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異世界料理道  作者: EDA
第九章 青の終わり
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④交錯

2015.2/22 更新分 1/1 2016.10/1 誤字を修正

 翌朝である。

 俺が荷車に乗って登場すると、ルウの集落にはちょっとした騒ぎと混乱が巻き起こることになってしまった。


 もちろんララ=ルウたちにはあらかじめ通達をお願いしておいたから、心の準備をした上での騒ぎなのだろう。小さな子どもたちなどは歓声をあげているようであるし、驚いてはいるが非難の目は向けられてはいないようなので、よしとする。


 俺は集落の大広場に入る前に手綱を引いてギルルを止め、その後は自分も御者台を下りて、徒歩で進むことにした。


「アスタ、ようこそ。1日で荷車を扱えるようになったのですね」


 と、本家よりは手前の位置に居をかまえているシン=ルウの家から、シーラ=ルウが駆け寄ってくる。


「はい。今日も朝からアイ=ファが特訓につきあってくれたので、何とか最低限は扱えるようになりました。町に下りるまでの細い道も、まあ慌てずにゆっくり進めば問題はないと思います」


 その代償として、今ごろアイ=ファはひとりで薪や香草の採取作業に取り組んでいるはずである。


 申し訳ないと思うことしきりであるが、実のところ、アイ=ファ自身が荷車の運転というものに並々ならぬ関心を寄せていたので、俺はその熱意に引っ張られる格好で早朝から特訓を受けさせられた、というのが実情だ。


 無事に特訓を終え、そろそろルウの集落に向かわねば、という頃合いになったときには、実に渋々といった面持ちで荷車から下りたアイ=ファなのだった。


「これからは毎日俺がみなさんを送り迎えしてさしあげますよ。まずはシーラ=ルウの家の荷物を積んでしまいましょうか。……と言っても、こうして荷車が手に入ったので、もう鉄鍋を借り受ける必要はなくなってしまったのですよね」


 鉄板を購入して以来、俺はタラパのソースを皮袋に入れて持ち運び、宿場町でシーラ=ルウと合流したのち、彼女らが運んできた鉄鍋に中身を移す、という手間を負う羽目になっていたのである。鉄板と鉄鍋の両方をヴィナ=ルウとふたりきりで運ぶことは困難であったので、まあそれは仕方のない処置であっただろう。


 だけどこれなら、ファの家からいくらでも物資を搬出することができる。荷車には、タラパソースの詰まった鉄鍋と、鉄板と、60食分のパテと、90食分の漬け汁に漬かった肉と、60食分の焼いたポイタン――それに、宿屋の料理で使う分の肉と、2キロ分の干し肉がすでに載せられていた。


 あらためて見ると、これだけで相当な荷物である。

 鉄鍋以外は、毎日これをヴィナ=ルウとふたりきりで運んでいたのだ。

 それはそれで体力作りにはもってこいの日課であったが、もうこのような大荷物を抱えて恐怖の吊り橋を渡る必要はないのだと考えると、心の底から嬉しく思えてしまう。


 ともあれ、俺はシーラ=ルウが携えてきた90食分の焼いたポイタンを積んでから、ルウの本家に向かうことにした。


 そこで待ち受けていたのは、リミ=ルウとルウ家のトトス、ルウルウだ。


「うわあ、荷車だ! すごいね、アスタ!」


 ルウルウに乗ったリミ=ルウがとことこと接近してくる。アイ=ファに劣らずトトスに愛着を抱いているこの少女も、朝からトトス乗りの練習に励んでいたようだ。


「すごいすごい! でも、重そうだね! ギルル、おつかれさま!」


 もちろんギルルはとぼけた表情のまま、首を傾げるばかりであった。

ルウルウも、そんなギルルの姿をぼんやり眺めているばかりである。


「やあ、アスタ。ルウの家にようこそ。今日の分の薪はこれだけだよ」


 と、騒ぎを聞きつけて家から出てきたミーア・レイ母さんが朗らかに笑いかけてきた。

 同じく裏手から回ってきたレイナ=ルウとララ=ルウの手によって大量の薪が積み込まれ、準備は万端だ。


「では出発しましょう。みんなも荷車に乗り込んでください」


 レイナ=ルウ、ララ=ルウ、シーラ=ルウの3名は、きゃあきゃあ言いながら荷車に乗り込み始めた。

 それを横目に、俺はミーア・レイ母さんに呼びかける。


「あの、やっぱりヴィナ=ルウの回復にはまだ時間がかかりそうなんですか?」


「そうだね。この荷車とやらで行き来はできたとしても、立ちっぱなしってのはまだ無理さ。最初に伝えた通り、治るのは早くても2日後ぐらいだろうねえ」


「そうですか。それじゃあ、東の民シュミラルの件は――?」


「うん、とりあえずは家に招いて顔を拝もうって話になったよ。あたしと家長でその客人の様子をしっかり見定めて、納得が入ったらヴィナに会わせてやろうってね」


「そうですか。信頼の置ける人物だということは俺が保証しますので、どうぞよろしくお願いします」


 ほっと息をついてから、俺はギルルを広場の出口に誘導した。

 ゴロゴロと荷車も動きだし、中に乗った女衆らもまたきゃあきゃあと騒ぎ始める。


「それじゃあ出発します。ちょっと揺れるので、落ちたり倒れたりしないように気をつけてくださいね」


 俺も御者台に乗り込んで、革鞭でぺしんとギルルの足の付け根を叩いた。

 ギルルは、ひょこひょこと歩き出す。

 これだけの荷物を引かされながら、やはりその軽妙な足取りに変化はないようだ。


 それでも時間に余裕はあったので、俺は速歩ではなく常歩ペースでギルルを歩かせることにした。


 ルウの集落から宿場町までは、人間の足ならば40分から50分、トトスならば常歩でも20分から25分――まあ細い上に曲がりくねっている下り坂を丁寧に進むとしても、せいぜい30分ぐらいであろう。俺が運転を失敗しない限り、普段よりもうんと早く到着することができるはずだ。


「アスタ、こうしてわたしたちはアスタの世話になってしまっているのに、仕事の代価はこれまでと同じでよろしいのでしょうか? わたしは何だか気が引けてしまうのですが」


 と、背後からシーラ=ルウが呼びかけてくる。

 御者台と荷台の間に仕切りはないので、少し声を大きくするだけで会話に不自由はない。


「問題ありませんよ。仕事の要は宿場町に到着してからなのですから、その前後のことについてはそこまで深く考える必要はありません」


「そうですか。――しかし、これだと行き来にかかる時間は相当短くなりそうですね。今までよりも早い時間に家まで戻れるようになったら、その分はきちんと薪集めに励みたいと思います」


 シーラ=ルウは真面目だなあ、と俺は微笑をこぼしそうになった。

 が、そこですかさず頭を切り替える。


「ですが、薪は今ぐらい確保していれば十分だと思います。それならば、シーラ=ルウには別の仕事をおまかせできませんか?」


「別の仕事ですか? 何でしょう?」


 ゆるやかなカーブを描く森辺の道を進みつつ、俺はかねてより考えていた案を打ち明ける。


「『ギバ・バーガー』のパテと、タラパのソースを作る作業――あるいは、『ミャームー焼き』の肉の切り出しと、漬け汁を作る作業。そのどちらかをおまかせしたいと思うんですが、どうでしょう?」


 戸惑ったように、シーラ=ルウが沈黙する。

 しかし俺は、答えを急かさず、じっと待つことにした。


「それはでも――わたしがそこまで手を出してしまったら、アスタの手の入る余地がなくなってしまうのではないですか……?」


「はい。実のところは、それが目的なんです。実現させるには時間がかかるかもしれませんけど、俺はいずれ屋台のひとつをルウ家のみで切り盛りしてもらいたいと考えていたんですよ」


 また沈黙。

 ここでは言葉を重ねておくことにした。


「これはけっこう前から考えていたことなんです。自分たちで宿屋の主人と契約をして、料理の下準備をして、味の質を守り、稼ぎの中から食材費や屋台の貸出料なんかを捻出し、商売を成立させる。そういったもろもろの仕事を俺ぬきで成し遂げることができたら、その屋台の売り上げはすべてルウの家の財産、ということですね」


「…………」


「まだドンダ=ルウにも話は通していませんし、急いで話を進めるつもりもありません。でもまずその前段階として、料理の下ごしらえを覚えてほしいなと思ったんですけど――いかがです?」


「ど……どうしてなのでしょう? そのようなことをしても、ファの家の得られる銅貨が減るだけで、アスタには何の利もないように思えてしまうのですが……?」


 シーラ=ルウの声が、頼りなく震えていた。

 ゆるやかな風を頬に感じながら、誰にともなく俺は微笑む。


「そんなことはないですよ。屋台のひとつをルウの家にまかせることができたら、俺の仕事はうんと楽になりますから、そのぶん別の方向に商売の手を伸ばすことができるようになるわけです。……それに向けて、もっと勉強や研究もしたいですしね」


「勉強や、研究……?」


「はい。上手くいけばこの先はもっとたくさんの宿屋に料理を卸せることになるかもしれませんし、そうでなくても、現在の献立も内容を見直していきたいんですよね。『ギバの角煮』は調理時間がかかりすぎますし、チット漬けを使う料理は材料費が高額に過ぎますから」


「はあ……」


「それに、屋台の献立のほうもです。今は『ミャームー焼き』が90食で『ギバ・バーガー』を60食、合計で150食の料理を準備していますけど、毎日『ミャームー焼き』のほうは10食ぐらい余っちゃってるじゃないですか? それなら、『ミャームー焼き』と『ギバ・バーガー』は60食ずつに抑えて、3つめの献立をお披露目してみたらどうだろう、とか考えています」


「え、屋台を3つに増やすのですか?」


「いや、あくまで考えのひとつです。何にせよ、今の状況だと仕込みの仕事も増やせないですからね。本格的に考えるのは、ルウ家に屋台のひとつを任せられるようになった後のことだと思います」


 場所代や、屋台の貸出賃、それに人件費のことまで考えないと、純利益は落ちる一方になってしまう。


 しかしまた、人気を博している現在のメニューはキープしたまま、別のメニューを少しずつ試していきたい、という意欲はあった。


 それで3種類の献立が60食ずつさばけるようになれば、結果的に今までより多くの人たちにギバ肉の料理を食べてもらうことが可能になるし、反面、2つの屋台で150食よりも3つの屋台で180食のほうが、他の屋台の経営者たちと足並みをそろえられるかな? という思いもなくはない。


 何にせよ、俺たちにとってギバ肉の料理を売る目的は、純利益をあげることではなくギバ肉の美味しさを知ってもらうこと、であるのだ。

 これは「いずれギバ肉そのものを買ってもらいたい」という壮大な計画の、いわばプレゼンテーションにあたる行為であるのだから。


「くどいようですけども、性急に話を進めるつもりはありません。まだこの商売を始めて、ようやく1ヶ月が経ったばかりですからね。今は特に世情も不安定ですし、慎重にやっていきたいと思っています。……でも、ルウ家に屋台のひとつを任せる、という計画に関しては、みんなの働きぶりを見る限り、実現は難しくないんじゃないかなとも思っていますよ」


 そうしてルウの家でも独自で商売をすることが可能になれば、万が一この俺の存在がなくなっても、森辺に豊かな生活をもたらすという大志を捨てずに済む――というのが、そもそもこのようなことを考えついた要因のひとつであった。


 だけど人間は、いつ死んでしまうかもわからない。たとえ俺のような身の上でなくったって、それはこの世の真理であるのだから、回せる範囲に手を回しておくのは、決して悪いことではないとも思う。


 それに、それは要因のひとつではあっても、最大の要因であったわけではない。

 1ヶ月ほど前、屋台の商売を開始して5日目あたりに、初めてシーラ=ルウに仕事を手伝ってもらったとき、ごく自然に俺は思ったのだ。シーラ=ルウぐらいの腕前であれば、そのうち屋台のひとつをまかせることは可能になるだろうな、と。


 だから俺は、ひと月ほど胸にためておいた思いをそのまま口に出したに過ぎなかった。


 どうして自分が損をするような道にばかり進もうとするのだ、とミーア・レイ母さんに呆れられたこともある。

 だけど、ファの家の目的は、森辺に豊かさをもたらすことなのだ。

 ファの家に富が集中してしまうのは、家長たるアイ=ファの本意ではない。


 俺にしか務まらない仕事であるならば、いくらでも力を振り絞ろう。

 しかし、俺以外の人間でも果たせる仕事であるならばその座は譲って、俺はその他の仕事に力を注いだほうが効率的だとも思う。


 そして、力を持つ人間は、その力に相応な代価を受け取るべきだとも思うのだ。

 シーラ=ルウには、それを受け取るべき資格があるだろう。


「どうでしょうか? この先の計画については置いておくとしても、まずは下ごしらえの仕事を覚えてもらうだけで、俺はとっても助かるのですが」


「いえ……でも、わたしには……」


「調理の腕前としては問題ないと思います。もともとタラパソースはシーラ=ルウひとりでも作製できる状態にありますし、ハンバーグのパテ作りだって、もともとシーラ=ルウは得意にしていたじゃないですか? もちろんそれでも商売で大事なのは、毎日おなじ味を保つことですからね。それに関しては、俺も手ほどきをしていきたいと思っています」


「…………」


「でも、作業としては『ミャームー焼き』のほうが簡単でしょうかね? 肉の切り分け方さえ覚えれば、後は難しいこともありませんし。……俺としては、手間のかかる『ギバ・バーガー』のほうを受け持ってもらえたほうが助かる、というのが正直なところなのですが」


「大丈夫です! はんばーぐでしたら、わたしも得意にしていますから!」


 と、シーラ=ルウならぬ声が力強く応じてきた。

 半ば予想はしていたが、それはレイナ=ルウの声だった。


「アスタ、ミャームーの料理は、町の人間にあわせて強い味付けにしているのですよね? それならば、ルウの家で引き受けるのははんばーぐのほうが相応しいでしょう。自分たちで理想的と思えないような料理を作るのは、きっと難しいことなのだろうと思いますので」


「ああ、それはそうかもしれないね」


「それに、シーラ=ルウひとりでは、アスタの肩代わりをする覚悟を固めるのは困難だと思います。わたしだって、そのような覚悟を固めることは難しいでしょう。でも、わたしとシーラ=ルウが力を合わせれば――少なくとも、アスタの片腕ぐらいの働きは可能になると思います!」


「それは買いかぶりだね。ふたりが力を合わせたら、俺より美味しい『ギバ・バーガー』を作ることだって可能だと思うよ?」


「……アスタのほうこそ、わたしたちを買いかぶっています」


 そんな風に答えながらも、レイナ=ルウの声は力強いままだった。


「勝手に話を進めてごめんなさい、シーラ=ルウ。でも、わたしはやってみたい――自分の力がどこまで通用するか、試してみたいの。それで成功させることができたら、わたしたちは銅貨だけじゃなく、かまど番としてアスタのような誇りをも手に入れることができるんじゃないかしら?」


「かまど番としての、誇り……」


 シーラ=ルウの声は小さかったが、さきほどのように震えてはいなかった。


 そして、しばらくはガタゴトと荷車の進む音色だけが響き――宿場町へと通ずる細い脇道が見えてきたあたりで、ようやくシーラ=ルウが言った。


「……わたしたちの力が足りない分は、アスタが手ほどきをしてくれるのですよね?」


「はい。もちろんです」


「それならば――わたしも自分の力を試してみたいと思います」


 俺は大いなる満足感を胸に「ありがとうございます」と応じてから、少し歩調を落とすためにギルルの手綱を引き絞った。


              ◇


 宿場町に到着してからも、これといった問題は生じなかった。


 トトスと荷車の管理については、屋台の後ろのスペースに駐めることが許されている。ただ、トトスを繋ぐ場合は雑木林の葉が食べられてしまうので、1日に赤銅貨2枚を追加分で払うことになっていた。


 屋台の場所代は1日に赤銅貨1枚なのに、トトスを繋ぐのにはその倍もかかってしまうのかと少々価格設定に疑問を感じないでもなかったが。そもそも場所代からして格安なのだから、不満に感じるまでは至らない。正規のトトス屋に預ける場合は半日でも赤銅貨3枚が必要になるとのことであったので、こちらのほうがまだしもリーズナブルではあるのだ。


 ともあれ、商売のほうは順調だった。


 朝一番には東と南のお客さんたちが店に並び、その波が引いたあたりで西のお客さんもぽつりぽつりとやってくる。全体の4割ずつが東と南の民で、残りの2割が西の民であるという比率にも、良くも悪くも変化はない。


(もちろん、あれだけの騒ぎがあったにも拘わらずお客さんの数は減らなかったんだから、そこは感謝するしかないんだけど……)


 それでも俺は、若干の手詰まり感を感じていなくもなかった。

 それはやっぱり、西のお客さんに関してだ。


 東や南のお客さんたちは、この1ヶ月でかなり顔ぶれが変わったと思う。《銀の壺》やおやっさんの建築屋みたいに長いスパンでジェノスに逗留する人は、やはりそんなに多くないのだろう。


 しかし、《南の大樹亭》や《玄翁亭》などの宿屋における評判によって、新しくジェノスにやってきた人々が、入れ代わり立ち代わり屋台には訪れてくれている。宿屋に料理を卸すようになってからは、その効能もより顕著になったと思える。


 その反面――西の民のお客さんは、あまり顔ぶれが変わっていない。

 出稼ぎでよその町から訪れている人々も少なくはないとしても、それでもやっぱり定住者のほうが圧倒的多数であるのだろうから、それは当然だ。

 つまり、1日平均で30名ほど訪れてくれている西の民のお客さんは、そのほとんどが1ヶ月来の常連さんたちなのである。


 そもそも、このジェノスの宿場町には、どれぐらいの数の西の民が住んでいるのか。そのようなことは、わからない。いつだったか、アイ=ファは数千人ていどと言っていたように思うが、それだってあやふやな二次情報だ。


 ただ、この街道沿いの賑わいや、西側に広がる居住区の家並みを見ているだけで、1000や2000という数字ではないのだろうな、とは察せられる。

 万の数には至らないとしても、やはり数千人というのが妥当な勘定なのだろう。


 もちろん、宿場町の住人のすべてが、この露店区域で軽食をとっているわけではない。この区域の客層は、あくまで宿場町の宿泊客と、それにこの街道沿いの店で働いている人々のみなのだった。


 では、そのパイの大きさはどれぐらいのものであるのか?

 それは屋台の数とその売り上げから、ざっくり算出できると思う。


 この広々とした露店区域に、軽食の屋台はいくつあるか――たぶん、50は下らないと思う。60か70ぐらいはあるかもしれない。

 で、屋台の売り上げの相場は、1日に20食から50食。中間をとるなら、35食。


 屋台の数を少なめの60店としてみても、35食を掛ければ、来客数は2100人。


 2100人か。

 その内の140人を、ふたつの屋台で集客できているのだから、やはり売り上げとしては我が店も大したものなのだろうと思える。


 だからやっぱり、問題なのは比率だった。

 往来を眺めている限り、そこで1番数の多いのは、やはり西の民なのである。

 最低でも半数以上、6割か7割ていどは西の民であるように見受けられる。

 ということは、少なく見積もっても2100人の内の6割、1260人は西の民である、という勘定になる。


 その中で、我が店にご来店いただけているのは、30名弱。

 割合にしたら、わずか2・4パーセント弱だ。

 今、何の気兼ねもなく屋台を訪れてくれている西の民のお客さんは、けっきょくのところそのていどの割合でしかないのだ。


 反対に、異国人のお客さんのほうを算出してみると。840人の内の、110人ということになった。

 割合にしたら、13パーセント強である。


 東や南のお客さんは、10人のうち1人以上がこの店に来てくれている。

 西のお客さんは、100人のうち2人ぐらいしか来てくれてはいない。


 いかに売り上げが好調であっても、これが我が店の現状なのだった。


 もともと大きな隔絶があった上に、10日ほど前にはあのような騒ぎを起こしてしまった。それでもそれだけの数の人々が、森辺の民を見捨てずに、ギバの料理を食べてくれている。それは寿ぐべきことなのであろうが――次の1歩はどちらに踏み出すべきなのか、俺にはその道筋がなかなか見えてこなかったのだ。


(……って、こんな風に気を回してるから、アイ=ファに焦ってるとか思われちまうのかな)


 と、俺の思索だか妄想だかがいいかげんとりとめのない広がりを見せたあたりで、Tシャツの裾をひかえめに引っ張られた。


「アスタ、大丈夫ですか? お客ですよ?」


 ともに『ギバ・バーガー』の担当をしていたレイナ=ルウが、心配そうに俺の顔を見上げている。


 そちらに笑い返してから、俺は自分の頬を軽く叩いた。


「ごめんごめん。ちょっと考え事をしてたもんで。……失礼しました。いらっしゃいませ」


 しかし、俺の笑顔はそこで引っ込むことになった。

 髭を生やしていない南の民の若者が、仏頂面でそこには立ちはだかっていたのである。


「ああ、どうも。……今日はどういった御用件でしょうか?」


 レイナ=ルウは気づかなかったようであるが、それは昨日のあのラービスとかいう若者であった。


「今日は客として参上しました。昨日はあのような騒ぎになってしまいましたが、料理を売っていただくことは可能ですか?」


 表情は不機嫌そうだが、口調や物腰は慇懃そのものだ。

 俺は視線を左右に動かし、あの小さな乱暴者はいないのかと確認しつつ「もちろんです」と応じてみせる。


「昨日はこちらこそ失礼いたしました。ええと、おひとつでよろしいですか?」


「はい」


「ですが、こちらの料理は昨日のものより少しだけ肉の風味が強く、噛み応えも特殊な感じなのです。以前、南の民のお客様でその風味や噛み応えを嫌がる方も何人かいらっしゃったので、買われる前にご試食をしてみてはいかがでしょう?」


 最近はめっきり試食をねだるお客様も減ってしまったので、こういう際は商売用のパテを犠牲にするしかないのだが、まあ仕方がない。赤銅貨2枚の売り上げより新規の客筋の開拓のほうが重要事であるという点に変化はないのだ。


 しかし、俺の言葉に若者はいっそう不機嫌そうな顔になってしまう。


「そうですか。……そんなにその肉の風味というのは強いのですか?」


「うーん、南のお客様でも平気な方は平気なのですが。それでもやっぱり、どちらかと言えばあちらのミャームーを使った料理のほうが、南のお客様には好評のようですね」


「……どうしましょう?」と、若者は太い首を傾げた。


 いや、どうしましょうと問われましても――と、言いかけて、俺は思わず「うわあ」と驚きの声をあげてしまう。


 南の民らしく図太い若者の身体の陰から、濃淡まだらの褐色の髪と、翡翠みたいに綺麗な色合いをしたグリーンの瞳が、じわりと出現したのである。


「や、やあ、君もいたんだね。あの……昨日は失礼な発言をしてしまい、まことに申し訳ありませんでした」


 俺は頭のタオルを外し、30度ほど頭を下げてみせた。

 南の民の少女ディアルは、髪の毛の一部と左目だけをのぞかせたまま、じーっと俺をにらみつけている。


「どうしますか? 味を確かめることも可能だそうですよ?」


 若者が、首をねじ曲げてそちらを見ようとした。

 とたんに少女は、「馬鹿! 動くなよ! 見えちゃうだろ!」と、わめく。


「いや、あの、すでにちょっぴり見えちゃってるんだから、隠れてる意味はないんじゃないのかな……?」


 小声で俺が指摘すると、わずかに見えている目の周りの白い肌が、たちまち赤くなっていく。


「……怒ってないの?」


「はい?」


「昨日、僕は2発も殴っちゃったのに、アスタは怒ってないの?」


「うん、まあ、礼を失したのはこっちが先だしねえ。それでも暴力の行使は感心できないけど。自業自得の話なんだから、怒ってはいないよ」


 愛想笑いまで浮かべる気持ちにはなれなかったが、俺は穏やかにそう答えることができた。

 それに、怒っていないというのも、事実だ。


「……本当に怒ってない?」


「うん、怒ってないよ」


「……僕はまだ怒ってるけど」


「ああ、うん、本当に悪かったと反省しているよ」


「……まだ僕のことを男の子だとか思ってるの?」


「思ってないよ! 俺は南の民の女の子がジェノスなんかにいるはずはないっていう思い込みにとらわれていただけなんだ。本当に反省してるから、何とか許してもらえないかなあ?」


 ひたすら下手に出たのが功をなしたのか、それでようやく少女は若者の陰から姿を現してくれた。


 やっぱり小さくて、とてもほっそりとしている。目鼻立ちも整っており、きわめて愛くるしい。知ってしまえば、どこからどう見ても女の子だ。どうしてわざわざ「女の子のように可愛らしい男の子」などという脳内変換を行ってしまったのか。人間の心理とは不可解なものである。


 ただまあ言わせてもらうならば、男と間違われたくないのならばもっと女性らしい格好をすればいいのにな、とも思う。

 袖なしの胴衣に筒型のズボン、という格好はかたわらの若者と同一の様式であるし、色合いもシックで実用的だ。


 森辺の民も、西の民も、女性はけっこう女性らしく華やかな装束を纏っているものであるし、露出加減もなかなかのものなのである。


 この少女が女性らしいプロポーションをしているかと問われれば、まあそのナニがちょっとアレではあるけれども、それでも女の子らしい格好をしたら誰もが振り返るような可愛らしさになるのではないのかなと思えてならなかった。


「……その人、すっごい美人さんだね」


 と、少女ディアルが険のある目つきでレイナ=ルウのほうを見る。

 レイナ=ルウは、困惑気味の笑顔で「はい?」と小首を傾げた。


「あっちの人も美人だし、隣りの赤い髪をした女の子もすっごく可愛い。森辺の民って、美人が多いんだ?」


「う、うん、それは否定できない事実かもしれないね」


「……そんな美人にばかり囲まれてれば、僕みたいにがさつな人間は男の子に見えるのが当たり前ってわけだね」


「そんなことないよ! 君だって、みんなに負けないぐらい可愛らしい顔をしているじゃないか?」


 反射的に、俺はそんな言葉を返してしまった。

 その結果として、ディアルの白い顔はいっそう真っ赤になり――そして、レイナ=ルウのつぶらな瞳は、我が家長みたいに冷たく細められた。


 レイナ=ルウにもそんな目つきはできるのかーと、俺は内心で溜息をつかせていただく。


「ば、馬っ鹿じゃないの? ご機嫌取りでそんな言葉を吐いてたら信用を失うよ? アスタって本当に無神経なんだね!」


「はい。時おり自分で自分が嫌になるぐらいでございます。……とにかくあの、もしも恩讐を越えて俺の料理をまた食べてくれる気になったんなら、是非どうぞ! いま味見用の肉を取り分けるから……」


「味見なんていらないよ。……本当に僕に料理を売ってくれるの?」


「売らない理由はないじゃないか? 買ってくれるなら、嬉しいよ」


 するとディアルは、まだ頬に赤みを残したまま、嬉しそうに――本当に嬉しそうに、にこりと微笑んでくれた。


 俺の心に残っていた最後のわだかまりが氷解したのは、その屈託のない笑顔を見た瞬間かもしれない。


 言動はいくぶんトリッキーだが、とにかく自分の感情には素直すぎるぐらい素直な少女なのである。身近な人間で言えば、かなりララ=ルウに近いタイプかもしれない。


 で――そういう人間が浮かべる笑顔というのは、実に魅力的なものであるのだ。

 何となく、バランのおやっさんが初めて笑顔を見せてくれたときのことを思い出してしまう。


「それじゃあ、売って! 銅貨は何枚?」


「ありがとう。お代は赤銅貨が2枚だよ」


「安いね! そんなに安くて元がとれるの?」


「うん。まあ他の屋台と同じぐらいにはね」


 アイ=ファが狩りの仕事を再開させたことによって、日によってはよその家から肉を買う必要もなくなった。その如何によって原価率は大幅に変動するものの、他の屋台より条件が悪くなるわけでもない。


 ちなみに本日の肉は、ルウ家ではなくラン家から購入した肉だった。

 価格も、1頭で赤銅貨12枚ではなく、120枚である。ツヴァイを通してミーア・レイ母さんと交渉した結果、肉の買い取り価格を是正することがかなったのだ。


 ギバの大きさに準じて、価格は赤銅貨100枚から140枚までの幅をもたせた。なおかつ、半身の枝肉ならば半分の価格で買い取るという取り決めもさせていただいた。毎日何頭ものギバをコンスタントに狩っているルウ家と異なり、小さな氏族の場合は自分たちが食べる分のこともきちんと考慮しなければならないのだ。


「それじゃあ、ひとつちょうだい! あ、ラービスは本当に食べないの?」


「ええ。わたしは館を出る前に軽食をいただいたので」


 応じながら、若者は懐から小さな布袋を取り出した。

 そこから出された白銅貨が、かちゃりと台の上に置かれる。


「ありがとうございます。赤銅貨8枚のお返しですね」


 俺は『ギバ・バーガー』の作製に取りかかり、レイナ=ルウはお釣りの赤銅貨を取り出す。

 しかし、レイナ=ルウがそれを差し出しても、ラービスのほうは無反応だった。


 レイナ=ルウは、何かを察したように小さくうなずき、銅貨を台の上に置く。

 それで若者は、無言のまま8枚の銅貨をすくいあげた。


 森辺の民とはなるべく手を触れたくもない、ということか。

 それぐらい森辺の民を忌避している人間は屋台に近づこうとはしないのが常であるので、ちょっと珍しい光景だ。


(うーん……やっぱりちょっと扱いづらい部分はあるよな)


 そんなことを考えながら、俺は完成した『ギバ・バーガー』をディアルに差し出した。


「お待ちどうさま。タラパがこぼれないように気をつけてね」


「うん! ありがとう!」


 と、こちらはすっかりご機嫌を回復した様子で、満面の笑顔である。

 で、昨日と同じようにためらいなく料理にかぶりつくと、その目はいっそう幸福そうに細められていく。


「美味しいなあ! やっぱり味見なんて必要なかったね! 昨日のとおんなじぐらい美味しいよ、アスタ!」


「ありがとう。そう言ってもらえたら嬉しいよ」


「うん、だけど、こっちの肉はずいぶんと柔らかいんだね。これもギバの肉なんでしょ?」


「そうだよ。これは刻んだ肉を丸めて焼いた料理なんだ」


「ふーん、凝ってるね! そんな料理らしい料理が宿場町で食べられるとは思ってもみなかったよ」


 料理らしい料理、か。

 その言葉に、俺はいくぶん好奇心をそそられる。


「ねえ、君は普段、城下町の料理を食べてるんだよね? それはやっぱり、宿場町とは比べ物にならないほど豪勢な料理なのかなあ?」


「うん? それはそうでしょ! 使ってる材料からして全然違うんだから! ……だけど、アスタの料理は美味しいよねえ。赤銅貨2枚で作れる料理なのに、どうしてこんなに美味しいんだろ」


 にこにこと笑いつつ、かじり取られた『ギバ・バーガー』の断面に目を落とす。


「この刻んである野菜はティノだよね? で、煮込んであるのはタラパでしょ? 安物のタラパはもっと酸っぱいはずなのに、これは甘くて風味もいいよねえ」


「へえ? もっと酸味の少ないタラパっていうのも存在するのかな? これは酸味を抑えるために、刻んだアリアと一緒に煮込んであるんだけど。……風味のほうは、果実酒とミャームーのおかげだろうね」


「果実酒かあ。だけどそれも安物なんでしょ?」


「果実酒は安いよね。これぐらいの瓶で赤銅貨1枚なんだから」


「赤銅貨1枚! 笑っちゃうぐらい安物だね!」


 傲岸にして不遜なるお言葉である。

 やっぱりこの口の悪さだけは生来のものなのだろう。料理の腕前はほめられて、食材は誹謗されてしまうという、俺にしてみればきわめて複雑な心境だ。


「でもさ、こんな安物の材料を使ってるのに、こんな美味しい料理を作れるなんて、それってアスタの腕前がよっぽどしっかりしてるってことじゃない? どうしてアスタみたいな人が宿場町なんかで商売をしてるの?」


「どうしてって言われても、俺は森辺の民だからねえ。森辺の民が城下町で商売をするなんて、きっと不可能なんじゃないかな?」


 俺の言葉に、ディアルの眉が下がってしまう。

 相変わらず、感情の切り替えがとてつもなく速い。


「ごめん。また宿場町なんかって言っちゃった。僕は宿場町が嫌いなわけじゃないんだよ? むしろ城下町は堅苦しくて性に合わないから、毎日こうして抜け出してきてるぐらいなんだ。……でも、宿場町の安っちい料理だけは、どうしても好きになれなくてさ……」


「ああ、うん、別にそこまで気を悪くしたりはしていないよ」


「使ってる材料を安っちいとか言われるのだって嫌だよね……ごめんなさい」


「いや、怒ってないってば! ほら、料理が冷める前に食べちゃいなよ!」


「……うん……」


 ディアルはしばらく心配そうに俺の顔を見つめていたが、やがて気を取りなおしたように食事を再開させた。

 そこに、皮マントを着た背の高い一団が接近してきたので、俺は思わず嘆息をこぼしそうになる。


 間が悪い――というか、両者ともに1日の時間割りがあるていど定まっているのだろう。予想通り、その一団は《銀の壺》だった。


 何気なく屋台の前から身を引こうとしたディアルも、フードの下から現れた白銀の髪を見て、ハッとしたように立ちすくむ。


「アスタ、5つずつ、お願いします」


「毎度ありがとうございます。……あのさあ、昨日の約束事は、いちおう有効なんだよね?」


 心配になって俺がディアルに呼びかけると、「うるさいな!」と不機嫌そうに返されてしまった。

 そして少女は、怒った顔つきでシュミラルの長身を見上げる。


「ねえ! あんたに言っておきたいことがあるんだけど!」


 シュミラルは無言でディアルを見下ろした。

 こちらは沈着そのものの無表情である。

 こういう気性の違いも敵対国となった起因であるのか、ディアルはいっそう苛立しげに眉を吊り上げる。


 しかし――次の瞬間、その小さな口から放たれたのは、「ごめんなさい!」という謝罪の言葉であった。


「僕はシム人とか大ッ嫌いだけど、西の領土でシム人を侮辱するような言葉を口にしたのは間違ってたかもしれない。だから、ごめんなさい!」


 まるで「馬鹿野郎!」と罵っているかのような語調の「ごめんなさい!」だ。


 でもきっと、この少女にとっては精一杯の妥協ラインであったのだろう。

 シュミラルは、同じ表情のまま、小さくうなずいた。


「シム、ジャガル、戦争、終わる日、私、待っています。私、ジャガル、憎む気持ち、ありません」


「そりゃあ僕だって、ジャガルでも西方のゼランドの生まれだもん。戦争のことなんてよくわからないけどさ……ああもういいよ! あんまり喋らせないで! また失礼な口をきいちゃいそうだから!」


 と、ディアルは自分の口にふたをするように『ギバ・バーガー』にかじりついた。

 そして、これで文句はないんだろとでも言いたげに、俺のほうをにらみつけてくる。


 もちろん、俺には文句などなかった。

 素直にごめんなさいのできる子はいい子だと思う。


「……あなた、昨日、城下町、黄色の館、見ました。もしかしたら、あなた、鉄具屋、商団ですか?」


 と、『ギバ・バーガー』の完成を待ちながら、シュミラルは静かに言葉を重ねた。

 ディアルは反感のこもった目つきで、頭ひとつ分も高いところにあるシュミラルの顔をにらみあげる。


「あんまり喋らせないでって言ってんでしょ! ……そうだよ。ゼランドから来たんだから、鉄具屋に決まってんじゃん」


「ゼランド、鉄、有名です。ゼランドから、刀、買う、言われて、私、商売、なくなりました」


「ああ、あのじーさまに刀を売りつけてたシム人ってあんたのことだったの? それは残念だったね! 刀づくりや鍋づくりだったら、ジャガルはシムなんかに負けないから!」


 誇らしそうに胸を張って言い切ってから、心配そうに俺を振り返る。


「……あの、今のは悪口じゃないからね?」


「うん、まあ、そこまで気を張らなくてもいいよ」


 それに今のは、シュミラルのほうからふっかけた問答だ。

 たぶん好きこのんでジャガルの民に世間話などは持ちかけないだろうから、これはきっとシュミラルにとって必要な会話なのだろう。


「私たち、毎年、刀、売ってました。だけど、もういらない、言われました。……あなたたち、売るから、なのですね」


「んー? ああ、何かうちの父さんとあのじーさまとは特別な約定を交わしたみたいね。その内容は知らないし、知ってたって商売仇には何も話せないけどさ! ……ていうか、あんたも鉄具屋だったんだ?」


「鉄具屋、違います。私たち、刀、壺、硝子、布、何でも売ります」


「ふーん? まあ何にせよ、今後は商売の矛先を変えるこったね! 鉄はジャガルの特産品だし、その中でもゼランドは鉄を売ることで栄えた町なんだから! あれこれ手を出してる木っ端商人なんかに負けやしないよ!」


 と、啖呵を切るたびに俺のほうをうかがい見るディアルである。

 この際は、腹立たしさよりも微笑ましさのほうが勝ってしまう。

 それにまあ、商売人同士がしのぎを削るのは正しい姿だとも思う。


「いい刀、作る、励みます。……でも、一言、いいですか?」


「何さ? あんたって、シム人のわりにはずいぶんおしゃべりだね?」


「会話、好きです。言葉、もっと覚えたいです。……黄色の館のご老人、約束、破ります。私たち、刀、準備、無駄でした。あなたたち、気をつける、いいと思います」


「うん? 何を甘っちょろいこと言ってんのさ! 誓約書でも交わしてなければ、商売が流れても文句なんて言えないでしょ! あんた、そんな考えでよく商団なんてやってられるね?」


「誓約書、交わしました。でも、約束、破られました。文句あるなら、城下町、通行証、取り上げる、言われました。困るので、約束、あきらめる、決めました」


 シュミラルの言葉に、ディアルの可愛らしい顔が険悪な形相に成り果てる。

 とはいえ、食事の邪魔をされた子犬ぐらいの形相ではあったが。


「何それ? あのじーさまって、そんなあくどいやつだったの? まあ、貴族っていうよりは場末の商売人みたいに意地汚そうなじーさまではあったけど。 ……で、あんたはどうしてそんな情報を、商売仇の僕たちに流してくれてるわけ?」


「どうして……理由、特別、ありません」


 そう言って、シュミラルはわずかに目を細めた。

 嬉しそうな、楽しそうな目の細め方だ、これは。


「ただ、あなた、謝ってくれました。珍しいジャガルの民、思いました。だから、話したい、思いました」


「ふーん! 変なの!」と、ディアルのほうはそっぽを向いてしまう。


 が、そのまま、またちらりとシュミラルのほうを見る。


「……まあだけど、いちおう用心しておくように、うちの父さんには伝えておくよ。嘘か本当かもわからない内は、あんたに御礼なんて言えないけどね!」


「御礼、不要です。おたがい、いい刀、作りましょう」


 それでようやくこの問答も終了し、シュミラルも自分の『ギバ・バーガー』を食べることができるようになった。


 さて、俺としてはルウ家への訪問が許されたことを一刻も早くお伝えしたいところであったのだが、それはこの好戦的な少女が去ってからにすべきであろう。

 ということで、ひとまずは世間話で会話をつなげてみることにする。


「城下町での商売ってのもなかなか大変そうですね。……というか、シュミラルって貴族を相手に商売をするようなお人だったんですね」


「はい。巡り合わせです。ご老人、たくさんの刀、買ってくれました。菜切り刀、肉切り刀、たくさんです」


「あ、刀っていうのは調理刀のことだったんですか」


 それならば、今現在も俺のかたわらに一丁転がっている。


「あのじーさま、美味い食事に目がないみたいね! いくつもの料理屋と繋がりがあるみたいだし、それどころか僕たちに貸してくれた別邸にまで料理人を住まわせてるぐらいなんだから。性格は悪くても客としては上等の部類だよ!」


 と、ディアルも負けじと割り込んでくる。


「君はその貴族様の別邸に住まわせてもらってるのかい? それはそれで驚きだねえ」


「まあね! うまく話が進んだら、城の兵士がもつ刀や槍だって僕の家が卸すことになるんじゃないのかな――って、これはまだ言っちゃいけない話だった!」


 慌てて口をふさぐ少女の姿に、俺は苦笑してしまう。


「心配しなくても、そんな話を口外したりしないよ。貴族様ともめごとなんてまっぴらだからね」


「うん、そうしてね? 確かに性格は悪そうなじーさまだったからさ! 貴族にとっては、平民の生命なんて銀貨より軽いんだろうし」


 それからディアルは、一転して瞳を輝かせ始めた。


「そうだ! よかったらアスタをそのじーさまに紹介してあげようか? 貴族お抱えの料理人になれたら一生安泰じゃん!」


「いやいやいや! 俺はこの宿場町が肌に合ってるよ! 貴族様のお口に合うような料理なんて作れそうにないし!」


「そうかなー。アスタだったら、あの別邸の料理人たちにも負けてないと思うけど」


 と、ディアルは不満そうに頬をふくらませてしまう。


「……だけどまあ、あんな性格の悪そうなじーさまとは関わらないほうがいいのかもね。難癖つけられたら面倒くさそうだし。……あーあ、だけどあそこの連中にアスタの料理を食べさせてみたかったなあ。きっと貴族だったら、僕なんかよりも驚くだろうね? ギバの肉がこんなに美味しいのかってさ!」


 城下町の貴族様なんて、俺にとっては雲の上の存在だ。今は宿場町の攻略で手一杯である。


 それにしても――性格の悪い貴族のじーさま、か。

 何かちょっと嫌な気がしなくもないので、確認だけはしておこう、と思う。


「ところでさ、その貴族様ってのは、何ていうお名前なのかな? ……いやまあ、都合が悪ければ無理に聞いたりはしないけど」


「んー? 名前? 何だっけなあ。ツルンとかタランとかそんな名前だったと思うけど」


 ならばよかった、と胸を撫でおろしておくことにする。

 間接的にであれ、俺には関わりたくない、関わるべきでないと思える貴族様も存在するのだ。

 それに――ようやく気心の知れてきたこの少女を、今さらスパイだの何だのと疑ったりもしたくはない。


 まあ、ジェノスの城下町に何人の貴族様が存在するのかはわからないけれども、そうそうピンポイントで的中することもないのだろう――とか考えていたら、シュミラルが「違います」と発言してきた。


「黄色の館のご老人、トゥラン伯、呼ばれています。トゥラン地区、ジェノスの北、領土です。果樹園、フワノ畑、たくさんです」


「ああそうそう、トゥランだった! そっか、それは名前じゃなく爵位なんだっけ?」


「はい。トゥラン伯サイクレウスです。ジェノス、三諸侯、ひとりです」


 シュミラルは、静かにそう言った。


 そろそろ中天が近いなあと頭上を仰ぎ――それから俺は、渾身の力で溜息をつかせていただくことにした。

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