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異世界料理道  作者: EDA
第九十六章 青天の日々
1641/1695

森辺の家長会議④~晩餐~

2025.7/3 更新分 1/1

 その後も、家長会議では数々の議題について語らうことになり――ついに、日没を迎えることになった。

 中天からみっちり六刻をかけて、すべての議題を語り終えたのだ。そんな大仕事をやりとげた家長たちをねぎらうのは、かまど番の心尽くしであった。


 大勢の女衆が鉄鍋や木皿を祭祀堂に運び込むと、あちこちから歓声がわきおこる。家長会議の厳粛な空気は一瞬で粉砕されて、その場には祝宴さながらの熱気がわきたった。


「無事に家長会議をやりとげられたことを、喜ばしく思う。かまど番の心尽くしで、腹と心を満たすがいい」


 そんな宣言とともに、グラフ=ザザが食前の文言を唱える。家長会議では、この人数で食前の文言が復唱されるのだ。


 俺とアイ=ファはルウの血族の輪にお邪魔して、配膳を終えたリミ=ルウもアイ=ファの隣でにこにこと笑っている。そうして食前の文言を復唱したならば、いよいよ晩餐の開始であった。


「いーっぱいあるから、たーくさん食べてねー! でもでも、お菓子のぶんは空けておかないとねー!」


 リミ=ルウはほくほく顔で、大皿の料理を取り分けていく。ドンダ=ルウやダルム=ルウの世話を焼くのが、心から楽しげな様子だ。俺やアイ=ファはそんなリミ=ルウの姿に心を和ませつつ、おのおの食事をいただくことにした。


 かまど番の精鋭が力を尽くした晩餐であるので、祝宴もかくやという立派な内容である。

 タラパとマロマロのチット漬けを主体にして甘辛く仕上げたスペアリブに、ギバ肉も魚介もたっぷりのギバ骨スープ、わざわざひとりずつに盛りつけたギバ・カツ丼、キバケやアンテラを駆使して絢爛な味わいに仕上げられたギバ・カレー、乾酪とともに焼きあげた焼きポイタン、牡蠣のごときドエマと野菜の豆乳煮込み、生鮮で口にできる野菜を総動員させたサラダ、寒天のごときノマを使ったノンオイルのドレッシング――新旧の食材が分け隔てなく使用されて、ここ最近の修練の成果が思うさま発揮されていた。


 家長会議の参席者にかまど番たちも追加されて、祭祀堂は大変な賑わいだ。

 スンの女衆はそれぞれの家に戻っていったが、そちらでも同じ晩餐が供されている。場所は違えど、スンの人々も同じ喜びを分かち合っているわけであった。


「ええ? それじゃあ、女衆を供にした家長会議が近日中に開かれるのですか?」


 レイナ=ルウが驚きの声をあげると、ガズラン=ルティムが穏やかな笑顔で「はい」と応じた。


「供というよりは、もはや女衆を主体にした会合ですね。それを家長や跡継ぎの人間が見守る形になるかと思われます」


「そうですか……いったいどのような会合になるのか、想像もつきませんね」


「それは、我々も同様です。ですが、すべての氏族の有力なかまど番が一堂に会するというだけで、きっと有意義な集まりになるでしょう」


「はい……でも、そういう集まりは、ララが参席するべきだろうね?」


 レイナ=ルウに視線を向けられたララ=ルウは、シン・ルウ=シンのかたわらで肩をすくめた。


「ま、それを決めるのはドンダ父さんでしょ。あたしは、その決定に従うだけだよ」


「そうですね。ですが、その日も今日と同じように、晩餐を準備するかまど番が必要となります。どの道、レイナ=ルウは参ずることになるのではないでしょうか?」


「はい。晩餐の支度でしたら、わたしも心置きなく力を尽くすことができます」


 すると、リミ=ルウから受け取った木皿でギバ骨スープをすすっていたダルム=ルウも声をあげた。


「頼もしいのかそうでないのか、よくわからんな。ヴィナが家を離れた現在は、お前が本家の責任を負う立場なのだぞ」


「だって、難しい話はララのほうが頼もしいんだもん。わたしが語れるのは、料理の話ぐらいだしね」


 そんな風に答えるレイナ=ルウは、どこか子供っぽい。リミ=ルウともども、ダルム=ルウとひさびさに晩餐を囲める喜びを噛みしめているようだ。

 ドンダ=ルウは知らん顔でミンやマァムの家長と語らっており、ギラン=リリンとシュミラル=リリンは笑顔で食事を進めている。慕わしい相手がよりどりみどりで、俺もリミ=ルウたちに負けないぐらい満たされた心地であった。


 ただ、ラウ=レイとヤミル=レイの様子が気になってならないのだが――ラウ=レイはにこにこと笑いながら旺盛な食欲を満たしているばかりであるし、ヤミル=レイはクールな面持ちのままツヴァイ=ルティムと言葉を交わしている。このように賑やかな場で、おいそれとラウ=レイの真情を問い質すことはできそうになかった。


(まあ、ラウ=レイも落ち着いているように見えるし……暴走の心配はないのかな?)


 俺がそのように考えていると、シュミラル=リリンが笑顔で果実酒の土瓶を差し出してきた。


「アスタ、果実酒、如何でしょう?」


「ああ、ありがとうございます。でも、俺はあんまりお酒が強くないので、果実酒そのままだとすぐに酔いが回ってしまうのですよね」


「こちら、水と果汁、配合されています。レイナ=ルウ、見事、手際です」


 レイナ=ルウは料理と酒の相性も二の次にすることなく、地道に研究を進めているという話であったのだ。俺はありがたく、レイナ=ルウの心尽くしをいただくことにした。


 俺はいちおう家の晩餐で毎回飲酒にチャレンジしているのだが、酔いの回りに大きな変化は見られない。生誕の日からひと月以上が過ぎてこの有り様であるのだから、あまりアルコールに強くない体質であるのかもしれなかった。


 ただ、酒が苦手であるという意識はない。酒を飲むと頭がぽわぽわして、なかなか悪くない気分であるのだ。そして、心の皮膜が一枚剥がれて、アイ=ファに対する愛おしさが膨れ上がるのが常であった。


(でも、酔った勢いでどうこうなんて、許される話じゃないからな)


 そんな自戒を胸に、俺は本日も加減をして果実酒を楽しんだ。

 アイ=ファもまた、穏やかな面持ちで料理と果実酒を楽しんでいる。そんなアイ=ファに、リミ=ルウが「ねえねえ」とすりよった。


「他には、どんなお話をしたの? アイ=ファたちが困ったりはしなかった?」


「うむ。困る場面など、一度としてなかったぞ。森辺の同胞の頼もしさを噛みしめるばかりであったな」


「それなら、よかったねー! アスタも、だいじょぶだった?」


「うん。俺なんて、ほとんどしゃべる機会がなかったぐらいだよ。これが供としての、正しい姿なんだろうね」


 すると、ダルム=ルウが「ふん」と鼻を鳴らした。


「その代わりに、女衆を供とする家長会議などというものが開かれることになるわけだな。そちらでは、お前も語りたおすことになるのではないか?」


「さあ、どうなんでしょう? そもそも俺は、参席の資格があるんでしょうかね」


「そちらでは町での商売について語られるのだから、お前がいなくては話が始まるまい。とぼけたことを言っていないで、同胞のために力を尽くせ」


 ひさびさに、ダルム=ルウからお叱りを受けてしまった。

 しかし、出会った頃に比べれば、別人のような穏やかさだ。眼光の鋭さなどはそのままに、とげとげしさだけが除去された雰囲気であった。


「それにしても、アスタの話には驚かされたな。いや、この際はアイ=ファの話というべきであろうかな?」


 ギラン=リリンが何気なく声をあげると、アイ=ファの表情がいくぶん引き締まった。


「うむ。星読みを告げられたのは、あくまで私となる。占星師は、アスタの星が読めないという話であるからな」


「そんな話を、頼みもしないのに語ってきたのか? まさか、アイ=ファのほうから星読みを願ったわけではあるまい?」


「無論だ。アリシュナは勝手に他者の星が見えてしまうため、本人も難渋しているのであろうな」


「うむ。昨年のクルア=スンと、同じようなものか。……そういえば、クルア=スンはガーデルの星も見えてしまったのだという話であったな」


 そんな風に語りながら、ギラン=リリンは笑顔でシュミラル=リリンを振り返った。


「とはいえ、俺には何が何だかさっぱりだ。シュミラルでさえ、星読みに関してはさほど理解が及んでいないという話であるしな」


「はい。星読み、特別、技能です。運命、見える感覚、理解、及びません」


 穏やかな面持ちで応じつつ、シュミラル=リリンは優しい眼差しを俺とアイ=ファに向けてくる。

 星の動きというのは水面に映る影のようなものであり、重要であるのは実体のほう――あくまで、人間の意志こそが星を動かすのだと、シュミラル=リリンはかつてそんな風に語っていた。その言葉は、星を持たないとされる俺を大きく力づけてくれたのだった。


(俺たちは決められた運命を歩いているんじゃなく、自分たちで進むべき道を選んでいる……星は、その動きを追っているに過ぎない、だったよな)


 であれば、たとえどのような試練に見舞われようとも、俺はアイ=ファとともに正しい道を探すのみである。

 そんな風に考えれば、何も恐れる必要はなかった。


「そ、それでは、菓子をお配りします」


 晩餐を開始して半刻ほどが過ぎると、トゥール=ディンの声が響きわたった。

 その隣で、スフィラ=ザザはすました顔をしている。やはり取り仕切り役たるトゥール=ディンを立てるために、挨拶の場を譲ったのだろう。期待に満ちみちた眼差しをあちこちから向けられて、トゥール=ディンは真っ赤になっていた。


「きょ、今日の菓子は、だいふくもちです。おひとりにつき三種ずつ準備していますので、食べきれない分は明日の朝にでもお召し上がりください」


「うわははは! そんな軟弱な胃袋をした人間は、ひとりとしていないだろうよ!」


 血族たるラッド=リッドが豪放な笑い声をあげて、トゥール=ディンをいっそう赤面させる。そうして各自に届けられたのは、色とりどりの大福餅であった。

 味の判別がつくように、表皮に異なる彩色が施されている。通常の白色に、ほのかな桜色、そして淡い緑色だ。サイズは直径八センチていどで、確かに食の細い人間であれば音をあげそうなところであった。


「トゥール=ディンは祝宴とかだと、もっとちっちゃいだいふくもちを出してるよねー! ということは、きっとこの大きさにしなきゃいけない理由があるんだよ!」


 無類の菓子好きたるリミ=ルウは、食べる前から瞳を輝かせている。

 そして実際に大福餅を食すると、その瞳がオディフィアに負けない勢いできらめいた。


「おいしー! なんか、色んなのが入ってるよー!」


 俺もリミ=ルウに続いてみると、味よりもまず食感で驚かされることになった。もっちりとした表皮の内側は、寒天のごときノマとスポンジケーキとあんことジャムの多重構造になっていたのだ。


 まずはあんこの内側に果実のジャムが封入されて、それが薄いスポンジケーキの生地ではさまれいる。それを平べったいノマの皮でくるんだのちに、最後にシャスカの生地でくるんでいるのだ。五種の食感が楽しめる上に、和風と洋風の味わいまで同居する、なんとも贅沢な仕上がりであった。


 俺が最初に食したのは白色で、あんこは小豆のごときブレの実、ジャムはマンゴーのごときエランとリンゴのごときラマムのブレンドだ。あんこは干し柿のごときマトラで甘みをつけたようで、鮮烈に甘いのにくどさが感じられなかった。


 淡い桜色はアロウの果汁で、あんこの中にはジャムではなくストロベリー風味のクリームが封入されている。

 淡い緑色はヨモギのごときブケラで、あんこが大豆に似たタウで仕上げられており、封入されていたのはピーナッツのごときラマンパのクリームだ。ブケラとタウとラマンパがそれぞれ異なる香ばしさを織り成して、なんとも新鮮な味わいであった。


「いやあ、どれも美味しいね。けっこう満腹だったのに、けっきょく全部食べちゃったよ」


「うん! ジバ婆にも食べさせてあげたいなー! あとでトゥール=ディンに作り方をおしえてもらおーっと!」


 そのトゥール=ディンは血族のもとに舞い戻り、ひときわの賑やかさの中に身を置いている。きっとラッド=リッドたちが賞賛の声をぶつけまくっているのだろう。トゥール=ディンはまるでお説教を受けているように小さくなっていたが、その胸中には大きな喜びが渦巻いているはずであった。


「さて! それではそろそろ、盤上遊戯に取り組む頃合いだな!」


 と、ラッツの若き家長が勇ましい笑顔でこちらに突撃してきた。

 その背後には、さまざまな家長やお供の男衆が追従している。家長会議の夜においては、誰が俺やアイ=ファと語らいの時間を持つべきか、盤上遊戯の勝負で順番が定められるのだった。


 まあそれは勝負を盛り上げるための余興に過ぎないようであったが、それでも俺やアイ=ファが景品のように扱われるのは光栄の限りである。

 そして、ラッツの家長が見据えているのはこの勝負の発案者であるラウ=レイの姿であったのだが――最後の大福餅を口に放り込んだラウ=レイは、もにゅもにゅと咀嚼しながら「いや」と答えた。


「俺はちょっと忙しいので、ひとまず遠慮しておく。のちのち勝負をしてもらえたら、ありがたく思うぞ」


「なに? このような場で、何が忙しいというのだ?」


「うむ。俺はヤミルと語りたいのだ」


 その返答に、俺は思わず息を呑む。そして、ラッツの家長はわけ知り顔で「そうか」とうなずいた。


「そんな話は家ですればいいかと思うが、まあお前は俺よりも性急な人間であるようだからな。話が済んだら、勝負に加わるがいい」


「うむ。では、またのちほどな」


 ラウ=レイはにこにこと笑いながら、腰を上げる。

 しかしヤミル=レイは鋭く目を細めながら、立ち上がろうとしなかった。


「こんな場で、わたしと何を語ろうというのよ? まったくもって、不穏な空気しか感じないわね」


「何もそのように身構える必要はないぞ。ただ、俺の心情と考えを伝えておきたいだけのことだ」


 ラウ=レイはこの段に至っても、屈託のない笑顔だ。

 すると、他の家長たちと語らっていたドンダ=ルウがやおら口をはさんだ。


「ラウ=レイよ、その話にはガズラン=ルティムを同席させるがいい」


「うむ? このような話に、ルティムの家は関係あるまい?」


「その正否は、こちらが決める。不満があるならば、家でゆるりと語ることだな」


 ラウ=レイは小首を傾げつつ、ガズラン=ルティムのほうを振り返った。


「同席するのはかまわんが、これはレイの家の問題だ。余計な口出しは遠慮してもらおう」


「はい。ですが、血族として必要を感じた折には、何か語ることになるかもしれません」


 そんな風に応じてから、ガズラン=ルティムは俺のほうに手を差し伸べてきた。


「あと、よければアスタにも同席していただいては如何でしょうか? アスタは家長会議の折から、ずっとラウ=レイのことを案じていたようですので」


「ふむ? そうなのか?」


 ラウ=レイがこちらを振り返ってきたので、俺は「う、うん」と慌て気味にうなずいた。


「ちょっとラウ=レイの様子が普段と違うから、ずっと気になっていたんだよ。同席させてもらえたら、ありがたいかな」


「そうか。しかし、アスタが案ずるような話ではないぞ」


 そう言って、ラウ=レイはにっこりと笑った。

 その妙に落ち着いた態度が、普段と異なっているのである。子供のように無邪気であるのは普段からであるが、ラウ=レイはそういう際にももっと活力を全開にするのが常であった。


 そんなこんなで、俺たちは一丸となって祭祀堂の出口を目指す。

 当然のようにアイ=ファもついてきたので、総勢は五名だ。帳の付近に設置されていた燭台を手に取って、ラウ=レイは外界へと足を踏み出した。


 もう日没から半刻以上は過ぎているので、すっかり夜の様相だ。

 暗闇の向こうに、スンの家屋の灯りがぽつぽつと浮かびあがっている。今頃はスンの人々も晩餐を食べ終えて、温かい家族の語らいにひたっているはずであった。


「さて。話というのは、俺たちの行く末についてだ」


 ラウ=レイは彼らしい率直さで、いきなりそのように切り出した。

 ヤミル=レイは鋭く目を細めたまま、何も答えない。彼女こそ、ラウ=レイの普段と異なる様子をもっともいぶかしんでいるはずであった。


「実は今日の家長会議で、ヤミルの婚儀について説教されてしまったのだ。二十四歳にもなる女衆に伴侶を与えないのは、森辺の民として正しくない、というような感じでな」


「…………」


「俺自身は何も焦るつもりはないのだが、グラフ=ザザたちの言葉にも一理あるのだろう。だから、そろそろ婚儀を挙げようではないか。お前は俺の伴侶になるのだ、ヤミルよ」


 今度はいきなりの、プロポーズである。

 俺がハラハラしながら見守っていると、ヤミル=レイは長い前髪をかきあげながらラウ=レイの笑顔をねめつけた。


「それに関しては、何度も答えているはずよ。わたしたちは婚儀を挙げるべきではない、とね」


「うむ。お前はまだ、そういう時期に至っていないのだろう。だから俺も、お前の心が固まるのを待ちたかったのだが……お前が正しき生を歩んでいないなどと見なされるのは、どうにも我慢がならないのだ。なおかつ、それをさまたげているのが俺自身とあっては、なおさらにな」


 そう言って、ラウ=レイはにこりと笑った。


「だから、俺と婚儀を挙げてくれ。お前をせっついてしまう分まで、幸せにすると約束しよう」


「……何もかもが、あなたの都合ね。けっきょく、わたしの心情などは何ひとつ慮っていないじゃない」


 ヤミル=レイが感情の読めない声音で応じると、ラウ=レイは笑顔のまま「いや」と首を横に振った。


「そのために、俺も一考したのだ。しかし、それを先に伝えるべきだったな。やはり俺も、いささか心を乱しているのかもしれん」


「……いったい何を考えたというのよ? どうせあなたの考えることなんて――」


「俺は、本家の家長の座を叔父貴に譲る。だから、俺と婚儀を挙げてほしい」


 俺は思わず息を呑み、ヤミル=レイは深々と息をついた。


「やっぱり、そういう話だったのね……けっきょくあなたは、何もわかっていないのよ」


「そんなことはなかろう。お前が俺との婚儀を拒むのは、俺が本家の家長であるからだ。それに、周りの連中も同じ理由から、俺たちの婚儀に反対している。であれば、俺が家長の座を譲れば万事解決であろう?」


「何も解決しないわよ。わたしはけっきょく、あなたに家長の座を捨てさせた女衆として、白い目を向けられることになるでしょうね」


「家長の座を譲ると決めたのは、お前ではなく俺自身だ。そんな筋違いの文句など、捨て置けばいい」


「誰も彼もが、あなたのようにふてぶてしく生きられるわけじゃないのよ。あなたがわかっていないのは、その一点ね」


「そのようなことはない」と、ラウ=レイは明るい表情で言いきった。


「お前こそ、このようなときぐらいは本心で語れ。お前は他者からの白い目など、何も恐れてはいなかろう。お前はただ、かつての大罪人であった身でレイ本家の家長と婚儀を挙げるのは申し訳ないと考えているだけだ。反対する人間がひとりでもいるならば、そんな真似をするべきではない、とな。お前はそういう、優しい性根であるのだ」


「だから――」


「しかしお前は、立派な女衆だ。いざ婚儀を挙げてしまえば、文句を言っていた人間を納得させることもできる。俺はそのように考えて、ひたすら時期が来るのを待っていた。それが、間違いであったというわけだな」


 ラウ=レイは、明るく力強い声で言いつのった。


「ただ俺は、俺とお前の正しさを皆に証明したかったのだ。お前はレイの家長の伴侶に相応しい立派な女衆だ、とな。今でも、その考えは変わっていないぞ」


「……立派だとか、そういう話ではないのよ」


「では、血筋の問題か? それに関しては、お前のほうが間違っていると思うぞ」


 何を言われても、ラウ=レイの側に怯む様子はない。いつしかその言葉には、ラウ=レイの持つ絶大な生命力があふれかえっていた。


「余所の家を引き合いに出すのは、あまり望むところではないのだが……かつての家族たちのことを考えてみるがいい。ディガ=ドムやドッド、ミダ・ルウ=シンやツヴァイ=ルティム、なんならオウラ=ルティムもだな。あやつらが立場のある人間に見初められたとき、お前は婚儀に反対するのか? かつてスン本家の家人であった者たちは、身をつつしんで婚儀の相手を選ばなければならんのか?」


「…………」


「お前たちは、すでに罪を贖っている。であれば、何も遠慮する必要はないのだ。相手が家長であろうが族長であろうが、見初めた相手と婚儀を挙げればいい。それに文句をつけることができるのは、父たる家長だけだ。すでに父を失っている俺たちは、誰にも文句をつけられるいわれはないということだな」


「…………」


「お前は自分を見下すあまりに、公正さに欠けている。他者には許すような行いを、自分にだけは許さないのだ。お前が森辺の民として間違っているのは、その一点のみだな。だから俺は、お前がその過ちを正す日を待っていたのだが……ただ待つだけで、正しく導くことができなかった。お前が至らない家人であるのは、家長たる俺の責任だ。その責任を取るためもあって、俺は家長の座を捨てることを決断した」


「……ラウ=レイとて、父から受け継いだ家長の座を何より大切に思っていたはずですね」


 ガズラン=ルティムが初めて口を開くと、ラウ=レイはヤミル=レイを見つめたまま「当たり前だ」と白い歯をこぼした。


「俺の父はあれだけ優れた狩人であったのに、四十やそこらで魂を返してしまった。俺は偉大なる父の分まで、家長としての仕事を果たそうと決めていた。その思いは、アイ=ファにもディック=ドムにも負けているつもりはない」


「だったら……どうして家長の座を捨てるなんて言うのよ?」


 ヤミル=レイが低くひそめた声で問いかけると、ラウ=レイは笑顔のまま答えた。


「それ以上に、お前のことが大切だからだ。お前と家長の座のどちらを捨てるかと考えたら、家長の座を捨てる他ない」


「……わたしにそんな価値はないわよ」


「ふふん。お前は自分を見下しているから、そんな言葉はまったくあてにならんな。そして、人間の価値というのは周囲の人間が決めるものであるのだ」


「…………」


「俺がお前に願うのはひとつだけだ、ヤミル。……もう、自分を許してやれ。もうヤミル=スンという大罪人は、この世にいない。お前は新たな生を生きる、ヤミル=レイであるのだ」


 ヤミル=レイは口をつぐんだまま、自分の額に手の平を押し当てた。

 そんな仕草によって目もとが隠されて、いっそう内心がわからなくなる。その姿のまま、ヤミル=レイはぽつりとつぶやいた。


「……その機会を奪ったのが自分であるという自覚はあるのかしら?」


「うむ? それはもしや、俺が早々に氏を与えてしまったことか? だとしたら、それに関しては詫びるべきであろうな」


「……どうして今日に限って、察しがいいのよ」


「うむ。ミダ・ルウ=シンたちが氏を授かって涙をこぼすさまを見て以来、ずっと引っかかるものがあったのだ。あの頃は、むしろ早々に決断した自分の正しさを誇りたいぐらいであったのだが……他の家族と同時に氏を授かっていたら、お前も同じだけの喜びを味わえたのだろうか、とな」


「…………」


「また、ああいう区切りがなかったため、お前は自分を許す機会を逸してしまったのかもしれん。その事実には、ついさっき気づいた。家長会議でお前の話になってから、俺はずっとお前のことを考えていたのでな」


「……家長としては、あるまじき行為ね」


「うむ。口惜しいことに、俺は家長の器ではなかったのかもしれん。しかし今は、お前のことを一番に考えるべきであろう」


 ヤミル=レイは同じポーズのまま、深々と溜息をついた。


「……そんな男は、御免こうむるわ」


「うむ? なんのことだ?」


「女衆に熱をあげて家長の座を打ち捨てるような人間は、御免こうむると言ったのよ。そんな軟弱な人間と添い遂げる気には、とうていなれないわね」


 ヤミル=レイがそのように言い放つと、ラウ=レイは初めて慌てた顔をした。


「ちょ、ちょっと待て。しかし俺は、お前との婚儀をあきらめることなどできんので――」


「なんと言われようと、絶対にお断りよ。家長の座を捨てるような人間と、婚儀を挙げることはできないわ」


 そんな風に言い捨てて、ヤミル=レイはくるりときびすを返してしまう。

 慌ててそれを追いかけようとしたラウ=レイは、途中で「うん?」と小首を傾げた。


「ではつまり、俺が家長の座に留まれば婚儀を挙げてもかまわないということなのか?」


 ヤミル=レイは答えずに、暗がりの向こうへと立ち去ってしまう。

 ラウ=レイは完全に惑乱の表情で、「おい待て!」と駆けだした。


「燭台も持たずに、どこに行くつもりだ! それに、俺の質問にも答えろ!」


 燭台を掲げたラウ=レイの姿が、闇の向こうに遠ざかっていく。

 そんな中、ガズラン=ルティムが俺とアイ=ファに微笑みかけてきた。


「ここから先は、余人が立ち入るべきではないでしょうね」


「はあ……でも、二人だけで大丈夫でしょうか?」


 俺が頼りない声をあげると、アイ=ファは苦笑をこらえているような面持ちで肩を小突いてきた。


「我々の前では、ヤミル=レイも真情を明かすことはできまい。……まあ、ラウ=レイの前でもそのようなものをさらすかどうかは、わからんがな」


「そうですね。ですが、ラウ=レイの思いは伝わったのではないかと思います。あとはそれこそ、当人同士の問題でしょう。どのような結果になっても、ドンダ=ルウも文句はつけないと思います」


 ガズラン=ルティムのそんな言葉で、俺はドンダ=ルウのことを思い出した。家長会議の場でラウ=レイが変調の兆しを見せたとき、ドンダ=ルウはひとり溜息をついていたのだ。もしかしたらドンダ=ルウは、あの時点でラウ=レイの思惑を看破していたのかもしれなかった。


(ドンダ=ルウは、ラウ=レイの父親の代からのつきあいなんだもんな。やっぱり、かなわないや)


 俺が頭をかいていると、またアイ=ファに肩を小突かれた。

 振り返ると、アイ=ファはやわらかく目を細めている。何とはなしに、今の一幕に満足している様子であった。


「では、戻るか。そろそろ盤上遊戯の決着もついている頃合いであろうしな」


「うん、そうだな」


 きっと今の一幕も、本年の家長会議の忘れられないエピソードとして、俺の心に刻みつけられることになるだろう。

 そんな思いを胸に、俺は熱気に満ち満ちた祭祀堂に舞い戻ることになったのだった。

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― 新着の感想 ―
ダルム=ルウが全面的に正しいw アスタは森辺を変えまくった自覚を持てw
まったく、直情型心情馬鹿正直陽キャマンと卑屈ツンデレ美人はこれだから・・・ とっととくっついてはぜろ!w
ヤミル=レイの暫定デレにウキウキ ラウ=レイもちゃんと気付くの好き
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