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異世界料理道  作者: EDA
第九十六章 青天の日々
1646/1695

研究の日々②~二日目~

2025.7/22 更新分 1/1

 翌日――青の月の十二日である。

 東の王都の使節団が到着してから三日目にして、送別の祝宴の三日前という日取りだ。使節団の滞在期間は六泊七日であったため、早くも折り返しの期日であった。


 その日の俺は、十回に一回と定めた城下町の当番である。

 相棒はスフィラ=ザザで、ルウ家の当番はレイおよびミンの女衆だ。ルウ家も六人態勢になってからは、レイナ=ルウとララ=ルウが参加しない日が生じるようになっていた。


「お、今日はアスタが当番かよ」


 と、屋台を開いてからしばらくして顔を見せたのは、ロイとシリィ=ロウであった。


「またけっこうな大仕事を任されたってのに、余裕だな。食材の研究は進んでるのか?」


「ええまあ、順調といえば順調ですね。そちらは、如何ですか?」


「こっちも、相変わらずだよ。どうせ形になるのは数ヶ月後だってのに、師匠はのめりこんじまうからさ。それで気晴らしに、こうして抜け出してきたってわけだ」


「気晴らし? あなたはそんな理由で、わたしを厨から引っ張り出したのですか?」


 と、シリィ=ロウが怖い顔でロイに詰め寄る。宿場町におもむく際にはフードつきマントと襟巻で人相を隠す彼女であるが、城下町では身軽な格好だ。そして彼女は貴族に招待されるような場でない限り、ディアルと同様のパンツルックであった。


「お前は師匠に負けないぐらい、入れ込んじまうからな。ちっとは外の空気を吸ったほうが、舌も冴えると思うぜ?」


「ですが、こうしている間も他なる料理人たちは研究を進めているのですよ?」


「アスタはこうして、のんびり商売に励んでるじゃねえか。何事も、緩急が大事なんだよ」


 俺を引き合いに出されても、シリィ=ロウの不満はつのるいっぽうであろう。結果、罪なき俺がシリィ=ロウにじっとりとにらみつけられることになってしまった。


「実は俺たちも、送別の祝宴ってやつに招かれたんだよ。あのソムってお人は、なかなか融通がきくみたいだな」


「へえ、ロイたちもですか。実は宿場町からも東や南の方々が招かれていて、俺も驚いていたんです」


「そっちは、外交がらみの話なんだろうな。こっちは、新しい食材をすみやかに普及させるための手管だとよ。試食会で選抜された八組の料理人が招待されたらしいぜ。……もちろん《銀星堂》は、五人全員でな」


 不敵に笑いながら、ロイはそのように言いつのった。


「で、市井の人間を増やすと貴族の席が削られるから、その分は普段の晩餐会で盛り上げてるんだそうだ。今日もけっこうな数の貴族様が、ジェノス城に招待されてるらしいな」


「そうですか。ロイは耳が早いですね」


「朝の市場なんかでは、色んな風聞が飛び交ってるからな。異国の使節団なんてのは、かっこうの的だしよ」


 そういえば屋台の貸出屋のご主人なども、使節団にはずいぶんな関心を寄せていたのだ。それを思い出しながら、俺は「なるほど」と納得した。


「まあそんなわけで、宴料理の仕上がりに期待してるからよ。いっちょ師匠が取り乱すぐらいの品を目指してくれや」


「ロイ、師匠たる御方をそのように粗雑に扱うのは――」


「それで刺激を受けりゃあ、師匠もいっそう研究がはかどるだろ。それじゃあそろそろ、料理をいただくとするか」


 そうして屋台の料理をどっさりと買いつけた両名は、やいやい騒ぎながら広場を出ていった。

 次なるお客の相手をしてから、スフィラ=ザザが俺のほうに向きなおってくる。


「お二人は、相変わらずのようですね。家族のように仲がよろしくて、何よりです」


「あはは。スフィラ=ザザも、しょっちゅうゲオル=ザザとやりあってますもんね」


「ええ。わたしが相手では、ゲオルもロイほど軽妙に振る舞うことはできないでしょうけれどね」


 と、スフィラ=ザザはうっすらと微笑んだ。このスフィラ=ザザを相手に上手を取れるような人間は、そうそう存在しないことだろう。


 それからさらにしばらくすると、今度はジェノス城の従者を名乗る人々がやってきた。なんと、使節団の面々にこちらの料理を所望されたとのことである。


「それでひとつ、お願いしたき儀があるのですが……本日、団長のソム様も森辺における勉強会というものを見学させていただけますでしょうか?」


「え? ソムが森辺までいらっしゃるのですか?」


「はい。会場となるルウの集落にはすでに使者を向かわせておりますが、ソム様はアスタ殿のお邪魔になるようでしたら遠慮をしたいと申されています」


 そのように語る使者は、べつだん深刻な顔はしていない。たとえ俺が断ったとしてもしかたがない、といった面持ちだ。それはすなわち、ソムが貴賓としての強権を行使していないという事実を示しているはずであった。


「ルウの方々がお許しになるなら、俺としても異存はありません」


「ありがとうございます。それではルウ家の方々からも承諾をいただけましたら、料理番のセルフォマ様とご一緒にご案内させていただきます」


 ロイたちよりもさらに大量の料理を買いつけて、従者の面々も立ち去っていく。その背中を見送りながら、スフィラ=ザザがまた発言した。


「前任者のリクウェルドは、森辺に足を踏み入れることもありませんでしたね。やはりソムという御方は、アルヴァッハに通ずる気質であるのでしょうか?」


「どうやら、そのようですね。ソムについては、トゥール=ディンから聞いていたのですか?」


「もちろんです。祝宴のかまどを預かる以上、森辺の民にとっても無関係の相手ではないのですからね」


 スフィラ=ザザは鋭い面持ちで、そんな風に言っていた。

 ちなみに本日の朝方には、祝宴のかまど番にスフィラ=ザザも組み込むようにとザザ家からお達しがあったのだ。もとより俺はスフィラ=ザザのみならず、ダリ=サウティのパートナーになれる女衆にも声をかけるべきなのだろうと考えていた。


(ジェノスにとっても森辺にとっても、これは外交がらみの案件なんだろうからな)


 そうしてその後は何事もなく、屋台の商売を終えることになった。

 屋台の料理は温めなおしの作業をはさむ関係から、今日のように想定外の注文が入っても、極端に終業時間が早まることはない。俺たちが宿場町まで舞い戻ると、そちらはすでに撤収した後であった。


「今日はこれから、東のお偉いさんがたが押しかけてくるわけか。あたしはお目汚しにならないように、小さくなっておくとするよ」


 護衛役のバルシャはギルルの手綱を操りながら、そんな風に言っていた。

 同じく護衛役のジルベは、俺のかたわらでぶんぶんと尻尾を振っている。その頭を撫でながら、俺はジルベに笑いかけた。


「もしかしたら、ジルベは挨拶が必要になるかもな。お行儀よくするんだぞ?」


 ジルベは人語を解しているかのように、「わふっ!」と元気いっぱいに答える。

 そうしてルウの集落に到着すると、そちらにはすでに立派なトトス車が何台も待ち受けていた。


「やあやあ、お疲れ様! いきなりの申し出を快諾してくれて、心から感謝しているよ!」


 俺が荷台を降りるなり駆けつけてきたのは、ポルアースである。やはりソムが森辺を訪れる際には、見届け役の貴族と護衛役の武官が必要となるのだ。広場に保管されているトトス車の数からして、すでに三十名からの兵士が広場の外周に配置されているようであった。


 それからさらに姿を現したのはソム本人と二名の『王子の耳(ゼル=ツォン)』、セルフォマとカーツァとプラティカ、そしてフェルメスとジェムドである。ポルアースやフェルメスが森辺にやってくるのは、ユーミ=ランたちの婚儀以来であった。


「こっちはもう、立派な挨拶と手土産をいただいてるからね。あとはアスタの好きにしておくれ」


 ミーア・レイ母さんは普段通りの笑顔で、そんな風に言っていた。

 小柄で丸っこい体格をしたソムは短い指先を複雑に組み合わせてから、一礼する。そして、手綱を手に退こうとしていたバルシャに切れ長の目を向けた。


「失礼いたします。もしやあなたは、バルシャ殿でありましょうか?」


「うん? あたしなんかに、何のご用事だい?」


 バルシャがうろんげに振り返ると、ソムはまた恭しげに一礼した。


「昨日、傀儡の劇を拝見したのです。あちらに登場した義賊《赤髭党》の生存者がルウ家の家人になられたことは、ポルアース殿から聞き及びました」


「話の流れで、ついね。どうか気を悪くしないでおくれよ」


 ポルアースが申し訳なさそうに笑いかけると、バルシャは苦笑しながら頭をかいた。


「べつだんあたしが気を悪くする理由はないけど、こちとら貴族様に対する言葉づかいなんざひとつもわきまえてないもんでね。あんまりかまわないでもらえたら、幸いだよ」


「うんうん。ただ、傀儡の劇に登場する人間というのは、ごく限られているからさ。この時間には、狩人の面々も不在だしね」


 すると、ソムも性急な物腰で語り始めた。


「あの傀儡の劇には、感銘を受けました。傀儡使いの手腕もさることながら、森辺の方々が辿ってきた苛烈な人生に大きく心を揺さぶられたのです。また、当時は大罪人と見なされていたあなたが森辺の民としての健やかな生を授かったことを、心より祝福させていただきます」


「そいつはどうも、ありがとさん。……って、あたしはこんな口しか叩けないんだよ。傀儡の劇なら、ジルベも出てるんじゃなかったっけ?」


 と、バルシャが俺の足もとを指し示す。

 そこでぱたぱたと尻尾を振っていたジルベの姿に、ソムは無表情のまま「おお」と感嘆の声をあげる。


「獅子犬ジルベ、あなたのことは第七王子殿下からもリクウェルド殿からも聞き及んでおります。噂にたがわぬ、立派なお姿でありますな」


 ジルベは嬉しそうに、「わふっ!」と答えた。

 ジルベも傀儡の劇においては、第三幕にて登場の機会があったのだ。それは《颶風党》に毒の吹き矢を仕掛けられるという不本意な内容であったが、東の王家にまつわる騒乱ではそれを払拭するほどの大活躍を見せたわけであった。


「……ところで、アイ=ファ殿はいらっしゃらないのでしょうか?」


「はい。アイ=ファも狩人の仕事がありますので、森に入っています。アイ=ファに何かご用事でしょうか?」


「いえ。傀儡の劇を拝見したことで、アイ=ファ殿にもあらためてご挨拶をしたいと願ったまでです。……それは、アスタ殿も同じことなのですが」


 と、ソムは真っ直ぐに俺を見つめてくる。

 さすが王都の外務官だけあって、その顔は完璧なまでの無表情であるが――切れ長の目には、これまで以上に熱い感情が宿されているように感じられる。やはり、ひたすら柔和で礼儀正しかったリクウェルドとは、ずいぶん人柄が違っているようであった。


「ともあれ、時間を無駄にすることは許されませんね。無理をお願いしたのはこちらであるのですから、どうぞ勉強会というものを始めていただきたく思います」


「はい。それでは、どうぞよろしくお願いします」


 それでようやく、俺たちはかまど小屋に向かうことになった。

 本日も勉強会の参加者は、昨日の十名にスフィラ=ザザを加えた顔ぶれだ。本日献立が決定されれば、明日からは手伝いをお願いするかまど番への指南が開始されるわけであった。


 ただし、トゥール=ディンも新たな食材を菓子に活用する目処が立ったため、スフィラ=ザザともども空き家のかまど小屋にこもることになる。そちらはルウ分家の女衆が手伝いをする手はずになっていた。


 というわけで、本家のかまど小屋にこもるかまど番は九名となるが、本日は助言役としてセルフォマをお招きしているし、そちらにカーツァとプラティカが同行している。さすがに見物人の全員が入室するのは手狭であったため、ソムとポルアースとフェルメスが代表となり、残る面々は入り口から覗いてもらう他なかった。


「僕たちは一刻もかけずに、失礼するからね。どうかそれまで、よろしくお願いするよ」


「え? それでもう、城下町に戻られるのですか?」


「うん。あまり長々と居座るのは迷惑だろうし、この場で献立の全容を知ってしまうのは興ざめだろう? 森辺の研究会の熱気というものを味わわさせていただければ、ひとまずは十分さ」


 ポルアースはにこにこと笑いながら、そんな風に言っていた。

 その気安い口調が、ソムとの親密の具合を示しているようである。ソムはまったく異存もない様子で、切れ長の目をあちこちに走らせていた。


「それじゃあ、勉強会を開始します。今日もよろしくお願いします」


 普段通りの挨拶として、俺はまずそのように宣言した。

 ミケルは普段以上の仏頂面、マイムはちょっぴり緊張の表情、そしてマルフィラ=ナハムも普段以上に目を泳がせていたが――あとはのきなみ、平常通りであるようだ。貴族の見学というのはちょっとひさびさであったが、誰もが複数にわたって経験しているはずであった。


「まずは、ダドンの貝からですね。こちらはこれから初めて着手するので、セルフォマに助言をお願いしたく思っていました」


「は、はい。な、何か疑問がおありでしょうか? ……と、仰っています」


「お聞きしたかったのは、東の王都での一般的な扱い方ですね。ダドンの貝にはどのような味付けと切り分け方が相応しいかを、もう少し念入りにお聞きしたく思っていました」


「そ、そうですか。ア、アスタ様は独自の調理法で臨むのが常ですので、そういったご質問は珍しいように思います。……と、仰っています」


「ええ。でも今回は、時間がありませんからね。下ごしらえの時間を考えると、今日中に献立を決定する必要があります。まずは一般的な扱い方を学んでから、それを足掛かりに研究を進めたいと考えた次第です」


 俺の言葉をカーツァから伝え聞いたセルフォマは、納得した様子で優雅に一礼した。


「しょ、承知しました。ま、まず味付けに関してですが、東の王都では香草を使うのが主流です。あ、あとは、魚醤や貝醬に蜜を加えて甘辛く仕上げるのも、同程度に好まれているように思います」


「ああ、やっぱり甘辛い味付けは合いそうですよね。香草は、辛みを強調した配合でしょうか?」


「は、はい。ダ、ダドンの貝はきわめて奥深い味と旨みを有しておりますので、強い辛みにも負けることはありません。たとえギラ=イラをふんだんにまぶしても、本来の味わいが損なわれることはないでしょう。た、ただし、西の方々はそこまでの辛みを求めてはおられないでしょうし、酸味や苦みも調和させることは難しくありません。あ、ある意味ではギバ肉に通ずる力強さなのではないでしょうか? ……と、仰っています」


 セルフォマも気合が入っている様子で、解説の言葉が長くなっている。その内容も、実に実際的であった。


「そ、そして、切り分け方に関してですが、ダドンの貝を主菜として扱う場合には、切り分けずにそのまま供することが多いように思います。ダ、ダドンの貝はその弾むような食感も魅力のひとつですので、食する方々がご自由に切り分けるのが望ましいという考えですね。た、ただし今回は宴料理のひとつとして仕上げられますので、事前に切り分ける必要があるのでしょう。ど、どのように切り分けてもダドンの貝の魅力が損なわれることはないかと思われますが、やはり身の中央と端では食感が異なりますので、その両方を味わえるような切り分け方が相応しいのではないかと思われます」


「なるほど。細かく切り分ける際には、線状ではなく放射状に切り分けるべきである、ということですか。ありがとうございます。参考になりました」


「は、はい。ま、また、ダドンの貝は厚めに切れば切るほど食感が望ましいという点も、留意していただければと思います」


「承知しました。それではさっそく、実践に移ろうかと思います」


 すると、もっとも気合の入った顔をしたレイナ=ルウが、鉄鍋に収められたダドンの貝を指し示した。


「下準備の済んだダドンの貝は、それですべてです。明日の分も朝方から水に漬けておりますので、明日の屋台が終わる頃には同じように扱えるはずです」


「ありがとう。ずいぶんな手間を押しつけちゃったね」


「いえ。ルウには誰かしらの人手がありますので、どうということはありません。火にかける作業はわたしが受け持ちましたので、何も不備はないはずです」


 そんなレイナ=ルウの手にかかったダドンの貝が、鉄鍋にどっさりと収められている。

 丸一日水に漬けたのち、四半刻ほど強い火にかけて、蓋をした状態で半日ほど保管するという、入り組んだ下ごしらえを完了させた品だ。あとは沸騰しないていどの加減で熱を入れれば、最高の仕上がりになるという話であった。


「タウ油と砂糖とシャスカ酒で煮込むだけで、さぞかし美味しいんだろうね。それを足がかりにして、いくつか仕上げてみようか」


「はい。かくになどの煮込み料理の調合を応用できそうですね。香草のほうは、どうしましょう?」


「カレーのスパイスは、試してみたいかな。あとはもちろん、レイナ=ルウが開発した香味焼きの調合と……キバケやアンテラなんかは、どうなんだろうね」


「キバケはともかく、アンテラは想像が難しいですね。アンテラの香りを移した油で煮込んでみるのは如何でしょう?」


「うん、それも面白いね。たぶん塩気が欲しくなるだろうから、あらかじめ油に加えるのと後掛けで両方試してみよう」


 俺とレイナ=ルウが語っていると、他の面々も身を乗り出してきた。


「香草でしたら、しちみチットはいかがですか? 後掛けでも美味しいんじゃないかと思います」


「そ、そ、それでしたら、甘辛く煮込んだものに掛けてみては如何でしょう? ほ、他の煮込み料理でも、そういった使い方が定番になってきましたし……」


「魚醤や貝醬は、普通に美味しそうだよねー! でも、東の人たちは食べ飽きてるかなー?」


「そこに、どのような調味料や香草を加えるかでしょうね。馴染み深い味に新鮮な味が加えられていたら、同時に異なる喜びを抱いていただけるように思います」


 たとえ見物人がいようとも、そこで言葉を選んだりはしない。その率直さこそが、森辺の民というものであった。


「いま挙げた分だけで、軽く十種類は超えそうだね。まずはそれを仕上げてから、次の手立てを考えることにしよう」


 ということで、俺たちは調理を開始した。

 ダドンの貝の切り分けと、調味液および香草の配合だ。十名で分担してそれらの作業に励んでいると、ソムが初めて声をあげた。


「私は東の王都においてもいくつかの厨を見学させていただいた経験がありますが、これほどの熱気を感じたのは初めてであるかもしれません。それはおそらく複数の優れた料理人が遠慮なく意見をぶつけあっているためであるのでしょう」


 タウ油を主体にした調味液の配合を受け持っていた俺は、手もとに視線を落としたまま「はい」と応じた。


「ジェノスでは自分の存在が目立ってしまっているようですが、すべてはみんなの協力があってのことです。自分はいつでも森辺のかまど番の総力で、こういった依頼に取り組んでいるつもりですよ」


「はい。それが、真実であるのでしょう。私はアスタ殿が指導者として森辺の料理人を率いているのではないかと考えていたのですが……布陣の後方で指揮を取る将軍ではなく、最前線で兵士とともに剣を振るう部隊長のごとき存在であるのかもしれません」


 軍隊については理解が及ばないが、そんな俺でも異議を申し立てたくなるような内容ではない。よって俺は「そうかもしれませんね」とひかえめに答えておくことにしたが、そこに言葉を重ねてきたのはフェルメスであった。


「アスタはいつでも先頭に立っていますので、ソム殿の比喩は的確であるように思います。なおかつ、この場に居揃っているのはいずれも隊長格の料理人ばかりでしょうから、いっそう洗練しているように見えるのでしょう」


「ではこれは、隊長格の人間が軍議を行っているようなものであるのですね。戦の当日にはどれだけの目覚ましい戦果があげられるのか、期待を感じてやみません」


 どうやらソムは、フェルメスが相手でも話が盛り上がるようである。まあ、ポルアースを含めて、誰もが外務官や外交官という立場であるのだ。こんなよもやま話も、外交の一環なのであろうと察せられた。


 その間に、試食用の品はどんどん仕上げられていく。

 ポルアースたちは味見を辞退したので、口にするのはかまど番のみだ。できあがるそばからどんどん試食を進めていき、そのたびに熱っぽい言葉が交わされた。


「やはりタウ油の簡素な味付けでも、十分に美味ですね。しちみチットを掛けると、なおさらです」


「ええ。これなら誰もが、手軽に美味なる料理に仕上げることがかなうでしょう。それゆえに、城下町の祝宴には相応しくないように思います」


「かれーの粉をかけても美味しいけど、なんかちょっと物足りないかも! これなら、かれーの具材にしたほうがいいんじゃないかなー?」


「であれば、然るべき下味をつけるべきかもしれませんね。そうしたら、ダドンならではのかれーに仕上げられるかもしれません」


 ダドンの貝が素晴らしい食材であるために、かまど番の熱意も大いに高まっている。

 それを見守るソムは、いつしかゆらゆらと丸っこい身体を揺らしていた。


「……無理を言って足を運んだ甲斐がありました。三日後の祝宴を、心より楽しみにしております」


 ソムがそんな風に言いだしたのは、半刻と少しが過ぎた頃合いであった。

 そうして見物人の面々は、すみやかに退室していく。その際にも、ソムはゆらゆらと身を揺らしていた。


 あとに残されたのは、東の料理人たる三名のみである。ソムたちの乗ったトトス車が出発する気配を確認してから、俺はセルフォマとカーツァの両方に笑いかけることにした。


「ソムというのは、ちょっと独特のお人柄ですよね。セルフォマは、以前からお知り合いだったのですか?」


「い、いえ。以前にも申し上げました通り、一介の料理番が貴き身分にあられる方々と顔をあわせる機会は多くありません。ソ、ソム様とも、このたび初めてお会いしました。……と、仰っています」


「では、カーツァは如何ですか?」


「は、はい。わ、私はその……以前に何度か、ソム様の晩餐会に招待されたことがあります。も、もちろん招待されたのはリクウェルド様で、私などはおまけに過ぎないのですが……」


「ああ、同じ外務官同士で、リクウェルドはおつきあいがあったのですね。ソムはああいう、気さくなお人柄だったのですか?」


「は、はい。が、外務官としてはいささかならず直情的な面もありますけれど、ソム様の場合はそれがひとつの外交術に昇華されているようだと、リクウェルド様はそのように仰っていました。……あっ、このような話を西の方々にお伝えするのは、不相応であったでしょうか?」


 カーツァは泡を食って周囲を見回したが、セルフォマは西の言葉がわからないので答えようがない。その代わりに、プラティカが「いえ」と応じた。


「相手、森辺の方々ならば、懸念、不要でしょう。ただし、それ以外の相手、伝える、不相応、可能性、あります」


「や、やっぱりそうですよね。あ、あの、どうか今の話は他言無用でお願いできますでしょうか……?」


 カーツァが泣きそうな顔で懇願してきたので、俺は「もちろんです」と笑顔を返した。


「カーツァの厚意を仇で返すような真似はしませんので、どうかご安心ください。あと、カーツァが何を慌てているのかと、セルフォマが心配しているかもしれませんよ」


「そ、そうでした。す、すぐに事情をお伝えいたします」


 カーツァはあわあわと慌てながら、東の言葉でセルフォマに事情を通達した。

 それが完了するのを待ってから、俺はあらためて声をあげる。


「それにしても、セルフォマやカーツァともついにあと三日でお別れになってしまいますね。お二人にとっては大変な日々だったのでしょうが、とても名残惜しく思います」


「あ、ありがとうございます。こ、これだけのお手間をかけさせながらそのように言っていただけることを、心からありがたく思います。……と、仰っています」


「セルフォマたちをお招きするのは、なんの手間でもありませんでしたよ。こちらも、学ぶことがたくさんありましたからね」


「わたしも、同じ気持ちです」と、レイナ=ルウが凛々しい面持ちで発言した。


「かまど番としての立場からも、セルフォマとの別れは残念でなりません。セルフォマには、もっとさまざまなことを学びたかったです」


「み、みなさんにはお世話になるばかりでご恩を返すこともできず、心苦しく思っています。も、もしもみなさんがラオリムの料理について学びたいと考えておられるのでしたら、おたがいの外務官を通して交渉してみては如何でしょうか? ……と、仰っています」


「交渉……ですか?」


「は、はい。せ、僭越ながら、私は森辺のみなさんから学んだ知識で本一冊に仕上げられるぐらいの指南書を作成することになりました。こ、このご恩に報いるには、同じだけの指南書を供するしかないのではないかと思案していたのです」


 セルフォマの返答が長かったため、カーツァはそこでひと息ついた。


「で、ですが私は西の言葉を記すことができませんし、書面を書き上げる時間もありませんでした。ラ、ラオの王城には西の文字を扱えるお人がいくらでもおられるのでしょうから、交易の一環として王城の調理の指南書を請求すれば、断られることもないのではないかと考えています。……え? あ、はい。しょ、承知いたしました」


 と、カーツァがいきなりぺこぺことセルフォマに頭を下げ始めた。


「し、失礼いたしました。じ、実はかねてより、そういった話を森辺の方々にお伝えしたかったのですが、その前に使節団の方々が到着してしまったのです。そ、それでその……セルフォマ様の側からそのような提案をしたという話が知れ渡るのは避けたいので、森辺のみなさんにも私にも口留めをお願いいたしますと仰っています」


「セルフォマは前々から、そんな風に考えてくださっていたのですね」


 と、レイナ=ルウが子供のように顔を輝かせた。


「ありがとうございます。王城の調理の指南書というものをいただくことができたら、心より嬉しく思います。それをポルアースに伝えていただけるかどうか、族長たる父に相談させていただきます」


「は、はい。そ、それで少しでもみなさんにご恩を返すことができたら、私も喜ばしく思います。……と、仰っています」


 カーツァの言葉が終わるのを待ってから、セルフォマは優雅に一礼した。

 その所作は、やはり取りすました黒猫のようであったが――しかしやっぱりセルフォマも、誠実で優しい人柄を無表情の下に隠し持っているのである。それを嬉しく思いながら、俺もセルフォマに笑顔を届けることにした。


(本当に、名残惜しいよな。三日後の祝宴では、セルフォマとカーツァにもきちんと挨拶をさせてもらおう)


 そうして俺たちは別れの日を目前としながら、その後も食材の研究に没頭することに相成ったのだった。

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