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異世界料理道  作者: EDA
第九十七章 朱と緑の契り
1662/1695

レイの婚儀③~絆~

2025.9/4 更新分 1/1

「いやぁ、すっかり盛り上がってるみたいだね!」


 そんな声を投げかけてきたのは、野菜売りたるドーラの親父さんであった。

 そのかたわらでは、愛娘のターラがにこにこと笑っている。そして彼女は、その手に可愛らしい花束を携えていた。


「こっちもやっと、仕事を切り上げられたんだよ! 肝心の二人は……ああ、あそこか」


「はい。ラウ=レイが祝宴にお招きしたいと言っていたのは十数名という話でしたけど、それ以上の人たちが祝ってくれているみたいです」


 また、建築屋や《銀の壺》の面々も居揃っているので、それだけでも大層な人数であるのだ。ラウ=レイたちは広場の中央に移動して、大いに盛り上がっているさなかであった。


「俺たちは、先に腹を満たしておこうかな。下りの三の刻まで居座るってんなら、何も慌てる必要はないもんな」


「はい。うかうかしていると、料理が売り切れてしまうかもしれませんしね」


 時刻はすでに、下りの一の刻が近づいているのだ。本日の営業も、残すは一刻ていどであった。


「あ、テリア=マスおねーちゃんだ! おーい、こっちだよー!」


 ターラがぶんぶんと手を振ると、テリア=マスもこちらに近づいてきた。もちろん彼女も宿屋の仕事を一段落させたのち、合流する手はずであったのだ。


「みなさん、お疲れ様です。こちらでは、果実酒までふるまわれているのですか?」


「はい。ティカトラスが勝手に持ち込んだみたいで、衛兵の方々は渋いお顔をされていたようです」


「そうですか。あの御方もレイ家の方々とは懇意にされているというお話でしたものね」


 テリア=マスは驚いた様子ももなく、にこりと微笑む。

 テリア=マスはレイ家の両名とも特別な交流はないはずであるが、それでも古くからルウ家の祝宴に招待されていた身だ。また、レビとラウ=レイの間に生じたあれやこれやも、婚儀の際に打ち明けられていた。


「こっちはまだ、ラウ=レイたちに挨拶もできてないんだよ。よかったら、テリアは先に行ってきな」


「いえ。わたしだけでは話が続きませんので、レビとご一緒させてください」


 レビとテリア=マスはそんな風に語らいながら、微笑みを交わす。慕わしい相手ばかりが集結して、俺としては胸が温かくなるいっぽうであった。


「ラウ=レイたちには屋台の料理を無料でふるまう約束をしていますので、営業中に一回は来るはずですよ。よければ、テリア=マスもこちらでお待ちください」


「ありがとうございます。わたしも、皿洗いか何かを手伝いましょうか?」


「いえいえ。あちらも人手は足りているようですので、お気遣いは無用です」


 レイ=マトゥアたちの働きっぷりは目視できないが、こちらには過不足なく洗われた食器が届けられている。屋台もそれなり以上の賑わいを見せていたが、問題なく仕事を果たせているようであった。


「それにしても、復活祭みたいな賑わいだねぇ。それだけレイのお二人が人気者ってことなのかな?」


 俺から買いつけた『ギバの揚げ焼き』を立ち食いでやっつけながら、親父さんがそのように問うてくる。


「そうですね。あとはこの場で二人の姿に感銘を受けた人も多いみたいです。それぐらい、二人は立派な姿でしたからね」


「ああ、森辺でもひときわの美男美女だもんなぁ。二人の姿を間近から拝むのが楽しみだよ」


 ここからでは、二人の姿も人垣に隠されてしまっているのだ。俺もまた、気持ちは親父さんとひとつであった。


「お、見慣れた顔が居揃ってるね」


 と、建築屋の一部の面々が舞い戻ってきた。声をあげたのはアルダスで、おやっさんと三名ていどのお仲間が同行しており、メイトンの姿はなかった。


「レイのお二人はしばらく動けそうにないから、俺たちは順番で引っ込むことにしたんだよ。さあて、お次は何をいただこうかな」


「今日はアスタたちだけで、こんなに屋台を出してくれたんだもんな。ありがたい限りだぜ」


 建築屋の面々は、誰もが幸せそうな笑顔だ。きっとラウ=レイたちの幸せな心地が伝播したのだろう。本当に、この場で婚儀の祝宴が行われているかのようであった。


 そしてこの頃には森辺の民の数もずいぶん増えていたので、なおさらである。ラッツやスンの家長にラヴィッツやガズの長兄など、見慣れた顔も盛りだくさんであった。


「あっ! いま、ルド=ルウの声がしたよ! ルド=ルウも、一緒なの?」


 ターラが弾んだ声をあげたので、俺は「うん」と笑顔でうなずいた。


「今日はルド=ルウも狩人の仕事を休んだみたいだね。ラウ=レイとは年も近いし、仲もいいだろうからさ」


「そっか。リミ=ルウに会えないのは残念だけど、ルド=ルウに会えるなら嬉しいな」


 と、白い花束で口もとを隠しつつ、ターラはにこりと笑った。ターラもすでに十一歳であるので、格段に女の子めいてきたようだ。


「……こうして町の者たちと語らっていると、ますます復活祭に身を置いているような気分になってくるな」


 バランのおやっさんがぽつりとつぶやくと、ドーラの親父さんが「まったくだね!」と陽気に応じた。


「森辺のみんなもたくさんいるから、なおさらだね。これからも機会があったら、ぜひ広場で婚儀のお披露目ってのをしてもらいたいもんだよ」


「そうそう。アスタたちの婚儀だったら、ネルウィアからでも駆けつけたいぐらいだぜ」


 アルダスに陽気な笑顔を向けられて、俺も「あはは」と笑うことになった。俺も存分に幸福な気分であったため、羞恥心にとらわれずに済んだようである。


「でも、カミュアのおじちゃんとレイトはお祝いに来られなくて、残念だったね」


 トゥール=ディンの屋台から買いつけた『アロウまん』をもにゅもにゅと頬張りながら、ターラはそう言った。カミュア=ヨシュたち《守護人》の一行はジェノスを出たきり音沙汰がなく、《青き翼》とも交流を結ぶことがかなわなかったのだ。


「まあ、カミュアたちはジェノスにいない時期のほうが長いぐらいだからね。いつかジェノスに戻ってきたら、髪を短くしたヤミル=レイの姿にびっくりするんじゃないかな」


「ああ、森辺では婚儀を挙げたら髪を切っちまうんだっけ。ちょいと惜しい気はするけど、別嬪なことに変わりはねえよな」


「ああ。ヴィナ・ルウ=リリンだって、むしろ色っぽさが増したぐらいだもんな」


「幼い子供もいるのだから、少しは口をつつしまんか」


 と、おやっさんが若い団員の肩を小突いたとき――ついに、賑わいの中心がこちらに移動してきた。

 そうと察したおやっさんたちは場所を空け、親父さんやターラは瞳を輝かせる。そしてまずは、先頭を歩いていたダン=ルティムが「おお!」と声を張り上げた。


「ドーラたちも来ておったのか! 遠慮せずに、声をかければよかろうに!」


「若い人らに、順番を譲ったんだよ。時間はまだまだ、たっぷりあるんだろうからさ」


「うむ! それでは、思うさま祝福してやるがいいぞ!」


 ダン=ルティムはガハハと笑いながら、巨体を横にした。

 その向こう側から、光り輝くような新郎と新婦が近づいてくる。俺は万感の思いを抱きながら、「やあ」と笑顔で出迎えた。


「待ってたよ。二人とも、今日はおめでとうございます」


「うむ。すっかり挨拶が遅れてしまったな」


 この段に至っても、ラウ=レイは落ち着いた面持ちであった。

 髪を垂らしているためか、まるで別人であるかのようだ。ただやはり、強く明るく輝く水色の瞳だけは、ラウ=レイらしい力強さであった。


 そしてヤミル=レイは、ひたすら静謐な面持ちである。これだけ間近から向かい合っても、玉虫色のきらめきがヤミル=レイの内心を押し隠していた。


「実のところ、腹が空いているかどうかも判然としないのだ。しかし、儀式のさなかに腹が鳴っては一大事なので、アスタの料理を腹に収めたく思うぞ」


「うん。それに、レビたちのラーメンもね」


 俺の言葉で、ラウ=レイは隣の屋台に視線を移動させる。

 そちらでは、レビとラーズとテリア=マスが微笑んでいた。


「ラウ=レイ、ヤミル=レイ、おめでとう。二人とも、本当に見違えたよ」


「おめでとうございます。お二人の婚儀を見届けることができて、わたしも胸がいっぱいです」


「その節は、うちのボンクラがお世話になりやした。本当に、ご立派なお姿でさあね」


 ラウ=レイは「うむ」と白い歯をこぼした。

 すると、反対の側から親父さんとターラも進み出る。


「今日は本当にめでたいな。わざわざ宿場町まで来てくれて、感謝しているよ」


「おめでとー! あのね、お祝いの花を準備してきたの」


 ターラがおずおずと白い花束を差し出すと、ヤミル=レイはゆったりと小首を傾げてから手をのばした。


「そう……血族ならぬ相手から祝いの品を受け取るいわれはないのだけれど、ティカトラスからの品も受け取ることになってしまったのだから、無下に断るわけにはいかないでしょうね」


 口を開けば、いつも通りのクールなヤミル=レイである。

 だけどやっぱり玉虫色のヴェールによって眼光の鋭さが緩和されると、とても穏やかな雰囲気である。ターラはヤミル=レイの美しさにうっとりと目を細めながら花束を受け渡した。


 しなやかな指先で花束を受け取ったヤミル=レイは、それを胸もとにそっと押し抱く。そんな姿も、たおやかな花嫁そのものであった。


「ティカトラスの品というのは、これのことだ。あとでジザ=ルウあたりに文句を言われなければいいのだがな」


 と、ラウ=レイが自分の肩口を指し示す。右肩を覆ったギバの頭部の毛皮の下に、銀色の飾り物が輝いていた。宝石の類いは見当たらず、銀の盤に三日月の彫刻が施されているのだ。直径四センチていどのささやかなサイズであったが、いかにも立派な品であった。


 そして、ヤミル=レイの胸もとにも同じものが飾られている。両者で共通しているのは、頭の草冠とその飾り物だけであったが――それでももはや、運命で約束された似合いの二人であるように思えてならなかった。


「それじゃーさっさと、メシにしようぜー。俺たちは、ちゃんと銅貨を払うからよ」


 と、二人の背後からルド=ルウがにゅっと首をのばしてくる。ドーラの親父さんと旧交を温めていたダン=ルティムも「そうだそうだ!」と元気に同意した。


「ラウ=レイとヤミル=レイには無料でふるまうけど、ルド=ルウたちも屋台の料理を買ってくれるのかい?」


「あー。レイナ姉たちはそれどころじゃなかったから、メシの準備も頼めなかったんだよ。こんな美味そうな匂いを嗅がされて、干し肉をかじる気にはなれねーからなー」


「うむ! 屋台の料理を食い尽くしてしまわないように、腹半分でおさめるとしよう!」


 というわけで、まずは森辺の面々に料理を供することになった。

 その間も、ラウ=レイとヤミル=レイは俺の屋台の前にたたずんでいる。新しい『ギバの揚げ焼き』に取りかかりながら、俺はもういっぺん笑顔を届けた。


「夜には立派な宴料理が待ってるからね。無理をせずに、軽く食べておくといいよ」


「うむ。アスタも、何かしら準備してくれるのだろう? そちらも、楽しみなことだ」


「あはは。ラウ=レイは、まだちょっと夢見心地みたいだね」


「うむ。これはまさしく、夢見心地というやつなのであろうな。婚儀の衣装を纏ったヤミルの姿を目にしてから、ずっと足の裏が浮いているような気分であるのだ」


 ラウ=レイは彼らしい無邪気な笑顔で、ヤミル=レイのほうを振り返る。

 ヤミル=レイは普段のようにそっぽを向いたりしない代わりに、正面を向いたまま視線を合わせようとしなかった。


 どちらも緊張している様子ではないし、あからさまに浮かれているわけでもない。ただ、ふわふわとしたやわらかい雰囲気だ。これまで数多く森辺の婚儀を見届けてきた俺であるが、これもまた初めて味わう感覚であった。


(でもまあ、婚儀の本番は夜だしな。確かにこういう時間は、気持ちの置き場所に困っちゃいそうだ)


 そんな風に思案しながら、俺はキツネ色に焼きあげられた『ギバの揚げ焼き』を鉄網の上に移した。

 余分な油が落ちる間に、ラヴィッツの女衆がティノの千切りと焼きフワノを盛りつけていく。そうして『ギバの揚げ焼き』もそちらに移すと、どこからともなく出現したレイの長姉が二枚の皿をかっさらっていった。


「こいつは、銅貨もいらないんだね? さあさ、邪魔にならない場所で腹を満たしなよ」


 レイの長姉に追い立てられて、ラウ=レイとヤミル=レイは荷車のほうに引っ込んでいく。そちらでは、ベンたちが酒杯を交わしていた。


「よし、こっちも仕上がったぞ。悪いけど、テリアが持っていってくれるかい?」


「承知しました。わたしにもっと腕があれば、レビと交代してあげたかったです」


「こっちのことは、気にすんなって。俺の分まで、祝ってあげてくれ」


 ふたつの深皿を携えたテリア=マスも、新たな賑わいの場へと移動していく。

 そしてこちらには、リリンの両名とラダジッドたちがやってきた。


「アスタ、こちらも、お願いします」


「はい。ラダジッドたちも、食事はこれからですもんね。売り切れない内に、お召し上がりください」


 シュミラル=リリンもラダジッドたちも、とても安らいだ眼差しになっている。そして、ギラン=リリンが俺に笑いかけてきた。


「本当に今日は、大層な賑わいだな。ラウ=レイが宿場町で披露したいと言い張っていたのも、納得だ」


「はい。ラウ=レイは明け透けな人柄なので、宿場町の若衆と気が合ったんでしょう。前々から、森辺の祝宴でも仲良くしていましたからね」


「うむ。宿場町でこうまでもてはやされる森辺の民など、ごく限られるのであろうな。……少なくとも、現時点においては」


 そう言って、ギラン=リリンは笑い皺を深めた。

 その後にもディム=ルティムやジィ=マァムがやってきて、『ギバの揚げ焼き』を購入していく。ルド=ルウとダン=ルティムはドーラ家の父娘と別の場所に輪を作って、大いに盛り上がっていた。


 建築屋や《銀の壺》のメンバーも何人かずつに分かれて、それぞれ交流に勤しんでいる。ラウ=レイたちばかりでなく数多くの森辺の民が顔をそろえているため、語る相手には不自由しないのだろう。また、それほど見覚えのない宿場町の面々も、この機会に森辺の民と親睦を深めている様子であった。


 屋台の終業時間までは、残り半刻ていどであろうか。『ギバの揚げ焼き』に関しては、それよりも早く売り切れそうな気配であった。

 そんな中、新たなお客が参上する。これまで姿を見せていなかった、デルスとワッズだ。


「よお、すっかり出遅れちまったよお。料理が売り切れてなくて何よりだったぜえ」


「ふん。わざわざこんな場所まで足をのばしたのだから、文句を抜かすな」


 二人の様子は、昨日と変わらなかった。ワッズは無邪気にはしゃいでおり、デルスは皮肉っぽい態度だ。ラウ=レイたちとそれほど深い関係ではない人間の、これが平均的な姿であるのかもしれなかった。


「今日の主役は、あっちかあ。さすがに、すげえ人気だなあ」


「ふん。挨拶をしたいなら、好きにしろ。俺はその間に、腹を満たさせてもらうぞ」


「俺だって、まずは食うのが先だよお。アスタの料理も、ひとつ頼むよお」


「承知しました。お代は、赤銅貨二枚です」


 俺はまた、新たな肉を鉄鍋に投じる。

 そちらが焼きあがるまで、ちょっと気になっていたことをデルスに尋ねた。


「デルスは最近、お忙しそうですね。ミソを売る商売が好調ということですか?」


「ああ。おかげさんで、注文はかさむいっぽうだ。とっとと畑を広げんと、いずれ追っつかなくなってしまうだろうな」


「コルネリアでも、しょっちゅう買いつけの話が舞い込んでくるもんなあ。ありゃあきっと、食い意地の張った王子様のおかげだよお」


 ダカルマス殿下の開催した試食会の影響が、根強く残されているのだろう。また、ダカルマス殿下自身が大量のミソを買いつけているため、そちらもジャガルにおける評判に拍車を掛けるはずであった。


「まあ、ジェノスで評判になってるのは、アスタたちのおかげなんだろうけどよお。今じゃあどこに出向いたって、ミソの料理を見かけるもんなあ。初っ端にアスタに狙いを定めた、デルスの作戦勝ちってこったあ」


「ふん。俺はそのために、わざわざジェノスまで出向いたのだからな」


 そんな風に応じてから、デルスはどの南の民よりも立派な団子鼻を指先で撫でさすった。


「しかし最近は、いささかならずきな臭い空気を感じる。新たにやってくる外交官というのは、そんなに厄介な存在であるのか?」


「え? デルスの耳にまで、そんな話が伝わっているのですか?」


「俺は城下町にも出入りを許されているからな。貴族に近しい人間ほど、気を張っているように感じられるぞ」


 と、デルスは探るような眼差しを俺に向けてくる。

 しかし、星読みの件に関しては口外法度であるために、俺も言葉を選ばなければならなかった。


「現在の外交官であるフェルメスが友好的であったぶん、心配が募ってしまうようですね。デルスもご存じの通り、最初にやってきた監査官というのはなかなかの騒動を持ち込んでくれましたので」


「そいつらに関しても、俺は風聞で聞くばかりであったがな。商談が片付いていたら、とっととコルネリアに引き返したかったところだ」


「うんうん。シムの王子がやってきたときも、ジェノスは大層な騒ぎだったもんなあ。今度は穏便に済んでほしいもんだぜえ」


 ワッズがそんな相槌を打ったとき、別なる人影が近づいてきた。これまで姿を見せていなかった、ガズラン=ルティムである。


「ああ、あんたも来てたのかあ。どうもお疲れさあん」


「はい。デルスとワッズも来てくださったのですね。ご足労、ありがとうございます」


 きっとガズラン=ルティムは送別の祝宴でも、こちらの両名に挨拶をしていたのだろう。おたがいに気安い態度であった。


「お前さんにも、念を押しておくか。くれぐれも、新しい外交官とやらと悶着を起こさぬようにな」


「はい。我々は、誠心をもって対応するつもりです。ジェノスの領主たるマルスタインも油断なく控えているはずですので、きっと心配はいらないでしょう」


 そのように語るガズラン=ルティムは、やっぱり如才がない。デルスはようやく得心がいった様子で、大きな鼻から指先を離した。


「ジェノスの連中は、厄介ごとにも慣れっこというか。こちらとしては頼もしい限りだが、本人たちは苦労がかさむばかりだな」


「苦労がなければ、安楽もありません。今日のような安楽なる日を迎えるためにも、力を尽くして苦労を乗り越える他ないでしょう」


「ふん。お行儀のいいことだ」


 と、デルスが皮肉っぽく笑ったところで、『ギバの揚げ焼き』が仕上がった。

 デルスとワッズは木皿を手に、別の屋台へと移動していく。それを見送りながら、ガズラン=ルティムが小声で問うてきた。


「デルスは何か、新しい外交官に懸念を覚えているのでしょうか?」


「城下町で、不穏な空気を感じ取ったみたいです。特に具体的な話ではないようですけれどね」


「そうですか。どれだけ押し隠そうとも、やはり気配だけは隠せないのでしょう。デルスのように鋭い目を持っていれば、それを見逃すわけがありません」


 やはりガズラン=ルティムも、デルスには高い評価をつけているようである。あくまで商売人としてであるが、デルスというのは大層な切れ者であるのだ。


「でも今日は、ラウ=レイとヤミル=レイのお祝いですからね。明日のことは、明日悩みましょう」


 俺が笑顔を届けると、ガズラン=ルティムも「そうですね」と微笑んでくれた。


「アスタたちのおかげで、広場もこれほどの賑わいを見せています。あらためて、ありがとうございました」


「いえいえ、とんでもない。これも、二人の人徳ですよ」


「ええ。二人はそれぞれ異なる形で、人をひきつける力を持っていますからね。だからこそ、宿場町の民からもこれだけの祝福を授かることになったのでしょう」


 ガズラン=ルティムはとても安らいだ眼差しで、賑わう広場を見回した。

 果実酒のふるまいの効果もあって、広場の賑わいは増すいっぽうだ。しかし今のところは衛兵の手をわずらわせるような事態にも至っていないし、きわめて好ましい騒がしさであった。


「リーハイムたちも、とても満足げでした。この場に遠慮なく入り込めるティカトラスのことを、ずいぶん羨んでいましたよ」


「ああ、ガズラン=ルティムはリーハイムのところにいたのですか。どうりでお姿を見かけなかったわけです」


「ええ。あちらの車には、リフレイアやアラウトたちもご一緒しています。どなたも深く感じ入っている様子でしたし……私も、それは同様です。これはラウ=レイたちの人柄あってのことなのでしょうが、森辺の民がこうまで宿場町の民と絆を深められたことを心から得難く思っています」


 そう言って、ガズラン=ルティムはとても優しい眼差しを俺に向けてきた。


「それもすべては、アスタが最初の架け橋となってくれたおかげですね。アスタの存在を、あらためて祝福いたします」


「あはは。いつも言っていますけれど、俺なんて最初のきっかけに過ぎませんよ。森辺のみんなが頑張ってきたからこそ、今があるんです」


「はい。ですがそれも、アスタの存在があってこそです。この生活を守るためにも、明日からも力を尽くしましょう」


 やはりガズラン=ルティムも、明日やってくる外交官のことを完全に頭から追い払うことはできないようだ。

 しかしそれでも、決して今この瞬間を二の次にしているわけではない。今日も明日もひとつながりであるから、どちらもおろそかにすることはできないのだ。


(こんなに頼もしいガズラン=ルティムもいてくれるんだから、新しい外交官がどんな堅物でも心配はいらないさ)


 俺がそんな感慨を噛みしめたとき、新たな一団が小走りで駆けつけてきた。

 誰かと思えば、ロイ、シリィ=ロウ、ボズルのトリオである。ロイはガズラン=ルティムのかたわらに立つと、「やれやれ」と額の汗をぬぐった。


「なんとかかんとか、間に合ったみたいだな。これで屋台の料理を食いっぱぐれていたら、笑えなかったぜ」


「それでも……こんなに走ったら……料理も口にできません……」


 と、シリィ=ロウは息も切れ切れである。

 そして最後に、ボズルが大らかな笑顔で発言した。


「こちらは新たな食材の研究にかかりきりで、なかなか抜け出すことがかなわなかったのです。慌ただしくて、申し訳ありませんな」


「いえいえ。ボズルまで、わざわざいらしてくれたのですね」


「ええ。ユーミ=ラン殿の婚儀では時間が作れませんでしたので、今日だけは何としてでも参じようと考えていたのです」


 こちらの三名も、ラウ=レイたちと特別に関わりが深いわけではないのだろう。しかし彼らも古きの時代からルウの祝宴に招待されていたし、城下町の祝宴で顔をあわせる機会はユーミ=ランたちよりも多いはずであった。


「どうもありがとうございます。お食事が済んだら、どうかラウ=レイたちに声をかけてあげてください」


「ああ。向こうにしてみりゃ、誰だお前らって感じかもしれねえけどな」


 ロイはデルスと同様の皮肉っぽい態度であったが、それでもわざわざ城下町から駆けつけてくれたのだ。宿場町の出入り口に位置するいつものスペースに比べると、こちらの広場にまで出向くのはずいぶんな手間であるはずであった。


 それもまた、ラウ=レイとヤミル=レイの人徳であり――そして、森辺の民が町の人々と絆を深めてきた証であるのだろう。

 三年ばかりの歳月をかけて、俺たちはそれだけのご縁を紡ぐことができたのだ。そのように考えると、今のこの賑わいもいっそう得難く思えてならなかった。

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