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異世界料理道  作者: EDA
第九十七章 朱と緑の契り
1663/1695

レイの婚儀④~祝宴の下準備~

2025.9/5 更新分 1/1

 そうして屋台の料理を売り切ったのちも、俺たちは下りの三の刻まで広場の賑わいを楽しむことになった。

 ただ俺個人に関しては、ラウ=レイたちに近づくことを遠慮していた。俺は夜の祝宴にもお招きされているので、他の面々に機会を譲るべきだと考えたのだ。トゥランの商売を終えて合流したダゴラとアウロの女衆もまじえて、誰もがめいっぱいの思いでレイ家の両名を祝福していた。


 そんな中、遠目にもはっきりと深い感慨をあらわにしていたのは――やはり、トゥール=ディンである。

 トゥール=ディンにとってのヤミル=レイというのは、かつては恐怖の対象であり、その後は大切な仕事仲間であったのだ。大きな悪縁を乗り越えたからこそ、そこには深い絆が生まれるはずであった。


(最初に働きだした頃なんかは、ヤミル=レイが意外に腕力がなくて、トゥール=ディンもびっくりしてたっけ)


 そんな懐かしい思い出にひたると、俺まで感慨に胸をふさがれてしまう。そして、トゥール=ディンの胸にはそれ以上の思いが渦巻いているはずであった。


 そうしてついに、日時計は下りの三の刻に達し――お別れの時間がやってきた。


「それでは我々は、森辺に戻ります。今日はありがとうございました」


 ガズラン=ルティムが代表者としての挨拶を受け持ち、ルウの血族を乗せた三台の荷車は広場を出ていく。それを追いかける格好で、俺たちも広場の出口を目指した。


「アスタたちも、お疲れさん! 明日も、またよろしくな!」


 そんな声をかけてくれたのは、ベンたちだ。建築屋の面々は一刻ほど前に姿を消していたし、《銀の壺》や城下町の面々も俺たちより早く広場を出ていた。


 多くの人々は、仕事を抜け出してお祝いの場に駆けつけてくれたのだ。

 俺はとても満たされた心地で、帰路を辿ることができた。


「それじゃあ申し訳ないけれど、俺はここで失礼するよ。みんな、明日もよろしくね」


 俺はひとりルウの集落の入り口で御者台を下り、ユン=スドラに手綱を託す。ギルルの荷車はこのままファの家に持ち帰ってもらい、夕刻にはアイ=ファが使用する手はずになっていた。


 今ごろは、またファとフォウとラッツで明日のための下ごしらえが進められていることだろう。なおかつ明日は城下町の屋台も営業日であるし、ルウ家は前日の下ごしらえが行えないために料理の数を絞ることになる。そのぶんまで、ファの屋台は料理の量を増やす算段であった。


 しかし、俺がいなくとも作業を進められるぐらい、かまど番が育っているのだ。かえすがえすも、ここ最近の屋台は近在の氏族のかまど番の力量に支えられていた。


「アスタも、頑張ってくださいね! それでは、また明日!」


 荷台から身を乗り出したレイ=マトゥアが、ぶんぶんと手を振ってくる。その可愛らしい姿が引っ込むまで荷車を見送ったのち、俺はいざルウの集落に足を踏み入れた。


 夜の祝宴に備えて、広場では着々と準備が進められている。半数の男衆は森に入っているため、残る半数と十三歳未満の若衆の手によって、薪のタワーや新郎新婦の座席や簡易かまどが組み上げられているさなかであった。


「アスタ……お疲れ様なんだよ……?」


 と、儀式の火のための薪を運んでいたミダ・ルウ=シンが、どすどすと近づいてくる。きらきらと瞳を輝かせているミダ・ルウ=シンに、俺は「やあ」と笑顔を返した。


「ミダ・ルウ=シンも、お疲れ様。今日は仕事を休む日取りだったんだね」


「うん……祝宴の準備を手伝うようにって、シン・ルウが決めてくれたんだよ……? ミダ・ルウは、とても嬉しいんだよ……?」


 かつての家族であったヤミル=レイのために働けることが、嬉しくてならないのだろう。頬肉をぷるぷると震わせるミダ・ルウ=シンは、いつも以上に純真な眼差しになっていた。


「今日はディガ=ドムたちも来るから、いっそう嬉しいだろうね。俺もご一緒できて、本当に嬉しいよ」


「うん……アスタとアイ=ファまで来てくれるから、すごくすごく嬉しいんだよ……? ヤミル=レイも、すごくすごく喜んでるはずなんだよ……?」


「うん。そうだと嬉しいな。それじゃあ、ミダ・ルウ=シンも頑張ってね」


「うん……頑張るんだよ……?」


 ミダ・ルウ=シンは薪の山を抱えなおして、広場の中央へと駆け去っていく。

 俺はさらなる温かな気持ちで、かつてのシン・ルウ=シンの家のかまど小屋を目指すことにした。今日はそちらで仕事をするようにと、あらかじめ申しつけられていたのだ。


「ああ、やっと来たね。こっちはすっかり待ちくたびれちまったよ」


 と、かまど小屋に足を踏み入れるなり、とがった声が投げつけられてくる。

 そしてそれが、すぐさま「こら」とたしなめられた。


「アスタだって大変な仕事をこなしてきたんだから、ねぎらうのが先だろう? いつもいつもすまないね、アスタ」


「いえ、とんでもありません。今日はよろしくお願いします」


 そちらで待ち受けていたのは、ラウ=レイの家族たち――すなわち、母親と三名の姉たちに他ならなかった。出会って早々に険悪な声をあげたのは、もっとも気性の荒い末妹である。俺も半分がた予想していたが、今日は彼女たちが俺の手伝いをしてくれるようであった。


「あ、そちらもお疲れ様でした。広場は祝宴のように盛況でしたね」


 ひと足さきに帰還していた長姉に呼びかけると、そちらからは「ふん」と鼻息が返された。


「まったくもって、大層な騒ぎだったね。ラウがああまで町の連中にもてはやされてるとは思ってもいなかったよ」


「ふうん。面白そうだねぇ。あたしも見てみたかったなぁ」


 と、ひとりのんびりとした気性である次姉は、ゆったりとした笑顔で声をあげる。近年に二人目の子を出産した彼女は祝宴でも幼子の面倒を見る役割を担っていたが、今回はひさびさにかまど仕事に取り組むようであった。


 相変わらず、賑やかで個性的な姉妹たちである。ラウ=レイの姉ということはいずれも俺より年長であるはずであったが、そうとは思えないほど落ち着きと無縁の人柄であるのだ。


 しかしやっぱりもっとも印象的であるのは、ラウ=レイの母親である。

 ラウ=レイにそっくりの秀麗な面立ちで、四十代とは思えないほど若々しい容姿をした彼女は、どこかアイ=ファにも通じる雰囲気があって、俺を恐縮させるのだ。


 ただしアイ=ファに比べると、きわめて陽性の人柄である。母親というよりは、きっぷのいい姉御といった風情であるのだ。それでいて、すでに何人もの孫を持つ身であるというのが恐ろしい話であった。


(まあ、森辺では結婚が早いからな)


 誰もが十五歳から二十歳の内に婚儀を挙げていれば、四十代で孫を持つ身となってしまうのだ。彼女と同世代と思しきミーア・レイ母さんも、コタ=ルウにルディ=ルウにドンティ=ルウにエヴァ=リリンと、すでに四名もの孫を持つ身なのである。問題は、彼女が二十代でも通用するぐらい若々しく見えるという一点であった。


「おしゃべりはそれぐらいにして、さっさと準備を始めようよ。今日のあたしらは、大役を背負ってるんだからね」


 と、末妹がキイキイとした声を張り上げる。彼女は小柄で髪をひっつめているため、どこかツヴァイ=ルティムと印象が重なる部分があった。


 そして彼女が言う大役というのは、新郎新婦が最初に口にする祝いの料理のことだ。今回も、俺はその大切な役割を任されることになったのだった。


「正直に言って、アスタはわたしよりもレイのお二人と縁が深いように思います。アスタが祝いの料理を手掛けてくだされば、お二人もまたとなく喜ぶことでしょう」


 レイナ=ルウは、そんな風に言っていたものである。

 ラウ=レイはレイナ=ルウにとって同い年の血族であるが、男女差や人柄の相性などの関係からそうまで縁を深める機会がなかったらしい。そういえば、俺もレイナ=ルウとラウ=レイが言葉を交わす姿というのは、ほとんど目にした覚えがなかった。


 そしてヤミル=レイに関してはスンの家人という特殊な出自である上に、屋台の商売でもルウの血族でただひとり俺を手伝う身であったのだ。それもまた、ラウ=レイがファの家に執着した結果であるはずであった。


「それじゃあ、作業を開始しましょう。まずは、食材の切り分けですね」


 作業台には、俺がお願いしていた食材が山と積まれている。

 するとまた、末妹が眉を吊り上げた。


「あのさ、それはただの宴料理でしょ? そんなもんより、祝いの料理を優先してよ」


 俺はレイナ=ルウの苦労を少しでも軽減させるべく、ひと品だけ通常の宴料理も受け持つことにしたのだ。そもそも二人分の祝いの料理を作りあげるだけならば、手伝いの人員も不要であった。


「そちらも、同時進行で進めていくつもりですよ。そうでないと、効率が悪いですからね」


「そらごらん。かまど仕事で、アスタにケチをつけるんじゃないよ」


 母親は末妹をたしなめたのち、俺に向かって白い歯をこぼした。


「いちいちうるさくて、申し訳ないね。ついにラウが婚儀を挙げることになったもんだから、こいつらも気が逸っちまってるのさ」


「ええ。ご家族だったら、それが当然でしょう。どうぞ気になさらないでください」


 俺はこちらの女性についつい恐縮してしまうが、それはすべて好意的な印象の積み重ねだ。そもそも俺が意識しているのはアイ=ファに似ている部分であるので、好ましくないわけがなかった。


(性格も含めて、そこまでアイ=ファに似てるわけじゃないのにな)


 そこで大きな要因となるのは、やはり金褐色の髪であるのだろう。また、アイ=ファ自身も彼女を前にすると、自分の母親を思い出して落ち着かない心地になるのだという話であった。


 ともあれ、今は作業に集中である。祝宴の開始まではもう二刻半を切っているはずであるので、うかうかしているいとまはなかった。


「あ、ギバの胸肉はふた切れだけ、指三本分の厚さでお願いします。そちらを取り分けたら、残りはすべて薄切りですね」


 俺がそのように伝えると、末妹はきらりと目を光らせた。


「ふた切れってことは、その厚切りにしたやつが祝いの料理だね?」


「はい。見栄えの問題がありますので、そのふた切れは均等の大きさでお願いします」


「よーし!」と、末妹は肉切り刀をひっつかむ。その勢いに、母親が苦笑した。


「そんないきりたたなくても、肉は逃げやしないよ。本当に、あんたはいつになったら落ち着くのかね」


「うんうん。今日のラウなんかは、ずいぶん静かだったよねぇ。やっぱり婚儀を挙げると、ラウも変わるのかなぁ」


「ふん! あんなのは、絶対に今日だけのことさ! 明日からは、またぎゃあぎゃあ騒ぐに決まってるよ!」


「あたしも、それは同感だね。今は待ちに待った婚儀に舞い上がってるんだろうさ」


 他の姉妹も声をあげて、いっそう賑やかな様相である。しかし、俺にとっては心の温まる賑やかさであった。


「下のお二人は余所の血族に嫁いでも、ずっとラウ=レイのことを気にかけていましたもんね。本当に仲がよくて、羨ましいです」


「あん? あんただって、ファの家長とべったりじゃん」


「でも、俺は故郷でも一人っ子でしたからね。仲のいい姉弟が羨ましいということです」


 すると、母親が「ああ」と声をあげた。


「アスタは、兄弟がいなかったのかい。きっとアイ=ファも、そうなんだろうね」


「はい。アイ=ファの母親は身体が強くなかったので、ひとりしか子を生めなかったそうです」


「うん。余所の氏族では、そういう話も普通なんだろうね。兄弟がいても、幼い頃に魂を返したりしてさ。……ルウの血族でそういう話を聞くのは、せいぜいリリンぐらいなんだよね」


 そこで母親が小さく息をつくと、次姉が「どうしたのぉ?」と声をかけた。


「いや、アスタとアイ=ファはそれで余計に仲睦まじいのかと思ってさ。ほら、リリンも本家と分家の区別なく、みんなが家族みたいな雰囲気だろう? 兄弟がいなかったり親が早死にしたりすると、残された人間で絆が深まるものなのかもね」


「……それが何だってのさ? 家族の多いあたしらは、遠慮しろってこと?」


「誰もそんなことは言っちゃいないよ。もちろん、たくさんの家族が健やかに過ごせていることを感謝するべきだろうけどね」


 そのように答えてから、母親はまた俺に力強い笑顔を向けてきた。


「でも、ファやリリンに同情する気はないよ。そっちはそっちで、家族が少ない人間ならではの絆が生まれてるんだろうからね。それはそれで、かけがえのない絆であるはずさ」


「ええ。それは俺も、実感しています」


 俺はリリンばかりでなく、スドラのことも思い出していた。スドラもリリンに負けないぐらい家人が少なく――そして、すべての家人が深い絆を結んでいたのだ。俺もまた、ユン=スドラたちに同情するのではなく祝福したい気持ちであった。


(それにしても、俺が一人っ子だって言っただけで、そんな話を連想するなんてな。やっぱりこの人は、大したもんだ)


 ラウ=レイの母親はどのような催しでも裏方に引っ込んでいるが、ちょっと言葉を交わすだけでも懐の深さを感じてやまないのだ。そういう部分も、ミーア・レイ母さんと通ずる部分があった。


(そういえば、ミーア・レイ母さんもレイの生まれなんだもんな。ウル・レイ=リリンだって只者ではないし……俺が知ってるレイの人たちは、みんな個性的で傑物だな)


 すると、そのひとりである末妹がまた甲高い声をあげた。


「あんた、何をこそこそ母さんの顔を盗み見てるのさ? まさか、ファの家長から母さんに乗り換えようって魂胆じゃないだろうね?」


「あはは。そんなわけないじゃん。母さんの姿を見て、ファの家長のことを思い出してたんじゃないのぉ?」


「ふん。そりゃあどっちも美人だけど、そうまで似てるわけじゃないでしょ。それに、母さんがいくら美人だからって、末の子供と同い年の男衆なんか相手にするもんか」


「いい加減にしておきなよ、あんたたち。父さんが見てたら、呆れて言葉も出ないだろうさ」


 と、ひとりがしゃべると残りの三名も連動して、また大変な騒ぎである。それで俺が抗弁する前に、話題は収束したようであった。


「今日は、アイ=ファも来るんだろう? ここ最近は顔をあわせる機会もなかったから、楽しみなこったね」


「あ、はい。きっとアイ=ファも喜ぶと思います。やっぱり祝宴の間は、幼子の面倒を見る役割ですか?」


「そりゃそうさ。今も可愛い孫たちが、きゃあきゃあ騒いでるさなかだろうしね」


「そうですか。それじゃあ、アイ=ファと一緒にご挨拶にうかがいます。俺も赤ん坊たちのお顔を拝見しておきたいので」


「ふん。どうせあんたの目当ては、ルウやリリンの赤ん坊なんだろうけどね」


 と、性懲りもなく末妹が絡んでくる。本日は、彼女たちの子供もルウの集落に集結するのだった。


「それにしても、これでようやく全部の子供たちが婚儀を挙げることになるからね。わたしも肩の荷が下りた気分だよ」


 母親がしみじみ息をつくと、次姉が「あはは」とのんびり笑った。


「でも、しばらくしたらラウたちの子が増えるからねぇ。母さんがくつろぐひまはないと思うよぉ」


「そんな苦労なら、望むところさ。今のわたしは、幼子の面倒を見るために生きてるようなもんだからね。すべての幼子が立派に育ったら、心置きなく魂を返せるさ」


「何を言ってるのさ。……なんだったら、母さんも新しい伴侶を見つけたら? 母さんぐらい器量がよければ、いくらでも相手はいるでしょうよ」


 長姉の言葉に、母親は「ははっ」と歯切れよく笑った。


「あんたこそ、何を言ってるのさ。こんなにどっさり孫を抱えた女衆が、今さら婚儀を挙げるわけないだろ」


「そんなことないよ。孫より若い子供ができたら、それはそれで面白いじゃん」


「馬鹿なことばっかり言ってるねぇ。……あんたたちみたいに立派な子供が四人もいたら、もう思い残すことはないよ」


 母親が力強く温かな笑顔を返すと、さしもの気丈な長姉も押し黙った。これこそ、貫禄の違いというものであろう。


「とにかく今は、仕事に集中しな。あんたたちは、あれだけラウとヤミルの婚儀をせっついてたんだから、感無量でしょうよ」


「まったくね。ヤミルなんて、あたしより年を食ってるぐらいなんだからさ。いつになったら重い腰を上げるんだって、やきもきしちまったよ」


 末妹のそんな言葉に、俺は(あれ?)と思った。


「横から失礼します。あなたは以前から、ヤミル=レイのことを氏をつけずに呼んでましたっけ?」


「あん? 弟の嫁に氏をつけて呼ぶ必要はないでしょうよ。どうせ夜には婚儀を挙げるんだから、かまわないさ」


「そ、そうですか……でも、あなたはミンに嫁入りしてるんですよね?」


「だから、なに?」と、末妹はやぶにらみの目でにらみつけてくる。

 どうやら彼女はルド=ルウ以上に、森辺の習わしをものとも思っていないようであった。


「あたしもこれからは、ヤミルって呼ぶつもりだよぉ。どうせラウのことだって、氏をつけて呼ぶ気にはなれないしねぇ」


「ふん。余所の氏族に嫁ぐと、そんな面倒な話になるわけか。あたしは家に居残ってて何よりだったよ」


「どこに嫁ごうと、関係ないさ! 弟は弟だし、嫁は嫁なんだからね!」


 と、末妹はいっそうきつい目つきで俺をにらみつけてくる。

 俺はそちらに、心からの笑顔を返した。


「すみません。俺は別に、文句をつけたわけじゃないんです。俺は外から森辺に招かれた身なので、そういう話に敏感なだけなんですよ。……でも、みなさんがヤミル=レイのことを家族として迎えようという気持ちが伝わってきて、とても嬉しいです」


 末妹が小石でも呑み込んだような顔で押し黙ると、また母親が「ははっ」と笑った。


「こいつは、一本取られたね。あんたたちも森辺の習わしをおろそかにするんなら、せめてアスタぐらい情理をわきまえるこったね」


「う、うるさいな! そんな細かいことを気にするのは、年を食った人間ぐらいでしょ!」


「わたしだって、年を食った人間のひとりなんだけどねぇ。まったく、森辺の行く末が不安なこったよ」


 そんな風に言いながら、母親は温かい笑顔である。

 それで俺も温かい心持ちで、作業を進めることがかなったのだった。


                   ◇


 それから、二刻と少しののち――無事に料理を完成させた俺は、黄昏刻の薄暗がりの中で祝宴の開始を待ち受けることになった。

 森に入っていた狩人たちも帰還して、すでに全員集合しているのだろう。ルウの血族は百六十人余りにまで膨れ上がっているので、広場はたいそうな賑わいであった。


 ラウ=レイの母親と姉たちは幼子の待つ母屋に引っ込んでおり、俺はルド=ルウやシン・ルウ=シンと立ち話に興じている。話題にあがるのは、もっぱら日中のお披露目会についてであった。


「やっぱ、ああやって宿場町で騒ぐのも悪くねーよなー。また誰かの婚儀で、宿場町に繰り出す機会はねーもんかなー」


「ラウ=レイほど宿場町の民と懇意にしている人間は、そう多くないのだろうな。それこそ、ルド=ルウが自分の婚儀で計画すればいいのではないか?」


「婚儀を挙げるのは、シン・ルウのほうが先だろー? シン・ルウとララだったら知り合いも多いし、うってつけじゃん」


「俺とて、先の予定はわからない。ラウ=レイほど、ベンたちと絆を深めているわけではないしな」


「あー、シン・ルウたちはどっちかっていうと、城下町なのかもなー。じゃ、アスタとアイ=ファだ。お前らも、とっとと婚儀を挙げちまえよー」


「あはは。それはちょっと繊細な話題だから、アイ=ファの前で口にしないでくれよ?」


 日中の余韻と広場に満ちた熱気の影響で、俺たちは普段よりもいっそう口数が多くなっていた。やはり、大切な友であるラウ=レイの婚儀ともなれば、昂揚してしまうのだ。どんどん沈着さが増していくシン・ルウ=シンも切れ長の目には喜びの感情が渦巻いており、それがまた俺の昂揚に拍車を掛けてくれた。


 そしてそこに、新たな面々が到着する。

 集落の外に荷車を置いて、トトスの手綱を手に現れたのは、ドムの一行だ。家長のディック=ドム、伴侶のモルン・ルティム=ドム、家長の妹レム=ドム、分家の家人ディガ=ドム、氏なき家人ドッド、そして屋台を手伝っている分家の若い女衆という六名連れだ。広場の面々が歓声で出迎える中、ルド=ルウが「おーい」と手を振った。


「こっちだ、こっち。トトスはこの家にお願いするぜー。この家は、ひとまずトトス用の家になっちまったからなー」


 ルド=ルウが指し示すのは、シンの集落に移り住んだために空き家となった家のひとつだ。ルウにはトトスも猟犬もどっさりいるので、まずはこちらの家がトトス小屋として使用されることになったのだった。


「あら、見慣れた顔がそろってるわね。ちょっとひさびさな気がするけど、みんな元気そうで何よりだわ」


 まずはレム=ドムが、不敵な笑顔を向けてくる。レム=ドムも元気そのもので、色香と逞しさが同居する肢体にも活力があふれかえっていた。


「最後に会ったのは、《青き翼》の人たちをお招きした日か。あの日はあんまり、レム=ドムと言葉を交わす時間がなかったからなぁ。雨季ぐらいまでは、城下町の祝宴でご一緒する機会も多かったのにね」


「東の王家がらみの話では、わたしもしょっちゅう引っ張り出されていたからね。ま、わたしは森にこもっているほうがお似合いよ」


 などと言いながら、レム=ドムは今でも時おり剣技の指南役として城下町に招かれているらしい。そちらの一件は北の集落の狩人が持ち回りで受け持っているそうであるが、責任者のロギンがレム=ドムの来訪を熱望しているがためである。


「あの日は、アスタにも世話をかけちまったな。おかげさんで、俺たちも気が晴れたよ」


 と、トトスを家に片付けたのち、ドッドが俺に笑いかけてくる。その隣では、ディガ=ドムも穏やかな表情を見せていた。


「いえいえ。俺はただの見届け人ですからね。すべては、ギーズの厚意ですし……あとは、ギーズの心を動かしたズーロ=スンのおかげです」


「へへ。なんもかんも失ってからようやく真っ当な心持ちを取り戻すなんざ、俺たちも同様だからな。やっぱり俺とディガ=ドムは、ひときわズーロ=スンの血を濃く受け継いでるんだろうよ」


 やはりギーズからズーロ=スンの逸話を聞いたあの夜の出来事は、ドッドたちに大きな影響を与えたのだろう。もうずいぶんな昔日から真っ当な人間らしさを取り戻していたドッドとディガ=ドムは、いっそう澄みわたった眼差しになっていた。


「それで今度は、ヤミル=レイの婚儀だものね。あなたたちは、めでたい話続きじゃないのさ」


 レム=ドムが皮肉っぽい笑顔を向けると、ディガ=ドムは「まあな」と首をすくめた。


「それでもまあ、俺たちは血の縁を絶たれた身だから……今日はドムの家人として、きちんと身をつつしんでおくよ」


「ふふん。ミダ・ルウ=シンに見つかったら、とうてい身をつつしんではいられないでしょうけれどね。……あら」


 と、レム=ドムが鋭い目を驚嘆に見開く。その視線を辿った俺は、胸を高鳴らせることになった。


「やあ、アイ=ファ。ちょうど今、ドムの方々をお迎えしたところだったんだよ」


「うむ、そのようだな」


 粛然とうなずくアイ=ファは、美麗なる宴衣装の姿である。アイ=ファは婚儀の祝宴においては宴衣装を纏うものと決めているのだ。その腕にまとわりついたリミ=ルウともども、目の覚めるような華やかさであった。


「そうか、アイ=ファは宴衣装だったのね。同じ女狩人としては、ちょっぴり寂しい気もするけれど……まあ、その美しさに免じて、許してあげるわ」


「べつだん、お前に許しをもらういわれはないがな」


 アイ=ファは凛然たる面持ちで、他なる面々を見回した。


「誰もが《青き翼》を集落に招いた夜以来か。……いや、そちらの女衆は何度かファの家で出くわしていたな」


 それは、屋台の手伝いをしている分家の女衆についてである。

 こちらの女衆も、目つきの鋭さや堂々たる物腰はレム=ドムに負けていなかったが――現在は、すっかり目を白黒させていた。


「ファ、ファの家長は……実にご立派な姿ですね」


「うむ。そちらは、宴衣装を纏っていないのだな」


「は、はい。本日はルティムの血族として参じましたが、とりあえずは身をつつしむべきかと考えましたので……」


「そうか。まあ、それは氏族それぞれの習わしに従えばよかろう」


 アイ=ファはいつも通りの凛然たるたたずまいであるが、それがまたアイ=ファならではの魅力を完成させている。結果、分家の女衆は頬を染めながらうつむくことになった。


「まったく、アイ=ファは男女問わずに魅了してしまうのだから、罪深いわよね。そんなアイ=ファの心を射止めたアスタは、果報者だわ」


「余計な口はつつしむがいい。そろそろ儀式が始められるようだぞ」


 アイ=ファの視線を追うと、まだ火が灯されていない薪の山の前にドンダ=ルウが進み出ていた。


「それでは婚儀の祝宴を行うにあたって、この夜の客人を紹介する。ドムとファの者たちは、ここに」


 今日は客人も少人数であるためか、きっちり紹介されるようである。ちょうど一ヶ所に寄り集まっていた俺たちは、人垣をかきわけてドンダ=ルウのもとに参じることになった。


 しかし、この中で馴染みが薄いのは、ドム分家の女衆ぐらいであろう。広場に集まった人々は懸命に口をつぐみつつ、祝宴の開始を待ちきれない様子で熱意をあらわにしていた。


「……以上。この八名が、今日の客人である。ファの両名は婚儀を挙げる両名の親しき友として、ドムの六名はルティムの血族として招くことになった。各々、節度をもってレイ家の両名を祝福してもらいたい」


 ドンダ=ルウのそんな言葉を最後に、俺たちは人垣の内に舞い戻る。しかし、ことさら奥に引っ込む理由はなかったので、間近から新郎新婦の入場を見届けられる位置取りであった。


 いよいよ、婚儀の祝宴が開始されるのだ。

 俺は心臓を高鳴らせながら、その瞬間を待ち受けることになった。

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― 新着の感想 ―
ミダの話し方は、ずっと語尾に?が付いたままなのかな? おそらく最後の文字が上がる感じの喋り方なんだろうけど。 育ち方的にしょうがないとは言え、未だに自分の言葉に自信の無さというか、他人的な話し方に聞こ…
>今ごろは、またファとフォウとラッツで明日のための下ごしらえが進められていることだろう。 ファの氏族のかまど番はアスタしか居ないから、『ファのかまど小屋でフォウとラッツによって明日のための下ごしらえ…
「今ごろは、またファとフォウとラッツで明日のための下ごしらえが進められていることだろう。なおかつ明日は城下町の屋台も営業日であるし、ルウ家は前日の下ごしらえが行えないために料理の数を絞ることになる。そ…
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