森辺の家長会議③~さらなる論議~
2025.7/2 更新分 1/1
「では、次は……猟犬にまつわる話とする」
あらためて、グラフ=ザザが重々しい声で宣言した。
「猟犬の伴侶と子の扱いに関しては、先年の家長会議によって決せられている。犬の子らが健やかに育つようであれば、他なる猟犬にも伴侶を与えようという話になっているが……その後、子犬たちの生育は如何様であろうか?」
「ラッツの子犬たちは、ぐんぐん大きくなっているぞ! 病魔に見舞われることもなく、元気に育っている!」
「フォウにおいても、問題はない。ただやはり、家がいくぶん手狭になってしまったな」
「ふん。ラヴィッツでは、早々に小屋を建てることになったぞ。あのように騒がしくては、落ち着いて晩餐を口にすることもできんからな」
現時点で猟犬に伴侶が与えられたのは、スンを除く親筋の十氏族のみである。そしてその中ですでに子犬が産まれているのは、たしか六つの氏族のみであった。
「ザザにおいては先月に訪れた二度目の発情期というもので、ようやく懐妊がかなったように思う。いまだ懐妊の成っていない氏族は、如何様であろうか?」
「まだ確かなことは言えんが、懐妊の兆しは見えている」
「こちらも、同様だ。雌犬の気が立って、伴侶以外の猟犬を寄せつけようとしない」
そのように報告するガズやダイの家長たちは、のきなみ明るい表情だ。最初の発情期で懐妊に至らなかった氏族は、誰もが二度目の発情期に期待をかけていたのだった。
「子犬が一人前に育つには、一年半の歳月が必要とされている。問題は、他なる猟犬たちにいつ伴侶をあてがうかだな」
「うむ。子犬が育てば小屋が必要になるという話も実感できた。まあ、ファの家ほど立派な小屋を準備する必要はなかろうから、こちらはいつでも迎えられるように思うぞ」
「とはいえ、すべての猟犬に伴侶を与えていたら、さすがに苦労が募りそうだ。ここは加減をして、また数頭ずつ買いつけるべきではなかろうか?」
「そうだな。多くとも、まずは親筋に次ぐ眷族の家に一頭ずつで十分なのではなかろうか? それでも、十頭ていどの数であろうからな」
「いや。それでは眷族が多いか少ないかで、無用の差異が生まれてしまおう。七つの眷族を持つルウとひとつの眷族しか持たないダイで同じ数の雌犬というのは、道理が通るまい」
「それは、もっともな話だな。ここはまた以前と同じように、狩人の人数なども参考にして決定するべきではないだろうか?」
俺が発言する機会が減ったのは、他なる家長たちもこういった話題にすっかり手馴れてきたためであるのだろう。俺としては、心強い限りであった。
「狩人の数よりも、猟犬の数を重んじるべきであろうな。たとえば、猟犬の半分に伴侶をあてがうと取り決めたならば、それを不公平のないように分配するのだ」
そのように進言してから、ダリ=サウティは四角い顎を撫でさすった。
「と、今のはあくまで一例だが、猟犬の半分というのは数が多かろうな。多くとも、さらにその半分ていどに留めるべきか」
「ええ。それでも、二十頭以上になるのでしょうからね」
と、ガズラン=ルティムが柔和な笑顔で答える。森辺には、すでに百頭以上の猟犬が存在するのだ。
「不公平にならなければ、それほど細かい数字は算出しなくともいいように思います。族長筋ならぬ血族には一頭ずつ、族長筋には三頭ずつといった配分でも、不満の声はあがらないのではないでしょうか?」
「ふむ。眷族が五つのサウティと七つのルウで同じ数というのは、いささか気が引けるところだな」
「ですが、眷族がひとつかふたつでも一頭ずつという小さき氏族に比べれば、割合の差は大きくないように思います。むしろ、そちらに不満が出ないか確認するべきでしょう」
「不満は、あるぞ!」と、ラッツの家長が元気に言いたてた。
「いや、不公平のどうのという話ではない! ただ、こちらは一頭の雌犬しか手にできなかったら、ミームとアウロのどちらに渡すべきか判断がつかないのだ! いっそのこと、すべての眷族に一頭ずつの雌犬をあてがってはどうであろうか?」
「それは、ずいぶんな数であるぞ。眷族だけでも、二十七という数であるのだからな。また、前回は十頭の雌犬しか存在しなかったため、スン家はいまだ手中にしていない。それも含めれば、二十八頭だ」
「こちらは、まったくかまわんぞ! 問題のある氏族はあるのであろうか?」
ラッツの家長が視線を巡らせると、ご近所にしてライバル的な関係であるガズの家長が真っ向から受け止めた。
「眷族に一頭ずつの雌犬をあてがわれて困る氏族はあるまい。それでも族長らが数を絞ろうとしているのは、かかる銅貨を考えてのことではなかろうか?」
「うむ。雌犬は白銅貨三十枚という値であるのだから、決して軽々に決めるべきではあるまい」
威厳にあふれかえった声音で、グラフ=ザザはそう言った。
「むろん、雌犬に関しては各自の氏族が銅貨を出す取り決めになっているが……ラッツの眷族たるアウロとミームは、それぞれ支障なく白銅貨三十枚を支払えるということであろうか?」
「うむ! まったくもって、問題はないぞ! ファとルウに肩代わりしてもらっていた銅貨も、とっくに返しているしな!」
それは、最初に買いつけた猟犬の費用についてのことである。シュミラル=リリンが西の王都から連れ帰った猟犬たちはファとルウで費用を出し合い、それを各氏族に貸し与えたのだ。そののちに、すべての猟犬はそれぞれの氏族の家人として正式に迎えられたため、生活にゆとりのできた氏族から順番に銅貨を支払うようにと取り決められたのだった。
この一年で、すべての氏族はその銅貨を返し終えている。くれぐれも生活費を優先するようにというお達しであったが、生鮮肉や腸詰肉を販売する商売によって、いずれの氏族もそれだけの資産を手にすることがかなったのだった。
「……では、もっとも貧しいと見なされているスンとダイは、如何様であろうか?」
「スンも、問題はない。この日に備えて、銅貨をためていたのでな」
「ダイも、同様だ。子たるレェンに雌犬を与えることがかなえば、ありがたく思う」
すると、ダリ=サウティも笑顔で挙手をした。
「実のところ、サウティの眷族も一頭ずつの雌犬を買いつけるぐらいの富は築いている。であれば、ルウやザザにも問題はあるまいな」
「当然だ。親たるザザや他なる眷族を頼るまでもなく、白銅貨三十枚ぐらいはいつでも支払えるぞ」
ダナの若き家長が勢いよく応じてから、表情をあらためた。
「とはいえ……それも、肉を売る仕事を受け持ったがためだ。これが二年前であったなら、まったく大口は叩けなかっただろうな」
「ええ。それだけ我々は、豊かな暮らしを送っているということですね」
穏やかな笑顔に誇らしさと嬉しさをにじませながら、ガズラン=ルティムはそう言った。
「どうやら、費用の面は問題ないようです。むしろ、ジャガルの行商人がいっぺんに二十八頭もの雌犬を準備できるか否かですね」
「ふん。それは、本人に問い質す他あるまい」
グラフ=ザザは力のこもった眼差しで、家長たちを見回した。
「ジェノスの貴族に話を通せば、ふた月からふた月半ていどで新たな雌犬が届けられる手はずになっている。すべての眷族およびスン家に一頭ずつ、合計二十八頭の雌犬を買いつけるということで異存はなかろうか?」
すると、アイ=ファが凛然と挙手をした。
「もしもあちらにゆとりがあった際には、ファの家でもう一頭の雌犬を買いつけたく思うのだが、許しをもらえようか?」
「……ファの家であれば、銅貨の面に問題はないのであろう。しかし、たった二人で新たな雌犬と子犬の面倒を見られるのか? 現時点でも、そちらはフォウを頼っていると聞き及んでいるぞ」
「うむ。それに関しては、バードゥ=フォウに話を通している」
バードゥ=フォウは、きわめて温和な面持ちで「うむ」と応じた。
「アイ=ファとアスタが城下町などに招かれた際には、フォウで犬や猫たちを預かっている。また、子犬がもっと幼かった折には、留守番の女衆も貸していたな。今後、そういった行いには代価を支払うそうだ」
「ほう。今度は銅貨で、犬の面倒を頼むということか」
「うむ。商売で女衆を貸す際と同じだけの銅貨が支払われれば、こちらには何の損もないからな。むしろ、留守番だけでそれほどの銅貨をいただくのが心苦しいほどだ」
そう言って、バードゥ=フォウはいっそう温かな表情になった。
「しかしアイ=ファは、大事な家人たる犬たちに伴侶を与えることを切望している。その願いを聞き届けるためならば、多少の心苦しさなど呑み込んでみせよう」
「ふん……そちらで話がついているなら、俺が文句をつける筋合いはない」
そんな風に言ってから、グラフ=ザザはじろりとアイ=ファをねめつけた。
「ただし、あくまで他なる氏族が優先だ。それだけは、心置いておけ」
「うむ。グラフ=ザザに了承を得られて、心よりありがたく思っている」
アイ=ファは毅然たる態度で、グラフ=ザザとバードゥ=フォウに目礼を送る。
すると、デイ=ラヴィッツが「ふん」と鼻を鳴らした。
「ファの家はすでに二頭もの猟犬を手にしており、三頭の子犬を授かったのであろうが? たったひとりしか狩人のいないファの家がそのように犬を増やして、何とするつもりだ?」
「それは、おいおい考える。行き場がなければ、家を守る番犬として育てる心づもりだ」
「番犬? そもそも森辺に番犬など不要であろうよ」
「そのようなことはない。現にジルベは、勲章を授かるほどの仕事を果たしているのだからな」
デイ=ラヴィッツがぐっと詰まると、ガズラン=ルティムがやんわり口をはさんだ。
「先のことは、誰にもわかりません。いずれは森辺においても、番犬が必要になるやもしれません」
「なに? あのような災厄が、そうそう起きてたまるものか」
「あれほどの災厄は稀であっても、外界では盗人が横行しています。かつてはサウティでも、家に鍵というものを設置するべきか検討されていましたね」
ガズラン=ルティムの呼びかけに、ダリ=サウティは「うむ」と応じる。
「森辺に街道が切り開かれたため、外界の人間が忍び込む危険が生じるのではないか、という話についてだな。現在のところはそういった危険も生じていないため、鍵の設置も見送られたが……先のことは、わからんな」
「はい。森辺の民は年々豊かになっていますし、自分たちは危険な蛮族ではないという事実を世間に知らしめています。それらの事実が組み合わさることによって、森辺の集落に盗人が侵入する危険も高まっていくことでしょう。家に番犬を置く習わしが生まれれば、そういった危険を遠ざけることもできるはずです」
「……ふん。それでも、たったひとつの家に何頭もの犬を置く理由にはなるまい。まあ、ファの家も続々と人間の家人を増やすということならば、話も別であるがな」
というのが、デイ=ラヴィッツの捨て台詞であった。
俺は思わず赤面しかけてしまったが、アイ=ファが沈着なる態度を崩さなかったので、何とかそれを見習うことができた。ラウ=レイあたりがおかしな追従を見せなかったのは、何よりの話である。
「では、猟犬の伴侶に関してはここまでとして……うむ? 何用だ?」
と、グラフ=ザザが鋭い視線を横合いに向ける。出入り口の帳から、スフィラ=ザザを先頭にした女衆が姿を現したのだ。それはザザの血族たる女衆で、トゥール=ディンたちが鉄鍋や木皿を持参していた。
「会議の最中に失礼いたします。家長たちに茶の準備をしたのですが、如何でしょうか?」
グラフ=ザザが何か答えるより早く、ラウ=レイが「おお!」と反応した。
「ちょうど咽喉が渇いていたのだ! ザザの末妹は、気がきくな!」
「菓子の準備が終わりましたので、他なる仕事を手伝う前にと頭を巡らせただけのことです。不要であれば片付けますが、如何いたしましょう?」
「……了承する。配るがいい」
「承知いたしました」と、スフィラ=ザザは恭しく一礼する。家長会議のさなかであるため、父親たるグラフ=ザザにも最大限の礼を尽くしているのだろう。さすが、ザザの家はそういう部分も徹底していた。
ということで、ザザの血族の女衆から差し入れの茶が振る舞われる。香り高いチャッチの茶が鉄鍋でふたつ分も準備されており、それが木皿に注がれて配分されることになった。
「失礼いたしました。引き続き、よろしくお願いいたします」
深々と頭を垂れてから、スフィラ=ザザたちは退室していく。
グラフ=ザザは木皿のチャッチ茶でぐびりと咽喉を潤してから、何事もなかったかのように「さて」と声をあげた。
「では次は、宿場町の聖堂に関してだ。読み書きや計算といったものの習得、および宿場町の民との交流のために、可能な範囲で幼子を聖堂に向かわせるべしという話に取り決められたが……やはりこれは、氏族ごとに大きな差が出ているようだな」
「うむ。これはどうしても、家の場所に左右されてしまうのであろう。かくいうサウティも、なかなかに難渋している」
サウティの集落から宿場町までは、往復で三刻以上もかかるのだ。ザザの集落などは、それ以上であるはずであった。
「フォウなどはまだしも宿場町に近いので、多少は足を運ぶことができている。それでもやはり、十日に一度といったていどだな」
「ガズの血族も、せいぜいそのていどだ。なおかつ最近は、女衆よりも男衆が送り迎えをする機会が増えている」
「うむ。女衆には、かまど仕事があるからな。ベイムにおいても狩人の仕事を休みとした日に、男衆が荷車を出している」
そんな風に語らっている間に、いくつかの視線がドンダ=ルウに集中する。ルウ家はもっとも宿場町に近い位置取りであるし、同胞に手本を見せるべき族長筋であるのだ。
「……ルウの血族も、フォウやベイムと大差はない。こちらは屋台の商売を抱えているため、いっそう女手が足りていないのだ。荷車を出すのは、おおよそ男衆だな」
「うむ! 俺やルド=ルウやガズラン=ルティムが、しょっちゅう御者の役目を担っているぞ! とはいえ、月に数回の話だがな!」
ラウ=レイが、無邪気な笑顔で追従した。
「正直に言って、俺などは広場で若衆と遊んでいたほうが、よほど愉快な心地だ! しかし、聖堂で聞く神話やら何やらというやつは、楽しくないこともないぞ! どうせだったら、傀儡の劇にでも仕立ててほしいところだがな!」
「はい。幼子にとっては有意義な交流を望めますが、それに付き添う男衆は祭司たちの語る言葉を聞くぐらいのことしかできません。交流よりも、見識を深めるために参じている状態にありますね」
と、ガズラン=ルティムが補足した。
「以前にも報告しました通り、聖堂に幼子を預けた宿場町の民は家に戻ってしまいますため、交流を求めるべき相手が存在しないのです。よって、司祭が幼子たちに語る言葉を聞くしかない、ということですね」
「うむ! 休息の時間には、幼子たちとたわむれることもできるがな!」
「ああ、それも有意義な交流ですね。ただ、私はこういう退屈な人間ですので、なかなか宿場町の幼子と交流を深めることがかないません」
すると、ベイムの家長が挙手をした上で発言した。
「俺も何度か送迎の役を担ったが、あまり付け加えるべき言葉はない。決して有意義でないとは言わんが……ザザやサウティの血族が無理をしてまで通う必要はないのではないかと思う」
「うむ……こちらで送迎を担った人間からも、同じような言葉が届けられている。これだけ長きの時間をかける甲斐があるのだろうか、とな」
そんな風に語るグラフ=ザザは、なかなか厳しい面持ちになっていた。
「しかし、これで聖堂に通うことを取りやめたならば、学びと交流の両方で後れを取ることになる。族長筋たるザザやサウティが、苦労を惜しむことは許されまいな」
「うーむ。学びに関してはよくわからんが、交流に関してはどうであろうな?」
と、ラウ=レイは首をひねった。
「むろん、幼子同士で遊んでいれば、交流が深まることもあろう。しかし俺は宿場町の若衆と不満のないつきあいができている。宿場町の民と交流を深めるのは、自分の足で行き来できる齢を待っても支障はないのではなかろうか?」
「私も、ラウ=レイに同意いたします。聖堂に幼子を向かわせることで、森辺の民に対する理解を深めてもらうことはかなうかと思いますが、それは一部の氏族が受け持つだけで十分でしょう。家の遠い氏族が無理をする必要はないように感じました」
この一年ばかりで、ガズラン=ルティムはそういった結論に至ったのだ。
グラフ=ザザは、「しかし」と言いつのった。
「交流の面はそれでよくとも、学びに関しては別であろう。家の遠い氏族のみが計算や読み書きで後れを取るというのは、許しがたく思う」
「そうですね。それは将来的に、商売の話にも関わってくるでしょう。計算や読み書きの巧みな人間は、商売において大きな力を発揮できるはずです」
そんな風に言ってから、ガズラン=ルティムはにこりと笑った。
「それで、一考したのですが……いっそ、宿場町の民を森辺に招いて、計算や読み書きの指南をしていただいたら如何でしょうか?」
「なに? 誰を森辺に招こうというのだ?」
「聖堂の関係者である、修道女という身分にある人々です。然るべき代価を支払えば、修道女を森辺に向かわせることは可能であるという話でした」
「……お前はすでに、そのような話をつけていたのか?」
「はい。それが正しい行いであるか、是非を定めていただきたく思います」
さすがガズラン=ルティムは、こういう案件で誰よりも柔軟な発想を持っている。他なる家長たちもそれに感服した様子で、文句をつけようとはしなかった。
ということで、ガズラン=ルティムの提案はすみやかに可決される。ザザ、サウティ、スンを拠点として、それぞれ月に三回ずつ修道女を招くという方式だ。報酬は一回につき白銅貨三枚ということであったが、幼子を出す氏族で割り勘にすればさしたる費用でもなかった。
「いっそのこと、その銅貨は共有の資産というやつから出せばいいのではないか?」
ラウ=レイが気安く口をはさむと、グラフ=ザザは厳格なる面持ちで「いや」と応じた。
「他なる氏族は手間をかけて宿場町まで参ずるのだから、それでは公正さを欠くことになる。ましてや、族長筋を優遇するような真似は差し控えるべきであろう」
「まったく、融通のきかないことだな! このていどの話で文句をつける人間など、いなかろうに!」
ラウ=レイがからからと笑うと、グラフ=ザザはいくぶん物騒な感じに目を光らせた。
「では、次の議題に関してだが……かつてスン本家の家人であった者たちについて、語りたく思う」
「うむ? それは、なんの話だ? ヤミルは立派に、レイの家人として力を尽くしているぞ!」
「……スン本家の家人を預かったシン、レイ、ルティム、ドムの家からは、いずれも問題なしと告げられている。先年にはかつての長兄であったディガ=ドムが氏を授かり、今日などはこうして家長の供を務めるぐらいであるからな」
いきなり名指しされたディガ=ドムは、表情を引き締めながら一礼する。
そして、隣のディック=ドムもひさびさに発言した。
「このたびは他なる家長たちへの顔見せという意味合いもあって、分家の家人に過ぎないディガ=ドムを供とした。グラフ=ザザにも事前に了承をもらったはずだが、何か問題でもあっただろうか?」
「供を決めるのは家長の裁量であるのだから、俺の許しを得る必要はない。また、ディガ=ドムがそれだけの成長を果たしたことも、喜ばしく思っている」
そのように応じながら、グラフ=ザザはあらためてラウ=レイのことをにらみつけた。
「次兄であったドッドはいまだ氏を授かっていないが、それも時間の問題であろうとされている。また、ミダ・ルウ=シンは勇者や勇士となる力を持つ狩人で、ツヴァイ=ルティムは商売の話でまたとない力を発揮しており、オウラ=ルティムは森辺の女衆の規範となるような甲斐甲斐しさで家の仕事を果たしているのだと聞いている」
「ヤミルだって、負けておらんぞ! アスタの屋台の手伝いでも、ルウの血族の祝宴でも、大きな仕事を果たしているからな! レイにおいては、三本の指に入るかまど番であるのだ!」
「では、何故にヤミル=レイに伴侶を与えないのだ?」
グラフ=ザザの問いかけに、ラウ=レイはきょとんとした。
「ヤミルはいずれ、俺と婚儀を挙げる手はずになっているぞ。今は、時期を見ているだけのことだ」
「時期とは、なんの時期だ? お前はヤミル=レイに婚儀の話を断られているのに、他の血族からの婚儀の申し入れを片っ端から断っているのだと聞いているぞ」
「ヤミルはいずれ俺の伴侶になるのだから、余所からの申し入れは断るしかないではないか!」
「では問うが、ヤミル=レイは何歳になったのだ?」
ラウ=レイは口をとがらせながら、「二十四だ」と答えた。
「二十四歳。……森辺では十五歳で一人前と認められて、おおよその人間は二十歳までに婚儀を挙げている。その齢で婚儀を挙げないのは、よほど心身に問題を抱えた人間のみであろうな」
「ヤミルに問題などないぞ! ただ今は、婚儀の気分ではないというだけのことだ!」
「そんな適当な言葉が、正当な理由になるのか? お前以外の相手であれば、ヤミル=レイも婚儀の話を受け入れるやもしれん。お前の横暴さがヤミル=レイの健やかな行く末のさまたげになっているのならば、決して看過はできんのだ」
すると、ダリ=サウティが場をとりなすように穏やかな声をあげた。
「これがただの家人の話であるならば、余所の氏族の人間に文句をつけるいわれはない。しかしヤミル=レイはすべての家長の裁決で、今の境遇に身を置いているのだ。ヤミル=レイに正しき心で生きていくようにと命じた俺たちには、ヤミル=レイを正しき道に導く責任があるということだな」
「……そうか。わかった。とにかく、ヤミルが婚儀を挙げればいいということだな」
ラウ=レイは意外に激した様子もなく、幼子のようにむくれた顔でふんぞり返った。
「わかった。近日中に、ヤミルと婚儀を挙げることにする」
「それは、ラウ=レイを相手にということであろうか?」
「当たり前だ! それ以外に、正しき道はない!」
「……ひとつだけ、いいだろうか?」と、ディック=ドムが沈着なる声をあげた。
「かつてはモルン・ルティムも、俺の立場を考慮して深く思い悩むことになった。族長筋の眷族の家長というのは、それだけ重い身分であるのだ。ヤミル=レイが何故にラウ=レイとの婚儀をためらうのか、それをしっかり理解するべきであろうと思う」
ラウ=レイは横目で、ディック=ドムをにらみつける。
が――次第にむくれた顔がゆるんでいき、最後には子供のような笑顔になった。
「なるほど。承知した。やはりお前は立派な家長だな、ディック=ドムよ」
「うむ? 俺などは、モルン・ルティムの誠心に救われたにすぎん。こと婚儀の話に関しては、何も立派なことはないぞ」
「いやいや。そういえば、お前は俺と同じ齢であったな。それでもお前は、立派な家長だ。存分に見習うとしよう」
普段は荒っぽいラウ=レイが妙にやわらかい態度であるため、ミンやマァムの家長はうろんげに眉をひそめている。そして何故だか、ドンダ=ルウはこっそり溜息をついていた。
(なんかちょっと、俺も落ち着かない気分だな。家長会議が終わったら、ラウ=レイに話を聞いてみよう)
俺がそのように考えていると、グラフ=ザザが居住まいを正しつつ発言した。
「では、レイの家長の行いに関しては親筋たるドンダ=ルウに見守ってもらとして、次の議題に取りかかろうかと思うが……そろそろファの家長に語ってもらうか」
アイ=ファは毅然とした面持ちで、「うむ」と応じた。
すでに事情を聞いている俺も、慌てて背筋をのばす。アイ=ファは本日、家長会議にひとつの議題を持ち込んでいたのだ。
「これはつい昨晩の話であったので、この家長会議において事情を通達させていただこうと考えた。……昨晩、宿場町で行われた晩餐会において、私は東の占星師たるアリシュナから奇妙な星読みの話を聞かされることになったのだ」
「なに?」と、デイ=ラヴィッツが迅速に反応した。
「あやしげな星読みの話など、家長会議で語る甲斐はあるまい。お前もとうとう、東の民に感化されたというわけか?」
「私は多くの家長たちと同様に、星読みに重きを置く立場ではない。しかし、私を含めて誰もが星読みの力というものはわきまえているはずだ」
かつては星読みの才覚に目覚めたクルア=スンも、飛蝗の襲撃を予知することになったのだ。その後、クルア=スンが星読みの力を制御するためにアリシュナのもとまで通っていることは、昨年の家長会議でも取り沙汰されていた。
「まず結論から語らせてもらおう。私とアスタは、間もなく大きな試練を迎えるだろうと言い渡された。そしてその朝には、アスタがまた悪夢に見舞われるだろうという話であったのだ」
「なに? ではまた飛蝗のような災厄が訪れるということか?」
思わずといった調子で、ダゴラの家長が身を乗り出す。
しかしアイ=ファは、「いや」と答えた。
「災厄ではなく、あくまで試練であると語っていた。しかしそれは、星図というものを大きく乱す話であろうということであった」
「……なるほど。その星図とやらが乱れるときに、アスタは悪夢に見舞われるのだろうという話であったな」
と、ギラン=リリンが穏やかな調子で発言する。《銀の壺》とゆかりの深い彼は、星読みに関しても多少の知識を携えているはずであった。
「それで、俺たちは何か用心するべきなのであろうか?」
「どのような試練であるのかも判然としないので、私やアスタにも用心のしようはない。しかし、アリシュナが必要だと判じたならば、この話はジェノスの領主にも伝えられることになるだろう。よって、私もあらかじめ事情を話しておくべきだと判じたのだ」
あくまで凛然たるたたずまいで、アイ=ファはそのように言いつのった。
「私は星読みというものを重んじる立場ではないが、ここ最近はアスタが悪夢に見舞われるたびに大きな災厄が生じた。このたびは災厄ならぬ試練であるとのことであったが、何にせよ周囲の人間を巻き込む騒ぎが起きるのかもしれん。アスタが悪夢を見た際には、すべての氏族に話を通達するべきかどうか……それをこの場で、判じてもらいたい」
「……ふん。星読みに悪夢ときては、何を論ずればいいのかもわからんな」
と、ジーンの家長がぶっきらぼうな声をあげた。
「しかし、飛蝗や邪神教団や東の王家の例がある以上、馬鹿馬鹿しいと切り捨てることはできんだろう。あとは、族長の判断に一任する」
「うむ。星読みなどというものを重んずるのは、我々の気風に合わないが……飛蝗の災厄に見舞われた際にも、屋台の商売に狩人を同行させることで事なきを得たのだ。それを思えば、決して軽んずることもできなかろうな」
グラフ=ザザは、これまででもっとも重々しい声でそう言った。
「アスタが悪夢を見た際にはすべての氏族に事情を通達し、屋台の商売には護衛役の狩人を同行させる。その決定に、意義がある家長はあろうか?」
声をあげる家長は、いなかった。
それを見届けた末に、ガズラン=ルティムがゆったりと声をあげる。
「災厄ではなく試練であるというのならば、他の人間には手出しができないような話であるのかもしれません。ですが我々は森辺の同胞として力を尽くすとお約束しましょう。アイ=ファもアスタも、どうか心安らかにお過ごしください」
ガズラン=ルティムには、晩餐会の帰り道ですでに事情を打ち明けているのだ。
アイ=ファは凛々しいの面持ちのまま、とても澄みわたった眼差しで一礼した。
「私も他なる同胞の窮地には、力を尽くすと約束しよう。皆の温情には、深く感謝する」
俺もそのありがたさを噛みしめながら、アイ=ファに続いて頭を下げることになった。
もはや、デイ=ラヴィッツでさえも文句をつけることはない。それぐらい、この場の誰もが俺たちの身を案じてくれているのだ。俺は顔を上げる前に、目もとににじんだものをぬぐわなければならなかった。




