くすべての地は王国の支配下にあるのだ。


 つまり目の前のこの人物は、この大陸の四分の一を統べる支配者なのである。

 あまりにスケールが大きすぎて、俺には実情を把握することも難しかった。


「わたしもフェルメス殿と同じ疑念を呈させていただきますよ。まがりなりにも王陛下がこのような辺境の地におもむくなど、誰にとっても想像の外でありましょう」


 ティカトラスがそのように言いたてると、カイロス三世は「ふん」と鼻を鳴らした。


「其方のような放蕩三昧の人間に、そのような言葉を聞かされようとはな。其方こそ、自由気ままに大陸中を放浪している身であろうが?」


「一国の王と公爵家の末席では、比較にもなりますまい。それにわたしは半分がた、商売のために走り回っているのです。王陛下は、どういった目的でジェノスにいらしたのです?」


「何故かと問われれば、それはもちろん視察であるな。余のもとにはあらゆる地から報告書が届けられているが、自分の目よりも確かなものはあるまい。……まあ、さすがに車でひと月もかかる場所にまで出向いたのは、初めてのことであるがな」


 そう言って、カイロス三世は空いているほうの手をぷらぷらと振った。


「しかしまあ、ちょうど先年に大きな戦を終えたところであるので、余が銀獅子宮を抜け出すにはうってつけの頃合いであったのだ。マヒュドラもゼラドもまだしばらくは大がかりな悪さを仕掛ける余力もなかろうし、小さな戦であれば頼もしき十二獅子将たちに采配を任せることができよう」


「ふむ。陛下はずいぶん手馴れている様子ですな。では、ひそかに王都を離れること自体は初めてではない、と?」


「うむ。余が王宮を抜け出す際には、影武者を立てている。無論、そやつは執務室に引きこもり、事情をわきまえている人間としか顔をあわせないように取り計らっているがな」


「事情をわきまえている人間ですか……よもや、厳格で知られるダッドレウス殿とアローン殿までその中に含まれようとは、意外な限りです」


 ティカトラスに笑いを含んだ眼差しを向けられたダッドレウスは、眉間にいっそうの皺を刻んだ。


「臣下に王陛下の御意をさまたげることなど、許されますまい。わたしは王陛下の忠実なる臣下として、そのお言葉に従うのみです」


「なるほど。噂に名高い『鷲の眼』も、王陛下の振る舞いを支援するために設立されたのかな?」


 ティカトラスの言葉に、アローンは「いえ」と厳しい声を返す。


「『鷲の眼』は、諜報のために設立した部隊です。ただ、部隊員が素顔を隠すという取り決めが、たまさか陛下の御意にかなったというだけのことです」


「ふむふむ。では、残るニ名はまぎれもなく部隊員なのかな? よもや、そちらも名だたる王族や貴族などではないだろうね?」


「はい。王陛下の御身をお守りするための、選りすぐりの部隊員となります。他なる部隊員たちは道中においても諜報の任務を果たしておりましたが、こちらの両名には王陛下の御身をお守りすることに専念するように命じております」


 アローンの返答に、よどみはない。彼らは最初からカイロス三世の命令下にあり、なんの疑念も不満も抱いていない様子であった。


「それにしても、王都とジェノスを往復するには車でふた月かかります。それほどの期間を割いてまで、ジェノスにいらしたということは……それだけ王陛下は、アスタの存在に着目しているということでしょうか?」


 フェルメスがするりと会話に割り込むと、カイロス三世は不敵に笑った。


「そうとも言えるし、そうでないとも言える。余はファの家人アスタのみならず、ジェノスの情勢を検分したかったのだ。何せジェノスはこの近年で、東と南の王族が集うような要所に成り上がったのだからな」


「では、アスタを王都に迎えたいというのは、どういったお話であるのでしょう?」


「それは先刻、書簡で伝えた通りとなる。ダッドレウスもあの場で申していたが、それ以上の説明が必要であろうか?」


「はい。恐れながらカイロス王陛下は、美食に一切のご興味を持たれていません。それでどうしてアスタにご執着されるのか、僕には理解が及ばないのです」


 フェルメスの言葉に、カイロス三世はいっそう勇猛な笑みを浮かべた。


「執着という言葉は、其方にこそ相応しいはずだな。其方はアスタと顔をあわせる前から、懸命に擁護していたではないか。それに比べれば、余の所業など些末なものであろうよ」


「ですが僕は、アスタを王都に連れ帰ろうなどとは考えませんでした。王陛下はアスタを王都に招き、どうされようというお考えなのでしょうか?」


「そんなものは、決まっている。料理番とは、立派な料理を作りあげるのが仕事であるのだからな。アスタが銀獅子宮の料理番として腕を振るえば、数多くの人間が随喜の涙をこぼすことであろうよ」


 フェルメスは微笑むように目を細めつつ、カイロス三世の顔をじっと見つめた。


「本当に……それだけが目的であるのでしょうか?」


「無論である。よもや余が其方や東の王子のように、『星無き民』などという得体の知れない存在に魅了されたとでも思うたか?」


 そのように語るカイロス三世の双眸が、ぎらりと物騒な輝きを帯びた。


「魔術やまじないなど、前時代の遺物にすぎん。石と鋼の王国に、そのようなものは必要ないのだ」


「はい。王陛下は美食にご興味を持たれていないのみならず、前時代的な存在を忌避しておられます。ですから僕は、懸念を抱いてしまっているのです。アスタはいまや、ジェノスで知らぬ人間もいない名うての料理人ですので……それを排斥するようなことがあれば、王陛下の威光に傷がついてしまいましょう」


「ほう……余がアスタを処刑したならば、ジェノスが叛旗をひるがえすということであろうかな?」


 獅子のごとき眼光が、フェルメスの隣に座したマルスタインへと向けられる。

 マルスタインは普段通りの穏やかさを保持しながら、「いえ」と応じた。


「アスタが何か罪を犯したならば、王国の法に則って処断するしかありませんでしょう。ただしアスタは、如何なる罪も犯してはおりません」


「ふん……『星無き民』などと標榜して世間を騒がせるのは、立派な罪であるように思えるがな」


「アスタを『星無き民』と称するのは、いずれも東の占星師たちです。アスタはそれらの占星師たちと出会うまで『星無き民』という名前すら知らず、自ら名乗ったこともありません」


「ふふん。これまでに届けられた報告書にも、そのように記載されていたな」


 カイロス三世は、獲物を目の前にした肉食獣のような顔で微笑んだ。


「であれば、アスタを罪に問う理由はない。銀獅子宮の料理番として、思うさま腕を振るってもらいたいものだな」


「ですがアスタは、いまやジェノスにとってかけがえのない存在であるのです。東や南の方々と健やかな関係を保つためにも、どうかアスタがジェノスに留まることを許していただけませんでしょうか?」


 マルスタインが、ついに真っ向から王に意見をした。

 しかしカイロス三世は、むしろ愉快げに咽喉を鳴らす。


「其方も存分に、アスタに魅了されているようではないか。たかだか一介の料理番を、かけがえのない存在と申すか」


「はい。アスタはこのジェノスにおいて、それだけの大役を務めあげているのです」


「アスタの所業については、余もわきまえている。調理の手腕だけで南と東の王族を籠絡するなど、生半可な話ではあるまいからな」


 そう言って、カイロス三世は俺のほうに向きなおった。

 獅子の眼光が、真っ向から突きつけられる。森辺の狩人とはまったく異なる、俺が初めて味わう迫力だ。それこそが、王としての威厳であるのかもしれなかった。


「フェルメスが申す通り、余は美食になど何の関心も寄せてはおらん。しかし、其方の手腕には大いに着目しているのだ、ファの家人アスタよ」


「そ……それはどういう……?」


「其方には、人を動かす力がある。その力を、王都で振るってもらいたいだけのことだ。余の目的は、それ以上でもそれ以下でもない」


 俺は懸命に自分を律しながら、王の左右に控えた面々を見回した。

 ダッドレウスもアローンも、これまで通りの厳格な面持ちである。やはり、王の言葉に疑問を抱いている様子はいっさい見受けられなかった。


「優れた人材を我がもとに迎えたいと願うのは、誰にとっても自然な行いであろう? このアローンは余の裁量で千獅子長に引きたてられた身であるし、ダッドレウスも父たる前王の裁量によって王都に招かれたのだ。西の領土を統べる王都アルグラッドには、ひときわの力が必要であるのだからな」


 炯々と瞳を輝かせながら、カイロス三世はそう言った。


「よって、余は其方を銀獅子宮の料理番として迎えたいと願っている。了承してもらえるだろうかな、ファの家人アスタよ?」


「俺は……」と、俺はかすれた声を振り絞った。


「俺は、森辺で……このジェノスで生きていきたいと願っています」


「その弁は、先刻も聞いている。其方が王都にてさらなる飛躍を果たせば、森辺の同胞も大いなる誇りを手中にできるのではなかろうかな?」


「いえ……ですが……」


「たとえ王都に移り住もうとも、其方がジェノスの民という身分を失うわけではない。時には故郷に舞い戻り、同胞と祝杯を交わす機会もあろう。……ダッドレウスも、故郷のバルドには顔を見せているはずであるな?」


「御意にございます。外交官という要職にありながら、数年に一度はバルドに帰郷する許しを頂戴しております」


「うむ。バルドも王都から車で半月という距離であるからな。それでも数年に一度はひと月以上の休暇を賜り、故郷に帰っているということだ。其方が不安であるならば、三年に一度は二ヶ月以上の休暇を授けるという約定を交わしてやろう」


 俺の顔を見据えたまま、カイロス三世はそのように言いつのった。


「あるいは、先刻の女狩人が未練となっているのか? 其方たちが望むのであれば、家族もまとめて王都に招いてやろう。銀獅子宮の料理番とならば、数名の家族を養うことなど造作もなかろうからな。危険な狩人の仕事など果たさずとも、安楽な生活にひたれようぞ」


 カイロス三世の眼光は猛烈であるが、語っている言葉は至極真っ当である。そうであるがゆえに、俺は反論することができなかった。


「……申し訳ありません。俺ひとりでは、とうてい決断できそうにありませんので……森辺の同胞と話し合い、進むべき道を決したいと思います」


 俺がようようそれだけ伝えると、カイロス三世は面白くもなさそうに「ふん」と口もとをねじ曲げた。


「其方はポワディーノ王子の申し出をはねのけた際にも、そのように振る舞っていたのか? 其方はもっと気骨のある人間なのだろうと想像していたので、いささかならず拍子抜けしてしまったわ」


「どうやらアスタは、調子を崩してしまっているようです。これでは正しい判断を下すことは難しいでしょうから、どうかいくばくかの猶予を授けていただきたく存じます」


 何の事情も知らないままに、フェルメスがフォローをしてくれた。

 すると、ダッドレウスが硬い声をあげる。


「ですが、どれだけの猶予をいただこうとも、王陛下からのありがたきお申し出を無下に断ることなど決して許されませんぞ。それはセルヴァ王家の威光を踏みにじる行いに他なりません」


「それでしたら、どうして最初から命令書をしたためなかったのでしょうか? 決して逆らえない言葉を伝えつつ、あくまで本人に判断をゆだねるなどというのは、あまりに酷な話です」


 フェルメスは、あくまで優美なたたずまいである。

 ダッドレウスがそれに反論しようとすると、カイロス三世が手振りでさえぎった。


「べつだん、逆らえないことはあるまい。繰り言になるが、たとえアスタが余の申し出をはねのけたところで罪に問うことはないぞ」


「ですが、ダッドレウス殿はそれを許さないと仰っています」


「ふふん。ダッドレウスにはダッドレウスの考えがあろうからな。それは、余の知るところではない」


 カイロス三世は、まったく激している様子もない。それでもこの場においては、もっとも猛烈な迫力を発散させていた。


「ともあれ、猶予が欲しいというのなら、くれてやろう。期限は三日間、青の月の二十四日までだ。せっかくなので、その日には晩餐会でも開いていただこうか」


「晩餐会?」


「うむ。銀獅子宮に料理番として迎えようというのなら、余もひとたびぐらいはアスタの手腕を味わっておくべきであろうからな。それに、ジェノスの者たちが如何様にして森辺の民と絆を深めているのかも、この目で見届けておきたかったのだ」


 獅子の眼光でその場の面々を見回しつつ、カイロス三世はそう言った。


「その日の料理を供したのち、余の申し出に答えを出すがいい。……どうしても答えを出せない場合は、余の料理に毒を盛るというのも一興であるな」


「王陛下。おたわむれでも、そのようなお言葉を口にするのはお控えなさるべきでしょう」


 主君に対しても、ダッドレウスの厳格さに変わりはない。

 カイロス三世はむしろ心地よさそうに、「ふふん」と鼻を鳴らした。


「では、晩餐会の内容についてはマルスタインと協議した上で、追って通達するとしよう。本日の会談は、ここまでであるな」


「承知いたしました」と一礼してから、ダッドレウスは俺とマルスタインの姿を見比べた。


「では、くれぐれも王陛下がジェノスにいらしていることは、ご内密に願いますぞ?」


「ふふん。しかし、そのような隠し事を抱えていては、森辺の同胞と腹を割って論じ合うこともままならんのではないか?」


 と、カイロス三世がすぐさま口をはさんだ。


「秘密を知る人間が多少ばかり増えたところで、支障はあるまい。それはアスタとマルスタインの裁量にゆだねるとしよう」


「いえ、ですが――」


「其方は、何を案じておるのだ? 余の正体が露見したところで、苦労を負うのはジェノスの者たちではないか」


 獅子のごとき迫力を発散させながら、カイロス三世はくつくつと笑った。


「余の素性が露見したならば、わずか二百の部隊だけを護衛として王都に帰還することもままならん。その際は王都に使者を出し、動かせるだけの遠征兵団を呼びつけることになろうな」


「ははは。そんな真似をしたならば、マヒュドラもゼラド大公国も黙ってはいないでしょうね」


 ティカトラスが気安く応じると、カイロス三世も「その通りだ」と愉快げに目を細めた。


「王都の軍が動いたならば、マヒュドラとゼラドもすぐに察知する。王都こそ、あやつらの間諜がうじゃうじゃと潜んでいるのだからな。そうして余が大した兵も連れずにジェノスまでおもむいているなどと察したならば、大戦の痛手など忘れたかのようにありったけの兵力をジェノスまで差し向けることになろう」


「そうですね。それでもマヒュドラの軍勢は、アブーフを始めとする城砦の軍が食い止めてくれることでしょう。ですが、ゼラド大公国の軍は……王都よりもジェノスに近い上に、ジャガルの承諾さえ得られれば、何の抵抗もなく進軍することが可能です」


「うむ。王都の軍が到着するまで、ジェノスは自らの武力でゼラドの大軍を迎え撃たなければならないということだ。いっそゼラドに寝返って余の首を討ち取るほうが、よほど安楽であろうな」


 まるで盤上遊戯の情勢でも語っているような風情で、カイロス三世はそのように言いつのった。


「まあ、それで余が魂を返したところで、余の愚弟かゼラド大公のどちらかが新たな王となるだけのことだ。王朝の変遷に加担して歴史に名を残したいのならば、一考してみるがよいぞ」


「……承知いたしました。決して王陛下のご素性が露見しないように、留意いたします。アスタも、そのようにな」


 この段に至っても穏やかな表情を保持しているマルスタインが、俺に呼びかけてくる。

 俺は思考停止したまま、「……はい」と答えるしかなかった。


「では、今日の会談はここまでだ」


 そのように告げるなり、カイロス三世は卓上に投げだしていた毛髪の塊をわしづかみにした。

 俺たちが無言で見守る中、カイロス三世の顔が再びもしゃもしゃの髪と髭に覆われる。そうして金属の仮面と兜をも装着したのち、カイロス三世は席を立って他なる武官たちのかたわらに立ち並んだ。


「それでは、マルスタイン殿とアスタは退室を。……フェルメス殿とティカトラス殿には、もうしばし時間をいただくとしましょう」


「はいはい。ここ最近のジェノスについての情勢を報告せよ、ということですね? わたしはべつだん外交官でも何でもないのですけれどねぇ。……あ、アスタ。悪いけれど、ヴィケッツォたちにもうしばらく辛抱してもらえるように伝えてもらえるかなぁ?」


 そんな風に言ってから、ティカトラスはきょとんと目を丸くした。


「あれ……アスタは元気がないようだね。それは部屋に入る前からだったけれど、ずいぶん悪化してしまったようじゃないか」


 俺はやっぱり、「……はい」としか答えられない。

 するとティカトラスはいつになく優しい感じで目を細めつつ、俺に耳打ちしてきた。


「王陛下のご素性に関しては、アイ=ファや族長たちに打ち明けても問題はないと思うよ。森辺の民の口の堅さは、折り紙つきだからね」


「……はい。ありがとうございます」


「うんうん。それじゃあ、アイ=ファにもよろしく伝えてくれたまえ」


 それだけ言って、ティカトラスはダッドレウスのほうに向きなおる。

 その間に、武官のひとりが扉のほうに向かい、マルスタインも腰を上げていた。

 俺は混乱状態のまま、フェルメスの耳もとに口を寄せる。


「あの、フェルメス……実は、相談したいことがあるのです。どうか、時間を作っていただけませんか?」


 俺が身を引くと、フェルメスはきょとんとした面持ちで見返してきた。

 いつも優美なフェルメスが、幼子のような表情になっている。それを可憐な乙女のごとき笑顔に切り替えながら、フェルメスは耳打ちを返してきた。


「僕もアスタの様子にはずっと心を痛めていたので、頼ってもらえるのはとても嬉しいです。でもこの後は、王陛下の御心を探らなければなりませんので……明日でもかまわないでしょうか?」


「はい。お手数をおかけして、本当に申し訳ありません」


「とんでもありません。僕がアスタのお力になれるのなら、喜ばしい限りです。では、今日と同じ刻限に、貴賓館に集合ということにいたしましょう」


 可憐に微笑むフェルメスに精一杯の笑顔を返してから、俺は腰をあげた。

 そして最後にカイロス三世のほうを振り返ってみたが、もはや隣の武官とも見分けはつかない。その猛烈な眼光を隠してしまうと、カイロス三世もただの人間であった。


                  ◇


 それから、およそ一刻の後――城下町から帰還した俺は、ルウの空き家でアイ=ファとドンダ=ルウとガズラン=ルティムだけを相手にすべてを語ることになった。


 その場にガズラン=ルティムを同席させたのは、ドンダ=ルウの判断である。すべてを聞き終えた後、「そうですか」と真っ先に応じたのはガズラン=ルティムであった。


「三人の武官でひとりだけ、剣士としてさほどの力量を感じない人間がいたのです。あれが、西の王であったのですね」


「ふん。まさか西の王が、素性を隠してジェノスにやってくるとはな。これでは東の王子を短慮と称することもできまい」


 当然というか何というか、ガズラン=ルティムもドンダ=ルウも決して動揺したりはしなかった。

 たとえ貴族や王族でも、人間は人間――それが、森辺の民の揺るぎない価値観であるのだ。今の俺には、その揺るぎのなさが眩しくてならなかった。


「それでお前は、フェルメスに協力に仰いだというのだな? しかし、それは……どちらの件に関してであるのだ?」


 アイ=ファの鋭い指摘に、俺は思わずうつむいてしまう。


「それは……悪夢についてなのかもしれない。俺としては、切り離せない問題なんだけど……王様からの申し出に関しては、何をどう考えるべきかもわからないし……」


「私から、目をそらすな」


 と、アイ=ファのしなやかな指先が俺の下顎をつかみ取り、強引に顔を上げさせる。

 そうして間近から向かい合ったアイ=ファの顔は、とても厳しく引き締まっており――そしてその青い瞳には、とても切なげな輝きがたたえられていた。


「……ごめん、アイ=ファ。自分で自分が情けないよ」


「そのようなことはない。しかし、どれほど心を痛めても、ひとりで抱え込むなと言っているのだ」


「はい。アスタの苦悩は、我々の苦悩です。森辺の同胞として、アスタの苦悩を分かち合ってください」


 そんな風に言ってから、ガズラン=ルティムは優しく微笑んだ。


「それに、悪夢に関してフェルメスに助力を仰ぐというのは、正しい判断でしょう。『星無き民』というものに関して確かな知識を持っているのはフェルメスただひとりであるのですから、きっとアスタに何らかの答えをもたらしてくれるはずです」


「ふん。そんな話は捨て置けと言いたいところだが……まずはそちらを片付けない限り、話は進まんようだな」


 その双眸に重々しい迫力をたたえながら、ドンダ=ルウはそう言った。

 これこそまさしく、獅子の眼光である。俺はカイロス三世から獅子を連想してならなかったが、ドンダ=ルウとはまったく別種であった。


 しかしまた、根源の部分には似通ったものもあるのかもしれない。

 俺が恐れ入っているのは、人を導くべき立場にある人間の覚悟と迫力であるのかもしれなかった。


「……あらかじめ、ひとつだけ言っておく。最後に自分の進むべき道を決するのは貴様自身だ、ファの家のアスタよ」


 その重々しい迫力でもって、ドンダ=ルウはそのように言い放った。


「我々にできるのは、貴様が正しい判断を下せるように力を添えることだけだ。そのためにも、貴様はまず本来の力を取り戻すがいい」


「私も、ドンダ=ルウに同意いたします。アスタが本来の力を取り戻せば、どのような試練でも乗り越えられるはずです」


 俺はどうしようもない虚無感を抱えながら、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 みんなの言葉はこんなにも温かく心にしみいってくるのに――やはり、心の真ん中にあいた空洞だけは、満たされないのだ。これでは、穴のあいた器に水を注いでいるようなものであった。


 俺はまず、この空洞を埋めなければならないのだ。

 でなければ、俺は――森辺の民でいる資格すら存在しない。森辺の同胞の信頼や情愛を正しく受け止められないのなら、森辺の民を名乗る資格は存在しないはずだった。


(だから、聖アレシュは……都を出奔して、自分の帰るべき場所を探し求めたのか?)


 しかしまた、森辺の外に俺の帰るべき場所などは存在しない。

 俺の故郷――家族や幼馴染のもとにも、俺の帰るべき場所は存在しないのだ。森辺に居場所を見いだせなかったならば、俺がこの世に存在する理由はすべて消え失せてしまうはずだった。

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― 新着の感想 ―
やべえ、ちょっと見ちゃいられねえ。 俺はここまでこの物語に感情移入してたのか。
> ふむふむ。では、残るニ名はまぎれもなく部隊員なのかな? よもや、そちらも名だたる王族や貴族などではないだろうね? 「ニ名」が漢数字ではなくカタカナのニになってますね。
いつも楽しく拝読させていただいています。 いつかの未来で森辺の民と西の王家が、縁を結んでいた様なので、いつかは来るのだろうと予想はしていましたが…ただただタイミングが悪いですね。 こんなにもヘニャヘニ…
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