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異世界料理道  作者: EDA
第九十六章 青天の日々
1638/1695

森辺の家長会議①~開会~

2025.6/30 更新分 1/1

・今回の更新は全7話です。

 青の月の十日――その日も俺とアイ=ファは、ごく平穏な朝を迎えることになった。


 体内時計の導きによって俺がぼんやりまぶたを開くと、優しい眼差しをしたアイ=ファが間近から見つめている。そして俺の右手の先は、アイ=ファの温もりに包み込まれていた。


「今日は、私が先んじることになったな」


 静かな声で語りながら、アイ=ファはぎゅっと俺の手の先を握ってくる。

 その温もりにひたりながら、俺は「うん……」と寝ぼけた声を返した。


「いちおう報告しておくけど……今日も悪夢は見なかったよ」


「そのゆるんだ顔を見ていれば、察しはつく。家長会議の前に余計な苦労を背負わずに済んで、何よりであったな」


 アイ=ファの声と眼差しは、果てしなく優しい。起き抜けのアイ=ファはおおよそ穏やかなものであるが、今日はひときわの慈愛にあふれかえっているように感じられた。


 それはきっと、昨日の晩餐会で聞かされたアリシュナの言葉が原因であるのだろう。

 アイ=ファは間もなく、大きな星図の乱れというものに見舞われる――そしてそれは俺とアイ=ファの身に降りかかる試練であり、その朝に俺は悪夢に見舞われるだろうという話であったのだ。


 ここ三回ほど、俺は悪夢に見舞われるたびに大きな運命の変転を迎えている。

 およそ一年半前の雨季では、チル=リムに出会って邪神教団に襲撃されることになった。

 一年前の青の月では、邪神教団の報復として飛蝗の災厄を仕向けられることになった。

 そして四ヶ月前、アイ=ファの誕生日の翌日にはポワディーノ王子がやってきて、東の王家の騒乱に巻き込まれることになった。


 アリシュナいわく、星図が大きく乱れる際に、俺は悪夢に見舞われるのだという。

 そして今回、アリシュナはいち早く星図の乱れを察知することになったわけであった。


(俺もアイ=ファと同様に、星読みの力に頼るつもりはないけど……アリシュナの力が本物だってことは、身にしみてわかってるからな)


 だからきっと今回も、アリシュナの予言は的中するのだろう。

 遠からぬ日に、俺は悪夢に見舞われて、何らかの騒動に巻き込まれるのだ。


 またあの苦悶に満ちみちた悪夢に見舞われるのかと思うと、ぞっとする。

 しかし俺はあの悪夢を乗り越えるべき試練だと考えていたし、いつしかアイ=ファも思いをともにしていたのだ。


 ならば、何も恐れる必要はない。

 だから俺は昨晩の晩餐会を終えた後、普段通りにあっさりと寝入ることがかなったのだった。


「さあ、それでは身支度だ。時間にゆとりはあるものの、怠惰に過ごす理由にはならんからな」


 最後にひときわ強い力で俺の手を握ってから、アイ=ファは半身を起こす。

 その金褐色の髪のきらめきに目を細めながら、俺も「うん」と最愛なる家長を見習うことにした。


                 ◇


 青の月の十日である本日は、年に一度の家長会議だ。

 会議の開始は中天からであるが、俺たちはかまど番の奮闘を見守るべく早めに出立する予定を立てている。俺は家長たるアイ=ファの供として家長会議に参席しなければならないため、各氏族の精鋭たちが晩餐の支度を受け持つのだった。


 俺が家長会議に参ずるのは、これで四度目のこととなる。

 最初の年には会議に参席せず、かまど仕事を受け持った。それで夜には、スン家の罪を暴きたてることになったのだ。

 二度目の家長会議では、ファの家の行いがのきなみ正しいと認めてもらうことができた。

 三度目の家長会議では、町での商売や血族ならぬ氏族との婚儀や猟犬の伴侶についてなど、さまざまな議題で有意義なディスカッションを繰り広げることになった。


 四度目となる今回も、きっとこれまでに負けない有意義な家長会議になることだろう。

 朝の身支度と家の仕事を終えた俺たちは、熱い思いを胸にスンの集落を目指すことにした。


「やはり家長会議の日には、色々と感慨深くなってしまうものだな」


 そのように告げてきたのは、同じ荷車に乗ったライエルファム=スドラである。

 御者役はチム=スドラが受け持ち、俺とアイ=ファ、バードゥ=フォウと供の男衆が同乗している。たしか昨年も、同じような顔ぶれで家長会議に参じたはずであった。


「俺たちがファの家と絆を結びなおしたのは、三年前の家長会議であったからな。また、あの日を境に森辺での生活は一変したのだから、誰にとっても忘れられない日であろう」


 バードゥ=フォウも、謹厳なる面持ちで発言する。そしてバードゥ=フォウが物思わしげな視線を送ると、アイ=ファは先手を打つように口を開いた。


「またファの家と縁を切っていたことを詫びるつもりなら、不要だぞ。いまさら三年も昔の話を取り沙汰する意味はあるまい」


「うむ。しかし俺は、アイ=ファの父親とも縁を持つ身であったからな。どうしても、自分の不甲斐なさを忘れることはできんのだ」


「だからあれは、私がスン家と悪縁を結んだ結果であろう? おたがいに反省は必要であろうが、ことさら蒸し返す必要はない」


 すると、ライエルファム=スドラがくしゃっと笑いながら発言した。


「俺はファの家と関わりが薄かったので、バードゥ=フォウほど申し訳なさを覚えることはない。しかし、ひときわ貧しい生活に身を置いていたので、どの氏族よりもファの家に感謝しているつもりだ。謝罪ではなく感謝の言葉であれば、アイ=ファも文句なく受け取ってもらえようか?」


「こちらとて、たびたびスドラに助力を願っているのだから、一方的に礼を言われる筋合いはない。私もあらためて、ライエルファム=スドラに感謝の言葉を捧げるべきであろうか?」


「ふふん。これはおたがい、口をつつしむしかないようだな」


 そのように語りながら、ライエルファム=スドラは子猿のような笑顔のままである。アイ=ファもまた、目もとだけで微笑むことになった。


 ファの家の正否が問われる二度目の家長会議では小さからぬ緊迫感も生じたものであるが、前回からはこういった和やかな雰囲気に落ち着いている。もちろん会議の場ではいっさい気を抜くことも許されないが、明るい行く末を目指すための会議であれば、自然に気合がみなぎるものであった。


 ちなみに本日は、屋台の商売も臨時休業としている。

 うまくやりくりすれば営業を敢行することもできなくはなかったが、屋台の責任者はすべてスンの集落に集結するため、不測の事態が生じた際には対応が遅れてしまうことだろう。それですっぱりと、営業を取りやめることに決定したのだ。


 言ってみれば、それも家長会議に集中するための措置である。

 誰にとっても、家長会議というのはそれだけ重要な存在であったのだった。


「スンの集落に、到着したぞ」


 チム=スドラの声とともに、荷車の歩がゆるめられた。

 それが完全に止まるのを待ってから、俺たちは荷台の外に出る。すると、目の前に祭祀堂の威容が鎮座ましましていた。


 二年前に再建された、ギバの毛皮の天幕だ。

 この新たな祭祀堂で家長会議に臨むのは、これで二度目のこととなる。数ヶ月前にはこちらにポワディーノ王子や貴族の面々を招待することになったものの、俺の感慨に変わりはなかった。


「スンの家にようこそ。お待ちしておりましたよ、客人がた」


 と、真っ白な頭をした女衆がやわらかな笑顔で近づいてくる。クルア=スンの祖母にあたる、スン家の長老であった。


「雨季に貴族や東の王子を迎えて以来、三ヶ月ぶりといったところでございましょうか。誰もがご壮健なようで、何よりでございますねぇ」


「うむ。このたびも、世話になる。こちらの家人らは、問題なく仕事に励んでいようか?」


「ええ。どの氏族の方々も、滞りなく……まずは、そちらにご案内いたしましょうか? それとも、ルウの方々にご挨拶が必要でしょうか?」


「またルウの面々に先を越されたか。では、我々はドンダ=ルウに挨拶をするとしよう。アイ=ファとアスタは、かまど小屋か?」


「うむ。ドンダ=ルウも、我々の顔は見飽きていようからな」


 ということで、バードゥ=フォウたちは祭祀堂に、俺とアイ=ファはかまど小屋に向かうことになった。

 こちらの案内役を担ってくれたのは、十三歳未満の少年だ。狩人の仕事もかまど仕事も担えない少年が、こういった雑用を受け持つのである。本日は女衆が朝から晩までかまど仕事であるため、彼らの苦労も上乗せされるはずであった。


「おお、アイ=ファにアスタ! 二日連続で出くわすというのは、物珍しいことだな!」


 最初に案内されたのは本家のかまど小屋で、そちらではラウ=レイがひとりで見物に励んでいた。

 つまり、そちらで働いていたのはルウの血族の面々である。ルウ本家の三姉妹に、ヤミル=レイとツヴァイ=ルティムとミンの女衆――前回はマイムとミケルが参じていたはずであるので、若干顔ぶれが入れ替わっていた。


 そして、それと同程度の人数であるスンの女衆が、指導を受けながら仕事に励んでいる。そちらも本家の家人であるクルア=スンの姿が見当たらなかったが、おおよそは昨年と同じような光景であった。


「やあ。今回はラウ=レイも追い出されなかったんだね」


「うむ? 追い出されるとは、何の話だ?」


「たしか前回の家長会議では、うるさくするからかまど小屋を追い出されたんじゃなかったっけ? それで、表でシュミラル=リリンたちと語らってたんだよ」


「一年も前の話を、よくもそうまで覚えているものだな! まあ、俺もこの一年で成長したということだ!」


「ふん。こちらが我慢強くなっただけのことよ」


 ヤミル=レイが素っ気なく口をはさむと、女衆の何名かがくすくすと笑う。そしてリミ=ルウは、とびっきりの笑顔をこちらに向けてきた。


「アイ=ファとアスタも、お疲れさまー! 今年もおいしー料理をいーっぱい準備するから、楽しみにしててねー!」


「うむ。期待しているぞ」と、アイ=ファは優しい表情で答える。

 家長会議では大勢の人間が集まるし、せっかくであれば最新の献立を味わってもらおうということで、各氏族の精鋭が腕をふるうのが通例になっていた。


「アスタ、お疲れ様です。こちらは人手にもゆとりがありましたので、腕の立つクルア=スンはユン=スドラを手伝ってもらうことにしました」


 と、凛々しい面持ちをしたレイナ=ルウが告げてくる。どのような場面でも、大仕事の取り仕切り役であれば気合満点のレイナ=ルウであった。


「アスタたちは、かまど小屋を巡るのか? では、俺もそちらに同行するとしよう! ずいぶんたっぷり語らったので、ヤミルが寂しがることもなかろうしな!」


「ああもう、とっとと行きなさいよ。そのまま二度と戻ってくる必要はないからね」


 ヤミル=レイの冷たい返答にめげた様子もなく、ラウ=レイは笑顔でかまど小屋を後にした。


「どうしたんだい? ラウ=レイは、何だかご機嫌だね」


「うむ? そうか? まあ、昨日は宿場町の晩餐会で、今日は朝からこの騒ぎだ! 

ずっとヤミルのかたわらにあるので、心が満たされているのやもしれんな!」


 竜神の民に負けないぐらい、明け透けで真っ直ぐなラウ=レイである。

 ちなみに《青き翼》の面々は、この朝にジェノスを出立したはずであった。


「確かに、二日連続でけっこうな騒ぎだよね。まあ、へこたれるほどではないけどさ」


「うむ! 昨日などは、酒と料理を楽しんだだけだしな! 森辺の料理がもっとたくさんあれば、言うことはなかったのだが!」


「それで、他の面々はもう祭祀堂にこもっているのであろうか?」


 アイ=ファの問いかけにも、ラウ=レイは元気に「うむ!」と応じた。


「ガズラン=ルティムとシュミラル=リリンは、昨日の晩餐会について語らっているのであろうよ! 他の連中はそれに聞き入っているようだが、俺は聞く必要もないのでな!」


「そうか。晩餐会に参席した人間は、おのおの語るべき話があるのであろうな」


 と、アイ=ファは一瞬だけ眼光を鋭くしたが、ラウ=レイは気づかなかったようである。

 そうこうしている間に、分家のかまど小屋に到着した。こちらで働いていたのは、ユン=スドラを筆頭とする小さき氏族の精鋭とスン分家の女衆だ。


「あっ、アスタにアイ=ファ! どうもお疲れ様です!」


 先刻のリミ=ルウにも負けない無邪気さで、レイ=マトゥアが笑顔を向けてくる。あとは、マルフィラ=ナハム、ユーミ=ラン、ドーンの末妹という顔ぶれで、スン分家の女衆にクルア=スンも加わっていた。


「やあ、二人ともお疲れさま。ついにこの日が来ちゃったねー」


 と、ユーミ=ランは力強い笑顔を向けてくる。ついに宿場町から嫁入りを果たしたということで、ユーミ=ランは顔見せのために参じることになったのだ。のちのち、家長会議の場にも引っ張り出されるはずであった。


 あとは、屋台の当番でフォウの集落に滞在していたドーンの末妹も選抜されることになった。参加できる人数には限りがあるので、なるべくさまざまな氏族から選ぼうという配慮だろう。初の家長会議となるドーンの女衆は、可愛らしく頬を火照らせていた。


「今日もユン=スドラは大役だね。晩餐の時間を楽しみにしているよ」


「はい。献立の選定ではアスタにも力を添えていただけたので、怯む気持ちはありません」


 と、ユン=スドラは気負うことなく笑っている。本日は俺の代役ではなく、小さき氏族の代表として大役を担わされたわけであるが、ユン=スドラも数々の経験を経て大きく成長しているのだった。


 こちらも本家のかまど小屋と変わりなく、順調に作業が進められている様子である。

 多少の言葉を交わしてから三つ目のかまど小屋に向かうと、そちらで働いていたのはトゥール=ディンを取り仕切り役とするザザの血族だ。スフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドム、リッドの女衆というお馴染みの顔ぶれに、ダナとハヴィラの女衆も加えられていた。


 こちらでは菓子を作りあげたのち、余った時間は料理の調理を手伝うという予定であるらしい。レイナ=ルウとユン=スドラとトゥール=ディンが事前に集まって、そういった段取りを整えたのだ。俺が協力を要請されたのは、献立の選定のみであった。


 前回も前々回も俺ぬきで見事な晩餐を仕上げていたレイナ=ルウたちであるが、年を重ねるごとに頼もしさは増していくばかりである。彼女たちは普段から独自に祝宴などの取り仕切り役を担っているため、もはや俺に頼らずとも立派に仕事を果たすことがかなうのだった。


(いつか俺がいなくなってもっていう思いで、俺は手ほどきを進めてたんだもんな)


 しかしそれも、決して後ろ向きな思いではない。本当の最初期は、俺など神様の気まぐれでいつ消えて無くなるかもわからないという不安に駆られてのことであったが――のちのちは、ごく真っ当な世代交代を考慮しての思いに変じていた。


 俺ばかりでなく、レイナ=ルウやユン=スドラだっていつかは現場から身を引くことになる。それでも美味なる料理の調理や屋台の商売の継続が頓挫してしまわないように、俺は手ほどきを進めてきたのだ。


 来年も、十年後も、二十年後も、森辺の民が健やかに生きていけるように――それは俺だけではなく、すべての森辺の民の共通認識であるはずだ。

 それもこれも、二年前の家長会議でファの家の行いが正しいと認められた結果であるのだから、俺にとっての今日という日はかけがえのない大切な日であったのだった。


                 ◇


 そうして二刻ばかりの時間が過ぎて、ついに中天――家長会議を開始する刻限がやってきた。

 祭祀堂には、シンの家を加えて三十八という数になった氏族の家長と供の男衆が集結している。それは森辺でも選りすぐりの顔ぶれであるため、薄明るい祭祀堂には大変な熱気がたちこめていた。


 祭祀堂は十分なスペースを確保するために、竪穴式の構造になっている。地面には敷物が敷きつめられて、血族同士で寄り集まるのが習わしだ。眷族を持たないファの家は、もっとも近所で交流が深いフォウの血族のそばに陣取っていた。


 敷地の奥側には祭壇のようなものが設えられて、そこに巨大なギバの頭骨が飾られている。

 その祭壇の手前に、三族長と供の男衆が居並んでいた。ドンダ=ルウとダルム=ルウ、ダリ=サウティと長老のモガ=サウティ、グラフ=ザザとザザ分家の男衆という顔ぶれである。


 また、それと向かい合う家長や供たちも、懇意にしている相手は少なくない。ともに来訪したバードゥ=フォウとライエルファム=スドラとチム=スドラ、ジョウ=ラン、ガズラン=ルティムとラウ=レイ、ギラン=リリンとシュミラル=リリン、シン・ルウ=シンとディグド・ルウ=シン、ディック=ドムとディガ=ドム、デイ=ラヴィッツ――名前を知っている相手だけでもその数であるし、その他にも血気盛んなラッツの若き家長、ダン=ルティムのように豪放なリッドの家長、ちょっと気難しいディンの家長、平家蟹に似た顔をしたベイムの家長、生真面目なヴェラの若き家長などなど、数えあげたらキリがなかった。


「……それでは、本年の家長会議を開始する」


 そのように口火を切ったのは、三族長の中央に座していたグラフ=ザザである。


「このたびの取り仕切り役は、ザザの家長たるこの俺だ。しかしあくまで場を取り仕切る役であり、族長としての責任は残る二名も変わりはない。そのつもりで、会議を進めてもらいたく思う」


 スン家から族長筋を引き継いだのち、三族長は持ち回りで家長会議の場を取り仕切ることになったのだ。それで今回が三度目の家長会議となるので、ついにひと巡りしたわけであった。


「また、これは事前に通達した話であるが……昔日にフォウの家長たるバードゥ=フォウから、家長会議の供は女衆にしてみてはどうかという提言がなされた。それは小さからぬ道理をともなった提言であったが、軽々に決断できる話ではなかったため、とりあえず今回は見送られた。それに関しても、のちのち家長らに意見をもらいたく思う」


 それは昨年の白の月、ファの家で行われた六氏族の会合で出された話題である。町での商売に関しては女衆のほうが事情をわきまえているため、いっそ家長会議にも女衆を同行させるべきではないかという話が持ち上がったのだ。さすがにすんなり了承されることはなかったが、族長たちも一考の余地はあると考えてくれたようであった。


(まあ、町での商売っていうのはそれだけ重要なんだから、当然の話だよな)


 俺がそんな感慨にひたっていると、グラフ=ザザはあらためて語り始めた。


「ではまず、会議を行う前にいちおうの確認をさせてもらおう。この一年で、家長が交代した氏族はあろうか?」


 声をあげる者はいない。

 本年も、不測の事態や老いなどで家長が交代された氏族はないようであった。


「では、この一年で新たに生まれた氏族、シンの家長に挨拶をしてもらおう」


「うむ」と応じて、シン・ルウ=シンが颯爽と立ちあがる。


「ルウの家から分かたれたシンの家の家長、シン・ルウ=シンだ。昨年の家長会議でも事前の挨拶をさせてもらったが、予定通りに俺がシン本家の家長を務めることになった。いまだ若輩の身であるが、名だたる家長たちを手本として家人を導きたいと願っている」


 昨年の段階で家が分けられることは決まっていたので、すでに事情は通達されているのだ。しかしこの一年で、シン・ルウ=シンはますます貫禄がついていた。


「そして本日は、分家の家長ディグド・ルウ=シンを供にすることとした。俺の弟はまだ幼いので、俺が明日でにも魂を返した際にはディグド・ルウ=シンに家長の座を担ってもらうことになるだろう」


「ふん。お前はそう簡単にくたばる狩人ではなかろうよ」


 と、ディグド・ルウ=シンも大儀そうに立ち上がる。彼は足もとに、何らかの故障を抱えているのだ。

 そしてその顔は、数々の古傷によって大きく引き攣れている。もともと精悍な顔がそれでいっそうの迫力を帯びているわけだが、もちろんこの場に怯む人間はいなかった。


「分家の家長、ディグド・ルウ=シンだ。たとえ何かの間違いで俺が本家の家長の座を受け持つことになろうとも、こやつの弟が育ったあかつきには譲り渡すつもりでいる。よって、今日は俺が供として参じたわけだな」


 森辺の習わしで、家長の跡継ぎは家長会議の日に家を守るという取り決めであるのだ。それで、このような注釈が必要になるわけであった。


「これにてルウの血族は、親筋を含めて八つの氏族となった。これは、スン家が族長筋であった時代から三年以来のこととなろう。氏族が減るいっぽうであった森辺において、これはきわめてめでたき話となる。心から、祝福を捧げたい」


 重々しい声音でそのように告げてから、グラフ=ザザは両名に着席をうながした。


「では、次に……昨年の家長会議で取り沙汰した話を確認するだけで、ずいぶんな時間を食うことだろう。まずは、ランの家から始めてもらいたい」


「うむ。これも事前に通達した通り、ラン分家の長兄ジョウ=ランは宿場町の民たるユーミ=ランと婚儀を挙げることに相成った。今のところはつつがない生活が保たれているため、どうか心安らかに見守ってもらいたく思う」


 ランの家長がいくぶん張り詰めた面持ちで応じると、グラフ=ザザは「うむ」と隣のジョウ=ランをねめつけた。そちらは相変わらずの、和やかな面持ちである。


「ユーミ=ランは、かまど仕事のさなかだな? こちらに呼んで、家長たちに挨拶をさせるがいい」


「承知しました。少々お待ちください」


 ジョウ=ランが軽妙な足取りで祭祀堂を出ていくと、グラフ=ザザは「ふん」と鼻を鳴らした。


「一時はどうなることかと思ったが、大きな問題が生じなかったのは何よりであったな。……ではこの間に、他なる婚儀についてもうかがわせてもらおう。サウティの眷族たるヴェラの女衆を嫁入りさせたフォウの家も、つつがなく過ごしていようか?」


「うむ。こちらも、問題は見られない。先達たるドムとルティムを見習って、血族同士の交流にも重きを置いているつもりだ」


「そうか。では、ベイムとナハムは如何様であろうか?」


「こちらはフォウとヴェラほど家が離れているわけでもないし、おたがい族長筋ならぬ身であるからな。これで問題を起こしていたら、面目が立たないところであろう」


 ベイムの家長がむっつりとした面持ちで応じると、ナハムの家長も無言のまま首肯した。彼らはどちらも、いくぶん気難しい気性をした厳格なる家長であるのだ。


「ドムとルティムから始まった血族ならぬ相手との婚儀も、これで四件となったわけだ。いずれも穏便に話が進められているのは何よりの話だが……やはりもっとも苦労が大きいのは、宿場町の民を迎えたランの家であろうな」


「うむ。血族や近在の同胞に助けられながら、何とか平穏を保っている。この先も油断することなく、ジョウ=ランとユーミ=ランを正しき道に導いていくつもりだ」


 生真面目な気性であるランの家長はこういう際に気負いがちであるが、両脇のバードゥ=フォウとライエルファム=スドラは泰然たるたたずまいである。俺もランの家と《西風亭》の両方にご縁を持つ身として、懸命に心を砕いているつもりであった。


「ユーミをお連れしました」


 やがて、ジョウ=ランがユーミ=ランをともなって戻ってくる。

 ジョウ=ランは相変わらずの穏やかな表情、ユーミ=ランはめいっぱい気合の入った面持ちだ。ただその眼差しさの明るさと力強さに変わりはなかった。


「ランの分家に嫁入りした、ユーミ=ランです。家長のみなさんは、今後もどうぞよろしくお願いします」


 族長たちのかたわらに座らされたユーミ=ランは、膝をそろえて深々とお辞儀をした。

 そんなユーミ=ランに冷ややかな目を向ける人間は、この場に存在しない。おそらく誰もが復活祭の折には宿場町まで下りて、ユーミ=ランと言葉を交わした経験があるのだ。何せユーミ=ランの嫁入り話というのは二年近くも前から始められていたので、誰もが存分に検分を果たしていたのだった。


「存外に、森辺の装束も似合っているようだな。アスタの姿に見慣れたせいか、さほど違和感もないようだ」


 と、興味深げに声をあげたのは、ザザの血族たるダナの家長である。いまだ若年だが、収穫祭では勇者の座を獲得していた実力者であった。


「俺などは宿場町と縁が薄い部類であろうから、いくつか質問をさせてもらいたい。お前は森辺で、つつがなく過ごせているのか?」


「はい。ともに過ごすみなさんのおかげで、満ち足りた日々を送っています」


「そうか。宿場町の親もとには、顔を見せているのか?」


「はい。ひと月が過ぎたぐらいで、一度だけ宿場町におもむきました。それに、本家の娘さんがちょいちょい宿の仕事を手伝ってくれているので、おたがい元気なことは伝えることができています」


「なるほど。そういえば、ジョウ=ランも宿の仕事を手伝うという話ではなかったか?」


 視線を向けられたジョウ=ランは、笑顔で「はい」とうなずく。


「俺も狩人の仕事が休みとなった日には、《西風亭》まで出向いています。でも、それほどしょっちゅう出向けるわけではないので、まだまだ修練が必要ですね。いずれ休息の期間がやってきたら、じっくり腰を据えて学びたいと願っています」


「そうか。お前もお前で、つつがなく過ごしているようだな」


 ダナの家長がすみやかに矛先を収めると、今度はデイ=ラヴィッツが発言した。


「俺からも、ひとつ聞かせていただこう。宿場町には、他にも森辺への嫁入りを目論んでいる人間は存在するのか?」


 ユーミ=ランは顔馴染みであるデイ=ラヴィッツに対しても、丁重な態度で「いえ」と応じた。


「あたしが知る限り、そういう話は聞いていません。あたしの友達なんかも羨ましそうな顔はしますけど、なかなか覚悟を固めることはできないみたいです」


「ふん。森辺への嫁入りが、羨ましいだと?」


「はい。まあそれは、森辺に立派なお人が多いからなんでしょう。森辺の若衆の凛々しい姿に胸を弾ませている娘は、ひとりやふたりじゃないですからね」


 と、ユーミ=ランは彼女らしい朗らかさで白い歯をこぼした。


「それだけの理由で嫁入りを願うような人間がいたら、あたしが真っ先にたしなめるつもりでしたけど、今のところはそんな話にもなっていません。たぶん傀儡の劇の影響とかもあって、森辺の生活の大変さもしっかり伝わっているんでしょうね」


「ふん。ずいぶんと如才のない返答だな。普段のやかましさは、どこに置いてきたのだ?」


「そりゃあもう、胸の奥底に仕舞いこんでます。普段通りのあたしをご所望だったら、晩餐の時間までお待ちくださいな」


 そうしてユーミ=ランらしさがほのかに垣間見えると、彼女をよく知るガズラン=ルティムやシュミラル=リリンが微笑をこぼした。かくいう俺も、そのひとりである。


(ユーミ=ランは、本当に立派になったな。これなら、もうひと安心だ)


 ユーミ=ランはこの二ヶ月弱で、さらなる成長を果たしたのだろう。貴族が相手でも丁寧な言動を保持することが苦手なユーミ=ランが、これほど立派に立ち振る舞っているのだ。彼女もそれぐらい、この場の大切さをわきまえているのだった。


 並み居る家長たちは、そんなユーミ=ランのことをごく自然に見守っている。大仰に感服することなく、すんなりとユーミ=ランの存在を受け入れているのだ。それこそが、ユーミ=ランの尽力の結果であるはずであった。

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― 新着の感想 ―
皆記憶力いいなぁ、記録無しの1年前の会議の引き続きだぞ、それだけ生活に根付いてるんだなぁ それに現代社会ほど情報過多でもないか 狩りをしながら事前に振り返りしてる族長筋を妄想して勝手に笑ってます
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