表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第九十七章 朱と緑の契り
1657/1695

かまど番の集い⑤~晩餐~

2025.8/15 更新分 1/1

 そうして半日にも及ぶ会議は、無事に終了し――ついに、晩餐の刻限たる日没が訪れた。

 普段の家長会議と同じように大勢の女衆が料理を手に現れると、あちこちから歓声があげられる。しかし本日は参席者の半数が女衆であるため、たいそう華やかな雰囲気であった。


「わたしたちも、お手伝いをいたします」


 と、何人もの女衆が腰を上げたため、料理と食器は速やかに配膳されていく。

 俺はレイナ=ルウの領分を侵してしまわないよう、あえて不動の構えだ。そうして他の男衆と一緒に、期待に胸を高鳴らせることになった。


「今回は打ち合わせの時間があまり取れなかったために簡素な内容になりますが、それでもなるべく新しい食材を使って目新しい料理を準備いたしました。皆様のお気に召したら、幸いに思います」


 おおよその配膳が完了したタイミングで、レイナ=ルウはそのように宣言した。その顔は、やはりきりりと引き締まっている。そうしてレイナ=ルウが家族のもとに腰をおろすと、今度はダリ=サウティが声をあげた。


「では、晩餐を開始する。誰もがくたびれ果てているであろうから、かまど番の心尽くしで腹と心を満たすがいい」


 ダリ=サウティが食前の文言を唱え、他なる面々が復唱する。

 そうして、祭祀堂の晩餐が開始された。


「それにしても、これが簡素とは恐れ入った。しかもルウの次姉は、謙遜している様子でもなかったしな」


 数々の料理を前にしながら、フォウの長兄が弾んだ声をあげる。本日も、俺とアイ=ファはこちらの血族とご一緒させていただいたのだ。すると、ランの家長もしかつめらしい面持ちで「うむ」と応じた。


「むしろ、凝った料理を出せないことを不本意そうにしているようにすら見えたな。さすが、苛烈で知られるルウの女衆だ」


「あはは。こと料理に関しては、レイナ=ルウも苛烈そのものですからね」


 俺はそのように応じながら、アイ=ファのために料理を取り分けていく。いっぽうアイ=ファは、俺の分まで果実酒を注いでくれていた。


 食前に宣言していた通り、レイナ=ルウは東の王都から届けられた最新の食材をたっぷり使っている。しかし、本日の手伝いをするかまど番たちにとってはまったく見慣れていない食材であるため、献立を厳選することになったのだろう。


 まず目をひくのは、フライの盛り合わせである。俺が先日の祝宴で披露したヴィレモラの身およびヒレのフライが、主菜のひとつに取り上げられていた。

 あとは森辺の晩餐であるため、アスパラガスのごときドミュグドにギバのバラ肉を巻いたものや、香草をきかせた特別仕立てのギバ・カツもどっさり準備されている。さらには肉類に偏らないように、タマネギのごときアリアやレンコンのごときネルッサやシイタケモドキのフライも供されていた。


 主菜のもう片方はロースのステーキで、こちらは薬味に新たな食材が使われている。フカヒレのごときヴィレモラのヒレを活用しているのは祝宴の品と同様であるが、あちらがギバ骨スープを使っていたのに対して、こちらはトマトのごときタラパにさまざまな香草を加えた香味スープである。レイナ=ルウの特製タラパソースで煮込まれたヒレがほどよくほぐされて、ステーキとともに供された。そこにキャビアのごとき魚卵とレモンのごときシールの果汁も添えられているのは、俺の出した宴料理と同様だ。


 あとは副菜で、アワビのごときダドンの貝の炒め物も出されている。

 こちらは主役を張れる味わいであるが、やはり森辺の晩餐であるために量を控えて副菜としたのだろう。おかげでいっそう豪勢な献立が完成していた。


 ヴィレモラの身のフライにはレミュの香草、ダドンの貝の炒め物にはペネペネの酒が使われているため、これで新たな食材は網羅していることになる。新たな食材に馴染みの薄い氏族の人々のために、レイナ=ルウはこれらの晩餐を考案したのだ。こちらの輪でも、フォウの長兄らは感じ入った様子で食事を進めていた。


「ヴィレモラのヒレというのは、ずいぶん目新しい味わいであるのだな。このような食べ心地をした料理は、これまでになかったように思うぞ」


「まったくだねぇ。このギバ肉に添えてあるのも、ヒレってやつなんだろう? 魚のことなんてよくわからないけど、ずいぶん愉快な食べ心地じゃないか」


「このダドンの貝というのも、なかなかの味わいだな。これだけの量しかないのが、惜しいほどだ」


 バードゥ=フォウの伴侶やランの家長もそのように応じると、ユン=スドラが申し訳なさそうに声をあげた。


「わたしが自分の修練ばかりにかまけていたため、血族への手ほどきがまったく進められませんでした。フォウとランの方々には、申し訳ない限りです」


「いやいや。ユン=スドラはずっと俺の手伝いにかかりきりだったじゃないか。あれは族長たちが了承した貴族からの依頼だったんだから、ユン=スドラが申し訳なく思う必要はないはずだよ」


 俺がすぐさまフォローを入れると、ランの家長も真面目くさった面持ちで「うむ」とうなずいた。


「ユン=スドラはフォウの血族の代表として、大役を果たしたのだ。詫びるどころか、誇らしく思うべきであろう」


「まったくだ。これでフォウの祝宴では、また立派な宴料理を口にできるのだしな」


 フォウの長兄もゆったりと笑って、同意を示す。すると、ライエルファム=スドラもそこに加わった。


「その祝宴と今日の間には一日しかなかったのだから、血族に手ほどきする時間などどこにもありはしなかっただろう。それにそもそも新たな食材というのは研究用なるものしか配られていないのだから、手ほどきのしようもあるまい。ユンはいささか、気に病みすぎであるように思うぞ」


「は、はい……やっぱりわたしはアスタにつきっきりで学んでいる身であるため、申し訳なさが募ってしまうのです」


「そうか。では、ユンの心労を軽くするために、今後は屋台の手伝いを半分に減らしてはどうであろうか?」


「ええ!? そ、それは困ります!」


 ユン=スドラが血相を変えて詰め寄ると、ライエルファム=スドラは「冗談だ」と肩をすくめた。


「お前はそれだけ懸命に働いているのだから、これからも存分に力を尽くすがいい。そのために、今日の会議で新たな道が示されたのだしな」


「うむ。ユン=スドラの気迫も、ルウの次姉に決して負けていないようだな」


 フォウの長兄が楽しげに笑うと、ユン=スドラは顔を赤くしながら意地悪な家長の肩を小突いた。俺としては、微笑ましい限りである。


「でもこれ、本当に美味しいよねー。しかも美味しいだけじゃなくて、すごく目新しい感じがするよ。五日やそこらでこんな料理を仕上げちゃうなんて、やっぱりアスタたちはすごいなぁ」


 と、笑顔で食事を進めていたユーミ=ランも、そんな風に声をあげた。


「今回は、使い勝手のいい食材ばかりだったからね。宴料理に相応しい質を目指すのは大変だったけど、普通の料理だったらすぐに活用できそうだろう?」


「うん、それは確かにね。あたしの記憶が薄れない内に、食材を買いつけさせていただきたいところだよ」


 ユーミ=ランは《西風亭》の代表として宿場町のお披露目会に参加していたので、新しい食材の扱い方を手ほどきされているのだ。ただし、そちらで配分された研究用の食材は《西風亭》のものであるし、新たな食材はまだ一般販売されていないため、それ以降は手に触れていないのだという話であった。


 いっぽうユン=スドラは城下町のお披露目会に招待された八名のかまど番のひとりであるため、研究用の食材を受け取っている。しかし、俺の手伝いにかかりきりで、まったく手つかずの状態であるのだ。それでは、血族への手ほどきも進めようがないはずであった。


「よくよく考えると、今の森辺でファと族長筋の他に新たな食材を手にしているのは、スドラ、ナハム、マトゥアの三氏族のみであるのだな。これとて、公正さに欠けているのではないだろうか?」


「うむ。しかしそこで族長筋とくくってしまうのも、いささか乱暴であるように思えるぞ。そちらで食材を手にしたのは、ルウとディンのみであるのだからな」


「うむ。しかも、ルウは三名分の食材を受け取っているわけだが……それは、貴族たちに優れたかまど番が育っていると見なされているがためだ。それはまぎれもなく事実なのであろうから、公正でないとは言いきれまい」


 と、会議の余熱を引きずっているかのように、そんな議論が持ち出される。しかしまったく深刻な気配ではなかったので、俺も気軽に発言させていただいた。


「そのかまど番の選出も、要は試食会の顔ぶれをそのまま受け継いでいるわけですからね。となると、その顔ぶれを選んだのはこちらの側ということになってしまうんです」


「うむ? そうであったか?」


「はい。当初の試食会は、森辺のかまど番も審査する側だったのですよ。それで、腕の確かなかまど番を八名選ぶべしと言われて、こちらで選出したんです。それがまるまる、試食会で料理を供する役目にスライド――あ、いやいや、切り替えられたわけですね」


 俺は慌てて訂正したが、まんまとアイ=ファに頭を小突かれてしまった。

 フォウの長兄やランの家長は、事情がわかっていない様子できょとんとしている。そんな中、聡明なるライエルファム=スドラが発言した。


「すらいどというのは、アスタの故郷の言葉であろうか? よければ、意味を聞かせてもらいたい」


「は、はい。スライドというのは、えーと……俺にとっても異国の言葉ですので、半分がたは憶測になってしまいますが……もともとは、滑るとかそういう意味であったかと思います」


「滑る? それが何故、切り替えられるという言葉に転じたのだ?」


「うーん、どうなんでしょう。滑ると場所が移動するから、それが原因かもしれませんね」


「なるほど。滑るというのは転ぶという意味にも通じるので、猟犬の名には相応しくなかろうな?」


「りょ、猟犬? いったい何のお話でしょうか?」


「いや、このさき猟犬の子供が増え続けたならば、名前をつけるのに難渋するのではないかと考えていたのだ。それで人の赤子につける名前が不足してしまったら、一大事であるからな」


 そう言って、ライエルファム=スドラはくしゃっと笑った。


「ファの家では、アスタの故郷の言葉が名付けに使われているのであろう? よければいくつか、こちらにも言葉を教えてもらいたいところだな」


「そ、そうですか。まさか、そんなお話だとは思いませんでした」


 俺は恐縮しながら、アイ=ファの顔色をうかがう。案の定、アイ=ファが口をへの字にしていると、ライエルファム=スドラも「どうしたのだ?」とそちらに向きなおった。


「アイ=ファは何やら、気分を害しているようではないか。俺がアスタに故郷に言葉を習うのは、アイ=ファにとって意に沿わない行いなのであろうか?」


「いや、べつだんそういうわけではないのだが……アスタが故郷の言葉を持ち出すとフェルメスが目の色を変えてしまうため、なるべくつつしむように言いつけてあったのだ」


 相手がライエルファム=スドラであるために、アイ=ファも率直に事情を明かした。

 ライエルファム=スドラは、「そうか」と頭をかく。


「それは、悪いことをしたな。俺が勝手に申し出たことなので、アスタを責めないでやってもらいたい」


「いや、私はアスタがうかうかと口をすべらせたことに仕置きをしただけであって、ライエルファム=スドラの申し出に腹を立てたわけではない。ファの家でもアスタの故郷の言葉を名付けに使っているのだから、ライエルファム=スドラの申し出を断る理由はなかろうしな」


「うむ。そもそもフェルメスなる貴族とて、遠からぬ内にジェノスを出ていくのだろうしな」


 フォウの長兄も穏やかな面持ちで、そう言った。


「しかし確かに、ライエルファム=スドラの懸念ももっともだ。フォウの家でも、いずれアスタを頼ることになるかもしれんぞ」


「ええ? 大事な子犬の名前を、そんな風につけてしまっていいのですか?」


「うむ? アスタとて、ファの子犬たちをそうして名付けているのであろう?」


「はあ。それはまあ、俺自身の故郷の言葉ですし……」


「アスタの故郷の言葉であれば、俺たちも忌避する理由はない。いっそうアスタと絆が深まるような心地で、喜ばしいばかりではないか」


 フォウの長兄のありがたい言葉に、俺は思わず胸を詰まらせてしまった。

 会議にさなかには、ダリ=サウティの何気ない言葉に胸を詰まらせることになったのだ。森辺の精悍なる狩人たちのふっと垣間見せる温かな心情が、俺の胸を圧迫するようであった。


「それはさておき、今の話も会議で話し合うべきだったやもしれんな」


 と、ランの家長が話題を引き戻した。


「試食会というのは、もう一年以上も昔の話であろう? それだけの期間が空けば、かまど番の力量もずいぶん変動しているはずだ。森辺を代表する八名という話であるのならば、それに見合った力量を持つ人間を選ぶべきであろう」


「ふむ? 現在の八名とて、それに相応しい力量なのではないか?」


「しかし、その八名に追いついているかまど番がいるならば、なるべく公正に選ぶべきであろう。有り体に言って、ルウ家から三名というのはいささか偏っているように感じられる」


 と、最後の言葉は低くひそめられた。遠からぬ場所では、ルウの血族が輪を作っているのだ。


「うーん。ランの家長が仰ることももっともですけれど……俺はむしろ、かまど番の力量にこだわる必要はないように思えてきました」


「何? それは、どういうことであろうか?」


「はい。森辺のかまど番が城下町のお披露目会に招集されるのは、新たな食材を広く知らしめるための行いとなります。それで城下町や宿場町では、腕のある料理人が選出されているわけですが……森辺のかまど番には、その理屈があてはまらないように思います」


 ランの家長ばかりでなく、フォウの長兄やその母親も不思議そうな顔をする。

 それに対して、スドラの両名とユーミ=ランは納得顔だ。それに気づいたランの家長が、ライエルファム=スドラに呼びかけた。


「さすがライエルファム=スドラは、今の言葉だけで理解できたようだな。よければ、説明を願いたい」


「うむ。しかし俺は、的外れであるかもしれん。ユーミ=ランに場を譲るとしよう」


「えー、あたし? あたしだって、間違ってるかもしれないよ?」


「それでもせっかくの機会であるのだから、家長の前でかまど番としての見識を聞かせてやるがいい」


 ユーミ=ランは「まいったなぁ」とショートヘアーをかき回してから、説明を開始した。


「えーっとね、城下町や宿場町で腕のある料理人が選ばれるってのは、店や食堂で立派な料理を出せば新しい食材の売れ行きがのびるっていう見込みなわけでしょ? 森辺でそれに当てはまるのは、屋台を開いてるファとルウとディンだけなんだよ」


「なるほど。他の氏族のかまど番は、そもそも必要がないということか」


 ランの家長が納得しかけると、ユーミ=ランは「いやいや」と手を振った。


「森辺にだって、何百人もの人が住まってるじゃん。しかも、森辺の民はしょっちゅう祝宴を開くから、食材の商売相手としてはけっこうな大口なはずだよ。だから、森辺の集落で新しい食材がすみやかに行き渡れば、それも売れ行きに大きく関わってくるわけさ。だからこっちは、かまど番の力量で決めるんじゃなくって……それこそ家長が言ってた通り、偏りがないように色々な氏族の人間を出すべきなんじゃないかなぁ?」


「それじゃあ、それに相応しいのはどの氏族だと思う?」


「アスタまで、なんだよ! ……とりあえず、ザザとサウティは確定でしょ。ザザとサウティは眷族が多いし、遠い場所で暮らしてるんだからさ。そっちですみやかに新しい食材を扱えるようになれば、大きな売れ行きが見込めるはずだよね」


「俺も、ユーミ=ランに同意します」と、俺はユーミ=ランから話を引き継いだ。


「小さき氏族に関しては、ちょうどいい感じに居住の区域がバラけていますからね。収穫祭をともにする三つの集団からひとつずつの氏族が入っているので、手ほどきに不自由はしないことでしょう」


「収穫祭をともにする三つの集団とは……俺たち六氏族と、ベイムやガズやラッツを親筋とする六氏族、ラヴィッツを始めとする五氏族か。確かに、ユン=スドラ、レイ=マトゥア、マルフィラ=ナハムで、すべて網羅できているようだな」


「はい。ダイの血族をルウにおまかせできれば、どこにも穴はありません。屋台の商売をしている三氏族と、三つの集団の代表である三氏族、そして遠方のザザとサウティを加えれば、ちょうど八組で森辺の全域をカバーできるわけです。……あいて」


 俺はまた、ついつい口がすべってしまった。

 しかし今回は、俺の頭を小突いたアイ=ファも苦笑している。


「森辺の内ではそうそう口をつつしむ必要もなかろうが、反射的に手が出てしまった。それに、フェルメスがいなくなろうとも、やはり森辺の外では口をつつしむ必要があろう」


「うん、まあ、そうだな。今後も口をすべらさないように気をつけるよ」


 俺が本当に海の外からやってきたとなると、また素性をあやしまれてしまうかもしれない――《青き翼》の来訪をきっかけに、そんな論議が交わされることになったのだ。新たな外交官がやってくるこの時期には、用心に用心を重ねるべきであった。


「今の説明で、得心したぞ。……ユーミ=ランも、すぐさま理解が及んだのか?」


 ランの家長に真剣な眼差しを向けられて、ユーミ=ランは「ええ、まあ」と頭をかいた。


「やっぱりあたしも商売人の娘だから、そういう話にはピンとくるんだよ。でも別に、叱られるような話ではないでしょ?」


「俺は、感心しているのだ。先刻の会議で議題に出しておけば、誇らしい気持ちを抱けたかもしれんな」


 ランの家長が眼差しをやわらげると、ユーミ=ランは「えへへ」と照れ笑いをした。


「そしてこれは、きわめて有用な話であろう。のちのち族長らに伝えて、詮議を求めるべきであろうな」


「うむ。この夜の内に、話を通しておくとしよう。ルウの者たちも、まさか怒りはするまいしな」


「ええ。ルウ家は大きな商売をしている上に血族も多いですから、研究用の食材を多めに配分してもらうことも可能だと思います。お披露目会に出る人間は、レイナ=ルウひとりでも十分でしょうしね」


「リミ=ルウは、残念がるやもしれんがな」


 アイ=ファがそのように言ったとき、当のリミ=ルウが「わーい!」と背後からアイ=ファにのしかかった。

 しかしアイ=ファも狩人の感知能力で察していたのだろう。リミ=ルウに首もとを抱きすくめられながら、くすぐったそうに微笑んだ。


「どうしたのだ? まだ晩餐のさなかであるぞ」


「でももうほとんど食べ終わったでしょ? お菓子の準備をするから、ちょっと待っててねー!」


 アイ=ファの頭にぐりぐりと頬ずりをしてから、リミ=ルウは並み居る人々の間をすいすいと通り抜けて祭祀堂を出ていった。他にも何名かの女衆が、リミ=ルウを追いかけていく。


「もうそのような刻限か。確かに料理は、いつの間にかなくなっているな」


「うむ。あれだけ語らいながら、誰も食事の手を止めようとはしなかったからな」


 そのように語りながら、ライエルファム=スドラが俺のほうに酒杯を掲げてきた。

 俺はまだあんまり減っていない酒杯を持ち上げて、ライエルファム=スドラの酒杯に触れさせる。まだまだ夜は長いので、酒に強くない俺はじっくり楽しませてもらっていた。


「それにしても、今日は立派な晩餐だったねぇ。スンや北の一族のかまど番は初めて新しい食材に手をつけたって話なのに、すっかり驚かされちまったよ」


 バードゥ=フォウの伴侶がひさびさに声をあげると、その息子たる長兄も「そうだなと笑顔で応じた。


「それもこれもルウの両名の取り仕切りと、すべてのかまど番の力量あってのことだろう。手ほどきが足りないと嘆く氏族でも、これほどに腕を上げているのだな」


「ええ。ディンやリッドと家人を預けあっている北の一族はまだしも、スンなんかはときどきラヴィッツの集落に出向くぐらいでしょうからね。あとは勉強会に参加しているクルア=スンの尽力で、他の氏族に後れを取らずに済んでいるようです」


「クルア=スンか。あやつもすっかり、落ち着いているようだな」


 と、ライエルファム=スドラはいくぶん神妙な目つきになった。


「あやつは今でも、アリシュナのもとに通っているのであろう? 先日の星読みについて、何も聞かされてはおらんのか?」


「ええ。アリシュナも勝手にアイ=ファの星を読んでしまったことを、ずいぶん反省しているようですからね。クルア=スンが相手でも、むやみに語ることはないのでしょう」


「ふむ。そして、ジェノスの領主らもまったく動きを見せておらんな。森辺の民に忠告をするような内容ではなかったというわけか」


「ええ。もともとマルスタインも西の王都の目を気にして、なるべく星読みの話を口外しないように心がけているようですからね」


 また、アリシュナの星読みが具体性を帯びていないとしたら、忠告のしようもないのだろう。俺としては、悪夢が訪れる日を泰然と待ち受けるしかなかった。


「お待たせー! 菓子を持ってきたよー!」


 祭祀堂に戻ってきたリミ=ルウが高らかに声をあげると、また人々が歓声をあげた。

 菓子をのせた大皿と新しい茶が、次々と配られていく。大皿に山積みにされていたのは、小さなどら焼きとガトー・アロウであった。


 ガトー・アロウはトゥール=ディンから学んだものを、そのまま再現したのだろう。キイチゴに似たアロウとピーナッツオイルに似たラマンパの油を駆使した、ストロベリーチョコレートを思わせる風味と甘みだ。すでに多くの氏族がレシピを学んでいるはずであったが、もちろんこの見事な菓子に文句をつける人間はいなかった。


 そしてもう片方のどら焼きに、新たな細工が凝らされている。あんこは大豆に似たタウの実で仕上げられており、そこにヴィレモラのヒレが練り込まれていたのだ。


 ヴィレモラのヒレは、ギギの葉を使ったカカオ風味のソースで煮込まれている。その味わいと調和するのは、ブレの実ではなくタウの実の香ばしさであると判じたのだろう。キミュスの卵殻を使ったどら焼きの生地も独特の香ばしさを有しているため、三種の香ばしさがまたとない調和を完成させていた。


「ううむ、美味いな。正直に言うと、俺にはトゥール=ディンとの差もわからん」


 ランの家長がそんな感慨をこぼしていたので、俺が説明することにした。


「ひと品の完成度で言えば、リミ=ルウとトゥール=ディンに差はないと思いますよ。トゥール=ディンがすごいのは、次から次へと新しい菓子を考案できる発想力なんです」


「うむ。ユンとて限られた品であれば、アスタと同等の品を作れるのであろうしな」


 ライエルファム=スドラも満足そうにうなずきながら、どら焼きを頬張っている。

 そしてこちらでは、またリミ=ルウがアイ=ファの背中に覆いかぶさっていた。


「どうどう? 美味しい? ジバ婆は、美味しいって言ってくれたんだよねー!」


「うむ。さほど甘いものを好まない私でも、リミ=ルウの菓子は美味いと思うぞ」


 リミ=ルウに抱きつかれたまま、アイ=ファは優しい言葉を返す。リミ=ルウは「えへへー」と笑みくずれながら、いっそう力強くアイ=ファに抱きついた。


 他なる車座でも、幸せそうな歓声があげられている。今日は誰もが力を尽くすことになったが、すっかり疲れも吹き飛んだ様子だ。三十八名の男衆と五十名余りの女衆で埋め尽くされた祭祀堂には、常の家長会議の晩餐にも負けない熱気が渦巻いていた。


 しかしまた、親睦の酒宴はこれから開始されるのだ。

 俺はすっかりほろ酔い気分であるが、心してその場に立ち向かう所存であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
一年に一度、昔とを比べ戒めるために、一品ポイタン汁を出す記念日みたいなのを追加する日を作らないもんかな。 各々のリアクションがみたいw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ