かまど番の集い②~論議~
2025.8/12 更新分 1/1
「それでは、今日の会議を始めたく思うが……まずは、先日の家長会議でも取り沙汰された話から取りかかるべきであろうな」
進行役たるダリ=サウティが、悠揚せまらず声をあげた。
「先日は《青き翼》から持ち込まれた突発的な商売の話に絡めて、仕事量の限界というものについて語らうことになった。おのおの家長たちから話は聞いているかと思うが、そこで疑問が生じることはなかったであろうか?」
祭祀堂の内部は静まりかえったままで、声をあげる人間もいない。
ダリ=サウティは「ふむ」と下顎を撫でさすりながら、俺のほうに視線を向けてきた。
「では、アスタに話をうかがおう。ファの家はその仕事と関わっていなかったが、数多くの氏族と関係を持っている。その仕事を受け持っている期間、屋台の手伝いなどで不備が生じることはなかったのであろうか?」
「はい。こちらの商売に関しては、なんの不備もありませんでした。ただ、先日も取り沙汰された通り、勉強会の参加人数は減少していましたね。普段は下ごしらえを受け持ってくれた人たちがそのまま居残って勉強会に参加することが多いのですが、その期間はまっすぐ帰る人が多かったように思います」
「うむ。それを議題にあげたのは、たしかベイムの家長であったな。では、ベイムの家長の伴侶から話をうかがおうか」
ベイムの家長の伴侶は「はい」と恭しげに頭を下げた。
ベイムの家長は厳格で気難しい人柄であるが、伴侶は温和な人柄だ。また、ベイムは年配の組み合わせ、眷族のダゴラは若い男女の組み合わせという編成であった。
「確かにその頃はベイムもダゴラも仕事が立て込んでいたので、ファの家の勉強会に居残らせることもできませんでしたねぇ。でも、それで文句をつける人間はおりませんでしたよ」
「うむ。それでベイムの家長はこれが仕事量の限界であると見なしていたが、異存はなかろうか?」
「そうですねぇ。そいつは数日の話だったので文句をつける人間もおりませんでしたが、これが毎日のことでしたら、嘆く人間は多いことでしょう。ファの家の勉強会に参加できなければ、かまど仕事の修練もままなりませんのでねぇ」
そう言って、ベイムの家長の伴侶はにっこりと微笑んだ。温和であっても、小心ではないのだろう。もしかしたら、ダリ=サウティはそこまで見込んで話を振ったのかもしれなかった。
「あたしたちはアスタのおかけで大層な力をつけることができましたけれど、まだまだ満足している人間はおりません。豊かな暮らしっていうものは、銅貨だけで築けるものではないのでしょうから……銅貨のために働く時間もかまど番として修練を積む時間も、どちらもおろそかにはしたくないというのが正直なところですねぇ」
「うむ。先日の家長会議では、すべての氏族が猟犬の伴侶を求める結果となった。その一点からも、もはや貧しさにあえぐ氏族は存在しないものと見なすことができる。であれば、商売の話にばかり躍起になるべきではないのであろうな」
すると、ゲオル=ザザのかたわらに座したスフィラ=ザザが挙手をして発言を求めた。
「横から失礼いたします。わたしとしては、商売と修練を分けて考えるべきではないという思いを抱いています」
「ほう。では、詳しく語っていただこうか」
「承知いたしました」と、スフィラ=ザザは一礼する。
こちらの両名は城下町の祝宴などでたびたび同席している間柄であるが、スフィラ=ザザは公式の場であると意識しているのか、普段以上に恭しい態度であった。
「森辺のかまど番が町における商売を受け持てるのは、美味なる料理を作りあげる手腕あってのこととなります。もしも修練を怠れば、やがては手腕も足りなくなり、銅貨を稼ぐすべも失われてしまうはずです」
「ふん。確かに北の集落では、まだまだ修練が足りていないと考えているかまど番が多いようだな」
と、隣のゲオル=ザザも声をあげた。
「しかしそれは、北の集落が中央から遠き場所にあるためであるのだろう。ファやルウやディンに近い氏族であれば、もう十分な力量を備えているのではないか?」
「それを言うならば、ベイムやダゴラとてそうまで遠き地に住まっているわけではありません。また、ファの隣に住まうフォウの血族やルウの眷族とて、抱く思いに変わりはないのではないでしょうか?」
「はい」と真っ先に応じたのは、ユン=スドラであった。
「わたしなどは毎日屋台の仕事を手伝わせていただき、勉強会にもほとんど毎回参加させていただいていますが、それでも修練が足りているなどと考えたことはありません。もしも勉強会に参加する時間が失われたならば、大いに嘆くことになるでしょう」
「それは誰もが思うところだろうね。そもそも修練に終わりなんてないんだろうからさ」
と、ララ=ルウも落ち着いた様子で声をあげた。
「だいたいさ、みんなに手ほどきしてるのはアスタやレイナ姉やトゥール=ディンなんかだよね。そのアスタたちからして、修練はもう十分なんて考えてないはずだよ」
「うん。修練をやめたら、そこで成長が止まるわけだからね。そんな志の低い人間は、森辺にひとりもいないと思うよ」
俺もまた、この際は積極的に語ることにした。
「誤解を恐れずに言いますが、そういう点に関してかまど番と狩人に大きな違いはないんじゃないかと思います。俺たちから見たら、狩人のみなさんは誰もが物凄い力を持っているように思いますけれど、それも修練があってのことでしょう?」
「当たり前だ。どれほどの勇者でも修練を怠れば、森に朽ちることになろう。というよりも、飽くなき修練に打ち込める人間こそが、狩人として恥じることのない力を身につけられるのだ」
「そうですよね。かまど番も、同じことです。毎日晩餐を作りあげていれば腕がなまることはありませんが、大きな成長は見込めません。だから俺も、三日に一回は自分のための修練の日を設けているのです」
「しかし」と声をあげたのは、ジーンの家長である。若いゲオル=ザザやディック=ドムに対して、こちらは年配の男衆だ。
「きっと俺はかまど仕事の機微をわきまえていない人間のひとりであろうから、その代表としてあえて問わせてもらいたい。アスタやレイナ=ルウやトゥール=ディンといった歴戦のかまど番に、それ以上の成長など必要なのであろうか?」
「はい、必要です。何故かと言うと、料理の世界は日々進歩しているからです。もっともわかりやすい例は、新たな食材でしょう。ジェノスには次々と新たな食材が持ち込まれますので、修練を怠ればすぐに乗り遅れてしまいます。町で商売を続けるには、新たな食材の研究が不可欠ということですね」
「ふふん。ちょうど今は、新しい食材が増えたところであるしな」
と、ゲオル=ザザも会話に加わってくる。彼もまたスフィラ=ザザに反論する形で声をあげた身であるが、この問答を楽しんでいるように見受けられた。
「そうですね。そして、それはわかりやすい一例にすぎません。新しい食材とは関係なく、町の料理人たちも日々修練を積んでいるんです。俺たちが修練を怠れば、いずれは町での商売が難しくなるぐらい後れを取ることになるでしょう」
「城下町に関しては、そうであろうな。しかし、宿場町の人間はさほど修練を積む時間も取れないという話ではなかったか? それで以前は、森辺のかまど番に手ほどきを願っていたぐらいだしな」
「それでも、手ほどきを願うぐらいの意欲を持ち合わせているということです。もしも森辺のかまど番が頼れなくなったら、城下町の料理人に手ほどきを願うことになるでしょう。以前は新しい食材が届くたびに、城下町の料理人であるヤンが手ほどきしていましたしね」
俺もまた、大いなる熱意をもって語ることができた。
「宿場町の人たちこそ食堂の評判が宿屋の売り上げに直結しているので、必死になっているんです。それに、ダカルマス殿下が開催した試食会というものも大きく影響しているのでしょう。そこで勲章をもらった《キミュスの尻尾亭》や《南の大樹亭》は客足が大きくのびたため、他の宿屋の方々もそれを手本にいっそうの意欲を燃やしているはずです。いまやジェノスは美食の町として認知されつつありますので、そこで勝ち残るには森辺のかまど番にも修練が必要なんです」
「それではお前も、スフィラの意見に賛同するというわけだな」
「はい。もちろん、心から賛同します。それに賛同しないかまど番は、この場に存在しないだろうと思っています」
何人かのかまど番が、あちこちで大きくうなずいていた。
その様相を見回しつつ、ゲオル=ザザは満足そうに肩をすくめる。
「では、俺も納得するとしよう。ジーンの家長は、どうだ?」
「うむ。得心がいった。疑問のある人間は、恥を恐れず声をあげるべきであろうな」
ギバの毛皮を頭からかぶったジーンの家長もまた、底光りする目で祭祀堂を見回していく。そこで声をあげたのは、シン・ルウ=シンであった。
「俺は城下町に出向く機会も多いので、あちらの料理人たちがアスタに対抗して大きな意欲を抱いている姿をたびたび目にしている。あれだけでも、アスタは安穏としていられないのだろうと思う」
「はい。そして、先頭を走るアスタが余念なく修練に打ち込んでいる以上、それを追いかけるかまど番たちも歩を止めるいとまはないということですね」
ガズラン=ルティムも、穏やかな口調で賛同を示した。
なかなか熱がこもってきたが、やはり発言しているのは男衆ばかりだ。
すると、その間隙をぬうようにしてリリ=ラヴィッツが発言した。
「それで、そもそも話にあげられていたのは、仕事量の限界というものについてでしたねぇ。それに関しては、どういった結論になるのでしょう?」
「うむ。先日の家長会議においても、時としてあのような仕事を受け持つのはかまわないが、それを毎日続けるのは不相応であろうという結論に落ち着いたのだ。それに異議があるかまど番がいるかどうか、確認したいと考えたわけだな」
ひさかたぶりに、ダリ=サウティが応答する。そちらも、至極満足げな面持ちであった。
「今の話をうかがう限り、我々の判断に間違いはなかったようだ。スフィラ=ザザのおかげもあって、いっそう正しさが補強されたようであるしな。他なるかまど番たちも、異存はなかろうか?」
祭祀堂が、再び静寂に満たされる。
しかし、固い雰囲気はいくぶんほぐれたようだ。おおよそのかまど番は落ち着いた面持ちで、異存がないことを示すために口をつぐんでいた。
すると――そこでリリ=ラヴィッツが、言葉を重ねた。
「今の話に、異存はございません。ただ、今後についてはどうなのでしょうねぇ」
「今後? 今後も無理のない範囲で仕事を受け持つということになっているが、何か疑問でもあろうかな?」
「それは先日の一件のように、限られた期間で片付けられる仕事についてでありましょう? わたしがお聞きしたいのは、日々の仕事についてです」
お地蔵様のように微笑みながら、リリ=ラヴィッツは言いつのった。
「ちょうどわたしは、アスタにそのことを尋ねたいと思っていた折でしてねぇ。せっかくなので、この場で尋ねてもよろしいでしょうか?」
「うむ。森辺の行く末に関わる話であるならば、遠慮なく声をあげてもらいたい」
「それじゃあ、お尋ねいたしましょう。……城下町での商売を始めたことで、ラヴィッツの血族もだいぶん慌ただしい感じになってまいりました。わたしらはそちらの商売に関わっておりませんが、そのぶん宿場町やトゥランに出向く機会が増えましたのでねぇ。これ以上の仕事がかさむと、ちょっとばっかり心の安息が失われるんじゃないかと危惧しているのですよ」
そのように語るリリ=ラヴィッツのかたわらで、ラヴィッツの長兄はにまにまと笑っており、マルフィラ=ナハムは盛大に目を泳がせている。そしてモラ=ナハムは、モアイのごとき無表情だ。ヴィンの家長とその伴侶はつつましい無表情で、親筋たるリリ=ラヴィッツの言葉をじっと聞いていた。
「先日みたいな短い期間の仕事でしたら、どうってことはありません。でも、常日頃の仕事がもっと忙しくなるようですと、ラヴィッツの血族はお断りすることになるでしょう。そして、ラヴィッツがそのように考えているということは、余所の氏族も同じような状況なのではないかと思うのですよねぇ」
「ふむ! それは実際に働いているかまど番にしかわからぬ話であろうな!」
と、ラッツの若き家長が興味深げな面持ちで口をはさんだ。
その同伴者は、屋台で無類の働きを見せる女衆だ。ラッツの家長は、さっそくその女衆に語りかけた。
「お前などは城下町の仕事も受け持っているので、適任であろう。ラヴィッツの家長の伴侶の言葉に、どう答える?」
「そうですね……」と、ラッツの女衆は思案深げに目を伏せる。俺よりも年長である彼女は、屋台の当番の中でもひときわの落ち着きと聡明さを有していた。
「現時点で家の仕事に支障は出ていませんし、《青き翼》から持ちかけられた仕事も問題なくやりとげることがかないました。ですが、今以上の仕事を日常的に受け持つことになったのなら……わたし以外の女衆が、負担を感じるかもしれません」
「うむ? 商売で引っ張り出されるのはお前であるのに、他の女衆が不平を覚えるのか?」
「わたしはさまざまな仕事を受け持っていますので、とても充足しています。でも、わたしが外に出ている間は、残された女衆が家の仕事を受け持っているのです。同じ仕事で負担だけが大きくなれば、心の安息が脅かされるのではないでしょうか?」
ラッツの女衆は彼女らしい落ち着きで、そのように言いつのった。
「また、商売の下ごしらえを受け持っている女衆も、わたしと同じような心境であるように思います。たとえば……ラッツのかまど小屋で下ごしらえの仕事を受け持ったときなどは、みんな嬉しそうにしていたでしょう?」
「うむ! ファの家にそうまで頼られるのは、誇らしいことだからな! 俺とて、同様の心地だったぞ!」
「あれもまた、限られた期間の特別な仕事です。最近は誰もがかまど仕事に大きな意義を抱いていますので、それでどれだけ忙しくなっても不満を覚えることはないのだろうと思います」
そう言って、ラッツの女衆はリリ=ラヴィッツのほうを振り返った。
「ですが、そちらの仕事が楽しいあまりに、家の仕事が苦になるようでしたら、森辺の民として正しき心根を失いかねない……リリ=ラヴィッツは、そのように案じておられるのではないでしょうか?」
「ええまあ、大きくは外れていないでしょうねぇ」
と、リリ=ラヴィッツは息子と同じように、にんまりと笑った。彼女が時おり見せる、したたかな笑顔である。
「どれだけ忙しくなろうとも、家の仕事をおろそかにするような人間はいるわけがありません。でも、商売にまつわる仕事を受け持っていない人間は、大きな充足を抱く機会もなく、ただなすべき仕事だけが増えていく……それでは、心の安息が脅かされかねないでしょう?」
「うむ。サウティの血族は近年になってようやくファの商売を手伝い始めたところであるので、そのような話は想像もしていなかった。しかし……現時点でも、屋台の商売に関わっている人間は羨望の眼差しで見られているはずだな?」
ダリ=サウティの視線と言葉を受けて、サウティ分家の末妹は「はいっ」と背筋をのばした。一昨日の祝宴にも参席した、お馴染みの女衆である。
「わ、わたしなどは族長の供としてさまざまな祝宴に参席する機会も多いので、なおさらです。もちろん、それで悪心を向けられたことなどはありませんが……」
「うむ。しかし、このさき外での仕事が増大して、残される人間の負担が増したならば、どう転ぶかもわからないということだ」
ダリ=サウティはひとつうなずき、リリ=ラヴィッツのほうに向きなおった。
「それで、そちらはアスタに尋ねたいことがあるという話であったな。いったい、何を尋ねたいのだ?」
「はい。アスタはこの先も、どんどん商売の手を広げていくつもりなのか……それを尋ねたく思っておりました」
お地蔵様のような顔に戻りながら、リリ=ラヴィッツは俺に微笑みかけてきた。
「どうでしょう? 無理のある仕事は断るだけですので、べつだんアスタに問い質す必要はないのですが……のちのちに備えて、いちおううかがっておきたいのです」
「はい。俺自身、ちょっと思うところがありましたので、こういう場で語らせていただけるのは何よりです」
俺は居住まいを正しながら、そのように答えた。
「城下町での商売に関して、俺は大きな一歩だと考えていました。でも、それと同時に、負担の大きさも感じていたのです。宿場町、トゥラン、城下町と、三ヶ所で同時に商売をするわけですからね。それらの責任者を育成するのもひと苦労でしたし、全体の当番を振り分けるのもなかなかの手間でした。そういった話も一段落して、今は軌道に乗ってきたところですが……それであらためて、俺も限界が見えてきたように感じたのです」
「ほう。アスタもまた、仕事量の限界が見えてきたということか」
「はい。まず最初に感じたのは、このまま太陽神の復活祭を迎えるのは大変そうだなという思いです。あの期間は、客足が倍増しますからね。変動しないのはトゥランだけで、宿場町と城下町では倍の客足が見込めるのですから、その大変さは容易に想像がつきます」
俺の言葉に、一部の女衆がざわめいた。
商売の下ごしらえに少しでも関わっていたならば、その苦労は簡単に想像できるのだ。
「もちろん俺も、無理な仕事を抱える気は毛頭ありません。最悪、客足がどれだけのびようとも、料理の量を変えずに商売することはできますからね。閉店の時間が早まって、お客から不満の声があげられる可能性はありますが……だからといって、無理をすることはできません。復活祭の期間も、無理のない範囲で料理を増やそうと考えていました」
「ふむ。であれば、問題はないと?」
「はい。ただそれは、現在の仕事量が上限となります。これ以上、商売の手を広げようとしたならば、復活祭の客足にまったく対応できなくなってしまうでしょう。少なくとも、屋台の数を増やすだとか、別の場所でも屋台を開くだとか、そういう大がかりな話はつつしむべきだと考えています」
そのように語りながら、俺はリリ=ラヴィッツに一礼した。
「復活祭はまだ四ヶ月ばかりも先の話ですし、ルウやディンと打ち合わせをする必要もありましたので、みなさんにご説明するのが遅れてしまいました。少なくとも、俺はこれ以上、商売の手を広げるべきではないと考えています。ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」
「いえいえ。何度も言っている通り、無理な仕事はお断りするだけですからねぇ。何もお詫びには及びませんよ」
「ありがとうございます。……他の方々も、納得していただけましたか?」
多くのかまど番が、うなずき返してくれた。
そんな中、ゆったりと挙手をしたのは――精霊のように微笑むウル・レイ=リリンであった。
「アスタのお考えは承知いたしました……では、もしも現在よりも画期的な商売の話を持ち込まれた際にも、やはりお断りするのでしょうか?」
「はい? 画期的と申しますと?」
「わたしはほとんどの時間を集落で過ごしていますので、あまり想像も及ばないのですが……たとえば、ダレイムという地で屋台を開いたり、城下町で貴族を相手に商売をしたり、という話になるのでしょうか。何にせよ、現在の商売よりも望ましい話という意味です」
そんな俗世の話とは無縁な雰囲気で微笑みながら、ウル・レイ=リリンは言葉を重ねた。
「森辺の民は豊かな生活を送るためと、外界の民と正しき縁を紡ぐために、町での商売を行っています。その志により適した話が持ち込まれた際には、どのように振る舞うのか……ただお断りするのか、現在の商売を取りやめた上でお引き受けするのか……アスタであれば、どのように考えるのでしょう?」
「うーん。ちょっと想像するのも難しいお話ですが……さしあたっては、お断りするしかないように思います。現在受け持っている商売を取りやめるというのは、きっと信用に関わってくるでしょうからね」
「そうですか……やはり、そうするしかないのでしょうね」
「はい。ただそれは、現時点での話です」
「現時点……?」と、ウル・レイ=リリンは金褐色のショートヘアーをさらりと揺らしながら、小首を傾げた。
「はい。たとえば去年や一昨年の段階では、今ほどの仕事を受け持てるとは考えられなかったように思います。ですから、現時点では無理だと思える仕事でも、来年や再来年には受け持てるかもしれません。そうして自分たちの限界というものをきちんと見定めながら、無理のない範囲で商売の手を広げていくべきだと思います」
「ああ……」と、ウル・レイ=リリンは自分の胸もとに手を置いて微笑んだ。
「さすがアスタは、そこまで先のことを見通すことがかなうのですね……わたしなどが余計な口を叩いてしまって、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、とんでもない。今日はそういった話を忌憚なく語る場なのでしょうから、ご遠慮は無用ですよ」
俺がそのように答えると、ギラン=リリンも笑顔で伴侶のほうを振り返った。
「しかし、お前がそのような疑問を口にするとは思わなかったぞ。いったいどこから、そのような話を思いついたのだ?」
「わたしはただ、幼き子供たちの行く末を思っただけです……子供たちには、自分よりも満ち足りた生を歩んでもらいたいので……」
ギラン=リリンは「そうか」と笑い皺を深めた。
両者の可愛い子供たちの姿を思い浮かべながら、俺も笑顔で言葉を重ねる。
「きっと十年後や二十年後には、森辺の人口も格段に増えているでしょう。そうしたら、それに応じて今以上の仕事を受け持てるようになるはずですよ」
「十年後や二十年後……森辺がどのような姿になっているか、楽しみなところですね」
そう言って、ウル・レイ=リリンはまた精霊のように微笑んだ。
そして、周囲のかまど番たちも満足そうに微笑んでいる。そんな期待をもって生きていけるということは、何よりの幸せであるはずであった。




