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異世界料理道  作者: EDA
第九十六章 青天の日々
1643/1699

東の王都の使節団②~吟味~

2025.7/5 更新分 1/1

「こ、このたび新たに届けられた食材は、魚介が四種、香草と酒類が一種ずつの、計六種となります。い、いずれもラオリムが誇る自慢の品となりますので、ジェノスの方々のお口に合えば幸いです」


 カーツァが感じやすい頬を赤く染めながら、セルフォマの挨拶の言葉を通訳した。

 その間に、プラティカがしなやかな足取りでセルフォマのもとに進み出る。かたや紺色、かたや藍色の調理着であるが、よく似たいでたちだ。


「きょ、今日はゲルドの料理番たるプラティカ様に手伝いをお願いしております。プ、プラティカ様、どうぞよろしくお願いいたします」


「はい。不備、出ないよう、力、尽くします」


 いでたちはよく似ているが、雰囲気は対照的な両名である。顔立ちもそれほど掛け離れてはいないのに、セルフォマは優美な黒猫、プラティカは勇猛なる山猫という印象だ。それはある意味、ラオリムとゲルドの対比でもあった。


「そ、それではまず、魚介の食材からご紹介いたします。ぎょ、魚介の食材は三種までが、ヴィレモラという魚にまつわる品となります。ヴィ、ヴィレモラは時として人を襲う獰猛な魚ですが、本日届けられたのはいずれも養殖の品でありますため、人喰いの獣を厭う西の方々にも安心して口にしていただけるかと思います」


 すると、リミ=ルウが小首を傾げながら、俺の調理着の裾をくいくいと引っ張ってきた。


「ねえねえ、よーしょくってどういう意味?」


「養殖はね、魚を人間の手で育てることだよ。カロンを牧場で育てるのと同じようなものだね」


「ふーん。それなら、ヴァルカスが使うお魚と一緒だねー」


 あれは養殖ではなく、遠方の川で捕らえられた魚が生きたまま運ばれてきたにすぎない。しかし今は、そんな細かな説明をしているいとまもなかった。


「ほ、本日届けられたのは、ヴィレモラの肉、ヴィレモラのヒレ、ヴィレモラの卵といった品となります。に、肉と卵は塩漬けにされており、ヒレは干し固められておりますので、いずれも長期保存が可能です」


 すると、またリミ=ルウが調理着の裾を引っ張ってきた。


「ねえねえ、ヒレってなんだっけ?」


「ヒレっていうのは魚の背中とか尻尾とかについてる、ひらひらしたアレだよ」


 俺がそんな説明をしている間に、作業台に準備されていた木箱のひとつが開封された。

 とたんに、魚らしい生臭さが厨にたちこめる。ジェノスの面々もずいぶん魚介の食材に慣れてきたところであろうが、これはなかなかの強烈さであった。


「こ、こちらがヴィレモラの身の塩漬けとなります。こ、このままでも食せないことはありませんが、胃腸が弱っている御方は病魔を招く恐れがありますので、念のために火を通させていただきます」


 セルフォマとプラティカが二人がかりで鍋の準備をして、水を煮立て始めた。


「ほ、本来は油で焼きあげたほうが好ましい味わいを目指しやすいかと思われますが、まずは食材そのものの味わいを確かめていただくために、茹でた身を味見していただきます」


 準備の間にも、カーツァの口から説明が施される。料理番ならぬ彼女は、調理を手伝うこともままならないのだ。


 やがて湯が煮立ったならば、皿に取り分けられたヴィレモラの身が鍋に投じられていく。

 ほんの数十秒で、その身は別なる大皿にすくいあげられた。


「こ、こうして熱を通す際は、沸騰した湯に投じて、表面がくまなく白く変じたならば食べごろとなります。ね、熱を通しすぎると身が固くなりますので、ご注意ください」


 カーツァが語る中、ヴィレモラの身が小皿に取り分けられていく。ヴィレモラの身はスシネタのように薄く切り分けられていたため、あのわずかな時間でも十分に熱が通ったようであった。


 表面はすっかり白くなって、煮込まれたためにしんなりしている。いかにも素っ気ない外見であるが、それを彩るのはきちんとした料理に仕上げる場であろう。俺は期待を込めながら、その身を半分だけかじり取った。


 中までしっかり熱は通っているようだが、予想以上にやわらかい。塩漬けの身とは思えないほど、ふんわりした食感であった。

 最初の強烈な香りに反して、風味はそれほど強くない。洗いきれなかった塩気がほどよくきいているが、身そのものは淡白な味わいである。これならば、食べる人間を選ぶこともなさそうであった。


「ふむ……塩漬けの身は水気が抜けて固くなるのが通例だと思われますが、こちは生鮮の魚さながらの食感でありますな」


 と、こういう場で能弁なるティマロが真っ先に感想を口にした。


「まあ、わたしは生鮮の魚など数えるほどしか口にしたことがございませんが……あえて言うならば、油漬けの身に近い食感であるように思われます」


「は、はい。ヴィレモラの身は本来がきわめてやわらかいため、塩漬けにしてもさほど固くならないようです」


「なるほど。強い風味が存在しない分、さまざまな料理で活用できることでしょう。ジョラの油漬けは身がほぐされておりますため、そちらとの差別化も難しくはないでしょうな」


 ヴァルカスを筆頭に、異を唱える人間はいない。誰もが、ヴィレモラの身の味わいに満足したようであった。


「あ、ありがとうございます。あ、油で焼きあげるとまた異なる味わいを楽しんでいただけるかと思われますので、そちらはのちのち味見をしていただきたく思います」


 ぺこぺこと頭を下げながら、カーツァは最初の説明を締めくくった。

 セルフォマが新たな言葉を語り、それがまたカーツァの口から語られる。


「で、では次に、ヴィレモラのヒレとなります。こ、こちらは固く干し固められておりますので、食するには煮込む必要が生じます」


 新たな木箱の蓋が開かれて、そこから奇妙な品が取り出される。

 人間の手の平ほどの大きさをした、平べったい乾物だ。色は黄色みがかったクリーム色で、いびつな三角形をしていた。


「……発言をお許しください。ヒレがそれほどの大きさであるということは、ヴィレモラというのはずいぶん大きな魚なのでしょうか?」


 そのように声をあげたのは、気合満点の顔をしたシリィ=ロウである。

 セルフォマが東の言葉で返答すると、カーツァは「ええ?」と大きな声をあげてから真っ赤になった。


「し、失礼いたしました。……ラ、ラオの養殖場で育てられるヴィレモラは、人よりも大きく成長するのだそうです」


 すると、料理人の一団からも驚きの声があげられた。ジェノスの人間が知る魚というのは、せいぜい四、五十センチの大きさであるのだ。


「それで本来は、人を襲うような獰猛な魚であるのですね。それを育てるには、ずいぶんな危険が生じるのでは?」


「は、はい。で、ですが、養殖にあたっては万全の設備が整えられておりますので、どうぞご安心ください」


 そんな説明がされている間に、今度はヴィレモラのヒレが鉄鍋で煮込まれた。

 今回は乾物を戻す作業であるので、先刻よりも長きの時間がかけられる。そうしてできあがったのは、同じ色合いと形状のまま艶々と照り輝く、なんとも見慣れない品であった。


 そちらは、突き匙でほぐされたものが配られる。

 ヒレは身よりもさらにやわらかく、繊維のようにほどける質であったのだ。そして、その味は――びっくりするぐらい、無味無臭であった。


「ふむ。これはなかなかに心地好い食感でありますが……ただ、如何なる風味も存在しないようですな」


「は、はい。ヴィレモラのヒレは通常の乾物よりも、たくさんの水気を吸う性質を持っています。よ、よって、煮汁の味わいをたっぷり取り込むことが可能であるのです。ま、また、このように無味であるにも拘わらず、ヴィレモラの身よりも滋養が豊かであるとされています」


「なるほど。これを美味なる料理に仕上げられるか否かは、ひとえに扱う人間の手腕にかかっているということですな」


 ティマロは満足そうな面持ちで、うなずいた。

 他の料理人たちも、どこか意欲をかきたてられた様子だ。この奇妙な食材に、目新しい魅力を感じたようであった。


「で、では最後に、ヴィレモラの卵の塩漬けです。こ、こちらはこのまま召し上がっていただくことで、もっとも直接的に風味を感じられるかと思われます」


 三つ目の木箱が開かれて、その中身が配られた。

 届けられたのは、直径数ミリの細かな魚卵の粒である。そしてそれが黒く照り輝いていたことで、俺の想像が確信に変わった。


 人をも襲う巨大な魚で、大きなヒレを持ち、卵は小さな黒色――きっとヴィレモラというのは、サメに似た魚であるのだ。


(だけど俺は、サメの肉もフカヒレもキャビアも食べたことがないからなぁ)


 よって、これらの品がどれだけ俺の知るサメの食材に近いのかもわからない。

 ただ、ヴィレモラの卵というのは非常に旨みが豊かであり、どこかバターのような風味が感じられて、如何なる魚卵とも異なる魅力を有していた。強い塩気も、生臭さを中和する役に立っているようだ。


「こちらは何の細工がなくとも、美味でございますねぇ」


 と、ダイアがおっとりと微笑みながら発言した。


「それに、この外見も……まるで、黒い宝石のようでございますねぇ」


「は、はい。シムにおいては黒色が聖なる色と定められておりますため、ヴィレモラの卵を使った料理は非常に愛好されています」


 外見に対する寸評はともかくとして、他なる料理人も森辺のかまど番も、こちらの品の味わいには満足している様子であった。


「これは、ジョラやフォランタの卵とはまったく異なる味わいですね。わたしはとても、好ましく思います」


 と、レイ=マトゥアはひそひそとユン=スドラに語りかけており、ユン=スドラも笑顔でうなずいていた。

 そして、壁際で見守るポルアースたちも、満足そうにそれらのさまを見守っている。六種の食材の半分までもが、問題なく受け入れられたのだ。交易の責任を担っているポルアースたちは、俺たちとも異なる安堵と喜びを噛みしめているはずであった。


「……実は私も、ヴィレモラの卵は好物のひとつとなります」


 と、団長のソムがせわしない早口で言いたてた。


「ただし、ヴィレモラの卵の繊細な味わいは強い味にうもれがちですので、調理法がごく限られているのです。このジェノスにおいてヴィレモラの卵がどのように扱われるか、ひそかに期待をかけておりました」


「そうですか。使節団の方々がお帰りになるまでには、何とかジェノスの料理人の心尽くしを味わっていただきたいところでありますな」


 と、ポルアースが遠い位置から俺に笑いかけてくる。

 キャビアを扱った経験もない俺がどれだけお役に立てるかは不明であったが、ここは微力を尽くすしかないようであった。


「そ、それではヴィレモラにまつわる食材はここまでとして、次なる食材をご紹介いたします。こ、こちらは、ダドンと呼ばれる貝の乾物となります」


 セルフォマが新たな木箱から取り出したのは、人間の拳ほどもある巨大な貝の乾物であった。乾物でこのサイズということは、生鮮だともっと巨大であったということだ。


「ダ、ダドンの貝は調理で使うのに、いささか時間と手間がかかります。ま、まずは丸一日水に漬けて、そののちに四半刻ほど強い火で煮立てます。そ、そして、その鍋に蓋をした状態で半日ほど時間を置き、そこからさらに沸騰寸前の温度で煮立てることで、ようやく理想的な味わいを求めることがかないます」


「それはまた……なかなかに、入り組んだ作法でありますな?」


 ティマロがうろんげに問いかけると、カーツァはわたわたしながらその言葉をセルフォマに伝えた。


「ま、丸一日水に漬ければ、その時点で口にすることは可能になります。で、ですが、望ましい味わいを求めるには、以降の手順が必須となります。こ、これは、ラオの料理番が長きの時間をかけて打ち立てた、ダドンの乾物の理想的な取り扱いであるのです。い、以上の手順で仕上げたダドンの乾物は、生鮮のダドンを遥かに上回る味わいであるとされています」


「なるほど。実に興味深いお話でありますが……味見は、明日以降ということでしょうかな?」


「い、いえ。使節団の方々が昨日から今日の朝方にかけて下準備をしてくださりましたので、あとは最後の煮立てる工程だけで食することがかないます」


 多くの料理人が驚いた顔をすると、またソムが早口で声をあげた。


「ジェノスの方々に一日も早くダドンの貝の素晴らしさをご理解いただきたかったため、差し出がましい真似をしてしまいました。下準備に励んだのは私の従者となりますが、そちらの者は多少ながら調理の心得がありますので、大きな不備はないかと思われます」


「いえいえ。ソム殿の心づかいには、感謝の気持ちしかありません」


 ポルアースが如才なく対応したので、ティマロは恭しく頭を下げるに留めた。

 そんな一幕を経て、ダドンの貝の味見である。すでに鉄鍋に収められていたダドンの貝が、沸騰寸前の温度で温められた。


「りょ、料理の具材として扱う際には、この段階で調味液で煮込みます。し、汁物料理の具材とする際にも、沸騰させないようにお気をつけください。それ以上の熱を通すと食感が損なわれて、風味も逃げてしまいますので」


「では、出汁を取るには向いていないということでしょうか?」


 と、ついにレイナ=ルウも発言した。

 カーツァを間にはさんで、セルフォマがそれに答える。


「ふ、沸騰させない加減でも、多少の出汁は煮汁に広がります。さ、さらに高い温度で加熱すれば、さらなる出汁を取ることも可能ですが、ダドンそのものの味わいは損なわれます。う、旨みが抜けたダドンには具材としての価値もありませんので、上質の出汁のみを求めるか、出汁としての効果は最小限に留めて具材として扱うか、どちらかの道を選ぶ他ありません」


「なるほど。それは、他なる乾物にも言えることですね。ただ、ダドンの貝はより繊細に扱う必要があるということですか」


「は、はい。ひ、火加減を抑えても、あまりに長きにわたって煮込んだならば、やはり旨みが抜け落ちます。な、なお、ダドンに出汁のみを求めるというのは、ラオリムにおいてほとんど見られない手法となります。そ、それは、具材としてのダドンに大きな価値が認められているためとなります」


 そんな応答をしている間に、ダドンの貝の調理が完了した。

 複数の工程で乾物の状態から脱したダドンの貝はわずかにぷっくりと膨張して、つやつやと照り輝いている。俺が連想したのは、アワビであった。


(ただ俺は、アワビも食べたことがないんだよなぁ)


 斯様にして、津留見家および《つるみ屋》においては、高級食材というものが取り入れられていなかったのだ。まあ、《つるみ屋》は大衆食堂であったのだから、それが当然の話であった。


 然して、ダドンの貝の味わいというのは――さしずめ、貝の王様とでもいった貫禄であった。

 いかにも貝らしい味わいで、なおかつ旨みがとてつもない。タウ油をひとたらししだけで、もう立派な料理であろう。乾物というのは旨みが凝縮されるものであるし、ジェノスに流通するホタテガイモドキやドエマの貝も素晴らしい味わいであったが、これはちょっとレベルの違う旨みであった。


 各人に回されたのは薄く切り分けられた一切れのみであるが、それだけで口内に旨みが爆発したような心地だ。

 数多くの料理人が、その味わいにうなりをあげていた。


「こちらは、素晴らしい味わいです。この旨みを十全に活かすためには、どのような調味を施すべきか……これは、長きの研究が必要になることでしょう」


 と、ヴァルカスまでもが声をあげるほどである。

 ティマロも文句をつけようとはせず、懸命に思案を巡らせている様子であった。


「で、では次に、レミュの香草です。こ、こちらはジェノスに存在する香草と似通っている部分もあるかと思われますが、似て異なる魅力を感じ取っていただけたら幸いに思います」


 料理人たちの感銘も余所に、吟味の会は粛々と進行されていく。

 次に取り出されたのは、深いワインレッドをした香草のパウダーだ。遠目にも、いかにも辛そうな外見であった。


「か、辛さはチットの実と同程度でありますので、ジェノスの方々にも無理なく味わっていただけるのではないかと思われます」


 小皿にひとつまみのパウダーが盛られて、回されていく。

 それを受け取った俺は、「おや?」と思った。それはトウガラシ系の香りをたちのぼらせながら、どこかコショウめいた香りも感じられたのだ。


 そうして、小さな匙ですくったパウダーをひとなめしてみると――まさしく、トウガラシとコショウの味わいが絡み合いながら舌の上を跳ね回る。そして、それ以外にも独特の苦みとふんわりとした旨みが感じられた。


「これはまるで、チットの実とピコの葉を主体にして、複数の香草を掛け合わせたかのような味わいでありますな」


 ティマロも興味深げに目をすがめながら、そう言っていた。


「以前に東の王都からもたらされたキバケやアンテラといった香草も、実に複雑な香気を有しておりましたが……こちらは見知った香草を掛け合わせたような趣で、実に興味深いですな」


「は、はい。こ、こちらは文字通り、複数の香草を掛け合わせて新たに生み出された種であるのです」


「香草を、新たに生み出した? とは、どういう意味でしょうか?」


「は、はい。の、農園で異なる香草を掛け合わせて、新たな香草を作りあげたのです。ふ、複数の香草の性質を兼ね備えておりますため、元来の香草よりも複雑な香気と味わいを完成させることがかないました」


 いわゆる、交配育種というやつであろう。しかし、俺がこの世界でそんなものを拝見したのは、これが初めてのことであった。

 城下町の料理人たちは、そんなことが可能であるのかと目を丸くしている。そんな中、ヴァルカスがしみじみと息をついた。


「ラオリムにおいては、そのような試みが成されているのですか。ただでさえ、香草の組み合わせというのは無限の可能性を秘めておりますのに……栽培の段階から手を加えては、いっそうの可能性が広がってしまいます」


「は、はい。ヴァ、ヴァルカス様は、気分を害されてしまったでしょうか? シムにおいても、それは自然に反する行為ではないかという声をあげる者がいなくもないのです」


「いえ。ただわたしは、自分が生きている間に香草の研究を終わらせることができるのかどうか、疑問に思っただけのことです。質の高い食材が増えることには、喜びの思いしかありません」


 などと答えながら、ヴァルカスはまた切なげに溜息をつく。ヴァルカスはこのレミュの香草よりも複雑な人柄をしているので、その内心は計り知れなかった。


 ともあれ、吟味の会もついに最後のひと品である。

 最後に取り出されたのは、黒い硝子の瓶であった。


「こ、こちらはペネペネという穀物の酒となります。ラ、ラオリムにおいても調理に使われる機会は少ないのですが、単体の酒としても独自の魅力を有しているものと思われます」


 こちらも味見のために、なめるていどの量が小皿で配分される。辞退したのは、リミ=ルウとトゥール=ディンのみであった。


「でも、匂いぐらいは嗅いでおくかい?」


 俺が小皿を差し出すと、トゥール=ディンは怖々と顔を近づけた。


「これは……ずいぶん、複雑な香りですね。このように複雑な香りをしたお酒は、初めてです」


「うん、確かにね。穀物酒といったらニャッタ酒やシャスカ酒だけど、ずいぶん趣が違うみたいだ」


 ニャッタの発泡酒はビール、蒸留酒は清酒、シャスカ酒はさらに日本酒に近い印象であるが、このペネペネ酒というのはとろりとした質感で黒褐色をしている。その外見からして、酒っぽくなかった。


 二十歳になった俺は、遠慮なくそのペネペネ酒をなめてみたが――やはり、これまで口にしてきた酒類とは似ても似つかない。もっとも際立っているのは苦みと渋みだが、その奥側には甘みがあり、さらには酸味と辛みまでもがほんのり感じられる。まるでヴァルカスの料理のように、複雑な味わいであった。


(ただこの香ばしい香りは……ちょっと紹興酒に似てるかな?)


 俺の父親は酒好きであったので、自分のためにさまざまな酒を買いそろえていた。紹興酒も、そのひとつであったのだ。しかしもちろん、高校生であった俺が口にした経験はなかった。


「これは、素晴らしい味わいでありますな。酒として楽しむのはもちろん、菓子の風味づけにも適しているようです」


 ティマロがそんな声をあげると、リミ=ルウが反射的に眉を下げた。酒類を使ったティマロの菓子は、リミ=ルウにとってひそかなトラウマであるのだ。ただあの菓子も、大人になれば魅力を理解できるのかもしれなかった。


「しょ、食材の紹介は、以上となります。こ、この後は、多少の手をかけた品を味見していただこうかと思いますが、その前に何かご質問等はありますでしょうか?」


「いえ。いずれも素晴らしい品ばかりで、疑念をさしはさむ余地もございません。セルフォマ殿の手腕でこれらの食材がどのような料理に仕上げられるのか、期待がふくらんでなりませんな」


 そんな風に答えてから、ティマロは他なる料理人たちを見回す。しかし誰も異論はないようで、声をあげる者もなかった。


 俺自身、胸に宿されたのは期待の思いのみである。なおかつ今回は、俺が似た品を扱かった経験もない食材ばかりであったのだ。俺はひさびさにまっさらな気持ちで、セルフォマの手腕を見守ることに相成ったのだった。

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― 新着の感想 ―
紹興酒は料理酒としても優秀、今回は高級中華系、高級フレンチの系譜ですね。サメの肉は処理が悪いとアンモニア臭が出ると言いますがちゃんと処理するとタンパクなのだとか。
キャビアは鮫の卵じゃないけど… そういうツッコミは野暮ですかね?w
紹興酒か。紹興酒は便利だな 紹興酒を使った浜田のチャーハンは芸能人格付けチェックにてミシュラン一つ星店であるメゾン・ド・ユーロンのシェフが作ったチャーハンを当てる というチェックで多くの一流芸能人を2…
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