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異世界料理道  作者: EDA
第九十六章 青天の日々
1644/1695

東の王都の使節団③~感謝の言葉~

2025.7/6 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「こ、このたび私が手掛けますのは、あくまで食材の魅力を伝えるための簡単な品ばかりとなります。りょ、料理人の方々には物足りなく思える面もありましょうが、何卒ご理解をお願いいたします」


 カーツァを通してそんな言葉を伝えながら、セルフォマは調理を開始した。それを手伝うのは、プラティカのみだ。


「ま、まずはヴィレモラの身の塩漬けです。こ、こちらは表面の塩気をぬぐったのちにレテンの油で焼きあげて、細かく挽いたチットの実と魚醤で味を加えます」


 スシネタのように平べったく切り分けられたヴィレモラの身が織布で表面をぬぐわれて、鉄鍋に投じられていく。それほど熱を通す必要がないため、すぐさまチットの実と魚醤が加えられて、手早く焼きあげられていった。


 それらの芳しい香りだけで、俺は食欲中枢を刺激されてしまう。普段の勉強会でも、そろそろ何らかの味見を楽しんでいる頃合いであったのだ。勉強会に参加している森辺のかまど番は、この時間に間食をするサイクルになっているはずであった。


「か、完成いたしました。た、貴き身分にあられる方々も、よろしければ味見をお願いいたします」


 小姓や侍女たちが楚々とした足取りで近づいていき、料理が取り分けられた小皿を受け取っていく。見物人の中で、従者を除く面々が味見をするようだ。そして、二名の『王子の耳(ゼル=ツォン)』は当然のように小皿を受け取らなかった。


「ほうほう! これは確かに、これまでジェノスに流通していた魚介の食材とも異なる魅力を有しているようですな!」


 喜色満面で、ポルアースはそう言った。

 そして、使節団の団長たるソムがすぐさま「なるほど」と続く。


「チットはジギ、魚醤はドゥラの品でありますね。どちらも良質な品であるため、ヴィレモラの身とこよなく調和しているようです。レテンの油というものは初めて口にしましたが、ひそやかな風味が品のいい味わいを演出しているようですな」


「ふむふむ! やはり同じチットでも、産地によって味わいが異なってくるのでしょうか?」


「はい。微細な違いとなりますが、広大なる草原で育ったチットは味の奥行が異なるように思います。また、気候の厳しいゲルドのチットは引き締まった風味で、ラオリムのチットは風味が大人しいぶん辛みが鮮烈な印象でありますな」


 アルヴァッハほど長広舌ではないが、いかにも美食家らしい物言いである。そして、言葉の数はひかえめでも、こういった場で黙ってはいられないという熱情もにじんでいた。


 いっぽう料理人の陣営も、みんな満足そうに味見の品を食している。確かにシンプルな味付けであったが、ヴィレモラの身の魅力は十分に体感できたように思えた。


「ふうむ。食せば食するほど、生鮮の魚に近い印象でありますな。ジェノスでは生鮮の魚が希少でありますため、こちらの品は大きな人気を博するように思いますぞ」


 ボズルが大らかな笑顔でそのように伝えると、セルフォマは無言のまま一礼した。

 もしかしたら使節団の目をはばかって、南の民たるボズルやシフォン=チェルとは距離を取っているのだろうか。しかしそれでも、使節団が彼らの同席を許してくれたのは幸いな話であった。


「で、では次に、ヒレと魚卵の料理を同時に進めていきます」


 フカヒレに似たヴィレモラのヒレは、塩と貝醬と花蜜、そしてシャスカ酒の調味液で煮込まれていく。

 いっぽうキャビアに似た魚卵は、すでに細長く仕上げられていたシャスカの麺にまぶされた。そちらで使われたのは、ジュエの花油のみだ。


 ヒレの煮込みには多少の時間がかかるため、まずは魚卵をまぶしたシャスカが配られる。

 ほんのひと口ていどの分量であるが、白いシャスカの麺にまぶされた黒い魚卵は、色の対比も美しい。ジュエの花油がまぶされたことですべてがてらてらと照り輝き、ダイアなどはうっとりと目を細めていた。


 然して、その味わいは――高級なパスタのごとしである。

 シャスカの麺はソーメンのように細いのにもちもちとした食感であるが、それも悪い印象にはなっていない。そして、花油の甘くてわずかに香ばしい香りが、予想以上にヴィレモラの魚卵の独特の風味と調和していた。


(キャビアっていったらバケットか何かにのせて食べるイメージだけど、パスタに仕上げたって悪くはなさそうだもんな)


 ともあれ、こちらも素晴らしい仕上がりだ。簡素な仕上がりであるがゆえに、ここにどのような味付けと具材を加えるべきか、想像力を刺激されてならなかった。


「ヒ、ヒレの煮込みはもう少々時間がかかりますので、ダドンの貝の調理も開始いたします。こ、こちらには、レミュの香草も使用いたします」


 ヒレの火の番はプラティカに託して、セルフォマは隣のかまどで作業を開始する。アワビに似たダドンの貝は薄く切り分けられた上で、魚醤と白ママリアの酢とシャスカ酒とレミュの調味液で軽く煮込まれた。


 まずは調味液がじっくり煮込まれて、それを弱火に落としたのちに、ダドンの貝が投じられる。セルフォマはゆったりとした手つきで攪拌し、ときおりレードルの底で質感を確認していた。


「く、繰り言になりますが、ダドンの貝は熱を通しすぎると食感が損なわれます。最後に熱を通す工程では、前段階の工程から固さが増してしまわないようにご留意ください」


 間にそんな説明をはさみつつ、ダドンの貝の料理が先に仕上がった。

 その配膳を小姓に託したのち、セルフォマはプラティカと合流する。そちらは小さな匙で調味液の味を確認しつつ、やはりレードルで質感も確認していた。


「こちらは、白いママリアの酢というものが初めて口にする食材となります。シャスカの酢とはまったく異なる趣でありますが、実に魚介の食材と調和するようですな」


 ダドンの貝を食したソムは、そんな風に評していた。

 それを横目に、俺もダドンの貝の切り身を口に運ぶ。すると、実に絢爛な味わいが口内に広がった。


 もともと旨みが豊かであるダドンの貝が、調味液によってさらに鮮やかに彩られている。魚醤の味わいも白ママリア酢の酸味もレミュの香草の複雑な香気と辛みも、何もかもがダドンの魅力を引き立てるために奔走しているような印象であった。


 それらの調味料はいずれも強い味わいであるが、弱火で軽く煮込まれただけであるので身の内側にまではしみこんでいない。それだけで、ダドンの貝には十分であるのだ。また、ミリ単位で薄く切り分けられながら、ダドンの身はぷりぷりとしていて食感も心地好かった。


「ううむ、素晴らしい。ダドンの貝というのは力強い味わいでありますが、それを料理に仕上げるには非常な繊細さが求められるようですな」


 そのように語るティマロも、ますます熱っぽい面持ちになっている。

 そして、ヴァルカスも溜息まじりに発言した。


「こちらの食材を十全に使いこなせる人間が、ジェノスにどれだけ存在するのでしょう。この素晴らしい食材が無駄にならないことを祈るばかりです」


「……ヴァルカス、貴き方々の御前ですよ」


 ティマロが文句をつける前に、ロイが小声で注意をした。

 すると、ポルアースが「ははは」と笑う。


「ヴァルカス殿がそのような不安を口にするということは、素晴らしい食材であるという何よりの証左だね。確かにこのダドンの貝というのは、素晴らしい味わいでありますよ」


「ええ、本当に。実はわたしはあまり貝というものに興味がなかったのですけれど、このダドンの貝には大きな魅力を感じてやまないわ」


 と、この場で初めてリフレイアが声をあげた。おそらくは、ヴァルカスの余計な言葉をすみやかに受け流すためだろう。ヴァルカスは並み居る料理人をないがしろにしたに過ぎないが、何にせよ大事なお客に聞かせるような内容ではなかった。


「でも確かに、これは素晴らしい味わいだね! わたしは海辺の生まれであるために魚介の食材などは食べなれているけれども、これは指折りで質の高い食材であるように思うよ!」


 と、ついにはティカトラスまでもが発言する。こちらはおそらく、ポルアースとソム以外の人間が口を開くのを待ち受けていたのだろう。東の王都の使節団を相手取る際には、ティカトラスも多少は遠慮が出るのだった。


 そんな中、フェルメスは沈黙を保っている。

 そして、俺の視線に気づくと、フェルメスはにこりと笑顔を届けてきた。それは遠くに離れた想い人に微笑みかける可憐な乙女のごとき風情で、アイ=ファの視界から外れていることを祈るばかりであった。


 そんな中、ついにヒレの煮込みも完成する。

 こちらはそれなりの時間がかけられたため、貝醬の茶色い色合いがしっかりとしみこんで、いっそう艶々と照り輝いていた。


 巨大なヒレは細かくほぐされて、小皿に取り分けられていく。

 それを口にしてみると、ダドンの貝とはまったく異なる美味しさが体感できた。


 ダドンの貝は本体の旨みが主役であるが、ヴィレモラのヒレは無味無臭であるのだ。よって、調味液に使われた塩と貝醬と花蜜とシャスカ酒の味がすべてとなる。その配合が、素晴らしく――そして、ヒレの食感が魅力を倍増させていた。


 細かくほぐされたヒレはいかにも繊維質の塊めいているが、その隅々にまで調味液の味わいが浸透している。そして、とろけるような食感でありながら、コリコリとした食感も入り混じっており、なかなか他の食材では味わえないような感覚であった。


「……これはまた、研究のし甲斐がある食材のようですね。あらゆる煮汁との相性を確かめたくなってしまいます」


 レイナ=ルウは燃えるような気合で、そんな言葉をこぼしていた。


「そ、それでは最後に、ペネペネの酒です。こ、こちらはギバの肉焼きの調味液として使用いたします」


 と、最後でいきなりギバ肉が持ち出されたものだから、レイナ=ルウはいっそう表情が引き締まった。

 そして見物人の列からは、ソムが身を乗り出している。


「この場で噂に名高いギバ肉を味わえるのですな。これは、嬉しい驚きです」


「そのように言っていただけるのは、光栄の限りです。ソム殿も、ギバ肉の評判を聞き及んでおられたのですね」


「もちろんです。ギャマとは似て異なる、きわめて質の高い肉であると聞き及んでおります」


 確かにポルアースとソムは波長が合っているようで、出会ってから数刻とは思えないほど自然にコミュニケーションしているように見える。なおかつ、両者は頭半分ほどの身長差があったが、どちらもころころとした丸っこい体格であるため、外見上もいいコンビであるように思えた。


「こ、こちらはペネペネの酒と同じ分量の魚醤を加えて、シャスカの酒、赤のママリア酢、花蜜、香草のキバケを添加いたします。お、おそらくジェノスに流通しているタウ油にも、ペネペネの酒は調和するのではないかと思われます」


 セルフォマはまだタウ油の扱い方を学んでいるさなかであるため、ゲルドから届けられる魚醤や貝醬を頼る他ないのだ。しかし先刻から、王城の料理番に相応しい手腕を見せていた。


 持ち出されたのはギバのロース肉で、それがひと口大に切り分けられていく。焼きあげる前に塩とピコの葉をもみこむのは、森辺の集落で習い覚えた手腕だ。

 その肉を鉄鍋でざっくり焼きあげたならば、調味液を加えてさらにじっくり熱を通していく。手法としては、生姜焼きに近かった。


 紹興酒に似たペネペネの酒と魚醤、そして香草キバケの複雑な香気が厨に満ちていく。最後の品に相応しい、力強く魅力的な芳香だ。そこにはもちろん、ギバ肉が焼きあげられる香りもしっかり華を添えていた。


 ソムは無表情に立ち尽くしながら、わずかにゆらゆらと身を揺らしている。使節団の団長という身分にありながら、美食家としての血が騒いでならないようであった。


(いつかアルヴァッハと遭遇する機会があったら、楽しいことになりそうだな)


 もう目新しい食材を届けるという任務は達成したので、アルヴァッハがジェノスを訪れる機会はそうそうないのだろう。また、次代の藩主という立場にあれば、いっそう行動は制限されるはずだ。しかしそれでもいつかは再会できるはずだと、俺はアルヴァッハの熱情に期待をかけていた。


 俺がそんな感慨を噛みしめている間に、味見の品は完成する。

 ギバ肉が使われたことで、リミ=ルウやレイ=マトゥアもいっそうの期待をかきたてられたようだ。もちろん俺も、それは同じことであった。


「おお、これは確かに、素晴らしい味わいです」


 と、そんな俺たちよりも早く、ソムが感慨を口にした。


「セルフォマの手腕も見事でありますし、我々が届けたペネペネの酒も自慢の品でありますが、何よりギバ肉の味わいに感銘を受けてしまいます。こちらはまさしく、ギャマにも劣らない力強き味わいでありますな」


「お気に召したのなら、何よりです。みなさんが出立されるまでに、数々のギバ料理を楽しんでいただきたいところでありますね」


 ポルアースも、実に嬉しそうな面持ちである。

 それを横目に、俺もセルフォマの力作をいただくことにした。


 魚醤もたっぷり使われているが、ペネペネの酒の独特の風味が実に際立っている。もっとも際立つのは香ばしさであるが、やはり調味液に仕上げられても複雑な味わいが感じられた。

 なおかつ、もっとも特徴的である苦みと渋みは、魚醤や花蜜によって上手い具合に中和されている。そして、さらに複雑な香りを持つ香草キバケが、ペネペネの酒の香気と入念に絡み合い、何とも奥深い味わいであった。


 それに負けないのが、ギバ肉の力強さである。

 おそらくキミュスの肉などでは、この複雑にして圧倒的な味わいに負けてしまうことだろう。牛肉に似たカロンの肉でも、あやしいところだ。これはやっぱりギバやギャマぐらい主張が強い肉にこそ調和する味わいであるはずであった。


「おいしーねー。ちょっと城下町の料理っぽいところもあるけど、これだったらドンダ父さんも美味しいって言ってくれるんじゃないかなー」


 リミ=ルウはにこにこと笑いながら、小声でそんな風に言っていた。

 セルフォマは長らく森辺の集落に通っているので、森辺の民の好みも把握できたことだろう。そしてこの場では、森辺のかまど番のこともしっかり意識した上で献立を選んだのではないかと察せられた。


 大きな仕事をやりとげたセルフォマは、変わらぬ優美な姿でたたずんでいる。

 それに声をかけたのは、ソムであった。


「セルフォマ。あなたは立派に、務めを果たしてくださいました。我々が届けた品の魅力は、余すところなくお伝えできたのではないかと思われます」


「あ、ありがとうございます。か、過分なお言葉をいただき、光栄の限りです。……と、仰っています」


 西の地に身を置く人間の礼儀として、そんな言葉も西の言葉で語られる。

 そしてソムは無表情にうなずきながら、俺のほうに視線を向けてきた。


「森辺の民、ファの家のアスタ殿。よろしければ、ご感想をお聞かせ願えますでしょうか?」


「あ、はい。いずれも素晴らしい品々ばかりで、心からありがたく思っています。自分もこれらの食材を使って素晴らしい料理を仕上げられるように、研鑽を積ませていただきます」


「ジェノスで一番の料理人と名高いあなたがこれらの食材をどのように使いこなすのか、私も楽しみにしておりました。あまり期間はないのですが、どうかジェノスを出立する前にあなたの手腕を味わわさせていただけますでしょうか?」


 それは事前に、ポルアースからも懇願されていた一件である。

 ただし俺は、慎重に答えることにした。


「はい。そのために、余念なく力を尽くすつもりですが……もしも時間が足りないときは、既存の食材を使った料理でご容赦をいただけますか?」


 するとソムは、せわしなく小首を傾げた。


「あなたはこれまでにも、初めて手にした食材で数々の素晴らしい料理を作りあげてきたのだと聞き及んでおります。今回に限っては、何か不都合があるのでしょうか? もしや……このたびの食材に、ご不満をお持ちなのでしょうか?」


「いえ、決してそういうわけではありません。ただ今回は、これまで以上に馴染みのない食材ばかりでしたので、自分でもどこまで使いこなせるか予想が立たないのです」


「……あなたは大陸の外のお生まれであり、故郷にはさまざまな食材があふれかえっていたのだと聞き及びます。それで、目新しい食材を扱う手腕に優れていると聞き及んでおりましたが。今回に限っては、その例に含まれないということでしょうか?」


 ソムはあくまで無表情だが、その声にはどんどん熱がこもって、どんどん早口になっていく。これは俺も、心して答えなければならなかった。


「はい。外見的に似たような品は見かけたことがあったのですが、いずれも自分が手にしたことのない品ばかりであったのです」


「……何故に、手にすることがなかったのでしょう? それらの似た品々に、アスタ殿は魅力を覚えなかったということでしょうか?」


「いえいえ。自分の故郷ではいずれも高級な食材であったため、手が出なかっただけのことです。それで、調理はもちろん口にする機会もなかったのです」


 俺の返答に、ソムは小さくて丸っこい身体をゆらゆらと揺らした。

 それはどういう感情表現なのだろうと見守っていると、やがてソムは再び口を開いた。


「アスタ殿は礼節を守りながらも、決して他者に媚びるような人柄ではないと聞き及んでおります。また、森辺の民という方々は虚言を罪とするとも聞き及んでおりますので……それらの食材が高級であったと申し述べることで、我々に媚びへつらっているというわけではない、ということでありますな?」


「もちろんです。自分は事実のみ口にしています」


 ソムはゆらゆらと揺れるのをやめて、小さくうなずいた。


「承知いたしました。それでは、アスタ殿の手腕を楽しみにしております」


 そうしてソムが口をつぐむと、ポルアースが後を引き継ぐように声をあげた。


「それではいつも通り、研究用の食材は無料で持ち帰っていただくよ。こちらで定めた以上の分量を求める際には代価をいただくので、それぞれ担当の者に申告してくれたまえ」


 帳面を手にした小姓たちが進み出ると、料理人たちがそれに群がった。

 森辺のかまど番はお行儀よく、順番待ちである。すると、ポルアースがさらに声をかけてきた。


「それでは森辺の方々は、別室にお願いできるかな? アスタ殿と族長筋の立場ある御方に、あとの人選はおまかせするよ」


 そんな言葉を残して、貴族の面々は退室していった。

 俺は後事をユン=スドラに託して、壁際に待機していたアイ=ファと合流する。そして、アイ=ファと一緒にいたルド=ルウが肩をすくめた。


「ややこしい話は、ガズラン=ルティムにおまかせするよ。ジザ兄がいねーなら、ガズラン=ルティムが一番だろ」


「うむ。ルド=ルウがそのように判じたのなら、従おう」


 ガズラン=ルティムはゼイ=ディンとともに、扉の外に控えている。俺がアイ=ファとともに扉を出ると、すでにガズラン=ルティムのもとには案内役の小姓がたたずんでいた。


「お疲れ様です。アスタと族長筋の人間が、別室に招かれたそうですね。フェルメスに、期待の眼差しを向けられてしまいました」


「うむ。ルド=ルウは、ガズラン=ルティムに一任すると申していたぞ」


「では、つつしんで参りましょう」


 そうして俺たちは、厨のすぐそばにある別室へと招かれた。

 そちらで待ちかまえていたのは、外務官とポルアース、フェルメスとジェムド、ソムと書記官の男性、そして二名の『王子の耳(ゼル=ツォン)』である。


「やあやあ、お呼びたてしてしまって申し訳なかったね。こちらの『王子の耳(ゼル=ツォン)』の方々が、それぞれ君主たる王子殿下から書簡をお預かりしているそうであるのだよ」


「書簡? ポワディーノばかりでなく、第二王子もですか?」


 ガズラン=ルティムが穏やかに反問すると、ポルアースは笑顔で「うん」とうなずいた。


「それは東の文字でしたためられているため、『王子の耳(ゼル=ツォン)』の方々が読み上げてくださるそうだよ」


 ポルアースの視線を受けて、まずはポワディーノ王子の臣下たる藍色の『王子の耳(ゼル=ツォン)』が懐から筒状の書簡を取り出した。

 見るからに上質の紙が革の帯で巻かれており、結び目は蝋で封印されている。それを俺たちの眼前で開封してから、『王子の耳(ゼル=ツォン)』は一礼した。


「この身は口ならぬ耳でありますため、お聞き苦しい点もあるかとは存じますが、どうかご容赦をお願いいたします」


 そんな風に言いながら、実に流麗なる言葉づかいである。王子の臣下の文官は、いずれも西の言葉をきっちり体得しているのだ。


「それでは、読みあげさせていただきます。……親愛なる森辺の諸兄へ。先日は我の短慮な行いによって貴殿らの安息を脅かしてしまい、あらためて謝罪の言葉を捧げさせていただきたく思う。森辺の民を含むジェノスの面々の尽力の甲斐あって、ラオの王家は正しき姿を取り戻すことがかなった。ジェノスの領主マルスタインおよび西の王カイロス三世に対しては父たる王陛下から感謝と謝罪の書簡が届けられるため、こちらにおいては森辺の面々に言葉を届けさせてもらいたく思う」


 ポワディーノ王子の面影が脳裏をよぎって、俺の胸を熱くさせた。

 ポワディーノ王子は十歳という若年でありながら、懸命に王子としての役目を果たしていたのだ。たとえ二ヶ月ていどのつきあいであっても、俺にとっては生涯忘れられない相手であった。


「繰り返すが、ラオの王家は正しき姿を取り戻すことがかなった。第二王妃と第五王子は処断され、いわれなき罪によって投獄されていた第四王子と第六王子は自由の身となった。今は魂を返してしまった第一王子と第三王子を偲びながら、四人の王子が王陛下のもとで手を携えている。若輩たる我も兄たちの足手まといにならぬよう、死力を尽くしているつもりである。また、ロルガムトも無事に恩赦を与えられて、我の従者となることを許された。今は他なる臣下とともに、王子宮において母に仕えてもらっている」


 人質を取られて悪事に加担させられたロルガムトにも、恩赦が与えられたのだ。

 別れの際に挨拶をしたロルガムトの面影が、俺の胸にいっそうの熱をもたらした。


「我は森辺の勇士たるアイ=ファに生命を救われ、聡明なるガズラン=ルティムの言葉で真実を見出すことがかなった。さらに、森辺の料理番アスタの心尽くしで、心のの安息と充足を得ることがかなったのだ。我はジェノスで出会ったすべての人々に感謝する身であるが、そちらの三名には重ねて感謝の言葉を捧げさせてもらいたい。我が陰謀に屈することなく健やかな生を取り戻すことがかなったのは、皆々のおかげである。現世においては二度と相まみえる機会はないやもしれないが、東の王都にて皆々の幸福な行く末を祈っている。これからも、正しき力でジェノスを繁栄に導いてもらいたい。シム第七王子ポワディーノ=ラオ=ケツァルヴァーン、記す。……王子殿下のお言葉は、以上となります」


王子の耳(ゼル=ツォン)』が口を閉ざすと、ガズラン=ルティムがとても優しい表情で「はい」と応じた。


「ポワディーノの誠実な人柄が、言葉だけでも十全に伝わってきました。私もポワディーノの幸福な行く末を願っていると、伝言をお願いすることは許されますでしょうか?」


「はい。この地で耳に収めたものを王子殿下にお伝えするのが、この身の役割でありますので」


王子の耳(ゼル=ツォン)』は恭しく頭を下げながら、優雅な手つきで書簡を丸めなおした。


「こちらの書簡は、森辺の代表者たる御方にお渡しするように言いつけられております。どうぞ、お収めください」


「それは、ガズラン=ルティムが受け取るべきであろうな」


 穏やかな顔をしたアイ=ファにうながされて、ガズラン=ルティムが書簡を受け取った。

 俺やアイ=ファもポワディーノ王子には強い思い入れを抱いているつもりであるが、ガズラン=ルティムはひときわ強い絆を結んだようであるのだ。ガズラン=ルティムの横顔にはポワディーノ王子に対する思いがあふれかえっていて、俺はそれを見ているだけで胸がいっぱいになってしまった。


「まるで、こちらの三名が立ちあうことを予期していたかのようであったね」


 と、ポルアースも感じ入っている様子である。

 そんな中、白装束の『王子の耳(ゼル=ツォン)』も書簡を開封した。


「では、こちらの書簡も読みあげさせていただきます」


 こちらの『王子の耳(ゼル=ツォン)』も、やはり流暢な言葉づかいだ。ただその声音は、壮年の男性のそれであった。


「森辺の諸兄へ。貴君らの誠実にして勇敢な振る舞いにより、シムの王家は過去の過ちを正すことがかなった。心よりの感謝を捧げ、貴君らの幸福な前途を祈る。シム第二王子ディエカトルラ=ラオ=ケツァルヴァーン、記す。……以上となります」


 俺はアイ=ファやポルアースと一緒に、きょとんとしてしまった。

 しかし俺たちよりも早く、ソムがせわしなくうなずきながら発言する。


「あの第二王子殿下が外交上の必然性もなく書簡をしたためるというのは、かつてなかったことです。それだけ第二王子殿下も、森辺の方々に感謝しているのでしょう」


 では、俺たちもこの短い文面に第二王子の思いが詰め込まれていると解釈するべきであるのだろう。ひとり泰然たる態度であったガズラン=ルティムは、そちらの書簡も丁重に受け取った。


「両殿下が仰います通り、ラオの王城においてはすみやかに秩序と平穏が取り戻されております。私も王城に仕える人間の末席として、皆様には心よりの感謝を捧げさせていただきます」


 と、ソムはさらに言葉を重ねた。


「それで、今後についてなのですが。むやみに長逗留をしてもご迷惑をかけるばかりですので、我々は青の月の十七日を目処に出立する予定であります」


「そうなのですか。では、六日ていどしかジェノスに滞在しないのですね」


「はい。その短い期間で、アスタ殿の手腕を味わわさせていただくことは可能でありましょうか?」


 ソムは無表情のまま、ぐっと身を乗り出してくる。

 おそらくは、俺が同程度の期間で試食の祝宴というものをおおせつかったことを聞き及んでいるのだろう。俺としては、そのときと同じような言葉を返すしかなかった。


「はい。なるべくご期待に添えるように、力を尽くします。ただ先刻もお伝えしました通り、もしもその期間で新しい食材を満足な形に仕上げることができなかった場合は、既存の食材を使った料理でご容赦いただけますでしょうか?」


「それはもちろん、私がアスタ殿に無理を強いることはできません。たとえ既存の食材を用いた料理でも、アスタ殿の手にかかれば素晴らしい出来栄えなのでしょうし……」


 と、ソムはまたゆらゆらと身を揺らし始める。

 それをなだめるべく、ポルアースがやんわりと発言した。


「きっとアスタ殿であれば、ソム殿にご満足いただける料理を準備してくれることでしょう。……アスタ殿、どうかよろしくお願いするよ」


「はい。力を尽くすとお約束します」


 とりあえず、その場の会談はそこまでであった。

 俺たちが先に部屋を出ると、アイ=ファが小声で「やれやれ」とつぶやく。


「なんというか、このたびの責任者はずいぶんリクウェルドと趣が違っているようだな」


「うん。でも、悪い人ではないんじゃないかな?」


「貴族としては、正直すぎるぐらいであろうな。アルヴァッハやダカルマスとは、さぞかし気が合うことであろう」


 やはりアイ=ファも、そちらの面々を連想していたらしい。どうもジェノスにやってくる美食家というものは、みんな率直かつ熱情的であるようであった。


「同じ王都の人間でも、人柄はさまざまであるということですね。それは当たり前の話なのでしょうが、私としては望ましく思います」


 大切そうに書簡を携えたガズラン=ルティムがそのように評すると、アイ=ファは「そうだな」と苦笑のまじった声を返した。


「まずは、新たな責任者が尊大な人間でなかったことを喜ぶべきであるのだろう。お前も無理のない範囲で、力を尽くすがいい」


「うん。これまで通りに、頑張るよ」


 これから家に戻ったら、さっそく新たな食材の検分である。

 わずか六日間でどれだけの結果を残せるかはわからなかったが、俺は自分にできることをやるしかない。新たな美食家たるソムに喜んでもらえるように、俺は力を尽くすつもりであった。

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― 新着の感想 ―
おれ、結構ソムのソワソワした感じ好きですわw
あれ?第四、第六王子のどちらかって陥れらとはいえ実際に謀叛を興して王家に害を与えたので無罪にはならないって話じゃ無かった?
蒲鉾や竹輪を入れた蕎麦、ヒレ酒やフカヒレ寿司が作れるよ。 やったね!
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