レイの婚儀②~来場~
2025.9/3 更新分 1/1
「……中天が近づくにつれて、ずいぶんお客が増えてきたのではないでしょうか?」
同じ屋台で働くナハムの女衆が、作業の合間にそんな声を投げかけてきた。
彼女が言う通り、時間が進むにつれて客足はじわじわとのびている。そして、広場の賑わいも刻一刻と高まっていた。
それに、屋台の料理を買うことはないが、森辺の民もけっこうな人数が参じているのだ。それだけで、太陽神の復活祭を思い出させる熱気であった。
「やあ、アスタ! レイのお二人は、また来ていないみたいだな!」
そんな折に、馴染み深い声が響きわたる。わらわらと屋台に近づいてきたのは、建築屋の面々に他ならなかった。
「なんとか仕事を切り詰めて、下りの二の刻までは居残れるようになったんだよ! あのお二人は、しっかり祝ってやらないといけないからな!」
「ああ! これでジャガルに帰る日が遅れることになったって、それはそれでしかたねえさ!」
「……滞在の日取りがのびれば、宿賃がかさむ。婚儀の祝儀としては、ずいぶんな大盤振る舞いだな」
バランのおやっさんはひとり仏頂面であるが、その目もとだけは和んでいる。森辺の民との交流にもっとも意欲的であったのはおやっさんであるのだから、ラウ=レイたちとは誰よりも確かな絆を結んでいるはずであった。
「さてさて。今の内に腹を満たしておくか、それとも二人と一緒に騒ぎながら腹を満たすべきか、少しばかり迷っちまうな」
「そうだなぁ。ここで食事を始めたら、その間に到着しちまうかもしれねえしな」
メイトンたちがやいやい騒いでいるので、俺もひとこと告げておくことにした。
「どうせ今日は座席もありませんし、ひと品ずつ食べながら待ってみてはどうでしょう? それなら、ラウ=レイたちがいつ到着しても一緒に騒げるでしょうしね」
「言われてみたら、確かにな! それじゃあ今日は、それぞれ好き勝手に料理を楽しませてもらおう!」
ということで、建築屋の面々はそれぞれ屋台に並び始める。
そこに今度は、《銀の壺》の一行も到着した。
「どうも、お疲れ様です。ラウ=レイたちも、もうすぐやってくるはずですよ」
「はい。料理、その後、食したい、思います」
すると、俺の屋台で『ギバの揚げ焼き』が仕上がるのを待っていたおやっさんが「ふん」と鼻を鳴らした。
「そちらはずいぶん、ゆとりがありそうだな。さては、仕事を切り詰めたのか?」
「はい。下りの三の刻まで、時間、確保しました」
「ふん。そうまで融通がきくとは、ずいぶん気楽な商売であるのだな」
おやっさんは肩をすくめて、ラダジッドは頭を垂れる。
しかし、二人が自然に言葉を交わしているだけで、俺にとっては嬉しい限りであったし――どちらもラウ=レイたちのために時間を空けてくれたとあっては、なおさらであった。
(やっぱりみんな、今日のことを楽しみにしてくれていたんだな)
俺がそんな感慨を噛みしめたとき、広場が大きくどよめいた。
ついにラウ=レイたちが到着したのかと思いきや、広場に踏み入ってきたのは二頭引きの立派なトトス車である。その側面には、サトゥラス伯爵家の紋章が掲げられていた。
「なんだ、貴族様までご登場か」
「はい。ユーミ=ランの婚儀のときには、もっとたくさんの車が来ていましたよ。安全上の問題から、姿は見せていませんでしたけれどね」
きっとあちらのトトス車には、リーハイムやセランジュあたりが控えているのだろう。市井の人々に入り混じって祝福することは難しくとも、せめて陰から見守ろうという思いであるのだ。今さらながら、貴族の身で好き勝手に行動しているティカトラスというのは規格外の存在であった。
四名の武官に守られたトトス車は、広場の奥まった位置に腰を落ち着ける。
そしてやっぱり貴族が降車することはなかったので、広場の人々もすみやかに関心を失ったようであった。
そしてその間も、屋台はどんどん混雑の度合いが増している。
これはもう、通常通りのラッシュと言ってもいいぐらいの勢いであろう。やはり多くの人々が、ラウ=レイたちのやってくる中天を目処にして集まったようであった。
(これなら、お披露目の場も寂しくならないな。料理が売れ残る心配もなさそうだし、何よりだ)
そして――再び、広場がどよめいた。
今度こそ、幌を張った森辺の荷車が踏み入ってきたのだ。なおかつ、トトスの手綱を握っているのはルド=ルウに他ならなかった。
さらに二台の荷車が続き、そちらの手綱を握っているのはシン・ルウ=シンとシュミラル=リリンだ。本日は、半数ぐらいの狩人が仕事を休んで見届けの役を果たすのだという話であった。
そして合計三台の荷車は、真っ直ぐ屋台のほうに近づいてくる。
あちらもまた、俺たちと同じスペースに荷車を駐車させる手はずであったのだ。屋台に並んでいたお客の何割かが、歓声や口笛で三台の荷車を歓迎した。
そうして三台の荷車が停車すると、まずはその内の二台から五名ずつの人間が現れる。
かまど番はのきなみ祝宴の準備に駆り出されているため、全員が男衆だ。ガズラン=ルティム、ダン=ルティム、ディム=ルティム、ギラン=リリン、ジィ=マァムと、俺が懇意にしている相手も数多く入り混じっていた。
「お待たせいたしました。これより、本日婚儀を挙げるレイ家の両名をご紹介させていただきます」
そんな宣言をしたのは、ガズラン=ルティムである。
ドンダ=ルウやジザ=ルウの姿はないため、ルド=ルウあたりからこの役目を押しつけられたのだろう。しかし、沈着さと温和さをあわせ持つガズラン=ルティムには、ぴったりの役割であった。
「なお、本日は正式な祝いの場ではなく、あくまで懇意にしている方々に対するお披露目の場となります。レイ家と関わりのない方々には申し訳ありませんが、しばし広場を騒がせることをご容赦ください」
ガズラン=ルティムのそんな言葉にも、好意的な歓声が返される。
そしていつしか、広大な広場には大変な人数が集まっていた。
屋台に並んでいた人々も過半数は身を引いて、ガズラン=ルティムたちの動向を見守っている。
よって、俺たちも最後まで並んでいたお客に料理を手渡した後は、見物に徹することができた。
懇意にしている若衆や建築屋や《銀の壺》の面々は、ガズラン=ルティムたちのたたずむスペースを取り囲んでいる。その隙間から、ティカトラスの派手な装束の色彩がちらちらと覗いていた。
そして屋台のかたわらでは、いつの間にかプラティカたちが顔をそろえている。彼女たちはそこまでラウ=レイたちと親交が厚いわけではないので、見晴らしのいい場所を余人に譲ったのだろうと察せられた。
「それでは、レイ家の両名をご紹介いたします。レイ本家の家長ラウ=レイと、本家の家人ヤミル=レイです」
のんびりたたずんでいたルド=ルウが、荷車の内側に何か呼びかける。
すると、まずはレイ家の他なる家人が登場した。ラウ=レイの一番上の姉と、父方の叔父にあたる人物である。
ラウ=レイには三人の姉があり、それぞれ個性的な人柄をしている。本日やってきた長姉は本家に居残って婿を取った人物であり、猛々しい姉妹の中でもひときわ果断そうな気性をした女衆であった。
そして、叔父にあたる男衆は歴戦の狩人だ。それほど背は高くないがいかにも頑健な体格をしており、赤みがかった髪をざんばらに垂らしている。ラウ=レイにもしものことがあった際には、長姉の婿かこの人物が家長の座を継ぐわけであった。
ただしこちらの両名は、どちらも宿場町にはあまり顔を出していなかったはずだ。
しかし勇猛さで知られるレイの家人であるため、広場に詰め掛けた大勢の人間に怯む様子もない。その目には、むしろ挑むような光が炯々とたたえられていた。
そして――満を持して花婿と花嫁が登場すると、その場には驚嘆の声があふれかえった。
俺もまた、息を呑んだひとりである。十分に覚悟を固めていたつもりであるのに、それを上回る驚きが俺を打ちのめした。
当然のこと、ラウ=レイとヤミル=レイは森辺の婚儀の衣装に身を包んでいる。
まずラウ=レイは右肩にギバの頭部がのせられた、特別仕立ての狩人の衣だ。ザザとジーンを除く森辺の狩人がギバの頭部の毛皮を纏うのは、婚儀の際のみであった。
そして頭には草冠をかぶり、腰には豪奢な装飾が施された大剣をさげている。
特別であるのは、その三点だけだ。着飾る習慣のない森辺の男衆は、婚儀の際でも質実そのものであった。
しかし、普段と異なる狩人の衣と大剣だけで、勇壮な印象が跳ねあがっている。
また、その狩人の衣の下の上半身はほとんど裸身であるため、森辺の狩人として鍛えぬかれた身が惜しげもなくさらされているのだ。それが何より、花婿たる男衆を雄々しく彩るのかもしれなかった。
そしてラウ=レイに限ってはもう一点だけ、普段と異なる点がある。
いつも首の後ろでひっつめている金褐色の髪が、自然に垂らされていたのだ。
ラウ=レイは、そうまで髪が長いわけではない。せいぜい、肩を少し越えるていどの長さである。
しかしその色合いは、陽射しにきらめく金褐色であるし――そしてラウ=レイは俺が知る限り、森辺でもっとも秀麗な顔立ちをした男衆であるのだ。
ルド=ルウやダルム=ルウ、シン・ルウ=シンやジョウ=ランなど、森辺には端整な顔立ちをした男衆も少なくはない。しかし、秀麗という言葉にもっとも相応しいのはラウ=レイであるはずであった。
それはラウ=レイが、中性的な顔立ちをしているためだ。
目鼻立ちは繊細で、どこか優美にすら感じられる。表情や言動があまりに荒々しいために、日常においては優美さを感じる隙もないのだが、十七歳から二十歳に成長した現在でもラウ=レイの中性的な印象はまったく変わっていなかった。
しかし、それでいて、水色の瞳は如何なる狩人よりも強く明るく輝いている。
今は穏やかな表情をしているが、それでも柔和な印象にはならない。優美な面立ちで勇壮な雰囲気というのが、ラウ=レイの持つ強烈な個性に他ならなかった。
長めの髪を肩まで垂らし、鍛えぬかれた上半身をさらしていることで、その両方の印象が強まっている。
美しさと猛々しさをあわせもつラウ=レイは、まるで戦いの神か何かであるかのようであった。
そして、ヤミル=レイである。
きっと数多くの人間は、そちらに目を奪われているのだろう。とてつもない存在感を放つラウ=レイに負けないほど、ヤミル=レイは光り輝いていた。
ヤミル=レイが纏っているのは、玉虫色に輝くヴェールとショールだ。
その下も豪奢な宴衣装であるが、すべては玉虫色の輝きに包まれている。その輝きこそが、森辺の花嫁衣裳の眼目であった。
言うまでもなく、ヤミル=レイも美麗な容姿をしている。俺にとっての別格であるアイ=ファを除けば、ヤミル=レイとヴィナ・ルウ=リリンこそが森辺でもっとも美しい女衆であるのだ。数年後にはクルア=スンが追いつくのではないかという気配を漂わせているが、現時点では迫力が違っていた。
なおかつ、ヤミル=レイとヴィナ・ルウ=リリンは対極的な存在である。いつも眠そうな目つきをしているヴィナ・ルウ=リリンはおっとりとした美神のごとき美しさであり、切れ長の目を鋭く光らせるヤミル=レイは妖艶そのものであるのだ。共通しているのは、その卓越したプロポーションと蠱惑的な色香のみであった。
そしてヤミル=レイもまた、今日は常と異なる姿を見せている。
ヤミル=レイはいつでも髪を細かく編み込んでおり、城下町の祝宴などでも一切ほどこうとしなかったのだ。それはおそらくドレッドヘアーのような構造で、ヤミル=レイは眠るときも水浴びをするときもその髪型を保持しているのだろうと察せられた。
そのヤミル=レイのトレードマークともいうべき特殊が髪がほどかれて、綺麗にくしけずられていたのである。
髪が大きくウェーブしているのは、長年にわたって編み込んでいた影響であろうか。それがまた、常とは異なる豪奢な印象をもたらしていた。
ヤミル=レイの髪は黒褐色をしているため、草冠で固定された玉虫色のヴェールごしにもくっきり浮かびあがっている。それはまるで黒い炎が燃えあがっているような、鮮烈な印象であった。
そして、鋭い眼光はヴェールの効果でぼやけているのか――あるいは、最初から眼差しをやわらげているのか――ヤミル=レイは、普段よりも格段に静謐な印象であった。
「……ラウ=レイ。宿場町の友たちに、挨拶をどうぞ」
ガズラン=ルティムがゆったりとうながすと、ラウ=レイは金褐色の髪をゆらしながら「うむ」とうなずいた。
「今日は俺とヤミルのために集まってもらい、心から嬉しく思っている。たまたまこの場に居合わせた者たちも、よければ祝福してもらいたい。きっとヤミルを見知っている人間は、少なくないのだろうしな」
さしものラウ=レイも、今日ばかりは感慨に胸をふさがれているようである。
しかし、その眼光の力強さに変わりはないし、語り終えた後にはラウ=レイらしい無邪気な笑みをたたえていた。
それで広場には、あらためて歓声が爆発する。
そして、ラウ=レイの友たるベンやカーゴたちが昂揚しきった様子で両名のもとに殺到した。
「ラウ=レイ、ヤミル=レイ、おめでとさん! いやあ、二人とも見違えたな!」
「まったくだよ! ヤミル=レイのほうは覚悟もしてたけど、ラウ=レイまで別人みたいじゃねえか!」
「本当に……本当にご立派な姿で、わたしは胸が詰まってしまいました……」
善良で気の優しいルイアは、涙をこぼしてしまっている。
それらの姿を見回しながら、ラウ=レイはまた白い歯をこぼした。
「俺はいつも通り振る舞っているつもりなのだが、何やら足の裏が地面から浮いているような心地であるのだ。まあ、それだけ幸せということであろうよ」
「こんな別嬪さんを嫁にできりゃあ、当たり前さ! ほら、お前らも挨拶をしてやれよ!」
十数名の若衆が、かわるがわる祝福の言葉を投げつける。
それを傍から見守りながら、レビは「へへ」と鼻をすすった。
「俺なんざ、出る幕はねえな。二人のためにらーめんを作るぐらいしかできそうにねえや」
「うん。俺たちは、あとでじっくりお祝いをさせてもらおうよ」
若衆の集団によって二人の姿が隠されたためか、関係の薄い人々がまた屋台に寄ってきた。しかしそちらも、どこか毒気を抜かれたような面持ちである。
「いやあ、魂消たなあ。俺は《西風亭》の娘っ子の婚儀もちらっと覗かせてもらったんだけど……あのときとも、ずいぶん趣が違ってるじゃねえか」
「あのときは、娘っ子のほうが宿場町の人間だったからな。いや、あいつだってけっこうな別嬪だったけど……今日の娘は、格が違ってるわ」
「余計なお世話だよ!」という威勢のいい声が響きわたり、お客たちの首をすくめさせた。当のユーミ=ランがジョウ=ランを引き連れて、いきなり登場したのだ。
「な、なんだ、お前さんかよ。やっぱりお前さんも、来てたんだな」
「当たり前でしょ。あの二人とは、三年来のつきあいなんだからさ」
町用のショールとヴェールを纏ったユーミ=ランは、いつも通りの朗らかさでにっと笑った。
「で、あたしの格がなんだって? 伴侶の前で、じっくり聞かせてもらおうか」
「あ、いや、そんなつもりじゃ……」
「あはは。冗談だから、青くなる必要はないよ。ヤミル=レイは、それだけの女衆だからね。でも、人をほめるのに別の人間を落とすってのは賢いやり口じゃないから、あらためるこったね」
それだけの言葉をまくしたててから、ユーミ=ランは俺にも笑顔を向けてきた。
「アスタたちも、お疲れ! 家の仕事が、ちょっと立て込んじゃってさ! なんとか、ぎりぎり間に合ったよー!」
「うん、お疲れ様。ヤミル=レイたちに挨拶をしなくていいのかい?」
「そんな慌てなくても、ヤミル=レイたちが逃げるわけじゃないからね。今はあいつらに、順番を譲っておくよ」
これはやはり、婚儀の先達としてのゆとりであるのだろうか。ユーミ=ランとジョウ=ランはにこにこと満足そうに笑いながら、まったく心を乱している様子はなかった。
そして屋台の裏側からは、プラティカたちが近づいてくる。その中で盛大に目を泳がせているのは、カルスであった。
「ど、ど、どうも、お疲れ様です。じ、実にご立派なお姿でしたね」
と、カルスが真っ先に声をあげるのも、常にないことである。彼はいつでも慌てているが、料理以外のことには心を動かすことが少ない人柄であるのだった。
「ええ。俺もしばらくは呆気に取られてしまいました。カルスもずいぶん感じ入っているご様子ですね」
「は、は、はい。あ、あちらのお二人のご立派な姿は、城下町の祝宴でも見慣れているはずなのですが……こ、この場においては、あまりに不似合いというか……」
「はい。不似合いですか?」
「あ、い、いえ、違うんです! け、決して悪い意味ではなく……な、なんだか御伽噺の中にさまよいこんだような心地で……そ、それこそ森の神の婚儀でも目にしまったような気分なんです」
「心情、理解、可能である、思います」
と、プラティカが凛然たる面持ちでそう言った。
「この身、現世、ありながら、神々、婚儀、見届けた、心地です。あの二人、似合う、神殿、あるいは、森なのでしょう。宿場町の広場、不似合い、同意します」
「そうですね。それだけ神々しかったという意味ですので、決して森辺の方々を貶めているわけではないとご理解いただけたら幸いです」
最後は、仏頂面のニコラが締めくくってくれた。
俺は周囲の様子など目に入らなかったので、違和感を覚える間隙もなかったのだ。きっとラウ=レイたちは、雑然とした町並みが不似合いなぐらいに美しかったということなのだろう。
「わ、わたしも心から驚かされてしまいました。やはりレイの家長ともなると、魂の輝きからして異なっているのでしょうね」
と、お客のためにティノの千切りを盛りつけながら、ナハムの女衆はしみじみと息をついた。
やはり多くの人間が、ラウ=レイたちの姿に心を揺さぶられたようだ。それぐらい、二人の姿は光り輝いていたのだった。
「いやぁ、実に美しいね! やっぱり君はわたしが見込んだ通りの麗人だよ、ヤミル=レイ!」
と、広場の賑わいを圧する勢いで、ティカトラスの声が響きわたる。
俺が目をやると、百九十センチの長身であるデギオンの頭部が人垣からにゅっと覗いていた。そのあたりに陣取ったティカトラスが、ヤミル=レイに呼びかけているのだろう。
「あのさぁ、今日ぐらいは口をつつしむべきなんじゃねえの? あんただって、森辺の習わしはわきまえてるんだろ?」
そんな風に応じたのは、おそらくベンだ。ティカトラスは宿場町の商店や裏通りにまで足をのばしているので、もはや宿場町では知らない人間もいない身なのである。
「これほどの美しさを前にしたら、とうてい黙ってはいられないよ! そんなヤミル=レイとラウ=レイに、祝福の品を捧げさせていただきたい!」
「あん? そーゆーもんは必要ねーって、事前に伝えられてるはずだよなー?」
と、ルド=ルウの声も聞こえてくる。ラウ=レイに護衛役は必要なかろうが、いちおう付き添っているのだろう。しかしもちろん、ティカトラスが引っ込むことはなかった。
「だけどわたしはこれまでも、二人にさんざん宴衣装を贈っていたじゃないか! 今日だけ断る理由はないだろう?」
「それはそーかもしれねーけどよー」
「わたしにとってのヤミル=レイというのは、それだけ特別な存在であるのだよ! そして、その伴侶となるラウ=レイもね!」
すると、ラウ=レイの「かまわんぞ」という落ち着いた声も聞こえてきた。
「同胞ならぬ相手から祝福の品を授かるいわれはないが、ここは森辺でなく宿場町だしな。こちらは無理を言って宿場町まで出向いてきたのだから、森辺の習わしばかりを押しつけるべきではなかろう」
「さすがラウ=レイは、話がわかるね! べつだん二人が迷惑がるような品ではないので、安心してくれたまえ!」
そしてその後には、人々のどよめきが伝えられてきた。
「どうだい、よく似合っているじゃないか! それも先日の使節団から買いつけた品であるのだよ!」
「うむ、悪くない。これは、月を模しているのか?」
「そうだよ! 婚儀を司るのは、月神たるエイラであるからね! 今日の君たちに、これほど相応しい品はないはずさ! では、あちらに樽で果実酒を準備したので、みんな好きなだけ飲み干してくれたまえ!」
広場の人々が、あらためて歓声を張り上げる。
そしてそこに、衛兵のマルスが駆けつけてきた。
「あ、あの、ティカトラス殿。そのようなふるまいは、どうかご遠慮を願いたいのですが……」
「大丈夫! ついさっき、リーハイム殿からも了承をいただいているからね! 嘘だと思うなら、ご本人に聞いてみるといい!」
ティカトラスの素っ頓狂な行いが、また一部の人々を惑わせたようである。
しかしこの際は、喜んでいる人間のほうが大半であろう。俺としても、決して文句をつける気持ちにはなれなかった。
そうして広場では、あちこちで酒杯が交わされることになり――俺がレイ家の両名と言葉を交わす前から、いっそうの賑わいに成り果てたのだった。




