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異世界料理道  作者: EDA
第九十六章 青天の日々
1642/1699

東の王都の使節団①~到着~

2025.7/4 更新分 1/1

「ヤミルと、婚儀を挙げることになったのだ!」


 ラウ=レイからそんな熱い言葉が届けられたのは、翌朝のことであった。

 ただし、家長会議が行われたスンの集落ではない。朝一番でそれぞれの家に戻り、大急ぎで屋台の下準備をやりとげて、いざ宿場町に向かうべくルウの集落に立ち寄った際のことである。


 屋台の当番であったヤミル=レイはポーカーフェイスで荷台に乗り込み、ラウ=レイは草原を駆ける猟犬のような勢いで俺のもとに駆けつけてきた。そして、熱っぽく語り始めたのだ。


「しかしその前に、女衆を供にした家長会議というものを片付けなければならん! なおかつ、東の連中の一件を片付けない限り、そちらの予定を立てることもままならんというのだろう? だから、一刻も早くその一件を片付けてもらいたい!」


「わ、わかった。善処するよ。それでその、家長の座についてはどうなったのかな? ラウ=レイは、レイの家長のままなのかい?」


「当たり前ではないか! そうでなければ、婚儀を挙げる気にはなれんという話なのだからな!」


 昨晩から今朝にかけて、いったいどのような話し合いが為されたのか――何はともあれ、ラウ=レイは元来の騒がしさを復活させるどころか倍増させて、昂揚しまくっている。それこそ、ぴょんぴょんと飛び跳ねるアフガン・ハウンドのような様相だ。俺はその圧力をしっかり受け止めながら、心を込めて「おめでとう」と伝えてみせた。


「二人の婚儀が実現するなら、俺も嬉しいよ。できれば、祝宴にも呼んでほしいところだね」


「当たり前ではないか! 水臭いことを抜かすな!」


「痛い痛い! 本気で折れるってば!」


 ラウ=レイに力まかせのヘッドロックをくらって、俺は頸椎の危機に陥ることになった。

 すると、頭の後ろで手を組んだルド=ルウがひょこひょこと近づいてくる。


「ラウ=レイはまだ騒いでんのかよ? 東の王都の使節団ってのは、今日到着するんだからよー。さっさと出発させねーと、話が進まねーんじゃねーの?」


「そうか! だったら、さっさと出発するがいい! くれぐれも、よろしく頼むぞ!」


 今日は新たな食材のお披露目会が開かれるのみであるし、そもそもその前に屋台の商売があるのだから、どれだけ急いでもラウ=レイたちの婚儀が早まることはない。しかし、そんな理屈が通用する様子はなかったので、俺は早々に宿場町へと出立することにした。


 その道中、ヤミル=レイはだんまりである。同乗していたユン=スドラたちも表の騒ぎは聞こえていたはずだが、きっとヤミル=レイが質問を受け付けないオーラを発散させているのだろう。俺も大人しく、御者役に徹することにした。


 宿場町に到着しても、その様相に変化はない。《キミュスの尻尾亭》で屋台を借り受けて、露店区域の所定のスペースに向かい、商売の下準備をしている間も、ちょっと空気が張り詰めていた。


 ヤミル=レイは俺の隣の屋台の担当で、今日の相方はヴィンの女衆だ。ラヴィッツの血族であるヴィンの女衆はひかえめな人柄であるため、なおさら縮こまってしまっていた。


 ただ、ヤミル=レイは普段通りのポーカーフェイスである。どうもこれは、周りが気をつかうあまりに空気が固くなっているという面もあるのかもしれない。そのように判じた俺は、屋台の責任者としての責務を全うすることにした。


「えーと、ラウ=レイはすごい騒ぎっぷりでしたね。何はともあれ、おめでとうございます」


 とたんに、周囲の女衆が凍りついてしまう。

 しかし、当のヤミル=レイは普段通りの冷ややかさで横目の視線を投げかけてきた。


「なにもめでたいことはないわよ。今日は朝から、大変な騒ぎだったのだからね」


「大変な騒ぎ? どうしてです?」


「わたしとの婚儀に関しては、周りの家人が反対していると言ったでしょう? レイの集落には、家長に負けないぐらい短慮な男衆がひしめいているのだからね。ルティムの家長が立ちあっていなかったら、血を見る騒ぎになっていたかもしれないわよ」


「それはそれは……大変でしたねぇ」


「ふん。だからわたしは、身をつつしんでいたのよ。これでどのような騒ぎになろうとも、わたしの知ったことではないわね」


 と、ヤミル=レイはしなやかな肩をすくめる。

 徹頭徹尾、いつも通りのヤミル=レイだ。しかし俺は、内心で安堵の息をつくことになった。


(ヤミル=レイが頬を赤くして恥じらう姿なんて見せつけてきたら、それこそどんな顔をしたらいいのかわからないもんな。そんな姿は、ラウ=レイにだけ見せてあげればいいさ)


 すると、ヤミル=レイのひとつ向こうの屋台で準備を進めていたレイ=マトゥアが、待ってましたとばかりに声をあげた。


「でもやっぱり、婚儀はおめでたいですよ! わたしも祝福を捧げます、ヤミル=レイ!」


 それを皮切りに、他なる女衆も遠慮がちに祝福の言葉を口にする。

 そして最後に、ヤミル=レイとは反対側の隣で準備を進めていたレビも声をあげた。


「なんかおかしな空気だと思ったら、そういうことだったのか。俺からも祝福を捧げさせていただくよ。おめでとう、ヤミル=レイ」


 レビは、屈託のない笑顔である。

 ヤミル=レイは、俺ごしにその笑顔を見返した。


「宿場町の民にまで祝福されるいわれはないように思うのだけれど、それは森辺の民として不心得なのかしら?」


「そんなややこしい話はわからないけど、俺はラウ=レイのおかげで婚儀を挙げることができた身だからさ。ラウ=レイが婚儀を挙げるときには、めいっぱいお返しをしてやろうと考えてたんだよ」


「……だったらそれは、本人にお願いするわ」


「ああ。だけど、あんたを祝福したら、ラウ=レイも喜んでくれるだろうからさ。末永く、お幸せにな」


 ヤミル=レイはまた肩をすくめることで、返事をする手間を省略した。

 その頃には屋台の準備も整って、いざ開店である。朝一番の混雑が、まだいくぶんぎこちなかった空気を一掃してくれた。


 半刻ていどが経過すると、朝一番のラッシュは一段落である。

 そのタイミングで、城下町からの使者がやってきた。


「失礼いたします。使節団の方々は無事に到着されましたので、予定通りにご来場をお願いいたします」


「はい、承知しました。こちらこそ、宜しくお願い致します」


 東の王都の使節団は、すでに城下町に到着しているのである。森の向こうの新たな宿場からは半日の距離であるが、東の王都の健脚なるトトスは五割増しのスピードで踏破できるのだ。少し前に荷車の行列が宿場町を通りすぎたことは、《キミュスの尻尾亭》でも取り沙汰されていた。


「またまた、新たな食材の到着だな。本当に、落ち着く隙を与えてくれねえよ」


 レビは気合の入った顔で、そんな風に言っていた。

 本日城下町に招かれているのは森辺のかまど番だけで、宿場町の宿屋の関係者は明日サトゥラス伯爵家の屋敷にてお披露目会が実施されるそうであるのだ。今度はどのような食材が届けられるのか、数多くの人間が期待をかけているはずであった。


 そうして中天が近づくと、傀儡使いのリコたちもやってくる。

 十日間の特別興行も、ついに明日までであるのだ。それを目当てにしたお客が押し寄せて、俺たちはちょっと早めのラッシュを味わうことになった。


「よう、アスタ。昨日の家長会議ってのは、どうだったんだい?」


 と、その一団のひとりとして、建築屋のアルダスが笑いかけてくる。注文された料理を仕上げながら、俺は「はい」と笑顔を返した。


「今回も何も問題はなく、充実した時間を過ごせました」


「そいつは何よりだ。それで今日は、城下町に招かれてるんだよな。慌ただしい限りだけど、めげずに頑張ってくれよ」


「はい、ありがとうございます」


 すると、隣でにこにこ笑っていたメイトンが「あれ?」と目を丸くした。


「なんだ、お前さんがたも来たのかい。やっぱり、一度は顔をあわせることになるんだな」


「ふん。こっちには、こっちの商売があるからな」


 皮肉っぽい笑顔でそのように応じたのは、ミソ売りの行商人デルスである。その隣では、アルダスに負けない巨体をした護衛役のワッズも陽気に微笑んでいた。


「みんな、ちょっとひさびさだなあ。でも、なんでこんなに混み合ってるんだあ? 今日はちっとばっかり早く到着したから、もっと空いてると思ったのによお」


「今日はこれから、傀儡の劇がお披露目されるんだよ。急がねえと、席がうまっちまうぞ」


「傀儡の劇? そいつは、いい時期に来たもんだあ。俺たちも、さっさと料理を買っちまおうぜえ」


「ふん。それで見物料をふんだくられるんじゃ、損か得かもわからんな」


 そんな風に言いながら、デルスもいそいそと料理を買いつけて青空食堂に向かっていった。

 そしてその後には、《銀の壺》の面々が会釈をして通りすぎていく。中天ぎりぎりのタイミングであったため、傀儡の劇を見てから食事にするのだろう。ここ最近では、それも見慣れた姿であった。


 そうして傀儡の劇が開始されたならば、客足はぴたりと止まってしまう。

 俺たちもひと息つきながら、リコの澄みわたった声にひたることにした。


 本日の演目は、『姫騎士ゼリアと七首の竜』である。俺にとっては、フェルメスに招かれた仮面舞踏会で扮装させられた、思い出深い演目であった。


(もしかしたら、《青き翼》が出発するまで自重していたのかな)


 こちらの物語は、姫騎士のゼリアが悪逆なる七首の竜を討ち倒すという内容であったのだ。実際の由来がどうであれ、神聖なる竜が悪役として扱われるのは竜神の民にとって面白くはないはずであった。


《青き翼》は昨日の朝方に出立したため、彼らが陣取っていたスペースはぽっかりと空いている。

 彼らは無事に道中を過ごしているだろうかと、俺はそんな想念にとらわれたが――傀儡の劇が終演したのち、時間差で生じたラッシュを乗り越えると、思わぬ方面から《青き翼》の話題が持ち出された。食事を終えたデルスとワッズが、屋台の裏側に回り込んで語りかけてきたのだ。


「昨日の昼間、竜神の民ってやつらと出くわしたんだよお。アスタたちは、あんな連中とも仲良くしてやったんだってなあ」


 ジャガルの南部なまりであるという間延びした口調で、ワッズがそんな風に語ってくれた。


「ああ、そうか。この主街道はしばらく一本道だって話だから、ジャガルに向かう《青き翼》と出くわすことになったんですね」


「そうだよお。ただ、あいつらは昨日の朝に出立したんだってなあ。あの鱗が生えたトトスみてえな獣は、ずいぶん足がはええんだなあ」


「ふん。俺たちが一日がかりの道のりを、半日で踏み越えたわけだからな。単純計算で、トトスの倍ほども早く駆けることができるのだろうよ」


 確かに、《青き翼》は朝からの半日でその場所に到達し、デルスたちはそこから一日がかりでジェノスに到着したのだ。それで、半日の距離ごとに築かれているという宿場で出くわす機会が生じたというわけであった。


「まあ、コルネリアは主街道から脇道に入った場所にあるので、あいつらが足を踏み入れることもないだろう。おかしな連中に庭場を荒らされなくて、幸いだ」


「そうですか。でも、竜神の民はジャガルの方々と相性がいいように思いますよ。建築屋のみなさんも、懇意にされていましたしね」


「ふん。俺はあいつらのように、物好きではないのでな」


 と、デルスは相変わらず斜に構えたスタンスである。


「それで今日は、東の王都の使節団とやらが到着したそうだな。まったく、ゲンの悪いことだ」


「あはは。でも、デルスにとってはそちらの方々も大きな商売の取引相手じゃないですか」


 当然のこと、ミソは最優先で交易のひと品に選ばれているのである。そのためにこそ、デルスも本日追加分のミソを運んできたのだろう。

 しかしデルスは相変わらずの調子で、「ふん」と鼻を鳴らした。


「俺の取引相手は、あくまでジェノスの貴族様だ。貴族様が俺から買いつけたミソをどのように扱おうと、俺の知ったことではないな」


 そんな捨て台詞を残して、デルスたちは立ち去っていく。

 すると今度は、《銀の壺》の団長ラダジッドが屋台の裏手に回り込んできた。


「アスタ、報告、遅れましたが、私、王都の使節団、晩餐会、招かれました」


「え? どうして、ラダジッドが?」


「詳細、不明です。ただ、ジギの行商人、ジェノスでの活動、話、知りたい、告げられました」


「そうですか……でもきっと、ラダジッドが粗略に扱われることはないと思いますよ。前任の責任者も、とても公正なお人でしたからね」


「はい。不安、一抹、ぬぐえませんが、私、礼節、尽くすのみです。おたがい、無事、祈ります」


「はい。おたがい、頑張りましょう」


 そうしてその後は、何事もなく時間が過ぎていき――閉店の時間が近づくと、護衛役の狩人たちがやってきた。

 護衛役は四名で、アイ=ファ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ゼイ=ディンという顔ぶれである。


「お疲れ様。定刻にはきっちり終わると思うから、もうちょっと待っててくれ」


 俺がそのように告げると、アイ=ファは沈着なる面持ちで「うむ」と首肯する。昨日が家長会議であったため、本日は時間ぎりぎりまで森に入っていたはずだが、疲れの色などは微塵もなかった。


 なおかつ、アイ=ファたちがこの時間に参じたのは、俺が悪夢を見なかったためとなる。

 前回はポワディーノ王子がやってきた前日に悪夢を見ることになったので、多少ながら警戒はしていたのだが、無事に朝を迎えられたのだ。星読みを重んじない方針であるといっても、やっぱり俺はずいぶん安堵することになってしまった。


(でも、今回の責任者がリクウェルドほど公正な人柄であるかどうかは、わからないからな。俺もきっちり、心を引き締めていこう)


 やがて終業の刻限に至ったならば、後片付けは他のメンバーに託して、俺たちは城下町を目指す。同行するかまど番は、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、ユン=スドラ、トゥール=ディン、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアという、お馴染みの顔ぶれだ。こういった吟味の会では、かつて試食会に選抜された八名で臨むのが通例になっていた。


 城下町の当番と重なっている人間もいなかったため、俺たちは二台の荷車で城門を目指す。後片付けを切り上げて出発したためか、途中で城下町の当番たちと行き会うこともなかった。


「さー、今回の責任者はどんなやつなんだかなー」


 ルド=ルウがそんな言葉をこぼしたのは、城門に準備されていた立派なトトス車に乗り換えたのちのことであった。


「それはまだわからないけど、用心が必要な相手だったら事前に連絡が入っただろうと思うよ」


「だけどそいつらも、今日の朝に到着したってんだろ? だったらまだ、どんな人間なのかも探りきれてねーんじゃねーの?」


「それはそうかもね。俺も、用心は忘れてないつもりだよ」


「かまど番の身は、我々が守る。お前は、いつも通りに仕事を果たせばよい」


 アイ=ファは落ち着いた眼差しで、そんな風に言ってくれた。

 やがて会場である貴賓館に到着したならば、男女で順番に身を清める。浴堂がひとつしかないというのが、ちょっと新鮮な心地であった。


(つまり、貴賓館もそれぐらいひさびさってことだな)


 最近では、食材の吟味の会でしか貴賓館を訪れる機会もない。とにかくこちらの貴賓館は厨がとてつもない規模であるため、いまだに活用されているということだ。俺たちがこの貴賓館を訪れたのは、前回の使節団が新たな食材を持ち込んだ日から、およそ二ヶ月半ぶりであるはずであった。


 やがて全員が身を清めたならば、かまど番は白い調理着、狩人は武官のお仕着せを身に纏い、厨へと出陣する。その案内役は、アイ=ファのお召し替えも手伝ってくれたダレイム伯爵家の侍女シェイラであった。


「……ポルアースたちは、使節団の面々と問題なく絆を結べたのであろうか?」


 道中でアイ=ファが問いかけると、シェイラはつつましい笑顔で「はい」と答えた。


「侍女にすぎないわたくしには、立ち入った部分まではわかりかねますが……さしあたって、お困りな様子ではございませんでした。とりわけポルアース様は、責任者の御方とお気が合ったように見受けられます」


「そうか。であれば、何よりだな」


 そうして俺たちは、貴賓館の厨に到着した。

 学校の教室をふたつぶちぬいたぐらいの規模である、立派な厨だ。そこにはすでに、城下町の名だたる料理人たちが立ち並んでいた。


 その数は、およそ三十名。《銀星堂》のヴァルカス、ロイ、シリィ=ロウ、ボズル、タートゥマイ、ダレイム伯爵家の料理長ヤン、弟子のニコラ、トゥラン伯爵家の料理番として修練を始めたシフォン=チェル、《セルヴァの矛槍亭》の料理長ティマロ、ジェノス城の料理長ダイア、サトゥラス伯爵家の料理長、《四翼堂》の料理長、《ヴァイラスの兜亭》の料理長――俺が見知っている面々は、のきなみ顔をそろえていた。


「アスタ、到着、お待ちしていました」


 と、ニコラとともにたたずんでいたプラティカが真っ先に挨拶をしてくれる。彼女はひさびさの、深い紺色の調理着の姿であった。


「どうも。ちょっとおひさしぶりですね。セルフォマたちは、やっぱり使節団の方々とご一緒ですか?」


「はい。打ち合わせ、あるのでしょう」


 すると、バナーム城の料理番たるカルスもひょこひょこと近づいてきた。他の料理人にまぎれていたが、彼もまだジェノスに留まっていたのだ。


「ど、どうもお疲れ様です。こ、今回はどのような食材がお披露目されるのでしょうね」


「はい。セルフォマは魚介の食材が中心になるんじゃないかと仰っていたので、楽しみなところですね」


 そうしてこちらが挨拶を交わしていると、他なる料理人たちも続々と押し寄せてきた。ここ最近は俺たちが城下町に招かれる機会も減っていたので、誰もがひさびさの再会であったのだ。


「アスタ殿も森辺のみなさんも、お元気そうで何よりです」


 ぼんやりとした面持ちで、ヴァルカスもそんな風に言ってくれた。


「ところで、城下町の屋台で出された料理に関してですが、シャスカの扱いはお見事でありました。あのようにシャスカを丸めたならば食感に悪しき影響が出そうなところですが、あちらの料理は絶妙の力加減で丸められており、匙ですくって食する際ともまた異なる独特の食感が生じていたように思われます」


「もうちょっと、再会の余韻にひたったらどうですか? まあ、師匠に言っても無駄でしょうがね」


 と、ロイは皮肉っぽい面持ちで肩をすくめる。

 それに、屋台の料理の感想を告げてくるのは、ヴァルカスばかりではなかった。どうやらおおよその面々が、屋台の料理を口にしてくれたようであるのだ。たいていは助手の人間を屋台まで出向かせるため、立場のある人々から直接感想を伝えられるのはこれが初めてのことであった。


 レイナ=ルウなどは気合の塊と化して、自らも感想を聞きほじっている。

 しかし、そんな時間も長くは続かなかった。小姓が、貴き人々の入室を告げてきたのだ。


 アイ=ファたちは二手に分かれて壁際と扉の外に待機しているため、森辺のかまど番も城下町の料理人たちと一緒に整列する。

 そんな中、まずは笑顔のポルアースが登場した。


「やあやあ、お待たせしたね。多忙な折に集まっていただき、心から感謝しているよ」


 ポルアースに続いて、名高い貴族が続々と入室する。ポルアースの上官たる外務官、トゥラン伯爵家の当主リフレイアと従者のムスル、外交官のフェルメスと従者のジェムド、バナーム侯爵家のアラウトと従者のサイ、ティカトラスとデギオンとヴィケッツォ――おそらくこれは、前回の参加メンバーにティカトラスの一行を加えた顔ぶれであった。


 そして、ラオの王城の料理番セルフォマと通訳のカーツァに先導されて、東の王都の人々も入室し――それと同時に、俺は息を呑むことになった。そこに、見慣れた姿をした人物が入り混じっていたのだ。


 藍色のフードつきマントを着用し、顔には奇妙な文字が描かれている面布を垂らした、あやしげな人物――それは、ポワディーノ王子の臣下である『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』に他ならなかった。


 なおかつ、そのかたわらには似て異なる姿をした人物も控えている。

王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』のいでたちで、ただ色合いが異なっているのだ。そちらはマントも面布も装束も、すべてが目の覚めるような純白であった。


 俺の驚きも余所に、貴族の面々は奥側の壁際に立ち並ぶ。

 その中から、ポルアースが挨拶の声をあげた。


「さて、まずはご紹介させていただこう。こちらは東の王都の使節団の責任者であられる、ソム殿だよ」


 そんな言葉とともに、ひとりの人物がちょこちょこと進み出る。

 その姿に、俺はさらなる驚きに見舞われた。それは、俺が抱く東の民のイメージを根底から覆す風体――すなわち、小柄でころころとした体格の男性であったのだ。


 東の民らしく黒い肌をしているが、背丈は百六十センチ足らずで、ポルアースに負けないぐらい丸っこい体格をしている。その顔も、切れ長の目に高い鼻に薄い唇という東の民らしい特徴を備えていたものの、おまんじゅうのような丸顔であるために顔のパーツが中心に集まっているような印象であり、どことはなしにユーモラスであった。


「ラオの外務官の第四席、ソム=ラオ=タンと申します。今後、使節団の責任者は私が務めることになりますので、お見知りおきをお願いいただけたら幸いでございます」


 その人物は、また俺のイメージをくつがえす特徴を二点ほどあらわにした。

 東の民といえば長くて入り組んだ名前が定番であったのに、その人物はミドルネームを含めても六文字という短い名前であり――そして、挙動も口調もきわめてきびきびしているのである。顔だけは完璧な無表情であるが、いかにも性急な物腰であった。


「また、ソム殿は大変な美食家であられるそうだよ。それで交易の責任者に志願してくださったというのだから、光栄の限りだね」


「はい。ジェノスには摩訶不思議な料理が数多く存在すると聞き及び、胸を躍らせておりました。もちろん使節団の責任者という立場を忘れることなく公正に振る舞うつもりでありますので、何卒よろしくお願いいたします」


 リクウェルドに劣らず西の言葉が流暢であるが、そのぶんいっそう性急な印象になっている。そしてそれがユーモラスな印象にも拍車を掛けていたので、俺は決して気を抜かないようにと自分を律する必要があった。


(だいたい、気を抜くどころの騒ぎじゃないからな)


 俺が気になるのは、色合いの異なる二名の『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』である。

 その正体が、ようやくポルアースの口から明かされた。


「それで、こちらの御方は皆々もご存じの、シムの第七王子ポワディーノ殿下の臣下たる『王子の耳(ゼル=ツォン)』の七番殿、そして第二王子ディエカトルラ殿下の臣下たる『王子の耳(ゼル=ツォン)』の十一番殿だよ。こちらの方々は王子殿下の耳となってジェノスの様相を把握するために参じられたので、皆々も失礼のないようにね」


 白装束の『王子の分かれ身(ゼル=ドゥフェルム)』は、第二王子の配下であったのだ。

 第一王子が没した現在、第二王子は次代の王と見なされている。そしてかつては第二王妃と第五王子の陰謀によって、叛逆の冤罪をなすりつけられようとしていた人物でもあった。


 ようやくその正体が判明して、俺はほっと息をつく。

 第二王子というのは見知らぬ相手であるし、メルフリードにも負けないぐらい冷徹な気性であると聞き及んでいるが――第五王子らの陰謀を打ち砕いた現在は、ポワディーノ王子ともども王家の立て直しに尽力しているはずであるのだ。そんな両王子の配下が仲良く居並んでいるのならば、俺も安心していいはずであった。


(でもまさか、大事な『王子の耳(ゼル=ツォン)』をジェノスに派遣するなんてな。……ポワディーノ王子も、それだけジェノスのことを気にしてくれているんだ)


 そうして俺は安心すると同時に、胸を温かくすることができた。

 そんな中、ポルアースが意気揚々と声をあげる。


「それでは、新たに届けられたラオリムの食材を吟味していただこう。今回も、ラオ城の料理番たるセルフォマ殿が指南してくださるからね」


 深い藍色の調理着を纏ったセルフォマは、貴婦人のように優雅に一礼する。ソムなる人物とは、実に対照的なたたずまいだ。そして、セルフォマのかたわらに控えたカーツァは、本日も緊張の面持ちであった。


 今回の使節団とともに、セルフォマとカーツァも帰国するのである。

 彼女たちとの別れも、もう目の前に迫っているのだ。そんな感傷を心の片隅にひっそりと抱え込みつつ、俺はセルフォマの仕事を見守ることになった。

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― 新着の感想 ―
セルフォマとカーツァが帰郷か。 出来れば箸休めで、そろそろプラティカとデルシェアがそれぞれ一旦ないし帰郷して、自国で腕を振るった評判の話を聞きたいなぁ。
リクウェルドの使節団に追随していた第二王子の『王子の分かれ身』は紫の装束ではありませんでしたか?
わーい元気もらえるー
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